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鶴屋さん「キョンくんっ、愛してるよっ!」 2

173 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:02:01.43 ID:54TmEdAN0

こんにちは、二回目を始めたいと思います。
ちっと疲労が溜まっているので10時以降11時以前に一旦切り上げることになりそうです。
それまで再びよろしくおねがいします。

174 名前:15-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:05:36.06 ID:54TmEdAN0
八日目 不義理名探偵キョン


八日目。春休みも折り返しに入ろうかという日。

今日は調査班の全員で集まって探偵ごっこの中間報告をする日だ。
SOS団の、と言わなかったのはそこに鶴屋さんも含まれているからだ。

昨日の今日なので顔を合わせ辛いのだが、
強制参加となっているので辞退もままならない。

気が重いなどとは言ってられない。
俺は気だるさを全身に感じながらも外出着に着替える。
自転車でいつものSOS団の集合場所となっている駅前へと向かった。

俺が到着した時にはハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉の四人が先に到着していた。
鶴屋さんはまだ来ていない。遅れるという一報も来ていないらしい。
こちらから連絡を取ろうにも電話が繋がらないそうなのだ。
一体どうしたというのだろうか。

朝比奈さんも心配そうにしている。そしてどういうわけか古泉の表情も曇っていた。
どうしてお前がそんな顔をしているんだ? 閉鎖空間でも立て続けに現れたってのか。

古泉「いえ、そういうわけではありませんが……」

そんな古泉の顔を朝比奈さんが心配そうにのぞき込んでいる。
う~ん、どういうことだ。この一週間で二人の間に何があったというのだろうか。
古泉、俺はお前を信じていいんだよな? もちろん朝比奈さんのことは信じている。
ただ若干、内実ものすごーく気にはなっているのだが。
もう少し気分が優れれば躊躇わずに聞けたんだがなぁ。

175 名前:15-2[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:09:19.33 ID:54TmEdAN0

さっきからやけに静かだと思っていたらハルヒと長門もなんだか疲れているようだった。

一体コンピ研部長の身辺調査にどれほどの労力を費やしたというか。
それともあんまりつまらないもんだから精神に変調をきたしたのか?

なんにせよ今は静かであるにこしたことはない。
そうして十分ほど待っていると遅れて鶴屋さんがやってきた。
珍しく駅の方から駆けてきて、ってそれは俺にしかわからないことだった。
さすがに団員の前に黒塗りのセンチュリーで乗り付けるのは
若干引かれると思ったのだろうか。

昨日あんなことがあったから心配していたのだが、
駆けてくる鶴屋さんの表情はいつも通りの晴れやかさだった。

鶴屋さん「やぁやぁみんな!
      今日は集まりに呼んでもらえて感謝するっさっ!
      ってあれ~、みんなお疲れのご様子だね、なんかあったのかいっ?」

小首をかしげて不思議そうにする鶴屋さん。
表情も口調もハキハキしていて仕草も小気味いい。

昨日のことを引きずっている様子は微塵もなかった。俺は安堵してため息を吐く。
ハルヒはそんな鶴屋さんに心底眠たそうに返事をする。
長門はいつも通りなようでいてハルヒと似たり寄ったりな印象だった。

朝比奈さんも明るく挨拶をするのだが体調よりも気分が優れないようで
言葉尻に歯切れの悪さを残していた。
古泉は微苦笑するばかりで特に言葉を返す様子もない。
うーん、みんなどうしたってんだ。まぁ俺が言えたことじゃぁないが。

178 名前:15-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:13:16.90 ID:54TmEdAN0

そのまましばらく立ち話を続けていた。
気分が悪くなったハルヒの背中を鶴屋さんがさすってあげている。
ついでに長門の背中も。
本当に疲れているのか長門も少しだけ目を細めて楽そうにしている。

視線を移すと朝比奈さんが不安そうにどこかを見つめていた。
そして俺の視線に気づくとニコリと微笑んで違う方へ向き直った。

先程の視線の先を追うと鶴屋さんの立っている方だった。
なんだか嫌な感じがした。
何か隠し事をされているようで落ち着かなかったが、
とはいえ俺の勘違いかもしれないわけで。

微妙に追求しきれないまま俺たちは近くの喫茶店へと入ることになった。

ハルヒ「あぁ~……疲れたぁ……すいませ~ん、水くださ~い」

キョン「水ください、ってお前、催促するほど気分が悪いのか。
    今日は帰った方がいいんじゃぁないのか?」

ハルヒ「っさいわね~……せっかく来たんだから最後まで居るわよ……
    ぁ、あとチョコパフェとカフェラテとあとサンドイッチと」

その割にはやたらと注文が多いな。
なんでも最近甘いものがやけに食べたくなるらしい。

常に頭をフル回転させているような感覚がするそうだ。
運ばれてきたコーヒーに砂糖を何袋も注ぎながら
ハルヒはとつとつと聞かれても居ない自分の苦労話を語り始めた。

179 名前:15-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:16:52.03 ID:54TmEdAN0

まずコンピ研部長の自宅の住所を調べることから始めたのだが、
職員室へ行って名簿を見ようとしても個人情報がどうたらで見せてもらえなかったそうだ。

そこで長門と連れ立って手っ取り早くその他の部員を締め上げようとしたものの
ハルヒに個人情報を知られるということに
極端なまでに恐れおののいた部員達の手によって部長に連絡されてしまい、
以降コンピ研部長はほとんど自宅にひきこもるようになってしまったそうだ。

暴力的な手段を諦め住基ネットへのハッキングを敢行した二人は
ようやく部長の自宅を見つけ出したものの既に篭城を始めた部長との戦いは長期に渡り、
近くのマンションの屋上からこっそり観察を続ける日々を送り幾星霜……。

という有様らしい。俺だったら最初の個人情報云々の時点で諦めるけどな。
今回はハルヒの気の強さが完全に裏目に出たと言えよう。
まったくもって自業自得な話だ。

180 名前:15-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:19:55.70 ID:54TmEdAN0

机に突っ伏したハルヒの背中を再び鶴屋さんがさする。
甲斐甲斐しくもハルヒの看病を始めた鶴屋さんは
以降はほとんどハルヒに構いっぱなしだった。

なんだか俺との会話を避けているように感じたのは自意識が過剰なのだろうか。

古泉や朝比奈さんは普通にインタビューをして今レポートにまとめている最中だという。
なんとも優等生的で正攻法でまっとうな手法だった。
まぁハルヒの意図からは外れているかもしれないが
二人の立ち位置的に許される方法論ではある。

ハルヒが「それじゃぁ探偵じゃなくて単なるインタビュアーじゃないっ!」という苦情を出すことまで
見越してもう二三ネタを仕込んでいるに違いない。

如才ない、古泉如才ない、本当に如才ないなおい。
で、ついに来てしまった俺が報告する順番。

さてどうしたものか。
ハルヒは完全にグロッキーだからいいとして、問題は鶴屋さんである。

鶴屋さんには鶴屋さんが調査対象であることは知らせていない。
他の奴らもそのことはそれとなく察しているのだろう。
なんとも微妙な表情をしている古泉と朝比奈さんと眠たそうな長門。さて、どうしたもんか。

キョン「すまん、今壮大かつ長大な報告書をまとめて上げているところなんだ。
    これは数分で語りきれるものではない、是非始業式の日に一気に目を通してもらいたい」

苦肉の策というかまぁ嘘八百なのだが、
もう明らかに白々しさを振り乱しながら俺は熱くそのスケールの大きさを語った。

181 名前:15-6[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:23:00.00 ID:54TmEdAN0

ハルヒ「あ、そう」

ハルヒの冷たい一言に遮られるまで。どうやら俺の語り口が耳障りだったらしい。
一刀のもとに切って落とされた俺はしょんぼりと肩を落として自分の水をすするのだった。
ハルヒがチョコパフェを平らげた時点で集まりはお開きになった。
こいつこんなによく食う奴だったっけか。ちょっと分量が異常だな。

コンピ研部長のこととは別になんか大きなストレスでも抱えてんじゃないだろうか。

若干心配になるもこれ以上引き止めると噛み付かれそうなのでやめておいた。
人間万事さいおーが馬っ。鶴屋さんに習った格言である。

ハルヒと長門、古泉と朝比奈さん、俺と鶴屋さんのそれぞれの班に別れて
俺たちは別々の方角へと歩いていった。
俺と鶴屋さんの間にはなんとも気まずい空気が漂っていた。

せっかく鶴屋さんに何度も笑いかけてもらうも俺は愛想笑いを返すのが精一杯で、
それ以上会話を進めることができなかった。
正直不安だったし鶴屋さんの口から出る言葉が怖かったのかもしれない。

先の見えない感覚。そりゃぁいつも先の読めない人だが、今みたいな空気はそれとは違う。

胃の腑がきりきりと痛むような感覚がしたがまぁ問題ない範囲だった。
俺は気力を振り絞って鶴屋さんに提案する。

キョン「家まで……送っていってもいいっすか……・?
    別になにがどうっていうわけでもないんですけど……なんとなく……」

鶴屋さんは一拍ほど黙った後、快く許可を出してくれた。

182 名前:15-7[sage] 投稿日:2010/03/14(日) 20:26:16.62 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「いーよっ、まー、今はね、
      ちょっと立て込んでて家の中には上がれないんだけどさっ、
      それでもいいにょろっ? もしいいならそうしてくれるとうれしいっさっ」

俺の正面に回り込み笑顔で振り返る鶴屋さん。
その表情を見ていると胸の内が晴れたような気がした。
頭の中の淀みが幾分か透き通る思いだった。

俺と鶴屋さんはバスを乗り継いだり歩いたりして屋敷への道のりを歩いていく。
それほど会話をしたわけではなかったが、
先程のような重い空気はもう感じられなかった。

鶴屋さん「それで調査の方は順調なのかいっ?」

これには上手く答えられない。
体のいい言い訳を模索していると「そかそかっ」と納得されてしまった。
鶴屋さんは、本当は気づいているんじゃぁないだろうか。

それを尋ねてしまうとこの奇妙な状況を終わらせてしまうような気がして、
俺はついに言い出すことができなかった。
もともと春休みの間だけの期間限定タッグなのだ。
その期間中すべてを使いきってもバチはあたるまい。

ついに鶴屋さんの屋敷の周辺までやってきて屋敷の門前に到着した。
鶴屋さんは元気いっぱいの笑顔で俺に向き直ると、
「また明日っ!」とハキハキした動作で手を振った。
俺も軽く手を上げて応える。また明日、か。

俺は鶴屋さんに何気なく尋ねる。

184 名前:15-8[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:30:07.95 ID:54TmEdAN0

キョン「こないだ来れなかった日は……何かあったんですか?」

鶴屋さんは少し答えにくそうにしている。
七日目の騒動の元の素の元をさらにほじくりかえせば一応はそこに行き当たる。

まぁ間に俺のくだらない冗談が挟まってしまったせいでしっちゃかめっちゃかなのだが。

鶴屋さん「なんていうか……約束事があってねっ……そっちを優先しちゃったのさっ。
      ごめんよ、決してキョンくんとの約束をむげに扱おうと思ったわけじゃないのさっ。
      だから……」

許して欲しい、と言おうとしたのだろう。鶴屋さんはそれ以上は言わなかった。

俺もそれには答えられなかった。
困ったような微苦笑の後で、鶴屋さんははぐらかすように笑った。

肝心なことは結局聞けず終いで、そして俺自身もそれに答えられず終いで。

小さく礼をして俺は足を帰路に向けた。
最後に鶴屋さんが何かを言いかけた気がしたが、結局言い出すことはなかった。

しばらく歩いてから何気なく振り返ると鶴屋さんはまだ門口の前に立っていてこちらを見ていた。

俺が振り返ったことに気がつくと小さく手を振っているのがわかった。
かろうじてここから分かる程度のかすかな笑顔を浮かべながら。
俺もそんな鶴屋さんに手を振り返す。

俺は再び歩き出す。
鶴屋さんはいつまで俺の後ろ姿を見ていたんだろうか。

185 名前:15-9end[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:32:32.68 ID:54TmEdAN0

俺は二度振り返ることはなく、
深緑色のモノトーンを背負って帰る。

灰色の街並み、俺の日常へ。


奇妙な余韻を残しながら。









186 名前:16-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:36:51.85 ID:54TmEdAN0

九日 不躾名探偵キョン


九日目。
あいも変わらず俺は市街で待ちぼうけている。
二時を過ぎても鶴屋さんはやってこない。

こちらから鶴屋さんに連絡を取ろうと思い電話をかけたのだが一向に繋がらない。
呼び出しはかかるのだがそれ以上うんともすんとも言わない。
途中で切れることもないからマナーモードにでもしてあるんだろうか。

俺は思い切って鶴屋さんの自宅へと突撃してみることにした。
突撃といっても門口の周りを少しうろうろしたり呼びかけたりしてみるだけなのだが。

鶴屋さんの家へ自転車を取りに行った時のことを思い出す。
あのなんとなく居づらい空気はなんだったのだろうか。

背筋の這いずる悪寒、とまでは言わないが薄ら寒いというか気味が悪いというか。
人気のない古い家屋というのはそういう雰囲気を醸し出しているのかもしれない。

そこに生活感が覗けばもう少し違った印象を受けたのかもな。

一旦自宅に戻り自転車に乗るとそのまま鶴屋家の屋敷へと向かった。
一時間ほど走って鶴屋家の敷地へと近づく。
延々と続く塀のある通りへ差し掛かったところでなんとも言えない微妙な違和感を感じた。

う~ん、やっぱ気のせいじゃなかったか。こないだは嫌な感じがしたが、
ところがどっこい今日の俺は全く定まった目的もないごく純粋な闖入者である。
最初から不躾不作法をかますつもりであるなら全く遠慮の必要もない。

187 名前:16-2[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:41:10.36 ID:54TmEdAN0

せいぜい思いのたけうろちょろしていくとしよう。
鼻歌でも一発歌ってやろうというものだ。

俺はブライアン・アダムスの18 till I dieをメロからサビまで一番だけをリピートで歌う。
理由はそこしか覚えてないから。

へいへい、わ~なびや~んざれすおまらいねばせのとらいえにしんつわいす。

最低最悪の発音で騒音をぶち撒きつつ自らを鼓舞しながら塀の通りを進んで行く。

俺の音痴が雰囲気をぶち壊しにしたのかあの微妙に嫌な空気は消え去っていた。
無事に鶴屋家の門前にたどり着いたがさてここからどうしたものか。

まさか強引に侵入するわけにもいくまい。
そんなことをすればモノホンの闖入者ならぬ不法侵入者である。

警察に突き出されてもあっさりさっさと自供するしかない。
まぁとりあえず一言声をかけておくだけでもしておこうか。

使用人が出てきて一発しばかれるぐらいのイベントは起きるかもしれない。
このまま何事もなく帰るのだけは納得できなかった。

キョン「つ~るやさんっ、あそびましょ~」

思いついた掛け声の中で一番素っ頓狂でアホらしい一言を選んで叫ぶ。
ここまでバカバカしければ襲いかかってくるのが
家政婦でも黒尽くめのSPでも少しは手加減してくれるかもしれない。
番犬とかが出てきたらどうしよう。さすがにそこまでは考えていない。
さて、そろそろ逃げようか。

188 名前:16-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:47:00.88 ID:54TmEdAN0

俺がいそいそと自転車にまたがったところで通用口の鍵が開くような音が聞こえた。
やばいっ、ついに獰猛な番犬の登場かっ、それとも黒光りのSPかっ。

鶴屋さん「キョンくんっ? キョンくんかいっ」

俺が身構えたところで現れたのは和装の鶴屋さんだった。
髪の毛を結い上げることもなくうなじの辺りをこよった紐で括ってまとめている。

それは上等な和紙のようにも見えた。こういう風に使うものもあるのか?
なんか以前総合テレビかなんかで見たような気はする。
あわじ結びだか水引だか元結だかかんとか。まぁうろ覚えなんだが。

キョン「どーもっ」

自転車にまたがって鶴屋さんに背中を向けたまま俺は敬礼するように挨拶をする。

鶴屋さんはそんな俺を不思議そうに眺めている。
俺は自転車を門のそばにとめて鶴屋さんへ向き直った。

キョン「やー、鶴屋さんが来ないもんで自分から来ちまいました。
    迷惑でしたらソッコーで直帰しますんで」

鶴屋さん「ううんっ、そんなことないさっ、それよりあたしの方こそっ……」

ごめん、と言おうとしたのか、そのまま言いにくそうにして押し黙ってしまった。
視線こそ逸らすことはなかったものの、どこかよそよそしい。
困ったような歯切れの悪い表情で微笑み続けている。
まぁそれはそうだろう。突然の来訪、七日目の騒動、昨日の約束、一事が万事である。
どれもが気まずい空気を生み出すに足りる出来事だった。

190 名前:16-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:50:32.17 ID:54TmEdAN0

言葉を飲み込んだ鶴屋さんは辺りをキョロキョロと見回すと手招きをした。
それに従って通用口をくぐる。

そのまま近くの軒先まで案内された。以前日向ぼっこをして、
うっかり眠りこけてしまった場所である。鶴屋さんは俺よりも先に縁側に腰掛ける。
その場でつっ立っている俺を見上げるとポンポンと自分の膝上を叩いた。

横になれ、ということだろうか。
意識を失っている時ならまだしも自分からそこに頭を乗せることはひじょーにはばかられた。

俺が苦笑いを浮かべながら逡巡していると
鶴屋さんが自分の膝上を叩く調子が強くなっていった。
もはやほとんどはたきつけるような勢いになっている。

それはすでにほとんど命令のようなものだった。
俺はしぶしぶ、というか内心どぎまぎしながら鶴屋さんの膝枕の上に頭を乗せて横になった。

鶴屋さん「素直でよろしいっ♪」

そんな俺の優柔不断な決心をねぎらいつつ以前にもそうしたように
俺の髪の毛を繰ったり撫ぜ下ろしたりし始める。

こうなると居心地が良すぎて冗談の一つも言えなくなってしまうのだが、
同時に今日は招かれざる者であるためか膝から下がふわふわして落ち着かなかった。
下はそわそわ上はごろごろ、これなーんだ。俺の現状である。

キョン「鶴屋さんは自分が調査対象だって最初っから分かってたんですよね」

微妙に浮き足立った気分の中で俺は鶴屋さんに質問をする。たしか以前にもそうしたように。

191 名前:16-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:55:52.93 ID:54TmEdAN0

鶴屋さんは言いにくそうにしながらもやがて口を開く。

鶴屋さん「なはは、実はそうなんだよねっ。
      めんごめんごっ……でも騙してたわけじゃないっからさっ。
      そこだけはわかってほしいっさ」

騙すというならそれは俺の方だろう。

鶴屋さんは許して欲しい、ではなくわかって欲しいと言った。
その一言がすべてのように思えた。

俺は言葉ではなく仕草で返事をした。
小さく軽く、肌の感覚でわかるように。頷くことで意思を示した。

それを受けてか鶴屋さんは俺の額を指先で優しく二回ほどなぞった。
急いで来たせいで少し汗ばんでいたかもしれない。それでも鶴屋さんは構わないようだった。

人差し指を俺の眉間に押し付けてぐにぐにと皮膚をこねくって弄ぶ。
力を抜け、ということなのだろうか。
俺はされるがままに身を任せた。

鶴屋さん「今日は家の人間が誰も居なくて出られなくってさ……
      ここでいいなら済ませちゃおうよっ。なんでも訊いておくれよ。
      たまにはあたしも自分のことをいろいろ話してみたいっからさ……」

キョン「スリーサイ……」

すかさず手刀が落ちてくる。
クスクス笑いがケラケラ笑いに、そして静かな語り口に切り替わった。

192 名前:16-7[] 投稿日:2010/03/14(日) 20:58:52.84 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「上から────」

聞いてよかったのかはわからないが、とにもかくにも聞いてしまったのだから仕方がない。

聴き終えた感想は聞くまでもなかったな、というのと、
加えてスレンダーのスの字はストレートのスの字でもあるのだなぁなどと
不埒な考えを抱いてしまった。

俺の頭の中の鶴屋さんの項目にまた一つ冗談みたいなパーソナルデータが書き込まれた。
そうして空欄は徐々に埋まっていくのだった。

鶴屋さんについて知っていることが少しずつ増えていく。

刺激的なそれは単なる情報では終わらず、俺に少しばかりの理解を与えた。

馴染んでいくように、鶴屋さんの言葉が頭の中に自然と流れ込んできた。
銘打たれたそれはかけがえのない、鶴屋さんの物語だった。
俺の脳裏に刻まれた記念碑のようなものだった。

俺は質問を続ける。

キョン「電話、もう持ってないんですか」

鶴屋さん「んっ、まーねっ。でも春休みの間だけだよ。その後はもう自由さっ」

あっけらかんと答えるものの俺の髪を弄ぶ手がかすかにたどたどしくなり
そこにはいくらかの悔しさがにじみ出ていた。
手先に感情が現れるのは癖みたいなものなのだろう。
覚えておくことにしよう。いつか役に立つかもしれない。

195 名前:16-8[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:01:55.18 ID:54TmEdAN0

誰のせいで手放すハメになったのかは推して知るべし。
というか一人しかいないわけだが。

その約一名はそろそろ限界を感じ始めている。これ以上尋ねるのは気が引けた。

俺の勇気と根気は今んとこここまでである。
笑うなら笑って欲しかったが、鶴屋さんはそんな俺を責めるでも労うでもなく言う。

鶴屋さん「あたしは別にいーよっ」

からかわれているわけではなかった。本当にしてもいいものらしい。
とはいえ次で最後の質問にしよう。

鶴屋さんがいつか話してくれると言ったあの質問の答えを聞きたかった。

キョン「鶴屋さんは……好きな人っているんですか?」

鶴屋さんの俺の髪を繰る手が止まり、それから動かなくなった。

俺の頭頂部に添えられたままぴくりとも動かない。

鶴屋さん「キョンくんは……誰だと思う……?」

逆に尋ねられても俺には答えられない。わからないから質問をしたのだから。
わからないというのは理解できないという意味で、
知らないということではなかったのだけれども。

俺にもう少しばかり知恵があればよかったのかもしれない。
それでも俺は内心の一部を吐露するだけにとどめた。たった一言主語を隠して。

196 名前:16-9end[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:05:44.60 ID:54TmEdAN0

キョン「……わかりません……」

思えば日本語というのは便利過ぎるのだ。
他人を欺くのに、これ以上うってつけのものはない。
その一点に頼みを置くことでしか会話を続けられない俺に言えたことではないのだが。

鶴屋さんは短く一言「そっかっ……」と言って再び俺の髪を弄ぶ手を動かし始めた。

たどたどしく、ぎこちなく。行為というよりも単に動かしているだけ、そんな印象と感触だった。

鶴屋さん「また明日……絶対に……」

鶴屋さんが言っていたいつかのその日は今日この時のことではないらしい。
たとえ明日が無理曜日で、来れないデーだったとしても。

また明日、絶対に。

そう一言、意思を示すことだけが今のこの状況を継続させる。
そう思って鶴屋さんは何度も何度も嘘になりかねない約束を結んでいる。俺にはそう思えた。

そしてそのいわゆる「こーい」に乗っかって、俺は再びまどろみの中に漂流する。

ただ意識が闇に落ちることはなかった。

半分起きていて、半分眠っている。
そんな風に引き裂かれたまま漂っていた。

上とも下とも判別がつかない、
横倒しの世界を見つめながら。

198 名前:17-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:10:47.51 ID:54TmEdAN0

十日目 不撓不屈名探偵キョン


十日目の朝。
まだ鶴屋さんの電話は繋がらない。
それは分かっていたのでどう驚くということもなかったのだが。

発信を切った瞬間着信音が鳴った。
もしかして鶴屋さん? かと思ったら古泉だった。なんだお前か。期待させやがって。

このまま出ないでもいいかとは思ったのだが前に会ったときの様子が様子なだけに気になった。
それとなく朝比奈さんの話題でも振ってみるか。何かしらの話は聞けるかもしれない。
そうして自分で理由を作った俺は古泉からの着信に出る。

キョン「古泉か? なんだ朝っぱらから藪から棒に」

古泉「少しばかりお話がしたいのですが。よろしいでしょうか?」

それはかまわんが。わざわざ呼び出してまでする話ってのはなんなんだ。
触りぐらいは教えてくれ。

古泉「どうぞ──」

電話口にガサガサとノイズが入る。

みくる「──ぁ、ありがとうございます。キョンくん?」

次いで朝比奈さんが出た。なぜに朝比奈さんが古泉の携帯に?
なんか過去にも似たような展開があったような気がするぞ。

199 名前:17-2[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:14:16.18 ID:54TmEdAN0

予感というよりもほとんど確信に近い悪寒が俺の全身に鳥肌を作る。

なんだなんだなんだ。
またあの夏休み後半みたいに時間が延々ループしてるってんじゃないだろうな。

しかして今のところあの手のなんとなくだか強烈なんだかの既視感には遭遇していない。
この時この瞬間に初めて立ちあっているという実感はある。
古泉から電話がくる予感なんてまったくなかったしな。

みくる「ごめんなさい、それは今は話せないんです。
    でも安心して、キョンくん。ただちょっとお話をしたいだけだから」

再びノイズが走って今度は古泉に代わる。

古泉「明日の午後三時、涼宮さん長門さん組を除く
   調査団のメンバーで集まってお話をしませんか?」

キョン「なんだ、明日でいいのか。てっきり話しぶりからして
    急ぎで込み入った話なんじゃないかと思ったがそうでもないのか」

俺は正直胸を撫で下ろしたい気分だった。
俺には今現在、世界が異常事態で云々かんぬん、
いざこの状況を打開しましょう!というテンションで
超常現象と向き合う気力を持ち合わせてはいないからだ。

そういう事態はせめて春休みが終わって学年が上がってからにしていただきたい。
たとえ世界が分裂するほどの出来事があったとしても、
その頃にはまぁ体力も気力も回復していつも通りの日常を過ごせていそうだからだ。
俺の内心の不安をよそに古泉は続ける。

200 名前:17-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:18:39.59 ID:54TmEdAN0

古泉「えぇ、その点はご心配なく。
   時間に関しては僕よりも遥かにプロフェッショナブルな方が
   となりにいらっしゃいますので。その方のご指定ですからどうぞご安心ください」

プロヘッショナブルな方とは朝比奈さんのことだろう。
プロヘッショナブリングな朝比奈さんというと大人バージョンを連想するのだが
一応ちっさい方の朝比奈さんだって未来人である。
古泉に比べたら万倍プロヘッチョナビュリャってもんだろう。

キョン「わかった、まぁちょっと気分転換もしたかったところだしな。
    朝比奈さんの顔が見れるってんなら飛んで行こうってもんだ。
    ところで古泉、お前は別に無理して来なくていんだぞ。
    こないだなんかめちゃくちゃ顔色が悪かったからな。
    静養してた方がいいんじゃないのか?」

俺は冗談交じりにそれとなく中間報告の話題を振ってみたのだが、
古泉はいつも通りのおやおや、困りましたね、といいう調子を微塵も表すことなはなかった。

それどころか俺が言ったとおりに本当にお疲れ気味のご様子だった。

古泉「あはは……まぁそのことは考えておきましょう……」



201 名前:17-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:23:06.39 ID:54TmEdAN0

おいおいおいおい、マジで大丈夫なのかよ古泉。一応冗談のつもりだったんだぞ。
しっかりしろよ。マジで調子狂うぜ。

古泉「その点については追い追い。とにかく明日のことです。
    絶対に来てください。頼みましたよ」

頼み、っていうか約束じゃぁないのか。なんだか雰囲気が重かった。
一体なんだってんだ。

結局用件はそこで終了だった。とにかく明日、明日と言っていた。
なんだか鶴屋さんみたいだな。

また明日。絶対に。

昨日のことを思い出して俺は身悶えしそうになった。

本当に一体どうしちまったんだ。俺も、鶴屋さんも、古泉も、朝比奈さんも、
あとハルヒや長門の体調のことだってある。明日古泉や朝比奈さんと俺とで、って、ん?

長門&ハルヒ組を除く調査団のメンバーってことは鶴屋さんも入っているのか?
ん~微妙だ。第一鶴屋さんとは連絡の取りようがないからな。

さすがに昨日の今日でまた屋敷にお邪魔するのは正直気が重かった。
どんな顔をすりゃいいんだろうな。

キョン「こんな顔か?」

鏡に向かって両人差し指で無理やり笑顔を作ってみるも
あまりの醜態に思わず目を背けた。

202 名前:17-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:27:17.16 ID:54TmEdAN0

これはひどい。
どうやら俺には満面の笑みって奴は似合わないらしい。
微苦笑程度がちょうどいいのだ。

一応もう一度古泉にかけなおして確認してみるか。
俺が携帯に手を伸ばそうとしたところで再び着信音がなった。

なんだ、いい忘れたことでもあったのか古泉。
まぁちょうどいい。手間が省けたってもんだ。

キョン「もしもし、古泉か?」

鶴屋さん「ん~、残念っ! 期待を裏切ってもうしわけないっさっ。
      なんならかけ直すにょろ?」

着信の相手はなんと鶴屋さんであった。チラッとでも発信者を確認しておけばよかった。
まぁ何のためらいなく電話に出られたんだから良しとしよう。うん。

キョン「いえいえいえいえ、問題ないです、
    ていうか鶴屋さん、電話使えるようになったんですか」

鶴屋さん「ううん、いえでんいえでん。
      よかったよっ、着信拒否になってたらどーしようかと思ったさっ」

いえでんってのは固定電話ってことだろう。
とにかく鶴屋さんと連絡が取れてよかった。
鶴屋さんの口調はハキハキしている。雰囲気の重さは感じられない。

鶴屋さん「キョンくん、明日の夜は開いてるかいっ? 暇かいっ?」

203 名前:17-6[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:30:59.31 ID:54TmEdAN0

暇っちゃぁ暇ですね。調査をしているとき以外はほとんどすべて。
はい、全くと言っていいほど。悲しいくらいにえぇ、もうほんと。

鶴屋さん「あはは~っ、そっか~」

鶴屋さんにしては珍しく間延びした笑い方だった。
上機嫌というか語尾が上ずっているというか。

鶴屋さん「そいじゃぁその開いてる時間の一部をあたしと一緒に使ってみないっかな?
      あ、変なこと期待しちゃダメにょろよ。そーいうんじゃないからさっ」

変なこと。そーいうこと。俺の頭にもわもわと変なそーいうことが浮かび上がる。

鶴屋さん「そこっ! そーぞー禁止っ!」

電話の向こうでビシッと指を突き出しているかは知らないが
鶴屋さんは俺の考えを見透かし不埒と不躾をかますよりも先に牽制の一撃を放った。

俺は自分の尊厳と名誉の為に全力で否定する。想像ではありません。妄想です、と。

思えばこのぐらいの冗談を言い合える仲になったというのは
奇妙を通り越して奇跡的なことなんじゃぁないのか。
なんだか後が怖いな。

これ以上鶴屋さんと親しくなってもいいものだろうか。

俺は今更ながらにそんなことを考え始めていた。

鶴屋さんはどう思っているのだろう。ふいにそんなことが気になった。

204 名前:17-7[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:36:32.62 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「まったくしょうがない子だねキョンくんはっ。
      まぁいいにょろっ、若さ溢れるのはいいことっさね。
      ただそれを間違った方へ向けちゃだめにょろよっ!
      取り返しがつかなくなっちゃうかんねっ!」

間違った方向。取り返しがつかない。頭の片隅に引っかかる言葉だった。
それはよこしまな方向へってことなのか、それとも……。

キョン「それじゃぁ鶴屋さんの方に向けておきます」

思わずそんな言葉を口にしていた。電話の向こうから鶴屋さんの声が聞こえなくなる。
互いに一言も何も言わず、ただ時間だけが流れた。
時計の針がカチコチと時を刻む音に混じって何かが軋むような音が聞こえた。

それは電話の向こう側からだったのか。それとも俺の気のせいだったのか。

キョン「間違ってますかね」

鶴屋さんは何も答えなかった。ただ少しだけ息遣いが聞こえた。
息を殺すような、平静を装う為にするような息遣いが。

鶴屋さん「たっはは……年上をからかうのはよくないっさ……
      そいじゃぁ明日、また明日の夜にねっ。確かに約束したよっ!
      それじゃぁばいばいっ!」

一方的に切られた電話の向こうからは単調なリフレインが繰り返され続けていた。
否定も肯定もされなかった。

そして尋ねられなかったもう一つのフレーズが気に掛かる。

207 名前:17-8end[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:40:39.26 ID:54TmEdAN0

取り返しがつかない。


俺が間違った方向へと進もうとしているならそうなのだろう。

最初の質問にイエスと答えるかノーと答えるかで、解答は自然と導き出される。

たとえ誰が誰をどう思っていようと、どのような感情をいだいていようと、
感傷や情動を通り越した冷たい類推の先行きにそれはある。

一つの答えが別の答えを導き出す。

そんなことは推理の初歩中の初歩で、
いまだ名探偵のままである俺にもわかることだった。

だが正直言って、俺は迷い始めていた。

今のこのとき、この状況を。これ以上続けていいものか。

俺は迷っていた。

今このときを、どう過ごしたらいいものか。

俺は迷い続けていた。

心は風を失って暗い海の上をただただ、流されるままに。


漂っていた。

208 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:44:02.64 ID:54TmEdAN0

ぼちぼち十時前になりました。

次章が長めなのでどうしようか若干迷っています。
どちらにせよ十分ほど休憩をはさみたいので中断しますが、
十一時前には終わりそうだと見立てがついたら再開します。

それではまたノシ

209 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:48:04.69 ID:54TmEdAN0

確認したら章の構成上中断できない箇所だったので
本日の投稿は予定通りここまでにします、
お付き合いいただきありがとうございました。

昨日予定分を超過してしまっていたのでご了承ください。

それでは明日の七時半~時間を見て再開します。

また次回ノシ




213 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/14(日) 21:58:12.60 ID:54TmEdAN0

中断すると言っておいてほんっと申し訳ないんですが
分量的に予定を下回っていたので一節分再開します。

見通しが甘くてすいません、十一時前までには終わると思うので。
ほんとすいません。

214 名前:18-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:01:29.49 ID:54TmEdAN0

十一日目 不器用名探偵キョン


十一日目。午後二時半。
俺は約束の時間よりも早めに到着するよう余裕を見て出発した。

おかげで十分前には駅前に到着することができた。
古泉と朝比奈さんは既に到着していて古泉は俺を認めると手を振って挨拶した。

こんにちは、朝比奈さん。あとついでに古泉。

朝比奈さんは小さくお辞儀をして俺を迎える。
いつものように愛らしい朝比奈さん。
ただ八日目の中間報告の時にあった歯切れの悪さというか心労のようなものは
いまだ尾を引いているようだった。わずかではあるが表情が冴えなかった。

古泉の方はというと目元が若干どんよりとしている。
それでもいつものように微苦笑を絶やさない。

話口からはそれほど疲れているようには感じなかったが、
俺を見る視線にどこかよそよそしさが混じっているというか、
様子を伺われているような気がした。

古泉「では、立ち話もなんですから適当に近くの喫茶店へでも」

春休みに入ってから喫茶店かファミレスにばっか行っている気がする。
ま、他に特に行くこともないんだからな。
それに今日は鶴屋さんではなく古泉と朝比奈さんが話し相手だ。
そういう意味ではいつも通りってこともない。

216 名前:18-1[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:03:46.65 ID:54TmEdAN0

決して鶴屋さんとの会話に飽き始めたというわけではないのだが。
なんというか、七日目にあったことがやはり尾を引いている。

今ここでこうしていることに安心感を覚えていた。
そして同時に、夜の約束が俺を落ち着かなくさせるのだった。

席につく俺たち。
古泉と朝比奈さんは一応ドリンクを注文したのだが俺は何も頼まなかった。
なんとなく、今は金を使う気がしなかった。それだけのことだ。

古泉「鶴屋さんとの調査は順調ですか?」

キョン「ん、まぁな。それよりお前の方はどうなんだ。
    一応秘密結社の人間を調べるわけだから大変なんじゃないのか。
    内部調査みたいなもんだろうからな」

古泉は俺の言葉に微苦笑を返す。
ま、もともとハルヒは荒川さんや森さんのことを
影の組織の構成員だなんて思っていないんだからんなこと心配するまでもない、か。

古泉「えぇ……まぁ。ちょっと大変でしたね」

そう言うと居心地悪そうに姿勢を正した。

キョン「なんだ、ひょっとしてマジで調べてんのか?」

古泉「いえ、まぁ僕たちの話はとりあえず後回しにしましょう。いずれお話する時がくるでしょうから」

なんだ、含んだ言い方だな。まぁいいや。どうせ始業式の日に聞くことなんだからな。

218 名前:18-3[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:06:13.04 ID:54TmEdAN0

古泉「それで、鶴屋さんとの調査の方は……」

キョン「どう、っていうこともない。ただ、いろいろ収穫はあったけどな。
    お呼ばれしたり、お呼びしたり、及び個人情報などいろいろ目下調査中。
    及ばないところはあるかもしれんがな。
    ところで本日お呼び立てされた理由はなんなのでしょうか? 古泉さん」

鶴屋さんの話題を出されるとなんだか剣呑になっちまう。
胃の上というか心臓の少し下あたりに鈍い痛みのようなものを感じる。

落ち着かない。古泉の意図が読めないので余計に。

俺のトゲのある態度に困ったのか、
古泉は苦笑いするだけでそれ以上つっこんでは来なかった。

代わりに朝比奈さんが話し始める。

みくる「キョンくん、鶴屋さんは自分が調査対象になってるって……」

キョン「気づいてるみたいですよ。
    っていうか、最初っから気づいてたみたいです。
    まぁそのおかげで順調でして。
    最初の方は俺の方が質問責めにされて参っちまいましたが」

みくる「そう……」

本当に落ち着かない。もっと柔らかい言葉遣いをしたいのだがそんな余裕もない。
もう少しバカな話ができるかと思ったんだが。俺の神経も案外脆いもんだ。
なんでもないのに手元を動かしたくなる。

219 名前:18-4[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:09:03.16 ID:54TmEdAN0

キョン「まぁ、その。
    知り合いのことをあれこれ詮索するってのも居心地が悪いもんですね。
    鶴屋さんの方は結構楽しんでくれてるみたいですけど。俺の方はというと……」

楽しくなかったというと嘘になる。
むしろその楽しみのために居心地が悪かろうがからかわれようが構わないと思って
今日まで調査を続けてきた。もう調査なんだか遊び歩いてるんだかわからん状況だが。

キョン「……まぁなんとかやってますよ」

古泉はさっきから俺の内心を所作から推し量ろうとするように
視線を手元やら目線やら表情やら姿勢やらに向けてきている。

朝比奈さんはというと運ばれてきたドリンクに手もつけずに俺の顔色を伺っている。

含みがあることは明らかだった。
ただそれを今話す気はないらしい。
なるべく本題を振らずにこちらから情報を引き出そうとしているように思える。

それも俺の心情というか、感想というか。俺自身の内面の話を聞こうとしているようだ。

エピソードが聞きたいのであればもっと論理的で効率的な方法があるだろう。
厄介なことに、感情というのは出口のない迷路というか、
筋道を辿れば解答にたどり着くというわけでもない。

婉曲な言い回しになってしまうのも無理のないことのように思えた。

キョン「それで、結局何が聞きたいんだ、遠まわしに詮索するのはやめてくれ。
    俺は覚悟を決めたよ。努力する、なるべく率直に答えるってな」

220 名前:18-5[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:11:35.82 ID:54TmEdAN0

そう言って同時に降参のポーズを取る。
古泉は観察するように俺を見ることをやめ、朝比奈さんも俺を見る目が少し穏やかになった。

二人とも慣れないことはするもんじゃない。俺の機嫌を気にするようなことはやめてくれ。

古泉「すいません、でも今は本当にこちらから話せることはないんですよ。
    伝えるべき時が来たらこちらから伝えます。
    ただ今日は、あなたの精神状態がどうなっているのかを
    直接確認しておきたかったんです」

みくる「ごめんね、キョンくん……
    でもそんなに先のことじゃないから、今は待っていて欲しいんです」

今はまだ、か。そんなに先のことじゃないならまぁ、ここは納得しておこう。

場の風というかそういうのが整うまで待てってこったろう。
俺の知らないところで虎視眈々と高い役が作られているようで落ち着かんが。

キョン「解決編はおあずけか」

古泉「えぇ、そうですね。後編は次回のお楽しみということで」

冗談を言う元気が戻ってきたらしい。気に入らんが古泉は憎らしいくらいでちょうどいい。
ただあのエルキュール・一樹だけは我慢ならんが。

キョン「今度あのちょび髭をつけてきたら引っぺがして放り捨ててやるから覚悟しておけ」

これには古泉は苦笑する。それでもまぁ、さっきよりはマシな空気だった。
朝比奈さんもリラックスできたようでドリンクに口をつけ始めた。

221 名前:18-6[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:14:35.28 ID:54TmEdAN0

以降ほとんどは古泉の仮装がひどかったとか本物はもっと口が悪いとかいう話をして終わった。
ABC殺人がどうとか微妙に俺がわからない話を始めたときは聞いているだけだったが。

それから一時間ほど談笑していたがいい加減日も傾きかけてきたのでお開きになった。

朝比奈さんと古泉に別れを告げ、俺はその辺の本屋に寄って暇つぶしをする。
鶴屋さんの言っていた夜というのが一体何時ごろなのかはわからないが、
その時を自宅でのんびりくつろいで待つ気にはなれなかった。

普段はなかなか訪れないミステリーのコーナーへと足を向ける。
さっき古泉が話していたABC殺人というのが気になったからだ。

書籍は著者名順に並んでいてAの列から簡単に見つけることができた。
タイトル順に並んでるのかと思って何気なく見たら見事そこにあって笑ってしまった。
俺はThe A.B.C Murdersと書かれた文庫本を手に取った。

そのままどれほど立ち読みを続けていたことだろう。読み終えた時には外は暗くなっていた。

マナーモードにしていた携帯が振動し始めたので外に出て発信者を確認する。
鶴屋さん、かと思ったのだが090から始まらない固定電話の番号からだった。
おそらく鶴屋さんである。いえでん、って言ってたしな。俺は電話に出る。

鶴屋さん「やぁやぁキョンくんっ! お待たせ!
      今から出ようかと思うんだけど準備はできてっかな?」

キョン「えぇ、もちろん。実はもう近くの駅前にいるんですよ。
    本屋に寄ってましてね。先に行って待ってますよ。いつもの場所でいいんですよね」

鶴屋さん「んにゃっ、今日はいつものとことは違う場所に行きたいっさっ」

222 名前:18-7[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:17:48.16 ID:54TmEdAN0

鶴屋さんが行きたいという場所は丸鶴デパートだった。
なぜにわざわざ俺と連れ立って自分の家で経営しているデパートへ行こうというのか。

とはいえ今更駅前ですることもないので快く承諾しておいた。
丸鶴デパートか。今から出て到着時間はどっこいどっこいってところか。

俺は自転車を置き去りにしたまま電車を乗り継いで丸鶴デパートまで向かう。

デパートの正面の通りで待ち合わせることになっていた。
鶴屋さんの話では一方通行の車線を挟んで広場があるらしい。

到着した俺は自販機で飲み物を買って適当にくつろぎながら鶴屋さんを待った。
鶴屋さんは数分後にやってきた。

鶴屋さん「おっすっ!」

キョン「めっすっ」

鶴屋さん「キョンくん、その切り返しは古いよーっ。
      もうちょっと今風にしといた方がいいにょろっ!
      じゃないとおっちゃん臭いって思われるっさっ」

ダメ出しをされながら俺は適当に苦笑いを返す。
おっすに対する今風の切り返しを考えてみたのだがいまいち思いつかない。
俺の脳みそはもともと探偵向きではなかったらしい。固すぎるのだ。

「じゃぁお酢でも注げば柔らかくなるんでしょうかね」と
鶴屋さんに言った瞬間渋い顔をされてしまった。すんません、ほんとに。
ただその元となったネタがあったような気がしたのだがそれはついに思い出せなかった。

223 名前:18-8[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:20:50.67 ID:54TmEdAN0

キョン「そいで鶴屋さん、今日はどのようなご用件なのでしょう」

自分のバカな発言をごまかすように俺は今日呼び出された理由を尋ねる。
いつもの時間ではダメな理由も気にかかったがそれは胸の内にしまっておいた。

鶴屋さん「んーとね……あはは、
      なんか大げさな理由を期待してたんだったら悪いんだけどさっ。
      なんだか急に遊びたくなっちゃってねっ。
      今日は何も聞かずにあたしと一緒に遊んで欲しいっさっ」

鶴屋さんはそう言うと照れるように両手を後ろに回して笑った。
気恥しそうな、くすぐったそうな笑顔だった。

俺はそんな鶴屋さんの表情を見て安心感を覚えた。
やっぱり、この先輩には、鶴屋さんには笑顔が似合う。

笑っていない鶴屋さんは、鶴屋さんであって鶴屋さんでないような。
そんな居心地の悪さを感じさせる。

それだけに俺の目には一層、この人の笑顔がまぶしく輝いて映るのだった。

キョン「じゃあ今日は思いっきり遊びましょう。軍資金もほら、この通り持ってきました」

そう言って俺はポケットにつっこんであるうすっぺらい財布をぽんとはたく。
ま、内容はあんまり期待しないでいただきたい。

鶴屋さんは「重畳っ!」と元気一杯に高らかに言うと喜色満面の笑みを浮かべた。

鶴屋さん「そいじゃー、思いっきり遊ぶ準備はできてっかいっ若者よっ!」

224 名前:18-9[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:23:43.79 ID:54TmEdAN0

俺は目いっぱい力なく「おーっ」と言って見せる。
まぁそれでも納得したのか鶴屋さんは元気いっぱいに俺を先導していった。
俺の胸ぐらをつかんでぐいぐいと引っ張っていく。

何も胸ぐらなんかつかまなくてもいいものだが、袖とか、あと、手とか。
そっちの方でもいいんじゃないかなーと淡い期待を抱いたまま
俺は鶴屋さんに引きずられてデパートの中へと入ったのだった。

そして俺たちはその辺を思いっきりブラブラした。

鶴屋さんの足取りは軽く雑貨屋に入ってどーでもいい置物や
「差し押さえ」と書かれた貯金箱などを見て人目もはばからずに笑っていた。

そんな鶴屋さんを見ていると俺も自然を頬が緩んだ。
そしてどういうわけだかバニーだのメイドだののコスプレ衣装まで陳列してあって
俺が視線を逸らして居心地悪そうにしていることに気づいた鶴屋さんは
イタズラ心いっぱいに俺をからかってくる。

鶴屋さん「あれ~? キョンくん、こーいうの好きなんじゃぁないのかなーっ?
     そんなに視線を逸らさないでさ、ちゃんと見なよ?
     おねーさんは責めたりしないにょろっ」

俺のあご先をがっちりとつかむと細い体躯に似合わない猛烈なパワーで
俺を強引に振り向かせようとしてくる。

226 名前:18-10[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:27:27.52 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「うりうりどしたどしたっ、見たいのかい? 着せたいのかなっ?
      さて、誰に着て欲しいのかなっ?  白状するっさっ! うりうりうりうりっ」

鶴屋さんは無理やり俺の首に片腕を回して姿勢を下げさせると
眉間に拳でぐりぐり攻撃を始めた。地味に痛い、というかそれ以上に厄介なのが、
というか鶴屋さんは気づいていないようだったが思いっきり胸が顔の横にあたっていた、
というか押し付けられていた。

鶴屋さんが俺の眉間に拳をこすりつけるたびに
柔らかいような固いような感触が押し付けられて気が気でなかった。

そしてそのまま両腕バージョンへと移行していく。
背後に回って俺の側頭部をナックルでがっちりとホールドした鶴屋さんは
嬉しそうな笑い声を上げながら両腕をひねりこみ始める。

今度は後頭部に胸があたって夢心地、いやいや俺は激痛の中で悶絶していた。

背後の柔らかいやら固いやらの気持ちのいい感触と
鶴屋さんパワーによる激烈な攻勢の中でヘルアンド涅槃を味わいながら
微妙に俺のテンションも上がっていく。

キョン「だーっもう! いい加減にしてださい、こうなったら俺にも考えがありますからね!」

なんとかぐりぐり攻撃を振りほどいてほうほうの体で逃げ出した俺は鶴屋さんに向き直り言い放つ。

鶴屋さんはというと余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべながら横を向いて流し目をつくり
両腕を組んで権威を笠に着るような威圧感たっぷりの視線を俺に向ける。

嘲るような試すような作為的な笑みに変わるとあご先を突き上げながら言う。

227 名前:18-11[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:29:43.88 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「んーっ。どーするつもりにょろっ?
      まさか先輩に手をかけるなんて命知らずなことはぁしないよねっ?
      そんときは、さっきとは比べ物にならない地獄のようなお仕置きを覚悟しておくんだねっ!」

得意満面に俺を牽制した鶴屋さんはふんっと大きく鼻を鳴らした。
そしてそれはどこか嬉しそうでいて、普段の鶴屋さんの万倍も悪意に満ちていた。

小学生くらいの頃の鶴屋さんは案外こういう子供だったのかもしれない。
いたずら少女というかガキ大将というか、
土管の上で威張り散らしている鶴屋さんを一瞬想像して
笑ってしまいそうになるのをなんとかこらえた。

たしかにぐりぐり攻撃のような痛みを伴なうやり方でを報復するというのは不可能だった。
しかして俺には秘策があった。

俺は顔の正面で両腕を十字にクロスさせると
指先をわきわきわきわきと目いっぱい小刻みに動かした。

鶴屋さんの表情に焦りの色が浮かぶ。
嫌な予感というか悪い予感というか明らかな確信に満ちた不安感を浮かべ
一瞬たじろいだ鶴屋さんの隙を俺は見逃さなかった。

鶴屋さんの重心が定まらなくなったその一瞬が勝負だった。

俺は瞬時に鶴屋さんとの距離を詰めると慌てて逃げようとする鶴屋さんを
背後からがっちりとホールドして脇の下だの首筋だの横っ腹だのを
おもいっきりくすぐったりつかんだりして笑いのツボを刺激しまくった。

鶴屋さん「ちょっ! キョ、キョンくん、やめっ! にゃ、にゃは、にゃははははははははっ!」

228 名前:18-12[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:33:02.28 ID:54TmEdAN0

普段より2オクターブぐらい高い甲高い笑い声を上げながら
鶴屋さんは俺の腕の中で悶絶していた。

鶴屋さん「や、やめっ、ご、ごめんよ、ごめんっ、
      キョ、キョンくん、ゆるし、にゃはははははははははっ!」

案外笑い上戸なのだろうか。
極端なほど爆笑しながら鶴屋さんはくすぐったそうに身をよじるも
本気で振りほどこうとしているようには感じなかった。

鶴屋さんなら俺ぐらい簡単に振りほどくか投げ飛ばすかぐらいできそうなものだが、
なんというか意外なほど抵抗がなかった。

うーん、くすぐったがっているというより嬉しがっているように見えるのは気のせいだろうか。

いまいち仕返ししている感じがしないな。
とにもかくにも俺はそのままやり過ぎるくらいにやり過ぎたのだった。

ひとしきり笑い終えた鶴屋さんはへなへなとその場に崩れ落ちてそのまま座り込んだ。
振り乱した髪の毛は若干乱れてしまっている。

俺が引き起こすと手ぐしで髪を整えながら鶴屋さんはどこか申し訳なさそうに笑った。
これでお互い様だと思って欲しい。
そんな謝罪のような取り繕うような含みが込められていた。

疲れたように笑う鶴屋さんに不敵な笑みで返すと抗議の視線が突き刺さった。

怒るような責めるような視線に気圧されて俺はたじろいだ。
調子に乗るな、そんな非難の意味が込められていた。

229 名前:18-13[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:36:10.45 ID:54TmEdAN0

そんなことをしているとなんだか店員に睨まれたような気がしたので
俺たちはそそくさと雑貨屋を後にした。

調子に乗りすぎたのは俺だけではなく鶴屋さんも同罪だった。
同じくそう思ったのか鶴屋さんは
「やー、面目ないっさっ……」と笑って頭の後ろをかくと俺の袖を握って少しだけ引っ張った。

鶴屋さん「今度はあっちっ! 時計とかアクセサリーとか見てこーよっ、
      メガネなんかも見てると面白いにょろよっ」

そう言って一番初めに行き当たったメガネ屋に俺たちは入った。

鶴屋さんは俺に丸だの六角形だのザマスな奥様がつけるような
威圧的なメガネを取っ換え引っ換えかけさせるたびに爆笑していた。

鶴屋さん「に、似合わなさ過ぎだよキョンくんっ、おっかしー、あはははははっ!」

俺は鶴屋さんのおもちゃじゃないんですけど。なんだか妹と買い物に来ているような気分だった。

そんな風に兄妹か何かと思われたのか、それともこういう客はわりと居るものなのか
店員の対応はクールだった。つつーっと音もなく近寄ってきて、
どうですか、お似合いですよ、など心にもないことを言う。

似合ってたまるかこの野郎。

鶴屋さんが「今日は見てるだけさーっ」と言うと軽く会釈をした後颯爽と他の客へと応対し始めた。
そんな店員のメガネはザマスだった。俺と鶴屋さんは苦笑いしながらメガネ屋を後にした。
ふと振り返って見上げた店名には「臓腑」と書かれていた。
最低なネーミングセンスだなと思いながらも若干気持ちが和んだ。なぜだ。

230 名前:18-14[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:39:08.51 ID:54TmEdAN0

次いでアクセサリーショップに入ろうとしたのだが。
女の子女の子したエグみのある光沢と威圧感を振りまくキンキラキンの数々に
俺も鶴屋さんも若干どころかかなり引いてしまった。

照明は寒色系の中にピンクやらオレンジやらがところどころ混じっている。
明らかに人を不安にさせる色合いだった。

さすがにあれで俺をデコレーションしようという気はなくなったようで、
当初の野望をくじかれた鶴屋さんは悔しそうな苦笑いを浮かべていた。
鶴屋さんでさえたじろがせるのだからあそこには何かの結界が張ってあるに違いない。
きっとあの輝きが呪術的な効果を発揮しているのだろう。そんなことを思った。

アクセサリーは諦めて俺は袖引き少女と化した鶴屋さんに袖引かれながら
ブランドものの時計やら財布やらを扱っている店へと入った。
店の名前は「OKEY-DOKEY」といった。

キョン「おーきーどーけい? まぁ時計屋らしい名前ですよね」

そういって向き直ると鶴屋さんの俺を見る目がまん丸になっていた。
信じられないといった表情で探るように俺の目を見ている。

俺が「な、なんですか。なんかまずいこと言いましたか」と言うと
徐々にその頬が緩みうつむいて肩を小刻みに震わせると
それはだんだんと大きくなって一転爆笑に変わった。

鶴屋さん「キョ、キョンくん、も、もうだめっ、あはははははははははっ!」

そう言ってお腹をかかえてケラケラと笑い出す。
俺はわけがわからないながらもなんとか頭を使って考える。そして答えに思い至る。

231 名前:18-15[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:42:12.00 ID:54TmEdAN0

キョン「あ、なるほど、OK時計って読むんですね?
    俺が読み方を間違えたから鶴屋さんはそんなに笑って──」

そこまで言ったところで鶴屋さんの爆笑が激笑へと格上げされ
ばたばたと地団駄まで踏み始めた。どうやら本気で面白がっているようだ。

だめだ、わからん、なぜ俺がこんなに笑われているのか。
このままでは本当に残念な子になってしまう。俺は恥をしのんで鶴屋さんに尋ねた。

キョン「すいません、読めないです……読み方を教えて下さい……」

目尻にまだ涙を浮かべたまま激笑の余韻でふらついている鶴屋さんは
「どーしよっかなっ」と目元の涙をぬぐい
「このままにしておくのも面白いかもしんないしっ」と意地悪な笑みを浮かべた。

ニヤッと頬を吊り上げて八重歯をのぞかせながら。

なんともお似合いの、キュートな笑顔だった。
そう見えた自分は相当参ってるな、などと思いつつ素直に頭を下げて頼んだ。

キョン「教えてください大先輩さま、もう生意気なことを言いません、
    ですからどーか、どーかこの残念な後輩に知識を授けてやってください、お願いします」

低姿勢も過ぎれば鬱陶しいというもの。鶴屋さんは下げっぱなしの頭を
指先でつついて顔を上げさせるとそのまま俺の鼻先に指先をくっつけた。

鶴屋さん「しゅしょーだねっ、でもちょっとくどいにょろ。もっと爽やかに頼みなさいっ」

先輩口調というかお姉さん口調になりながら俺の鼻をぐにぐにと押しつぶす。

232 名前:18-16[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:44:46.06 ID:54TmEdAN0

鼻毛が飛び出てやしないかと気になった。

キョン「ふぁい。ふひはへん、へんはい」

俺がそう言うと鶴屋さんは鼻先から指を離して
出来の悪い子を見るような視線を向けてくる。

いい加減そういう扱いになれていた俺は居住まいを正しキリリと眉根を引き締めると
鶴屋さんの目をじっと正面から見すえる。

鶴屋さんは一瞬驚いたような見直したような期待の視線を向けてくる。
俺はそんな鶴屋さんから目を逸らさず真剣な表情を保ったまま言う。

キョン「わかりません」

盛大なため息が吐かれた。それはもう残念を通り越して無念といえる域だった。

無念な子。それが俺に付け加えられた新たなパーソナリティーだった。
主に鶴屋さんの中で。無念である。

鶴屋さん「キョンくんは、いい子だけど……」

そう言うと鶴屋さんは突然ハッとしたように表情になってごまかすように言葉尻を濁した。
ん、どうしたんだ。なんか違和感を感じる。なんだこれ、ん。

鶴屋さん「っ……ほんとにしょうがない子にょろねっ!」

そう言って腰に手を当て前傾になって顔の前に人差し指を突き立てて
お姉さんのポーズを取るとたしなめるように言った。

233 名前:18-17[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:47:00.36 ID:54TmEdAN0

どうやらOkey-Dokeyはオーキードゥーキーだかオーキードーキーと読んで
合点承知の助だか別に構わないでちゅよ~とか言う軽口言葉的なニュアンスらしい。

繰り返すのがミソ。リフレイン、覚えておこう。

そのまま店内に入る。幸いガラスで仕切られていたおかげで店員に嫌な顔はされなかった。

静かで穏やかな音楽が流れた店内だった。壁や床は木目調で雰囲気のいい洒落た店だ。

ところどころ壁掛け時計やら大きなのっぽの古時計だかが置かれていて目を引いた。

財布やブランドもののバッグなんかはそれほど多くなく店のショーケースに飾ってある分と
あと少し棚に置かれているだけでメインは腕時計や置き時計のようだった。

二人並んでいろいろ見て回っているとシックな店内の低い棚に一つだけ変わった時計があった。

なんというか、悪意満面というか気色悪い笑みを浮かべながらサスペンダーをつけた少年が
時計盤を抱えている。なんっかどっかで見たことがあるような気がするんだが思い出せない。

いかにもパチもんくさい雰囲気を漂わせながら目を引くそれにはなんと店のロゴが入っていた。
なんだ、本店謹製の品ですってか。ううっむ、趣味が悪い。
内装とは偉い違いだ。デザイナーは一片精神科にかかったほうがいいんじゃないのか。

値段は驚きの570円。……安っ! 安すぎるだろ。しかも税込かよ。
何かがどうかしてるんじゃないかほんとに。

そんな奇妙な置き時計を鶴屋さんはその場にかがんで興味深そうにしげしげと眺めている。

面白いですか、それ?

234 名前:18-18[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:49:09.16 ID:54TmEdAN0

思えば鶴屋さんは楽しいこと好きだしこういう奇妙なものには目を引かれるのかもしれない。

もし鶴屋さんの部屋にこの時計があったらそれはそれは残念なことだなあ、
とそんなことを考えているといつの間にか鶴屋さんは俺の方へ向き直っていた。

屈んだ姿勢は変えず、物欲しそうに俺を見上げてくる。
瞳はじっと俺の目から逸らさずねだるような、
頼みごとをする直前の期待と不安の入り交じった表情を浮かべて。

悪い予感がする。そしてそれは的中した。

鶴屋さん「キョンくん、これ、買ってほしいっさっ」

そう言って指さした。もちろんブランドものの腕時計を、
ではなくあの残念なデザインの置き時計を。

キョン「これ……欲しいんですか……?」

訝るような俺の視線になんだか困ったような恥ずかしいような笑みを浮かべて
申し訳なさそうに笑う鶴屋さん。首の後ろに手を回して謝るような格好をする。
ダメなら諦める、そんな意思が見て取れた。

ここまで遠慮されては俺も引き下がるわけにはいかなかった。
俺はおもむろに薄っぺらい財布を抜き出すと照明にかざすように持ち上げて購入の意を示す。

「おお~っ」と鶴屋さんの感嘆する声が聞こえる。

それは逆に「よくこんなもんを買うね!」というニュアンスのようにも聞こえた。
ていうか実際言っていた。

235 名前:18-19[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:52:03.83 ID:54TmEdAN0

キョン「いや、あなたが欲しいって言ったんでしょう鶴屋さんっ」

鶴屋さん「たははっ、めんごめんごっ!」

そう言って片手を顔の前に差し出してごめんなさいっのポーズを取る。

不覚にも可愛いと思った。
いかんいかん、正気に戻れ自分、ひっひっふーひっひっふー。

鶴屋さん「キョンくんはやさしいねっ、にゃははっ」

もとい扱い易い奴。それが俺。アンド貧乏。
しかし570円の置き時計をなぜに俺なんかにねだるのだろうか。

欲しければ自分で買えばいい、というのはさすがに無粋だが、
申し訳なさを押して俺に買って欲しい理由というのはなんだろう。

う~ん、考えないようにしよう。くすぐったくなってきた。
かゆい、かゆいぞ俺の身体の節々が。恥ずかしくなってきたぞ畜生っ。

鶴屋さん「よっ! っとっ」

そうして鶴屋さんはその場でジャンプして俺の手元から財布を掠め取ると
置き時計を手に取って颯爽とレジへと駆けていった。

236 名前:18-20[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:54:12.65 ID:54TmEdAN0

ちょっ! むごい! むごすぎますよ鶴屋さん!
せめて俺に買わせてくださいよ! 頼んますよ、ねぇ!

そんな俺の心の叫びをまったくもって意にも介さず無視を押し倒して
さっさと会計を済ませた鶴屋さんと嬉しそうに俺の方へと歩み寄ってきたのだった。

紙袋を抱えて楽しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねながら。

鶴屋さん「キョンくんっ、ありがとっさっ♪」

満面の笑み。ま、この笑顔が見られただけで良しとしよう。
鶴屋さんの笑顔を見ていると自然と頬が緩んだ。

額の横をかきながら俺はいつの間にか微笑んでいた。
鶴屋さんもそんな俺を見て嬉しそうにしてくれている。

なんだか、とても居心地がよかった。
あの縁側の日向で戯れていたときのような、そんな暖かさを胸の内に感じる。

また明日、また明日からもずっと。

こんな風に鶴屋さんと遊び歩くのもいいかもしれない。
もちろん用事やなんかは優先すればいい。

それでも時々、こういう風に会って遊んで楽しんで、笑い合えれば。そんな風に考えてしまう。
ここに来る前はあんなに気まずかったのに。今はもう心が羽のように軽かった。

鶴屋さんの笑顔が、俺をそんな気持ちにさせていた。
そうして時計屋を後にした俺たちはそろそろ休憩しようということになった。

237 名前:18-21[] 投稿日:2010/03/14(日) 22:56:52.57 ID:54TmEdAN0

喧騒を避けるように一旦デパートから出た俺たちは待ち合わせをした広場へと歩き出す。

広場から側道、細く街を貫くように続く並木通りを当てもなくさ迷い歩きながら
春の気持ちのいい夜風にさらされていると爽やかないい気分になった。

鶴屋さんもリラックスできたようで肩を伸ばして何度も屈伸する。

「ぷわっ」と大きく息を吐いた鶴屋さんは少し眠たそうだった。
昼間が昼間中元気な人だから案外夜は早いのかもしれない。

そう思うと今日は若干無理をしているようにも思えた。

そんなにまでして遊びたくなるっていうのはどういう心境だろう。
いまいち思い至ることができないままでいると時計台のある広場に出た。

それほど大きいわけではないが、いくつかベンチもある。休憩にはうってつけの場所だった。

ベンチに腰掛けて足を投げ出す鶴屋さん。俺もそれにならった。

置き時計をとなりに置いて再び伸びをする鶴屋さん。
あんまり足をブラブラさせているもんだからスカートがまくれ上がる。

すかさずしっかと掴んで直しておいた。鶴屋さんが責めるような視線を俺に向けてくる。
俺はなんでもなかったというように無視を決め込むと背もたれにもたれかかって天を仰いだ。

若干不満の色を残したまま、鶴屋さんも俺の真似をしてもたれかかった。
ただもたれかかったのは背もたれではなく俺にだったが。

手すりを足で蹴ってぐいぐいと背中を押し付けてくる。

239 名前:18-22[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:01:23.40 ID:54TmEdAN0

それでも俺が無視を決め込んでいるので腹が立ったのだろう。
手すりを蹴る音がだんだんと大きくなり押し付けられる背中の勢いもどんどん増していった。

さすがにこれ以上無視を決め込むことができなくなったので降参のポーズを取ると
鶴屋さんは嬉しそうに「なははっ」と笑った。自分の勝ち、そう言いたげだった。

足は手すりに乗っかったまま、背中を俺に預けて鶴屋さんはじっとしている。
鶴屋さんの重さを感じながらも視線は宙に置いたままで一度も目を合わさなかった。

不意にふとももに重さを感じる。
見下ろすと鶴屋さんが俺の太ももを枕がわりにしていた。
俺が鶴屋さんに膝枕をしている格好になる。
ちょ、鶴屋さん、そこは危険地帯ですよ、主に真ん中らへんが。

どいてくださいって。
俺がそう言うのも構わずに鶴屋さんは首を横にふったり寝返りをうったりして拒絶の意を示す。

こうなったらもうどうしようもない。せいぜい精神を集中して根気強くこらえるのみだ。
妹の裸でも想像してみるか。

いや、それで起き上がったらこれから生きていけないのでやめておいた。
われながら無難な判断である。

鶴屋さん「びみょーにやらかいねっ。ちゃんと鍛えてない証拠さっ。
      ダメにょろよ、そんなんじゃぁ大人になってから苦労するっさっ」

率直な感想とダメ出しをくらいながら言い返すこともできずに俺はうぐぐと押し黙った。
飛んできたサッカーボールもまともに蹴り返せない運動音痴な俺に
今から身体を鍛えろというのも無理な話であった。

240 名前:18-23[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:03:52.00 ID:54TmEdAN0

やっぱり鶴屋さんは運動神経のいい人が好きなんだろうか。

そういうことには精通している人である。
自分より強い男としか付き合わないとかそういうルールがあるんだろうか。

そりゃどんな格闘ラブコメの世界だ。俺は俺にダメ出しをあびせながら再び鶴屋さんの方を向く。

鶴屋さんは興味深そうに俺のことを見上げていた。
さっきから表情をコロコロ変えたり唸ったり首を捻ったりしていた俺である。
よっぽど面白かったのだろう。俺はいつの間にか鶴屋さんに観察されていた。

名探偵も落ちたものである。俺は既に探偵ではなく一介の観察対象と化していた。
推理小説に出てくるダメな使用人とか怯えるその辺の雑魚とかそんな感じである。

これではハードボイルドというよりソフトボイルドというかレアそのままって感じだった。
ところがどっこい、迂闊に食べると腹を壊すかもしれないぜ?
腐ってるかもしれないからなぁ。だっはっは。ふぅ……。

そんな半熟以前に割られてさえいない俺の殻を突き破るように鶴屋さんが言う。

鶴屋さん「ねぇ、キョンくんっ」

キョン「……なんすか、先輩」

鶴屋さん「あたしたちの違いって、なにかなっ?」

不意に予期せぬ質問をあびせられて俺は戸惑ってしまった。
俺と鶴屋さんの違い? そんなもん全部である。
と、答えるには鶴屋さんの目は真剣そのものだった。

241 名前:18-24[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:06:11.85 ID:54TmEdAN0

ふざけた答えを返そうものなら一生縁切りを食らいそうな、
そういう真面目な雰囲気だった。そのぐらいの空気は俺にも読めた。

というか俺にわかるぐらいに鶴屋さんが念を押していたと言える。
俺が逃げ出さないように、退路を塞ぐように。真剣に俺と向きあって。

答えを引き出そうとしていた。
俺は考えを巡らせる。どう答えればいいのだろう。

探偵のような駆け引きは、俺にはやはり不向きだった。

キョン「……先輩と、後輩……」

あまりにありきたりな答えになってしまう。
これでよかったのかとしどろもどろになるのを隠せない。

そんな俺にも構わずに鶴屋さんはなおも質問を続ける。

鶴屋さん「……他にはっ?」

欲しい答えが出るまで続ける。そんな強い意思が感じ取れた。
俺は素直に答えて行く。
一回一回、考えを巡らせながら。

キョン「……一般人と、地元の名家のお嬢様」

鶴屋さん「他にはっ?」

キョン「頭のキレる助手と、てんでダメな名探偵」

242 名前:18-25[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:08:20.25 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「……他には?」

キョン「SOS団員その一と、名誉顧問でメインスポンサー」

鶴屋さん「他には……?」

キョン「……冴えない一般人と、美人で頼りになる大先輩」

それ以上は聞かれなかった。どうやら質問はもうお終いのようだ。

鶴屋さんは黙って俺から視線を逸らすとずっと宙を眺めていた。
さきほどの俺の言葉を反芻するように、目を閉じたり、開いたりしながら。

胸の内に刻み込むように。

質問の答え。
それはそのまま俺が鶴屋さんをどう思っているかに通じる。
俺の自分自身に対する評価に比べて、鶴屋さんのそれはあまりにもかけ離れていた。

かけ離れ過ぎていたのかもしれない。
どこか失望したように俺を一瞥すると、鶴屋さんは俺の膝上から頭を起こした。

鶴屋さんの重さがなくなった俺のふとももはどこか気が抜けたように軽かった。
誰か一人分の重さが足りない。そう思えた。

鶴屋さん「そうだよね……うんっ、キョンくん、ありがとっさ!」

そう言って笑みを浮かべた鶴屋さんはいつも通りなようでいて、
いつもとどこか違っていた。

243 名前:18-26[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:10:52.34 ID:54TmEdAN0

どこか寂しそうな、影を背負っているように見えたのは
単に夜闇の暗がりのせいだけではないように見えた。それは考えすぎなのだろうか。

質問の答えは本当にあれで良かったんだろうか。
ただ、一所懸命に答えたことだけは確かだ。悔いは……ないと思いたい。
それがいくら後から湧いて出てきても、今更どうすることもできないのだから。

鶴屋さん「じゃっ、そろそろ帰ろっかっ。
      寒くなってきたし、あんまり遅くなるのも考えものだからねっ」

そうしてはにかむように笑う。

鶴屋さん「不純異性こーゆーに間違えられて補導されるかもしれないっからねっ」

間違えられて。間違えて。間違い、か。

またこの言葉が気に掛かるのか俺は。果たしてそれは間違いなんだろうか。

今ここでこうしていることは、間違いだらけなのだろうか。

俺は最初から間違えているのだろうか。矛盾を孕んだこの状況を受け入れていることに。

このまま鶴屋さんを返してしまってもいいんだろうか。不意にそんな考えが浮かんでくる。

引き止める理由もない。権利もない。それほど確たる意思もない。
そんな俺に、言えたことなのだろうか。

そんな逡巡の中で行ったり来たりを繰り返していると、
不意に鶴屋さんが俺の指先を握ってきた。

245 名前:18-27[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:13:05.30 ID:54TmEdAN0

人差し指の爪より上の先だけを、少しだけつまむように。
ただ触れるように。乗せるように。

鶴屋さんはうつむいていて表情をうかがい知ることはできない。
いつもの鶴屋さんではない、それだけはたしかだった。

明るく笑いかけてくれて、楽しいことに猪突猛進して、
外からはやし立てて盛り上げる、そんな鶴屋さんではなかった。

おれはどうすることもできずにただ身動きが取れないでいた。

その手を払うことも、握り返すこともはばかられた。
どうすることもできないまま時間だけが流れて行く。

焦りを感じ始めたとき、鶴屋さんがポツリとつぶやいた。

鶴屋さん「もう少しだけこうさせて欲しいっさ……」

その指先はかすかに震えていた。言葉に淀みはなく、流れるようだった。
落ち着き払っているとさえ言えた。

にも関わらず、その指先は力なく震えていた。
悲しむように、悔しがるように、凍えるように。
冷たい指先と指先の間にだけ、ほんのわずかなぬくもりがともった。

どれだけそうしていただろう。
やがて自分から顔を上げた鶴屋さんは、いつものハッキリとした表情をしていた。
そのまま小首をかしげて俺に微笑みかけてくれる。
俺はほっとして心の中で胸をなでおろす。

246 名前:18-28[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:15:16.14 ID:54TmEdAN0

鶴屋さん「それじゃっ、帰りはタクシーで帰っからさっ、
      乗り場まで送って欲しいにょろ。頼んでもいっかなっ?
      ねぇ……────っ」

最後の言葉は聞き取れなかった。
聞こえなかったのではなく鶴屋さんがわざと声に出さなかったからだ。

唇を読まれないように、口元を隠すように一瞬だけうつむきながら、
それでも確かに何事かをつぶやいていた。

ただなんとなく、なんとなくだが。俺の名前が呼ばれたような気がした。

くるりと反転、振り返り。鶴屋さんは両手を後ろに組んだまま歩き始める。
俺は置いていかれないように駆け寄って鶴屋さんの隣に並んだ。
会話は一切なく、互いに無言のまま歩を進めた。

元来た道、並木通りを遠ってデパートの近くにあるタクシー乗り場へとたどり着いた。

後部座席が開き乗り込む寸前、くるりと振り返り鶴屋さんは言う。

鶴屋さん「また、明日っ。絶対にっ!」

元気よく片手を突き上げながら、
度々繰り返されるその一言を笑みを絶やさぬそのままに。
俺に言い聞かせるように。小さな子供に言い聞かせるように。

タクシーは走り去っていく。
鶴屋さんを乗せて、他の様々な感情や感傷をこの場に残したままで。
俺を一人残したままで。

247 名前:18-29[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:17:51.49 ID:54TmEdAN0

春休みの間中、リフレインされ続けたフレーズが頭の中で耳鳴りのように響いていた。

銘が打たれたように消えないそれは俺に下された指令文のようだった。
あるいは怪盗が残した秘密の暗号文か。
いつかそれを解き明かして手放す日がやって来るんだろうか。
解決編を望まぬ探偵など聞いたこともなかったが、結局のところ、

既に名探偵をやっていることに嫌気がさしていた俺にとって
それは永遠に訪れなくてもかまわないものだった。

繰り返す日々、リフレインされるフレーズ。そのままで何がいけないんだ?
このままで何が問題なんだ? 今このまま、これ以上でもこれ以下でもない。

ただ今のこのままで、事件編を繰り返し続けることに何の問題があるんだ。
俺は思考のラビリンスの中でさ迷っていた。
そしてさ迷っているのはもはや探偵ではない俺だった。俺はただの迷い人でしかなかった。

俺の思考の堂々巡りを打ち破るように携帯の着信音が鳴った。
発信者を見ると古泉だった。

嫌な予感。ざわつく胸の内。俺の予感はどうして悪い方にばかり当たってしまうのだろう。
良いと思うこと、起きて欲しいと思ったことや淡い期待は未だ叶えられていない。

それでもまだ俺にはすることがあるのだと、自分で自分に言い聞かせながら。
俺は電話に出たのだった。

望まぬ解決編が訪れる。

そんな確信に苛まれながら。

157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/03/14(日) 13:08:07.43 ID:swlIifrq0
前回の>>1のちゅるやさんが出てくる所で2回泣いた。
あしゃくらでまた2回泣いた。
最高だったありがとう>>1

248 名前:都留屋シン[] 投稿日:2010/03/14(日) 23:22:26.60 ID:54TmEdAN0

以上で本日分は終了になります。
長い時間お疲れ様でした。
また明日、できれば七時半から始めたいと思います。


それではまたノシ




以下できなかったレス

>>157
なんかもう散々ひどい扱いにしてしまってすいませんでした。
書いてる自分もマジ凹みしてたんで勘弁してやってください


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