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澪「あのさ律、実は規制がとけたんだ」

1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 16:44:07.96 ID:/hPSaB89O [1/76]

「ん? ……」

 振り返り、ちょっと不思議そうな顔をしてから、律はリモコンのボタンを押した。

 エアコンから暖かな空気が流れ始めたのを確認して、ぞんざいにリモコンを置く。

 その間、私の心臓は緊張に堪えかねて、バクバクと跳ねまわっていた。

「で、なんだって?」

 聞こえていなかったのか、律は至っていつも通りのやわらいだ顔で私を眺める。

「ああ、あ、あのさ、う、うん」

 さっきはするりと喉を通った言葉が、どうしてかせき止められてしまう。

 こんな報告のひとつもろくにできないでどうする、秋山澪。私は拳を握りしめた。

「……まあ、座ってろって。いま飲み物持ってくるからさ」

「あっ……」

 しかし私のその姿は、律の眼には無理をしているように映ったのだろう。

 律は私の脇をすり抜けて、階下へ降りていってしまった。

3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 16:50:20.08 ID:/hPSaB89O

 言われるままに、私は卓の前に尻を着く。

 ちらりと横を見やると、起き抜けのままなのか、布団の乱れた律のベッドがあった。

「……」

 落ち着け、私。

 胸のすきまを押さえ、心音を感じる。

 これはひどい。破裂しそうなほど高鳴っていた。

 それでも、これは言わなければいけないことだ。

 このまま隠し通していていいことではない。

 それに、律はこういうことに関しては鋭いのだ。黙っていたっていつかはバレる。

 だったら、私から伝えたい。そして、律のびっくりした顔を拝んでやるのだ。

 かちゃり、と背後からドアの開く音。

 私は、長く細く息を吐いた。


4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 16:54:11.49 ID:/hPSaB89O

「ミックスジュースはおいしいねぇ~」

「たとえ世界はくされてもぉ~」

 上機嫌で奇妙な歌を口ずさみながら、律は卓の上にグラスを二つ置いた。

 ファミリーレストランのウェイトレスよろしく、腕に抱えた盆には大きめのペットボトルが2つ。

 パイナップルと、桃のジュースが1本ずつ。いずれも果汁100%だ。

「なんだよ、その歌……」

「パイナップルと桃、どっちがいい?」

 私は喉の奥が震えるのを感じた。

 せっかくツッコミを入れてやったのに、律がスルーをするなんて。

「桃、かな」

「おっけー」

 私の恐怖を知ってか知らずか、律はクリーム色のジュースをグラスに注ぐ。

 それはなみなみと、溢れそうなほどに。


7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:00:06.30 ID:/hPSaB89O

「おっとと」

 律はあわててペットボトルを立てたが、ほんの一滴だけ、グラスの縁から垂れてしまった。

 もったいないな。

 瞬時にそう感じた私はグラスの側面に唇をつけると、ジュースのしずくを吸った。

「んふ」

 頬を押さえると、律がくすりと笑った。

「いやしんぼさん」

 そのいたずらっぽい笑顔に、またしても心がざわめく。

「律!」

 動転した私は拳を振り上げて、怒りを表現してみた。


8 名前:>>5 イエス[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:05:11.76 ID:/hPSaB89O

 いつもだったら律は、ここでもう一回ふざけた態度をとる。

 「きゃー、澪大魔王さまが降臨なすったでー!!」とか、とにかく私をからかってくる。

 そしたら私が「誰が大魔王だ!」とか言って拳骨をくらわせる。

 ここまでが御約束だ。

「ははっ、まぁまぁ」

 けれど律は屈託なく笑うと、もう一つのグラスにもジュースを注いで腰を落ち着けてしまった。

 対面に座った律は頬杖をつき、じっと私の顔を見つめてくる。

「……みーお」

 鈍重に、律が私の名を呼んだ。

 ゆっくりとした唇の動きに、私の目が吸い寄せられる。

「なんか話があるんじゃないのか?」

 言われてはっとした。そういえば、それで私は律の家に来ているのだった。


9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:10:09.44 ID:/hPSaB89O

 ごくりと喉が鳴った。

 無意識に唾を飲み込む。ほんの僅かばかり、桃の甘い匂いが鼻腔をかすめた。

「えっと」

 言おう。素直に言うんだ。

 規制がとけたのだと、切りださなくては。

「実はっ、私……」

 律の目を見つめ返す。

 やさしい微笑だった。

 きっと、私がなにか悩みごとを抱えているんだと思っているんだろう。

 確かにそれは間違いではないけれど、律の想像しているであろうこととはまったく別だ。


10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:15:03.74 ID:/hPSaB89O

 律のさやかな笑顔。

 私の次の言葉が、それを汚してしまうかもしれない。 

「きっ」

 喉が詰まった。

 その一瞬の隙に、嘘が滑り出る。

「昨日、出版社の人から電話があってさ」

「出版社?」

「うん。実は私、小説を書いてて……ちょっと前に、とある出版社の新人賞に応募してみたんだ」

 律の表情は、驚いているのかそれとも勘繰っているのか、判別がつかなかった。

 確かに今まで、私のこの趣味を律に話したことはない。

 かといって、まるきり全てが嘘でもない。だからこそ、嘘はさらに繋がっていった。

「それで、昨日の電話で……選考には漏れたんだけど、私の小説を良いって言ってくれる人がいて」

「……出版してみないかって、話をもらったんだ」


11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:20:01.15 ID:/hPSaB89O

「それって、すごいことなんじゃないのか……?」

 律が黒目を右に左にやりながら、らしくない声で言う。

「……ああ」

 私はなみなみと注がれたグラスのふちに唇をつける。

 グラスを動かすとこぼれてしまいそうだったので、そのまま息を吸うようにすすった。

 桃の甘ったるさが、味覚と嗅覚を撫でる。

 過剰な甘さゆえか、喉を通る感覚はどこか刺激的でもあった。

「……けど」

 ジュースが唾液と混ざって粘っこく残り、口の中が重くなる。

「けど?」

「……なんていうか、それって私の書いたものが世に出るわけだろ?」

「まあ、そうだな」

 律はこの後私の言うことがわかったらしく、少し楽しげに相槌を打った。


12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:25:16.79 ID:/hPSaB89O

「いろんな人に読まれるわけだろ? お金を払わせてまで」

「そうなるな」

 律の嬉しそうな笑顔を見つめ、私は顔を赤くさせた。

 そして息をふっと吸い、声を張る。

「恥ずかしいよっ!」

 両肩から背中にかけて力を込め、ぶるぶると体を震わせた。

 気持ちの悪いくらいに、いつもらしい私だった。

「あのなぁ」

 ため息交じりに律が言う。

「じゃあ何で賞に応募しちゃったんだよ」

「こんな話が来ると思わなかったんだぁ!」

「おねがい律、代わって!」

「代われるかぁ! そもそも何を代わるんですか!」


14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:30:01.55 ID:/hPSaB89O

――――

「とにかく、その話は受けてみた方がいいって」

 私とひとしきりじゃれあった後、律は咳払いをしてそう言った。

「でもぉ……」

「大丈夫だって。誰も澪を悪く言ったりしないよ」

「よく分かんないけど、出版社の人が良いって言ってくれたんだろ?」

 律は親指を立てた。

 実際にはそんな困った状況にはないのだけれど、私はその姿に頼もしさと安堵を感じていた。

「ていうかさ、一回それ見せてくれよ」

 即興書きの台本通りに、律が言う。 

「えっ!? そ、それはヤダ!」

 用意していた台詞を返す。少し、反応するのが早すぎたかもしれない。


15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:35:01.88 ID:/hPSaB89O

「いいから見せてみろって。この文学少女りっちゃんが正直な感想を述べてやる」

 私の心配にもかかわらず、律は眼鏡を上げるような仕草をして、やはりニヤニヤ笑みを浮かべている。

「……そんなぁ、律ぅ」

「こういうのは慣れだって。色んな人に見せてみて、感想聞いて、それでも恥ずかしくならないようにすんの」

 暫時、考え込むそぶり。

 律が次の言葉で追いこんでくる前に、私は口を開いた。

「わかった。それじゃあ……」

 これで、嘘は終わりだろうか。

 それとも、まだ続けてしまうのだろうか。

 私はカバンのチャックを開き、A4のコピー用紙の束を取り出した。

「見てくれ」


16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:40:20.77 ID:/hPSaB89O

「……マジで?」

 思っていた以上のボリュームなのだろうか。律は目に見えて狼狽した。

 もとより律は小説を読むことが少ない。

 本棚にも、著名な作家の小説が数冊あるだけだ。それも大体、私が薦めた本である。

「でも、1ページに書いてある分量はそう多くないはずだから……」

「まあ、そうかもしんないけど……」

 律はあからさまにため息を吐いた。

「じゃあ、時間かかるだろうから今日はもう……」

「帰らないよ」

 場に出かかった提案を、私は即座に却下した。

「……いや、けど」

「見ていたいんだ」


17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:45:00.33 ID:/hPSaB89O

「私の書いたお話で、律がどんな顔をするのか……見ていたい」

「場面場面でどんな想いを抱いたか、リアルタイムで聞いていたい」

 力のこもった私の言葉。

 演技ではない素直な言葉なのに、喉は詰まらなかった。

「そ、そっか……ならしょうがないか」

 照れ臭そうに、律は後ろ髪を撫でた。

 卓の上に私の書いた物語を置く。律の表情が強張った。

 私の顔も緊張に歪んでいたと思う。

 律がページの角に細い指をかけた。


18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:51:00.97 ID:/hPSaB89O



 澪「明晰夢」





19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 17:55:00.99 ID:/hPSaB89O

 今年の冬は、例年より早く冷え込みだした。

 おデコに吹きつける寒風が、氷のように冷たい砂礫をぶつけてくる。

 私は昨日の雪が残る道を歩きながら、首に巻いた白いマフラーを鼻の下まで持ち上げた。

「寒いなぁ、澪」

 隣で雪を踏んでいる澪に話しかける。この雪の量だとまた、いつかのようにすっ転ぶかもしれない。

「でも、昼には10度くらいまで上がるらしいぞ」

「うちはいつから極寒の地になったんだよ~」

「十分あったかいだろ。ほんと、律は寒がりだな」

 いつもの会話。冬が来るたび、毎年やっているような気がする。

「鼻、赤くなってるぞ」

「うるへー」

 悪態をつきつつ、私はふと思う。

 来年の、今日みたいに冷えた朝にも、澪と同じ会話をして登校できるだろうか。


20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:00:06.76 ID:/hPSaB89O

 12月に入ったばかりの町並みは、街路樹もほとんど葉を落としてどこか寂しげだ。

 学校への道を淡々と歩きながら、私は最後の一枚が落ちるのを見届ける。

「律、勉強はどうだ?」

「カスだな」

「私のセリフをとるなよ」

「……今の、けっこう酷いぞ?」

 軽く笑うと、目の前に白い霧が広がった。

 澪の口元からも、白く小さく吐息が漏れていた。

「でも律、本番まであと2ヶ月ちょっとなんだぞ」

「世の中には一週間の勉強で東大に受かった人間もいるらしい」

「そりゃあ、いるかもしれないけどさ……」

 呆れたようなため息。くどくどと説教されるよりも、ずっと堪えた。


21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:05:11.56 ID:/hPSaB89O

「わかってるって。私は凡才なんだろ?」

「凡才っていうか……いや、まあそうか」

 私に平凡ならざる才能があれば、一週間で東大、なんて話もあるだろう。

 だけれど、もちろん私はそんな学才を持ち合わせてなどいない。

 子供のころから実直に勉強をしている澪と同じ高校に来ていることを考えれば、

 多少は出来る方なのかもしれないけれど。

 今回澪につけられた差は大きすぎる。受験勉強を始めて、身にしみた。

「15年」

 私は呟く。

「ん?」

「15年間、澪は秀才として、私はバカとして生きてきたけど」

「高校は結局同じところに行ったよな」

「そうだな。あの時の律の末脚はすごかった」


22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:11:09.02 ID:/hPSaB89O

「それで、今回は3年間だけだろ」

「あぁ」

「おかしくないか? ……どうして追いつけないんだよ」

 いつの間にか、肩が震えていた。ようやく寒さに体が慣れてきたところだというのに。

「そうか? 律もだいぶ差を詰めてきたと思うけど」

 澪の言っていることは、あながちお世辞でもない。

 受験勉強を始める前の成績を思い出せば、私は澪のレベルにだんだん迫って来ている。

「ははっ」

 でもそれは、私が急速に伸びているからじゃない。

 澪が伸び悩んでいるから、少しずつ私が近づいてしまっているだけだ。

「まあ、そろそろ本腰入れますよ……」

 強張った背中を伸ばし、私は何度目になるやら分からない言葉を空に投げた。


23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:15:08.93 ID:/hPSaB89O

 放課後の音楽準備室には、既に西日が射してきていた。

「日が暮れるのも早くなったねぇ」

 しみじみとティーカップを口元に掲げる姿は、まったくいつもの唯だ。

「そうですね……」

 対して梓は、どこか歯切れが悪いように見えた。

「……」

 ムギは目もくれず、勉強に腐心している。

 ムギに限って言えば、私たちが一緒に目指すN女子大なら、とうに模試でA判定をもらっている。

 私には、そこまで登り詰めてなお頑張れる理由がわからなかった。

「律、聞いてるのか?」

「エックスは53だ」

「それはお前の偏差値だろ」

「ありゃ」


24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:20:07.83 ID:/hPSaB89O

 日がすっかり落ちるまで、私たちは勉強に勤しんだ。

 未だに新しく覚えることが多い。世間の受験生はもう反復の段階に入っているらしい。

 そう聞くと、焦りを感じないでもない。

「……」

 梓は「ふでペン~ボールペン~」を、小さな音で一人練習していた。

 そのイントロはどこか切なげで、ソファに腰かけた矮躯によく似合っている気がした。

 夏合宿の夜、唯と二人で練習したフレーズらしい。

 子供のような梓の背中を見ながら、私は梓の心中を察する。

 その時、急に梓が振り返った。

「……なんですか、律先輩?」

「いんや?」

 私はずいぶんとへたくそに笑顔を作った。


25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:25:18.30 ID:/hPSaB89O

「ぷふーっ」

 時計が6時を指したところで、火山が溶岩を噴き上げるがごとく、唯が肺にたまった空気を吐きだした。

「もう限界だっ! ザッツイット!」

 参考書類をバタバタと閉じ、カバンに投げ込んでいく。

「そうだな。あんまり暗くなるといけないし」

「そろそろお終いかしらね」

 澪もムギも勉強を切り上げて、伸びをした。

 もっとも、唯がしびれを切らした以上、勉強を続行することは不可能なのだが。

「帰ってもちゃんと勉強しろよ?」

 私は自戒の意味も込めて、唯を小突いた。

 だが、唯はぺろりと舌を出していじらしい笑みを浮かべた。

「やだなぁ、当たり前じゃん」

 私が唯に敗北した日だった。


26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:30:05.94 ID:/hPSaB89O

 その夜、夕食を食べ終えてから私は憂ちゃんに電話をかけた。

 コール音を聞きながら、一体何をこんなことに拘ってるのやら、と自省する。

 唯が勉強しているというなら、それでいいじゃないか。

『もしもし、律さん?』

 考えているうちに、憂ちゃんが電話に出た。

「やっほ、憂ちゃん」

『どうされたんですか? 律さんから電話なんて』

「いや、ちょっと唯がいま何してるか気になってさ」

 私は正直に答えた。

 そもそも自分の気持ちがどうなっているかも分からないのに、嘘も正直もないだろうけど。


27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:35:12.01 ID:/hPSaB89O

『お姉ちゃんですか?』

「あ、うん」

 ちょっとだけ、憂ちゃんの声が尖ったように感じた。

 それもそうだろう。こんな用件なら、唯に直接電話すればいい。

『えーと、お姉ちゃんは今……部屋で勉強してるはずですけど』

「様子を見てくれないか?」

『ええ、いいですよ』

 スリッパを履いた、パタパタという足音がした。

 平沢家では、唯の体質ゆえにエアコンが使えない。

 寒い時期になると、素足や靴下では床が冷たすぎるのだろう。

 相変わらず、憂ちゃんも苦労させられていると思う。

 何となく、私は安堵していた。


28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:40:08.37 ID:/hPSaB89O

『でも、どうしてですか?』

 足音のリズムが変調する。階段を上りはじめたのだとわかった。

「いや、なんか……分からないんだけど、気になる」

 はぐらかすような私の言葉。しかし、感情が定まらないのも事実だった。

『ふうん……』

 憂ちゃんは興味なさげに鼻を鳴らした。同時、足音が止む。

『お姉ちゃん、入るよ?』

 ドアノブが捻られた。蝶番が軽く軋む。

『……』

 か細い声が電話口に届いた。

『ごめんなさいっ!』

 憂ちゃんの悲鳴と、勢いよくドアが閉められる音が、ほぼ同時に鼓膜を震わせた。

 うん、だいたいわかった。


29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:45:11.39 ID:/hPSaB89O

『どどど、どうしよう、りっちゃん!!』

「落ち着こうか憂ちゃん。敬語とれてるよ」

 この慌てようから察するに、憂ちゃんのほうも初めて見てしまったのだろう。

 私もする時はきちんと警戒するから、弟に見られたことはない。

 同じ家で暮らしていても、こういう事件は意外と起こらないものだ。

『お、おお姉ちゃんがオナ、オナッ』

『コルクボードからですね、写真が一枚、画鋲だけになってて』

 これ以上余計なことを聞いてしまわないうちに、私は電話を切った。

 邪魔してごめん、唯。力になれなくてごめん、憂ちゃん。

 カバンから英単語帳を引っ張りだすと、無心に単語の羅列を見つめ続ける。

「……コルクボードの写真が?」

 しかし、名詞のページまで来たところで、私の思考はまたその事に引き戻された。


30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 18:50:13.33 ID:/hPSaB89O

 ドアが開いてから閉じられるまで、5秒ほどあった。

 私だったら、かくも異常な状況下で5秒のうちにコルクボードを確認できるだろうか。

「いやいや、論点はそこじゃないだろ」

 問題は、憂ちゃん曰くコルクボードから写真が一枚消えていたことだ。

 「画鋲だけになってて」とは、恐らく写真のあった場所に画鋲が刺してあったという意味だろう。

 唯はあれでいて、ものの整理はきちんとしている。

 写真をアルバムにしまったとすれば、画鋲はコルクボードの隅に追いやられるはずだ。

 同じ場所に画鋲を残しておいたのは、すぐまた写真を飾りなおすつもりでいたから。

 要するに、写真を手にとってじっと見つめる必要があった。

 その必要性が生じる場合となると、二つしかない。

 思い出に浸るか、オナニーに使うかだ。


32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:13:54.65 ID:/hPSaB89O

 思い出に浸っていたら、オナニーと見間違われた。そんな状況は想像つかない。

 何より、唯をずいぶん神格化している憂ちゃんが「姉がオナニーをしている」と判断をつけたのだ。

 思うに唯は、相当あられもない姿で耽っていらっしゃったのであろう。おいたわしや。

 さて「唯はコルクボードに貼っていた写真でオナニーをしていた」。これが証明できたところで次の命題だ。

 写真に写っていた人間は誰か?

 1年の春、唯の家で勉強会をした時には、コルクボードには中学時代の写真が多かった。

 中には男子と写っている写真もあり、唯はこの男の子が好きだったのかな、と想像を巡らせもした。

 しかし次に唯の家に来た頃には、ほとんどが軽音部で撮った写真に貼り替えられていた。

 夏フェス前には、中学時代の唯の写真はどこにもなくなっていた。

 必死に記憶の糸を手繰る。コルクボードに貼られた写真の面子を、一人一人思い出していく。

 唯、澪、私、ムギ、梓、和、憂ちゃん、さわちゃん。

 自分自身ということはないだろうから、候補は7人。


33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:17:40.61 ID:/hPSaB89O

「唯の好きな奴か……うーん」

 なんとなく、憂ちゃんは違うような気がする。

 唯の憂ちゃんに対する接し方を見ていても、そこに恋愛というものは感じられない。 

 あと、妹でするとしたら、写真よりもっといいものがあるはずだ。

 それから、さわちゃんには感謝こそすれ、恋愛感情はやはり見えない。

 写真に写っている枚数も、そう多くない。

 候補は5人に絞られた。

 その内に私も含まれているというのが、ちょっと怖いところではある。

 しかし、私の思考は留まるどころか、どんどん暴走を進めていった。

 この中で唯が特に好んでいる人間というと、やはり梓だろう。

 他は甲乙つけがたい、といった感じだ。


35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:21:10.88 ID:/hPSaB89O

 脈絡なく抱きついたり、専用の「あずにゃん」というあだ名で呼んだり、

 せっかくの僥倖だった部費を梓のために使ってあげたり。

 そうと考えてみれば、あまりに怪しい。

 梓かもしれない。

 そう思った矢先、私の頭の中に赤いアンダーリムの眼鏡が飛来した。

「そうか、それも有り得るな……」

 真鍋和。

 憂ちゃんの次に唯と付き合いが長い幼馴染だ。

 真面目で世話焼きな性格で、私自身もずいぶん助けられている。

 和がいるからこそ、唯は今日まで生きてこれたと言っても過言ではない。

 幼いころからの、数多の感謝。それが唯の中で恋愛感情へと昇華していてもおかしくはない。

 梓か、和か。ここに来て、思考は詰まった。


37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:26:09.24 ID:/hPSaB89O

「……これは、唯に直接問いただしてみるかな」

 憂ちゃんに電話をした時以上に、私は自分の意志がわからなくなっていた。

 何を思って、私はこんなことを勘繰っているのだろう。

 唯が誰をオカズにオナニーしていようが、そんなの本人の胸に留めておけばいい事なのに。

 単語帳をちらりと見る。

「……ああー」

 そして私は、手を打って納得した。

「frustration」

 アクセントを強めに発音して、私は箪笥からタオルを引っ張りだす。

 さて、どんなことを考えようか。


38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:30:06.27 ID:/hPSaB89O

――――

 私はどろどろした気分で朝を迎えた。

 昨夜の痴態を恥じ入る気持ちでいっぱいだった。

「うわあ……」

 流行りのアイドルに抱かれるのは好きじゃない。

 かといって知り合いの男と言えば、父と弟、中学の同級生くらいのもので、これもあまり興味がわかない。

 だからいつものように私は、架空の男に抱かれる妄想をした。

 だけれど、昨日はそれでも気分が乗らなかった。

 やがて、想像は昨夜の唯へと後戻りをしていく。

 私は唯の自慰を克明に想像しながら、なんだかいやらしくなった手つきで性器に触れて、

 いつしか私は、今までにないほど高くのぼり詰めたオーガズムを迎えていた。

「……目覚めそうだ」

 布団にくるまれ、大きく目を開いたまま、私はそんなことを呟いた。

 もう目覚めてるだろ。


39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:36:27.49 ID:/hPSaB89O

 ふと、携帯のイルミネーションがチカチカ光っているのに気付いた。

 開いてみると、メールが2件来ていた。

 どちらも唯から送られたもので、2回に分けて

『何もなかったからね』

『私を見習って、ちゃんと勉強するんだよ!』

 というごまかしが綴られていた。

 自爆してるぞ、唯。

『昨日はしっかり勉強したぜ! 田井中律という人間の新たな歴史をな』

 私は正直に答えた。

 やや不可解な文面。唯はどう受け取ってくれるだろうか。

 真意を理解したなら、これで痛み分けということにしよう、唯。


40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:40:03.67 ID:/hPSaB89O

 返事はすぐに返ってきた。

『昼休み、屋上でね』

 胸の奥が震えるのを感じた。

 私はゆっくりとベッドから起き上がり、顔を洗うために階下に降りた。

 頭の中を、さまざまな想像が渦巻く。

 冬の早朝の、凍てつくような水を顔にかぶる。肌がきゅっと縮こまった。

「……」

 パイナップルのような頭をした私は、鏡の中で憔悴しきっていた。

 何を恐れているんだ。

 大方、昨日のことを言いふらさないよう念を押されるだけだろう。

 そうだ。きっと、そんなところだ。

「唯……」

 彼女の名前を口に出す。

 ふるふると震える、奇妙な感情が去来した。


41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:45:55.24 ID:/hPSaB89O

 今日は1限から古典の小テストが控えている。

 私は澪に「勉強したいから先に行ってる」とメールを送ると、支度を済ませてカバンを背負った。

「はっ、はっ」

 目前にかかる靄を振り払うかのように、私は冬空のもとを駆けていく。

 寒気が耳をじんじんと痛めつける。こんな寒い日なのに、こめかみを汗が流れていった。

 何がしたいんだ、私?

 どうして澪を避けるような態度をとっているんだ?

「はっ、はっ」

 受験のストレスでおかしくなってしまったんだろうか。

 でもそれだったら、ムギのほうが兆候があるだろう。

 悠々とゴールに向けて闊歩している私と、

 優勝がほぼ確定しているのに全力疾走を続けるムギ。

 比べてみれば、私の頭がおかしくなる要素なんてどこにもない。


42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:51:14.91 ID:/hPSaB89O

「……っ!」

 足を止める。

 荒く吐かれる息が、私の不安を煽った。

 いま私の頭をよぎったのは、受験勉強に傾倒するムギへの心配ではなかった。

「はぁっ……」

 大きく吐息をつくと、私は自らの頬を平手で打った。

「置いてけぼりは私だけだぞ……」

 唇をひきしめ、反対側の頬も打つ。

「おかしくなってる暇なんてない……」

 それでも、私の心にはわだかまりが残っていた。


44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:55:04.77 ID:/hPSaB89O

 朝早く来て勉強しただけあって、小テストの手ごたえは上々だった。

 といっても、私以外の受験組みんなには、あの問題は簡単すぎるようだ。

 次の休み時間、その次の休み時間も、小テストの出来について話題はのぼらなかった。

「……」

 つくづく自分の遅れ具合にため息が出る。

 3限目の授業が終わり、机の上に脱力して倒れ伏していると、トコトコと唯が駆けてきた。

「りっちゃん、早弁しない?」

「あぁ……」

 私はその目を見れずに、曖昧に返答した。

 想像にせよ、唯をオカズに自慰をしたことを思い出してしまう。

 頬に赤みがさしてくるのを感じる。気付かれないように、私は顔を隠した。


45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:00:32.43 ID:/hPSaB89O

「屋上、ちゃんと来てね?」

「うん、行くよ……」

 そういえば、そんな約束もしていたっけ。

 私は弁当箱を引き出しながら、一方的に取り付けられた約束を思い出す。

 頭がぼんやりして、ちっとも働かない。

 あるいは、その方が都合いいかもしれないけれど。

「うめー……」

 少なめのご飯は、噛んでも味がしなかった。
 
 対する唯のほうは、幸せそうに卵焼きを頬張っている。

 まだ、いつもの唯に見える。


48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:05:20.09 ID:/hPSaB89O

 授業が終わる。

 私は休み時間のうちに食べきれなかったウインナーを胃袋にしまう。

 唯はといえば、昼休みが始まるなり屋上へと走っていった。

「あれはどうしたんだ?」

 澪に訊かれたが、唯の名誉のために知らぬ存ぜぬを貫き通した。

「さあ? ちょっと私、探しにいってくるよ」

「……うん、頼んだぞ」

 澪はあまり釈然としない顔をしていたけれど、結局は私にゆだねてくれた。

 これはしっかりしないと。

 緩慢な動作で弁当箱をしまうと、私は歩いて屋上へ向かった。


50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:10:39.26 ID:/hPSaB89O

 屋上の重い扉を開くと、高いフェンス際に、私に背を向けた唯が立っていた。

 肩までの髪をなびかせ、雲を見つめている。

「……りっちゃん」

 ゆっくりと振り返ったその顔に、いつも感じる「唯らしさ」は存在していなかった。

「……唯、来たぞ」

 昼休みの喧騒が聞こえる。

 円陣バレーボールをたしなむ生徒、友人と大声で笑い合う生徒。

 そして屋上を走る北風の笛の音さえも、遠い。

 ある種の静謐が、私と唯の間にあった。

「……」

 鈍重な足取りで唯に近づく。

 唯はやわらかく、白いフェンスに寄り掛かった。


51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:15:27.68 ID:/hPSaB89O

「制服汚れるぞ」

「いいよ、べつに」

 私の忠告には耳を貸さず、唯はまた雲を目で追い始めた。

「……りっちゃん。昨日のこと、知ってるよね?」

 唯の表情は、一切の冗談を許しそうにない厳しいものだった。

 おちゃらけることもできず、私は正直に答えた。

「……その、一人でしてたんだよな」

「うん。そうだよ」

 至って簡潔な唯の返答。表情にも変化は見られない。

「……えっと。それで?」

「へ?」

「それ、だけか? 唯」


52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:20:27.97 ID:/hPSaB89O

 これだけなら、わざわざ呼び出してまでする話だろうか。

 メールでも十分なレベルだ。

 実際に会って確認したい気持ちは分からなくもないけれど。

「りっちゃんこそ、それだけ?」

「……なに?」

「私に訊きたいこととか、ない?」

 どうして唯は、こうも私の気持ちを言い当ててくるんだろう。

 背筋がゾクリとした。

「いや、そんなことは」

 慌てて両手を振る。けれど、唯は不満げに頬をふくらませた。

「そっか……りっちゃんって嘘つきなんだ」

「嘘なんてついてないよ」

「ううん。うそつきだ」


53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:25:37.06 ID:/hPSaB89O

 一方的な唯の物言いに、腹の奥が熱くなった。

 こっちだって、遠慮して訊かないでいてやってるのに。

「じゃあ、一つだけ質問させてくれよ」

 私はニヒリストぶって言った。

「うんっ」

 唯が嬉しそうに微笑む。

 私はきっと、意地悪な表情になっていただろう。

「一体、誰にやられる妄想でオナニーしてたんだ?」

「あずにゃん!」

 唯は即答した。

「あずにゃんだよ!」

 元気たっぷりに。


55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:30:04.11 ID:/hPSaB89O

「……いや、その」

 そんな自信満々に言われると、こっちが赤面してしまう。

「でもね、ちゃんと言うと、私があずにゃんをヤる妄想だからね」

 人差し指を立てるな。なんの注釈だ。

「……」

 私が言葉に詰まっていると、唯も黙ってしまった。

 さっきのような静寂が戻ってくる。

 これはまずい。

「あー、そっか、そうなんだ……」

 意味の薄い言葉を呟く。

「うん……」


57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:35:06.05 ID:/hPSaB89O

「……」

 何なんだろうこれ。

 唯は私に何て言って欲しいんだ?

 とにかく、私の思うことを言ってみよう。

「……唯って」

「ん?」

 言葉は慎重に選びながら。

「唯って、その……女の子が好きなのか?」

「……そうなんだ。ごめんね」

 唯はそこで初めて、悲しそうな目をした。

「軽蔑するでしょ、こんなの」

「……っ」

 泣き出しそうな目で自分を貶める唯を見ているうち、私は唯を抱きしめていた。


58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:40:08.96 ID:/hPSaB89O

「あ、え……?」

 困惑した声。唯が目を白黒させているのが、容易に想像できる。

「相談したのが、私でよかったな」

「……」

「安心しろよ、唯。少なくとも私は味方をしてやる」

 唯を抱きしめる力が強くなる。

「い、いたいよりっちゃん……」

「大丈夫だから、一緒だから……」

「……りっちゃん」

 私は昼休み中、唯を離さないでいた。

 おそらく傍目には、私が唯を慰めているように見えたと思う。

 本当はどうなのか、知っているのは私だけだった。


59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:45:13.57 ID:/hPSaB89O

「りっちゃん、予鈴鳴ってるし……」

「あ、ああ」

 風が抜けるように、唯の体は私から離れていった。

「……ありがとね、りっちゃん」

「お礼言われるようなことはしてないって」

「でも、助かったよ。……私、ずっと理解してもらえなかったから」

「……唯も意外と苦労してるんだな」

 ぼんやりと私は呟いた。

 唯はくすっと笑って、重たい扉を開けて教室に戻っていった。

「……」

 私は唯と同じようにフェンスに寄り掛かって雲を見つめる。

「……私も、一緒なのか」

 自分で唯にかけた言葉を思い返し、私ははぐれ雲に呟いた。

 押しつぶすような冬の空が広がっていた。


60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:50:03.86 ID:/hPSaB89O

「……なんか、違う気がする」

「私は……何なんだ?」

 嘘を吐いた感覚はない。

 ただ、自分の言葉には違和感があった。

「……」

 もう少し、考えがまとまるまで切っ掛けが必要だと感じた。

 私はフェンスから肩を離して、教室に戻ろうとする。

「ん?」

 だが、屋上の重厚な扉が動き出したのを見て、私は足を止めた。

 扉の向こうから現れたのは、真っ黒な髪をツインテールにした少女。結んだタイは赤色だ。

「……梓。どうした?」

「律先輩こそ……」


62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:55:47.09 ID:/hPSaB89O

 梓は私の傍らまで歩いてくると、並んでフェンスに寄り掛かった。

「授業始まるぞ?」

「なんか古典って気分じゃないんですよね」

「あるある、そういうの」

 私は乾いた笑いを上げた。

 梓と話しているだけで、奇妙な重みが肩に乗りかかってくる。

「そうなんですか?」

「うん。何かよくあるだろ、『今は英語だけは勘弁して』みたいな」

「……そんな単純なものじゃないですよ」

 梓は細く長い息を吐く。

「律先輩、古典ってなんのためにあるんですか?」

 そして、月並みな問いを投げかけてきた。


63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:00:17.82 ID:/hPSaB89O

「……受験科目、だからだろ」

 そして私も、何の捻りもない答え。先輩失格かもしれない。

「そういう質問じゃないですよ」

「えっ?」

「どうして、大昔の人間が書いた文章が残るんでしょうね」

「そして、どうして皆でそれを読むんでしょうね」

 梓も雲を見つめていた。

 ツインテールがどこかへ行かないように、背中とフェンスの間に挟んでいる。

「……話が見えないぞ」

「最後まで聞いてください」

 私は軽く頷いた。


64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:05:08.19 ID:/hPSaB89O

「いま、古典では更級日記をやってるんですよ」

「菅原孝標女?」

 私が言うと、梓は目を丸くした。

「よく知ってますね」

「バカにしてんのか」

「……更級日記は、回想形式なんですよ」

「知ってるよ。オバサンが若かりしころを思い返してるんだろ」

 梓がほうっと息を吐いて、俯いた。

「どんな気持ちで書いていたんでしょうね」

「昔の自分を……源氏物語に夢中になっていた自分を、どんな気持ちで記したんでしょうか」

「……」


65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:11:07.43 ID:/hPSaB89O

 梓の言いたいことは、いまいち分からなかった。

 それでも私は、梓の横顔をじっと見つめていた。

「……でも悲しいですよね。今となっては、懐かしむ自分すらいない」

「どんな物語でも終わってしまうんです……どんな時間でも、過ぎてしまうんです」

「そうだな……永遠って無いんだよな」

「……私、終わってしまうのが嫌です」

「永遠に、ここで……皆さんと夢中になっていたいです」

「梓……」

 そんなことを言うな。

 私だって気持ちは同じだ。

 だけど、私たちはもう駄々っ子をやっていい歳じゃない。

「……ずっと、一緒がいいよな」

 思考に反して、私はそう言った。


66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:15:13.57 ID:/hPSaB89O

「一生じゃなくて、永遠にって……そう思う」

 かっこ悪いな。

 私は梓の背中を押さなきゃいけないのに。

 そっと梓の肩を抱き寄せる。

「2年間じゃ、ぜんぜん足りないです……」

「なんで、なんで終わっちゃうんですか……」

 梓の小さな肩が震えないよう、力を込める。

「終わらないよ……大学に行っても、放課後ティータイムは続けよう」

「それでも、あと4年だけですよ?」

 言葉に詰まる。

 時間が動いている限り、いつか終わりは来てしまう。

「……私たちのやってることは音楽だろ。音楽は金になるんだから」

 言いながら気付く。それも、いつかは終わるものだ。


67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:20:25.03 ID:/hPSaB89O

「……ごめん、梓」

 後輩の肩の震えも止められない、私の弱い左腕。

「いえ、いいんです……」

 どうして時は戻らないんだろう。

 止まってくれないんだろう。

 そんなに急いで私たちを運んでいって、時は一体どうしたいんだ。

「なぁ、梓」

「はい……」

「まだ、たくさん猶予はあるんだからさ……涙はとっておけよ」

「……う」

 どんなに止めたくても、止まってくれるものじゃない。

 時と涙は似ているな、と私は思った。


68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:25:14.94 ID:/hPSaB89O

――――

 私たちは、そう上手い演奏ができる訳じゃない。

 新曲の演奏が形になるまで、かなり時間もかかってしまう。

 プロにはなれない。

 放課後ティータイムは、あと4年きりだ。

『そっか……あずにゃんがそんなこと言ってたんだ』

「すごく思いつめてたからさ。唯からも、安心しろって言ってやってほしいんだ」

 私はその日の夜、唯と電話で話していた。

 私に止められなかった涙も、きっと唯になら止められると思ったからだ。

『わかった。あずにゃんを励ましてみるよ』

「……よろしく」


72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:55:34.84 ID:/hPSaB89O

「なあ、唯。聞いてもいいか?」

 なんだかんだで、私も結構精神的に参っていたんだと思う。

『うん?』

「時間って、止められる?」

 そんなことを尋ねていた。

『時間……? 時間は止まらないよ、りっちゃん』

 唯の答えは、当然のものだった。

 時は止まらない。サルでも知ってる常識だ。

「そう、だよな」

『まぁ私も、時間が止まったらいいなとは思うよ』

『勉強時間、ぜんぜん足らないし』

「ははっ、ほんとだな」

 唯のその言葉を聞いた時。

 梓の涙を拭くハンカチを唯に持たせて良かったのかと、少し惑った。


74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:59:05.61 ID:/hPSaB89O

「……でもさ、唯」

『なに、りっちゃん?』

「もしあと1年あったら……やっぱりもう1年、軽音部をやりたいよな?」

『もっちろん、当たり前だよ!』

 唯の声が、とたんに活気づいた。

 かと思うと、すぐにまたしおらしくなる。

『……そんなこと、訊かないでよ』

『りっちゃんのバカ』

「……ごめん」

 電話口の向こうで、鼻をすする音がした。

「唯……大学行っても、私たちは放課後だからな。終わったり、しないから」

『うん……ぐしゅ』

「……じゃ、切るから」

 これ以上、泣き声を聞いていれる自信がなかった。


75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:02:26.15 ID:/hPSaB89O

「勉強、がんばろうな」

『切っちゃうの……?』

 唯のすすり泣きが、涙腺を刺激した。

「私まで、泣いちゃいそうで」

『そっか……しょうが、ないね』

『おやすみ。りっちゃんも、がんばって、ね』

「ああ……おやすみ」

 私の声も震えていた。定まらない親指で、終話ボタンを押す。

「すぅー……はぁー……」

 深呼吸をして、唯の泣き声を頭の外に追いやる。

「勉強だ、勉強」

 私は黄色いシャーペンをとると、一心不乱に歴史用語を書きつづる。

 これも過去だな、と私は思った。


76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:07:01.59 ID:/hPSaB89O

――――

「おはよう、律……」

 朝、私の顔を見た澪は、歩き出そうとした姿勢のまま硬直した。

「……なんだよ」

「どうしたんだよ、その目……」

「私だってひとり泣きたい夜くらいあるんですよー」

 澪は深く追求してこなかったが、登校中もちらちらと私の目元を見てきた。

 赤く腫れた目元は、私が昨夜泣いていたことをはっきり伝えている。

「昨日、唯となにかあったのか……?」

「いや。ちょっとアンニュイになっちまっただけだよ」

「……卒業するから、か?」

「……そんなとこだ」

 流石は幼馴染みってところか。あるいは、私はサトラレなんだろうか。


77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:11:16.50 ID:/hPSaB89O

「私たちも、いつか離れ離れになるのかな」

 澪が、うつむき気味に白い息を吐く。

「……」

「大学が忙しくなって、就活とかやって、会社で働いて」

「結婚して、子供産んで、おばさんになるうちに」

「いつか、律とも会わなくなるのかな」

「放課後ティータイムでベースを弾いていたこと、忘れちゃうのかな」

「……そりゃあ、いつかはな」

 永遠に一緒にいられることなんてない。

 人間の命にも限りがある。

「小学校のころからずっと一緒に居ようと……永遠に一緒にはなれないからな」

「そう、か……」

 澪は落胆して、ちょっと歩くスピードを遅くした。


78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:16:12.54 ID:/hPSaB89O

「……それは、悲しいな」

「うん……」

「でもいつか、絶対にそんな日が来ちゃうんだろうな」

「そうだな……なんでか、それだけは絶対なんだ」

 澪の足が、動かなくなっていく。

「……みお」

 右手を伸ばして、澪の左手を掴んだ。

「……うん」

 私に手を引かれると、ゆっくりと澪は歩き出す。

「腹立つよなぁ、澪」

「なんで大嫌いな数学は無限ばっかで、私たちには永遠がないんだっての」

「田井中律じゃなくて円周率になりたかったよ」


79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:20:43.50 ID:/hPSaB89O

 私がぼやくと、澪は首をかしげて厭そうな顔になった。

 渾身のネタを挟んでみたんだけど、くすりともしない。

「でも、円周率じゃ演奏できないぞ」

「紅茶だって飲めないし、海を泳ぐこともできない」

「そもそも、お話しできないだろ」

「だったら私は、有限でもこのままがいい」

 言葉の終わり、澪の声がちょっと震えた。

「……そっか」

 この楽しさは、永遠との対価なんだな。

 数字の世界を想像して、私はちょっとげんなりする。

 澪の言うことも、もっともだと思った。

 輝きと永遠。

 私たちは、わがままを言いすぎているんだろうか。


80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:26:08.48 ID:/hPSaB89O

 放課後。

 湯気の立ち上るティーカップ。

 梓が奏でるギター。

 ノートを削る黒鉛。

 トンちゃんの水槽のポンプ。

 唯にシールを貼られた鏡。

 運動部の揃った掛け声。

 落書きだらけのホワイトボード。

 音楽準備室。

「……」

 目に耳に、失いたくないものが飛び込み続ける。

 この場所は、この時間は、輝いている。


82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:30:09.55 ID:/hPSaB89O

 どうして、ここから去るために努力をしなければいけないんだろう。

 モチベーションが上がるわけない。

 私は大きく背中を反って、壁に頭をつけた。

「このままで、いいよな……?」

 唯が手を止めて、私に振り返る。

「このままがいいね……」

 そしてまた、勉強を再開する。

「なぁ、ムギ」

 私は疑問を我慢しきれなくなって、対角に座っているムギを呼ぶ。

「どうしたの?」

 ペンを持ったまま、ムギは顔を上げた。


84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:35:30.69 ID:/hPSaB89O

 ずっと不思議だった。

 とうに合格ラインを突破しているムギが、何故ここまで勉強にこだわり続けるのか。

「どうしてムギはそんなに頑張れるんだ?」

「N女はとっくにA判定をもらってるんだろ?」

 ムギはやわらかい微笑みを浮かべた。

「そんなの、みんなと一緒の大学に行きたいからに決まってるじゃない」

「……いや、でも。だったらもう十分じゃないのか?」

「偏差値的にはもう余裕だろ。少しくらい休んだって……」

「りっちゃん。覚えた事って案外すぐ忘れてしまうのよ」

 唯がうんうんと頷いている。

 お前は別格だと思う。

「それに、見えないところできちんと休んでるから。心配しなくても大丈夫よ」

「そっか? ならいいんだけどさ……」


85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:40:31.53 ID:/hPSaB89O

「なんかムギ、慎重になったな」

「そうかしら?」

 ムギはきょとんとする。

 自覚はないようだけれど、以前のムギはもっと猪突猛進なところがあった。

 後先考えないというか、自分の気持ちに忠実というか。

「ああ。でも、悪い事じゃないぞ」

「そうだね。ムギちゃんが成長したって事だよ」

 唯が鼻をふくらます。

「いや、なんでお前が自慢げなんだ」

「ふふ……。成長、そういうことにしておこうかしら」

 苦笑して、ムギはちょっと引っかかる言葉で納得を示した。


86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:45:07.63 ID:/hPSaB89O

「……」

 時刻は6時10分。

 唯が時計を気にし始めた。

 もう一度、用語集に目を落とす。

 けれどその目線は文字を撫でるのみで、まったく頭に入っていないようだ。

 ああ、天井を向いてしまった。

「ふっぷすー!!」

 頑張っていたけれど、今日もここらで噴火である。

 唯は息を噴き、足を机にぶつけながら強引に立ちあがる。

「もうゴールしてもいいよね? ねぇいいよね?」

「あかん唯ちゃん。ゴールしたらあかん」

 ムギが流暢な京言葉で返す。


88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:00:28.66 ID:/hPSaB89O

「ゴールはともかく、そろそろやめにしとくか」

 澪が時計を見て、ノートを閉じる。

「んじゃ、帰るか……」

 ここを私たちの自習室として使う上で、実は事前に取り決めがあった。

 澪が許可を出すまで、帰ってはいけないというものだ。

 ルール自体はとっくに形骸化しているが、私としては基準があるのはありがたい。

 そういう基準がなければ、勉強に疲れた時点で帰ってしまうかもしれないからだ。

 澪の言葉を聞いて、私もノートを閉じてカバンにしまう。

「あーずにゃん!」

「にゃぁっ!?」

 唯は早速片づけを終えて、梓に抱きついている。

 見慣れた光景だけれど、唯の気持ちを知っている以上、純粋な気持ちで見ていることはできなかった。


89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:09:01.31 ID:/hPSaB89O

「またやってるのか……」

「仲が良くていいじゃない。ねぇりっちゃん?」

 澪とムギは、いつも通り遠巻きに眺めている。

「ほらほら、その辺にしとけって」

 私も、普段通りに歩み寄って、唯の肩に手を置こうとした。

 しかしきっと、唯の気持ちを知っている私は、いつもと何かが違ったんだろう。

「やっ」

 伸ばした手は、唯に払われてしまった。

 そして一層強く、梓を抱きしめる。

「も、もう……苦しいですよ唯先輩……」

「……ごめんね、あずにゃん」

 謝りながら、唯は梓を離さない。

 すがりつく姿は、昨日の私のようだった。


90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:13:27.64 ID:/hPSaB89O

「……あの」

 梓が唇を舐めた。

「律先輩、すいません……先輩方は、今日はもう帰ったほうが」

「唯先輩は私がみておきますから」

 梓の目は唯の陰になっていて、どんな瞳の色をしているのかは分からなかった。

 なんにせよ、私ではどうにもなりそうにない。

「澪、ムギ。帰ろう」

 私は二人に声をかけた。

「けど……」

「いいんだ。梓に任せた方がいい」

 澪は少し渋ったが、私に押されると素直に音楽室を出ていった。


91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:19:07.76 ID:/hPSaB89O

「唯、どうしたんだろうな……」

 帰り道、マフラーの高さを直しながら澪は心配そうに言った。

「おセンチなんじゃないの。私と一緒でさ」

 澪は私の右手に触れてきた。

「センチメンタルって、人肌恋しさみたいなものかな」

「どうかな……人との関わりでセンチメンタルになるやつもいるからな」

 澪の手を握り返す。当然のように手を繋いで、私たちは帰路を歩いていく。

「……澪、知ってる?」

「うん?」

「百合の対義語は、薔薇って言うんだ」

 澪がげんなりとした表情になる。

「……どうでもいい知識だな」

「今の言い方で、意味わかるんだ」


93 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:24:09.83 ID:/hPSaB89O

「えっと、まぁ、な」

 からかわれたのに、澪は怒るでもなく少し顔を紅潮させた。

「女子高だと、いくらかそういう話も耳にするしな」

「耳年増」

「なんでそうなる」

 今度は怒られた。

 澪のツボはよくわからない。

「だいたい律だって同じだろ」

「正論だからって何でもかんでも言葉に出したら友達なくすぞ」

「律は友達じゃなくなる?」

「なんでそうなる」


94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:29:47.36 ID:/hPSaB89O

 タイムリミットがあるのは知っている。

 けど、だからといって澪と友達じゃなくなる日はどうしても想像できなかった。

「……律と友達ならいいや」

「私も、友達ならいいけどさぁ……」

 そう。

 ずっと友達でいられるなら、ちょっとくらい傷つけられても構わない。

 だけど、私の心はなんだかちくちくする。

「……あんまり、言いまくることじゃないな、こういうことは」

「うん……私も言いたくない」

 澪は私の手をきゅっと握った。

 私も軽く握り返す。


95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:36:13.57 ID:/hPSaB89O

 未知の気持ちが私を包んでいく。

「澪、知ってる?」

「なんだ……?」

「唯って、梓のことが好きなんだって」

「……へぇ」

「また、どういう意味か訊かないんだな」

「話の流れを汲めばわかるからな」

 呼吸の速い私とは対照的に、澪はずいぶん落ち着いている。

 私は澪の手を握る。

 澪の包み込むような大きな手が、私の手を握り返す。

「……ねぇ」

「……律、知ってる?」


97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:42:30.25 ID:/hPSaB89O

「なに?」

 心音が異常に高鳴っている。

「ムギもな、そっちらしいぞ」

 私たちの言葉は、どんどん簡潔になっていく。

「……それは、なんとなくわかってたけど」

「むぅ。じゃあ、これは知ってるか?」

「な、なに?」

「……私もだ」

 全身に、甘い痺れが走った。

 唯に性癖を告白された時とは全く違う、幸福な感覚。

「……それは、知らなかったわ」

「そっかそっか」

 澪は満足そうに、笑みをたたえた。


100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:47:28.82 ID:/hPSaB89O

「じゃ、じゃあこれは知ってるか?」

 私は、あるいはすべてを捨て去る覚悟をして、唾をぐっと飲み込んだ。

「何だ?」

「……私もだ」

「……意外だな。律はノーマルだと思ってた」

 私は耳まで赤くなっていた。

 なんとか気取られないよう、マフラーを必死で持ち上げる。

「なら……これは知ってるか、律?」

 澪はまだこれを続けるつもりのようだった。

 勘弁してほしい。これ以上続けたら、本当に恥ずかしさで倒れそうだ。

「……なんだよ」

「もう、私の家に着いちゃった」

 澪の声が、悲壮そうに吐き出された。

「……」


102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:52:45.92 ID:/hPSaB89O

「じゃあ、ここで……だな」

 喜びとも落胆ともつかない感情が、私の中でわだかまりを作った。

「律」

 去ろうとした私を、澪が呼びとめた。

「もう一つだけ、教えたいことがあるけど」

「……それは、律がN女に受かったら教えることにするよ」

 上から目線の澪は、それはもう幸福そうだった。

「馬の目の前にニンジンをぶら下げるアレか」

「そういうやつだな」

「……澪、私からも一つ言っておきたいことがある」

104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:00:08.84 ID:f4uEOrF9O [1/142]

「けどそれは、澪がN女に受からなかったら、私の心の中に封印する」

「澪に何を言われても、澪が落ちたら絶対言ってやらないからな」

 これでおあいこだろう。

「……望むところだな」

「じゃ、明日な」

 不敵に笑った澪を見届け、私は自分の家へと走りだした。

 心臓の高鳴りを感じながら、私は澪への気持ちを噛みしめていた。

 一体いつから私は、この気持ちを抱えていたんだろう。

 きっと、ずっとずっと前から持っていた。

 ずっと持っていたせいで、持っていることを忘れていた。

 幼いころにかぶせた銀歯のようなものだ。

 その例えはおかしいか。


105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:05:30.96 ID:f4uEOrF9O [2/142]

 まあいい。

 かくして私は、ぐらぐらしていた歯が抜け落ちたと思ったらそれが銀歯で、非常に混乱している訳だ。

 こんなんあったっけ!? という感じで。

「はぁ……」

 家に着き、自分の部屋に駆け込み、私はためこんだ吐息を吐いた。

「まじか、私……澪のこと好きだったんだ……」

 思い返せば、小学生のころは常に澪にちょっかいを出していた。

 反応がかわいいから、という気持ちもあった。

 でも、その気持ちが今まで私自身をごまかしていた。

 私が澪に悪戯を仕掛けるのは、反動形成だ。

 好きだからこそちょっかいを出したくなるアレだ。

「ん? なんか前、こんな事を誰かにも話したような……」


106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:11:15.88 ID:f4uEOrF9O [3/142]

「……思い出せないな」

 多分、誰にも話してないだろう。

 そもそも、そんな四字熟語を会話で使うのも好きじゃない。

「それにしても」

 反動形成でたどって考えると、私はかなり昔から澪のことが好きだったことになる。

 小学校低学年のころから、変わっていく、成長していく澪を、ずっとずっと愛していた。

 なんだそりゃ。

 ヤバいな。

 私はクロゼットからアルバムを引っぱり出す。

 どのページにも、最低1枚は澪の写った写真がある。

「……」


108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:15:05.90 ID:f4uEOrF9O [4/142]

 気付けば、私の指は股間に伸びていた。

 まだタオルを出してない。

 着替えてもない。

 数十分もすれば、家族が夕飯だぜと呼びに来るだろう。

 おとといも自慰したばかりだ。

 それでも、溢れだすものは止まらない。

 涙と愛液はよく似ている。

 ってことはつまり、時と愛液も似てるって事だ。

 この思考に何か意味はあるのか? ないだろ。

 さあ無心になって耽ろうじゃん。


110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:20:51.50 ID:f4uEOrF9O [5/142]

――――

「……」

 見られた。

「母さん、ハンバーグうまいな」

「律、あんたが食べてるのは冷奴よ」

「お豆腐にデミグラスソースかけたのか……? 意外と合うんだね」

「もう休みなさい、律」

 おやすみ。


111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:25:32.43 ID:f4uEOrF9O [6/142]

 次の日から、私は真剣に勉強に取り組んだ。

 唯と梓の関係には、目に見えた変化はない。

 ただもしかしたら、私と澪が交わしたような約束をしているのかもしれない。

 その日から、唯が噴火する時間が7時まで伸びた。

 私もその時間まで、集中して勉強をしている。

 成果がでているのか、年末のセンター模試ではようやく65%に到達した。

 でも、ここで油断してはいけない。

 それは成長したムギが教えてくれたことだ。

 成長か、変化か。

 どちらにせよ、少し前の私だったら受け入れがたい言葉だった。

 だけど、変わるのは悪い事ではない。

 澪と写った写真を見ていって、そう感じた。


112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:30:23.56 ID:f4uEOrF9O [7/142]

 私たちは時間の経過とともに成長していく。

 そして時間の経過とともに変わっていく。

 でも、そのたびに新しいその人と会える。

 新しい魅力を見つけることができる。

 大学生の澪。うん、悪くない。

「……なんだよ、じろじろ見て」

「べっつにぃ?」

 抜けてるところはあるけれど、ぐっと成長した唯。

 こいつもまた、唯だ。

「どしたの、りっちゃん?」

「唯も大人になったなーって」

「えっ、ちょっ、わたっ」

 おい唯。どうしてそんなに顔を赤らめる。


113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:36:37.75 ID:f4uEOrF9O [8/142]

「りっちゃん、あんまり唯ちゃんをいじめちゃだめよ?」

「いじめてねーし」

 そして、この3年間で多くのことを学んだであろうムギ。

 私が最初に出会ったムギとは、もうずいぶん印象が違っている。

「やっぱムギは大人になったよ」

「えぇっ! ムギちゃんまで!?」

 ちょっと黙れ、唯。

「初めて会った時はさ、ひどい世間知らずの箱入りお嬢様だと思ったけどさ」

「今じゃ、すっかり立派な一般人だよな」

「本当? だとしたら、りっちゃんが色々教えてくれたおかげよ」

「私なんて……ただムギを連れまわしただけだよ」

「ムギが頑張って私たちのことを知ろうとしてたから、ムギは変われたんだ」

「ふふ……なんだか照れちゃう」


114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:40:28.70 ID:f4uEOrF9O [9/142]

「……」

 そして、梓。

「律先輩……」

「私も、3年生になったら……先輩方のようになれるでしょうか」

 梓はうるんだ瞳で見上げてきた。

 きっと、これに唯はヤラれたんだろうなぁ。

「梓が立ち止まったりしないなら、大丈夫。なれるさ」

「私よりずっとしっかりしてるからな、梓は」

「頼むぜ、次期部長」

「はいっ!」

 梓の瞳が輝いた。

 潤んだ表面に、光が反射したのではない。

 梓自身の輝きだった。

「私、頑張りますっ!」


115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:45:23.04 ID:f4uEOrF9O [10/142]

――――

 時は流れ、翌年。

 早くやってきた冬は、去るのも早く。

 合格発表の日には、すでにサクラが固いつぼみをつけていた。

「もしもし、あずにゃん」

「良い知らせと良い知らせがあるんだけど、どっちから聞きたい?」

『え? えぇっと……なら、前者で』

「そっちできましたかぁ……」

『あの……』

「すーはーすーはー」

「あずにゃん……好きだよ。あずにゃんが良ければ、付き合いたいな」

『はい、喜んでぇっ!!』

「早っ!」


116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:00:26.75 ID:f4uEOrF9O [11/142]

――――

「そんなに緊張するなよ、澪」

「そそそ、そんなこと言われたってなぁっ」

 生タコのようにしがみつく澪に悪戦苦闘していると、

 先に掲示板を見に行ったムギが駆け足で戻ってきた。

「りっちゃんに澪ちゃん! やったわね!」

「私たちみんな合格よぉー!」

「……あ、うん」

「? どうかしたの、りっちゃん?」

「いや何でも! や、やったな!」

 やっぱりムギ、あんまり変わってないかも。

 それはそれで、ぜんぜん良いんだけどさ。


117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:04:13.12 ID:f4uEOrF9O [12/142]

 さて。

 かくなる上は、未だに私に絡みついているこいつに言うべきことがある。

「澪、澪。1回しか言わないから、ちゃぁんと聞くんだぞ」

「待ってよ律、私が先に言いたい……」

 順番なんて問題じゃないだろう。

 そう思ったけれど、澪を見てるとなんだか私の方が先に言いたくなってきた。

「えぇー? ……じゃ、同時に言おうぜ」

「そうだな。そうするか」

「じゃあ、せーので……澪」

「……律」

「せーのっ」

「「大好きだっ!!」」


118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:06:44.38 ID:f4uEOrF9O [13/142]

「ほうほう……」

 ムギの鼻から、一足早い桜吹雪が噴出し、私たちを祝福していた。

「……澪、愛してる」

 澪を両手に抱きしめながら、私は愛しい耳に囁いた。

「これでずっと一緒だ、律……」


「永遠、だよな」



 おわり。


119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:09:14.19 ID:f4uEOrF9O [14/142]

「……」

 律は神妙な面持ちで、読後感に浸っていた。

「どうだった?」

「どうって、その」

 何度か唇を舌で濡らした後、律はグラスのパイナップルジュースを飲みほした。

「あのな、前言撤回。これを出版するのは絶対だめだ」

「そうだろ?」

「わかってて相談したのかよ!」

「ああ、だってあんなの嘘だし」

 私は膝をつき、律に近寄る。

「はぁ、嘘ぉ?」


121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:12:43.70 ID:f4uEOrF9O [15/142]

「嘘も嘘。真っ赤な嘘だ」

 律はまだ、怪訝そうな顔をしているだけだった。

「出版の話が嘘だってんなら、これは一体何なんだよ?」

 バサバサと紙束を振る。ああ残念、分かっていない。

「最初のページに書いてあるだろ」

「……明晰夢?」

「と、私が言っているだろ?」

 律の頭上で、組体操の「おうぎ」のように3つの疑問符が広がる。

「難しいなら、『明晰夢・快』っていうすごく分かりやすいのもあるけど」

「いや、それはいいわ……」

 私はもう一歩、律に近づいてみた。

「……澪、どうした?」

「どうもしないけど?」

 またも嘘。


122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:15:05.14 ID:f4uEOrF9O [16/142]

「……これってさ、何なんだ?」

 律が最初のページを撫でて言う。

「単なる私の趣味だ。そういうのを書くことが、な」

「……私たちの話を?」

「そうだよ」

「……」

 押し黙る律。

 ペットボトルに結露した水滴が、盆に水たまりを作っている。

「……」

 なんだろう、この雰囲気。

 律とこんな風にはなりたくない。


123 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:18:27.96 ID:f4uEOrF9O [17/142]

 何度か呼吸をした後、律は口を開いた。

「幼馴染としてひとつ言っておく」

「もう、こんなことはいい」

 私は、それ以上律に近づけなかった。

「おかしいんだ、こんなことは……」

「なんで……律、私は……」

「止せ。忘れてやるから」

 出かかった素直な言葉は、律に遮られてしまった。

「今までどおりの私でいるからさ。澪も……」

 もう、嫌だ。

 律の声でも、そんな言葉は聞いていたくない。

「……帰る」


124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:21:10.94 ID:f4uEOrF9O [18/142]

 おもむろに立ちあがって、カバンを持った。

「言っておくけど……私はやめないからな」

「……」

 宣戦布告のような言葉。

 律は俯いて、何も答えなかった。

「じゃあ、また明日な」

 背中を向けて、私は律の部屋を出る。

 ずいぶん前に飲みほした桃ジュースの味が、いまだ喉に絡みついていた。


141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:20:36.04 ID:f4uEOrF9O [21/142]

――――

 律の家に行った翌日の放課後。私はいつもの店に唯を呼び出した。

 昨日までとは明らかに違ってしまっている律の態度が胸を責めていたが、

 だからこそ私は行動せざるを得なかった。

 約束の時間に10分遅れて、唯はやってきた。

「ごめんね澪ちゃん、遅くなって」

 唯は両手を合わせて、私の向かいに座る。

「ちょっと和ちゃんと話しこんじゃってて」

 へらへらと幸せそうな笑顔をたれながら、やってきたウェイトレスに温かいココアを注文する。

「唯はいつもココアだよな」

「文学をたしなむ時は糖分が必要なんですよ」

 そんな大層なものを書いているつもりはないが、唯にしてみれば

 文学も私の小説かぶれもケータイ小説も、さしたる違いはないのだろう。


142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:25:53.27 ID:f4uEOrF9O [22/142]

 それでも唯は、私の書く物語を楽しみにしてくれる唯一の人間だ。

 唯だけに。

「ねぇ、今回はどんなの書いたの?」

 身を乗り出し、唯は目を輝かす。

 文章を読むのは苦手なくせに、こればかりは別腹らしい。

「今回は……いちおう、唯和だな」

 私が言った途端、唯の表情が固まる。

「……それは」

 ただの一言で、唯は目尻に涙をためていた。

「だめだよ澪ちゃん……それは読めない」


143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:30:04.07 ID:f4uEOrF9O [23/142]

「唯」

 私はなるたけ優しく、唯の名前を呼んだ。

「最後まで、このままでいいのか……?」

「和は国立大学に行っちゃうんだぞ。私たちとは違う大学に」

「……いくないよ。でも」

 テーブルに一滴、涙が落ちる。

「無理だよ、私じゃ……」

「和の大学に行くのがか?」

「それもだけど……」

 唯は窓の外に視線をやり、せわしなく道路を走る自動車を目で追っていた。

 その間に、私はカバンから紙束を取りだした。


144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:34:15.94 ID:f4uEOrF9O [24/142]

「関係って、思ってる以上に自然に消滅してしまうものなんだ」

 ココアが運ばれてくる。

 唯は温かいココアを頼んだはずだが、やってきたのはアイスココアだった。

 まあ、どうせ読んでいるうちにぬるくなるから、どっちでもいいのかも知れないけど。

「中学の頃仲良かった友達と、ちゃんと遊んでるか?」

「……」

「唯。確かに唯と和は幼馴染だけど……やっぱり、ただの友達なんだぞ」

 ガラス窓の外を、私たちとおなじ制服を着た少女たちが歩いていく。

 笑い合いながら、悩みなさそうに。

「あの子たちも、いずれは別離する。ただの友達だから」


145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:39:12.78 ID:f4uEOrF9O [25/142]

「心友だとかニコイチだとか、いろいろ飾ってみても、友達は友達」

「離れる時には、離れなくちゃならない」

「……うん」

 唯は無表情で外の景色を見つめている。

 あるいは何も見ていないのかもしれなかった。

「でもさ、恋人だったらもうちょっとだけ一緒にいられると思わないか?」

「いちばん大事な人なんだから」

 いくら私でも、くさすぎるかなと思う台詞だ。

「澪ちゃんってほんと、ロマンチストだね」

 唯が相好を崩す。ひとまずは笑顔を取り戻したらしい。


147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:44:22.08 ID:f4uEOrF9O [26/142]

「……どうする、唯?」

「とりあえず、澪ちゃんのロマンを聞いてみる」

 そう言って、唯は紙束を立てた。

「ひとつの、私と和ちゃんが進んでいく未来のコンパスとして、ね」

「うん、そうだな……」

 ココアに差されたストローを軽く吸い、唯はページをめくり始めた。


澪「あのさ律、実は規制がとけたんだ」2
に続きます

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