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ホロ「ぬしよ」3
415 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:22:35.45 ID:YYTg9vM0 [23/39]
ホロ「ぬしよ」
ロレンス「う……」
ホロ「ぬし!」
ロレンス「どうした…朝……か……?」
ホロ「どこじゃ、ここは」
目を覚ますと、そこには見たこともない風景が広がっていた。
ホロ「ぬしよ」
ロレンス「う……」
ホロ「ぬし!」
ロレンス「どうした…朝……か……?」
ホロ「どこじゃ、ここは」
目を覚ますと、そこには見たこともない風景が広がっていた。
416 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:23:45.36 ID:YYTg9vM0 [24/39]
ロレンス「なんだ、ここは…」
その部屋はかなり高級な作りだった。
見たこともない絵画が壁にかけられていて、付近には見たこともない箱のようなものがいくつも置かれている。
ホロ「わからぬ。わっちも今目が覚めたところじゃ。少なくとも、ぬしの身銭で泊まれるような場所じゃなさそうじゃの。寝ていた場所も、このような高そうなベッドではありんせん」
ここで皮肉れるのは称賛に値する。
ロレンス「夢、じゃないのか」
ホロ「試してみるかや?」
牙をむき出しにするホロを見て、苦笑してしまった。
が、同時にとんでもないことに気づいた。
417 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:24:40.03 ID:YYTg9vM0 [25/39]
ロレンス「お、お前」
ホロ「何かや?」
ロレンス「耳が」
ホロ「耳?耳がどうかしたのかや?……あっっ!!」
頭を抑えてホロが叫ぶ。
そう、ヨイツの賢狼の証である、獣の耳がなくなっていたのだ。
ホロ「わ、わ、わっちの耳……。ま、まさか…」
そう言って今度は手をおそるおそる身体の後ろにまわしている。
ロレンス「どうなんだ」
声をかけても、ホロは呆然と宙を見つめているだけだ。
どうやらしっぽもなくなっているらしい。
418 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:25:51.06 ID:YYTg9vM0 [26/39]
ロレンス「夢じゃない、となると、酔っているのか。いや、どう考えてもこんな場所で眠っていた記憶はない。現金、はあるか。ならば寝ている間に誰かにつれてこられた?…そんな馬鹿な。ホロ、この状況どう思う」
返事はない。
ロレンス「おい」
ホロ「尻尾……わっちの尻尾……」
よっぽどショックだったらしい。
何せ毎日手入れを欠かさないくらいだ、ホロはしきりに口をパクパクさせている。
ロレンス「ホロ、それより今は現状を把握することが大事だ」
ホロ「…それより、じゃと?」
しまった。
419 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:28:32.29 ID:YYTg9vM0 [27/39]
ロレンス「いや、そういう意味じゃなくてだな…」
ホロ「わっちのこの尻尾は賢狼の証!ぬしにも散々言っておったであろう!わっちにとっては二つとない、わっちがわっちである由縁じゃ!寒いときはぬしを暖めてやったりもした!それを…それを…」
ロレンス「わかってる、悪かった。だが今のこの状況を理解した先に、手がかりがあるかもしれないだろう。思考を鈍らしては駄目だ、辛いかもしれないが」
ホロ「……わっちの尻尾…」
バタッと倒れるホロに思わず手をそえてしまった。
ロレンス「ホロ」
ホロ「ぬ、ぬしよ…どうしよう…。わ、わっちは…わっちでなくなってしまいんす…」
大げさでもなんでもない、本気の眼だった。琥珀色の瞳に涙がたまっている。
420 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:33:05.61 ID:YYTg9vM0 [28/39]
ロレンス「お、俺は」
言葉を慎重に選んで、ホロに投げかける。
ロレンス「たしかにお前の立派な尻尾や耳を見られないのは残念、だが、その、なんだ、それがあるからといってお前と一緒にいるわけじゃない。尻尾がなくてもあっても、お前は、お前で…だな」
上目遣いで俺を見つめるホロの表情は、それだけで胸に訴えかけるものがあった。
今回は計算じゃないと分かっているだけに。
ロレンス「もちろん尻尾や耳も魅力的だが、俺が投資したのはそれらを含めた全体であって…」
ホロ「…よい」
ロレンス「え?」
ホロ「…よいのじゃ。有難う」
諦めたような、弱弱しい声が聞こえた。
421 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:38:56.37 ID:YYTg9vM0 [29/39]
ホロ「ぬしに気を遣われているようではわっちもまだまだじゃな」
ロレンス「誰だって考えたこともない境地に立たされたら、不安になるものだ」
ホロ「今まさにわっちらも、その境地に立たされておるわけじゃが」
調子を取り戻したようだ。
ロレンス「しかしすごい造りの部屋だな。こんな豪華な部屋、泊まったことがない。貴族ですら泊まれるかどうか…。見たことがないものも多い。金持ちの趣味か何かかもな」
ホロ「で、どうするんじゃ」
ロレンス「まずは外に出て…」
そのときだった。
部屋のドアが開き、外から男が一人入ってきた。
俺たちを見るなり目を丸くしている。
422 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:41:57.28 ID:YYTg9vM0 [30/39]
男「あっ!きゃ、きゃんゆーすぴーく…じゃ、じゃぱにーず?」
何を言っているのかわからない。
異国人か?
ロレンス「まいったな、言葉が通じないとなると」
ホロに話しかけたつもりだったのだが、男は俺の声に反応する。
男「あ、日本語、しゃべれるんですか?」
ロレンス「ニホンゴ?」
男「てっきり、が、外国人の人かと。いや、でも外国人さんですよね?」
ホロと思わず顔を見合わせてしまう。
423 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:50:07.76 ID:YYTg9vM0 [31/39]
ロレンス「君はここの主人か?」
男「主人?ええと、今ここに住んでるのは僕だけです。両親は長い間、ここを留守にしていて…。あっ、警察とか呼ばないんで、安心してください」
ロレンス「ケーサツ?」
男「ぽ、ぽりす?」
なんのことだかからっきしだ。
男「とにかく、おなか空いてませんか?居間で話しましょう」
男のペースに巻き込まれるような形で、俺とホロは部屋を後にした。
-狼と胡蝶の夢-
424 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:59:13.93 ID:YYTg9vM0 [32/39]
ホロ「うまい!」
ホロは男が出してきた料理を食べながら言った。
さっきは尻尾がないだけで泣きそうになっていたのに、えらい違いだ。
ホロ「これは何という料理かや?」
男「天ぷらですよ。デリバリーですけど。食べたことないんですか?」
ホロ「でり、ばりー?ぬしさまはやはり貴族か何かかや?」
男「貴族だなんて」
冗談かと思ったのか、笑いながら男が言う。
425 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:02:06.99 ID:YYTg9vM0 [33/39]
ロレンス「しかし、そうじゃなくても相当儲かっているみたいだな。両親は何をしているんだ」
男「一応会社を経営しています」
ロレンス「カイシャ?」
経営というなら、商会のようなものだろうか。
男「あの」
ロレンス「ん?」
男「二人はどこから来たんですか?」
もっともな質問だ。
俺は丁寧に、これまでの経緯を説明してあげた。
もちろんホロのことは黙っておいたが。
426 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:07:48.70 ID:YYTg9vM0 [34/39]
ロレンス「というわけだ。俺は行商人のクラフト・ロレンス。こっちはつれのホロ」
ホロ「よろしくの」
『てんぷら』にがっつきながらホロが言った。
男「ええと…。なんていうか、本気で言ってます?」
ロレンス「本気、とは?」
男「つまりその、本当のことなのかどうか信じられないというか」
ロレンス「両親がカイシャを経営しているといっていたな。身分の高い君には分からない世界かもしれないが」
男「いや、そういう意味じゃなくて…」
頭をかきながら男が言った。
427 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:11:24.97 ID:YYTg9vM0 [35/39]
男「今は西暦2010年。ロレンスさんがしたような話は、おそらく中世の中ごろの話だと思うのですが」
ロレンス「中世?」
男「話に出てきた教会っていうのも、多分キリスト教に近いものですよね?」
ロレンス「??」
男「まいったな…」
ホロ「ぬしさまよ、これはなんじゃ?」
気づけばホロは、部屋の隅にある薄い置物のような、四角い物体を指差している。
耳と尻尾がないのも、遠慮をしなくていいという意味ではある意味便利だ。
428 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:14:44.82 ID:YYTg9vM0 [36/39]
男「それはテレビですよ」
ホロ「てれび?」
そう言うと、男は小さな筒のようなものをいじりだした。
途端、
ホロ「なんじゃ!人がおる!」
ホロは『てれび』を叩き出した。
男「絵に描いたような反応しますね…」
先が思いやられる、といった風に男が頭を抱えていた。
429 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:20:10.89 ID:YYTg9vM0 [37/39]
男「ちょっとこっちに来てください」
部屋の隅に俺たちを呼び、男は座った。
ロレンス「これは?」
男「これはパソコン、というものです。簡単にいうと、辞典と手紙、情報収集、娯楽のための機械ですね。操作ひとつで世界のありとあらゆる情報を得ることができて、今の時代、ほぼ一世帯に一個はこれがあります」
ロレンス「どういう仕組みなんだ、こんな小さな箱に…」
男「それを教えていると時間がいくらあっても足りないので、割愛させてください。もし調べたければ、後で貸しますよ」
430 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:26:43.24 ID:YYTg9vM0 [38/39]
男が箱を叩くと、文字が羅列されたページが表示された。
が、見たこともない文字がそこには並んでいて、読むことができない。
男「会話はできるのに文字は読めないのか…。文字に対する認識が違うのかな」
男はぶつぶつと何かをつぶやいている。
男「あった。教会の権力が強くなったのは11世紀中盤以降。歴史に沿っていればロレンスさんたちはそこから来たんだと思います。今から数えると、1000年くらい前ですね」
ロレンス「すごいな、1000年も前の情報があるのか」
旅の途中で出会った年代記作家たちの顔が一瞬浮かんだ。
439 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 18:54:18.67 ID:LOn01i20 [1/15]
男「ロレンスさんたちの時代から見るこの世界は、少し窮屈かもしれませんね」
ホロ「こんなにうまい飯があるのに?」
ロレンス「……」
男「ものが溢れているから豊か、と思えるほど人は賢くありません」
ロレンス「往々にして、豊かな暮らしがもたらすものは、貧困とは何かを決める基準だ。この暮らしはこの世界では普通なんだろう、なら人が次に何を考えるかは知れたことだな。上を向いて歩ける人間は、いつの時代も限られている」
男「さすが、地に足をつけた商売をしている人は言うことが違いますね」
ロレンス「俺は行商人だからな。足がなくては商売にならない」
お互いに暗黙の笑みを浮かべた。
なかなか面白いやつだ。
440 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 18:55:11.88 ID:LOn01i20 [2/15]
ロレンス「しかし君は、こんな俺たちを見ても少しも驚かないな」
男「いきなり寝室に現れたときはもちろんびっくりしましたよ。でも、それを言うならロレンスさんたちもそうじゃないですか?」
ロレンス「まあ、そうだが…」
隣で『ぱそこん』をまじまじと見つめる賢狼と出会ってから、大抵のことには驚かなくなってしまった。
ロレンス「いつだって商売には驚きがつき物だろう?」
男「もちろん。私もそんな感じです。そして、驚いたその次に考えるのは、いかにして儲けるか、ですよね?」
経営者の息子だけに、なかなか頭が回る男だった。
441 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 18:56:40.67 ID:LOn01i20 [3/15]
ロレンス「それに、俺はこの状況がいまだに夢かもしれないと踏んでいる。夢から覚めた俺たちは多くのことを忘れてしまうかもしれないが、何かしらの儲け話なら、持って帰れるかもしれない。そうでなくとも、今ここにある儲け話に乗らない手はない」
男「胡蝶の夢」
ロレンス「?」
男「隣の国の言葉です。ロレンスさんが夢を見てこの時代に来たのか、それとももといた時代がこの時代にいるロレンスさんの夢なのか、判断する基準はありません。頬をつねっても、痛いと感じるのは頭の問題ですから。大切なのはその場その場で自分にできる限りの現実を享受すること。どちらの場合にも己を肯定して、あるがままを受け入れる以外にない」
よくいったものだ。
そして、これに興味を示したのは隣の賢狼。
ホロ「なかなか聡い文言じゃの。ま、差し当たりわっちはうまいものが食えればそれでよい。夢かどうかなど二の次じゃ」
しっぽの話と、故郷の話を出さないのは、ホロなりの気配りだと思った。
442 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:03:56.17 ID:LOn01i20 [4/15]
ホロ「というわけでぬし様たちよ、わっちは腹が減った」
ロレンス「今食ったばかりだろう」
男「別腹ってやつですか」
ホロ「くふ、ぬし様は物分りがいいのう。腹が満たされたらそれでいいというわけではありんせん。まったく、どっかの行商人とは大違いじゃ。つれにするならこっちかの?」
この時代の料理は、ホロにあらぬ期待を抱かせてしまったようだ。
ロレンス「頭にくることをいちいち言わなくていい」
男「たしかに、二人にこの世界を知ってもらうには、外に出てもらうのが一番いいかもしれませんね。説明もてっとり早い」
ホロの性格について、ある程度は理解してもらえたようだ。
443 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:09:48.68 ID:LOn01i20 [5/15]
男「ええと、ただ一点問題がありまして」
言いにくいことをいうときに頭をかくのは、この男のくせらしい。
男「その服装、なんですが」
ホロ「なんじゃ、ちっとばかし派手かや?わっちは気にいっておるんじゃがの」
ロレンス「うーん、町娘にしては多少豪勢かもしれないが…。それなりに仕立てられていて、みすぼらしくは見えないと思うが…」
男「えっと、とりあえずその格好で町に出たら、いろいろと問題がありまして。ただでさえお二人は異国の人です。やはりこの時代、この国に合った服装がいいかと」
ホロ「買ってくれるのかや?」
横目で俺をちらちら見ながら、男にもの言う狼が憎たらしい。
何を期待しているのやら。
444 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:18:38.00 ID:LOn01i20 [6/15]
男「とりあえずロレンスさんは僕の服を貸します。ちょっと小さいかもしれませんが」
ロレンス「身につけられるならなんでもいい。ただ商談に差し支えないやつがいいな」
男「商談、ですか…。わかりました、なんとかします。で、ホロさんは…」
ホロ「わっちこれがいい!」
そう言ってホロが指さすのは、『てれび』に移る女性が身にまとっている服だ。
動きやすそうな服装で、襟元にはスカーフのようなものが巻かれている。下は紺色の布が巻かれていて、裾はかなり短い。
445 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:20:34.08 ID:LOn01i20 [7/15]
男「え…」
ロレンス「少しばかり軽装すぎないか。裾も短い。安い娼婦みたいだぞ」
次にはわき腹を殴られていた。
最後のは余計だったようだ。
ホロ「何をいうておる、あれくらいのがこの時代の流行なんじゃきっと。可憐なあの様子、わっちにぴったりではないか。ほれ、あっちもこっちも、わっちくらいの見た目の娘は同じ服装をしておる」
ロレンス「まあ…たしかにそうだな」
服の流行というのはどの時代も同じようなものなのかもしれない。
ロレンス「すまないが、あれを調達してくれないか。金貨ならこの時代でもそれなりの価値はあるだろう?」
男「えっと、ですね…」
男はなぜか顔を赤くしている。
446 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:24:57.74 ID:LOn01i20 [8/15]
ロレンス「どうした?もしかしてかなり高級なものか?」
男「…ある意味では」
それにしたって顔を赤くするようなことなのだろうか。
ホロ「ううむ、見れば見るほどわっちの趣味にぴったりじゃのう。この時代の娘は、みんなああいう格好をしておるのかや?」
男「なんていうか、その、ホロさんくらいの年齢の人が着る、一種の正装のようなものでして」
ホロ「ほう?修道女の服のようなものかや?」
男「一般的には学生が着るんですが、その、なんていうか…」
ロレンス「手に入りにくいものなのか」
男「……」
黙ってしまった。
447 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:32:22.21 ID:LOn01i20 [9/15]
ホロ「ぬし様よ、わっちはこれでいて中々にして服装にこだわりがありんす。今着ているこの服も、無理を言ってつれに買ってもらったが、やはり自分の気に入ったものを身に着けている間は、気分がよい。わっちらは時代を越えてこの場に来たわけじゃから、ぬしさまにとっては無理を言っておるかもしれぬ。じゃが、纏う服は品格を表すとも言うじゃろ?時代になじめば、ぬし様の力になれるやもしれんのじゃ。だから……買ってくりゃれ?」
こんな言い方をされたら、たいていの男は黙っていられないだろう。
俺にできることといえば、黙って男を哀れむだけだ。
男「わかりました……恥を恥としていたら…商売は勤まりませんしね…」
男はあきらめたように『ぱそこん』の前に座る。
時代を越えても、女と酒に酔わない男はいないようだった。
448 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:41:20.74 ID:LOn01i20 [10/15]
ロレンス「まさか、買い物もそれでできるのか?」
男「ええ。手紙の機能があるということは、取引も行えるということです。将来は世にある商談も、これの前で行うことになるかもしれませんね」
夢のような話に舌を巻いてしまう。
ロレンス「すごい技術だな。これを発明したやつは大儲けだろう?」
男「もちろん。大儲けしすぎて、一生のうちに使い切れないみたいですよ。そして、この技術をさらに洗練したものを商売にしようとして、数々の商人が生まれました。この国、日本でもそれは生まれましたが、多くは淘汰されたみたいですね。……はい、ホロさんどれがいいですか?」
ホロ「くふ、どれにしようかの」
苦労はいざ知らず、ホロは満足そうな表情で品定めを始めた。
449 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:49:48.69 ID:LOn01i20 [11/15]
結局ホロが服を決めるまでに、日が落ちてしまった。
我侭なつれに肝を冷やしたのは、どうやら俺だけではないらしい。
男「やはり、行商人は苦労されてますね」
ロレンス「わかってくれるか」
ホロ「なんじゃ、ぬしらも商人なら商品の手入れを怠るでない」
なぜこの狼が一番えらそうなのかは大いに疑問だったが、どうにか服選びはことなきを得た。
男「一番早い便で頼んだので、明日には届くと思います」
ロレンス「そうか」
男「それと、お金の話なんですが」
言葉と共に商人のそれに頭を切り替える。
目を覚ましたら金が元に戻っている、とも限らない。
450 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 20:19:19.97 ID:LOn01i20 [12/15]
男「お聞きした話で推測するに、ロレンスさんたちのこの銀貨、ええと、トレニー銀貨って言ってましたね。これの価値は、今の時代でいうとこの紙幣一枚とだいたい一緒くらいだと思います」
ロレンス「これは…紙、だな」
男「そうです。ただ、この国の信用において、現在この紙が最も高い価値を持っています」
ホロ「こんな紙きれがかや?」
男「一万円札、といいます。取引に有用なように改良された結果ですね。とにかく、この国で取引をする際にはこのお金を使ってください。国が価値を保障しているので、とりあえず国内で使う分にはこれで十分です。外貨を使う機会は、消費の面でならめったにありません」
ロレンス「…よっぽど豊かなんだな、この国は」
外貨に頼らなくていいのは、物が国内でそろっているからだ。
男「もっとも商売をする上でなら、必要になってくるかもしれません。僕も小遣い稼ぎ程度になら、外貨で儲けたりもしますよ。波を読むのはあんまり得意じゃないんで、ほどほどにしてますが」
451 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 20:28:12.95 ID:LOn01i20 [13/15]
ロレンス「それで、その紙を、俺の持っている金貨と交換するのか?」
男「……」
この取引は明らかに俺に不利だ。
理由は、俺たちの時代でのリュミオーネ金貨を、円に両替したときの相場がわからない。
おそらく純粋に金としての価値で見積もられるだろう。
この紙切れが紙幣として価値があるのは、信用が上乗せされているからであり、同じ理屈で、信用のないリュミオーネ金貨は、ただの金(純粋な金ではない)だ。それだけでは価値がなく、相対的に損をする可能性が高い。上乗せされた信用の価値が、まるごとなくなってしまうからだ。
この時代で金自体の価値が高まっていれば話は別だが、信用を越えられるほどの価値があるかどうか、厳密には測定できないだろう。
ロレンス「かといってそれ以外に俺たちに他に手があるかといえば、ないんだがな」
452 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 20:38:11.88 ID:LOn01i20 [14/15]
男「いえ、当面のお金はいりません」
男の雰囲気が変わった気がした。
ロレンス「……?」
男「その代わり、僕と組みませんか?時間はたっぷりある、と思います。地に足をつけて生きてきた行商人なら、愚直さと狡猾さを兼ね備えた優秀な人材のはず。――――名乗らせてください。僕の名前はユウと申します。この国の言葉で、勇ましいという字を書いて、ユウ」
まるで演説でもするかのようだった。
ユウ「男に生まれたからには成し遂げたい夢がある。さてさて、得てして機会はふとしたときに現れるものです。めぐり合わせもまたしかり。ロレンスさん、夢か現か、せっかくお越しになったこの時代で、どうせ見るなら華麗な夢がいいでしょう?…今日はゆっくり休んでください。明日から、少しずつお話しますよ」
正直な話、胸の奥でうずく衝動を感じずにはいられなかった。
466 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:26:12.30 ID:CLkJW9Y0 [1/10]
ホロ「どうじゃ、似合うかや?」
翌日届いた服を着て、くるりと一回転するホロ。
なかなか様になっていた。
ロレンス「…やっぱりちょっと、短いんじゃないか」
どうも裾の長さが気になってしまう。
ホロ「他の雄に見られるのが心配かや?くふ、これでぬしらの視線を釘付けじゃ」
ロレンス「できればお前の口を釘で打ってやりたいよ」
ホロ「ぬしがその気ならいくらでも打ちつけてよいが……やさしくしてくりゃれ?」
減らない口をつまんでやった。
467 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:27:03.04 ID:CLkJW9Y0 [2/10]
ユウ「サイズが心配だったんですが、なんとかなりましたね。ツテを辿った甲斐がありました。ロレンスさんも似合ってますよ」
ホロ「うむ、馬子にも衣装とはこのことじゃ」
ユウから貸してもらった服は、紺色の服だった。
『ねくたい』をつけて着る、『すーつ』という品らしい。
ロレンス「少し動き辛いな。首も苦しい」
ユウ「たいてい商談のときはそれを着ます。こっちも思ったよりぴったりでしたね」
満足そうなユウの顔を見て、どうも調子を崩されてしまう。
昨日の表情は確かに商売人のそれだった。
警戒しておいて損はないと思っていたのだが…
468 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:30:01.27 ID:CLkJW9Y0 [3/10]
ホロ「しかし、うーむ…」
ロレンス「どうした?」
ホロ「どうも、落ち着かぬ。下がスースーしんす」
ユウ「っ!」
ホロ「ぬし様よ、この時代の娘は」
ユウ「後で買いますよ!それまで我慢してください!」
ホロ「?」
俺たちはそろって家を後にした。
471 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:41:14.39 ID:CLkJW9Y0 [4/10]
ホロ「すごいのう!!」
外に出てみると、確かにここが未来の世界だと実感させられた。
ロレンス「何階建てなんだ?あっちもこっちも…。崩れたりしないのか」
ユウ「ロレンスさんたちの時代みたいに、土地が余っていないんですよ」
ロレンス「ずいぶんと道が狭いな。というより舗装されている。どれだけの金がこの町に落とされてるんだ」
ユウ「……」
ユウは何やら難しい顔をしていた。
472 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:47:10.79 ID:CLkJW9Y0 [5/10]
ユウ「ロレンスさんたちの時代も、権力機構はえてして腐りやすいものでしたか」
ロレンス「唐突だな」
ユウ「いえ…」
ホロ「ふん、いつの時代も賢人は隠居するもんじゃ。賢者は黙り、愚者は語る。そんなとこじゃろ?」
ユウ「さすがですね」
ユウが何を考えているかは手にとるようにわかる。
ロレンス「俺たちの時代には教会や貴族、国王が大きな力を持っていた。だが、この時代は民衆が力を持っているんだろう?変えようと思えば変えられるんじゃないか」
ホロ「それは早計じゃの」
473 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:53:02.23 ID:CLkJW9Y0 [6/10]
ホロ「国を変えようと思うのは生活が逼迫しておるからじゃ。命がかかわるくらいにの。そうでもなかったら大抵は無関心じゃろ。彼奴らの目に映るのは自分の周りの世界だけ、いかにして生活の水準を下げないか。権利を主張するばかりで義務にたいしては後ろ向き、まあ、よくある光景じゃ」
ロレンス「…そういう、ものなのか…」
ユウ「民主制は最高の打ち手ではなく、他に代わりがない暫定的な制度だといわれています。ここに住んでいると、それがよくわかりますよ」
ロレンス「俺たちの時代からは考えられないことだ。人の欲というのは、なんというか、扱い辛いものだな」
ユウの住む家を下りながら、そんな会話を交わした。
474 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:59:01.30 ID:CLkJW9Y0 [7/10]
ホロ「わっちらはどこに向かっておるんじゃ?」
道を歩きながらホロが言う。
ユウ「ここは我が国の首都にあたる町です。昨日、パソコンについて話しましたが、その中でも特に情報関係の企業が多い町がここ、渋谷です。僕の父もその一人でして」
ロレンス「人でごった返していて仕事どころじゃなさそうだが」
ホロ「あれをみよ!犬の像がありんす!…いや、もしかして狼かや?あれはこの町を救った英雄かや?」
ロレンス「聖像か。この国は無宗教と聞いたが、確かに人だかりができているな。さぞ有り難味がある像なんだろう」
ユウ「いや、あれはハチ公っていいまして」
そんな感じで町を転々としていた。
475 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 19:07:53.41 ID:CLkJW9Y0 [8/10]
ロレンス「ひゃっかてん?」
ユウ「ええ。物流を仕切る企業が経営する、まあ言ってみれば大型の雑貨屋と思ってください」
しばらく歩いた後、たどり着いたのは大型の建物だった。
中をのぞくと、品揃えに圧巻する。
ロレンス「…二つほど、気になることがあるんだが」
ユウ「なんです?」
ロレンス「まずひとつは、パソコンで世界中の物の流れが把握できてしまうなら、大商会が買い付けに走った品物はほとんど独占されてしまうんじゃないか?市場に新規商会を立ち上げることは困難だろう?」
ユウ「一理ありますが、そこは法律で水準が設けられています。独占禁止法といって、企業間の競争を推進する法案です。もちろん、水準に違反しない程度にはどこの企業も独占を狙ってきますが」
ロレンス「ほう」
476 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 19:14:00.63 ID:CLkJW9Y0 [9/10]
ロレンス「もうひとつは、この国の関税はどうなってるんだ?あれだけのもの、国内ですべて生産しているわけではないだろう?それなのに、この値段だ」
値札を指して言った。
ユウ「うーん…。それは話すと長くなりますね」
ロレンス「?」
ユウ「関税は、一応存在しますが、国同士の協定によって厳しく定められてます。世界としては、自由貿易に向かう方向にあり、基本的に保護政策は弾圧されますね。もちろん、支障がない程度に政策を取ることもありますが…」
ロレンス「よく国内産業から批判が出ないな」
ユウ「もちろん出たこともありますよ」
ロレンス「ううむ」
ユウ「ちなみにこれについて詳しく知りたい人は、国際経済法って本を読んでください」
ホロ「誰に対していってるのじゃ」
ユウ「さてさて」
488 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:10:29.54 ID:3nNq4NU0 [1/4]
ユウ「それで…僕はちょっと用事があるので、その、ホロさん」
ユウとホロがなにやら話している。
ホロが横目で俺の方を見ながら、かすかに笑っていたのは気のせいだろうか。
ホロ「というわけじゃ、ぬしよ」
ロレンス「何がだ」
ホロ「ぬしはわっちと買い物じゃ」
ロレンス「買い物?ユウはどうするんだ」
ユウ「すいません、ちょっと予定が。ホロさんにカードを渡しておいたので、適当に使ってください」
ロレンス「かーど?」
ユウ「証書みたいなものです。あと、これ」
渡されたのは小さな筒のようなもの。
それが携帯電話だとわかるくらいには、この世界の話は聞いていた。
489 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:13:01.76 ID:3nNq4NU0 [2/4]
ホロ「ほれ、早く」
ロレンス「お、おい」
俺はなされるがままにホロに手をひかれる格好になった。
ユウ「家に帰るのが遅くなるようでしたら、連絡してください」
どうにも胡散臭い。
ホロの表情は読み取れないが、過去の経験が何やらよからぬものを感じている。
ロレンス「ホロ、何を吹き込まれたんだ?」
ホロ「黙ってついてくればよい」
口を割る気はないようだ。
490 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:19:57.98 ID:3nNq4NU0 [3/4]
百貨店の中は大勢の人数でにぎわっていた。
心なしか、ホロくらいの娘が多い。
ロレンス「あいつは俺たちに、買い物をさせるために連れてきたのか?」
ホロ「なに、言葉は通じるんじゃ、わからぬことがあれば人に聞けばよかろう?」
ロレンス「どうにも腑に落ちない。ユウは経営者の卵だ。おそらく指折りの。俺たちを使って何を企んでいるかわからないが、これだけの振る舞いをする以上は何かしらの利益を見込んでいるに違いない。最初はお前をダシに何かやるつもりなのかと思ったが…」
ホロ「くふ、わっちらはこの時代では赤子も同然じゃからの。可愛いわっちくらいしか、商品として価値がないと判断するのも頷ける」
ロレンス「お前はこの世界ではただの娘みたいだ。俺たちをだました結果、どこかに売り飛ばされる危険もあるかと考えたが、ここは力を持った国家みたいだからな。話では奴隷商も犯罪行為だと聞く」
491 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:22:59.04 ID:3nNq4NU0 [4/4]
ホロ「ならば何を望んでおるんじゃろうな」
つかつかと道を歩くホロ。
ロレンス「わからない。やはり現状に対して俺たちはあまりにも無知だ。そう考えるとこのカードもおちおち使ってはいられなくなる。借りは返さなければならないからな」
瞬間、ホロがぴたりととまった。
ホロ「くふ、わっちの身体に頼ることがないようにの?」
ロレンス「…勘弁してくれ」
反応を伺って言葉を投げるのはやめてほしい。
493 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:10:42.23 ID:GANF94I0 [1/12]
ロレンス「ところで、だな」
動く階段を歩きながら声をかける。
ホロ「なんじゃ?」
ロレンス「お前はこうして俺の話を聞けている」
ホロ「?」
何を言いたいのかわからないといった表情だ。
ロレンス「それでも、お前の耳はなくなったままだ。一体どうやって…」
ホロ「ぬしよ」
その瞬間のホロの目は、なんともいえない冷たさを宿していた。
494 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:16:24.61 ID:GANF94I0 [2/12]
ホロ「世の中には決して開けてはならぬ箱がある、という話を聞いたことがあるかや?」
ロレンス「あ、ああ」
ホロ「ぬしらの言葉を借りるなら、確か、この世のあらゆる悪意がそこには封じられていたが、最後に希望が残った、とかいう話だったと記憶しておる」
ロレンス「ず…いぶんと大仰な物言いだな」
口を指で押さえられた。
ホロ「よもやないとは思うが、ぬしがもしもこの髪の下を覗こうとしたものなら、そこに希望は残らぬ、と思うがよい。開けてはならぬものは、やはり開けてはならぬ。いくらぬしでもな」
ロレンス「わ、わかった…よ」
ホロ「聞こえているものは聞こえておるんじゃ。それでよい」
次の瞬間には元の表情に戻っていた。
495 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:24:05.21 ID:GANF94I0 [3/12]
ホロ「ぬし、ここじゃ」
ロレンス「…ここは」
店員「いらっしゃいませ」
ホロ「ぬしさまよ、ここは何の店かや?」
わざとらしくホロが口を開く。
俺だって馬鹿じゃない。
たとえ俺たちの時代にないものでも、なんとなくその場所がどういう場所で、そこに行く者は周りからどういう目で見られて、くらいはわかる。
はめられた、と直感した。
周りを見ると、ホロと同年代くらいの娘が、俺を見て何やら話している。
店員「え?は、はい。下着売り場でございますが…」
頭を抱えてしまう。
496 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:28:10.36 ID:GANF94I0 [4/12]
ロレンス「さっきここの場所をユウに聞いていたのか…」
ホロ「くふ、どうしたんじゃ?一緒に見て回りんす?」
隣には意地の悪い笑顔をもらす狼がいた。
ロレンス「…あいつには後でいろいろと、話すことがありそうだ」
その狼はこともなげに、くつくつと笑っていた。
ホロ「うーむ、しかしこういった趣向は好きじゃ。やはり時代に合った感覚は必要じゃの。それに、真に高貴なものは、人から見えぬところまで高貴であるべきじゃ。そうじゃろ?」
ロレンス「……」
ホロ「くふ、どうされた?ぬし様?」
どこに目をやっていいかわからない。
だいたい、俺以外の男はこの空間に存在しないのだ。
どういう表情をしていればいいかもわからない。
497 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:34:48.74 ID:GANF94I0 [5/12]
ロレンス「お、俺は他の店を見てくる」
瞬間、がちっとホロに手をにぎられる。
ホロ「何を言うておる。わっちだけで選べというのかや?」
ロレンス「俺がここにいる必要はないだろう!」
店員「お客様、どうかされましたか?」
思わず大声を出してしまい、先ほどの店員が近くに寄ってきた。
ロレンス「い、いえ、特には」
ホロ「ごほん、どうせぬしさまも夜な夜な見ることになりんす。一緒に選んでおいたほうがよかろう?それとも、その時まで伏せておく方が好みかや?」
あえて店員に聞こえるようにその言葉を発し、続いて店員が苦笑して俺を見る。おそらくあらぬ想像を巡らせているんだろう。問題なのはそれもホロの計算のうちという点だ。
まったく、どこまで頭が回るんだ。
498 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:40:19.92 ID:GANF94I0 [6/12]
ロレンス「誤解されるようなことを言うな」
ホロ「淡い色が合っておるかの?うーむ、しかし地味じゃ。高貴なわっちにはやはりそれに備わった色がよい。ぬしさまよ、琥珀色のものはないかや?」
店員「それでしたらこちらに…」
俺を無視してホロはぺらぺらとしゃべる。
次々と下着を手に取っては、ときおり横目でこちらの様子を伺っている。
お手上げだ。
ホロ「…柄が趣味でないのう。ここはあえて黒なんてのはどうじゃろう?くふ、ぬしには悪魔などといわれたこともあったからのう。…ぬし、どれがよい?」
ロレンス「どれでもいいだろ」
ホロ「どこを向いておる。ほれ、しっかり見てくりゃしゃんせ?」
ロレンス「……」
499 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:46:33.66 ID:GANF94I0 [7/12]
どうにもこうにも周りの視線が気になって集中できない。
ロレンス「お、お前が好きな色でいいじゃないか、俺の好みは関係…」
ホロ「ぬしに見てほしいんじゃ…」
上目遣いの使い方に関しては、この賢狼に勝る者はそういないだろう。
もしかしたら本当に一人もいないかもしれない。
ロレンス「……く、黒、とか」
ホロ「……くふ、やはり黒はよくないかや?では黒以外のものを」
そう言ってホロはすまし顔で、俺の意見以外の下着を店員に渡した。
完敗だ。いろんな意味で。
ホロ「ぬし、どうされた?何を残念そうな顔をしておる?」
にやにやと笑う様が腹立たしい。
ロレンス「そんなに俺をいじめて楽しいか」
ホロ「単純にからかってるだけじゃ」
500 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:01:50.29 ID:GANF94I0 [8/12]
ホロ「あっという間の一日じゃったの」
帰り道、『わんぴーす』を着ながらホロが言った。
下着売り場に行ったあと、いろいろ見て回っているうちに陽が暮れてしまった。
制服だけでは、という話になっていくらか服も購入したのだ。
ロレンス「いろいろ見て回ったからな。ユウに何て言われるか。結構な金額になってるはずだ」
そうは言うものの、ホロの性格くらいユウも見抜いていることだろう。
それでいてカードを貸してくれたんだから、あまり気にする必要はないように思えた。
ホロ「しゃしん、と言ったかや?あれは面白かったのう。あの小さな箱の中に絵描きが住んでおるかと思った」
ロレンス「正確にはぷり…なんとかというらしい。この時代の娘に人気の機械だとか」
俺には何がいいのかはわからなかったが、ホロは大切そうにその紙を眺めていた。
501 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:08:02.28 ID:GANF94I0 [9/12]
ロレンス「それで、相談なんだが」
ホロ「…謀(はかりごと)かや?」
こちらを見ずにホロが言う。
頭を切り替えるにはちょうどいい。
頃合だ。
ロレンス「すでに謀られているかもしれない。なら、俺にできるのはここぞという場所でその立場をひっくり返す算段を練ること」
ホロ「ぬしは本当に頭から足の先まで商人じゃのう。たまにはのんびりできんのかや」
ロレンス「俺が駄目になっていくところを見たいか?」
ホロ「そうは言っておらぬ」
どこか不機嫌そうな物言いだ。
ホロ「…わっちにだって、浸っていたいときがありんす」
ロレンス「ん?」
ホロ「ぬしは鈍いの」
よくわからない。
502 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:13:05.30 ID:GANF94I0 [10/12]
ホロ「わっちの意見を言っていいかや」
ロレンス「差し支えないならぜひ」
ホロ「彼奴は謀っておらぬと思う」
ロレンス「根拠は?」
ホロ「ない。が、おそらくわっちらを捕らえてどうこうとか、騙してどうこうという面はしておらんかった」
ロレンス「お前が他人に対してする評価としては珍しいな。そんなにあいつが気に入ったか」
ホロ「嫉妬かや?」
ロレンス「商人としての、な」
ホロ「雄としては?」
ロレンス「負けてないと思うがな」
ホロ「ほう、かぶいたの?くふ、せいぜい頑張ってもらおうかや」
気づいたときには腕を組まれていた。
503 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:24:42.84 ID:GANF94I0 [11/12]
ロレンス「お前の勘は確かに頼りになる。だが、商人としてはどうしても裏が取れないと信用に足りない」
ホロ「わかっておる」
ロレンス「あいつからは経営者としての才を感じた。仮にあいつが何か新しい商売を始める気でいるとして、俺たちに損はないとしても、有益な何かを引き出そうとしていることはわかるんだが」
ホロ「わっちらにはそれに見合う相応の対価がない、ゆえに不安になる」
ロレンス「身体の隅にまで染み込んでるんだよ。俺たち商人にとって、得と損とは表裏一体でしかるべき、とな」
ホロ「難儀な生き物じゃ」
ロレンス「それがわかるまでは安心できない。まぁ、とはいっても今のところ流されるしかないんだが、他のことにかまけていたことが理由で転びたくはないからな」
ホロ「わっちはこの世界ではただのか弱い小娘じゃ。狼になってぬしを救うこともできぬ。それくらいの用心は必要じゃろう」
ロレンス「ああ。いざとなったらお前を守るのは俺だからな」
ホロ「ならば今回はぬしが狼になってくれるのを期待しておこうかの。じゃが、化けるのは夜にしてくりゃれ?あと、優しく…の?」
できないのがわかっていてこういうことを言うのだから、まったく手に負えない。
帰路には夕暮れの風が吹いていた。
515 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 00:37:34.23 ID:1sP3Uco0 [1/16]
(ロレンスさん)
しばらく経ったある日。
夜中に声がした。
隣ではホロがだらしない格好をして寝ている。
声の主はわかっていたので、毛布をかけて扉を開いた。
_______________________
ロレンス「連れが眠るのを待っていたな」
居間に通されて座る。
ユウ「多勢に無勢、という訳ではありませんが」
その言葉が示すのは商談開始の合図。
どの時代でも言い回しはそうそう変わらぬものらしい。
ロレンス「あれでいてよく口が回るからな」
ユウ「ええ、口が回れば頭も回る。そして僕たちは」
ロレンス「無論、金を回す、だろう?」
久々の壇上で、お互いのナイフを研ぐようなこの雰囲気が俺は好きだった。
どうやら相手もそうらしい。
516 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 00:47:50.95 ID:1sP3Uco0 [2/16]
ユウ「さて、どうですか、この世界は」
ロレンス「いささか切り口がいびつすぎやしないか?」
ユウ「これは単純な感想を聞いてるだけですよ」
商談になるととたんにこの雰囲気だ。
もしかしたら普段のおどけているこいつは演技なのかもしれない。
試されている、と俺の中の商人の頭が揺れる。
ロレンス「正直、俺が商売するには向いていないと感じた。あまりにも産業が成熟しすぎている。お前の金で何回か周らせてもらったが、常に発見の毎日だ。つれは喜んでいたが」
ロレンス「どの商品も、基本的には需要の前に供給が来る。あとはいかに買わせ、消費させるか。シャンプー、と言ったか?髪を洗う道具であれだけの種類、俺たちからしたら正気の沙汰じゃないな」
ユウ「仰る通りだと思います」
517 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:06:56.32 ID:1sP3Uco0 [3/16]
ロレンス「俺は行商人だったからな。基本的には、自分で仕入れて自分で売る。そのための知識はもちろん頭に入れてあるが、これだけ市場が拡大されていると、そうもいかない。とても一人で抱えきれる量じゃない」
ユウ「そして一定以上の儲けを出すための資本とノウハウは、大手商会が抱えています。この国の就業制度については話しましたよね?」
ロレンス「ああ」
一瞬旅の途中で出会った、賢い小僧のことを思い出した。
弟子にしようか迷ったほどのあれが、この時代に生まれていたらどうなっていたんだろう。
ユウ「そう。僕は別に制度それ自体については疑問を持ちません。彼らは資本と頭脳を投じて利益を得る。そこにはもちろんたゆまぬ努力が必要であり、評価されてしかるべきだ。ロレンスさんが行商人として独り立ちしたように」
ロレンス「皮肉に聞こえるのは気のせいかな」
ユウ「……」
519 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:15:54.33 ID:1sP3Uco0 [4/16]
ロレンス「そうして育った大商会なら、利益はそれこそ根こそぎだろう。残りにできることは、せいぜいゴミっかすでその場しのぎの利益を得ること」
ユウ「そうだとしても、おそらくロレンスさんたちの時代よりは、この日本のほうが豊かな国のはず。しかし、人はそれでも納得しない。少なくともこの国の人は。なぜだと思いますか?」
先日、ホロが言っていた言葉を思い出した。
ロレンス「自分が、持たざる者だと思ってしまうから」
ユウ「ご名答です。たとえ1000年前と比べて豊かであってとしても、いや、同じ時代の中で富んでいる存在であったとしても、彼らは嘆く」
ロレンス「上を向いて歩ける人間はいつの時代も僅か、か」
ユウ「ええ」
520 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:26:22.95 ID:1sP3Uco0 [5/16]
ユウ「ではもっと根本的な質問をします」
どうにも演説ぶった言い方だった。
商談になると口調が変わる商人は珍しくないが、ここまであからさまなのは初めて見る。
ユウ「彼らはなぜ、下を向いて歩くのでしょう」
ロレンス「…俺は神学者じゃない」
説法じみた物言いについつい反論してしまった。
ユウ「神学?…それはそれで言い得て妙ですね。古来神学は哲学と同一視されることもあった。もちろん、方法論としての話ですが」
ロレンス「ユウ、この国の人々は無神論者じゃなかったのか?説法なら俺たちの時代でしてきたほうが儲かると思うがな」
ユウ「…………ロレンスさん、もう言葉はそろってると思いませんか?」
ロレンス「何を言っている?
……………いや、まさか」
口を手で押さえてしまうのは思いついたときの癖だった。
521 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:33:46.49 ID:1sP3Uco0 [6/16]
ロレンス・ユウ「「できるはずがない」」
はっとして見上げた先には、恐ろしいほど真剣な顔をしたユウがいた。
俺の言葉を読んでしてやったりといわんばかりの表情で。。
ユウ「ロレンスさんがそう思うのも無理はありません…………でした。
ふふ、過去形なのは、1000年前から来たあなたならわかるでしょう?『できるはずがない』、がいかに無力な言葉かを」
ロレンス「………」
この時代には俺たちの時代からは創造もできなかった商売やモノがあふれている。
それはこの数日、目の前にいるユウの金を使って、散々学んだことだ。
俺たちの子孫は、できるはずがない、を何回も乗り越えて、この世界を作り出してきたのだ。
ロレンス「……だから俺たちを泳がせた」
ユウ「無知は罪でしょう?」
522 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:46:22.73 ID:1sP3Uco0 [7/16]
ロレンス「『それ』の目的は何だ」
ユウ「僕はこう見えても善人なんです。自慢に聞こえても構わないですが、これ以上豊かな生活は必要ない」
ロレンス「……」
ユウ「本当ですよ。商人は金を墓には持っていけません。なら僕は、墓に刻む名は名誉あるそれがいい。だから、そうですね、名がほしいんだと思います。人が金の次に欲しがるのはいつだってそれでしょう?」
ロレンス「それは持てる者の言い分だ」
ユウ「いいですよ、それでも。ただロレンスさん、信じてください。人なら誰だって英雄にあこがれる。それ自体にはならなくとも、国の人たちの標を作れるなら、それはそれで幸せなことだ」
その言葉を放つユウの目は、確かに澄んでいて、幼い少年のようだった。
ロレンス「………最初から商売目的ではなかった」
ユウ「ええ。人が上を向いて歩けるように」
ユウ「この国に神を造る」
変わらない澄んだ瞳で、無神論者の少年はそう言い放った。
523 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:55:20.57 ID:1sP3Uco0 [8/16]
ユウ「ちなみに、ロレンスさんは神を信じますか?」
ユウが冷蔵庫からぶどう酒を取り出しながらその質問がされる時には、部屋で寝ている狼が気になっていた。
ロレンス「何を持って神とするかは別として、なら。似たような類の存在に出会ったことはある」
俺の言葉はほとんど聞いていないようなそぶりで、ユウはぶどう酒を注ぐ。
ユウ「僕は信じていないんですよ。小さいころから一度も信じたことがない」
差し出されたぶどう酒はそれこそ血のようだった。
525 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:07:11.90 ID:1sP3Uco0 [9/16]
ユウ「最初は神を信じている人は弱い人だと思っていた。
何かにすがらなければ生きていけない人たちの集まりだと思っていたんです。
でもそうじゃない。人は等しく弱い存在だった。
強い人などいない。傷が見えるか見えないかの差です。
挫折したり、裏切られたり、傷つけられたり、誰しも自分一人では解決できない。
かといって、誰かが解決してくれるわけでもない。
しかし、問いかけたそのとき、答えてくれる存在がいたら?
彼らと唯一違うのは、絶対的に信じられるものがあるかないか。
宗教戦争の話をしましたね?すがるべきもの、信じるものがある人はそうやって答えまでたどり着く。
僕はこの国の自殺者が多いのは、無宗教だからだと本気で思っています」
ロレンス「だがそれで、誰しもが納得できる結果になるほど世界はうまくできていない」
その言葉と共に、ユウはこれ以上ないほどの笑みを浮かべた。
ユウ「ロレンスさん、世界は僕たちの中に作るんですよ。最初に会ったときに言ったでしょう?」
ロレンス「っ!」
胡蝶の夢。
大切なのはその場その場で自分にできる限りの現実を享受すること。
どちらの場合にも己を肯定して、あるがままを受け入れる以外にない。
ユウ「ならば不幸な人々が、あるがままを受け入れ、幸せになるために最もよい方法はおのずと分かるはず」
ロレンス「………」
526 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:26:45.65 ID:1sP3Uco0 [10/16]
ユウ「信じる者は救われる、とはよく言ったものです。残念ながら、僕はそれに肖れませんが」
ユウ「さて、ここからが資本主義、民主主義のいいところです。
この国では、神を金で買うことができる」
トレニー銀貨をはじきながらユウは続ける。
ロレンス「……権利を買い付けるつもりか」
ユウ「それはそんなに驚くことじゃないでしょう。古い神の多くは守銭奴だった、正確にはそれに仕える者たちが、ですが。ならば神としても、民に調和をもたらすことをご所望では?
ロレンスさん、物質や資本に支配される時代は過ぎ行こうとしています。これからは心に投資する時代。僕にできることといえば、この世の中に小さな蝶を羽ばたかせることくらい、ですが」
527 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:27:37.36 ID:1sP3Uco0 [11/16]
ロレンス「その絵空事の中で羽ばたく蝶は、どうやって仕入れるつもりだ?よもや、お前が舞うなどとは言わないだろうな?悪趣味にも程がある」
ユウ「なあに、仕入れた繭は立派に孵化してくれましたよ。可憐に舞っているところを何度も見ましたからね」
心臓が張り裂けるような感覚に襲われた。
頭痛がひどい。
とっさに寝室を振り返ってしまった。
ユウ「さしずめ、ロレンスさんは甘い蜜になってもらいましょう」
ロレンス「馬鹿な」
ホロが寝ていてくれることをこのときより願ったことはない。
528 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:35:22.23 ID:1sP3Uco0 [12/16]
ユウ「彼女、反対すると思いますか?」
ロレンス「当たり前だ!」
ユウ「なぜ?」
ロレンス「それは……っ」
言い返せなかった。
かつて神として崇められていた賢狼も、この世界ではただの娘。
証明する手立てなどない。
ロレンス「あいつは……そういう、存在じゃない」
それが精一杯だった。
529 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:43:10.92 ID:1sP3Uco0 [13/16]
ユウ「……」
それでも、ホロが神だった頃に味わった想いを、今ここでもう一度させるわけにはいかない。
損得ではなく、そのために俺はあいつと旅をしてきたんじゃなかったのか。
ロレンス「崇められる者の気持ちがわかるか?対等に話すべき者もいない、気を利かせれば気まぐれ、そんな扱いをされるやつの気持ちがわかるか!?…いや、お前でも少し頭を回せばわかるはずだ!孤独は死に至る病、お前ほどに経営を学んだ者なら…」
ユウ「これは商売じゃない。それに」
少し語気を強めた口調。そして、
ユウ「あなたがいるじゃないですか」
ロレンス「…っ…それでも!」
続ける言葉は持ち合わせていなかった。
530 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:48:22.58 ID:1sP3Uco0 [14/16]
ユウ「……ふう、ちょっと疲れましたね」
気づけばユウのぶどう酒はすっかり空になっていた。
ユウ「今日はもう遅い。僕のナイフは全部投げきりました。後は二人でしばらく話し合ってください」
そして、口調も以前のそれに戻っていた。
会ったときと同じ、無垢な口調。
ユウ「もともとこの話に強制力はないですからね。少年の夢を語ったまでです」
ニコリと笑うその様。
俺はこのとき、この世で最も恐ろしい種類の生き物を理解した。
その澄んだ瞳には一点の迷いも、狡猾さも、騙しもない。
気づけば、俺のナイフはもうすっかりその瞳に飲み込まれていた。
531 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:53:51.51 ID:1sP3Uco0 [15/16]
そしてその生き物は、
ユウ「ロレンスさん」
寝室の扉のしまり際、こともなげにこんな台詞を吐いた。
ユウ「いい夢を」
扉が閉まる音。
重くて暗い、幸ある夢が、産声をあげる瞬間だった。
540 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:29:09.38 ID:nfhzqLE0 [1/18]
小奇麗なベッドに座る。
こんなときにも高級感を出す寝具が、とびっきりの皮肉を浴びせているような気がした。
ロレンス「神を造る」
笑わせるなともいえない。おそらく、できるんだろう。
だとしても、俺が知っているかつての造られた神は、才はあっても万能ではなかった。
それを知っている自分が、どんな理由があって加担できよう。
「神はいつの世も大盛況じゃな」
そして、起きてほしくないことは、やはりすんなりと起きる。
541 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:29:36.29 ID:nfhzqLE0 [2/18]
気づけばホロが真後ろに座っていた。
この時代は寝巻きを着て寝るのは貴族だけではないらしい。
小さな狼が描かれた、上下同じ柄の服を着ていた。
ロレンス「お前」
ホロ「言わぬでよい。ぬしが何を考えてるか、わっちでなくともわかりんす。ぬしらといっしょじゃ、聞きたくない、聞かなくてよい、そういうことほど耳は尖る」
ロレンス「耳はなくなっても、やっぱり聞こえるんだな」
ホロ「たわけ」
こつんと頭をぶつけられる。
ホロ「守ると甘やかすのとは違いんす。嬉しいかと聞かれれば嬉しいが、わっちもぬしと頭を並べさせてくりゃれ?孤独は死に至る病、じゃ」
ヨイツの賢狼はいつだって聡明だ。
齢を重ねれば、俺もこんな風になれるのだろうか。
542 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:30:12.27 ID:nfhzqLE0 [3/18]
ホロ「しかし、わっちを蝶とな?くふ、まったく、たわけた小僧じゃ」
自嘲気味にホロが言う。
ホロなりにユウの才覚は認めているらしい。
曲がった言い方とはいえ、蝶といわれることに抵抗はないらしい。
尻尾があったら揺れているだろう。
ロレンス「何せ、お前は蜜には目がないからな」
ホロ「ふん、じゃがぬしが蜜ではのう。たしかに甘いが、甘すぎて飽いてしまいそうじゃ」
ロレンス「俺だってお前に吸われるためにいたわけじゃない。そっちが飛んできて、荷馬車に紛れ込んでいたんだろう?」
ホロ「うまそうじゃったからの。しまいにはそっちから蜜を運んできてくれるようになった」
重い雰囲気のときほど会話は軽快に、は二人の間の決まりだった。
543 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:30:57.22 ID:nfhzqLE0 [4/18]
ホロ「わっちらの知っている神も、時代のどこかで死んだんじゃな」
しばらく雑談して、不意に、うつむきがちにホロが言った。
死んだ、という表現は刺すように的を射た表現だと思った。
ロレンス「この国にいた神は、俺たちの知っているそれじゃない。それに、まだどこかの国では生きている」
ホロ「そうではない」
ホロ「確かに、神は死んだんじゃ。人が技術と知恵を身につけて、静かに朽ちた」
つぶやくようにそう言った。
544 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:31:35.81 ID:nfhzqLE0 [5/18]
ホロ「いるかもしれないが、いないかもしれぬ。そんな曖昧な存在に身を預けられる時間はとうに過ぎたんじゃ。彼奴らは自分で生きていけるようになった。だから捨てた」
ロレンス「ホロ」
ホロ「取り乱してはおらぬ。大丈夫じゃ」
ロレンス「……」
ホロ「わっちはな、確かに忘れられていたことに寂しさを覚えていたし、怒りもあった。じゃが、一方で独り立ちできた彼奴らを見守りたいという想いもあったんじゃ。もう、いなくても平気じゃと。だから旅にも出られた。後ろ髪をひかれることはないと分かっていたからの。実際、目の前でしっかりと決別を告げられたしのう」
自嘲気味にそう言った。
545 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:32:05.60 ID:nfhzqLE0 [6/18]
ホロ「長い時間を生きていて、求められる経験は幾つかあったが、最近思うんじゃ。例え捨てられたとしても、それはわっちがいたからかもしれぬ。わっちがいたことで、何かしら与えられたものはあったのやもしれぬと」
ホロ「神になりたいなどとは思わぬ。断じて思わぬが、与えたいとは思うんじゃ。わっちも、生きているから。それはおかしいことかの?」
賢狼が相談をすることはめったにない。
いや、初めてのことのように感じた。
ロレンス「それは、思わない」
次には口が勝手に動いていた。
ホロ「くふ、不思議じゃの、耳と尻尾が取れて思うのは、わっちもまだまだ小娘だと思ってしまいんす。まったく、ぬしらと変わらぬ」
ロレンス「……」
546 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:32:33.11 ID:nfhzqLE0 [7/18]
ロレンス「だがそれは本当にお前がしたいことなのか。犠牲にした上での選択じゃないのか。かつてお前は俺に言った、孤独は死に至る病だと。俺だっていつまでも……」
失言であったことに気づいたのと、手が口にあてられていることに気づいたのはほぼ同時だった。
ホロ「誰かがいなくなって後悔するのも、誰かに必要とされなくなって後悔するのも、後悔するまでが充実していたからだと思わぬかや?」
ロレンス「……与えることが、本当に幸せなのか?」
ホロ「わかりんせん。わっちは神として崇められていたがよ、神ではない。神と呼ばれる存在も、少なくともわっちが生きていたなかで出会うことはなかった。たぶんこれからも。そしてわっちも神にはなれぬじゃろう。しかし、標を翳すことはできるやもしれぬ。誰かを生かすことはできるかもしれぬ」
547 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:33:05.48 ID:nfhzqLE0 [8/18]
ホロ「わっちは、欲張りかの」
さっきからこちらを見ていないのは、本当に迷っているからだろう。
ロレンス「…やっぱり駄目だ。仮にこのままこの世界にいるとしても、俺とお前でなら、時間をかければこの国でも暮らせるようになるだろう?二人で、ここで暮らせばいいじゃないか。その幸せは無価値なのか」
嘆くような物言いになってしまった。
ホロ「ほう、こんなところで告白されるとはの」
ロレンス「ホロ、俺はまじめに言っているんだ」
ホロ「…あの小僧はぬしも思ったように、憎たらしいほど純粋じゃ。信じてみたくなった、というのが本心じゃ。寂しくは、ならない………ぬしは、隣にいてくれるじゃろ?」
ロレンス「当たり前だ」
ロレンス「それでも俺は」
ロレンス「俺はお前が傷つくところはもう見たくない。誰かに傷つけられてからじゃ遅い」
548 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:34:01.23 ID:nfhzqLE0 [9/18]
ホロ「………今宵のぬしは珍しく男前じゃの」
ロレンス「ホロ」
ホロ「くふ、臭いなどとは言わぬ。素直に、嬉しい」
目を見ては言ってくれなかった。照れ隠しなのか、落ち着かない様子だ。
ホロ「そういう言葉は取っておくもんじゃ、たわけ」
裾を引っ張られる。さすがに演技ではないだろう。
549 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:35:13.84 ID:nfhzqLE0 [10/18]
ホロ「………こほん、さて、わっちはあの小僧がいうように、口も回れば頭もまわりんす」
ロレンス「?」
急に話題が変わったような気がした。
ホロ「どうやら、わっちの口と頭はくっついておるみたいじゃ。どちらかが回ると、もう一方も回らずにはいられぬ」
ロレンス「あ、ああ」
ホロはつかんだ裾を離さない。
ホロ「じゃから……口が回ってしまうと、考え事についても頭から離れなんだ」
ロレンス「俺も経験がある。悩み事があるとき、人に話していると楽にはなるが、一方で悩みが頭から離れなくなったりする」
ホロ「……そういう話でない………たわけ」
ロレンス「え?」
550 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:36:30.82 ID:nfhzqLE0 [11/18]
ホロ「そういうときはどうするんじゃ」
ロレンス「……黙っていれば、考えなくて済む?」
ホロ「たわけ」
ロレンス「さ、酒を飲む」
ホロ「たわけ!」
そんなに引っ張られたらシャツがちぎれてしまう。
明らかに何かを期待している。
551 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:37:14.04 ID:nfhzqLE0 [12/18]
ロレンス「よ、要するに、口を回さないようにするんだろ?こうやってふさげば…」
差し出した手をはじかれる。
ホロ「……」
ロレンス「痛っ、……どうしろっていうんだよ!
まったく、いきなり子供みたいに…………………………………っ!」
次の瞬間には、確かにホロの言葉通り、口をふさがれた者の思考は止まるんだなと実感していた。
ホロ「……勘違いするでない、今のはぬしに手ほどきを教えただけじゃ」
ロレンス「め、面目、ない…」
552 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:38:18.43 ID:nfhzqLE0 [13/18]
ホロ「それで?」
ロレンス「え?」
まだ何かあるっていうのか。
ホロ「このわっちに恥をかかせたからには誠意を見せてくりゃれ」
ロレンス「……最初からストレートに言えばいいだろう」
ホロ「誠意を見せてくりゃれ!」
ロレンス「わ、わかったよ…。しかしこんなので、本当に嬉しいものか?」
雰囲気も何もあったものではない。もちろん、自分のせいなのだが。
ホロ「それも勘違いするでない。さっきのはさっき、これはこれじゃ」
ロレンス「?」
553 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:38:56.78 ID:nfhzqLE0 [14/18]
ホロ「つまりじゃの、先ほど言ったように、まだわからぬが、これからわっちらはあの小僧に加担する可能性がありんす。そうなったときにじゃの、その、ぬしがわっちの側でわっちを守る騎士であるべきじゃと、このヨイツの賢狼は思う」
ロレンス「あ、ああ」
ホロ「いわば騎士と皇女のような関係じゃ。と、くれば何か?契約じゃ。そして、契約とくればなんじゃ」
ロレンス「……………」
要するに、何か理由が欲しいだけなのだ。
まったくそこらの皇女よりよっぽど気難しい。
554 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:40:44.75 ID:nfhzqLE0 [15/18]
ロレンス「……わかった、契約するから」
ホロ「うむ」
満足げだった。
ロレンス「目をつぶってくれ」
ホロ「……む?」
ロレンス「さすがに開けたままするほど無粋じゃない」
ホロ「う、うむ、そ、そうじゃな……」
ホロの手をつかんで体を引き寄せると、静かにホロは目を閉じた。
555 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:47:32.44 ID:nfhzqLE0 [16/18]
ホロ「こ、これは思ったより堪えるの。待ちんす、ぬしよ、あまり驚かさないように…………
…………え」
ロレンス「どうした?終わったぞ」
ホロ「………ぬし」
ロレンス「契約は手の甲にするものだろう?騎士には皇女の唇は奪えない。身分が違うからな」
ホロ「…………………体を引き寄せたのは」
ロレンス「雄の余裕ってやつだ。この時代ではお前は小娘…………お、おい」
ホロ「ぬしよ、わっちは今信じられぬほど頭が回っておる」
ロレンス「……は、はい?」
ホロ「それで分かったんじゃがの、今のは立場が逆じゃ。……やはり目を閉じるべきなのはぬしの方じゃった。今度はわっちがぬしの目を塞ぐ」
ロレンス「ま、待て、わかった、少し冗談が過ぎた、お前が素直じゃないから」
次の言葉はとうとう発せられなかった。
それからの応酬は、想像にお任せするとして、夢ならばせめて痛みも取り除いてほしいと感じた。
ロレンス「なんだ、ここは…」
その部屋はかなり高級な作りだった。
見たこともない絵画が壁にかけられていて、付近には見たこともない箱のようなものがいくつも置かれている。
ホロ「わからぬ。わっちも今目が覚めたところじゃ。少なくとも、ぬしの身銭で泊まれるような場所じゃなさそうじゃの。寝ていた場所も、このような高そうなベッドではありんせん」
ここで皮肉れるのは称賛に値する。
ロレンス「夢、じゃないのか」
ホロ「試してみるかや?」
牙をむき出しにするホロを見て、苦笑してしまった。
が、同時にとんでもないことに気づいた。
417 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:24:40.03 ID:YYTg9vM0 [25/39]
ロレンス「お、お前」
ホロ「何かや?」
ロレンス「耳が」
ホロ「耳?耳がどうかしたのかや?……あっっ!!」
頭を抑えてホロが叫ぶ。
そう、ヨイツの賢狼の証である、獣の耳がなくなっていたのだ。
ホロ「わ、わ、わっちの耳……。ま、まさか…」
そう言って今度は手をおそるおそる身体の後ろにまわしている。
ロレンス「どうなんだ」
声をかけても、ホロは呆然と宙を見つめているだけだ。
どうやらしっぽもなくなっているらしい。
418 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:25:51.06 ID:YYTg9vM0 [26/39]
ロレンス「夢じゃない、となると、酔っているのか。いや、どう考えてもこんな場所で眠っていた記憶はない。現金、はあるか。ならば寝ている間に誰かにつれてこられた?…そんな馬鹿な。ホロ、この状況どう思う」
返事はない。
ロレンス「おい」
ホロ「尻尾……わっちの尻尾……」
よっぽどショックだったらしい。
何せ毎日手入れを欠かさないくらいだ、ホロはしきりに口をパクパクさせている。
ロレンス「ホロ、それより今は現状を把握することが大事だ」
ホロ「…それより、じゃと?」
しまった。
419 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:28:32.29 ID:YYTg9vM0 [27/39]
ロレンス「いや、そういう意味じゃなくてだな…」
ホロ「わっちのこの尻尾は賢狼の証!ぬしにも散々言っておったであろう!わっちにとっては二つとない、わっちがわっちである由縁じゃ!寒いときはぬしを暖めてやったりもした!それを…それを…」
ロレンス「わかってる、悪かった。だが今のこの状況を理解した先に、手がかりがあるかもしれないだろう。思考を鈍らしては駄目だ、辛いかもしれないが」
ホロ「……わっちの尻尾…」
バタッと倒れるホロに思わず手をそえてしまった。
ロレンス「ホロ」
ホロ「ぬ、ぬしよ…どうしよう…。わ、わっちは…わっちでなくなってしまいんす…」
大げさでもなんでもない、本気の眼だった。琥珀色の瞳に涙がたまっている。
420 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:33:05.61 ID:YYTg9vM0 [28/39]
ロレンス「お、俺は」
言葉を慎重に選んで、ホロに投げかける。
ロレンス「たしかにお前の立派な尻尾や耳を見られないのは残念、だが、その、なんだ、それがあるからといってお前と一緒にいるわけじゃない。尻尾がなくてもあっても、お前は、お前で…だな」
上目遣いで俺を見つめるホロの表情は、それだけで胸に訴えかけるものがあった。
今回は計算じゃないと分かっているだけに。
ロレンス「もちろん尻尾や耳も魅力的だが、俺が投資したのはそれらを含めた全体であって…」
ホロ「…よい」
ロレンス「え?」
ホロ「…よいのじゃ。有難う」
諦めたような、弱弱しい声が聞こえた。
421 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:38:56.37 ID:YYTg9vM0 [29/39]
ホロ「ぬしに気を遣われているようではわっちもまだまだじゃな」
ロレンス「誰だって考えたこともない境地に立たされたら、不安になるものだ」
ホロ「今まさにわっちらも、その境地に立たされておるわけじゃが」
調子を取り戻したようだ。
ロレンス「しかしすごい造りの部屋だな。こんな豪華な部屋、泊まったことがない。貴族ですら泊まれるかどうか…。見たことがないものも多い。金持ちの趣味か何かかもな」
ホロ「で、どうするんじゃ」
ロレンス「まずは外に出て…」
そのときだった。
部屋のドアが開き、外から男が一人入ってきた。
俺たちを見るなり目を丸くしている。
422 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:41:57.28 ID:YYTg9vM0 [30/39]
男「あっ!きゃ、きゃんゆーすぴーく…じゃ、じゃぱにーず?」
何を言っているのかわからない。
異国人か?
ロレンス「まいったな、言葉が通じないとなると」
ホロに話しかけたつもりだったのだが、男は俺の声に反応する。
男「あ、日本語、しゃべれるんですか?」
ロレンス「ニホンゴ?」
男「てっきり、が、外国人の人かと。いや、でも外国人さんですよね?」
ホロと思わず顔を見合わせてしまう。
423 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:50:07.76 ID:YYTg9vM0 [31/39]
ロレンス「君はここの主人か?」
男「主人?ええと、今ここに住んでるのは僕だけです。両親は長い間、ここを留守にしていて…。あっ、警察とか呼ばないんで、安心してください」
ロレンス「ケーサツ?」
男「ぽ、ぽりす?」
なんのことだかからっきしだ。
男「とにかく、おなか空いてませんか?居間で話しましょう」
男のペースに巻き込まれるような形で、俺とホロは部屋を後にした。
-狼と胡蝶の夢-
424 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 18:59:13.93 ID:YYTg9vM0 [32/39]
ホロ「うまい!」
ホロは男が出してきた料理を食べながら言った。
さっきは尻尾がないだけで泣きそうになっていたのに、えらい違いだ。
ホロ「これは何という料理かや?」
男「天ぷらですよ。デリバリーですけど。食べたことないんですか?」
ホロ「でり、ばりー?ぬしさまはやはり貴族か何かかや?」
男「貴族だなんて」
冗談かと思ったのか、笑いながら男が言う。
425 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:02:06.99 ID:YYTg9vM0 [33/39]
ロレンス「しかし、そうじゃなくても相当儲かっているみたいだな。両親は何をしているんだ」
男「一応会社を経営しています」
ロレンス「カイシャ?」
経営というなら、商会のようなものだろうか。
男「あの」
ロレンス「ん?」
男「二人はどこから来たんですか?」
もっともな質問だ。
俺は丁寧に、これまでの経緯を説明してあげた。
もちろんホロのことは黙っておいたが。
426 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:07:48.70 ID:YYTg9vM0 [34/39]
ロレンス「というわけだ。俺は行商人のクラフト・ロレンス。こっちはつれのホロ」
ホロ「よろしくの」
『てんぷら』にがっつきながらホロが言った。
男「ええと…。なんていうか、本気で言ってます?」
ロレンス「本気、とは?」
男「つまりその、本当のことなのかどうか信じられないというか」
ロレンス「両親がカイシャを経営しているといっていたな。身分の高い君には分からない世界かもしれないが」
男「いや、そういう意味じゃなくて…」
頭をかきながら男が言った。
427 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:11:24.97 ID:YYTg9vM0 [35/39]
男「今は西暦2010年。ロレンスさんがしたような話は、おそらく中世の中ごろの話だと思うのですが」
ロレンス「中世?」
男「話に出てきた教会っていうのも、多分キリスト教に近いものですよね?」
ロレンス「??」
男「まいったな…」
ホロ「ぬしさまよ、これはなんじゃ?」
気づけばホロは、部屋の隅にある薄い置物のような、四角い物体を指差している。
耳と尻尾がないのも、遠慮をしなくていいという意味ではある意味便利だ。
428 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:14:44.82 ID:YYTg9vM0 [36/39]
男「それはテレビですよ」
ホロ「てれび?」
そう言うと、男は小さな筒のようなものをいじりだした。
途端、
ホロ「なんじゃ!人がおる!」
ホロは『てれび』を叩き出した。
男「絵に描いたような反応しますね…」
先が思いやられる、といった風に男が頭を抱えていた。
429 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:20:10.89 ID:YYTg9vM0 [37/39]
男「ちょっとこっちに来てください」
部屋の隅に俺たちを呼び、男は座った。
ロレンス「これは?」
男「これはパソコン、というものです。簡単にいうと、辞典と手紙、情報収集、娯楽のための機械ですね。操作ひとつで世界のありとあらゆる情報を得ることができて、今の時代、ほぼ一世帯に一個はこれがあります」
ロレンス「どういう仕組みなんだ、こんな小さな箱に…」
男「それを教えていると時間がいくらあっても足りないので、割愛させてください。もし調べたければ、後で貸しますよ」
430 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/20(日) 19:26:43.24 ID:YYTg9vM0 [38/39]
男が箱を叩くと、文字が羅列されたページが表示された。
が、見たこともない文字がそこには並んでいて、読むことができない。
男「会話はできるのに文字は読めないのか…。文字に対する認識が違うのかな」
男はぶつぶつと何かをつぶやいている。
男「あった。教会の権力が強くなったのは11世紀中盤以降。歴史に沿っていればロレンスさんたちはそこから来たんだと思います。今から数えると、1000年くらい前ですね」
ロレンス「すごいな、1000年も前の情報があるのか」
旅の途中で出会った年代記作家たちの顔が一瞬浮かんだ。
439 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 18:54:18.67 ID:LOn01i20 [1/15]
男「ロレンスさんたちの時代から見るこの世界は、少し窮屈かもしれませんね」
ホロ「こんなにうまい飯があるのに?」
ロレンス「……」
男「ものが溢れているから豊か、と思えるほど人は賢くありません」
ロレンス「往々にして、豊かな暮らしがもたらすものは、貧困とは何かを決める基準だ。この暮らしはこの世界では普通なんだろう、なら人が次に何を考えるかは知れたことだな。上を向いて歩ける人間は、いつの時代も限られている」
男「さすが、地に足をつけた商売をしている人は言うことが違いますね」
ロレンス「俺は行商人だからな。足がなくては商売にならない」
お互いに暗黙の笑みを浮かべた。
なかなか面白いやつだ。
440 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 18:55:11.88 ID:LOn01i20 [2/15]
ロレンス「しかし君は、こんな俺たちを見ても少しも驚かないな」
男「いきなり寝室に現れたときはもちろんびっくりしましたよ。でも、それを言うならロレンスさんたちもそうじゃないですか?」
ロレンス「まあ、そうだが…」
隣で『ぱそこん』をまじまじと見つめる賢狼と出会ってから、大抵のことには驚かなくなってしまった。
ロレンス「いつだって商売には驚きがつき物だろう?」
男「もちろん。私もそんな感じです。そして、驚いたその次に考えるのは、いかにして儲けるか、ですよね?」
経営者の息子だけに、なかなか頭が回る男だった。
441 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 18:56:40.67 ID:LOn01i20 [3/15]
ロレンス「それに、俺はこの状況がいまだに夢かもしれないと踏んでいる。夢から覚めた俺たちは多くのことを忘れてしまうかもしれないが、何かしらの儲け話なら、持って帰れるかもしれない。そうでなくとも、今ここにある儲け話に乗らない手はない」
男「胡蝶の夢」
ロレンス「?」
男「隣の国の言葉です。ロレンスさんが夢を見てこの時代に来たのか、それとももといた時代がこの時代にいるロレンスさんの夢なのか、判断する基準はありません。頬をつねっても、痛いと感じるのは頭の問題ですから。大切なのはその場その場で自分にできる限りの現実を享受すること。どちらの場合にも己を肯定して、あるがままを受け入れる以外にない」
よくいったものだ。
そして、これに興味を示したのは隣の賢狼。
ホロ「なかなか聡い文言じゃの。ま、差し当たりわっちはうまいものが食えればそれでよい。夢かどうかなど二の次じゃ」
しっぽの話と、故郷の話を出さないのは、ホロなりの気配りだと思った。
442 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:03:56.17 ID:LOn01i20 [4/15]
ホロ「というわけでぬし様たちよ、わっちは腹が減った」
ロレンス「今食ったばかりだろう」
男「別腹ってやつですか」
ホロ「くふ、ぬし様は物分りがいいのう。腹が満たされたらそれでいいというわけではありんせん。まったく、どっかの行商人とは大違いじゃ。つれにするならこっちかの?」
この時代の料理は、ホロにあらぬ期待を抱かせてしまったようだ。
ロレンス「頭にくることをいちいち言わなくていい」
男「たしかに、二人にこの世界を知ってもらうには、外に出てもらうのが一番いいかもしれませんね。説明もてっとり早い」
ホロの性格について、ある程度は理解してもらえたようだ。
443 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:09:48.68 ID:LOn01i20 [5/15]
男「ええと、ただ一点問題がありまして」
言いにくいことをいうときに頭をかくのは、この男のくせらしい。
男「その服装、なんですが」
ホロ「なんじゃ、ちっとばかし派手かや?わっちは気にいっておるんじゃがの」
ロレンス「うーん、町娘にしては多少豪勢かもしれないが…。それなりに仕立てられていて、みすぼらしくは見えないと思うが…」
男「えっと、とりあえずその格好で町に出たら、いろいろと問題がありまして。ただでさえお二人は異国の人です。やはりこの時代、この国に合った服装がいいかと」
ホロ「買ってくれるのかや?」
横目で俺をちらちら見ながら、男にもの言う狼が憎たらしい。
何を期待しているのやら。
444 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:18:38.00 ID:LOn01i20 [6/15]
男「とりあえずロレンスさんは僕の服を貸します。ちょっと小さいかもしれませんが」
ロレンス「身につけられるならなんでもいい。ただ商談に差し支えないやつがいいな」
男「商談、ですか…。わかりました、なんとかします。で、ホロさんは…」
ホロ「わっちこれがいい!」
そう言ってホロが指さすのは、『てれび』に移る女性が身にまとっている服だ。
動きやすそうな服装で、襟元にはスカーフのようなものが巻かれている。下は紺色の布が巻かれていて、裾はかなり短い。
445 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:20:34.08 ID:LOn01i20 [7/15]
男「え…」
ロレンス「少しばかり軽装すぎないか。裾も短い。安い娼婦みたいだぞ」
次にはわき腹を殴られていた。
最後のは余計だったようだ。
ホロ「何をいうておる、あれくらいのがこの時代の流行なんじゃきっと。可憐なあの様子、わっちにぴったりではないか。ほれ、あっちもこっちも、わっちくらいの見た目の娘は同じ服装をしておる」
ロレンス「まあ…たしかにそうだな」
服の流行というのはどの時代も同じようなものなのかもしれない。
ロレンス「すまないが、あれを調達してくれないか。金貨ならこの時代でもそれなりの価値はあるだろう?」
男「えっと、ですね…」
男はなぜか顔を赤くしている。
446 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:24:57.74 ID:LOn01i20 [8/15]
ロレンス「どうした?もしかしてかなり高級なものか?」
男「…ある意味では」
それにしたって顔を赤くするようなことなのだろうか。
ホロ「ううむ、見れば見るほどわっちの趣味にぴったりじゃのう。この時代の娘は、みんなああいう格好をしておるのかや?」
男「なんていうか、その、ホロさんくらいの年齢の人が着る、一種の正装のようなものでして」
ホロ「ほう?修道女の服のようなものかや?」
男「一般的には学生が着るんですが、その、なんていうか…」
ロレンス「手に入りにくいものなのか」
男「……」
黙ってしまった。
447 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:32:22.21 ID:LOn01i20 [9/15]
ホロ「ぬし様よ、わっちはこれでいて中々にして服装にこだわりがありんす。今着ているこの服も、無理を言ってつれに買ってもらったが、やはり自分の気に入ったものを身に着けている間は、気分がよい。わっちらは時代を越えてこの場に来たわけじゃから、ぬしさまにとっては無理を言っておるかもしれぬ。じゃが、纏う服は品格を表すとも言うじゃろ?時代になじめば、ぬし様の力になれるやもしれんのじゃ。だから……買ってくりゃれ?」
こんな言い方をされたら、たいていの男は黙っていられないだろう。
俺にできることといえば、黙って男を哀れむだけだ。
男「わかりました……恥を恥としていたら…商売は勤まりませんしね…」
男はあきらめたように『ぱそこん』の前に座る。
時代を越えても、女と酒に酔わない男はいないようだった。
448 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:41:20.74 ID:LOn01i20 [10/15]
ロレンス「まさか、買い物もそれでできるのか?」
男「ええ。手紙の機能があるということは、取引も行えるということです。将来は世にある商談も、これの前で行うことになるかもしれませんね」
夢のような話に舌を巻いてしまう。
ロレンス「すごい技術だな。これを発明したやつは大儲けだろう?」
男「もちろん。大儲けしすぎて、一生のうちに使い切れないみたいですよ。そして、この技術をさらに洗練したものを商売にしようとして、数々の商人が生まれました。この国、日本でもそれは生まれましたが、多くは淘汰されたみたいですね。……はい、ホロさんどれがいいですか?」
ホロ「くふ、どれにしようかの」
苦労はいざ知らず、ホロは満足そうな表情で品定めを始めた。
449 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 19:49:48.69 ID:LOn01i20 [11/15]
結局ホロが服を決めるまでに、日が落ちてしまった。
我侭なつれに肝を冷やしたのは、どうやら俺だけではないらしい。
男「やはり、行商人は苦労されてますね」
ロレンス「わかってくれるか」
ホロ「なんじゃ、ぬしらも商人なら商品の手入れを怠るでない」
なぜこの狼が一番えらそうなのかは大いに疑問だったが、どうにか服選びはことなきを得た。
男「一番早い便で頼んだので、明日には届くと思います」
ロレンス「そうか」
男「それと、お金の話なんですが」
言葉と共に商人のそれに頭を切り替える。
目を覚ましたら金が元に戻っている、とも限らない。
450 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 20:19:19.97 ID:LOn01i20 [12/15]
男「お聞きした話で推測するに、ロレンスさんたちのこの銀貨、ええと、トレニー銀貨って言ってましたね。これの価値は、今の時代でいうとこの紙幣一枚とだいたい一緒くらいだと思います」
ロレンス「これは…紙、だな」
男「そうです。ただ、この国の信用において、現在この紙が最も高い価値を持っています」
ホロ「こんな紙きれがかや?」
男「一万円札、といいます。取引に有用なように改良された結果ですね。とにかく、この国で取引をする際にはこのお金を使ってください。国が価値を保障しているので、とりあえず国内で使う分にはこれで十分です。外貨を使う機会は、消費の面でならめったにありません」
ロレンス「…よっぽど豊かなんだな、この国は」
外貨に頼らなくていいのは、物が国内でそろっているからだ。
男「もっとも商売をする上でなら、必要になってくるかもしれません。僕も小遣い稼ぎ程度になら、外貨で儲けたりもしますよ。波を読むのはあんまり得意じゃないんで、ほどほどにしてますが」
451 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 20:28:12.95 ID:LOn01i20 [13/15]
ロレンス「それで、その紙を、俺の持っている金貨と交換するのか?」
男「……」
この取引は明らかに俺に不利だ。
理由は、俺たちの時代でのリュミオーネ金貨を、円に両替したときの相場がわからない。
おそらく純粋に金としての価値で見積もられるだろう。
この紙切れが紙幣として価値があるのは、信用が上乗せされているからであり、同じ理屈で、信用のないリュミオーネ金貨は、ただの金(純粋な金ではない)だ。それだけでは価値がなく、相対的に損をする可能性が高い。上乗せされた信用の価値が、まるごとなくなってしまうからだ。
この時代で金自体の価値が高まっていれば話は別だが、信用を越えられるほどの価値があるかどうか、厳密には測定できないだろう。
ロレンス「かといってそれ以外に俺たちに他に手があるかといえば、ないんだがな」
452 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/21(月) 20:38:11.88 ID:LOn01i20 [14/15]
男「いえ、当面のお金はいりません」
男の雰囲気が変わった気がした。
ロレンス「……?」
男「その代わり、僕と組みませんか?時間はたっぷりある、と思います。地に足をつけて生きてきた行商人なら、愚直さと狡猾さを兼ね備えた優秀な人材のはず。――――名乗らせてください。僕の名前はユウと申します。この国の言葉で、勇ましいという字を書いて、ユウ」
まるで演説でもするかのようだった。
ユウ「男に生まれたからには成し遂げたい夢がある。さてさて、得てして機会はふとしたときに現れるものです。めぐり合わせもまたしかり。ロレンスさん、夢か現か、せっかくお越しになったこの時代で、どうせ見るなら華麗な夢がいいでしょう?…今日はゆっくり休んでください。明日から、少しずつお話しますよ」
正直な話、胸の奥でうずく衝動を感じずにはいられなかった。
466 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:26:12.30 ID:CLkJW9Y0 [1/10]
ホロ「どうじゃ、似合うかや?」
翌日届いた服を着て、くるりと一回転するホロ。
なかなか様になっていた。
ロレンス「…やっぱりちょっと、短いんじゃないか」
どうも裾の長さが気になってしまう。
ホロ「他の雄に見られるのが心配かや?くふ、これでぬしらの視線を釘付けじゃ」
ロレンス「できればお前の口を釘で打ってやりたいよ」
ホロ「ぬしがその気ならいくらでも打ちつけてよいが……やさしくしてくりゃれ?」
減らない口をつまんでやった。
467 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:27:03.04 ID:CLkJW9Y0 [2/10]
ユウ「サイズが心配だったんですが、なんとかなりましたね。ツテを辿った甲斐がありました。ロレンスさんも似合ってますよ」
ホロ「うむ、馬子にも衣装とはこのことじゃ」
ユウから貸してもらった服は、紺色の服だった。
『ねくたい』をつけて着る、『すーつ』という品らしい。
ロレンス「少し動き辛いな。首も苦しい」
ユウ「たいてい商談のときはそれを着ます。こっちも思ったよりぴったりでしたね」
満足そうなユウの顔を見て、どうも調子を崩されてしまう。
昨日の表情は確かに商売人のそれだった。
警戒しておいて損はないと思っていたのだが…
468 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:30:01.27 ID:CLkJW9Y0 [3/10]
ホロ「しかし、うーむ…」
ロレンス「どうした?」
ホロ「どうも、落ち着かぬ。下がスースーしんす」
ユウ「っ!」
ホロ「ぬし様よ、この時代の娘は」
ユウ「後で買いますよ!それまで我慢してください!」
ホロ「?」
俺たちはそろって家を後にした。
471 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:41:14.39 ID:CLkJW9Y0 [4/10]
ホロ「すごいのう!!」
外に出てみると、確かにここが未来の世界だと実感させられた。
ロレンス「何階建てなんだ?あっちもこっちも…。崩れたりしないのか」
ユウ「ロレンスさんたちの時代みたいに、土地が余っていないんですよ」
ロレンス「ずいぶんと道が狭いな。というより舗装されている。どれだけの金がこの町に落とされてるんだ」
ユウ「……」
ユウは何やら難しい顔をしていた。
472 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:47:10.79 ID:CLkJW9Y0 [5/10]
ユウ「ロレンスさんたちの時代も、権力機構はえてして腐りやすいものでしたか」
ロレンス「唐突だな」
ユウ「いえ…」
ホロ「ふん、いつの時代も賢人は隠居するもんじゃ。賢者は黙り、愚者は語る。そんなとこじゃろ?」
ユウ「さすがですね」
ユウが何を考えているかは手にとるようにわかる。
ロレンス「俺たちの時代には教会や貴族、国王が大きな力を持っていた。だが、この時代は民衆が力を持っているんだろう?変えようと思えば変えられるんじゃないか」
ホロ「それは早計じゃの」
473 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:53:02.23 ID:CLkJW9Y0 [6/10]
ホロ「国を変えようと思うのは生活が逼迫しておるからじゃ。命がかかわるくらいにの。そうでもなかったら大抵は無関心じゃろ。彼奴らの目に映るのは自分の周りの世界だけ、いかにして生活の水準を下げないか。権利を主張するばかりで義務にたいしては後ろ向き、まあ、よくある光景じゃ」
ロレンス「…そういう、ものなのか…」
ユウ「民主制は最高の打ち手ではなく、他に代わりがない暫定的な制度だといわれています。ここに住んでいると、それがよくわかりますよ」
ロレンス「俺たちの時代からは考えられないことだ。人の欲というのは、なんというか、扱い辛いものだな」
ユウの住む家を下りながら、そんな会話を交わした。
474 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 18:59:01.30 ID:CLkJW9Y0 [7/10]
ホロ「わっちらはどこに向かっておるんじゃ?」
道を歩きながらホロが言う。
ユウ「ここは我が国の首都にあたる町です。昨日、パソコンについて話しましたが、その中でも特に情報関係の企業が多い町がここ、渋谷です。僕の父もその一人でして」
ロレンス「人でごった返していて仕事どころじゃなさそうだが」
ホロ「あれをみよ!犬の像がありんす!…いや、もしかして狼かや?あれはこの町を救った英雄かや?」
ロレンス「聖像か。この国は無宗教と聞いたが、確かに人だかりができているな。さぞ有り難味がある像なんだろう」
ユウ「いや、あれはハチ公っていいまして」
そんな感じで町を転々としていた。
475 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 19:07:53.41 ID:CLkJW9Y0 [8/10]
ロレンス「ひゃっかてん?」
ユウ「ええ。物流を仕切る企業が経営する、まあ言ってみれば大型の雑貨屋と思ってください」
しばらく歩いた後、たどり着いたのは大型の建物だった。
中をのぞくと、品揃えに圧巻する。
ロレンス「…二つほど、気になることがあるんだが」
ユウ「なんです?」
ロレンス「まずひとつは、パソコンで世界中の物の流れが把握できてしまうなら、大商会が買い付けに走った品物はほとんど独占されてしまうんじゃないか?市場に新規商会を立ち上げることは困難だろう?」
ユウ「一理ありますが、そこは法律で水準が設けられています。独占禁止法といって、企業間の競争を推進する法案です。もちろん、水準に違反しない程度にはどこの企業も独占を狙ってきますが」
ロレンス「ほう」
476 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/22(火) 19:14:00.63 ID:CLkJW9Y0 [9/10]
ロレンス「もうひとつは、この国の関税はどうなってるんだ?あれだけのもの、国内ですべて生産しているわけではないだろう?それなのに、この値段だ」
値札を指して言った。
ユウ「うーん…。それは話すと長くなりますね」
ロレンス「?」
ユウ「関税は、一応存在しますが、国同士の協定によって厳しく定められてます。世界としては、自由貿易に向かう方向にあり、基本的に保護政策は弾圧されますね。もちろん、支障がない程度に政策を取ることもありますが…」
ロレンス「よく国内産業から批判が出ないな」
ユウ「もちろん出たこともありますよ」
ロレンス「ううむ」
ユウ「ちなみにこれについて詳しく知りたい人は、国際経済法って本を読んでください」
ホロ「誰に対していってるのじゃ」
ユウ「さてさて」
488 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:10:29.54 ID:3nNq4NU0 [1/4]
ユウ「それで…僕はちょっと用事があるので、その、ホロさん」
ユウとホロがなにやら話している。
ホロが横目で俺の方を見ながら、かすかに笑っていたのは気のせいだろうか。
ホロ「というわけじゃ、ぬしよ」
ロレンス「何がだ」
ホロ「ぬしはわっちと買い物じゃ」
ロレンス「買い物?ユウはどうするんだ」
ユウ「すいません、ちょっと予定が。ホロさんにカードを渡しておいたので、適当に使ってください」
ロレンス「かーど?」
ユウ「証書みたいなものです。あと、これ」
渡されたのは小さな筒のようなもの。
それが携帯電話だとわかるくらいには、この世界の話は聞いていた。
489 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:13:01.76 ID:3nNq4NU0 [2/4]
ホロ「ほれ、早く」
ロレンス「お、おい」
俺はなされるがままにホロに手をひかれる格好になった。
ユウ「家に帰るのが遅くなるようでしたら、連絡してください」
どうにも胡散臭い。
ホロの表情は読み取れないが、過去の経験が何やらよからぬものを感じている。
ロレンス「ホロ、何を吹き込まれたんだ?」
ホロ「黙ってついてくればよい」
口を割る気はないようだ。
490 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:19:57.98 ID:3nNq4NU0 [3/4]
百貨店の中は大勢の人数でにぎわっていた。
心なしか、ホロくらいの娘が多い。
ロレンス「あいつは俺たちに、買い物をさせるために連れてきたのか?」
ホロ「なに、言葉は通じるんじゃ、わからぬことがあれば人に聞けばよかろう?」
ロレンス「どうにも腑に落ちない。ユウは経営者の卵だ。おそらく指折りの。俺たちを使って何を企んでいるかわからないが、これだけの振る舞いをする以上は何かしらの利益を見込んでいるに違いない。最初はお前をダシに何かやるつもりなのかと思ったが…」
ホロ「くふ、わっちらはこの時代では赤子も同然じゃからの。可愛いわっちくらいしか、商品として価値がないと判断するのも頷ける」
ロレンス「お前はこの世界ではただの娘みたいだ。俺たちをだました結果、どこかに売り飛ばされる危険もあるかと考えたが、ここは力を持った国家みたいだからな。話では奴隷商も犯罪行為だと聞く」
491 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/24(木) 23:22:59.04 ID:3nNq4NU0 [4/4]
ホロ「ならば何を望んでおるんじゃろうな」
つかつかと道を歩くホロ。
ロレンス「わからない。やはり現状に対して俺たちはあまりにも無知だ。そう考えるとこのカードもおちおち使ってはいられなくなる。借りは返さなければならないからな」
瞬間、ホロがぴたりととまった。
ホロ「くふ、わっちの身体に頼ることがないようにの?」
ロレンス「…勘弁してくれ」
反応を伺って言葉を投げるのはやめてほしい。
493 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:10:42.23 ID:GANF94I0 [1/12]
ロレンス「ところで、だな」
動く階段を歩きながら声をかける。
ホロ「なんじゃ?」
ロレンス「お前はこうして俺の話を聞けている」
ホロ「?」
何を言いたいのかわからないといった表情だ。
ロレンス「それでも、お前の耳はなくなったままだ。一体どうやって…」
ホロ「ぬしよ」
その瞬間のホロの目は、なんともいえない冷たさを宿していた。
494 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:16:24.61 ID:GANF94I0 [2/12]
ホロ「世の中には決して開けてはならぬ箱がある、という話を聞いたことがあるかや?」
ロレンス「あ、ああ」
ホロ「ぬしらの言葉を借りるなら、確か、この世のあらゆる悪意がそこには封じられていたが、最後に希望が残った、とかいう話だったと記憶しておる」
ロレンス「ず…いぶんと大仰な物言いだな」
口を指で押さえられた。
ホロ「よもやないとは思うが、ぬしがもしもこの髪の下を覗こうとしたものなら、そこに希望は残らぬ、と思うがよい。開けてはならぬものは、やはり開けてはならぬ。いくらぬしでもな」
ロレンス「わ、わかった…よ」
ホロ「聞こえているものは聞こえておるんじゃ。それでよい」
次の瞬間には元の表情に戻っていた。
495 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:24:05.21 ID:GANF94I0 [3/12]
ホロ「ぬし、ここじゃ」
ロレンス「…ここは」
店員「いらっしゃいませ」
ホロ「ぬしさまよ、ここは何の店かや?」
わざとらしくホロが口を開く。
俺だって馬鹿じゃない。
たとえ俺たちの時代にないものでも、なんとなくその場所がどういう場所で、そこに行く者は周りからどういう目で見られて、くらいはわかる。
はめられた、と直感した。
周りを見ると、ホロと同年代くらいの娘が、俺を見て何やら話している。
店員「え?は、はい。下着売り場でございますが…」
頭を抱えてしまう。
496 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:28:10.36 ID:GANF94I0 [4/12]
ロレンス「さっきここの場所をユウに聞いていたのか…」
ホロ「くふ、どうしたんじゃ?一緒に見て回りんす?」
隣には意地の悪い笑顔をもらす狼がいた。
ロレンス「…あいつには後でいろいろと、話すことがありそうだ」
その狼はこともなげに、くつくつと笑っていた。
ホロ「うーむ、しかしこういった趣向は好きじゃ。やはり時代に合った感覚は必要じゃの。それに、真に高貴なものは、人から見えぬところまで高貴であるべきじゃ。そうじゃろ?」
ロレンス「……」
ホロ「くふ、どうされた?ぬし様?」
どこに目をやっていいかわからない。
だいたい、俺以外の男はこの空間に存在しないのだ。
どういう表情をしていればいいかもわからない。
497 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:34:48.74 ID:GANF94I0 [5/12]
ロレンス「お、俺は他の店を見てくる」
瞬間、がちっとホロに手をにぎられる。
ホロ「何を言うておる。わっちだけで選べというのかや?」
ロレンス「俺がここにいる必要はないだろう!」
店員「お客様、どうかされましたか?」
思わず大声を出してしまい、先ほどの店員が近くに寄ってきた。
ロレンス「い、いえ、特には」
ホロ「ごほん、どうせぬしさまも夜な夜な見ることになりんす。一緒に選んでおいたほうがよかろう?それとも、その時まで伏せておく方が好みかや?」
あえて店員に聞こえるようにその言葉を発し、続いて店員が苦笑して俺を見る。おそらくあらぬ想像を巡らせているんだろう。問題なのはそれもホロの計算のうちという点だ。
まったく、どこまで頭が回るんだ。
498 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:40:19.92 ID:GANF94I0 [6/12]
ロレンス「誤解されるようなことを言うな」
ホロ「淡い色が合っておるかの?うーむ、しかし地味じゃ。高貴なわっちにはやはりそれに備わった色がよい。ぬしさまよ、琥珀色のものはないかや?」
店員「それでしたらこちらに…」
俺を無視してホロはぺらぺらとしゃべる。
次々と下着を手に取っては、ときおり横目でこちらの様子を伺っている。
お手上げだ。
ホロ「…柄が趣味でないのう。ここはあえて黒なんてのはどうじゃろう?くふ、ぬしには悪魔などといわれたこともあったからのう。…ぬし、どれがよい?」
ロレンス「どれでもいいだろ」
ホロ「どこを向いておる。ほれ、しっかり見てくりゃしゃんせ?」
ロレンス「……」
499 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 00:46:33.66 ID:GANF94I0 [7/12]
どうにもこうにも周りの視線が気になって集中できない。
ロレンス「お、お前が好きな色でいいじゃないか、俺の好みは関係…」
ホロ「ぬしに見てほしいんじゃ…」
上目遣いの使い方に関しては、この賢狼に勝る者はそういないだろう。
もしかしたら本当に一人もいないかもしれない。
ロレンス「……く、黒、とか」
ホロ「……くふ、やはり黒はよくないかや?では黒以外のものを」
そう言ってホロはすまし顔で、俺の意見以外の下着を店員に渡した。
完敗だ。いろんな意味で。
ホロ「ぬし、どうされた?何を残念そうな顔をしておる?」
にやにやと笑う様が腹立たしい。
ロレンス「そんなに俺をいじめて楽しいか」
ホロ「単純にからかってるだけじゃ」
500 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:01:50.29 ID:GANF94I0 [8/12]
ホロ「あっという間の一日じゃったの」
帰り道、『わんぴーす』を着ながらホロが言った。
下着売り場に行ったあと、いろいろ見て回っているうちに陽が暮れてしまった。
制服だけでは、という話になっていくらか服も購入したのだ。
ロレンス「いろいろ見て回ったからな。ユウに何て言われるか。結構な金額になってるはずだ」
そうは言うものの、ホロの性格くらいユウも見抜いていることだろう。
それでいてカードを貸してくれたんだから、あまり気にする必要はないように思えた。
ホロ「しゃしん、と言ったかや?あれは面白かったのう。あの小さな箱の中に絵描きが住んでおるかと思った」
ロレンス「正確にはぷり…なんとかというらしい。この時代の娘に人気の機械だとか」
俺には何がいいのかはわからなかったが、ホロは大切そうにその紙を眺めていた。
501 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:08:02.28 ID:GANF94I0 [9/12]
ロレンス「それで、相談なんだが」
ホロ「…謀(はかりごと)かや?」
こちらを見ずにホロが言う。
頭を切り替えるにはちょうどいい。
頃合だ。
ロレンス「すでに謀られているかもしれない。なら、俺にできるのはここぞという場所でその立場をひっくり返す算段を練ること」
ホロ「ぬしは本当に頭から足の先まで商人じゃのう。たまにはのんびりできんのかや」
ロレンス「俺が駄目になっていくところを見たいか?」
ホロ「そうは言っておらぬ」
どこか不機嫌そうな物言いだ。
ホロ「…わっちにだって、浸っていたいときがありんす」
ロレンス「ん?」
ホロ「ぬしは鈍いの」
よくわからない。
502 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:13:05.30 ID:GANF94I0 [10/12]
ホロ「わっちの意見を言っていいかや」
ロレンス「差し支えないならぜひ」
ホロ「彼奴は謀っておらぬと思う」
ロレンス「根拠は?」
ホロ「ない。が、おそらくわっちらを捕らえてどうこうとか、騙してどうこうという面はしておらんかった」
ロレンス「お前が他人に対してする評価としては珍しいな。そんなにあいつが気に入ったか」
ホロ「嫉妬かや?」
ロレンス「商人としての、な」
ホロ「雄としては?」
ロレンス「負けてないと思うがな」
ホロ「ほう、かぶいたの?くふ、せいぜい頑張ってもらおうかや」
気づいたときには腕を組まれていた。
503 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/06/25(金) 01:24:42.84 ID:GANF94I0 [11/12]
ロレンス「お前の勘は確かに頼りになる。だが、商人としてはどうしても裏が取れないと信用に足りない」
ホロ「わかっておる」
ロレンス「あいつからは経営者としての才を感じた。仮にあいつが何か新しい商売を始める気でいるとして、俺たちに損はないとしても、有益な何かを引き出そうとしていることはわかるんだが」
ホロ「わっちらにはそれに見合う相応の対価がない、ゆえに不安になる」
ロレンス「身体の隅にまで染み込んでるんだよ。俺たち商人にとって、得と損とは表裏一体でしかるべき、とな」
ホロ「難儀な生き物じゃ」
ロレンス「それがわかるまでは安心できない。まぁ、とはいっても今のところ流されるしかないんだが、他のことにかまけていたことが理由で転びたくはないからな」
ホロ「わっちはこの世界ではただのか弱い小娘じゃ。狼になってぬしを救うこともできぬ。それくらいの用心は必要じゃろう」
ロレンス「ああ。いざとなったらお前を守るのは俺だからな」
ホロ「ならば今回はぬしが狼になってくれるのを期待しておこうかの。じゃが、化けるのは夜にしてくりゃれ?あと、優しく…の?」
できないのがわかっていてこういうことを言うのだから、まったく手に負えない。
帰路には夕暮れの風が吹いていた。
515 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 00:37:34.23 ID:1sP3Uco0 [1/16]
(ロレンスさん)
しばらく経ったある日。
夜中に声がした。
隣ではホロがだらしない格好をして寝ている。
声の主はわかっていたので、毛布をかけて扉を開いた。
_______________________
ロレンス「連れが眠るのを待っていたな」
居間に通されて座る。
ユウ「多勢に無勢、という訳ではありませんが」
その言葉が示すのは商談開始の合図。
どの時代でも言い回しはそうそう変わらぬものらしい。
ロレンス「あれでいてよく口が回るからな」
ユウ「ええ、口が回れば頭も回る。そして僕たちは」
ロレンス「無論、金を回す、だろう?」
久々の壇上で、お互いのナイフを研ぐようなこの雰囲気が俺は好きだった。
どうやら相手もそうらしい。
516 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 00:47:50.95 ID:1sP3Uco0 [2/16]
ユウ「さて、どうですか、この世界は」
ロレンス「いささか切り口がいびつすぎやしないか?」
ユウ「これは単純な感想を聞いてるだけですよ」
商談になるととたんにこの雰囲気だ。
もしかしたら普段のおどけているこいつは演技なのかもしれない。
試されている、と俺の中の商人の頭が揺れる。
ロレンス「正直、俺が商売するには向いていないと感じた。あまりにも産業が成熟しすぎている。お前の金で何回か周らせてもらったが、常に発見の毎日だ。つれは喜んでいたが」
ロレンス「どの商品も、基本的には需要の前に供給が来る。あとはいかに買わせ、消費させるか。シャンプー、と言ったか?髪を洗う道具であれだけの種類、俺たちからしたら正気の沙汰じゃないな」
ユウ「仰る通りだと思います」
517 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:06:56.32 ID:1sP3Uco0 [3/16]
ロレンス「俺は行商人だったからな。基本的には、自分で仕入れて自分で売る。そのための知識はもちろん頭に入れてあるが、これだけ市場が拡大されていると、そうもいかない。とても一人で抱えきれる量じゃない」
ユウ「そして一定以上の儲けを出すための資本とノウハウは、大手商会が抱えています。この国の就業制度については話しましたよね?」
ロレンス「ああ」
一瞬旅の途中で出会った、賢い小僧のことを思い出した。
弟子にしようか迷ったほどのあれが、この時代に生まれていたらどうなっていたんだろう。
ユウ「そう。僕は別に制度それ自体については疑問を持ちません。彼らは資本と頭脳を投じて利益を得る。そこにはもちろんたゆまぬ努力が必要であり、評価されてしかるべきだ。ロレンスさんが行商人として独り立ちしたように」
ロレンス「皮肉に聞こえるのは気のせいかな」
ユウ「……」
519 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:15:54.33 ID:1sP3Uco0 [4/16]
ロレンス「そうして育った大商会なら、利益はそれこそ根こそぎだろう。残りにできることは、せいぜいゴミっかすでその場しのぎの利益を得ること」
ユウ「そうだとしても、おそらくロレンスさんたちの時代よりは、この日本のほうが豊かな国のはず。しかし、人はそれでも納得しない。少なくともこの国の人は。なぜだと思いますか?」
先日、ホロが言っていた言葉を思い出した。
ロレンス「自分が、持たざる者だと思ってしまうから」
ユウ「ご名答です。たとえ1000年前と比べて豊かであってとしても、いや、同じ時代の中で富んでいる存在であったとしても、彼らは嘆く」
ロレンス「上を向いて歩ける人間はいつの時代も僅か、か」
ユウ「ええ」
520 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:26:22.95 ID:1sP3Uco0 [5/16]
ユウ「ではもっと根本的な質問をします」
どうにも演説ぶった言い方だった。
商談になると口調が変わる商人は珍しくないが、ここまであからさまなのは初めて見る。
ユウ「彼らはなぜ、下を向いて歩くのでしょう」
ロレンス「…俺は神学者じゃない」
説法じみた物言いについつい反論してしまった。
ユウ「神学?…それはそれで言い得て妙ですね。古来神学は哲学と同一視されることもあった。もちろん、方法論としての話ですが」
ロレンス「ユウ、この国の人々は無神論者じゃなかったのか?説法なら俺たちの時代でしてきたほうが儲かると思うがな」
ユウ「…………ロレンスさん、もう言葉はそろってると思いませんか?」
ロレンス「何を言っている?
……………いや、まさか」
口を手で押さえてしまうのは思いついたときの癖だった。
521 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:33:46.49 ID:1sP3Uco0 [6/16]
ロレンス・ユウ「「できるはずがない」」
はっとして見上げた先には、恐ろしいほど真剣な顔をしたユウがいた。
俺の言葉を読んでしてやったりといわんばかりの表情で。。
ユウ「ロレンスさんがそう思うのも無理はありません…………でした。
ふふ、過去形なのは、1000年前から来たあなたならわかるでしょう?『できるはずがない』、がいかに無力な言葉かを」
ロレンス「………」
この時代には俺たちの時代からは創造もできなかった商売やモノがあふれている。
それはこの数日、目の前にいるユウの金を使って、散々学んだことだ。
俺たちの子孫は、できるはずがない、を何回も乗り越えて、この世界を作り出してきたのだ。
ロレンス「……だから俺たちを泳がせた」
ユウ「無知は罪でしょう?」
522 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:46:22.73 ID:1sP3Uco0 [7/16]
ロレンス「『それ』の目的は何だ」
ユウ「僕はこう見えても善人なんです。自慢に聞こえても構わないですが、これ以上豊かな生活は必要ない」
ロレンス「……」
ユウ「本当ですよ。商人は金を墓には持っていけません。なら僕は、墓に刻む名は名誉あるそれがいい。だから、そうですね、名がほしいんだと思います。人が金の次に欲しがるのはいつだってそれでしょう?」
ロレンス「それは持てる者の言い分だ」
ユウ「いいですよ、それでも。ただロレンスさん、信じてください。人なら誰だって英雄にあこがれる。それ自体にはならなくとも、国の人たちの標を作れるなら、それはそれで幸せなことだ」
その言葉を放つユウの目は、確かに澄んでいて、幼い少年のようだった。
ロレンス「………最初から商売目的ではなかった」
ユウ「ええ。人が上を向いて歩けるように」
ユウ「この国に神を造る」
変わらない澄んだ瞳で、無神論者の少年はそう言い放った。
523 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 01:55:20.57 ID:1sP3Uco0 [8/16]
ユウ「ちなみに、ロレンスさんは神を信じますか?」
ユウが冷蔵庫からぶどう酒を取り出しながらその質問がされる時には、部屋で寝ている狼が気になっていた。
ロレンス「何を持って神とするかは別として、なら。似たような類の存在に出会ったことはある」
俺の言葉はほとんど聞いていないようなそぶりで、ユウはぶどう酒を注ぐ。
ユウ「僕は信じていないんですよ。小さいころから一度も信じたことがない」
差し出されたぶどう酒はそれこそ血のようだった。
525 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:07:11.90 ID:1sP3Uco0 [9/16]
ユウ「最初は神を信じている人は弱い人だと思っていた。
何かにすがらなければ生きていけない人たちの集まりだと思っていたんです。
でもそうじゃない。人は等しく弱い存在だった。
強い人などいない。傷が見えるか見えないかの差です。
挫折したり、裏切られたり、傷つけられたり、誰しも自分一人では解決できない。
かといって、誰かが解決してくれるわけでもない。
しかし、問いかけたそのとき、答えてくれる存在がいたら?
彼らと唯一違うのは、絶対的に信じられるものがあるかないか。
宗教戦争の話をしましたね?すがるべきもの、信じるものがある人はそうやって答えまでたどり着く。
僕はこの国の自殺者が多いのは、無宗教だからだと本気で思っています」
ロレンス「だがそれで、誰しもが納得できる結果になるほど世界はうまくできていない」
その言葉と共に、ユウはこれ以上ないほどの笑みを浮かべた。
ユウ「ロレンスさん、世界は僕たちの中に作るんですよ。最初に会ったときに言ったでしょう?」
ロレンス「っ!」
胡蝶の夢。
大切なのはその場その場で自分にできる限りの現実を享受すること。
どちらの場合にも己を肯定して、あるがままを受け入れる以外にない。
ユウ「ならば不幸な人々が、あるがままを受け入れ、幸せになるために最もよい方法はおのずと分かるはず」
ロレンス「………」
526 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:26:45.65 ID:1sP3Uco0 [10/16]
ユウ「信じる者は救われる、とはよく言ったものです。残念ながら、僕はそれに肖れませんが」
ユウ「さて、ここからが資本主義、民主主義のいいところです。
この国では、神を金で買うことができる」
トレニー銀貨をはじきながらユウは続ける。
ロレンス「……権利を買い付けるつもりか」
ユウ「それはそんなに驚くことじゃないでしょう。古い神の多くは守銭奴だった、正確にはそれに仕える者たちが、ですが。ならば神としても、民に調和をもたらすことをご所望では?
ロレンスさん、物質や資本に支配される時代は過ぎ行こうとしています。これからは心に投資する時代。僕にできることといえば、この世の中に小さな蝶を羽ばたかせることくらい、ですが」
527 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:27:37.36 ID:1sP3Uco0 [11/16]
ロレンス「その絵空事の中で羽ばたく蝶は、どうやって仕入れるつもりだ?よもや、お前が舞うなどとは言わないだろうな?悪趣味にも程がある」
ユウ「なあに、仕入れた繭は立派に孵化してくれましたよ。可憐に舞っているところを何度も見ましたからね」
心臓が張り裂けるような感覚に襲われた。
頭痛がひどい。
とっさに寝室を振り返ってしまった。
ユウ「さしずめ、ロレンスさんは甘い蜜になってもらいましょう」
ロレンス「馬鹿な」
ホロが寝ていてくれることをこのときより願ったことはない。
528 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:35:22.23 ID:1sP3Uco0 [12/16]
ユウ「彼女、反対すると思いますか?」
ロレンス「当たり前だ!」
ユウ「なぜ?」
ロレンス「それは……っ」
言い返せなかった。
かつて神として崇められていた賢狼も、この世界ではただの娘。
証明する手立てなどない。
ロレンス「あいつは……そういう、存在じゃない」
それが精一杯だった。
529 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:43:10.92 ID:1sP3Uco0 [13/16]
ユウ「……」
それでも、ホロが神だった頃に味わった想いを、今ここでもう一度させるわけにはいかない。
損得ではなく、そのために俺はあいつと旅をしてきたんじゃなかったのか。
ロレンス「崇められる者の気持ちがわかるか?対等に話すべき者もいない、気を利かせれば気まぐれ、そんな扱いをされるやつの気持ちがわかるか!?…いや、お前でも少し頭を回せばわかるはずだ!孤独は死に至る病、お前ほどに経営を学んだ者なら…」
ユウ「これは商売じゃない。それに」
少し語気を強めた口調。そして、
ユウ「あなたがいるじゃないですか」
ロレンス「…っ…それでも!」
続ける言葉は持ち合わせていなかった。
530 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:48:22.58 ID:1sP3Uco0 [14/16]
ユウ「……ふう、ちょっと疲れましたね」
気づけばユウのぶどう酒はすっかり空になっていた。
ユウ「今日はもう遅い。僕のナイフは全部投げきりました。後は二人でしばらく話し合ってください」
そして、口調も以前のそれに戻っていた。
会ったときと同じ、無垢な口調。
ユウ「もともとこの話に強制力はないですからね。少年の夢を語ったまでです」
ニコリと笑うその様。
俺はこのとき、この世で最も恐ろしい種類の生き物を理解した。
その澄んだ瞳には一点の迷いも、狡猾さも、騙しもない。
気づけば、俺のナイフはもうすっかりその瞳に飲み込まれていた。
531 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/03(土) 02:53:51.51 ID:1sP3Uco0 [15/16]
そしてその生き物は、
ユウ「ロレンスさん」
寝室の扉のしまり際、こともなげにこんな台詞を吐いた。
ユウ「いい夢を」
扉が閉まる音。
重くて暗い、幸ある夢が、産声をあげる瞬間だった。
540 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:29:09.38 ID:nfhzqLE0 [1/18]
小奇麗なベッドに座る。
こんなときにも高級感を出す寝具が、とびっきりの皮肉を浴びせているような気がした。
ロレンス「神を造る」
笑わせるなともいえない。おそらく、できるんだろう。
だとしても、俺が知っているかつての造られた神は、才はあっても万能ではなかった。
それを知っている自分が、どんな理由があって加担できよう。
「神はいつの世も大盛況じゃな」
そして、起きてほしくないことは、やはりすんなりと起きる。
541 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:29:36.29 ID:nfhzqLE0 [2/18]
気づけばホロが真後ろに座っていた。
この時代は寝巻きを着て寝るのは貴族だけではないらしい。
小さな狼が描かれた、上下同じ柄の服を着ていた。
ロレンス「お前」
ホロ「言わぬでよい。ぬしが何を考えてるか、わっちでなくともわかりんす。ぬしらといっしょじゃ、聞きたくない、聞かなくてよい、そういうことほど耳は尖る」
ロレンス「耳はなくなっても、やっぱり聞こえるんだな」
ホロ「たわけ」
こつんと頭をぶつけられる。
ホロ「守ると甘やかすのとは違いんす。嬉しいかと聞かれれば嬉しいが、わっちもぬしと頭を並べさせてくりゃれ?孤独は死に至る病、じゃ」
ヨイツの賢狼はいつだって聡明だ。
齢を重ねれば、俺もこんな風になれるのだろうか。
542 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:30:12.27 ID:nfhzqLE0 [3/18]
ホロ「しかし、わっちを蝶とな?くふ、まったく、たわけた小僧じゃ」
自嘲気味にホロが言う。
ホロなりにユウの才覚は認めているらしい。
曲がった言い方とはいえ、蝶といわれることに抵抗はないらしい。
尻尾があったら揺れているだろう。
ロレンス「何せ、お前は蜜には目がないからな」
ホロ「ふん、じゃがぬしが蜜ではのう。たしかに甘いが、甘すぎて飽いてしまいそうじゃ」
ロレンス「俺だってお前に吸われるためにいたわけじゃない。そっちが飛んできて、荷馬車に紛れ込んでいたんだろう?」
ホロ「うまそうじゃったからの。しまいにはそっちから蜜を運んできてくれるようになった」
重い雰囲気のときほど会話は軽快に、は二人の間の決まりだった。
543 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:30:57.22 ID:nfhzqLE0 [4/18]
ホロ「わっちらの知っている神も、時代のどこかで死んだんじゃな」
しばらく雑談して、不意に、うつむきがちにホロが言った。
死んだ、という表現は刺すように的を射た表現だと思った。
ロレンス「この国にいた神は、俺たちの知っているそれじゃない。それに、まだどこかの国では生きている」
ホロ「そうではない」
ホロ「確かに、神は死んだんじゃ。人が技術と知恵を身につけて、静かに朽ちた」
つぶやくようにそう言った。
544 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:31:35.81 ID:nfhzqLE0 [5/18]
ホロ「いるかもしれないが、いないかもしれぬ。そんな曖昧な存在に身を預けられる時間はとうに過ぎたんじゃ。彼奴らは自分で生きていけるようになった。だから捨てた」
ロレンス「ホロ」
ホロ「取り乱してはおらぬ。大丈夫じゃ」
ロレンス「……」
ホロ「わっちはな、確かに忘れられていたことに寂しさを覚えていたし、怒りもあった。じゃが、一方で独り立ちできた彼奴らを見守りたいという想いもあったんじゃ。もう、いなくても平気じゃと。だから旅にも出られた。後ろ髪をひかれることはないと分かっていたからの。実際、目の前でしっかりと決別を告げられたしのう」
自嘲気味にそう言った。
545 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:32:05.60 ID:nfhzqLE0 [6/18]
ホロ「長い時間を生きていて、求められる経験は幾つかあったが、最近思うんじゃ。例え捨てられたとしても、それはわっちがいたからかもしれぬ。わっちがいたことで、何かしら与えられたものはあったのやもしれぬと」
ホロ「神になりたいなどとは思わぬ。断じて思わぬが、与えたいとは思うんじゃ。わっちも、生きているから。それはおかしいことかの?」
賢狼が相談をすることはめったにない。
いや、初めてのことのように感じた。
ロレンス「それは、思わない」
次には口が勝手に動いていた。
ホロ「くふ、不思議じゃの、耳と尻尾が取れて思うのは、わっちもまだまだ小娘だと思ってしまいんす。まったく、ぬしらと変わらぬ」
ロレンス「……」
546 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:32:33.11 ID:nfhzqLE0 [7/18]
ロレンス「だがそれは本当にお前がしたいことなのか。犠牲にした上での選択じゃないのか。かつてお前は俺に言った、孤独は死に至る病だと。俺だっていつまでも……」
失言であったことに気づいたのと、手が口にあてられていることに気づいたのはほぼ同時だった。
ホロ「誰かがいなくなって後悔するのも、誰かに必要とされなくなって後悔するのも、後悔するまでが充実していたからだと思わぬかや?」
ロレンス「……与えることが、本当に幸せなのか?」
ホロ「わかりんせん。わっちは神として崇められていたがよ、神ではない。神と呼ばれる存在も、少なくともわっちが生きていたなかで出会うことはなかった。たぶんこれからも。そしてわっちも神にはなれぬじゃろう。しかし、標を翳すことはできるやもしれぬ。誰かを生かすことはできるかもしれぬ」
547 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:33:05.48 ID:nfhzqLE0 [8/18]
ホロ「わっちは、欲張りかの」
さっきからこちらを見ていないのは、本当に迷っているからだろう。
ロレンス「…やっぱり駄目だ。仮にこのままこの世界にいるとしても、俺とお前でなら、時間をかければこの国でも暮らせるようになるだろう?二人で、ここで暮らせばいいじゃないか。その幸せは無価値なのか」
嘆くような物言いになってしまった。
ホロ「ほう、こんなところで告白されるとはの」
ロレンス「ホロ、俺はまじめに言っているんだ」
ホロ「…あの小僧はぬしも思ったように、憎たらしいほど純粋じゃ。信じてみたくなった、というのが本心じゃ。寂しくは、ならない………ぬしは、隣にいてくれるじゃろ?」
ロレンス「当たり前だ」
ロレンス「それでも俺は」
ロレンス「俺はお前が傷つくところはもう見たくない。誰かに傷つけられてからじゃ遅い」
548 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:34:01.23 ID:nfhzqLE0 [9/18]
ホロ「………今宵のぬしは珍しく男前じゃの」
ロレンス「ホロ」
ホロ「くふ、臭いなどとは言わぬ。素直に、嬉しい」
目を見ては言ってくれなかった。照れ隠しなのか、落ち着かない様子だ。
ホロ「そういう言葉は取っておくもんじゃ、たわけ」
裾を引っ張られる。さすがに演技ではないだろう。
549 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:35:13.84 ID:nfhzqLE0 [10/18]
ホロ「………こほん、さて、わっちはあの小僧がいうように、口も回れば頭もまわりんす」
ロレンス「?」
急に話題が変わったような気がした。
ホロ「どうやら、わっちの口と頭はくっついておるみたいじゃ。どちらかが回ると、もう一方も回らずにはいられぬ」
ロレンス「あ、ああ」
ホロはつかんだ裾を離さない。
ホロ「じゃから……口が回ってしまうと、考え事についても頭から離れなんだ」
ロレンス「俺も経験がある。悩み事があるとき、人に話していると楽にはなるが、一方で悩みが頭から離れなくなったりする」
ホロ「……そういう話でない………たわけ」
ロレンス「え?」
550 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:36:30.82 ID:nfhzqLE0 [11/18]
ホロ「そういうときはどうするんじゃ」
ロレンス「……黙っていれば、考えなくて済む?」
ホロ「たわけ」
ロレンス「さ、酒を飲む」
ホロ「たわけ!」
そんなに引っ張られたらシャツがちぎれてしまう。
明らかに何かを期待している。
551 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:37:14.04 ID:nfhzqLE0 [12/18]
ロレンス「よ、要するに、口を回さないようにするんだろ?こうやってふさげば…」
差し出した手をはじかれる。
ホロ「……」
ロレンス「痛っ、……どうしろっていうんだよ!
まったく、いきなり子供みたいに…………………………………っ!」
次の瞬間には、確かにホロの言葉通り、口をふさがれた者の思考は止まるんだなと実感していた。
ホロ「……勘違いするでない、今のはぬしに手ほどきを教えただけじゃ」
ロレンス「め、面目、ない…」
552 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:38:18.43 ID:nfhzqLE0 [13/18]
ホロ「それで?」
ロレンス「え?」
まだ何かあるっていうのか。
ホロ「このわっちに恥をかかせたからには誠意を見せてくりゃれ」
ロレンス「……最初からストレートに言えばいいだろう」
ホロ「誠意を見せてくりゃれ!」
ロレンス「わ、わかったよ…。しかしこんなので、本当に嬉しいものか?」
雰囲気も何もあったものではない。もちろん、自分のせいなのだが。
ホロ「それも勘違いするでない。さっきのはさっき、これはこれじゃ」
ロレンス「?」
553 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:38:56.78 ID:nfhzqLE0 [14/18]
ホロ「つまりじゃの、先ほど言ったように、まだわからぬが、これからわっちらはあの小僧に加担する可能性がありんす。そうなったときにじゃの、その、ぬしがわっちの側でわっちを守る騎士であるべきじゃと、このヨイツの賢狼は思う」
ロレンス「あ、ああ」
ホロ「いわば騎士と皇女のような関係じゃ。と、くれば何か?契約じゃ。そして、契約とくればなんじゃ」
ロレンス「……………」
要するに、何か理由が欲しいだけなのだ。
まったくそこらの皇女よりよっぽど気難しい。
554 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:40:44.75 ID:nfhzqLE0 [15/18]
ロレンス「……わかった、契約するから」
ホロ「うむ」
満足げだった。
ロレンス「目をつぶってくれ」
ホロ「……む?」
ロレンス「さすがに開けたままするほど無粋じゃない」
ホロ「う、うむ、そ、そうじゃな……」
ホロの手をつかんで体を引き寄せると、静かにホロは目を閉じた。
555 名前:狼と就活 ◆4S1Ttn1X06[] 投稿日:2010/07/04(日) 07:47:32.44 ID:nfhzqLE0 [16/18]
ホロ「こ、これは思ったより堪えるの。待ちんす、ぬしよ、あまり驚かさないように…………
…………え」
ロレンス「どうした?終わったぞ」
ホロ「………ぬし」
ロレンス「契約は手の甲にするものだろう?騎士には皇女の唇は奪えない。身分が違うからな」
ホロ「…………………体を引き寄せたのは」
ロレンス「雄の余裕ってやつだ。この時代ではお前は小娘…………お、おい」
ホロ「ぬしよ、わっちは今信じられぬほど頭が回っておる」
ロレンス「……は、はい?」
ホロ「それで分かったんじゃがの、今のは立場が逆じゃ。……やはり目を閉じるべきなのはぬしの方じゃった。今度はわっちがぬしの目を塞ぐ」
ロレンス「ま、待て、わかった、少し冗談が過ぎた、お前が素直じゃないから」
次の言葉はとうとう発せられなかった。
それからの応酬は、想像にお任せするとして、夢ならばせめて痛みも取り除いてほしいと感じた。
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