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鶴屋さん「キョンくんっ、愛してるよっ!」 5

538 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:29:21.10 ID:0cIhMt790

ちょっと準備中です。

35~45分の間には投稿を開始できると思います。
それではまた数分後に

539 名前:28-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:37:06.68 ID:0cIhMt790

日が傾きやがて沈み、
それでも俺と鶴屋さんは街中を渡り歩き
どこを目指すともなく遊び歩いていた。

といってもすることはもっぱら散歩と会話であって
たまにアミューズメント施設を覗いたり軽食を取ったりするものの
その中でもほとんどの時間は会話やらスキンシップやらに費やしていた。

俺としてはどこかカラオケでも行きましょうか、
と二三遊び方を提案してみたりしたのだが俺のアイデアは
面白くなさそうな顔をした鶴屋さんにことごとく却下されたのだった。

そうして時間を過ごしているとあっという間に夜の十一時になってしまった。

俺と鶴屋さんの足は自然と互いに傷つけ合い
そして慰め合った時計台のある広場へと向かっていた。

昨日とまったく同じ場所、同じ立ち位置、
同じ時間、同じ格好で向きあって、今度は戦い合うことはなく。

ただ互いに笑い合った。

そしてそのままベンチに腰掛けた。
さて今度は俺の番だと思い鶴屋さんに膝枕をしてもらおうと腰を浮かせた直後、
俺の太ももの上に機先を制した鶴屋さんがのしかかってきた。

俺はなんとか鶴屋さんを引き起こして立ち退かせようとしたのだが、
断固として拒否する鶴屋さんの頑なで意固地な態度の前に
敗北を喫したのだった。スリーツーワン、のホールド負けである。

540 名前:28-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:41:29.51 ID:0cIhMt790

俺が呆れかえるのも困りかえるのも構わずに
得意げな表情を浮かべて鶴屋さんは鼻息を一つならす。

一つ年上というアドバンテージはそうそう埋められないのだぞとでも
言いたげだ。そのくせ非常に子供っぽい手段で俺をやり込めるのだから
たまったもんではない。

俺の手にあまることが最初からわかっていたように、
膝上の大きな子供かっこ偉大な先輩かっことじるは嬉しそうに笑うのだった。
その表情は本当に俺より年上なのかと疑いたくなるくらい
天真爛漫で純粋無垢だった。

かつて想像力が足りずに思い浮かばなかった、
もし俺が鶴屋さんの先輩だったらという光景。
こうして無邪気にはしゃいでいる鶴屋さんを見ていると今なら想像できる気がした。

その鶴屋さんはなんとも危なっかしく、気になる存在だった。

その劇のような想像でも
俺はやっぱり鶴屋さんに頭が上がらず尻にしかれていた。

先輩のくせに、などと言われて怒られている自分の姿ばかりが思い浮かぶ。
覆されるのをただ待つだけの俺の言葉が鶴屋さんをたしなめても、
それでも面白そうだから!の一点張りで無理を押し通される。

そんなやりとりは今このときと何一つ変わらず、
気遣われることも遠慮されることもない今の立場の俺と重なるようで
なんとも気持ちがいいもんだった。
それでもどこか今とは違う、今は今だけの今この時の感情に俺は心を還らせた。

541 名前:28-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:50:33.99 ID:0cIhMt790

何気なく見下ろせば鶴屋さんは俺を見上げていて、
そしてやはりいたずらっぽく笑い、
俺の不埒な妄想をたしなめるように威厳に満ちた笑みと
目つきに変わって口元に人差し指を突き出ごぼふっ。

鶴屋さん「キョンくん、一人でなにニヤニヤ笑ってんのさっ、
      似合わないよっ!もっとここをこうして眉間に
      目いっぱいシワを寄せないとキョンくんらしくないにょろっ、
      ほらこうしてぐりぐりぐりぐりっと!」

そう言って鼻先に命中したばかりの人差し指で
俺の眉間に無理やりシワを作ろうとする。

頭を傾けて抵抗するたびに指先が明後日の方向を
突き刺すもんだから観念してじっとしていると
今度は頬に指を添えられ無理やり笑顔を作られてしまった。

俺の片側の頬だけが奇妙に釣り上がる。
なんとも言えない微妙な表情になってしまった。
俺は仕方なく自分で反対側の頬を釣り上げると
おどけるように首をかしげてみせた。

その仕草はやはり似あわなかったようで、
残った手でお腹を抱えた鶴屋さんはケラケラと大笑いし始めた。

鶴屋さん「それでもやっぱり笑ってるほーがいーさっ、
     似あわなくてもいいにょろっ、ぶかっこーでもさっ。
     あたしの前ではずっとそーしてて欲しいっさ。
     そーすれば、いつでも笑えるからねっ! なっはは♪」

542 名前:28-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:54:55.09 ID:0cIhMt790

そう言ってねぎらっているんだか慰めているんだか
分からない言葉の後で俺の頭を「よしよしっ♪」と
ご機嫌な表情で撫でた鶴屋さんは「よいしょっ!」の掛け声と共に起き上がり
ベンチから降りるとくるりと回って俺の前に立ちはだかった。

広くスタンスを取った鶴屋さんはそのまま両手を腰に当てて
慇懃かつ尊大な仕草で俺に手を差し出してきた。

ふんぞり返っていながらも決して華麗さを失わない鶴屋さんに導かれるままに、
俺は手を引かれて時計台の前へと連れ出された。

電光の灯りでライトアップされているような、ショーアップされた舞台上に並び立ち、
ダンスなんだか単に飛び跳ねてるだけなんだかわからない奇妙なステップを
踏みながらぐるぐると回る。主に鶴屋さんが俺の周りを。

手を離さないままそうしているとなんだか本当にダンスをしているような気になった。
だが何分俺のセンスはからっきしでまったく以て流麗とは行かない。
むしろ加齢臭がしそうなくらい不器用な足踏みだった。

流れるように麗しく、鶴屋さんがステップを止めたところで
長い髪が風を切りつつ静かに頭を垂らした。

そして鶴屋さんは話し始める。

鶴屋さん「ねぇ、キョンくん……
      もっとずっとこうしてたいと思わないかいっ……?」

そう言って俺を見上げてくる鶴屋さんの表情は晴れやかなようでいて、
その実どこか不安げだった。怯えているようとさえ言っていい。

543 名前:28-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 19:58:00.79 ID:0cIhMt790

一体何にそんなに怯えているのか。
俺にはつかみとれなかったが、
それでも俺の答えは決まっている。

常にイエスであり、肯定なのだ。

キョン「もちろんです」

そう言って慇懃に目いっぱい恭しく頭を下げる。
それでも鶴屋さんの不安はぬぐえなかったらしい。

鶴屋さんはくるりと振り返ってすたすたと二三歩進んだ後、
再び俺に向き直った。

昨日と同じ距離。違う空間。

その舞台上で俺たちは言葉を交わす。

鶴屋さん「だったらさっ! もっとたくさん遊ぼうよっ!
      そんで、もっとたくさん一緒にいようよっ!
      そいでさっ、えっと……もっとたくさんキスもしてさ……してさっ……
      あとさっ……もっと……
      もっとたくさん……エッチもしたいっさっ……」

そう言って恥ずかしそうに笑う鶴屋さんの顔をまともに見ることができず、
俺は額に手を添えて恥ずかしさをこらえたのだった。

顔を上げると次はそっちの番だぞ、と言わんばかりに
ふくれっ面をしている鶴屋さんの面白おかしい顔がそこにあった。

544 名前:28-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:00:46.41 ID:0cIhMt790

しかしそれでも瞳の奥にまだ怯えが浮かんでいる。
いくら信頼を寄せても、それでも言葉を聞くまでは拭えない。
そういう種類の会話だと、鈍い俺だって理解していた。

俺がまたバカなことを言ってからかうんじゃないかと不安なのだろう。
鶴屋さんは顎を引いて上目遣いに期待するように俺を見つめてくる。
そんな顔をされたら、返す言葉なんて一つしか思い浮かばない。

キョン「体力の続く限り、お相手しますよ。
    俺なんかでよろしければ」

両手を叩いて喜びながら、
それでも最後の一言は余計だったと責めるように、
鶴屋さんは笑いながら嬉しそうに俺を睨みつけてくる。

その視線にくすぐられて俺の頬も思わず緩んでしまった。
そして俺の言葉に合いの手を返す。

鶴屋さん「それじゃあ、すぐにお腹いっぱいになっちゃうねっ!」

一体どこまで俺の体力という体力を絞り尽くすおつもりなのだろうこのお人は。

そう言って前のめりになった鶴屋さんはお腹を抱えるような仕草をした。

面白いことに出会ったときの、
ケラケラとお腹を抱えて笑ういつもの格好にも似たそれが表す裏の意味を
想像するまでもなく、俺は想いを巡らせていた。
お腹いっぱいのいっぱいは幸せいっぱいのいっぱいだといい。
あとついでに夢とか元気もついてくれば言う事なし。

545 名前:28-7end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:03:14.17 ID:0cIhMt790

そんなクサいんだかカユいんだかわからないセリフが
ポンと浮かび上がってくるあたり
俺も相当のぼせちまってるんだと思う。
しっかりしろよ、と思いながらも、ついつい顔がニヤけてしまう。

嬉しそうにはしゃぎながら全身で喜びを表す鶴屋さんを見ていると
どうしてもそうなってしまう。

ただそれでも、今この時は二度訪れない。
そう思うのなら。許されてもいいじゃないかと思えた。

俺と、鶴屋さんに。

たった一時の安らぎを。

たった一時の慰めを。

たった一時の睦み合いを。

たった一時の……幸せを……。

それぐらいは、許されてもいいだろう?

笑顔で嬉しそうにはしゃぐ鶴屋さんの傍らに。

たった一時。


俺が並ぶことぐらい。

546 名前:29-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:06:28.97 ID:0cIhMt790

何気なく携帯を開くとメールの着信があったようだった。
それは古泉からだった。

ハルヒが回復したと長門から連絡があったらしい。
メールの着信時刻は今朝で、
俺と鶴屋さんが部屋で寝ていた時間だった。

どうやら、カタストロフの危機は回避されたらしい。
ならもう思い残すことはない。

俺は今日の今この時を、目いっぱい楽しんでも良かったのだ。

ふと目に入った時刻は日付変更五分前だった。
もうすぐ、一日が終わる。そして明日は春休み最終日。

このバカな探偵ごっこの、最終日である。

俺は鶴屋さんに向き直る。
鶴屋さんはとても何かを言いたそうにしていた。
手を胸の前で合わせてひっきりなしに指先を
くっつけたり離したりを繰り返している。

なんとも初々しい少女のような姿に俺は笑い出しそうになる。
それは普段の鶴屋さんからはあまりにもかけ離れていて、
それでいて妙に似合っていたからだ。

この人のこういう意外性に俺は惚れてしまったのかもしれない。
元気いっぱいかつ繊細。豪放磊落でいて気遣い十分。
そんなこの人の途切れ途切れの胸の内に、引き寄せられていった。

547 名前:29-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:08:48.13 ID:0cIhMt790

鶴屋さんが俺を好きになったことが悪いことなら、
俺が鶴屋さんを好きになったことは当然のことだ。

ずっとこの人のそばにいて、
この人の魅力に抗うことなんて、重力に抗うことよりも難しい。

そうして俺は、吸い込まれていった。この人の内側に。この人の内面に。

そんな感慨に浸りながら、俺は鶴屋さんの言葉を待った。

鶴屋さんはなおも恥ずかしそうに言いにくそうにしていたものの、ようやく決心がついたらしい。

ハッキリとした表情で、俺の目を見据えてしっかりと胸を張る。

そうしてポツリポツリと言葉をつなぐ。

鶴屋さん「あのさっ、実はさ……
      まだ、言ってなかったことがあるんだよねっ……
      ほんとっ、ほんっとーに今更なんだけどさっ……
      い、言ってもいいかなっ? 笑ったり、しないっ……かな……?」

そう言って不安げに俺に回答を求める鶴屋さんを見ていると
俺は胸の内が締め付けられる想いだった。

キョン「かまいませんよ……
    笑ったりなんかしませんし、からかったりなんかもしません。
    言ってください、鶴屋さん……
    あなたが思っていることなら、なんでも聞きます。
    そしてできれば……それは俺だけに言ってください」

549 名前:29-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:11:39.53 ID:0cIhMt790

そう言って芝居じみたセリフを吐くと、
鶴屋さんは思わず吹き出してしまったようだった。

身体を屈めつつ笑いをこらえた後、
顔を上げた鶴屋さんの表情は晴れやかだった。

鶴屋さん「いい具合に緊張がほぐれたよっ! サンキュー!」

そう言ってビシッとVサインを作る。ニカッと歯を見せて笑ったその顔には何の陰りも迷いもなかった。

空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸をし、
穏やかな表情で俺を見る鶴屋さんの瞳には俺だけが映っていた。

世界で唯一俺だけのかけてくれる言葉を言おうとしていた。
その内容は、俺にも予想がつくものだった。

鶴屋さん「キョンくん……あたしはさっ、君のことを!
      キョンくんのことをっ────」

俺の頭の中には、ぐるぐると景色が回っていた。

鶴屋さんと過ごした風景。
鶴屋さんと巡った情景。
鶴屋さんと辿った光景。

鶴屋さんと歩いたすべての景の中に。


そのすべてに鶴屋さんがいた。

550 名前:29-4end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:14:15.64 ID:0cIhMt790

俺の過ごした春休みのすべてに。

鶴屋さんは居たのである。

たとえ共に過ごさないその時でも
心はずっとそこにあった。

鶴屋さんのところに。鶴屋さんのそばに。

心の奥に。その裏側に。

常にあったのである。

鶴屋さん「ずっとずっと! これからもずーーっと────」

つながれなかったのは、言葉ではなく、想いでもなく、
ましてや運命なんかでは決してなく。


鶴屋さん「愛してるっさ! ずっとずっと、いつまでも愛してるよっ! キョンくんっ!」


ただ単に、時間の流れというそれだけのことだったのである。

551 名前:30-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:16:25.75 ID:0cIhMt790

時の流れが逆さになってもエネルギーが逆転することはない。
朝比奈さんはそう言っていた。

坂の上から転がり落ちたボールは
たとえ時間が遡ろうとも坂を登り始めることはない。

それはもっともな話だった。
映画の特殊効果なんかで見なれているせいか
ついつい当然のように想像してしまうのだが、
時間の流れそれ自体と物理的な運動というのはそもそも軸が違うのだ。

重力や空間のたわみによって時間の方がねじ曲げられることはあっても、
時間の流れそのものが重力の方向を逆転させたり磁極を反転させたりはしない。

もしそうなればすべての物質はバラバラに弾け飛んでしまうだろう。

それがこの世界のルールだ。

時間が静止するとはこういうことなのだろうか。
何の変化も兆候もないまま、ただ感覚だけが訴えていた。

ただ”知っている”というその一点において俺は変化を感じ取っていた。

惑星の逆行さえ主観上のトリックに過ぎないのに、
今はすべての景色が逆回転し始めるんじゃないかと思えるような、
奇妙な浮遊感と慣性を喪失して
突然静止してしまったような不思議な感覚に囚われた。

日付が変わり控えめな時計の鐘が鳴らされる。

552 名前:30-2end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:18:50.52 ID:0cIhMt790

そしてその中で、俺はなだめるように鶴屋さんに微笑んだ。
ただ不安の色は隠しきれなかった。

悲しいことに、
鶴屋さんは俺のそんな気遣いも、
必死の努力も通り越して瞬時に洞察してしまう。

稀代の勘の鋭さで、
俺の表情から読み取ってしまう。

俺が必死に隠そうとして、
隠し通そうとしてきたその事実を。

いともたやすく見抜いてしまう。


鶴屋さん、お願いです。

そんな顔をしないでください。

あなたがそんな風に悲しむ顔だけは。

見たくなかったんです。

553 名前:31-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:21:11.29 ID:0cIhMt790

鶴屋さんの当初の筋書きでは主役は俺で、鶴屋さんは脇役である。

だが俺が鶴屋さんの物語に参入した時点で状況は一変し、
俺と鶴屋さんの二人が主役となった。

これが鶴屋さん一人の物語だというなら、
俺はこの人に言わせるだけでよかった。

それでも俺自身がこの人に自分の気持ちを告げたのは
単にこの人に勝つためだけではなかった。


最後の幕引きは俺たち二人の手によって行われなければならない。


それが古泉にさえ読めなかった俺一人が抱え込んでいた真実である。

故に今ここでこうなることは必然だった。
春休みを一日残して、すべてが終わることは。

それは時間の問題だった。それを防ぐ手立てはなかった。

その為にはなんと言えば良かったのだろう。

俺たちの明日を守るために永遠に愛をささやかないでくださいとでも
言えばよかったのだろうか。

そんなもの、想いを結んだ幸福な時間の中では土台無理なことなのだ。

554 名前:31-2end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:23:20.14 ID:0cIhMt790

俺は鶴屋さんと想い合うことができた直後にも、
自分の想いを止めることができなかった。

それは鶴屋さんも同じことだった。
止められないなら突っ走るしかない。

たとえその先が谷底で、無限の暗闇が広がっていようとも。


想いを止めることはできない。


その事実だけを呼び水にして、
今、終局の幕は下ろされるのだ。


すべてをブラックボックスに包み込むために。

555 名前:32-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:25:51.64 ID:0cIhMt790

鶴屋さんの表情に絶望の色が浮かぶ。

「なぜ?」と「どうして?」

初日の質問とはまた別の、
すがりつくための疑問が表情に浮かび上がっていた。

俺は精一杯優しく微笑み返すことしかできない。
張り裂けそうな胸の内がたとえ同じだとしても、
俺には笑顔で送る義務があった。

最後の最後のその瞬間を笑顔で締めくくる責任があった。

しかしそんな努力も、俺の事情も、目の前の彼女には何の関係もない。

俺の目いっぱいの作り笑いの裏側に不格好に隠された絶望や後悔を
いともたやすく見通してその感情を自らの内に取り込んでしまう。

幸福の頂上から突如足場をなくした浮遊感。
それは落下していく感覚そのものだった。

暗闇へと飲みこまれて谷底に叩きつけられることを予測しながら
ただ待つことしかできない絶望感だった。

鶴屋さんの指先が小さく震え、やがて力なく俺へと差し出される。
言葉で何かを伝えようとしていた。

環境の異質な変化を俺を通して感じ取った鶴屋さんは一歩、
俺との距離を縮めた。

556 名前:32-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:28:19.61 ID:0cIhMt790

そうしてゆっくりと、
一歩ずつ偽りの笑みを浮かべる俺との物理的な距離を縮めていく。

鶴屋さんはそのまま俺に駆け寄ってきて、俺の胸元に抱きついた。

そしてすがりつくように力いっぱい服をつかむと
助けを求めるような瞳で俺を見上げてきた。


なぜなのか? どうしてなのか?


そんな答えは俺の中にはない。あるのは一つ。


フィルムの交換マークのような。    黒い暗い穴ぼこだけだった。


鶴屋さんの目元から涙が一筋伝う。
そうして破れた堤防はなすすべなく決壊して洪水へと変わった。

後から後から溢れて止まらない涙の中で、
嗚咽を堪えながら鶴屋さんの言った言葉。

ただ幸せになりたいと願っただけなのに

何故俺と鶴屋さんには許されないのか

何故俺と鶴屋さんには許されていないのか

557 名前:32-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:30:28.70 ID:0cIhMt790

鶴屋さん「わかんないよ……キョンくんっ……
      あたしは、こういう風にしてちゃいけないのかいっ……?
      こんな風にキョンくんと過ごしてちゃいけないのかいっ……?
      どうしてさっ、あたしには、わかんないよ……
      自分でも、ダメだって、ずっと無理だって、思ってたけど……
      でも今は……ずっとこうしてたいって……
      思っちゃ……いけないのかいっ……?
      なんで、どうして……ダメなのさっ……!?
      やだよ……助けてよ……キョンくんっ……
      もう一回、あたしを助けてよ……
      お願いだよ、キョンくん……キョンくんっ!」


薄暗がりの向こうで誰かが泣いている気がした。
俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。

黒く暗く穿たれた穴の奥の底の底で、助けを求める声がした。
ただそこに届かせるには、俺の手はあまりに短く、
その力は、あまりにも頼りないものだった。

いや、もしかして。ひょっとすると。

穴の奥に落ちていったのは俺の方だったのか?
重力に引かれるまま。あの人に導かれるまま。
時間の井戸に落ちていく。

そんな感覚の中で。

すべてが反転していた。

558 名前:32-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:32:37.24 ID:0cIhMt790

「私たちって、宇宙人未来人超能力者異世界人と出会う以前に、
 身近な人たちのことさえ何一つ知らないのよね。と、いうわけで────」────

「おやおや、この紅色の脳細胞を持つエルキュール・一樹に対して────
 あなた、おつむ詰まってますか────」────

「警部じゃない……警部補────」────

「お、おくさぁん……う、うちのカミさんは────」────

「やっほ~っ、キョンくん! みくるに聞いてやってきたよっ────」────

「それじゃぁキョンくんっ! あたしが目いっぱいお手伝いするからねっ!
 明日から一緒にがんばるっさ────」────

「キョンくんはどうしてSOS団に入ったにょろ────」────

「それよりも、すっげーのはキョンくんの方────」────

「んじゃぁいくよっ! 上からな────」────

「キョンくんはぁ……SOS団の中で誰が一番好きなんだい────」────

「キョンくんっ、おいたはぁ、いけないなぁっ!────」────

「キョンくんっ、昨日はごめんっ!────」────

「んじゃねっ、キョンくんっ。あんまり女の子を
 怖がらせるようなことを言ったり考えたりしちゃダメにょろよっ────」────

559 名前:32-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:34:45.77 ID:0cIhMt790

「あっ……ご、ごめんよっ、キョンくんっ!
 あ、熱くなかったかい!? 火傷はしてないかいっ!?────」────

「さっきの質問……には、さ……いつかきっと、答えっからさ……
 約束するよ……だから……許してほしいっさっ……
 ねぇ……キョンくん……────」────

「あぁ~……疲れたぁ……すいませ~ん、水くださ~い────」────

「なはは、実はそうなんだよねっ。めんごめんごっ……
 でも騙してたわけじゃないっからさっ。
 そこだけはわかってほしいっさ────」────

「うりうりどしたどしたっ、見たいにょろ? 着せたいにょろ?
 さて、誰に着て欲しいのかなっ?  白状するっさっ!────」────

「キョンくんはやさしいねっ、にゃははっ────」────

「あたしたちの違いって、なにかなっ?────」────

「メビウスの輪って、知ってる? キョンくん────」────

「これは、例えるなら、そう。シミュレーションなんですよ────」────

「こうして呼び出されたことはとても意外だったよっ、
 だってまだバレてないと思ってたからね────」────

「そうだね……そんなことも……言ったかもしれないね────」────

562 名前:32-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:36:54.10 ID:0cIhMt790

「そーいうことは、気やすく女の子に言っていいことじゃないって、
 たしか言ったはずだよ────」────

「────鬱陶しかったってさ────」────

「そんなことは了解の上だよ。言ったっしょ?
 あたしらしさって何? ってねっ────」────

「キョン……く────」────

「あはは……負け……ちったよ……。
 すごいなぁ……キョンくんは……っ────」────

「や、やっぱいいよっ! い、今のなしなし!
 今まで通りで、それでいっからさ────」────

「諦めかけてたのはあたしも同じだけどさっ、
 キョンくんは最後には諦めなかったっさ────」────

「じゃぁっ、さっ……キョンくんが……
 他の子のことなんかほんの一瞬も考えらんなくなるくらい、
 あ・た・し・が! めちゃくちゃにしてあげるかんねっ!────」────

「ありがとっさ……キョンくんっ……────」────

「そんなにポニーテールにしてほしーんだったらさっ!
 ふつーに頼めばいいにょろっ!────」────


564 名前:32-7[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:39:02.61 ID:0cIhMt790
「いっち、にぃっ、さんっ、さーーー!────」────

「へぇーっ、かっけー名前じゃんっ!────」────

「結局、あたしは横からはやし立ててるだけでさ。
 結局自分は安全なところにいて、周りや、
 キョンくんが困ってるのを見て楽しんでたんだよね。
 それってすっごく嫌な奴じゃん────」────

「あん時、酔っ払って倒れて、キスされそうになったのが、
 もし、もしさっ────」────

「あたしだったらさ────」────

「キョンくんは────」────

「怒ってくれたかい────」────

「浮気すんなよっ────」────

「ねぇ、キョンくん……もっとずっとこうしてたいと思わないかいっ……?────」────

「そいでさっ、えっと……もっとたくさんキスもしてさ……してさっ……
 あとさっ……もっと……もっとたくさん……────」────

「それじゃあ、すぐにお腹いっぱいになっちゃうねっ!」────」────

「あのさっ、実はさ……まだ、言ってなかったことがあるんだよねっ────」────

「キョンくん……あたしはさっ、君のことを! キョンくんのことをっ────」────

565 名前:32-8end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:41:11.15 ID:0cIhMt790

「ずっとずっと! これからもずーーっと────」────

「愛してるっさ! ずっとずっと、いつまでも愛してるよっ! キョンくんっ!────」────

「やだよ……助けてよ……キョンくんっ……
 もう一回、あたしを助けてよ……お願いだよ、
 キョンくん……キョンくんっ!────」


──────────────────────────────────









今にして思えばこの時から、俺はおかしくなり始めていたのかもしれない。

春休みの前日。終業式の日。
ハルヒがこんなことを言い出した────────────────────────────

566 名前:33-1end[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:43:24.34 ID:0cIhMt790

俺は泣き縋る鶴屋さんに何も言えなかった。

ハッピーエンドで終わらせるはずだったのにな。

そんなことは全然、最初から無理だったんだ。

最後に助けを求める鶴屋さんのあの声が、

いつまでも俺の耳の奥に残って、

何度も何度も。何度も繰り返されて。



それは俺の正気に深い傷跡を残した。


焼き付いたフィルムの残骸のような──




記憶と共に。

567 名前:34-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:45:33.07 ID:0cIhMt790

すべてを置き去りにして俺は今ここにいた。

自分の部屋。ベッドの上に。
まるですべてが夢だったかのように。

差し込む朝日が目に痛かった。

目覚まし時計を手に取って時刻を確認すると既に正午過ぎだった。

探偵ごっこの調査活動をする為に鶴屋さんと待ち合わせをしていた時刻だ。

だがもう鶴屋さんは俺のことなんか覚えちゃいないだろう。

俺と過ごしたあの時間。あの空間。
そんなことはこれっぽっちもだ。

俺は痛む頭を抑え足を半ば引きずるようにして
階段を一段一段慎重に降りていった。

気を抜いたらマジで階段から転げ落ちてしまいそうなくらい
陰鬱な気分と吐き気がした。

テレビの音がしたのでリビングに向かうと
妹が春休みのアニメ連続放送を見ているところだった。

俺に気づいた妹は振り返って不安げな表情になると
心配そうに俺に尋ねてきた。


568 名前:34-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:47:47.12 ID:0cIhMt790

妹ちゃん「どーしたのキョンくん、昨日はどこいってたの?
      夜中に突然帰ってきて何も言わずに寝ちゃったってお母さん言ってたよ。
      それに今のキョンくんすごい顔だよ! 顔洗ってきなよっ。
      あとお風呂も入ったほうがいいよ! じゃないとリビング侵入禁止だからね!」

キョン「……あぁ、そうだな。顔洗ってくる。
    母さんにはお前からごめんって言っておいてくれ」

俺は背中に「自分で言いなよ」という妹の叫び声を背負いながら
脱衣所へ向かい洗面台の前に立った。

なるほど確かに、ひどい顔だ。
目元はどんよりと曇って嫌な色をしている。思いっきりくまができていた。

指先で数回こすってマッサージをしてみるも楽になる気配はない。
頭痛や吐き気もどうしようもないくらい俺の神経を苛んでいた。
呼吸に力はなく吐き出す息に湿り気もない。
喉も身体も乾ききっていた。

着たきりの服を脱ぎ捨てて風呂場の扉を開く。

湯には浸からず簡単にシャワーだけで済ませた。
腰にタオルを巻いただけの状態でリビングの前を
通りかかったとき妹と鉢合わせになった。
どうやら母親が使ってリビングに置きっ放しにしていたドライヤーを
俺に持ってこようとしてくれていたようだ。

俺があんまり早く出たので驚いたのだろう。
すくむように身体をこわばらせている。

569 名前:34-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:50:08.45 ID:0cIhMt790

キョン「すまんな。驚かせちまって。ドライヤーありがとな。
    ありがたく使わせてもら────」

妹ちゃん「そ、そんなのいいよ……キョンくん……
      大丈夫なの……? ねぇ、大丈夫なのっ?」

言葉を遮ってまで妹が俺のことを心配する。一体どうしたってんだ。
何をそんなに驚いている。

キョン「俺の顔になんかついてんのか?」

妹ちゃん「違うよっ、そうじゃなくて……
      キョンくん鏡見てみなよ、もっかい、もっかいさ!」

妹に促されるままに母親の化粧台で自分の顔を覗いてみる。

目元のくまが大きくなっていた。より深く暗い色に。
そしてそれと同時に、俺の目つきの険悪さといったらなかった。

先程にも増してひどい顔になっていた。
軽くシャワーを浴びてリラックスできたと思ったんだが。

こんな顔じゃ外も出歩けやしない。
もっとも、出歩く気なんか初めからありゃしないんだがな。

まぁいい、今日は一日家で過ごそう。思えば俺は忙しすぎた。
この春休みの間中、することが山積みで、
もうどうしようもないくらいせっせと働いてきた。
それが報われたかというとどうなんだろう。俺にはさっぱりだ。

570 名前:34-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:52:39.72 ID:0cIhMt790

しかしこんな格好のまま鏡で自分を見つめてつっ立ってるのも何だ。

俺は離れようとしない妹を振り払って自分の部屋に着替えを取りに戻った。

扉をしめようとすると妹も俺について階段を登ってきていた。

妹ちゃん「キョンくん……おくすりとかいる……?
      飲んだほうがいいよ、あたしお母さんがしまってるとこ知ってるから、
      すぐ取ってくるよ、お水も欲しいでしょ、待っててよ」

そう言われた瞬間、耳の少し上の部分、
側頭部に刺すような痛みを感じた。

キョン「いや……いらん。必要ない。
    ただちょっと疲れてるだけだ。心配かけてごめんな。
    だからそっとしておいてくれ」

どういうわけか妹の俺を気遣う声が鼻につく。
頭の痛みが鋭くなったような気さえした。

妹ちゃん「ダメだよ! だってキョンくんなんかおかしいもん、
      昨日や一昨日だって全然家にいなかったし、
      春休みに入ってからずっと一人でどこかに出かけちゃってさ、
      みんな心配してたんだよ、どうしちゃったんだろうって、
      お母さんもお父さんもみんなで心配してたんだよ!」

キョン「……っせえ……」

思わず眉間に力が入る。

572 名前:34-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:55:33.27 ID:0cIhMt790

直後に眼の虹彩が痙攣したような気がしてつっ張るような痛みが走った。
まぶたを開いていることさえ煩わしく手を額に添え光を遮っても
目の痛みは消えない。いつの間にか耳鳴りがしていた。

やめろ。やめてくれ。それ以上俺に話しかけるな。

妹ちゃん「キョンくん変だよ、おかしいよ!すっごく気分悪そうだし、
      なんか、なんか知んないけどおかしいよ! そんな顔のキョンくん、見たことな────」

キョン「うるせぇって言ってるだろ!
    聞こえねぇのか! 静かにしろ!!」

そう叫び思いきり拳でドアを殴りつけて俺はハッと我に返った。

視線を戻すと固まったまま微動だにしない妹が
怯えるような泣きそうな顔で俺を見ていた。

俺は自分のしたことが情けなくなった。
何やってんだ俺は。なんで妹に怒鳴り散らさなきゃいけないんだ。

なんでだ。どうしてだ。そんな理由や資格があるのか?
あるわけがない。俺は俺自身の、バカさ加減に翻弄されているだけなんだからな。

俺は奥歯を噛みしめて扉を殴った手を引っ込めながら妹に向けて言う。

キョン「わりぃ……一人にしてくれ……」

なだめすかすようになるべく優しい声を作ったつもりだったが、
生憎とかわいた喉では擦り切れるような音にしかならなかった。

573 名前:34-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 20:58:04.31 ID:0cIhMt790

俺の声を聞いた妹は何も言わず小さく頷いただけだった。
そして無言のまま、一階へと降りていった。

俺は腕を組んだまま額に手を当ててうなる。

どうした。一体どうしちまった? なんで俺はこんなに荒れてるんだ。
なんでこんなにすさんでるんだよ。

ふらふらと自室に舞い戻り下着や服を身につける。
下をすべて履き終えてTシャツを着たところで頭が不意に鋭く痛んだ。

様々な記憶がよみがえる。
それはさながらフィルムに焼き付いた残像のように俺の脳裏に焼き付いていた。

そんな風に思い出さなくても、俺は最初から覚えていた。

事の初めから、終わりまでのすべてを。
あますところなく記憶にとどめていた。

俺が探偵役で、そして真犯人であった事件のすべてを。

それでも頭の中でフラッシュバックする情景を止めることはできなかった。

あの人の笑う顔。あの人の吐く息。
あの人の体の温もり。あの人の言の葉。

それらすべてが俺の胸の内にあった。

フィルムの残骸などではない、確かな想いの記憶が。

574 名前:34-7end[sage] 投稿日:2010/03/17(水) 21:00:30.86 ID:0cIhMt790

俺を一つの感情が支配する。
これは一体誰のせいなんだと考える。


ハルヒのせいでもない、古泉のせいでもない、朝比奈さんのせいでもない、

他の誰のせいでもない。


俺自身の行いのせいだ。


込みあげた感情は怒りではなく。ましてや憎しみなんかではなく。




もう鶴屋さんに想われていない。




ただそのことだけが辛かった。

575 名前:35-1end[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:02:40.24 ID:0cIhMt790

痛む頭では何も考えることができず。

俺は自分のベッドで横になっていた。

ずっとずっとそうしていた。

日が傾いても、日が沈んでも。


そうして俺は春休み最後の一日を過ごした。


やがて日付の変わる時間がやってきた。

薄ぼんやりとする意識の中で時計を見つめていた。

短針と長針が重なり、俺の春休みはついに終わった。

それと同時に、春休みの初めからずっと続けてきた探偵ごっこも。



終わりを迎えたのだった。

576 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:07:26.02 ID:0cIhMt790

いよいよ残すところ最終章となりました。

現状の説明がかなり前になりますので簡単に解説します。
ちょっとややこしい話になるんですけども

578 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:12:24.89 ID:0cIhMt790

では無駄な容量を使わずにこのまま物語を継続します。
それでは、続きを始めたいと思います。

容量的にはギリな感じですが
最後までよろしくお願いします。

579 名前:36-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:15:27.88 ID:0cIhMt790

最終章 キョン


春休みが終わり。始業式の日。
俺は学校へ続く坂道を登っていた。

足取りはけだるい。
どうしようもないくらい頭痛がするのに、それでも休むわけにはいかなかった。

俺には責任があった。
その後のハルヒや朝比奈さんや長門や古泉がどうなっているのか。
自分の目で確認する義務があった。

鶴屋さんが守ろうとして、俺が壊したSOS団の、今がどうなっているのか。

考えるまでもなく、それは今まで通りに続いているのだろう。
何一つ変わることなく。今までと何一つ変わることなく。

そのことが俺の精神を苛んでいる。俺はどうしたかったのか。
俺達の今このときを犠牲にしてまで、得たいものがあったのだ。

そしてそれは永遠に手に入らなくなった。最初からわかっていたハズなのに。

思考がオーバーフローしたように俺は唯一そのことだけを気にかけていた。

気がつくといつのまにか途中で鉢合ったらしい谷口が
横から俺の顔をのぞき込んでいた。
何度も声をかけているのに俺が全く返事をしなかったと非難してくる。
その声を聞いていると頭の奥がひどく痛んだ。

580 名前:36-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:18:20.53 ID:0cIhMt790

谷口「なんだよキョン、んなしかめっ面でよ。ま、それはいつものことか!
   しかしいつにも増して不機嫌そうだな。
   涼宮にまたなんか無理難題でも押し付けられたのか?
   しっかし、それにしても随分やつれてるな。目元とがすごいぞ、ほれ」

そう言って俺の目元を指さしてくるウザったい手を払いながら
俺はだんまりを決め込んで早足で坂を登り始めた。

背後から「なんだよー、キョン! 無視すんなよ!」という谷口の叫び声が聞こえる。
悪いが、今の俺にはお前とじゃれ合えるほどの心の余裕がないんだよ。
さもないと、ホントに神経が参っちまう。

昨夜はほとんど横になっていた。
不思議なことにぐっすりと眠れた。
だが目覚めても眠った気はまったくしなかった。

相変わらず目元はどんよりと曇って気分も悪い。
時間の輪をまたいで記憶を継承したひずみなのだろうか。
いや、単純に俺の神経が参ってるんだろうな。

言いようのないストレスに晒され続けて、ついに摩滅しちまったんだ。
それでも俺はこれから新学期を、新学年を過ごさなきゃならない。

今日は特に授業があるというわけでもない。
始業式が終わって、クラス替え発表の前に前年度のクラスの連中で一旦集まる。
そしてそれが最後で、翌日からは新しい教室と新しいメンバーで新年度が始まる。
最後ぐらいはクラスの連中の顔を拝んでもいいだろう。
それもあって今こうして重い足を引きずっている。
玄関口で朝比奈さんを見かけた。

581 名前:36-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:21:14.22 ID:0cIhMt790

俺を認めた朝比奈さんが手を振って朝の挨拶をしてくる。

俺は小さく手を振り返して応えると
その隣に鶴屋さんがいないことに気がついた。

たまたま今日は一緒に登校しなかったのだろうか。
せっかくの新年度の初めにしては不自然だった。

俺は挨拶をしながら何気なく朝比奈さんに尋ねる。

キョン「こんにちは、朝比奈さん。今日は鶴屋さんと一緒じゃないですね」

朝比奈さんは不安げな表情で俺の目元を見た後、心配そうな表情に変わった。

みくる「鶴屋さんは、なんか昨日風邪をひいちゃったみたいなんです。
    それで始業式には出られないそうなんですけど、
    その後クラスのメンバーで最後に集まる時には来るって言ってました」

鶴屋さんが風邪をひいた、か。
あの万年元気娘の鶴屋さんが風邪をひくとはな。
まぁなんだ、俺もこうしてボロボロになっているんだし、
鶴屋さんの方も何らかの肉体的後遺症を引きずっていてもおかしくはない。

俺なんかはこうして異様な体調に苦しめられているわけだし、
それを風邪ひとつで済ませた鶴屋さんは
やはり強靭な身体を持っているということなんだろうな。
俺とは、偉い違いだぜ……。

違い、か。

582 名前:36-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:23:36.05 ID:0cIhMt790

その一言を思い出すとなんとなく頬が緩んだ。
そうしてふと視線を戻すと朝比奈さんは俺の顔を不安げに眺めていた。

さっきの心配顔が鶴屋さんに向けられたものなら、
最初の不安げな顔はどうやら俺に向けられたものらしい。

やれやれ、俺は一体どんなひどい顔をしているんだろうな。
ニヤケ顔の方がまだいい。

みくる「あの……キョンくん……大丈夫?
    なんだか顔色が優れないみたいだけど……
    保健室とかに行っておいた方がいいんじゃ……」

朝比奈さんは昨日の妹と同じようなことを言う。
やっぱり、俺の顔はそういう顔らしい。
病人めいた幽鬼的な顔にでもなっているんだろうか。
土色の肌なんて怖気がする。目元が暗いだけの方がまだ、マシだ。

キョン「大丈夫ですよ、朝比奈さん。ただちょっと昨夜徹夜で宿題やってたんで、
    それでこんなになっちまっただけですから。
    ハハッ、やっぱ課題は計画的にやらなきゃいけないですよね。参った参ったっ」

俺は嘘を言った。
結局春休みの間中遊び歩いていたという事実そのものはまったく変わっていないようで、
俺の課題のノートやらレポートやらは真っ白け、一面銀世界だった。

ところどころに浮かぶ黒い線は何を隠そう、問題文だけなのである。
内申点がどうとか心配する気も起きない。
もはや今更の事である。

583 名前:36-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:25:47.93 ID:0cIhMt790

それでも俺の様子がおかしいことを察したのだろう。
単に体調が悪いだけではない、俺の精神的な歪みを敏感に感じ取って
朝比奈さんはなおも保健室に行くことをすすめてくれた。

俺は昨日の失敗で懲りていた。
これ以上会話を続けたらまた昨日みたいなことになりかねない。

キリのいいところで終わらないとな。自分の限界は自分で測るしかないんだ。

キョン「すいません、俺はもう行きます。
    心配してくれてありがとうございます朝比奈さん。でも俺は大丈夫ですから。
    ほんとに課題やってただけですから。それじゃぁ……」

振り返るときに朝比奈さんが俺を呼び止めようと
一瞬手を伸ばした姿が横目に映ったが、俺は気づかないふりをした。

そのまま微妙に定まらない足取りで自分の下駄箱へと向かう。
背後で朝比奈さんがどんな顔を俺に向けているのかなんて考えたくもなかった。

靴を履き終えて教室に入ると、朝比奈さんと会話していた俺をいつの間にか
追い越していた谷口が国木田とダベっていた。

俺を見るや否や緊張したように固まり、
特に声をかけるでもなく俺を一瞬だけ見て国木田と会話し始めた。
国木田は困ったような表情で俺の方を見ている。

その隣を通り過ぎるとき国木田が俺に声をかけてこようとしたのだが、
俺の目元を見た瞬間に驚いたように固まるとそのまま黙って身を引いた。
そうだ、それでいい。谷口も国木田も、お前らどっちも正解だ。

587 名前:36-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:28:11.50 ID:0cIhMt790

朝比奈さんとは少しだけ距離を置けば済むが、
クラスメイトのお前らはそうはいかないんだからな。

触らぬ神に、今は俺に祟りなしだ。
神といえば俺の目下の懸念の対象、ハルヒが俺にどう絡むか。

正直、今の俺の剣呑さにハルヒの気の強さで噛み付かれれば一騒動になりかねない。

なるべくなら穏便に一日を終えたかった。しかしそれには多大な努力を払うだろう。
なぜならハルヒその人は、やはり俺よりも先に登校していて、
俺の席の一つ後ろに座って窓の外を眺めているのだ。

向こうを向いてるなら好都合だ。なるべくなら顔を見られたくない。
俺は特に何の挨拶もせずに自分の席に座った。

相変わらず国木田は俺の方をチラチラと谷口の背後から伺っている。
谷口は俺に背を向けたままこちらを見ない。
クラスの連中は特に俺のことを気にしている風ではない。
近くで見られなければ大丈夫だろう。

そう思い少し安心してカバンを机にひかっけると、背後からハルヒに声をかけられた。

ハルヒ「せっかく新学年になったのに挨拶もなし? ちょっと態度悪いんじゃないの」

俺は小さく深呼吸をした。
不意打ちのように気遣われるよりは予想のつく悪態の方が
いくらか冷静にあしらえるというものだ。俺は言葉も少なにハルヒに謝った。

キョン「わり、徹夜で課題してたんだ。眠くってよ。ぶっ倒れそうなんだ」

588 名前:36-7[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:30:34.98 ID:0cIhMt790

ハルヒが鼻息を鳴らす音が背後から聞こえた。
ガタンと机と椅子が動く音がする。ふんぞり返ってでもいるんだろうか。

顔も見ようとしない俺に怒っているんだろうが、今は振り返る気はない。
今は勘弁してくれ。

内心にそう思いながら二の矢三の矢に身構えたのだが
それ以上特に何かを話しかけられるということもなかった。

ハルヒのことだからてっきり
「それはあんたの落ち度でしょ。あたしを巻き込むんじゃないわよ」などと
俺のことをなじってくるかと思ったのだが、どうやら様子が違っていた。

ハルヒ「ま、あたしも今年は珍しく春休みが終わる数日前に
    課題にとりかかったからその気持ちはわかるわ。
    眠くて仕方がない気持ちもわかるつもりよ。なんでかしんないけど
    その日までずっと体調が悪かったし、今日のところは見逃してあげるわ。
    次からはちゃんとあたしの顔見て挨拶しなさいよ。じゃないと今度こそ見逃さないわよ」

春休みが終わる数日前、というと俺が鶴屋さんを負かしたあの日のことか。
体調が回復したハルヒはそれ以降宿題にとりかかったらしい。

なるほど、ハルヒは課題に手をつけられないほど消耗してたってわけか。
マジで危なかったんだな。

どうやら俺は本当に世界を救っていたらしい。
だがそんな愉悦に浸る気分にはまったくなれない。

引き換えに俺は、今ここでこうして……。こうして……どうしているんだ俺は。

589 名前:36-8[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:32:51.36 ID:0cIhMt790

何をやっているっていうんだ。俺は。

不意に側頭部が鋭く痛んだ。考えてもわからない。何も、わからない。

俺は痛む頭を抑えながら手を上げて返事の代わりにする。
ハルヒもそれで納得したようでそれ以上俺に絡んでくることはなかった。

窓を見てそこに映ったハルヒを見ると再び窓の外に視線を移していた。

どうやら俺は、最大の難関を乗り越えたらしい。安堵のため息を吐いてもいいだろう。
俺は少しだけ肩の力を抜いた。どうやら今日一日は無事に過ごせそうだ。
もう肩肘張る必要もないんだな。安心したぜ。

だがそう思ったのは間違いだった。

背後で谷口がハルヒに話しかける声がした。
俺はどうでもよかったので力なく机につっぷしたままだった。

だがそれはどうやら俺に向けてのものでもあるらしかった。

谷口「おい知ってるか、涼宮」

ハルヒ「何よ、うざったいわね。気安くあたしに話しかけないでよね」

谷口「まぁまぁそう言うなって。今こいつの顔どうなってるか知ってるか?
    マジでヤバイぜ、パンダみたいにどす黒くなってるんだ。
    ある意味一見の価値があるぜ」

なんてことを言うんだこいつは。あの坂道で無視したことの仕返しのつもりか。

590 名前:36-9[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:35:19.58 ID:0cIhMt790

なんてこった。このままハルヒに顔を見られなければ万事無事に済んだというのに。
しかしこれも俺自身の行動の結果とも言える。

おれは、またやってしまったのか。
おれは、また自分で自分の首を絞めるのか。俺は。俺は。

ハルヒ「……本当なの、キョン……?」

やめろ、俺を気遣うな。俺を気遣うんじゃない。
まだ悪態をつかれた方がマシだ。不意打ちみたいに俺を気遣うんじゃない。

お前に、お前らに気遣われたって、俺は、俺はどうすることもできないんだ。

どういう顔で、お前に、お前らに振り返れってんだ。
そんな顔を持ち合わせちゃいないんだよ。今の俺は。

そうして黙って耐えるしかない俺の肩に不意に谷口の手が置かれた。

谷口「ほれ、見てみろよ、面白いぜ。パンダみたいでよ。
    映画の悪役みたいに淀んでんだぜ。
    たしかジョークマンとかいう名前だったよな。そんな感じなんだぜ。
    見せてやれよキョン、ほれ、どうしたっ」

谷口は悪ふざけに悪ふざけを重ねてぐいぐいと俺の肩をゆすってきた。
俺はじっとしているだけで精一杯だった。
一目でもこいつの顔を見たら俺は何をするかわからない。
これ以上墓穴を掘るのはご免だった。

妹の怯える顔が思い浮かぶ。これ以上揉め事だけは起こしたくはなかった。

593 名前:36-10[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:38:46.93 ID:0cIhMt790

谷口「なんだよ、やっぱ無視かよ。感じワリーな。
   お前そんな薄情なやつだったのかよ。変だよなー、今日のお前。
   なんかすっげー感じわりーぜ。どうしたんだよ、なんか言えよっ!」

そう言って谷口が俺の後頭部を平手ではたいた瞬間が最後だった。

俺の忍耐の限界、最後の一線はそこだった。
指先や足元が震えてくる。その定まらない感覚に俺は恐怖した。
そして同時に、臓腑の底から湧き上がる衝動に抗うこともできなかった。

キョン「……せぇな……」

谷口「なんだ、今日一番、新学期早々言うことがそれかよ、
   友達に挨拶の一つもできないやつに、なっちまったのかよっと!」

そう言って谷口はもう一度俺の後頭部をはたいた。

俺の衝動は忍耐の限界を一足飛びに越えた。

そのまま何も言わないまま立ち上がり谷口の顔面を思いっきり殴りつける。

よろめく谷口の背後で国木田やクラスメート達が蒼白な顔で俺の目を見ていた。

その景色を振り切り横に流して呆然とする谷口の頭をひっつかんだ俺は
そのまま自分の机に向けて力いっぱい投げ落とした。

背後で女子の悲鳴が聞こえる。
ぐるりと周囲を一瞥すると何事かと驚いた表情で固まる男子、口元を押さえて驚愕する女子、
青白い顔の国木田、うずくまったまま頭から血を流して俺を見上げる谷口の姿があった。

595 名前:36-11[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:42:22.50 ID:0cIhMt790

谷口は最初は顔に怒りの感情を浮かべていた。
だが俺が谷口を見て谷口が俺の目を見た瞬間に、凍りついた。

ついで怯えるような表情に変わった谷口は顔の前で両手を交差させ身をかばった。

何からだ。俺からだ。

俺の視線から、俺の剣呑で険悪な目つきからその身をかばったのだ。

俺がどんな顔をしているかなんて、鏡を覗くまでもなかった。

ハルヒ「ちょっと、キョン、何やって────」

俺の正面にハルヒが回り込んできた。俺は何も考えることができなかった。
ハルヒの蒼白な表情を見て、何一つ思考することができなかった。

思わず半歩後退るハルヒに、俺は事の重大さを垣間見た気がした。

クラス中が俺に注目し、俺はその中で一人孤立していた。

徹夜で課題をやっていたから疲れている、
なんてことは作り話だとハルヒにも悟られてしまっただろう。

そしてその理由を俺が説明しても誰も、決して理解しようとはしないだろう。

時間の輪が閉じたからこうなりました、なんて、言えるわけがない。

いよいよ頭のおかしい人間だと思われるのがオチだ。
これじゃぁ、本当に殺人事件の犯人みたいだな。そんな自嘲めいたことを思った。

596 名前:36-12[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:44:34.58 ID:0cIhMt790

たしか死んだ探偵の足跡を辿って怪人を追いかける映画があったな。

それもやはり最後は探偵の足跡を辿る狂言回しが犯人だった。
よくある筋書き、よくある結末だ。俺の現状はまさにそれだった。

時間の輪を閉じるという重大な犯罪行為を終えた俺は、
ついにただの罪人を通り越して怪人にまでなってしまったっていうのか。

ならこの目もとのクマも、なるほど、お似合いってことか。

あの広場で鶴屋さんを追い詰めたとき、
高らかに笑って騙った真犯人に、俺はなってしまったらしい。

本当に、真実に。
実際に。

俺は疲れ切った体を引きずりながら
自嘲めいた笑みを浮かべてふらふらと教室の出口へと歩いた。

誰一人止める者はいなかった。それでいい、それで。

今俺を止めるその行為が、いくら俺の為だろうと、他の誰かの為だろうと。

俺は傷つけてしまう。殴りかかってしまう。
どうすることもできない。時を閉ざした罰がこれだというなら、効果は十分だ。
俺の精神は、十分に病んでしまった。

俺の正気は、とっくのとっくに苛まれてしまったのだ。

597 名前:36-13[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:46:51.02 ID:0cIhMt790

安っぽいサスペンスの犯人が最後にする行動はなんだ?

断崖絶壁の波が押し寄せる高所に追い詰められた犯人がすることはなんだ?


自供か? 懺悔か? 自首か? それとも、自殺か。

ところがどっこい俺にそんな度胸はない。
今の今更になっても俺は探偵役にも犯人役にも徹しきれないでいる。
そうして中途半端なまま、あの時も俺はエンディングを迎えたのだから。

境界の上で不安定に揺れる俺の足取りはやはり定まらないものだった。
自分を支えるものが俺の中には何もなかった。

何が足りない。何が足りなくて今俺はさ迷っているんだ。

何が俺を迷わせている。何が俺を放浪させているんだ。

何が足りなくて俺はさ迷い始めてしまったんだ。

何が足りない。
足りないものは、決まっている。


ただ、あの人が足りなかった。

春休みをずっと共に過ごした、あの人が。
どこに行きつくこともない足取りの先に。
あの人がいないことなどわかっているのに。

598 名前:36-14[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:49:18.77 ID:0cIhMt790

それでも俺はさ迷わずにはいられなかった。

不思議な魅力を持つあの人を求めてさ迷わずにはいられなかった。

手先が震えて足ががくがくと震え、
嗚咽が漏れて涙が頬を伝おうとも。


さ迷わずにはいられなかった。


何も考えずに歩きまわったせいでいつの間にか
屋上への入口とは反対側へと歩いてしまっていた。

やはり俺の動きにも足取りにもしまりはなかった。
この後に及んで俺はまた間抜けをしてしまった。

あまりの情けない姿に俺は俺自身を嘲った。

そうして辿りついたここは玄関口を見下ろす吹き抜けの廊下、二階の通路だった。

なんでこんなとこに来ちまったんだ。
朝比奈さんの言葉を聞いて鶴屋さんを待つつもりだったのか?

無意識のうちに? 笑えない冗談だ。

ただ、一目ぐらいは見たかった。
これから俺がどうなってどういう顛末を辿るのか、
まったくもって予想がつかない。

599 名前:36-15end[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:51:27.45 ID:0cIhMt790

なら一目ぐらい、こっそりと、遠くから眺めるだけでもいい。
それぐらいなら許されると思えた。

誰に知られることも、気付かれることもないなら。ならいいだろう。

それぐらいなら、許されたって。


不意に背後で声がした。

俺の名を呼ぶ声がした。

その声に俺は聞き覚えがあった。振り返るとすぐそばに人が立っていた。

その人は突然俺の手をひっつかんで無理やり引っ張り起こした。

そして堂々とした気品溢れる笑顔の上に威勢のいい気風をはりつけて
そのスレンダーな胸を目いっぱい張ると
サバサバとした動作で俺の肩をバシバシと叩いた。

鶴屋さん「よっ、少年っ! こんなとこで何やってんのかなっ、
      ダメにょろっ、前途ある若者がこんなところで座りこんでたら、
      もったいないさっ! まーでもそれも青春かもね! なははっ」

そう言って明るく笑うその人の、鶴屋さんの笑みに照らされて。



俺の暗い目元にも赤みがさしたのだった。

600 名前:37-1[] 投稿日:2010/03/17(水) 21:57:36.98 ID:0cIhMt790

鶴屋さんは自分の目元をくりくりと指さしながら俺の顔を覗き込む。

鶴屋さん「どーしたのさっ、キョンくん、その目!
      あ、でもなんか色が戻ってきたね。変なの!
      キョンくんの目っていつもそんな感じにょろ? おっもしろいね!
      七色の目! 虹色の視線を持つキョンくん!
      たっはー、想像しただけで笑えてきちゃったよ! ごめんにょろっ、にゃっはははっ♪」

キョン「いや、あの、これは……その……」

鶴屋さん「どしたどしたっ、元気がないぞっ! もっとシャキッとしなよ!
      あたしだって今朝まで風邪ひいてたけどこの通り、
      もう元気いっぱいだからさっ、キョンくんも気合を出せばなんとかなるよ!」

どうやらこの人が始業式も始まっていないのにここに居るのは気合で風邪を直したかららしい。

んなバカな、と思わせながらもあり得るかもと感じさせるところがこの人のすごいところだ。

俺は手を額に添えて小さく唸った。
泣いてしまいたい気分だったが、あまりにも意味不明すぎるのでなんとか堪えた。

再び視線を戻したとき鶴屋さんは不思議そうに俺の顔を覗き込んでいた。

笑顔を浮かべて俺を慰めるように微笑んでくれる。
ずっと悩まされていた頭の痛みが消えて視界もハッキリと定まり始めた。
そうして見る鶴屋さんの笑顔はとてもまぶしかった。目がくらみそうなくらいまぶしかった。

そういえば鶴屋さんはどうしてこんなところにいるのだろう。
登校できた理由はさっき聞いたが、この吹き抜けの廊下に何の用事があるのか。

601 名前:37-2[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:00:29.39 ID:0cIhMt790

それともただ通りかかっただけなのだろうか。それもなんだかおかしい。
玄関口から二年の教室に向かう通り道でもないのにだ。
俺は疑問を素直に鶴屋さんにぶつけることにした。

キョン「えっと、どうしてこんなところに居るんですか……?
    本当なら教室に居るはずなのに……」

俺の言葉を受けて「う~んっ」と顎に指を添えてしばらく考えるようにした鶴屋さんは、

鶴屋さん「わかんないっ!」

とあっけらかんと言い放った。
俺は虚を突かれてこけそうになるのをなんとか堪えた。

キョン「わかんないって……また突拍子もない……」

半ば呆れかえって鶴屋さんを見るも
当の本人は嘘偽りもないと言いたげな清々しい表情だった。

どうやら本当にわからないらしい。
信じがたいがおそらくそれが真実なのがこの人の恐ろしいところだ。

鶴屋さん「なんかねっ、最初は教室に向かったんだよっ。
      そしたらなんとなーく、何が気になったのかわかんないんだけどさ。
      ほんとになんとなーくこっち来ちゃったんだよね。なんでだろねっ。
      それとなんとなーく、人を探してたような気はしたんだけど、よくわかんないやっ!
      あはは、おっかしいよねっ! そしたらキョンくんが座りこんでたからさっ、
      しんどそうだったしここは声をかけなきゃって思ったにょろっ。
      ところで体調の方はだいじょぶかい、キョンくんっ?」

602 名前:37-3[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:05:11.81 ID:0cIhMt790

そう言って早口にまくしたてると俺に顔を近づけて表情を確認しようとしてくる。
あんまり顔が近いので俺は思わずたじろいでしまった。

今の俺と鶴屋さんはそういう関係ではない。
それはわかっているのだが、気恥かしさを隠せなかった。

俺の反応が面白おかしかったのか、
鶴屋さんは俺の顔を指さしてケラケラと笑った。

鶴屋さん「君は怪人百面相かいっ、キョンくんっ! あっははは!」

怪人百面相キョン。うん、思いっきり正体バラしてるな。不採用。

キョン「や、まぁ、春休みにいろいろありまして……」

春休み、と言ったところで鶴屋さんの表情が若干変わった。
どういう風に、とはうまく説明できないが。

なんとなく雰囲気というかその場の空気が変わった。
いまいち状況に対応しきれないでいる俺を見つめながら
鶴屋さんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。

鶴屋さん「春休みって言えばさっ、
      キョンくんはどーゆー風に過ごしたんだいっ?」

俺は自分の春休みを思い返す。
さすがにずっとあなたと一緒に居ました、とは言えない。

うまく答えられないでいると俺の返答を待たずして鶴屋さんは話し始めた。

603 名前:37-4[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:08:05.23 ID:0cIhMt790

鶴屋さん「あたしもね、上手く説明できないんだよねーっ。
      なんか家族の予定とかほっぽってずっと一人で街中を遊び歩いてたみたいでさ、
      別にみくると一緒に居たわけでもないのにおっかしいよねっ!
      なんか他に誰かと一緒に居たよーな気もするんだけどさ、
      思い当たらないし気のせいって感じなんだよね。
      それに何やってたかってのもどーしても思い出せないし、
      不思議なこともあるもんだよね、にゃっははっ♪」

そうあっけらかんと笑う鶴屋さんを見て、俺は悲しくなった。

いくらか穴はあるもののどうやら記憶の辻褄は合っているらしい。
こうして納得して、何事もなかったように日々を過ごしているうちに
奇妙な感覚もやがて薄れていくのだろう。

そうして、なんでもない出来事へと変えられて過去という闇に埋没していくのだ。
事実と虚構の境界さえなく。だがこれが本来の、正しい俺たちの姿なのだ。

今のこの状況こそが世界の本筋なのだ。
さすがに俺が暴れ出すことまでは含まれていなかったろうが、
それもまた誤差の範疇に過ぎない。大筋は変わらず、時は平穏に流れていく。

俺だけが、俺だけが一人で、すべてを覚えていればいい。
俺はもう、それでいい。それで十分だ。

そう納得しておこう。この鶴屋さんの笑顔を壊すわけにはいかない。
たとえそれが、俺がかつて知っていた鶴屋さんと同じで、
俺が知ることになった鶴屋さんの姿と違っていても。
この笑顔を壊すわけにはいかない。この笑顔を守りたくて、
俺はああして戦ったんだ。この人と、この世界のルールと。自分自身と。

604 名前:37-5[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:11:28.06 ID:0cIhMt790

俺一人が諦めれば、それで世界が守られるのだ。
その世界の中に、鶴屋さんが含まれているのなら。
それは守られるべき価値ある世界なのだ。

鶴屋さん「あ、そーいえばさ、春休みに変なもの見つけたんだよね。
      ちょっち待ってて!」

俺の考えを遮って鶴屋さんはカバンの中を無造作にごそごそと探り始めた。
中にはなにやら妙なものがたくさん詰まっていた。
びっくり箱みたいなカバンだなと思ったとき、
中から何か紙袋のようなものを取り出した鶴屋さんは
その場で包みをバリバリと破り始めた。

キョン「いいんすか、それ……。破いちゃって」

鶴屋さん「いーっさいーさっ、ほらっ!
      じゃじゃーんっ! こんなん買っちったよ!」

そう言って悪意満面というか気色悪い笑みを浮かべながら
サスペンダーをつけた少年が時計盤を抱えている微妙に
パチもんくさいデザインの置き時計を俺に差し出してくる。

それは俺が鶴屋さんに買ってあげた、
というか財布を無理やりむしり取られた挙句に強引に買わされた
あの時計店謹製の激安置き時計だった。

鶴屋さん「そのお値段、なんと570円っさ! ありえないよね、
      なんでうちのデパートでこんなん売ってるんだろっ、
      わっけわかんないよね! あははははっ」

605 名前:37-6[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:14:19.72 ID:0cIhMt790

一人でボケて一人で受ける鶴屋さん劇場に
半ば巻き込まれる形で俺もはははと苦笑いする。

鶴屋さん「しかもいつ買ったかも思い出せないんだよね。これもまたミステリーだよ!
      しかもさ、どーいうわけか自分のお金で買ったって気もしないんだよね。
      誰かすっごく貧しい人から搾取したような後ろめたい感じがするにょろ。
      きみょーだよねっ、おかしいよねっ、あんまりおかしいから面白くって
      うっかり持ってきちゃったよ! ほんとはいけないんだけどねっ、
      まぁバレなきゃいいのさっ! なっはははっ♪」

そう言って豪快に笑う鶴屋さんに、俺はかすかに微笑み返すことしかできなかった。
顔に寂しさが浮かんでやしないかと気をつけようとするも、
どうにもこうにも、今の俺は表情をうまく作れなかった。

感情は感情の中に隠すことができる。
だが胸の内の空虚さだけは、隠しきることはできなかった。

それでも楽しそうに話す鶴屋さんを見ているといくらか気持ちが安らいだ。
ささくれだっていた俺の精神に潤いが戻ったような気がする。

やっぱりこの人のそばは居心地がいい。
ただこれからは、この人のその明るさに甘えてはいけない。
それが俺の寂しさの根本だった。心細さと言ってもいい。

鶴屋さんが俺の表情の微細さよりも
置き時計の話に夢中になってくれていることが唯一の救いだった。

だが次の瞬間鶴屋さんの表情がわずかに曇った。それはずっと、
ずっとこの人のそばで観察してきた俺にしかわからないほどの微細な表情の変化だった。

606 名前:37-7[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:16:33.81 ID:0cIhMt790

鶴屋さん「そいでさっ、こんなに面白い時計なのにさ……」

どこか寂しげに遠くを見るような目だった。

鶴屋さん「なんてことのない時計なのにさ……
      なんとなく、見てると寂しくなっちゃうんだよね。
      なんでだろ……おかしいよね……」

そうしてポツリポツリとつながれた言葉を鶴屋さんは照れ笑いで締めくくった。

鶴屋さん「あっ、なんでこんなことキョンくんに話しちゃったのかなっ……ごめんね!
      キョンくん、変な話聞かせちゃってさっ、あたしらしくなかったよねっ、
      ごめんよ、許して、ってのもなんか変だね、あははっ」

胸の内が締め付けられる思いだった。
心音が高鳴り動悸が早まった。腕に力がこもり思わず拳を握りしめた。

鶴屋さん「そいでさ、昨日なんかひどかったんだよ。
      なんの目的もないのに夜中まで駅前をぶらぶらっとほっつき歩いちゃってさ、
      そりゃー親もカンカンだったさっ、何やってんだって、
      そいで風邪ひいちゃったんだけど、この通り、ばっちおっけーさ!
      まーほんとに面目は丸つぶれだったけどねっ! まーいいさっ!」

豪快な笑い声で締めくくられた鶴屋さんの言葉の意味を俺は考える。

ずっと駅前をほっつきあるいていた? 夜中まで? なぜだ? 誰かを探していたのか?

なら、それは誰だ。誰を探していたんだ。駅前ってのは、あの駅前なのか。
俺と鶴屋さんが待ち合わせに使っていたあの駅前の広場のことなのか?

607 名前:37-8[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:19:11.74 ID:0cIhMt790

もし、そうなら、鶴屋さんが探していたというのは……。

早口でまくしたてる鶴屋さんの言葉の一つ一つを拾い上げて、
俺は一つの可能性に思い至った。

鶴屋さんは、忘れてなんかいなかったのだ。

風邪をひくまで探していた人物。それは他でもない俺だ。

俺が自室でぶっ倒れている間も、鶴屋さんは俺を探して、
あの駅前で、ずっと待っててくれていたのだ。

俺のことを、わけもわからないまま探してくれていたのだ。
俺がくるまで、ずっと。
俺が来ないまま、春休みを終えるその時まで。

鶴屋さん「およっキョンくん、なんか目元の黒いのすっかり消えちゃったね。
      ていうか顔が赤いくらいさっ、なんかいいことでもあったのかなっ?
      それに今日のキョンくんは表情がくるくる変わっから
      見ててなんだか楽しくなるっさ! 本当に怪人百面相を名乗れるかもよっ、
      そん時はあたしが白痴GOGOGOをやってあげよう!
      あれ、あけちごごごーだっけ。まぁいいやっ!
      こっちのがかっくいいからそゆことでっ!」

機関銃のように俺に言葉を浴びせる鶴屋さんは本当に楽しそうだった。
なんだか浮き足立っているような、そんな印象さえ受ける。

ほとんど返事を返さない俺にこれだけ積極的に話しかけてくれるのは、
鶴屋さんの心のどこかに今も俺と過ごした記憶が残っているからなのだろう。

608 名前:37-9[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:21:47.59 ID:0cIhMt790

そこから希望の光がさすような気がした。

鶴屋さんの心の中にはまだ、俺と過ごした時間の記憶が焼き付いているのだ。

それはやがて失われてしまうほどささやかなものなのだろう。
だが、それならなおさら俺はここで引き下がるわけにはいかなかった。

ここからは俺の完全なわがままだ。

鶴屋さんに、あの時あの時間のあの気持ちを思い出してもらいたい。

そんな俺の身勝手なわがままだった。
しかしどうやって? どうやって、鶴屋さんから記憶を引き出すってんだ。

考えろ、俺。何か秘策を思いつけ、俺の普通の頭脳。
何色でもいい俺の脳細胞よ。思い出せ俺のありきたりな脳細胞!

何か、何かないのか────!


ある。たった一つだけ、思いつく方法が。俺がかつて実行したことのある作戦が。

浮かび上がった単語は「スリーピングビューティー」

今ここで、あれをやるのか? だが迷ってる時間なんてない。迷っていい暇なんてない。
今ここが、俺の、名探偵でも迷探偵でもない。


俺自身の物語なのだから。

609 名前:37-11[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:24:37.65 ID:0cIhMt790

俺は鶴屋さんに向き直り居住いをただした。

首筋を数回なぞって息を吐く。
そんな俺の心の準備を不思議そうにじっと見つめながら、
鶴屋さんは小さく小首をかしげた。

手を後ろに回して、俺が何を始めるのか見守っている様子だった。

鶴屋さんが手を後ろに回しているのは僥倖だった。
正面から立ち向かえば呆気無くぶっとばされかねないからだ。

ある意味一瞬の隙が勝負を分ける。
しかしこう、今さらながら真正面から向き合うと
どうにも腰の据わりが悪いというか足元が定まらないというか
落ち着かない感じがする。

パンパンと軽く頬を叩いて気合を入れる。
鶴屋さんは面白いものでも見るようにクスクスと笑っていた。

実際はたから見れば面白いんだろう、俺のやっていることは。
ただここから先は面白い結果になるのか、
それともただ単に上級生かっこ美人のお嬢様かっことじるに不埒なマネをした
軽犯罪者になるかという運命の瀬戸際である。

この方法が有効だという保証もまったくと言っていいほど、ていうか皆無だ。

もし失敗すれば殺されても文句なし、じゃない文句は言えない。

思えばもっとすごいことを堂々としていたくせに今さらながらなんだこの恥ずかしさは。

610 名前:37-12[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:27:58.46 ID:0cIhMt790

ええい、もうどうにでもなれってんだ!

俺のあらゆる 不躾と 不作法と 不埒と 不義理と 不撓不屈と
不器用と 不格好と 不在と 不毛不才と 浮浪と 不明解と 不能と、不能ってなんだ、
あとなんか不思議っぽいものをありったけかきあつめて、

過去のありとあらゆるシーンの俺よ、現在の俺に、勇気を、
あとついでに下心をわけてくれ! 頼むっ!

キョン「鶴屋さんっ、ちょっといいですか────」

鶴屋さん「んっ? なんだい、キョンくん、やぶからぼーにっ」

キョン「俺の好きな人って知ってます?」

鶴屋さん「えっ────」

完全に不意打ちだった。
本日さんざん不意打ちに苦しめられてきた俺は
ついに自分でも不意打ちを敢行することになった。

意識の隙間の虚をついて、俺は鶴屋さんの唇に自分のそれを重ねた。

抱き寄せた鶴屋さんの肩が強張った。
驚愕と共に、雷に打たれたように小刻みに震えていた。

それでも不思議と何の抵抗もなかった。
あの時にしたように、春休みの十三日目に俺の部屋でさんざんそうしたように、
深く、深く永い口づけを交わした。

612 名前:37-13[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:30:23.43 ID:0cIhMt790

どれほどそうしていただろう、
舌を何度も重ねて離しては重ねたその後も何の抵抗も受けなかった。

ただ所在なさげに震える手先が俺の体に添えられて、
そこから突き出されるでもなくひっつかまれるでもなく俺の胸元に移った。

ゆっくりと、唇を離した時。
まぶたを開いて見た鶴屋さんの瞳は、俺を愛してると言ってくれた鶴屋さんの、
あの時のあの時間のままの瞳だった。
鶴屋さんの俺を見る瞳は、あの時と何にも変わっていなかった。

あの時あの時間のままの鶴屋さんが、目の前にいた。

そう確信して笑いかけようとした瞬間、鶴屋さんの目から一筋涙が伝った。
そしてそのまま大粒の涙へと変わり、俺を見る表情は悲痛なものとなった。

俺は驚愕し一瞬たじろいでしまった。
その隙をついて、鶴屋さんは俺の腕を振りほどき走り出した。

まさか、まさか失敗したってのか。俺の狙いが外れたってのか。
いや、だがあの目は間違いなくあの時の鶴屋さんの目だった。

今は考えている時間さえ惜しい、ここは自分の直感を信じて追いかけるしかない。

キョン「鶴屋さん、待ってください! 鶴屋さん! 鶴屋さん────!」

考えることを後回しにして俺は鶴屋さんの後を追いかけた。
さすが鶴屋さんは俊足だったが、俺の方にも意地がある。
俺はなんとか気力だけで鶴屋さんに食い下がった。

613 名前:37-14[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:33:18.22 ID:0cIhMt790

走りながらも頭は勝手に考えてしまう。
どうして鶴屋さんはすべてを思い出してなお俺から逃げ出すのか。
どうして俺を拒絶するのか。

わけもわからないまま俺は鶴屋さんを追いかけた。
いろんな学年の教室の前を通るたびに背後から生徒が騒ぐ声が聞こえた。

扉が開かれ教師が顔を覗かせたり俺と鶴屋さんの追走劇は注目の的となった。

下級生男子が上級生女子を追いかけまわしているというその異様な光景に
誰もが顔に驚愕の色を浮かべていた。

これって下手すると退校処分になるんじゃないだろうか。
ふとそう思った油断が命取りだった。

何度目かのターンの後廊下の曲がり角から急に現れた教師に体をひっつかまれ
そのまま引きずり倒されてしまった。
そのまま制服で締め付けられたあげく腕ををねじあげられて身動きがとれなくなった。

キョン「くそっ! 放せ! 放せよ、畜生! 畜生、畜生────!」

吠える俺の耳元に教師の怒鳴り声が響く。
つんざくような騒音の中で耳にした言葉に俺は驚愕した。

一年五組の教室でクラスメイトに怪我をさせたのはお前か、
今度は女子を追いかけまわして何をやっているんだ、
さっきからずっとお前をさがしていた、じっとしていろ、と。

俺はまたしても墓穴を掘っていた。

614 名前:37-15[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:35:37.92 ID:0cIhMt790

谷口に流血させた俺を探して教師たちは廊下をうろついていたらしい。
そこに俺が鶴屋さんを追いかけながら通りかかった。
そしてものの見事に捕まったのだ。結局、結局また俺のせいか、俺自身のせいなのかよ。

やりきれないまま、鶴屋さんの背中がどんどんと遠くなっていく。
その背中に向かって、俺は力いっぱい叫んだ。

キョン「鶴屋さん、今日、あなたの家にお邪魔してもいいですか!
    訪ねて行ってもいいですか! 鶴屋さん、何か言ってください!
    あの時みたいに不躾で不作法な俺ですけど、かまいませんか、鶴屋さん!」

鶴屋さんは一度も振り返ることなく廊下の向こうに消え去った。
角を曲がって見えなくなった鶴屋さんの姿が脳裏に焼き付いていた。
俺を拒絶するように走り去った鶴屋さんは、俺の前から消えてしまっていた。

俺の言葉に一言も返さないまま。鶴屋さんは行ってしまった。俺を置いて、置き去りにして。

打ちひしがれる俺の上に何人もの教師がのしかかってきた。
すでに抵抗する意思さえも失せていた俺はただ弱々しくうめき声をあげるだけだった。
力づくでその場に押し付けられ、床に頬を擦りつけながら俺は後悔していた。

俺は、なんで、いつもこう、何もかも裏目に出てしまうんだ。
俺の暴挙とわがままが全てを台無しにしてしまっていた。
俺の高校生活はここで終わるのかもしれない。
鶴屋さんともSOS団ともここでお別れなのか。すべてが、ここで終わってしまうのか。
これが世界の本筋なのか? それとも、こんな事件さえやがて
時間の輪が閉じることで修正されるのか。そうやって、俺は何度も何度も何度も何度も、
何度も同じ失敗を繰り返すってのか。
何度も同じ悲劇を辿るってのか。いやだ、そんなのは嫌だ。

616 名前:37-16[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:37:47.13 ID:0cIhMt790

嫌だ────────────────。

のしかかってきた教師の一人が足を滑らせたのだろう。
俺は後頭部に鈍い衝撃を感じた。

そのまま意識が遠のいていく。
暗闇に吸い込まれるようにして、俺の意識はそこで途絶えた。


次に目を覚ましたときは保健室だった。

始業式はとっくに終わっていて今はもう生徒が帰る時間だった。
とっくに帰路についている生徒が校庭を横切っていく姿を俺は呆然と眺めるしかない。

そして保険医の連絡により現れた教師たちに職員室まで連行され
こっぴどく叱られることとなった。日が傾くまで事情を聞かれていたのだが、
俺のあまりの覇気のなさに拍子ぬけした教師たちによって
一旦は家に返されることになった。当然のことながら親にも連絡するという。

自分で自分の首を締め付ける俺の無様さったらなかった。
まったくもってその無様さといったらなかった。

職員室を出て扉を閉めたところで俺を呼びとめる声がした。

声のする方へと振り返ると
ハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉が並び立って俺のことを見ていた。

どうやら今の今まで俺が出てくるのを待ち構えていたらしい。
俺はそんな連中に何の言葉も返すこともできなかった。

617 名前:37-17end[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:39:55.98 ID:0cIhMt790

ただあいつらが俺を見る目の、

不安げな、心配そうな、憐れなものを見るような視線に晒されるのは。



たまらなく居心地が悪かった。

619 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/17(水) 22:48:08.45 ID:0cIhMt790
そろそろ容量が厳しくなってきました。

予想だとエピローグ分がはみ出すぐらいな感じです。

エピローグだけ別になるというのも妙な感じなので
ここで一旦スレを終えようかどうか考え中です。
ただ今日は時間的にここで終わりなので次回が最終になります。
意見がありましたら参考にしますので書き込んでください。それではノシ


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