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唯「短編だよ」

短編集です
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:20:47.85 ID:9pEjc62o0
憂「ほぉるいん、0」


私は今日も憂ホールを掘っている。
昨日も一昨日も、その前も掘っていた。
だからきっと、明日も明後日もその明くる日も、きっと掘っていることだろう。

:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:31:01.30 ID:9pEjc62o0

 この前、同級の鈴木純が私の掘った穴に落ちた。
 私はすこうし、嬉しかった。いくら学校中に穴を掘っても、たまに引っ掛かったと思えば、それはどれも、一年生か、私の姉の唯だけだったからだ。

 しかし、私はすぐに気分を害した。

 鈴木純は、憂ホールに落ちたことに関して、なにか言い訳をしていた。
 あんまりに長かったものだから殆ど覚えてはいないれど、なかなかよくできた言い訳であったように思う。
 でもどんどん論点がずれていって、果てには、
「あんたはこれを憂ホールなんて言っているけれど違う。これは単なるくだらない落とし穴だ。そんなこともわからずに……」
 とか言い出したから、私は助けてやるのをやめた。

 だって、これは憂ホールだから。

4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:32:08.08 ID:9pEjc62o0

 気分を害したといっても、苛苛したわけじゃあない。
 鈴木純のとっても必死な顔を見たのと、憂ホールを落とし穴呼ばわりされたことで、心がさみしくなった。

 次の日、とてもやつれている鈴木純に会ったけれど、何の会話も交わさなかった。
 彼女は、いつも通り、どちらかというと粗暴に振る舞っていた。でも私を見る瞳の奥には怯えの色が見えていた。
 きっと、憂ホールのことを誰にも言ってほしくなかったんだろと思う。
 心配しなくても、私は鈴木純じゃないから、自分の功績を触れ回ったりだとか、そんなことはしない。

 落とした獲物は一人でこっそりと楽しむほうが好きなんだ。



5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:32:38.05 ID:9pEjc62o0

 そういえば、少し前に姉と同じ軽音部で三年生の秋山澪を落としたこともあった。

 どうやら部活に行く途中に落ちたみたいで、発見したときはそれはそれは見るにも無残な状態だった。
 憂ホールというお皿の中に、秋山澪とベースのカルパッチョ、みたいな状態だった。
 私が声を掛けると、秋山澪は第一声にいきなり「わざとかかってやったんだ」と言った。だから助けなかった。
 自分で這い上がる見込みがあるからわざと落ちたんだろうと思ったからだ。
 私は「ホールが無駄になるから今度からはわざと落ちないでくださいね」と言ってその場を去った。
 なにか叫び声が聞こえたけれど、忙しかったから後でいいやと思った。本当に用事があるならまた私のところに来るだろう。そう思った。

 でも、秋山澪はそれから私に話しかけることがなくなった。
 覚えている限りで一度もない。前は、家に来たりしたときに必ず「いつも大変だね」なんて声を掛けてきたのに、どうしたんだろう。

 まあ、いいや。とるに足らないことだ。

8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:38:56.02 ID:9pEjc62o0


 私は、そうやって今までいろんな人を落としてきた。
 そしてきっとこれからも。
 それでも、今日のように素晴らしい日は、もうやって来ないだろうと、確信している。


9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:41:16.31 ID:9pEjc62o0
 唐突だけれど、私にはとてもお気に入りの穴がある。
 それは一年前、私が学校に入ったばかりの頃、初めて掘った憂ホール。
 そう、やりたいことを見つけた姉への憧れと少しの寂しさから、何か自分も打ち込めることがないかと模索していたあの頃。
 とても稚拙で、醜いけれど、でもきらきら光るホール。そのホールは私にとって特別だった。
 正直、今までたくさん掘りすぎてどのホールがどのホールかなんて覚えてはいないけど、あれだけはずっと忘れない。
 私の。



 それは、空が蒼く、疎らな雲に侵されている午後、私はちいさなちいさな、でもとてもいとおしい存在を手に入れた。



10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:43:23.41 ID:9pEjc62o0
「あ、の、さあっ」

 声が聞こえる。とてもとても奥のほうから。そのいとおしい声に、私は顔を綻ばせた。

「あなたの落とし穴にかける情熱はわかったわよ!
でもさ、早いところここから出してくれないかしら!
行かなきゃいけないとこあるし……それにここなんか怖いんだけど!」


11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:45:10.80 ID:9pEjc62o0
「落とし穴ではないのです。憂ホールです。あなたのお名前はなんですか?」
「曽我部、よっ!
とにかく早く出し……ま、まさか鈴木純さんとやらや澪さんみたいに置き去りにするつもりじゃないよわね!?
ちょっ……」
「曽我部先輩さん……素敵なお名前ですね。待っていてください、今出して差し上げます」
「よかった……もうだめかと思ったわ……」
「と思ったけれど、どうやって出そう。
引き上げるにしてもそんな長い紐はないですし……結んでも途中で切れたら悲惨ですし。
それ以前に私には引き上げる力がないですね、多分」


12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:49:07.74 ID:9pEjc62o0
「えええっ、だめでもいいからやってみてよ! 頼むわよ!」
「そうですね、紐がないなら自分で結えばいいですね。やってみましょう。
私は不器用だから時間がかかるかもしれないけれど」
「そっち違うわ! ていうか人を呼んでー!? 後生ですから! 土下座でもなんでもしますから!」
「いやだなあ、こんな状況で野暮ですよ、人を呼ぶだなんて。ここは私とあなたの世界なんですから」
「いや、ここは私だけの真っ暗な世界だよ! お前は上から見下ろしてるだけだろーが!」

14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:51:19.61 ID:9pEjc62o0

「……私もそちらへ行ったほうが良いですか?」
「やめろー!」
「少々お待ちください。いま、会いにゆきます」
「ちょっ……いろんな意味でやめろぉおぉぉぉぉぉ!!」

 叫び声までもがいとおしい。
 こんな気持ちは、きっと、ずっと、これからも続く。
 初めてのホールの初めてのお客さま。ずっと放しはしない。



 出会いは、二年間掘り進めた私のホール。二十七ヤード。


終わり



18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 12:58:41.36 ID:9pEjc62o0
唯「仮面のわたし」



 不機嫌な顔の彼女が大好きだ。なんて、勿論コレは強がりだ。
 本当は笑ってほしい、心から。けれどもそれはないだろうからせめて、きつい言葉も嫌な顔も好きになってやるんだ。
 それが彼女への復讐。ま、逆恨みだけどね。



19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:01:30.94 ID:9pEjc62o0


 重なった唇に戦慄した。自分から仕掛けたこととはいえ、震えが止まらない。
 けれどそれは勿論自分の心の中だけであって、彼女からすれば普段となんら変わりない私に見ただろう。
 いや、それ以前に彼女には私の顔を見る余裕など無かったと思うけれど。

「うわあ、いま唇付いたねえ」

 どうでもないことのように口に出せば、彼女ははっと体を震わせ、私を睨んだ。
 それからまるで見せ付けるかのように口を拭い、彼女の制服の裾を掴む私を投げ捨てた。
 


20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:03:37.80 ID:9pEjc62o0


 別に本当に巴投げされたわけじゃあない。ぺっ、と引き剥がされただけだ。
 それでも私は存在ごと捨てられたような気分になった。そしてお決まりの文句。

「あなたが嫌いです」

 知ってらあ、そんなこと。
 それともなにか、私のことを会うたびに言われないと覚えていられないほどの白痴だと思ってるとでもいうのか。

 彼女の言葉に眉を下げて、私は情けなく笑った。
 視界の端で揺れる花が無残に手折られる妄想をしながら。勿論、折ったのは私じゃない。彼女。



21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:09:27.65 ID:9pEjc62o0
「そんなあ、ひどいよ、あずにゃん。それにさっきのは私だけのせいじゃないじゃんかあ」
「そうだです、だから苛々しているんです」

 本当に忌々しそうに彼女が言う。
 自分の失態と、私と。彼女の嫌なものが二つ仲良く並んでしまったのだから仕方ない。
 口元を思い切り歪め、拳を震わす。彼女のこんなとことろ、好きだ。



22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:14:29.23 ID:9pEjc62o0
平生彼女は自分の弱みを他人に見せることを好かない。
 他人というのは、自分の他、の意味だ。
 敬愛する先輩であろうと、好意を向けるクラスメイト――私にとっての妹――であろうと、
 いやむしろそうであるからこそ、強く自立した人間に思われたいのだろう。

 周りに負けないよう精一杯に背伸びをしている彼女を見ると、なんだか妙な気分になるのだ。
 なんともいえぬ、絶妙な。
 そう、俗な言葉でいえば、そそられる、とでもいうのか。


23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:17:56.28 ID:9pEjc62o0
でも、今自分の前にいる彼女のほうがもっと素晴らしい。
 いつもの生意気だけれどどこか可愛らしい雰囲気はどこへやら、あからさまな敵意をこちらに向け、一方で自己嫌悪に打ちひしがれ。
 こんな姿、他に誰に見せているっていうんだろうか。
 そのことについて彼女の自覚を問いたい。

「もういいです、急いでいるので。用事がないならどいてください」
「ええー、つれないなあ、そんな」
「とにかく私はもう行きます。先生に呼ばれているので。じゃあ」

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24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:21:45.06 ID:9pEjc62o0
 去っていく後ろ姿に「さわちゃん先生なら、今はうちの教室のへんにいるよ、たぶんー」と叫ぶ。
 何の反応も無かったが、その足取りは三年の校舎へ向かっていた。
 一応信用はするのか。まあ、そんなこと疑るほうがおかしいか。
 いくら私が相手でも。

 どうせならば嘘を教えてみるんだった、と頭の片隅で考え、仕方の無い自分に笑った。
 唇を人差し指でなぞる。
 先程のことを思い出したら体が熱くなった。

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:26:30.86 ID:9pEjc62o0
 彼女が私に厳しく接する理由は、自分と正反対だからとか、人に余計な手間を掛けさせるからだとか、
 それでいてへらへらしているのが気に喰わないからだとか、思い当たるものを挙げればきりが無いけれど。
 実際のところ、考えても無駄だ。

 何故そこまで嫌悪するのかなんて、そんなことはわからない。
 とにかく好きではないのだ。そしてそれはこれからも変わらない。

 きっと彼女の中に、私を好きになる、なんて選択肢はないのだ。
 そんなことは彼女を構成する何かを壊すことになる。
 一種、私を嫌うことで何かを保っているようにも感じる彼女が、愛おしい。
 そう言ったら、どんな顔をするだろう。絶対に言わないけれど。

29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:32:54.20 ID:9pEjc62o0
 そう、彼女が彼女であるように私は大いに協力をしているんだ。
 そのことに彼女は気付かない。それはとてもつらいことだけれど、気付いたら終わってしまうのだから、仕方ない。
 本当は、彼女にとって私はどうとでもないことはわかっている。

 けれどもあんまりにそれが悔しいものだから。

31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:36:27.12 ID:9pEjc62o0
「あーあずにゃん二番目だあ!」
「あー……こんにちは」

 音楽室のドアを閉めながら、事務的な口調で彼女が囁く。
 その口調を崩してやろうと思って、私は言った。

「あずにゃんとね、キスをしたって言ったら、みんなとても驚いてたよ。
 私はそういうんじゃないって、言ったんだけどー」

 嘘だった。そんなこと、誰の前でも言うのものか。私だけの、秘密だ。


32 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:42:38.18 ID:9pEjc62o0
 もしかしたら、拳が飛んでくるかも、と思った。けれど、平手で済んだ。
 しかも顔じゃあなくて、頭だ。
 まあ、ここはまだ決定打ではないので、そうカッカしてもらっても困る。まだ。
 
あのねえあずにゃん、憂にもね・・・。

 私が口を開こうとした時、彼女が言った。

「ほんとうに、嫌いです」


33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:45:34.69 ID:9pEjc62o0
 苦々しい表情に、私は押し黙った。
 笑わなければならないのに。笑って、流して、そして。

「ひ・・・ひどいよお!」

 思い切り悲痛な顔で叫んだ。よかった、私はまだやれる。

「もうあなたの顔は見たくないです。今日は帰ります」
「待って、よ」

 呼び止めれば、嫌そうな顔の彼女。心など痛まない。いつものことだ。


34 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:48:58.55 ID:9pEjc62o0
「明日は来てね。みんな心配しちゃうから。だから会いに来てね」

 軽薄な笑顔でそう言えば、彼女はこちらを見ずに答えた。

「言われなくても」
「えへへへへ」

 私に、だよ。そう言ってもおかしく思われないだろうか。
 戯言だと思ってくれるだろうか。
 
 思い迷ったときにはもう彼女の背中は遠くて、私は目を細めた。





 彼女が笑いはしないのなら、怒った顔を好きになる。
 たとえ、愛しい人の前で笑っている姿があったとしても、私は平気だ。平気なんだ。



終わり



36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 13:56:11.84 ID:9pEjc62o0
梓「やさぐれ!」


 今日も今日とてけいおん部へ足を運ぶ。活動なんて大したものじゃあない。
 することといえばお決まりの、ティータイムと、そして生温い馴れ合いと……アホの唯に抱きつかれること。
 そこまで考えて、梓はため息を吐いた。

39 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 14:35:40.91 ID:9pEjc62o0
「こんにち……わあ」

 来るなりこれかよ、まいっちゃうぜ。

 目の前の惨状を見て梓は思った。
 割れたティーカップの散らばる足下をぐっちょり濡らして固まっている澪と、床を慌てて拭いている紬と。
 どっちを手伝うべきかなんてのはどうでもいい。とりあえず顔の引き攣りを治すことが先決だ。

 いかにも驚いたかのようにあわあわと小さくステップを踏んでいると、紬から手招きされた。

「ああ、いいところに来てくれたわ梓ちゃん。ちょっと澪ちゃん拭くの手伝ってくれないかしら」
「はい」


40 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 14:38:52.67 ID:9pEjc62o0
 招かれるままに、とてとてと走る。
 膝から下だけを細かく素早く動かすことがコツだ。一生懸命に走っているように見せかけることが重要である。
 まじでめんどくせえー管轄外だよ時間外労働だよ勘弁しろ、なんて表情は決して見せてはならない。

 おおかた唯と律がふざけているところを澪が注意して、こんなことになったのだろう。
 全校生徒のための音楽室をなんだと思っているのか。そもそも部活動の時間なのに。
 全く以って言語道断である。

 梓は誰にも聞こえぬように小さく舌打ちをした。

 どうせこれをきれいにしたところで、また帰り際あたりに何か起きるような気がする。
 そう思うと本当にかったるい。
 誤ってカップの欠片で手を切った振りでもしようか、そうすれば保健室にでも行って今日のけいおん部には参加しなくて済む、
 等と考えるが、たとえ小さな傷でも怪我をするのは嫌なので止めた。

 それに、こいつらのことだ、怪我したなんて言ったら必要以上に大騒ぎしかねない。恥をかくのはごめんだ。


41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 14:46:26.28 ID:9pEjc62o0
 やっと作業が終わる。
 澪のほうもどうにかショックから立ち直ったようだった。
 紬が梓の頭を撫で、言った。

「ありがとう、お疲れさま」

 すると唯と律がぴょんぴょん飛び跳ねながら文句を言う。

「ずるーい、梓だけー」
「ムギちゃん、わたしらも頑張ったよー」
「おまえらが原因だろが! たく、梓ごめんな」

 梓は二人を怒鳴りつける澪のほうを向き、かわいらしくにっこりと笑う。
 今日はこれで終わればいいが。


42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 14:51:00.01 ID:9pEjc62o0
すると、背後でガッシャアーン、と不吉な音がした。思わずぞっとする。
 いや、しかし、唯と律は目の前にいる。

 梓は意を決して振り向いた。

「せん、せい……」

 くそが、やってくれやがった。
 口に出してしまいそうなのを寸でのところで止め、肩を震わす。

 梓の目に映ったものは、他でもないけいおん部顧問の二重人格教師山中さわ子と、見事なまでに粉々に割れたティーポットだった。



43 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 14:56:18.91 ID:9pEjc62o0
「あーもうなにやってるんですか先生」

 澪が少しイライラした調子で言った。隣で紬も項垂れている。
 アホの二人は口をあんぐりと開けさわ子を見ている。さわ子はエヘヘと頭を掻いて笑った。

「ごめんねー、お茶飲みに来たんだけど面倒そうなことしてたから、ばれないで茶だけいただこうかと。
 それでうっかり」

 ごめんで済むなら奉行所はいらねえ。誰かこいつを更迭しろ、リコールしろ。大自然へとクーリングオフしてくれ。
 乾いた笑いが起こる中、梓は心の中で叫んだ。


44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:00:26.59 ID:9pEjc62o0
 結局、夕方から始まった作業はあれからまた色々起こって部活終了にまで及んだ。
 何度か脱する方法も考えたが、なんだかんだで最後まで真面目に作業していた自分に、梓は心の中で拍手を送った。

「お疲れー……」
「ういーす……」

 覇気の無い挨拶でけいおん部が終わる。
 みんなが帰ろうとする中、唯がかむかむと手招きしているのに気付いて、律と紬が駆け寄った。
 梓ものろのろと歩み寄る。


45 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:07:11.35 ID:9pEjc62o0
「あずにゃんも来てー」
「なんすか?」
「ほら」

 唯の手から放たれたものは、きらきらした飴細工だった。

「べっこう飴だよー」
「これが?」
「うん。昨日憂と一緒に作ったんだぁ」


46 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:14:08.88 ID:9pEjc62o0
 色とりどりのべっこう飴が、ひとつずつ配られる。
 糖は疲れたときいいらしいぞ、梓、最近疲れてるみたいだからよかったな。
 そう言いながら、澪が唯から手渡されただいだい色のべっこう飴を梓に放った。

「ありがとう、ございます……」

 はて、自分がこの色が好きだと、唯に言ったことはあっただろうか。
 梓が考えていると、ついと袖を引かれた。紬だった。

「それ食べるのは後でね。早く出ないと校門閉まっちゃうわ」
「は、はい……!」

47 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:19:20.66 ID:9pEjc62o0
 唯と律が「はやくはやくー」と手を振っている。
 澪が「お前らはどうせのろのろして遅いんだから先行ってろよ」とからかうように言った。
 さわ子が納得するように頷いたのを見て、二人が反論の声を上げる。

 ああもう。そんなことしてたら本当に校門閉まっちゃうじゃないか。

「梓まで笑うなよー」

 言われて、はっとした。
 私は、笑っていたのか。

「ほら行くぞ」

 律に手を引かれ、足を急がせた。


48 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:23:34.33 ID:9pEjc62o0


 家に帰って、布団に身を投げ出す。
 今日は金曜日。また来週には、けいおん部に行かくてはならない。
 トラブルに巻き込まれなければならない。そう思うとげんなりする。まじたるい、ほんっとなんで私が。

 梓はべっこう飴を口に放り込んだ。甘い。

「なに食べてんの?」
「んむ、」

 泊まりに来ていた憂が、顔を覗き込む。
 思わず喉を詰まらせそうになった。


49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:30:14.75 ID:9pEjc62o0
「ちょっと、いきなり近づかないでよ。どっかのアホに似た顔してさ。
 べっこう飴だよ。さっきもらったの」
「ふうん。お姉ちゃんに?」

 前半は聞こえなかった、というふうに憂が首を振る。

「そうだよ。……ていうか憂でしょ、この色」
「違うよ、お姉ちゃんだよ。食紅いっぱい買って嬉しそうにさ、“この色はあずにゃんのー”て」
「……」

 押し黙る。
 流されてはだめだ。こんなの映画のジャイアンの欠片みたいなものだ。
 私の被った被害はこんなものでは消されない、と梓は心の中で強く繰り返す。

51 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:34:30.33 ID:9pEjc62o0
「いいね、けいおん部は。みんな優しくて」
「はー」

 梓がため息のポーズをとると、憂が少しにやにやしながら言った。

「梓ちゃん、けいおん部好きだもんね」
「……まあね」

 自虐で言ったつもりだった。
 けれど、憂にはそれがわからなかったようだ。にんまりと笑って、そっかそっかと嬉しそうに言った。




……好きなもんか、好きなもんかドちくしょう。



終わり


54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:41:47.46 ID:9pEjc62o0
さわ子「18歳未満の少女との淫行はry」


「キスがしたいです」

 自分がどんな表情をしていたかわからない。

 耳を疑った。顔が赤くなるのを止めたいのに止められなくて、どうしようもなくて、固まった。
 彼女の手が、こちらに伸びてくる。少しずつ、少しずつ。
 そのときの私は、ドッヂボールで相手の球がこっちへ向かってくるのを待っているときなんかより、ずっとずっとずっと神経を尖らせて、来るべき衝撃に身構えていた。
 見た目には呆然としていたかもしれないけれど。


55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:46:18.10 ID:9pEjc62o0
「……」

 しかしその手は私の首元の空気を軽く攫って、少し躊躇うように円を描いてから、また彼女の方へと戻って行った。
 重い沈黙が頬をぴりぴりと叩きつける。

「ごめんなさ」
「あ、ああああの!」

 ほとんど同時だったと思う。それでも間に合ってよかった。
 きっと、謝られてしまったらもう二度と彼女の口からそんな言葉は聞けない。そう思った。
 大体、彼女は生徒会長のくせに、日本語が下手だ。
 していいですか? とか、しますよ、じゃなく、したいです、って。どう答えればいいのか。


56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:50:33.83 ID:9pEjc62o0
 切り出してみたはいいものの、言葉が続かない。これではさっきの二の舞になってしまう。
 何か、言わなきゃ。

「あ、あのー……なんで?」

 前言を撤回する。私のほうが日本語、下手だ。
 案の定、彼女は予想外すぎるであろう私の言葉に鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしている。
 でも、こっちだって予想外だ。


57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:52:39.16 ID:9pEjc62o0
「……せんせい」

 下を向かれて、ぞっとする。私は、なんてことを言ってしまったのか。なんと無神経極まりない。
 けれど、彼女は私の予想に反して、顔を上げてニッと笑った。どぎまぎする。
 なんなんだ。

「先生、かわいいです」
「は……っ?」

 かわいい、だって?
 そんなことを言われたのは何年振りだろう。少なくとも、教師になる以前、まだ学生だった頃の話だ。
 今の自分はそんなことを言われるに値しないと、少なくとも私はそう思う。
 というか、私はいい大人で教師なので、そんなことを生徒に言われて喜んでいいのかどうか。寧ろ悲しむべきかもしれない。
 そのはずなのだが、なんだろう。妙な気持ちになるのは。


58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 15:57:07.95 ID:9pEjc62o0
「緊張、してますね」

 笑いながら、そんなことを言う。
 お互い様、のはずなのに、彼女のほうが少しばかり余裕を持っているように感じるのは、やはり主導権を握られているからなのか。
 認めたくはないけれど。

「好きだです」

 ――こないだも聞いたわよ。
 そう、口に出せなかった。唇が震えて。
 かなり情けない。

「私も、」

 掠れた声で小さく言ったら、彼女があんまりに嬉しそうな顔をするから、やばいと思った。
 その顔、見てると胸が痛い。痛いのに、目が離せない。


59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:03:28.41 ID:9pEjc62o0
「先生……好きです」

 ぎゅうを手を握られる。
 その力は、殺人ギターで鳴らした私にとってはなんてことないはずなのに、手が真っ赤になるくらいとても強く感じられた。
 握り返す力はなくて、でも放したくはない。
 いつから私は、こんなふうになってしまったんだろう。

「ごめんなさい」

 私の顔が、困っているようにでも見えたのか。私の想いは虚しく、手は放されてしまった。
 遠慮しいなんだ、彼女は。私は、単に、わけがわからなくなって、なにもできなくなってしまう。

「ごめんなさい」
「ねえ、」

 二度目。
 謝られるたび、距離ができてしまうようで嫌だった。
 彼女は、謝られるようなこと、していない。いつだって私がしたくてできないことをしてくれている。


60 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:09:23.72 ID:9pEjc62o0
「手……、寂しいわ」

 馬鹿な言い方だ。言って、思わず赤面した。
 でも、私には自分から握ることなんて無理だ。

「……いいんですか」

 首を傾げる姿ながら手を差し出す動作を、かわいいと思ってしまった。
 彼女だって威厳あるはずの生徒会長なわけだが。でも、おあいこだ。

「口も」

 寂しい。言いながら、頬を寄せた。

「……へ、」

 多分彼女はものすごく驚いた顔をしていたに違いないのに、見たかったのに、私は見ることができなかった。
 こっちもいっぱいいっぱいだった。

62 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:14:10.90 ID:9pEjc62o0
「さわ子さん」

 名前で、しかもさん呼びされた、とかどうでもよかった。

「嫌じゃ、なかったんですか」
「いまさら、何を」
「じゃ、じゃあ」

 いたく興奮した様子の彼女に、少しびびる。しかし次の言葉に、少しどころか思い切りびびった。

「もう一回、しても……いいですか」

 ここで、おかしな顔とかおかしなこととか言ってしまうから、私はだめなんだろう。
 素早く頷く。顔を晒せないから下を向いただけ、ともいえるが。意思の、疎通。ちゃんとしたい。



63 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:16:41.95 ID:9pEjc62o0
「ありがとうございます」

 さわ子さん。
 目を閉じたら、囁かれた耳元が余計にこそばゆくて、身体全体がぞうっとした。
 開けそうになる目を、頑張って閉じた。そして、やさしい衝撃を待った。

「…………」

 掠めた空気は、確かに彼女のものだった。目をゆっくり開ければ、いつもの笑顔。私も笑った。
 これからもずっと一緒に、とか馬鹿な言葉が頭に浮かんで、だめだなあと思った。熱に浮かされている。


 だめだなあ、私。本当に、好きだ。








デビルさわちゃん「おめーきもちわりーんだよこのキモヲタ厨二病!」ゴキャ
俺「きゃいん!」


終わり



65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:21:37.70 ID:9pEjc62o0
澪「ふでペン……はぁ」


 筆が紙を擦る音は心地よいけれど、やっぱり彼女の声のほうが好きで。

 私は、彼女の明るい可愛い声が聞きたくて、声を掛けた。
 単に、黙られていることが、つらかっただけなのだけれど。



66 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:24:24.51 ID:9pEjc62o0
「律、」
「なに?」

 彼女が仏頂面なのは、習字が嫌いだからだ。きっと、そうに決まっている。

 私は筆を置く。本当は、私は字は苦手なんかじゃないんだ。
 そんなことは、お互い百も承知。

 それなのにわざと補習に参加している理由だって。

「なんでもない」
「そうかよ」


67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:27:36.49 ID:9pEjc62o0
 怯えた顔、しないでほしい。私だって馬鹿じゃない。律みたいに、馬鹿じゃない。無謀なことはしない。

「冷たいなあ」
「そうでもないよ。だって、なんでもないとか言うから」
「そっか。あ、そうだ。新しい歌詞、作ったんだ」

 脇目も振らず、一刻も早く終わらすべく課題に集中していた律が、やっとこっちを見た。ちらりとだけれど。
 勿論その顔は嫌な顔だった。

「私は読まないぞ」
「うーん、言うと思ったよ。でもたまにはいいだろ」
「嫌だ、唯にでも読んでもらえよ。喜ぶぞ」
「たまには校正代わりにでもさ。いつも唯も梓も文句言わないんだもんな」
「あームリムリ。っていうか、お前のが国語とか得意だろ」

69 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:30:51.17 ID:9pEjc62o0
 お前に向けた歌詞なんだから、なんて律は言ったらどんな表情をするだろうか。

 あえて名前を挙げることを避けたあの子の穏やかな顔を思い浮かべながら、私は少し笑った。
 多分きっと、律の中にも今同じ顔が浮かんでいるに違いないのだ。でも、私みたいに一瞬と違う。
 律の中には、最近、ずっとずっと、あの子がいる。

 そう、二人で出かけたあの日から。

「頼むよ。最近うまく書けなくてさ、律の感想が聞きたいんだ」

 きゅ、と手を握ると、彼女は身体をびくりを揺らした。
 それでも跳ね返したりはしない。だってこれは、友情の範囲。

 あの日、どうして私は律の誘いを断ったのか。どうして二人で出かけてしまったのか。
 今更そんなことを考えても遅い。それに、それだけがこうなった原因じゃないってこともわかってる。

70 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:33:54.88 ID:9pEjc62o0
「無理なもんは無理。私にはふわふわとか恋いとかわかんないって」

 目を逸らしながら、絡めた指を自然に解こうとするのを見て、なんだか彼女も慣れてきたものだと妙に感心した。
 心が痛いけれど、痛くないふりをする。だって、律がわからないふりをするからだ。
 私が、律はわかっていることを、わかっていると、わかっているくせに。

 ふと、廊下から足音が聞こえる。規律的なそれは、この教室の前で止まる。
 誰だかなんてわかりきっている。勿論、私には気配や足音であの子を当てることなんてできやしない。
 でも、律の顔を見ていれば。
 いや、恐ろしさを感じるくらい性急に振り解かれた手の痛みで、わかってしまう。

「終わった?」
「いや、まだー」

 教室のドアからひょっこり顔を出したムギに、間なんて空けないで律が答える。
 そうだ。終わったのに無駄なお喋りをしていたなんて思われたくないんだろう。


71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:36:45.57 ID:9pEjc62o0
「もうちょっとなんだ」
「澪ちゃんに手伝ってもらったりしてないよね?」
「してないしてない、ちゃんと頑張ったよ」
「あ、ほんとだ」
「何だ、その顔」
「だって、見ればわかるわよ」
「字が汚いから、だろー!? もう! どうせ私は……」
「拗ねないの」

 ――だって私はりっちゃんの字、好きよ?

 私だったらそう言うな、とか、どうしようもないことを考えながら、肘を突いて窓の外を見る。
 いい天気だ。鼠色の空が、湿った生温い空気が、彼女らを包んで遠い国まで攫ってしまえばいい。
 まあ、下手に会話に混ぜようとしてくれないほうが助かる。
 ムギの場合、何も考えていないんだろうけど。










おわんないよおおおおおおお
読んでくれてる方いたらありがとスマセン俺キメェ



73 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:39:51.26 ID:9pEjc62o0
「りっちゃん、澪ちゃんー、まだぁ?」

 ガラッと開けられた戸から、やけに明るい声がした。
 あんまりにグットタイミングで、どっかから見てたんじゃないかと思うくらいだ。そうでもおかしくはない。
 唯は他人の心の痛みに敏感だ、と私は思っている。
 特にそう、つらい気持ちの限界とか。

「お、唯」
「あれムギちゃんも来てたんだ? やってるねえー」
「私はもう終わった」

 てきぱきと道具を片付けて席を立つ。律があからさまにほっとした顔するのが、むかつく。
 ムギがただにこにこ笑っているのも、だ。


75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:44:05.08 ID:9pEjc62o0
「じゃ、二人で先に行ってよっか」

 差し伸べられた手は、握る。情けないことに、私は弱っていた。
 唯の笑顔が治癒してくれるのに、それと同じかそれ以上のダメージを的確に与えてくれる二人がいる。

「澪と唯は最近仲いいな」

 何気ない調子の律の言葉に、唯は「そうでもないよ、ねえ?」と悪戯っぽい表情で返す。
 お前らもな、なんて、絶対言ってやるもんか。


 廊下に出て、どうでもいい話をした。そうしたら、唯もどうでもいい話で返してきた。
 どうせこれから部活なんだから音楽室に行って話せばいいわけだけれど、それについて彼女は何も言わない。
 ただ笑いたかった。

 けれど。

「澪ちゃん、つくりわらいー」
「へ?」

 私は一瞬、止まってしまった。やはり、グットタイミングだ。

「そう見える?」
「うん」

76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:48:05.47 ID:9pEjc62o0
 唯の笑顔は笑顔すぎる。本当だか嘘だかなんて、考えようともしないくらい。
 これは、多分天然だ。

「なあ、」

 肩を掴んだ。私よりも少し華奢な。

「キスしてもいいか?」
「嫌だよ」

 その言い方が清々しすぎて、明るくて、また私らは笑い合った。


77 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:50:09.12 ID:9pEjc62o0
「、あ」

 呟いた唯の視先の先を追う。教室から、あの二人が出て行くのが見えた。
 一定の距離を保ちながら、ふたつ並んで消えて行く背中。穴が開くほど、見つめた。


「不毛だよ」

 とても冷たい声だった。

「非生産的だね」

 そう言った唯の顔は全くの無表情だった。何も考えていないような、それでいて鋭い瞳で、二人の背中を見ていた。

 さて、誰のことなのか、私にはわからなかったけれど、訊きはしなかった。

 だって、彼女だって私だって、片想いだって両想いだって、結果は変わらないじゃないか。

 いいや、これは負け惜しみ。だけど。


「ありがとう」

 そう言うと、唯は変な顔をした。


終わり



79 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:53:27.05 ID:9pEjc62o0
梓「ちょっと変な夢を見てしまっただけ」




 裾を掴む手は弱弱しく、まるでいつもの彼女ではないようだった。
 震える指と唇が何を紡ぎ出そうとしているのか注意深く読み取ろうとするけれど、やはり計り知れない。

「せんぱい、」

 思いつめたようなそれが求めているものは何かなど、どうでもよかった。強く、抱きしめた。


80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:54:52.08 ID:9pEjc62o0
「ねえ、私っておかしいかも知れない」
「はあ?」

 振り返った純の、怪訝な表情が痛い。
 そりゃあ、こんなことを突然言われれば、誰だって同じ反応をしたくなるだろう。
 しかし、自分から言い出したこととはいえ、落ち込んだ。この先を話す気が失せた。
もともとフォローなんて期待もしていなかったが。

 たくさんの教室が続く長い廊下で、梓はため息を吐いた。

「唐突に何さ。梓はわりとそうー……凡庸だよ。真面目だしね」

 怒られたいのだか何なんだか、真面目な顔でそう言ってくる純は、いい奴だと思う。言葉択びが少々雑なだけで。
 背後でにこにこ笑っている憂だって、まあいい奴といえばいい奴なのだが、自分が正常かどうかを、少なくともこの問題に関しては彼女には諮れない。
 信用しているかどうか等の意味ではなく、だ。
 もちろん理由はいわずもがな、彼女の異常に過剰なシスターコンプレックスにある。

「まあそれを言ったら私もそうだね! いいじゃん、凡庸。
完璧なのにシスコンとか、天然が過ぎてニート候補とか、眉毛が沢庵だとか、出番なくて忘れられそうだとかよりは」


81 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:57:05.00 ID:9pEjc62o0
 ふはは、と純が笑う。どうも梓の周りのメンバーのことを言っているらしい。
 出番云々は和のことなのだろうか。でもそれ。お前の言えることか。
 そう言ってやりたいけれど、言っても口論になるのがオチなので、むずむずする口をあえて噤んだ。
 
「そうかな。まあ、そうか」

 例え自分がおかしいとしても、彼女らのように他人に迷惑を掛けるわけでもなし。いや、唯以外は迷惑掛けている訳でもないか。
 まあ、そんなことはいい。自分が迷惑を掛けたとしてもそれは一人にだけだし、寧ろそのようなことは絶対に起きてはならない。
 おかしな言葉だが、そんなことが起きるようであれば自ら自分を全力で阻止する。

 一人頷いた梓に、純は言った。「何で? どこが?」

「へ?」
「だから、梓のどこがおかしいの?」

 梓は思わず眉間に皺を寄せた。こいつは、髪の毛のハネ具合のみならず話題の持って行きかたまでもがハチャメチャなのか。
 それを先に聞いてから答えを出すべきであるということがわからないわけでもなかろうに、何故純は結論から述べたのか。
 理由はわからないが何か落ち込んでいそうな友人を励ますことが先だと考えたのか。
 何にせよ、それはいい手ではないことが今実証された。

84 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 16:58:34.05 ID:9pEjc62o0
「なにがあったの?」
「もう、いい」

 真剣な顔で訊いてくる純に、梓は首を振った。

「なんだよ、言いなよー」

 ちょっと怒ったふうな口調に、安心する。
 「そっかじゃあいいか」などと言われたのではこの話題を振った意味がない。
 もともと自分で処理しきれないから純に言ったのであって、決して雑談をするためではないのだ。
 とはいえ、事実をそのまま伝えるには勇気が足らない。それはそうだろう、こんなこと。

「まあ、それはとりあえずいい。それより、だ」

 ごほん、とわざとらしく咳払いをする。純はまだブーブー言っているが、梓は気にせず続けた。

「純は女の人を愛おしく思ったことはある?」


85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:01:13.39 ID:9pEjc62o0
 漸く本題に入れた。梓はため息を吐く。しかし、ほっとした気持ちよりもやはり不安のほうが大きかった。
 純は一瞬何のことやらわからないという表情をしたが、すぐにはっと肩を震わせて、それから暫しの間無言になった。
 そして出てきた言葉がこれだ。

「悪いことじゃあないよ」

 不自然な笑顔の裏に好奇が見える。完全にそういった世界に目覚めたと思われている。
 まあ当然の考察だと思う。それに、こちらにも感づいてほしいという気持ちはあった。
 しかしこう、直接的に言われては。意味は無いと思いつつも、梓は言った。

「私のことじゃあない」
「だから、悪いことじゃあないって」
「……だから!」

 自分のことではないというのは、一割くらいが本当で、九割くらいが嘘だ。
 つまり殆ど嘘なのだが、それでもここは主張しておかなければならない。そうでなければ話も進めづらい。

「愛おしいといってもね、そんな、あれじゃないよ。ただ……抱きしめたいとか、」
「ふうん、そりゃあ、真性だね」
「……そう、なのかな」

87 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:02:56.87 ID:9pEjc62o0
 深刻な顔をする梓に、純は少々慌てたふうに言った。

「そんなマジにとるなって! お前……マジでマジだね」

 本当に悩んでいなければこんな話をしたりはしない。それでも、やはりしなければよかった。
 梓は後悔した。

「もういい。本当にいい」
「おい、ちょっと、今更やめないで。気になる」
「もういい、忘れて。あとこれだけは言っておく。私はそっちの気はない。じゃあね」
「ちょっと、待てよー」

 じゃあも何も向かう先は同じなのだが、梓は純の顔を見たくなくて、早足で次の授業のある体育館へと向かった。


88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:04:22.23 ID:9pEjc62o0



 それはおかしな夢だった。
 自分が、自分ではなかった。目の前にいる自分が、自分のことを「先輩」と呼んだ。

「澪先輩」

 そう言われて、気が付いた。自分は、秋山澪なのだ。目の前の彼女は自分ではない。中野梓という、後輩だ。

「なんだ、梓」

 澪は、俯く後輩に優しく問いかけた。しかし、梓は一向に口を開こうとしない。

「どうした」

 もう一度、問いかける。ゆっくり顔を上げた梓と目が合った。
 何かを訴えかけているような目。どうしたことだろう、かち合った視先が逸らせない。
 自分の中の妙な動悸に焦りを感じて、口を歪める。沈黙に耐え切れずに、一歩近付いた。
 すると、梓が、制服の裾を掴んだ。

「せんぱい、」





89 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:05:26.14 ID:9pEjc62o0
 思い返して、梓は、顔を赤くした。本当にばかばかしい。自分を、愛しく思うなんて。それも、彼女の姿で。
 梓は、澪のことは好きだ。けれど、そういった目で見たことなど一度としてない。尊敬できる上級生だと思う。
 彼女に対する感情は、それ以上でも、それ以下でもない。

 あの夢の暗示するものは、自分を愛しく想うような所謂ナルシシズムなのか、はたまた澪からあのように想われたいという願望なのか、
 どちらにしても寒気がする、と梓は思った。
 夢になど意味はないといわれればそれまでだ。しかし、どうしてもあの夢は異常である。
 笑い飛ばせないのは自分の中に何か思い当たるようなものがあるからなのだろうか、いや、そんなことはない、しかし、と堂々巡りが続く。

 体育館の前まで来て、梓は振り返った。
 さっきまで自分を追って来ていた純と、おまけに純をなだめていた憂の姿が見えない。
 仕方がないので探しに行く。せめて二人一緒にいてくれ、と願いながら校舎のほうへ足取りを戻した。


90 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:07:54.24 ID:9pEjc62o0
「お、梓じゃないか」

 その声に、思わず固まった。澪だ。こちらへ向かってくる。

「こ、こんにちは」
「体育だったのか?」
「あ、いえ、それはこれからで……」

 移動中に他学年とすれ違うことはそれほど珍しくはない。けれど、いくらなんでもタイミングが悪すぎる。
 梓は下唇を噛んだ。

「どうして校舎のほうに向かってるんだ。忘れ物か?」

 少しからかうような口調の澪に、梓は慌てて言った。

「ち、違います。友達を見失って……その子、ヤンチャだから」
「そうか、大変だなあ。律ってすぐどこか行っちゃうもんだから、私もよく見失ったよ」

 しみじみと言う澪。知らないうちに、勝手に口が開いていた。

「あの、」
「なに?」
「先輩は、男の人は好きですか?」


91 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:09:55.26 ID:9pEjc62o0
 言って、何を訊いているんだ私は、と梓は焦った。
 しかし、それ以上に澪が焦っているふうなのを見て、なんだか少し落ち着いた。澪は答えに窮しているようだった。
 そして暫し考えるようにしてから、梓を控えめに眺めて、小さな声で言った。

「心配するな、その、何だ、みんなそういうふうになるときはあるから」

 何の話をしているのやら、と思った。まさか、と思わず夢のことを思い出す。
 誰しも、一度は同性に対し愛しく思うことはある、と。
 そんなはずはない。梓は言葉の意味を考えた。

 多分、恋をしたとか、それで悩んで澪に相談しただとか、そういうふうに勘違いをされているのだろう。

「そうでは、なくてその、先輩個人のことで……」

 梓が言うと、澪は先程とは比にならないくらいに動揺し、挙動不審になった。頬を染め、徐にうろたえている。

「な、なんでそんなこと訊くんだ!」
「え、いえ……その」

 何故だといわれれば、梓も困ってしまう。勝手に口から出た言葉なのだ。

「好きじゃない! ……だ、だからといって嫌いってわけじゃ、ない。いや、」

 しどろもどろになりながら、澪は言った。

「普通だよ、高校生の女子として」
「そうですか……」


92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:12:16.64 ID:9pEjc62o0
「女の子は好きですか?」
「ん?」

 澪は目を瞬いた。

「普通、だよ。……あ、ムギみたいな趣味とかは、ないぞ」

 先程と違って随分冷静だ。なんだろう、微妙な気持ち。
 梓は、ぺこりとお辞儀をした。

94 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/09(金) 17:13:22.76 ID:9pEjc62o0
「ありがとうございました。じゃあ、私、憂たち探してきます」
「う、うん。頑張れよー」

 首を傾げる澪の姿を後ろに、思い切り走り出す。心の中のもやもやしたものを消すように。

 そうか、先輩は、普通なんだな。男の子が、好きなんだ。
 いいじゃないか。それでいいはずだ。

 それなのに。


 自分の中にどこかがっかりした気持ちがあることを、梓は認めたくはなかった。
 どうしてこんな気持ちになるのか。わからないけれど、走った。無茶苦茶に走っていると、 純と憂を発見した。笑った。


 それから、おかしな夢を見ることはなかった。


終わり


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