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女魔術士「魔王探し?」
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:00:45.83 ID:cakGDzPu0 [1/112]
物語は二人の出会いから始まった
「……ようこそ勇者。遠いところわざわざご苦労であった」
「遠いところ? ハッ、魔王、お前を倒すためだ。多少の距離なんざ問題じゃねえよ」
彼らの出会いは宿命であり、必然であった
彼らはぶつかり、片方がもう一方を滅することで物語は終わるはずだった
――しかし
「我輩の手下になってくれ」
「我輩と一緒に世界を救ってくれ」
「我輩の名はニギという、お前の名は?」
「……シェロだ」
運命は動き出す
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:02:07.59 ID:cakGDzPu0
行く手を阻むものがあった
「やっと見つけたわよ!」
「やあやあオフタリさん。こんばんはと初めまして」
彼らは二人の道に立ちはだかった
どちらもあらゆる意味で強敵であった
「エセ勇者」
『やーい、弱虫シェロ、悔しかったら俺たちに勝ってみろ!』
自分の弱さもまた敵であった
彼らにまとわりつき、足を取ろうと窺っていた
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:03:41.70 ID:cakGDzPu0
旅路の途中、反発しあうこともあった
「お前は気に入らねえ! お前に一矢報いれるのなら――ここで死んでも本望だっ!」
「我輩はこの世界を守るぞ! それでも来るというならば――よかろう! 望みどおり殺してやる! 来い! シェロ!」
そして喪失
「“があああああぁぁあぁぁあぁぁぁぁ――――ッ!”」
「――結論から言う。……おなごはもう長くはないぞ」
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:05:21.16 ID:cakGDzPu0
『父上、母上!』
『あなたはわたしが絶対助けるわ!』
守りたいものに気付いた
「俺、世界を……ハルを救うよ。だから、俺に力を……」
「よかろう。共に行こう、シェロ」
最後まで歩こうと決めた
「他人の評価に敏感になるのはコストがいちいちかかる。優先順位を考えろ。でなければ大事なものがくだらないものより先に消えていくぞ」
そのために自分の弱さも乗り越えた
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:06:32.74 ID:cakGDzPu0
「世界の破滅への対抗戦線がいよいよ大詰めに向かう!」
物語は最終局面を迎える
「……俺ねえ、決めたんだ。俺があいつらを殺してやらなきゃいけないんだ。それが俺の最後の願いなんだ」
敵もまた、自らの運命を動かそうとしていた
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:07:40.20 ID:cakGDzPu0
「だから俺は今度はお前らに全てを賭けて挑戦する。……俺は勝つよ。勝たなきゃいけないんだ」
運命は交錯する
「お前たちの短くも苛烈な英雄譚! その最終局面で立ちはだかるのはやはりこの俺だ! 世界を救いたきゃ――俺を殺していけえ!」
そして……
「ついに世界の破局が始まったんだ! 『破滅の門』が開く……! お前らが成し遂げたかったことも、守りたかったものも全てここで終わりだ! 世界は、終わりだ!」
物語は終わったかに思えた
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:08:25.13 ID:cakGDzPu0
――声が聞こえた
『――しっかりしなさいよね、シェロ』
『――泣いてはいけませんよ、ニギ』
「うおおおおおおおおおおお――――ッッッ!!!」
「最後まで、諦めるか……!」
「最後まで、潰れるものか……!」
「世界を――」
「終わらせるものか!」
彼らは再び立ち上がる
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:09:09.73 ID:cakGDzPu0
「行くぞ! サクセサー・オブ・レザー・エッジ! 審判だ! お前はエセ勇者か! それとも真に世界を救う勇者か! 俺に勝って最強を手に入れてみろ! 俺から世界を、取り戻してみろおおおおおおお!」
最強を願うものと
「俺がエセかどうかなんてもうどうでもいい! そんな俺でも守れるものがあるなら! それだけでもう、十分なんだ!!」
守りたいものを守るものと――
彼らの因縁が行き着く先は……
「……じゃあな」
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:11:10.02 ID:cakGDzPu0
破滅が迫る
「シェロ、破滅の門は我輩一人で止めるよ。……我輩の命と引き換えに」
最後の絶望
「自分の命と引き換え? くだらねえヒロイズムに酔ってんじゃねえ! 目を覚ませ! ほかにもっといい手段はあるはずだ! だから死ぬなんて二度というな!」
そしてその最後に心が通じたのかもしれなかった
「約束しろよ。絶対生きてまた俺に会うって」
「――わかった、約束しよう。我輩は生きて、お前に再会する」
「ニギは生きてシェロに再会する。……いいな?」
再会の約束
再び交わる運命の確約
12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:12:58.84 ID:cakGDzPu0
物語はそこで終わりを迎えた
とりあえずのところは
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:15:01.94 ID:cakGDzPu0
title:女魔術士「魔王探し?」 ~魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」アフター~
ニアはじめから
つづきから
魔術パクリ元:魔術士オーフェン
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:16:18.85 ID:cakGDzPu0
わたしが目を覚ましたのは全てが終わってしまった後だった。
世界は王都の壊滅により大きな転換点を迎えようとしていたし、世間はその話で持ちきりだった。
病院に閉じこもりっきりのわたしにはわりかしどうでもいいことだったのだけれど。
わたしの興味が向かう先は二つ。
一つ目はなぜわたしがまだ生きているかということ。
わたしはかつて強大な力を必要としていて、それを手に入れる代償として自分の命を差し出したはずだった。
この疑問はすぐに解決した。というよりか、だいたい予想がついた。
あいつらがうまくやってくれたのだろう。
わたしはふたりの人物――片方は人間ではないけれど――を思い出す。
片方はわたしの元パーティーで、もう片方はその元パーティーを無理やり手下にした気に食わない奴。
元パーティーのことはもちろん良く知っている。
小さなことにすぐムキになるし口はあまり良くないが根はいい奴だ。
その彼を手下にした奴は良く知らないが、彼がなんだかんだで一緒にいたのだ。根っからの悪者ではなかったのだろう。むかつく奴だったが。
その二人がわたしを助けてくれたのだ、きっと。
だからわたしはまだ生きている。
彼らと神様に小さく感謝した。
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:17:40.37 ID:cakGDzPu0
二つ目はその元パーティーが今何をしているかということだ。
彼らは世界を救うとか何とか言っていて、もしかしたら今回の世界全体におよぶごたごたに結構深く関係していたのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
だからこそ不安になる。
彼らはちゃんと無事でいるのかと。
そんなことを考えながら過ごしていたある日のことだ。
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:19:01.15 ID:cakGDzPu0
看護婦「ハルさん、面会の方よ」
女魔術士「面会? 珍しいわね。わたしに会いに来る人には心当たりはないのだけど」
看護婦「男性の方ですよ。お通ししてもいいかしら?」
女魔術士「かまわないわ」
看護婦「わかったわ。どうぞ入ってくださ~い」
「……」ヌッ
女魔術士「っ……シェロ!」
勇者「……元気そう、だな」
17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:20:16.55 ID:cakGDzPu0
面会者はつい今しがた頭の中に思い浮かべていた元パーティー、シェロだった。
彼はモグリの勇者をやっている。
モグリというのは、まあつまり自称勇者ということだ。
革鎧を身に着けた黒髪黒目、背格好は中肉中背。勇者の村出身であることを示すペンダントを首からさげている。
彼はどこか疲れた笑みを浮かべてわたしに近づいてきた。
わたしはその目に薄い悲しみを見取って眉をひそめた。
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:21:07.06 ID:cakGDzPu0
女魔術士「……呪いの首輪がないわね」
勇者「あ? ああ、あれか。あれはもう取ってもらったんだ」
女魔術士「……なんで寂しそうな顔するのよ」
勇者「え、そうか……?」
女魔術士「そうよ」
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:22:30.32 ID:cakGDzPu0
呪いの首輪とは、彼が無理やりにはめさせられていたもので、これのおかげで彼はもう一人のほうの言うことを聞かざるをえなかった。
わたしと衝突せざるを得なかった。
彼はしばらく口をもぐもぐと動かした。
話したいことはいくらでもあったはずだったけど、わたしも彼もしばらくは何も言わなかった。
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:23:26.45 ID:cakGDzPu0
勇者「……身体は大丈夫なのか?」
女魔術士「おかげさまで」
勇者「後遺症とかは……?」
女魔術士「なかったらよかったんだけどね」
勇者「っ……」
女魔術士「そんな顔しないでよ。自業自得よ」
勇者「……」
女魔術士「体自体はなんともないのよ。でも――」
女魔術士「魔術が使えなくなっちゃった……」
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:24:40.53 ID:cakGDzPu0
そうなのだ。
目が覚めてから違和感はあった。
数日して気付いた。自分の中に魔力がほんの一滴も残されていないことに。
生まれてからずっとあった感覚がすっぽりと抜け落ちていた。
22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:25:54.98 ID:cakGDzPu0
勇者「そんな……」
女魔術士「だからそんな顔しないでって。確かに最初は動揺したし悲しくもなったわ。でも考える時間はたっぷりあったもの」
勇者「……」
女魔術士「……もう平気よ」
23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:27:15.57 ID:cakGDzPu0
本当のところはまだ胸の奥がじくじくと痛んでいる。
自分の手足をなくしてしまったかのような喪失感。
全て覚悟していたつもりだったのに。
そのままだとまた泣いてしまいそうな気がしたのでわたしは強引に話を変えた。
24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:28:38.26 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ねえ、それより聞いていいかしら」
勇者「……なんだ?」
女魔術士「私が倒れてからあなたたちがやってきたこと、あなたたちに起こったことよ。この世の中の混乱、あなたたちと関係があるんでしょう?」
勇者「……察しがいいな」
女魔術士「世界を救う。そう言ってたわね。このことなの?」
勇者「そうだ。……だがそれを説明するにはまず、人工的平和維持機構について知ってもらわなければならない」
女魔術士「人工的……?」
勇者「人工的、平和維持機構だ。……看護婦さん、席はずしてもらえねえかな」
看護婦「大事なお話みたいね。わかったわ」
ガチャ……バタン
勇者「……それじゃあ説明するぞ」
25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:29:49.36 ID:cakGDzPu0
人工的平和維持機構。その名の通り、人工的に平和状態を維持する大魔術。ただしそれによるひずみは確実にたまっていき、最後には世界の崩壊につながる。
その機能の説明を聞いて思い浮かんだのは、私が学生だったころよくやってしまったレポートの先送りだった。
確かにその通り。現在の平穏のために未来を犠牲にする、壮大な先送り。それが人工的平和維持機構。
ただ、その具体的な仕組みや原理はシェロもよくわかっていないらしい。そのあたりのことは省略された。
私が魔力を失った原因である契約――シェロはそれを魔神契約と呼んだ――もその人工的平和維持機構の副産物だったようだ。
機構の基本は何らかのエネルギーの蓄積と放出。それを人間の身体に付加したものが契約、というわけだ。
シェロたちは機構による世界の崩壊を止めるために旅をしていたのだそうだ。
26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:30:47.63 ID:cakGDzPu0
勇者「といっても、俺は終わりが近くなるまで世界の崩壊なんて信じちゃいなかった。本当に戦っていたのはあいつ一人だった」
女魔術士「……」
勇者「……スタッバーは知ってるか? 十三使徒のトップの」
女魔術士「ええ。私を王都に呼び寄せてキムラック神殿の大神官に紹介したのは彼よ」
勇者「そうか……。あいつとも戦ったよ。最後に俺たちの前に立ちはだかったのは奴だ」
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:32:41.20 ID:cakGDzPu0
その戦いは壮絶なものだったようだ。だが、強大な力に傷つき打ち倒され膝をつきながらも、それでも彼らは諦めなかった。だから世界はまだ終わっていない。わたしは生きている。
……ただ、代償は大きかった。彼の旅の仲間、魔王がその犠牲になってしまったのだ。
そこまで話すとシェロは目を伏せて口を閉じた。沈黙が落ちる。
昼の日差しが窓から差し込んでいる。終わらなかった世界のやさしい光が。
28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:33:26.63 ID:cakGDzPu0
女魔術士「……」
勇者「……」
女魔術士「……あの、ありがとう」
勇者「ん……?」
女魔術士「あの契約を結んでしまった後もわたしが生きていられるのはあなたたちのおかげよ」
勇者「ああ……」
女魔術士「迷惑もかけちゃったわね、ごめんなさい。あなたの旅のパートナーにも言うべきなんでしょうけど」
勇者「……そうだな」
女魔術士「でも彼は……」
勇者「……ハル」
女魔術士「え?」
29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:34:40.22 ID:cakGDzPu0
勇者「俺は今日はそのことで話をしに来た」
女魔術士「どういうこと?」
勇者「お前に頼みがあるんだ」
女魔術士「何かしら」
勇者「……」
勇者「俺と一緒に、魔王を探してくれ」
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:35:22.92 ID:cakGDzPu0
※
高い天井、広い部屋。調度品もどれも重厚で年代を感じさせるものばかりだ。空気もそれにつられてやや重量を増しているように感じた。
床には埃一つ落ちておらず、清掃が行き届いているのがわかる。これだけ広いと掃除には苦労するだろうなとふかふかのソファーに腰掛けながら思った。
カップを持ち上げ一口茶をすする。それをテーブルに戻して視線を上げた。
テーブルを挟んで目の前に座っているのは三十代ほどの男。優男のような風貌であまり頼りにできそうな風格は持ち合わせていない。それでもこの交易の町タフレムで、しかもこの若さで最も力を持っている人物だというのだから人は見かけによらないものだ。
31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:36:16.73 ID:cakGDzPu0
大商人「――それで? 君たちは何をお望みかな?」
勇者「まずは魔王を見つけるための手がかりがほしい」
大商人「ふむ……」
勇者「事情はさっき説明したとおりだ。俺たちは世界を救った。だが――」
大商人「代償は大きかった」
勇者「……その通りだ」
32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:37:01.44 ID:cakGDzPu0
シェロはわたしの隣で顔を伏せた。深いため息。わたしは横目で彼の横顔を見ながらそれを聞いていた。
ここはタフレムの最有力商人の屋敷だ。街の北に立地している。シェロは王都に入る前にここを訪れ、彼の助力を求めたらしい。
そのときにわたしの保護も求めたようで、わたしの入院中の金銭的な世話は彼がしてくれたとか。
もっともわたしは今回がはじめての顔合わせになるが。
シェロは今回も彼の力を借りるつもりらしい。
さて、魔王ニギは人工的平和維持機構により生じた“破滅の門”を閉じるためその命をささげ、異世界に姿を消した。痛ましいことだが、世界を破滅させるような強大な力だ。言い方は良くないかもしれないが、むしろ彼一人分の命で済んだことに驚くべきである。
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:38:00.58 ID:cakGDzPu0
大商人「逆に言えば、彼は確実にその命を使い果たしているはずなんだ」
勇者「……」
大商人「……生きているとは、思えないけどね」
勇者「……確かにな」
大商人「……」
勇者「でもな、俺はあいつと約束したんだ」
女魔術士「……」
勇者「必ず、再会するって。……約束したんだ」
34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:39:17.52 ID:cakGDzPu0
『約束しよう。我輩は生きて、お前に再会する』
『ニギは生きてシェロに再会する』
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:40:24.79 ID:cakGDzPu0
大商人「……」
勇者「……」
女魔術士「……」
大商人「……うん。そうか……うん。わかった。君は魔王を探すんだね」
勇者「ああ。あんたの力を貸してほしい」
大商人「いいよ。……と言いたいところだけど」
勇者「何だ?」
大商人「前回は交換条件、ギブアンドテイクだった。君と私は対等の取引相手であって友人じゃない。今回もそういうスタンスでいこうと思う」
勇者「なるほど」
大商人「冷たいと思わないでおくれよ。大商人は馴れ合っちゃいけないんだ。それに……」
勇者「それに?」
大商人「……最近の世界の情勢は知っているかな?」
勇者「いや、あまり」
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:41:13.82 ID:cakGDzPu0
大商人「王都メベレンストが壊滅して、わけがわからないながらもとりあえず今、次なる中心都市が必要とされている。世界はそこらへんのことでごたごたしてるんだけど、まあ大体決まっているんだ。というか自動的に王都の次に力を持っている都市になるんだけど……」
勇者「どこだ?」
大商人「……自治都市、トトカンタさ」
女魔術士「トトカンタ……」
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:42:01.17 ID:cakGDzPu0
自治都市、トトカンタ。大商人が言うように、実質王都の次に力を持ち、栄えている都市だ。
通常王都が各都市を支配し影響を及ぼすが、トトカンタは独自に議会を持ち政治を行っている。
大きな都市で、同じく自治都市のラポワントにある“牙の塔”、王都にかつてあった“スクール”に次ぐ規模の魔術学校もある。
実はわたしの出身地でもあり、わたしは以前そこの魔術学校に通っていた。
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:43:04.73 ID:cakGDzPu0
大商人「そこにいたるまでに水面下で結構な競り合いがあったらしいよ。まあ結局ごり押しで決定したらしいけど。ちょうどね、王族のご子息だったかがトトカンタに住んでいたらしいんだ。だから王都の崩壊に巻き込まれずにすんだ」
勇者「そいつを新たに王室として祭り上げたってわけか」
大商人「大当たり。それに伴って元号も変わるらしいね」
女魔術士「でも、それがどうかしたの?」
大商人「知ってると思うけどトトカンタは大陸の反対側、西の海岸にあるんだ。私もそこに拠点を移さなきゃならない。死んだ都市のそばじゃ商売にならないからね。もう他の商人は移動を開始しているらしい」
勇者「だから俺たちを支援するだけの余裕はないってことか……」
大商人「全くできないってわけじゃないさ。ただ、それに対する見返りはほしい」
勇者「あんたの望みは?」
大商人「そうだなあ。嫌味に聞こえるかも知れないけどこの地位になるとたいていのものは手に入るからね、正直なところありきたりなものはほしくないよ。富や名声は有り余ってる」
勇者「じゃあ?」
大商人「ほしいのはそうだな……」
女魔術士「……」
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:43:55.25 ID:cakGDzPu0
大商人「ほかじゃ手に入らない面白い話、なんてどうだろう?」
勇者「……どういうことだ?」
大商人「君は世界の危機を救った者の一人だ。世界の真理にとても近いところにいる。あまつさえ異世界に飲み込まれた魔王を探そうとまでしている。これほど興味をそそられることはないね」
勇者「なるほど……」
大商人「つまり、後払いでいいよってことさ。君は魔王を探す。そしてその過程で生まれた面白い話を私に提供する。+αがあればもっとうれしいね」
勇者「……その話、乗った」
大商人「交渉成立、だね」
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:44:52.79 ID:cakGDzPu0
大商人「……さて、魔王の手がかりだけど」
勇者「ああ」
大商人「生きているとすれば異世界にいるのは間違いない。ならば、異世界の情報があればいいわけだ」
勇者「だが、そんなもの……」
大商人「あるよ。異世界のことどころかそれを利用して世界を平和にするシステムを記したものはなんだい?」
勇者「……! 世界書か!」
大商人「その通り。それを見つけられれば魔王救出は格段に近づくはずさ」
勇者「なるほど……!」
女魔術士「それを手がかりとして行動するわけね」
大商人「それが一番いいだろうね」
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:45:41.60 ID:cakGDzPu0
大商人「あ、そうそう君」
女魔術士「わたし?」
大商人「そうさ。君は大事なものをなくしたんじゃないかい? そう、何かを成し遂げるための決定力を、さ」
女魔術士「……知ってたの?」
大商人「私の情報網をなめてもらっては困るね」
女魔術士「……ふーん、すごいわね。でもそれがどうかしたの?」
大商人「勇者の足を引っ張りたくはないだろう?」
女魔術士「それは……」
勇者「俺は別に――」
大商人「いい考えがあるんだ」
勇者「?」
女魔術士「いい考え?」
大商人「そう、いい考えさ」
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:46:30.13 ID:cakGDzPu0
※
引き金を引くと破裂音が耳朶をたたき、手には猛烈な衝撃が帰ってきた。手首がきちりと痛む。続いて硝煙のにおいが鼻をつく。
しばらく銃声の余韻を聞き流し、もう一度引き金を引く。反動。さらにもう一度。反動。
合計三発を撃ち終わり、拳銃を下ろした。
数メートル先の的には寄り添うように三つの穴が空いている。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:47:20.61 ID:cakGDzPu0
メンバー3「……うん、悪くないな」
女魔術士「そう、かしら?」
メンバー3「ああ。もともと訓練用の拳銃というのは命中率がとても低い。度外視されているといっても過言ではない。その拳銃でこれだけ
の成果をたたき出せるならまずまず以上だな。いい腕だ」
女魔術士「ありがとう」
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:48:30.40 ID:cakGDzPu0
ここは大商人が所有する、街のはずれにある射撃訓練場。大商人に勧められて昨日今日と通っている。
そう、大商人が言った“いい考え”とはつまり拳銃の使用だ。決定力としての威力も申し分なく、魔術の代用品としては現在思いつく限りでは最も適している。確かにいい考えだった。もっとも、わたしが実際に拳銃というものを見たのは昨日が初めてだが。
拳銃の教官を務めているのは王都の元レジスタンスメンバーのレイ。男のような口調、凛とした雰囲気。長身もあいまってそこらの男よりよほど格好がよい。
彼女は王都の壊滅の中、レジスタンスリーダーとともに生き延びたメンバーの一人で、今は大商人から住む場所を提供してもらっているらしい。
レジスタンス時代の彼女の担当は拳銃の運用と、メンバーの拳銃訓練だったそうだ。
45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:49:23.22 ID:cakGDzPu0
メンバー3「だが、一つ言うとすれば」
女魔術士「なに?」
メンバー3「あまり力みすぎないほうがいい。あらゆる意味で成功率が下がる」
女魔術士「あら、肩に力が入っていたかしら?」
メンバー3「それもある」
女魔術士「も?」
メンバー3「……隣に在ることを諦めるな」
女魔術士「……?」
メンバー3「君はこれからさまざまな困難にぶつかると思う。何しろ今まで培ってきた力の一つを失ったのだからな、これは仕方のないことだ」
女魔術士「……」
メンバー3「だが忘れるな。彼の隣に在ることを諦めるんじゃない。君はそこにいてもいい。変に力まなくてもいいんだ。それを絶対に忘れるな」
女魔術士「……」
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:50:33.38 ID:cakGDzPu0
彼女は多くの仲間を失った。レジスタンスのリーダー、ジゼルは残った仲間のその後の生活の支えを作ってやるため、そして今混乱している世界のために尽力している。レイはそんな彼の力になりたいのだそうだ。
その役目は簡単なものではない。途中でくじけてしまうかもしれない。
その言葉はそんな彼女だからこそ言えるのかも知れなかった。
隣に在ることを諦めないで。
私はゆっくりと、でもしっかりとうなずいた。
拳銃の訓練はもう一日だけ続いた。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:52:04.32 ID:cakGDzPu0
※
大商人「驚くほど早かったね」
メンバー3「彼女の腕がよかったので。三日で十分と判断しました。それに時間もあまりないでしょう?」
リーダー「その通りだぁな。俺たちはすぐにでも出発しなきゃなんねえ。これでも遅いくらいだしな」
勇者「すまない、いろいろ面倒を見てもらって」
女魔術士「ありがとう」
大商人「取引内容そのままさ。別に感謝することじゃない」
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:53:35.08 ID:cakGDzPu0
屋敷の前。見送りには大商人エリム、元レジスタンスリーダージゼル、メンバーのレイがきてくれた。
わたしとシェロは旅のための最小限の荷物を持って立っている。
背中まであった金髪は切ってしまった。今は肩までの長さだ。名残惜しくないといえばうそになる。シェロも驚くと同時に、少し残念そうな顔をしていた。
服装も、以前の黒い三角帽子と同じく黒いローブから、動きやすい服装に着替えている。
天気は快晴出発にはちょうど良い天気だ。わたしたちは世界書探しに。大商人たちはトトカンタへ。
わたしたちの目的地は魔王城だ。そこに世界書ないしは世界書の情報があるとにらんだのである。
49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:54:18.06 ID:cakGDzPu0
大商人「餞別だ、受け取るといい。勇者に一つ。ハル君に一つ」
勇者「これは……」
女魔術士「ん……」
大商人「勇者には改良型ヘイルストーム。暴発の危険性は低くなっているはずだよ。そしてハル君にはテンペスト。ヘイルストームと同じく狙撃拳銃と呼ばれる最新型さ」
勇者「弾数は?」
大商人「どっちも八発だ」
女魔術士「多いか少ないかは使い方次第ね」
大商人「君は主武装になるから明らかに足りないよ。でも大丈夫、そこらへんは手配してある。それぞれの都市、町、村にいる私の部下に弾薬を渡しておく。君たちはそこで補給すればいい」
勇者「ありがとうな」
大商人「さっきも言ったけど礼はいらないよ」
50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:56:03.65 ID:cakGDzPu0
リーダー「俺たちからは情報を。魔界のほうがざわついてやがる」
勇者「魔界が?」
リーダー「ああ。魔王の不在、人間界のごたごた。魔族のほうにも勢力の拡大を狙っているのが少なくないってえ訳だ」
メンバー3「今までよりも魔族、魔物と出くわす可能性は高くなる。気をつけていくんだ」
女魔術士「わかったわ」
大商人「それじゃ、元気で」
勇者「ああ、そっちもな」
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:56:47.35 ID:cakGDzPu0
私たちはタフレムを出発し一路北を目指した。一週間ほどで港町に着き、舟を調達。二週間ほどをかけて海路を渡った。
反対の海岸の町につくとそこはもう魔界だ。……とはいっても別にいきなり空が暗くなったりおどろおどろしい雰囲気になるわけではない。
私たちが住むこのキエサルヒマ大陸は北側と南側に分かれている。北は魔族の居住地、南は人間の居住地だ。魔族の住む北側を俗に魔界という。
人間が住んでいないかと言えばそうではなく、魔族と人間の間で平和協定が結ばれてからは魔王山のふもとにも人の村がある。
海岸の町を出て山道に入った。
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:58:03.51 ID:cakGDzPu0
勇者「ここを上りきれば山村があったはずだ。そこで休もう」
女魔術士「そうね」
勇者「ふう。……!」
女魔術士「どうしたの?」
勇者「来る……!」
「キシャァッ!」バッ!
53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:58:57.18 ID:cakGDzPu0
子供のような小さい影が茂みから飛び出してきた。手に何か得物を持っているのが見える。魔物だ。
わたしは即座に魔術構成を編み上げ――それが無駄であることに気付いた。
慌てて腰の後ろのホルスターに手を伸ばす。
そのときには既にシェロが剣を抜き放ち魔物の攻撃に合わせている。
わたしは完全に出遅れた。
54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:59:48.87 ID:cakGDzPu0
勇者「でりゃあぁぁッ!」シュッ!
魔物「シッ!」ガキン!
勇者「ふっ!」ビッ!
魔物「フシャ!」ガキ!
女魔術士「――シェロ、離れて!」スチャ!
勇者「了解!」バックステップ!
女魔術士「――ッ」タァン!
魔物「……っ」ブシャ!
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:06:07.98 ID:cakGDzPu0
放たれた弾丸は空気を切り裂いて飛ぶ。狙撃拳銃の特徴は、弾丸に螺旋回転を加えるライフリング機構を銃身内に施すことで、その命中精度、威力を大幅に引き上げていることだ。
弾丸は魔物の頭部を正確に撃ち抜き、魔物が地面に崩れ落ちた。
それから魔物の血がゆっくりと広がっていくのを、わたしは見つめていた。
肩に力が入りすぎているのに気がついたのはそのすぐ後だ。シェロが何か言っているのにも気がつかなかった。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:12:07.09 ID:cakGDzPu0
勇者「ハル、ナイス」
女魔術士「……」
勇者「あの立ち回りの中でよく相手の急所を打ちぬけたな。才能あるんじゃないか?」
女魔術士「……そう、かもね」
勇者「……どうした?」
女魔術士「……別に」
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:15:07.79 ID:cakGDzPu0
対応のわずかな遅れ、異常な力み、戦闘後の虚脱感。わたしの頬を汗が伝う。身体が急激にさめていく感覚。早鐘のような鼓動。
これはまずいかもしれなかった。
魔術が使えなくなるというのはかくも大きな痛手だったのか。当たり前にあったものがないというのはかくも不安なものなのか。
そして魔術とは違う殺しの感覚にわたしは大いに戸惑った。
山村へ向けて歩き出しシェロが何か話しかけてきても、わたしは上の空だった。
その後何回かの戦闘を重ね、わたしは経験と自信と、そしてやはり何ともしれない違和感を溜め込んでいった。
さらに一週間ほど後。わたしたちは大きな門の前に立っていた。山の頂上。魔王城の前に。
そこに一体の魔物がいた。人型で、一見壮年の人間男性に見えるが、瞳が人間にはありえないほど赤かった。
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:18:06.69 ID:cakGDzPu0
側近「……待っていたぞ」
勇者「……ああ」
女魔術士「……」
側近「……そっちは?」
勇者「ハルという」
女魔術士「……はじめまして」
側近「私は魔王様の側近だ。……ついて来い」
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:21:07.41 ID:cakGDzPu0
魔王の側近というその魔物の後ろについて魔王城の中に入った。思ったより内装は悪趣味ではない。が、なぜかパーティー用の三角帽子やランプが隅っこのほうにちらほらと目についた。魔王は祭り好きなのだろうか。
五十人ほどが入れそうな広さの部屋に通された。普段は会議にでも使われているのだろう。大きいテーブルが中心に陣取り、いくつかの椅子が並んでいる。
側近の魔物にここで待つように言われ、とりあえず適当な席に腰を落ち着ける。側近の魔物は呼びにいく人がいると言って姿を消した。
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:26:25.34 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ここが、魔王城……」
勇者「案外普通だろ? 趣味の悪いタペストリーがあるわけでもないし、壁に蔦もはっていない。きれいなもんだ。つっても、俺もここに詳しいわけじゃねえけどな」
女魔術士「そう……」
――ガチャリ……
側近「待たせた。――どうぞお入りください」
?「……」
勇者「そちらは?」スク
側近「魔王様の奥様、ルフ様だ。――ルフ様、こちらが魔王様と連れ立って旅に出た勇者シェロと、その仲間ハルにございます」
魔王妻「……」
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:30:34.55 ID:cakGDzPu0
麦畑を思い出させる腰までの流れるような長い金髪、背中から出た三対の小さな翼、つやのある褐色の肌、目じりは下がり気味で雰囲気も柔らかだ。ほっそりとした上品な身体を、これまた上品でシンプルなドレスで包んでいる。
わりと比べたがりのわたしでも素直に、綺麗だな、と思った。
彼女は側近について無言で私たちの向かいの席までいくと、側近が引いた椅子に腰を下ろした。
しばらくこちらを見つめ、それからつぶやくのが聞こえる。
63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:34:18.08 ID:cakGDzPu0
魔王妻「あの人は、いないのですね……」
勇者「……」
女魔術士「……」
側近「勇者、全てを説明して差し上げろ」
勇者「……わかった。――ルフ様、少々長くなりますが、説明いたします。聞いてください」
魔王妻「ええ……」
・
・
・
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:37:11.17 ID:cakGDzPu0
全てを聞き終わったルフさんはうつむいた。前髪に隠れて表情は読めない。
重い沈黙が流れた。
しばらくして側近が彼女を気遣って小さく声をかけた。
彼女に聞こえた様子はなかったが、よく見るとその肩が小さく震えている。
ルフさんがゆっくりと立ち上がった。テーブルを回ってシェロのほうに近づいてくる。シェロもつられて席を立った。
二人は無言で向かい合う。片方はうつむいて肩を震わせて。もう一方はかける言葉を捜しあぐねて。
突如、あ、ひっぱたかれるなと思った。勇者の背中からも軽い緊張が伝わってきた。が。
ごす!
鈍い音にわたしは疑問符を浮かべた。立ち上がって横に回る。そして理解した。
ルフさんの膝が、勇者の腹部に埋まっている。シェロの苦悶の声が遅れて聞こえた。きれいな膝蹴り。
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:39:53.43 ID:cakGDzPu0
魔王妻「……あなたは、一体何をしていたのですか」
勇者「ぅぐ……」
魔王妻「あなたは一体何をしていたのですか! 答えなさい!」ゴス!
勇者「がっ……」
魔王妻「答えられませんか! そうですよね! あなたは何もできなかったのですから!」
勇者「……」
魔王妻「結果、あの人一人が犠牲になってしまった! あなたがいながら! どうして!」ゴス!
勇者「っ……それは」
魔王妻「あなたが間抜けだからです! あなたが無力だからです! 何が勇者ですか、あの人一人救えないでいて!」
勇者「……」
66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:42:59.54 ID:cakGDzPu0
とてつもない剣幕でそう言うと、彼女は最後の一発をシェロの――というか男性の――弱点に叩き込み、部屋を出て行った。乱暴に扉が閉められる。
側近もそれを追って出て行った。
私は仕方なく倒れ伏したシェロに近寄りかがみこんだ。
……これは手ひどくやられたものだ。
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:45:18.30 ID:cakGDzPu0
女魔術士「……すごいわねー、ルフさんて。曲がりなりにも勇者を沈めたわよ」
勇者「っ……っ……」
女魔術士「大丈夫? 背中でもさすろうか?」
勇者「……痛い」
女魔術士「それはそうでしょうよ」
勇者「……心が、痛い」
女魔術士「…………あなたは悪くないわよ」
勇者「でも……」
女魔術士「あなたはあなたで全力を尽くした。違うかしら?」
勇者「それは……そうだけど」
女魔術士「なら仕方のないことだったのよ……どうしようもない、ね」
勇者「……」
68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:48:27.44 ID:cakGDzPu0
――ガチャ……
側近「生きているか」
勇者「なんとかな……」
側近「ならよかった。もっとも私がお前を殺してやりたい気分だがな」
女魔術士「……ちょっと」
勇者「ハル。……いいんだ」
女魔術士「……」
側近「ルフ様は泣いてらっしゃった。私だって同じ気持ちだ。お前がしっかりしていればこんなことにはならなかったかもしれないのに」
勇者「……そう、だな」
側近「この、役立たずが……!」
勇者「……俺も自分が許せないよ。でもな、俺はあいつと約束したんだ」
側近「……」
勇者「必ずまた会うって。約束、したんだ」
側近「……」
69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:49:48.92 ID:cakGDzPu0
側近「……ふん。それで?」
勇者「だから俺は必ずあいつを――」
側近「違う。お前たちは何か目的があってここに来たのだろうが。それを言えと言っているのだ」
勇者「ああ、そういうことか。――実は、世界書というものを探しているんだ」
側近「世界書?」
勇者「ああ。異世界のこと、そしてその利用法を書いた世界書だ。知らないか?」
側近「その存在は知っている。先代の側近職の魔物から知識は引き継いでいる。だが――」
女魔術士「どこにあるかは知らないのね?」
側近「その通りだ」
勇者「……参ったな」
70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:51:02.86 ID:cakGDzPu0
側近「……ふむ。しかし手がかりがないわけではない」
勇者「と、言うと?」
側近「考えてみろ。当の人工的平和維持機構を実際に使ったのはどちらだ?」
勇者「人間だな。……!」
女魔術士「ってことは……」
側近「その通り。人間側のほうにも世界書の情報は残っているということだ」
勇者「となると調べるのに最適なのは……」
女魔術士「学術都市ラポワントを提案するわ」
勇者「ああ、それだ……!」
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:52:01.64 ID:cakGDzPu0
側近「決まったようだな。ならば早く出発するといい」
勇者「……俺たちがここにいちゃルフ様の気が休まらないだろうしな」
側近「そういうことだ。それと、ここを出るときは裏口から出るといい。案内する」
女魔術士「そんなに危ないの?」
側近「勘がいいな、女。今魔界は人間排斥の動きが勢いを増している。それを刺激するような真似はしたくないのだ」
勇者「……同感だ」
72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:54:38.15 ID:cakGDzPu0
わたしたちは城の裏から出て山を下りた。そして最接近領で弾薬を補給。これからの方針を話し合った。
学術都市ラポワントは王都跡の南にある。魔王城までの道のりを逆に行き、さらに南へ一週間といったところだ。
早速わたしたちは海を渡った。それから陸路で二週間。既に廃墟となった王都跡の脇を抜け、ついに学術都市ラポワントに到着した。
宿をとって早速中央図書館へ出かける。この大陸で最も大きいといわれている図書館だ。魔術士として一生に一度は訪れたいと思っていたが、まさかこんないい機会に恵まれるとは思わなかった。
既に公開されている公文書や古文書を片っ端から読み漁る。これでもないこれでもないと探していくうちに、いつの間にか夜になっていた。
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:56:03.72 ID:cakGDzPu0
帰り道を二人で歩く。夜風が頬を心地よくくすぐった。まだまだ暑い時期は先だが、その予感だけを残して吹き去っていく。
空を見上げれば気の早い星が出ていた。
広い道の両側には民家ではなく学術関係の大きい施設が居並ぶ。夜は閉館するため辺りはしんと静まり返り、光は街灯のみだ。図書館から居住区への道と宿への道は逆方向のため、通りにはわたしたちしかいなかった。
ちょっといい気分になって隣のシェロを横目で見てみる。文字の洪水には慣れていないらしい彼はちょっと疲れた顔で横を歩いていた。
そういえば、と唐突に脈絡もなく気付く。シェロは病院で再会して以来口汚い言葉を使っていない。ちょっと性格が丸くなったんだろうか。
その腕に抱きついてみようかどうかとふと考えた。心持ち近寄って、でも嫌がられたらやだなと考えて距離をとって。シェロは気付かないようだったが。
結局宿につくまでに踏ん切りはつかず、そのまま次の日になった。
そんな日が何日か続いた。
最初はそのうち見つかるだろうと思っていたわたしたちだったが、なかなかこない手ごたえにわたしたちは次第にじれてきた。
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:57:11.69 ID:cakGDzPu0
勇者「何か手がかりはあったか?」
女魔術士「だめね。見つからないわ」
勇者「そうか……」
女魔術士「ねえシェロ、このままじゃ絶対見つからないんじゃないかしら」
勇者「そんな諦めるようなこと言うなよ」
女魔術士「違うの。わたしたちが探している手がかりは、もっと秘匿性が高いんじゃないかってことを言ってるの」
勇者「! そうか、重要文書!」
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:58:03.36 ID:cakGDzPu0
この図書館はありとあらゆる資料をその内に抱えている。しかし、機密性が高いものは一般人では見ることができないものもあるのだ。
より身分の高い人物でないと見ることができない資料は意外と多い。
世界書に関する書類ももしかしたらそういう類のものかも知れないというわけだ。
そうなればわたしたちに見ることは、不可能とは言わないまでもきわめて難しい。
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:59:44.99 ID:cakGDzPu0
勇者「くそっ、考えてみれば当たり前か。人工的平和維持機構に関する資料なんて極秘中の極秘だ。世界書関連だってきっと同じ扱いなんだな……」
女魔術士「困ったわね」
勇者「どうする? お偉いさんのコネなんて俺はないぞ?」
女魔術士「わたしにだってないわ」
勇者「となると……スニーキングミッション、か?」
女魔術士「止めないけど、捕まってもわたしを巻き込まないでよ?」
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:00:36.07 ID:cakGDzPu0
結局いいアイディアは思いつかないまま閉館時間になった。
帰り道、シェロは相変わらずうなっていた。わたしはもう諦めて別のことを考えていた。今夜の宿で出される夕食のメニューとか、今日はパスタ系がいいなとか。
そんなときのことだった。
よく通る可愛らしい声が通りに響き渡った。
78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:01:29.68 ID:cakGDzPu0
?「モグリさぁーん!」
勇者「げっ!?」
女魔術士「?」
79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:03:10.26 ID:cakGDzPu0
後ろからだ。わたしはよく考えもせず振り向こうとした。その途中で視界にいたシェロが突如何かに押し倒されるのが見えた。
驚いて視線を戻す。
シェロがいない。声だけが聞こえて視線をそのまま下に下ろした。そこには。
80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:04:10.24 ID:cakGDzPu0
?「モグリさぁん、お久しぶりですぅ」
勇者「重い! どけ!」
?「そんな重いだなんて。女の子に失礼ですよぉ」
勇者「お前は女じゃねーだろ!」
81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:05:39.00 ID:cakGDzPu0
シェロが年下らしき子に押しつぶされていた。
突然のことに言葉が出ない。馬鹿みたいに突っ立ってぽかんとそれを見下ろしていた。
それからふつふつと何かが胸の底からわいてくるのを感じた。
なんだろうこれは。考える前に口が動いた。
82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:06:32.22 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ちょっと、何やってんのよあんた!」
?「ボクですかぁ? この人に抱きついてるんですよぉ」
女魔術士「見りゃわかるわよ! さっさとそこをどきなさい、シェロが困ってるでしょ! っていうかなんなの!?」
?「あ、よく見たらハルちゃんじゃないですかぁ、お久しぶりですぅ」
女魔術士「……?」
?「ボクですよぉ、少し前にシェロさんを寝取った」
女魔術士「あ……!」
83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:08:25.78 ID:cakGDzPu0
思い出した。
シェロが魔王と組むよりもうちょっと前。わたしはシェロと喧嘩別れしたことがあった。
そのときの原因がこの子だ。
シェロがこの子と一夜を共にしたので、わたしは怒って三行半をたたきつけたのだ。
いや、別にあの時は付き合ってたわけじゃないけど……。
あ、今もか。
84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:09:54.72 ID:cakGDzPu0
?「あの時は自己紹介する暇もありませんでしたねぇ。カシスです。カシス・ブルーベリーっていいますぅ」スク ペコリ
女魔術士「……カシス? 女の子にしてはへんな名前ね?」
勇者「……いや、違うぞハル。こいつ、女じゃない」ムクリ
女魔術士「は? 何言ってるのあなた。この子どう見ても女の子じゃない」
?「違いますよぉ」
女魔術士「え?」
男の娘「ボク、男です」
女魔術士「……え?」
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:11:22.45 ID:cakGDzPu0
耳を疑った。実際に耳に触れてその機能を確かめてみた。次に指を鳴らして聞こえることを確認する。うん、大丈夫聞こえる。
続いて疑うべきはこの子の口だ。じっと見つめてみる。特におかしなことはなさそうだ。
肩までよりちょっと短いぐらいの黒髪がややウェーブ状にくせっ毛となっている。そして利発そうな目鼻立ち。
身体は男ではありえないほど華奢だ。見比べてみるとわたしのほうがしっかりしているかもしれない。ああ、あくまで比較の話なの勘違いしないように。わたしだって別に筋肉質ってわけじゃない。
そしてその華奢な身体を黒いローブが包んでいる。
87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:01:09.00 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ねえ、シェロ。わたし何かおかしなことを聞いた気がするんだけど」
勇者「そうだな。認めたくないのはよくわかる」
男の娘「ですよねぇ。自分で言うのもなんですけどぉ」
勇者「全くだ」
女魔術士「……」
勇者「はぁ……」
女魔術士「……え、ちょっと待って。そういうこと?」
男の娘「はい、ついてます」
女魔術士「何が? って……やっぱりいい」
男の娘「見ます?」
女魔術士「いい……」
男の娘「……」ゴソゴソ
女魔術士「いいってば!」ゴン
男の娘「いったぁい!」
88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:06:07.27 ID:cakGDzPu0
女魔術士「まとめるわよ。カシスは男」
男の娘「はぁい」
女魔術士「わたしは男にシェロを寝取られた」
勇者「寝取られたって……」
女魔術士「……」
男の娘「……」ニコニコ
勇者「……」ゲンナリ
女魔術士「……ふ」
男の娘「ふ?」
女魔術士「ふざけるなー!」
89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:12:10.73 ID:cakGDzPu0
怒りはもちろんだが、そんなことであの時大騒ぎしたのが情けないやら恥ずかしいやらでいたたまれなくなった。
わたしは壮大な勘違いをしていたというわけだ。
そしてわたしはそんな勘違いでシェロにひどい仕打ちをしてしまった。
……どうしよう。
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:18:19.77 ID:cakGDzPu0
勇者「そんなに気にするなって。俺は気にしちゃいねえよ。俺にも落ち度はあったしな」
女魔術士「でも……」
男の娘「ドンマイドンマイですぅ」
女魔術士「……」ジト
男の娘「やぁん、そんな目で見られたら照れちゃいますぅ」
勇者「と、ところで、カシスは何でこんなところにいるんだ?」
男の娘「そりゃあボクがこの都市に住んでるからですよぉ」
勇者「住んでる?」
男の娘「はぁい。ボクは牙の塔の学生ですから」
女魔術士「牙の塔……」
92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:24:06.85 ID:cakGDzPu0
“牙の塔”とは、この都市にある魔術学校だ。元王都にかつてあった“スクール”と並んでキエサルヒマ大陸最大の魔術学校といわれている。
カシスはその学生なのだそうだ。
ついでに言えばカシスが着ている黒のローブ。あれは上級魔術士の証である。
成績が優秀なごく一部の学生しか身に着けることができない。
意外にもカシスはそのごく一部に含まれているらしい。
94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:30:11.16 ID:cakGDzPu0
勇者「お前、意外とすごいんだな……」
男の娘「そんなことないですよぉ」エッヘン
女魔術士「……」
男の娘「それより、何でモグリさんたちがラポワントにいるんですかぁ? どっちかって言うとそっちのほうが不思議ですぅ」
勇者「いや、えっと……」
女魔術士「……話してもいいんじゃない?」
勇者「……ハル?」
女魔術士「よく考えてもごらんなさい。この子は上級魔術士。ということは?」
勇者「……! 機密文書の閲覧ができる!」
男の娘「?」
勇者「カシス、正直言ってあんまり気は進まないが、力を貸してくれ」
・
・
・
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:36:09.22 ID:cakGDzPu0
男の娘「……なるほどぉ、モグリさんたちが世界を救ったんですねぇ」
勇者「疑わないのか?」
男の娘「モグリさんは嘘ついたんですか?」
勇者「いや、違うが……」
男の娘「じゃあ信じますよぉ」
勇者「そ、そうか」
男の娘「世界書って本のことについて知りたいんですね、このカシスに任せてくださぁい!」
女魔術士「……期待してるわ」
96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:42:19.89 ID:cakGDzPu0
次の日。わたしたち三人は中央図書館で落ち合った。カシスは近くの学生寮に住んでいるらしい。
早速カシスの名前を使って資料をかき集め、はしから読み漁る。
重要文書はいままで読み漁った量からすればあまり多くはなかったが、それでも夕方になる程度には調査に時間がかかった。
そして。
97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:47:08.53 ID:cakGDzPu0
勇者「……あったぞ」
女魔術士「どれどれ?」
勇者「約六百年前の資料だな。つってもそんな年月、紙がもつわけねえから何度か写しなおされたみたいだが、まあそれはいいか」
男の娘「それで、なんて書いてあるんですかぁ?」
勇者「えーと……約六百年前、世界は戦乱の真っ只中だった。魔物、人間関係なく大勢傷つき、死んでいったらしい。文明にも大きな打撃を与えたそうだ。これはまあ俺たちも知っている、常識中の常識だな」
女魔術士「それで、世界書は?」
勇者「急かすなって。うんと、そんな混乱の中、王都に忽然と賢者が現れたらしい」
男の娘「賢者、ですか?」
勇者「ああ、賢者だ」
女魔術士「ふぅん……?」
98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:50:07.43 ID:cakGDzPu0
勇者「賢者はある奇妙な書物を持っていたそうだ。異界について記した書物。それを当時の王に献上したらしい」
女魔術士「……世界書?」
勇者「だろうな。王は賢者に指揮権を与え、キムラック神殿と神体を作らせた。完成してしばらく後、その賢者は書物とともに姿を消したらしい。それから世界は徐々に安定していったようだ」
男の娘「ビンゴみたいですねぇ」
女魔術士「でも、肝心の世界書の行方がわからないわね……」
勇者「いや、大丈夫だ。これを見てくれ」
女魔術士&男の娘「?」
『我は地獄へ帰らん』
男の娘「賢者の言葉ですかぁ?」
女魔術士「地獄……?」
99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:00:46.78 ID:cakGDzPu0
勇者「言葉の通り読むなら、賢者は今地獄にいる」
女魔術士「……ちょっと待ってよ、地獄なんてものがこの世にあるわけ――」
勇者「あるんだ」
男の娘「えぇ?」
勇者「以前魔王と旅をしていたとき、奴は地獄でルフさんと出会ったと言っていたんだ。観念上の地獄が実在するかどうかは知らないが、“地獄”と呼ばれる何かはこの地上に必ずある」
女魔術士「……なるほど」
勇者「あとはもう一度魔王城に戻ってその場所を聞くだけだ……!」
100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:06:19.92 ID:cakGDzPu0
数分後、わたしたちは誰もいない夜の通りを宿に向かって急ぎ足で歩いていた。
一番急いでいるのは先頭に立つシェロだ。その後ろをわたしが歩く。
そしてさらに後ろを、カシスがなぜかついてきていた。
しばらく歩いたところでシェロがそれに気付き、歩みを緩めた。
101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:11:12.65 ID:cakGDzPu0
勇者「……あー、カシス?」
男の娘「はぁい、なんですかぁ?」
勇者「いや、お前はなんでついてきてるのかなあと」
男の娘「はい?」
勇者「いや、役目が終わったらお払い箱ってわけじゃあ決してないんだが、もうお前に頼る作業は終わったんだ。もう帰って休んでいいぞ? 礼は後でちゃんとするから」
男の娘「ボクも一緒に行きます」
女魔術士「え?」
勇者「……それは、どういう意味だ?」
男の娘「これからモグリさんたちは魔王城や地獄に行くんですよね、ボクも一緒に行きたいです」
勇者「……」
男の娘「いいでしょ?」
102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:12:33.28 ID:cakGDzPu0
男の娘「お願いしますよぉ、この通り」
勇者「いや、でもな?」
女魔術士「……あなた学校はいいの? 今日はサボりだったんでしょ?」
男の娘「一日ぐらいへっちゃらですぅ!」
女魔術士「これからは? 退学でもするつもり?」
男の娘「適当に理由つけて長期休暇を取りますぅ」
女魔術士「……遊びじゃないのよ?」
男の娘「わかってますよぉ、それくらい」
103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:13:25.43 ID:cakGDzPu0
わたしはしばし無言でカシスの目を見つめた。どこかほんわかとした空気がそこに漂っている。
まるでこれから修学旅行にでも行くかのようなのんきさだ。
わたしは深くため息をついた。
そして腰の後ろに手を伸ばす。
それをゆっくりと抜いてカシスに突きつけた。
104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:14:31.19 ID:cakGDzPu0
女魔術士「もう一度言うわ、遊びじゃないのよ?」スチャ
男の娘「……」
勇者「おい、ちょっとハル……!」
女魔術士「シェロはちょっと黙ってて。これは大事なことよ」
男の娘「……」
女魔術士「知らないかもしれないけど、わたしが今あなたに突きつけているこれ、魔術と同等の威力を持つ武器なの。わたしがちょっと指を屈曲させればあなたはたやすく死体になるわ。わたしたちが行くのはそういうところなの。あまりなめてると怒るわよ?」
男の娘「……ってます」
女魔術士「?」
男の娘「知ってますよ」
女魔術士「……何が?」
男の娘「拳銃」
女魔術士「……!」
男の娘「そうですよね、それ?」
105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:16:41.83 ID:cakGDzPu0
男の娘「それは軍が極秘に配備していた『拳銃』というものですよね? しかもそれは見たことない型なので、おそらく最新型。とても殺傷力が高いと聞いていますぅ」
女魔術士「……」
男の娘「でも逆に言えばそればそれ以外に決定力がないってことですぅ。ハルちゃん、魔術使えないんでしょ?」
女魔術士「……っ」
男の娘「ボク、役に立ちますよぉ?」
106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:18:08.41 ID:cakGDzPu0
そう言うとカシスはふんわりと笑った。
まるで馬鹿にされたような気分になって、わたしは奥歯をかみ締めた。
手に力がこもる。
そんなわたしの様子を見て取ったのか、カシスは「それとも」と続けた。
微笑みの質を好戦的なものに変えながら。
107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:20:07.88 ID:cakGDzPu0
男の娘「ボクの力が信用できないなら、ここで勝負しますか? 最新兵器とボクが磨いてきた魔術、どちらが強いか試してみますか?」
女魔術士「……」
男の娘「――ねえ、ハル・ケットシーちゃん……?」
女魔術士「……」ギリ……
勇者「――二人とも、ストップだ」
男の娘「ええ? でもぉ……」
女魔術士「……」
勇者「でも、じゃない。文句言うなら置いていくぞ」
女魔術士「……!」
男の娘「え! ってことは!」
勇者「ああ。ついてくることを許可する」
男の娘「やぁったぁ!」
108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:21:34.44 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ちょっと、シェロ!」
勇者「ハル、俺はお前を信用している」
女魔術士「い、いきなり何よ」
勇者「でも、これから行く地獄や異世界の危険性は未知数だ。助力は多いに越したことはない」
女魔術士「……。わたしは反対よ。あの子、絶対へまやらかすわ」
勇者「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。でもあいつは上級魔術士だ。信用していいんじゃねえかな」
女魔術士「……」
勇者「……な?」
女魔術士「……わかったわよ。でも、わたしはこれから先も反対だし、あの子が何かやらかしたら即刻追い出すからね……!」クル スタスタ!
男の娘「べーだ!」
勇者「……はぁ」
113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:03:59.25 ID:cakGDzPu0
その後、わたしたちはラポワントを出て再び魔王城へ向かった。およそ一ヶ月の旅だ。
魔界に入るまでは魔物と遭遇することもなく順調に進んだ。旅に関してカシスが足を引っ張ることはなかった。
なかったのだが……
わたしには少々気に入らないことがあった。
114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:07:19.42 ID:cakGDzPu0
男の娘「モグリさぁん、お弁当作ってみました! 食べてみてくださぁい!」
男の娘「モグリさぁん、一緒の部屋にしましょうよぉ!」
男の娘「モグリさぁん、一緒にお風呂に入りましょう!」
男の娘「モグリさぁん、ボクと一緒に寝ませんかぁ!?」
男の娘「モグリさぁん、モグリさぁん――!」
116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:12:47.32 ID:cakGDzPu0
ラポワントを発ってからずっとこの調子である。必死になって一緒の部屋は阻止し、お風呂も引き止め、ベッドにもぐりこむカシスを引きずり出す。
だがお弁当については懇願するカシスに負けて、シェロが口にするのを許してしまった。
全く油断もすきもない。いや、全て小細工なしの直球勝負だが。
ちなみにお弁当はわたしより上手だったので、女としての自信が少々ぐらついた。まあ、どうでもいい話だけど。
しっかりノーといわないシェロもシェロだ。もしかして両手に花で――片方はラフレシアだけど――悪い気はしていないのではないか。そんな疑心暗鬼にも駆られる。
そんなこんなでわたしのストレスはうなぎのぼりだった。最近ではわたしがシェロに近づく暇もない。
とはいえ明確な失敗もしていないので追い返すこともできない。
ため息をついた。
118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:18:36.25 ID:cakGDzPu0
そう、カシスの魔術士としての腕は一級だった。
魔界に入ってから数度戦闘を重ねたが、カシスの魔術は確かに役に立っていた。
※
数メートル先に魔物の影。わたしの横手から突如として魔術の構成が膨らみ、展開される。シルクのように緻密で繊細な構成。それによどみなく魔力が注入され、呪文の声によって現実を理想のそれに塗り替える。
鋭い閃光と抑えられた爆音。残るのは黒焦げの魔物の死体。必要な力を必要な分だけ取り出したというような見事な魔術だった。
わたしはそれを拳銃を構えたままぼうっと見ていた。そう、わたしの役目はなかったのだ。
通常、魔術というのは、構成を編みそれに魔力を重ね、音声を媒体にすることで完成する。構成は、魔術士なら誰でも見ることできるもので、それによって魔術の効果が決まり、魔力によって威力が定まる。
魔術士のスキルはその構成の複雑さ、魔力の大きさ、そして魔術が完成するまでの早さによってランク付けできるが、カシスは間違いなく大陸で最優秀の部類に入る腕だった。
119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:24:52.84 ID:cakGDzPu0
男の娘「“お猿のキャンドルサービスゥ!”」カッ!
魔物「グギャッ!」ドゴォッ!
勇者「よし! ナイスだカシス!」
男の娘「えへへぇ、ほめられちゃいましたぁ」
勇者「次も頼むぜ」
男の娘「もちろんですぅ!」
勇者「ハルはもう残弾が少ないよな? 無理するなよ」
女魔術士「……」
勇者「ハル?」
女魔術士「……ええ、大丈夫、聞こえてるわ。気をつける」
120 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:30:16.41 ID:cakGDzPu0
魔王城は順調に、順調に近づいていた。
しかし戦闘を重ねるたび、わたしは居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
およそ一ヶ月後、大商人のところを出発してから三ヵ月後、魔王城に再び到着した。
裏口の扉の前に数人分の人影がある。だが側近ではない。一番先頭にいる魔物は側近と同じように瞳が赤いが、側近の魔物よりがっしりとしていて背も高い。身には鎧を着けている。
その後ろにいる魔物はみな人型だったが、一人残らず黒衣と仮面をつけており表情は読めなかった。何よりその存在感が希薄さが不気味だった。
先頭の魔物が口を開いた。
121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:37:34.18 ID:cakGDzPu0
?「お前が、勇者シェロか」
勇者「……そうだが、あなたは誰だ? あの側近はいないのか?」
?「……ふふ」
勇者「……?」
?「いやなに、失礼した……」
122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:42:41.54 ID:cakGDzPu0
その魔物は何もしていない。だが、なにやら敵意のようなものがぴりぴりと這いよってくるのが感じられ、わたしたちは身構えた。
もう一度シェロが口を開く。と、そのとき扉が開いた。
中から足早に歩み出る人影があった。側近の魔物だ。
彼は立ち止まると例の魔物に視線を合わせた。
123 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:48:31.88 ID:cakGDzPu0
側近「何をされているのですか、元帥」
元帥「いやなに、魔王様と共に世界を救った勇者とやらの顔を拝もうと思ってな」
側近「……それはかまいませんが、彼らを案内するのは私の役割です。どいてもらえますか?」
元帥「ふ、まるで私が邪魔するとでも言いたげだ。そんなことはしないから好きにするがいい」
側近「……。勇者私について来い」
勇者「あ、ああ」
女魔術士「……」
男の娘「ごめんくださいですぅ~」
元帥「……」
124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:51:55.51 ID:cakGDzPu0 [112/112]
扉の内側に入り、側近の魔物について歩く。背中に、先ほど元帥と呼ばれた魔物からのものだろう、刺すような視線を感じながら。
それから数分ほど歩き、以前も通された会議室のような部屋に入る。側近の魔物はテーブルの奥のほうに回って席に着き、わたしたちはそれに向かい合うように並んで座った。
まず、側近はカシスをちらりと見た。以前いなかったのだからいぶかしく思うのは当然だろう。だが意外にも彼はなにも問うてはこなかった。なんとなくで理解したのだろう。それかただ面倒だったか。
125 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:00:12.83 ID:0NzTE2lA0 [1/271]
勇者「……ルフ様は?」
側近「顔をあわせるのがお嫌なのだそうだ。当然だろう」
勇者「そうだな……」
側近「それで? 今回の用事は何だ?」
勇者「ああ、実はな……」
・
・
・
側近「ふむ、地獄の賢者……」
勇者「地獄の場所を教えてほしい」
側近「それなら魔王山を下りてまっすぐ西だ。レジボーン山脈の峰の一つにその入り口がある。ただ気をつけろ、あそこは魔物でもそう気軽には入らん。それなりの覚悟がないと生きて出られんかもしれんぞ」
126 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:04:06.26 ID:0NzTE2lA0 [2/271]
男の娘「“地獄”って何なんですかぁ?」
側近「この世界と異世界との間の隙間だ。過去と現在とが重なる場所でもある。並みのものでは発狂しかねん。覚悟はあるか?」
男の娘「シェロさんにとっては今更ですよぉ」
勇者「……その通りだ」
女魔術士「……」
側近「そうか、ならいい。……しかし、地獄の賢者か」
勇者「もしかして、知ってるのか?」
側近「もしや……いや、憶測で語るのはやめよう。ただ、過去に世界書の情報を人間界に流した魔物がいるとは聞いている。それかもしれんな」
勇者「なるほど」
側近「ほしい情報は得たのだろう? さっさと行くがいい」
勇者「そうするよ」
127 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:08:26.30 ID:0NzTE2lA0 [3/271]
勇者「……ところでお前さ」
側近「なんだ?」
勇者「顔色、悪くないか?」
側近「もともとだ」
勇者「いや確かにそうなんだけど、前回に比べるとなんだかちょっと……」
女魔術士(そういえば、確かに……)
側近「……気のせいだろう。早く行け」
勇者「……。もし、さ」
側近「?」
勇者「俺たちに手伝えることがあれば、言ってくれよ。力になるから」
側近「……早く、行け」
勇者「おう」
128 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:12:07.93 ID:0NzTE2lA0 [4/271]
前回と同じように城の裏口から外に出た。
山頂の西に立って遠くを眺める。はるか向こうに確かに山脈が見えた。あれがレジボーン山脈だろう。目測で一週間強だろうか。
魔王山を下りて最接近領で弾薬や武器や旅用の装備を補給。一路西へ向かった。
今までは草原や平地を行くことが多かったが、今回は荒野だった。しかも街道のない道なき道を行くので今までよりも体力の消耗が激しい。
誰も何も言わなかったが、その無言がむしろ疲労の度合いを表していた。
この中で一番体力があるのはもちろんシェロだ。しかし次がわからない。カシスは男だがひどく華奢だし、そんなに体力があるようには見えない。もしかしたら私のほうが体力があるかもしれない。
と思ったのだが。
一番最初にガタが来たのはわたしだった。
129 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:16:12.00 ID:0NzTE2lA0 [5/271]
女魔術士「……ごめんなさい」
勇者「いや、いいんだ。俺だってそろそろ限界だった。ここらで休もう」
男の娘「無理しちゃだめってことですねぇ。ゆっくり休みましょう」
女魔術士「ごめんなさい……」
勇者「いいっていいって」
130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:20:17.70 ID:0NzTE2lA0 [6/271]
シェロはともかく、カシスにまで気を使われたのはショックだった。
わたしは、二人の足を引っ張っているのか。そう思うと、なんだかやるせなくなった。
わたしが再び魔術を使えるようになったら状況は変わるだろうか。こっそり小さな魔術構成を編んでみた。しかしそれを実現するための魔力がない。枯渇してしまっている。
わたしは力なくうつむいた。
シェロは何か気がついているのだろう。わたしのほうを何度かちらちら見ていたが声をかけてはこなかった。
と、そのとき座っていたカシスが音もなく立ち上がった。
132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:28:39.01 ID:0NzTE2lA0 [7/271]
男の娘「……」
勇者「どうした?」
男の娘「……」
女魔術士「……?」
男の娘「……来ます!」
133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:31:34.82 ID:0NzTE2lA0 [8/271]
その声と同時だった。わたしは背中に衝撃を覚えて転がった。背中を蹴られたと気付いたのは一瞬後だった。そしてそのときには事態は動き出している。
シェロが罵声を上げながら抜刀するのが目のはしに見えた。ついで影が彼に襲い掛かるのも。
私はみっともなく手を振り回して起き上がると、やっとのことでテンペストを抜いた。
同時にカシスの呪文が響く。
134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:34:08.63 ID:0NzTE2lA0 [9/271]
男の娘「“狸のスタンピィィード!”」ブワ ビシュシュシュ!
勇者「うわ、うわわ!」
女魔術士「きゃあああ!?」
135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:36:09.42 ID:0NzTE2lA0 [10/271]
広く何かが降り注いだ。手足や顔に痛みを覚える。しばらくして降り止んだ無形のそれは、どうやら細かい衝撃波だったようだ。
何をするのかとカシスを怒鳴りつけようとして、七歩ほど離れたところにいる“敵”に気付いた。
荒野の風にはためく黒衣。どんな表情も映さぬ仮面。魔王城の裏口にいた奴らだ。
どうやらカシスは彼らの間合いを外すため、あえて広範囲の魔術を放ったらしい。そのダメージはほとんどないが、攻撃と見れば距離をとらざるを得ない、というわけだ。
相手は、三人。
136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:00:24.89 ID:0NzTE2lA0 [11/271]
勇者「カシス、これはどういうことだと思う?」
男の娘「さあ……わかりません。ただ、あの元帥って魔物と一緒にいたのは間違いありません」
女魔術士「……」
139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:02:17.81 ID:0NzTE2lA0 [12/271]
こんなときにわたしは何を考えているのだろう。シェロが私じゃなくてカシスの方に質問したのはただの偶然かもしれないのに。
わたしは想像以上に荒野の旅に疲れていたのかもしれない。急いで気持ちを目の前の敵に移した。幸い、いまだ相手は動きを見せていなかった。
ただし先ほどの奇襲を考えるに、いつまた死角を取られるかはわからない。
140 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:04:06.51 ID:0NzTE2lA0 [13/271]
勇者「なにやらわからないが、どうやらこいつらを倒さなきゃいけないらしいな……」
男の娘「よぉし、がんばりますよぉ!」
女魔術士「……」
黒衣s「……」
勇者「――行くぞ! 遅れるな!」ダッ!
男の娘「はぁい!」ダッ!
女魔術士「この……!」ダッ!
黒衣s「……」ススス……
141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:06:22.29 ID:0NzTE2lA0 [14/271]
相手は三方に分かれた。わたしたちも同じように分かれる。一対一の構図になった。
わたしはその中の一人に向かって、銃の有効範囲まで一気に距離をつめた。その距離三メートルほど。相手に向けて牽制の一発を放つ。
銃声と共に駆け抜けた弾丸は対象のすぐ脇を飛び去った。だが、それは想定のうちだ。この牽制で相手の動ける範囲を絞りさらに一発、今度は本命弾を放つ。
相手はそのままではあたると見ると横にとんだ。それを追いかけて銃口の先を滑らせた。相手はそのままこちらに対し円を描くように走った。回避行動。しかし当てられそうにないときは撃たない。これはレイに習った基本中の基本だ。
相手はこちらが撃たないと見ると向きをこちらに変えた。チャンスだ。引き金を引き――
その前に目に痛みを覚えた。それに動揺して銃口がぶれ、弾丸があさっての方向にに飛んでいく。
気付く。石を投げられていたのだ。
このままでは踏み込まれる。わたしはあせってさらに引き金を引いてしまった。目標を見失ったまま。
自制は瓦解しそのまま引き金を引き続けた。けれども永遠に続くはずもなくすぐに軽い手ごたえが返ってくる。弾切れ。
そして弾切れとは違う衝撃が手を襲った。
気がついたときには手の中に拳銃がなかった。横から蹴り飛ばされたのだ。悲鳴を上げたような気がする。
142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:08:32.39 ID:0NzTE2lA0 [15/271]
左肩に熱い感触があった。激しく肌を焼き、しかし同時に体温を奪い去っていく。
転倒した。土の味が口に広がる。
肩を見るとナイフが刺さっていた。血が吹き出し、服を赤黒く染めた。
唐突に危険を感じて丸まった。けれども一瞬遅く、腹を猛烈な痛みが襲う。蹴り飛ばされて転がった。
起き上がろうとして再び蹴り飛ばされる。そしてもう一度。さらにもう一度。
痛みにうめく。もう起き上がれない。肩のナイフは抜けていた。
それは今、相手の手の中にある。
高々と振り上げられ、そして振り下ろされる。もちろんわたしに向かって。悲鳴を上げようとして失敗した。
刃が下りてくるのがやけにゆっくりと見えた。
ああ、死ぬんだ。
もう終わりか。
終わり?
そんなのだめだ……わたし、まだシェロに言ってないことがあるのに!
143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:10:19.02 ID:0NzTE2lA0 [16/271]
勇者「“我は放つ光の白刃ッッ!”」ゴッ!
ドガァッ!
黒衣1「っ……!」ドサ
勇者「ふっ!」ザク!
黒衣1「ッ……」ビクン!
勇者「……ハル、大丈夫か!?」
女魔術士「……」
勇者「おい! ハル! しっかりしろ!」
女魔術士「ぁ……シェロ……」
144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:12:18.83 ID:0NzTE2lA0 [17/271]
わたし、生きてる。まだ生きてる。
痛みでうまく動かせないけど、身体はちゃんと残ってる。
シェロの助けを借りてゆっくりと身を起こした。
さっきまで戦っていた敵は、シェロの剣によって地面に縫いとめられていた。
145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:14:09.19 ID:0NzTE2lA0 [18/271]
女魔術士「敵……他の敵……」
勇者「大丈夫だ、もう倒した。だから安心しろ。手当てをしよう、な?」
男の娘「こっちも片付きましたよぉ!」
146 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:16:10.29 ID:0NzTE2lA0 [19/271]
さほど傷もなくカシスがこちらに走ってくる。その向こうには黒衣の死体。
そこから離れたところにももう一つ。これはシェロが倒した分だろう。
ああ、そうか。
殺されそうだったのはわたし一人だったのか。
偉そうなことを言ってた割りにわたし一人だけだったのか。
それに気付いた途端、鼻の奥がきゅうっと詰まった。目の奥が熱くなる。
これじゃあ……
これじゃあわたしがほんとに足手まといじゃないか。
147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:18:06.82 ID:0NzTE2lA0 [20/271]
勇者「お、おい、どうしたハル」
女魔術士「っ……うっ……」ジワ……
勇者「どうした? 傷が痛むのか?」
女魔術士「ひっ、うっ……うえっ」ポロ……
勇者「おい、ハル?」
女魔術士「グスッ……」ポロポロ
149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:26:15.74 ID:0NzTE2lA0 [21/271]
わたしはかろうじて動く右腕で顔を覆って泣いた。
シェロはそれ以上何も聞かなかった。ただ、頭をやさしくなでてくれた。
その夜、わたしは夢を見た。シェロがわたしをパーティーから外す夢。
そこでも彼は優しくて、あくまでわたしを気遣いながら、それでも連れて行けないと断言した。
違う。わたしは気遣ってほしいんじゃない。やさしい言葉をかけられたいわけじゃない。
わたしを頼って。わたしを信じて。
……でも、そうだ。わたしには力がないのだ。
わたしには言う資格がないのだ。
わたしには……
翌朝泣きながら目を覚ました。
次の日は気が重かった。
前日恥ずかしいところを見せてしまったのもあったし、夢のこともあった。まさか正夢になることはないと思いつつも、もしかしたらと思うとぞっとした。
二人は特にこちらのことには触れてこなかった。わたしの前を並んで歩きながら主に昨日の敵についてあれこれ分析している。
150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:27:56.28 ID:0NzTE2lA0 [22/271]
男の娘「あれは間違いなく、あの元帥って奴の手下ですぅ」
勇者「ああ、俺も同じ考えだ。だが、なぜ?」
男の娘「わかりませんけど、人間が嫌いだからっていう単純な理由でもボクは驚きませんよぉ」
勇者「今、魔界もいろいろと揺れてるんだ、きっと」
男の娘「側近の魔物も怪しいんじゃないですか?」
勇者「確かに嫌われてはいるがな。あんまりそういうことするような奴には見えなかったぞ?」
男の娘「そう見せかけてってこともありますぅ」
勇者「うーん」
女魔術士「……」
151 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:29:24.91 ID:0NzTE2lA0 [23/271]
どことなくギクシャクとした空気を引きずりながら、それでも話は白熱しているようだった。
それから三日が経った。現在レジボーン山脈山中。木一本ない岩肌。切り立った崖。その中の細い道を三人で伝っていく。渇いた風が吹いている。髪がばさばさと舞い上がった。
山中で夜を過ごし、次の日。わたしたちは山腹にぽっかりと空いた穴の前に立っていた。
人一人がぎりぎり通れるぐらいの大きさ。中からは生暖かい風が吹き出している。
152 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:30:18.06 ID:0NzTE2lA0 [24/271]
勇者「ここ、か?」
男の娘「みたいですね」
女魔術士「……」
勇者「ケルベロスはいないんだな」
男の娘「本物の地獄にはいるんでしょうけどねぇ」
女魔術士「……入る?」
勇者「ああ、もちろんだ」
153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:31:16.95 ID:0NzTE2lA0 [25/271]
シェロ、カシス、わたしの順番で穴に入った。中には天然の階段が下に伸びている。
明かりとしてシェロが魔術の鬼火を生み出した。無機質な白い明かりが辺りを照らす。
それからどれくらい下りただろうか。もう一時間は下ったんじゃないかと思ったとき、ついに階段が途切れた。
穴から出て愕然とする。
155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:33:01.71 ID:0NzTE2lA0 [26/271]
勇者「これは……」
男の娘「空がありますぅ……」
女魔術士「ここ、山の中よね……?」
勇者「……どうやら、ここが地獄で間違いないらしいな。俺たちの世界と異世界との狭間、か」
156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:33:57.88 ID:0NzTE2lA0 [27/271]
空は紫色に濁っている。それでも視界に困らない程度には明るい。
辺りにはごつごつとした岩がそこここに転がっていた。草花は全くない。ここに来るまでに見た荒野や山の景色に似ている。
道が一本、足元から伸びていた。
この先に件の賢者がいるのだろうか?
157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:34:50.68 ID:0NzTE2lA0 [28/271]
勇者「さあな。だが目当てになるものは他にない。この道をたどってみよう」
男の娘「賛成ですぅ」
女魔術士「ええ……」
158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:36:27.89 ID:0NzTE2lA0 [29/271]
シェロとカシスが前、わたしが後ろ。その陣形で、あくまで慎重に歩を進めた。なにが出てくるかわからないからだ。
しばらく何事もなく進んだ。景色は変化を見せずに延々と続く。
変化が訪れたのは数分後だった。
わたしは背後に突然現れた気配に、泡を食って振り返った。
拳銃を引き抜く。
159 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:00:42.29 ID:0NzTE2lA0 [30/271]
女魔術士「誰!?」ジャキ!
?「……」
勇者「敵か!?」
?「……」
男の娘「……子供?」
少年「……」
勇者「……!」
女魔術士「何でこんなところに……」
160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:02:55.85 ID:0NzTE2lA0 [31/271]
十歳ほどの少年がそこにいた。黙ったままこちらを見上げている。憮然とした目つき。
その子の顔に見覚えがある気がした。
いつか見た、というよりはむしろ見慣れているような。
少年が口を開いた。
161 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:04:30.11 ID:0NzTE2lA0 [32/271]
少年「……僕の村は焼けちゃったんだ」
男の娘「え?」
少年「ううん、違う。焼かれちゃったんだ」
女魔術士「?」
少年「僕は……いや、俺は復讐しなくちゃ……あいつらを殺さなきゃ……」
勇者「……」
少年「……もう行くよ」
女魔術士「え? ちょっとどこへ……」
162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:05:19.01 ID:0NzTE2lA0 [33/271]
少年が道を曲がって岩の陰に入った。追いかけて角を曲がるがそこには誰もいない。
訳がわからない。振り返って2人を見る。
カシスも疑問符を浮かべてこちらを見ていた。
シェロは……
163 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:06:32.96 ID:0NzTE2lA0 [34/271]
勇者「過去と現在が重なる場所、か……」
男の娘「え? どうかしましたぁ?」
女魔術士「何か心当たりでもあるの、シェロ?」
勇者「……あれは俺だ」
男の娘「はい?」
勇者「昔の、俺だ……」
164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:07:37.73 ID:0NzTE2lA0 [35/271]
シェロはどこか遠い目をして言った。
先ほどの少年によく似た顔で。
側近の魔物は言っていた。ここは過去と現在が重なる場だと。
ならば先ほどの少年は……
どうやらここは“そういう”場所のようだった。
165 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:08:43.28 ID:0NzTE2lA0 [36/271]
男の娘「過去の人間が現れる、ってことですか?」
勇者「おそらくそういうことだろうな」
女魔術士「……」
?「あの……」
女魔術士「!?」
166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:10:01.73 ID:0NzTE2lA0 [37/271]
不意に声をかけられて、驚きながら振り返る。
そこには先ほどとは違う少年がいた。角が生えている。人間ではない、魔物だ。
魔物の少年は不安そうな目でこちらを見上げていた。
167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:10:46.57 ID:0NzTE2lA0 [38/271]
男の娘「あ、かわいい……」
幼魔物「……あの、すみません。僕の父上と母上をご存知ありませんか?」
女魔術士「お父さんとお母さん?」
勇者「……」
女魔術士「ごめんなさい、知らないわ」
幼魔物「そうですか……ありがとうございました……」
168 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:12:59.42 ID:0NzTE2lA0 [39/271]
そういうと、魔物の少年は道を曲がって岩の陰に消えた。
一応追いかけて岩の後ろを覗いてみたが、やはりそこには誰もいなかった。
少し考えて、思い当たる。
あの魔物の少年は……
169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:00:33.48 ID:0NzTE2lA0 [40/271]
勇者「ニギ……」
女魔術士「……」
勇者「絶対助け出すから……」
男の娘「モグリさん……」
170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:02:50.23 ID:0NzTE2lA0 [41/271]
再び道に沿って歩き始めた。途中で数人の人間や魔物に出くわした。
不思議なことに彼らは常に視界の外から現れた。そういうルールらしい。
過去に親交のあった友人やら、学校の先生やら、昔付き合ってたあいつやら。その中に、家を飛び出して以来会っていない両親の姿も見つけた。最後に見たときよりもどちらも若い。母が赤ん坊を抱いている。おそらく私だろう。
わたしに関係のある人だけでなく、シェロやカシスの過去も現出した。
171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:04:07.84 ID:0NzTE2lA0 [42/271]
女魔術士「あまり、居心地は良くないわね。変な感じ」
勇者「そうだな、同感だ」
男の娘「そうですかぁ? 楽しいじゃないですか」
?「楽しむだけの余裕がなければここではやっていけんよ」
勇者「!? 誰だ!」
172 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:06:20.41 ID:0NzTE2lA0 [43/271]
いつの間にか道は途切れ、わたしたちは湖のほとりについていた。
湖の水は血のように赤い。もしかしたら本当に血なのかもしれない。湖の周りにだけ、気味の悪い植物が生えていた。
声は目の前の岩陰から聞こえてきた。
低く、しわがれた声。地獄にふさわしい、地の底から這い出してくる亡者の声。
その主がゆっくりと姿を現した。
173 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:14:06.62 ID:0NzTE2lA0 [44/271]
?「ようこそ、勇者であり鋼の後継であるシェロ・フィンランディ。その仲間、ハル・ケットシーにカシス・ブルーベリー」
勇者「お前が“世界書の賢者”か。なぜ俺たちの名前を知っている」
賢者「名はユイスだ。君たちのことはゴーストたちが教えてくれたよ」
男の娘「ゴースト、ですか?」
賢者「君たちも見ただろう。地獄に渦巻く過去たちだ」
174 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:16:21.66 ID:0NzTE2lA0 [45/271]
ただれた肌、つりあがった目、耳まで裂けた口、枯れ木のような体躯、こうもりに似た翼。
ユイスの見た目はそのまま伝説上の悪魔のそれだった。賢者と呼ぶには人間らしさがなさすぎて違和感を覚える。
ユイスはこちらを見て口のはしを吊り上げた。
見ているものを恐怖させる悪鬼の笑みだ。
手に持った古い本を掲げてみせる。
175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:18:09.10 ID:0NzTE2lA0 [46/271]
賢者「知っているぞ勇者。君の目的はこれだろう?」
勇者「それが、世界書か?」
賢者「その通り」
勇者「……渡してもらえないか」
賢者「そうやすやすと手に入るとでも?」
勇者「あんたと戦う理由はない」
賢者「私にもないな。だが、君たちがこれを持っていきたいとなれば話は別だ。私は全力で君たちを排除する」
勇者「……なぜ?」
賢者「君が知る必要はない。“ここで死ね”」
176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:19:07.01 ID:0NzTE2lA0 [47/271]
それが呪文だったのだろう。急激に膨らんだ光が目を焼いた。
わたしは悲鳴を上げる。魔術が使えない今、私に防御手段はない。
爆音が轟き土煙が舞い上がる。わたしは自分が死んだと錯覚した。が、生きている。
土煙が吹き去り展開していた防御壁が消滅する。シェロが盾になってくれたらしい。
177 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:20:06.89 ID:0NzTE2lA0 [48/271]
賢者「ほう、完全に不意をついたつもりだったが……防いだか」
勇者「……あんたは過去に人間に世界書を渡している。今は駄目な理由があるのか?」
賢者「……」
勇者「あんたは人間の可能性に期待したんだろう? それで世界書を一度は譲ったんだろう? ならなんで……」
賢者「……私は絶望したのだよ」
勇者「……」
賢者「あんな絶望、一度で十分だ……」
178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:21:14.45 ID:0NzTE2lA0 [49/271]
そう言うとユイスは世界書を岩陰に投げ、その手を掲げた。
瞬間、わたしたちは気圧される。それだけの圧迫感があった。
呪文の声と共に光熱波が空間を支配した。シェロが再び展開した防御壁をたたき、殴りつけ、打ち壊そうとする。
ようやく止んで視界が確保できたときにはユイスは先ほどの場所にはいなかった。
突如カシスが吹き飛ぶ。驚いてそちらを向くと、ちょうど蹴り足を戻したユイスと目が合った。
次はお前だ。視線がそう言っていた。
わたしは慌てて拳銃を抜いてそちらに向ける。そのときにはすでにユイスはわたしの懐に踏み込んでいた。
179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:00:40.19 ID:0NzTE2lA0 [50/271]
賢者「シッ――!」シュッ!
女魔術士「がッ!」ドサ!
勇者「ハル!」
180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:02:59.57 ID:0NzTE2lA0 [51/271]
顎が猛烈に痛んだ。ただ殴られただけなのに視界が揺れてもう立てない。
倒れた視界で勇者が右手に剣を、左手に拳銃を抜くのが見えた。
あれは、本気だ。
181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:04:22.39 ID:0NzTE2lA0 [52/271]
勇者「……」ダンッ!
賢者「いい踏み込みだ」
勇者「はっ!」ビュッ!
賢者「ぬ!」バックステップ
勇者「そこだ!」ジャキ! タァン!
賢者「“守れ”」カキン!
182 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:06:10.20 ID:0NzTE2lA0 [53/271]
ついでシェロから魔術構成が膨らむ。
癖があるが緻密で強大。
最大級の威力で編まれたそれは呪文の声によって解き放たれる。
183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:08:24.47 ID:0NzTE2lA0 [54/271]
勇者「“我は放つ光の白刃!”」ゴッ!
賢者「“死ね!”」カッ!
ドガァ――ッッ!
184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:11:19.86 ID:0NzTE2lA0 [55/271]
爆風が吹き荒れ、倒れているわたしの頬をたたく。
視界の大揺れがようやく収まり、わたしは地面に手を突っ張った。
いつまでも寝ているわけにはいかなかった。立たねば。戦わねば。
拳銃を探す。すぐ手の届くところにある。
私は何とか起き上がるとそれを手に取った。
185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:13:12.39 ID:0NzTE2lA0 [56/271]
女魔術士「この……ッ」ジャキ
勇者「ていっ!」ジャッ!
賢者「む!」ヨケ
女魔術士(駄目だ、シェロに当たる……)
186 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:14:08.46 ID:0NzTE2lA0 [57/271]
ユイスはこちらの動きに気付いているのだろう、こちらに対しシェロを盾にするように立ち回っていた。
これでは撃てない。
突如鋭い衝撃が地面を揺らした。魔物の枯れ木のような身体を、シェロを避けて正確に貫いた。
カシスだ。
187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:16:08.59 ID:0NzTE2lA0 [58/271]
男の娘「“お猿のキャンドルサービス!”」ドッ!
賢者「ぐぬ!」ドゴォッ!
勇者「もらった!」シュッ!
賢者「ぐふ!」ザシュウ!
188 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:18:07.34 ID:0NzTE2lA0 [59/271]
手応えは浅そうだったが、シェロの一撃にユイスは確かに膝をついた。
その首元にシェロの剣が突きつけられる。
チェックメイトだ。
189 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:01:27.35 ID:0NzTE2lA0 [60/271]
勇者「俺たちの、勝ちだ」
賢者「……」
男の娘「モグリさぁん、世界書を押さえましたよぉ!」
190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:02:29.86 ID:0NzTE2lA0 [61/271]
世界書を掲げながら嬉々として歩いてくるカシス。
その歩みが、ぴたりと止まった。
その首筋に銀色の刃が当てられている。
カシスの身体が硬直したのがわかった。
ナイフを保持しているのは見知らぬ老人だった。背後からカシスの首をつかんでいる。
そして私の首にもひやりとした感触があった。
191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:04:52.09 ID:0NzTE2lA0 [62/271]
男の娘「いつの、間に……」
?「……」
女魔術士「っ……」
??「……」
勇者「2人とも!」
賢者「知ってのとおりカシス・ブルーベリーの背後にいるのが百数十年前魔王を殺した勇者の曾孫、チャイルド・フィール。ハル・ケットシーの背後にいるのが王都の魔人、ヒューイック・オストワルドだ」
老人「……」
スタッバー「……」
192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:06:07.24 ID:0NzTE2lA0 [63/271]
賢者「どちらもゴーストだ。ゴーストは少し衝撃を与えるだけで無に還る。それほど脆い。だがその能力はどちらも本物だ」
勇者「くっ……」
賢者「……私はかつて絶望した。深く深く奈落へ沈んだ。君にもそれを味わってもらおう」
勇者「……?」
賢者「選べ。君が助けられるのは片方だけだ。ハル・ケットシーかカシス・ブルーベリーか。失いたくない方を、選べ」
勇者「何……?」
賢者「君が片方を助けようと動き出した瞬間、私はもう一方を殺すよう指示を出す。そういうことだ」
勇者「っ……」
193 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:08:19.37 ID:0NzTE2lA0 [64/271]
シェロは一瞬だけ躊躇した。一瞬だけ。
そして即座に拳銃を持ち上げ、一発、発砲する。
弾丸は空気を貫き、ゴーストを打ち抜いた。
消えたのは――
194 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:16:57.80 ID:0NzTE2lA0 [65/271]
老人「っ……」ズド! シュオゥ……
男の娘「っ――!」
賢者「ほう、カシス・ブルーベリーを選んだか。ではハル・ケットシーを捨てるということだな」
女魔術士(――そんな!)
195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:18:27.94 ID:0NzTE2lA0 [66/271]
そんな……!
ユイスの手がついとあげられた。
首筋の刃が圧力を増す。程なく頚動脈を断ち切るだろう。
わたしは声にならない悲鳴を上げた。走馬灯が頭をめぐる。
――何で!?
何で、シェロ!
わたしがいらなくなったの!?
わたし、まだあなたに言ってないことがあるのに!
めまぐるしく駆け巡るわたしの叫び。荒れ狂い、渦を巻き、出口を求めてなだれ込む。
そんな中。
聞こえるはずもない、声を聞いた。
196 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:19:33.84 ID:0NzTE2lA0 [67/271]
『隣に在ることを諦めないで』
197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:20:28.02 ID:0NzTE2lA0 [68/271]
そして――
198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:21:12.92 ID:0NzTE2lA0 [69/271]
勇者「ハル――ッ」
勇者「――信じてるッッ!!」
199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:00:12.43 ID:0NzTE2lA0 [70/271]
かっ、と頭の中が熱くなった。
目を見開く。血流が加速する。全てがクリアになる。
どこからか聞こえる澄んだ音を聞きながら、わたしはできうる限りもっとも単純な理想を、できうる限りもっともすばやく世界に解き放った。
――生きたい!!
200 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:03:54.19 ID:0NzTE2lA0 [71/271]
女魔術士「“赤の――刺激ッ!!”」
201 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:06:07.23 ID:0NzTE2lA0 [72/271]
小さな小さな爆発が起きた。これではたいした怪我を負わせることもできないだろう。
それでも。
背後からの拘束がなくなって前によろめいた。
数歩、前につんのめって、それから暖かい何かに包まれる。
シェロ……
202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:09:49.96 ID:0NzTE2lA0 [73/271]
勇者「ハル!」
女魔術士「シェロ……」
勇者「よかった……ハル……!」
女魔術士「あのね、シェロ……」
勇者「ああ、なんだ……?」
女魔術士「信じてくれて、ありがとう」
勇者「ああ……!」
女魔術士「それとね」
女魔術士「――愛してる」
勇者「ああ……!!」
203 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:12:29.45 ID:0NzTE2lA0 [74/271]
※
賢者「……私はかつて世界書の管理を任されていた。当時、世界は苛烈な戦禍の真っ只中だった。人工的平和維持機構の存在を知った私は、それを使って果てしなく続く戦争に終止符を打ちたいと、そう思った」
勇者「……」
賢者「だが、魔物はその危険性ばかりに注目し、また自らの力に驕り、全く見向きもされなかった。私は人間に希望を見出した。魔物よりはるかに脆いが、はるかに柔軟な人間にな。世界書を渡し、人工的平和維持機構の実現にこぎつけた」
男の娘「……」
賢者「だが結局は、人間は自らの繁栄のためだけにそれを使いだした。世界のことなど、未来のことなど省みず。私は世界書を取り上げ、地獄にこもった。もう世界書は誰にも渡さないと誓い、深く、深く後悔しながら」
女魔術士「機構自体を破壊しようとは思わなかったの?」
賢者「そうしても結局はまた世界は戦乱に飲み込まれる。それならば破滅しているのと変わらん。あの時代を知っているものにしかわからんよ……」
204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:15:54.48 ID:0NzTE2lA0 [75/271]
賢者「どうあがいても世界を救う道はなかった。平和を享受した上での絶対的な破滅か。絶対の破滅を避けた上での緩慢な終局か。これを絶望と呼ばずして何と呼ぶ? 誰もが平穏のうちに暮らせる世界などこの世のどこにもないのだ」
勇者「あんたは、何かを信じていたのか?」
賢者「かつてはな」
勇者「絶望したのか?」
賢者「そうだ」
勇者「……どん底だな」
賢者「この世のどこにも楽園はない。それを夢見ることさえも許されない……。君が救った世界もすぐに戦乱の世に飲み込まれるだろう」
勇者「上を、見上げろよ。何かあんだろ」
賢者「その手の慰めは聞き飽きてるよ」
勇者「あるんだよ……希望はないかもしれねえが、それに似た何かが。じゃなきゃハルは死んでたさ。そうだろ?」
賢者「……」
205 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:18:07.84 ID:0NzTE2lA0 [76/271]
勇者「俺はあんたに感謝してる」
賢者「……?」
勇者「俺は、人工的平和維持機構がなけりゃニギに会うこともなかった。一緒に旅することもなかった」
賢者「……」
勇者「……ありがとう」
賢者「……」
勇者「……」
賢者「……持っていくといい」
勇者「え?」
賢者「世界書を、持っていくといい」
勇者「いいのか?」
賢者「勘違いするな。君にその資格があるとか、君が特別だとか、そういうことじゃない。でも君はやらなければならないのだろう? 魔王を助けたいのだろう?」
勇者「……ああ」
賢者「だったら持っていけ。そしてまた、いつか会おう」
勇者「……本当に、ありがとうな」
206 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:21:15.45 ID:0NzTE2lA0 [77/271]
わたしたちは地獄をでた。外の清浄な空気に包まれて、地獄が息苦しかったことにようやく気付いた。
時刻は夕方。日が地平線に半分隠れていた。
山を下りたころにはすっかり夜になっていた。平らな場所を探してテントを張る。
わたしはひどく疲れていたので見張りを頼んでテントに入った。
けれども、目がさえてしまっている。疲れはたまっているというのに。
何度か寝返りをうって、ようやく眠くなってきたころ外から、話し声がした。
207 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:24:11.21 ID:0NzTE2lA0 [78/271]
男の娘「ねえ、モグリさん」
勇者「なんだ?」
男の娘「えっと……今日のことで話したいなぁって」
勇者「……」
男の娘「ボクとハルちゃんがナイフを突きつけられた、あのときのことです」
勇者「ああ……」
男の娘「……あのとき、モグリさんはボクのことを助けてくれました」
勇者「……」
男の娘「ハルちゃんには悪いですけど、モグリさんがボクを選んでくれたんだって思って、ほんのちょっとだけ、うれしかったです」
勇者「……」
男の娘「でも、あれは違ったんですよね?」
勇者「……ああ」
208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:27:41.89 ID:0NzTE2lA0 [79/271]
男の娘「シェロさんはボクが大事だったからとかじゃなくて、ハルちゃんを信頼したから、ハルちゃんなら何とかしてくれるって思ったからボクの救出を優先したんですよね?」
勇者「……」
男の娘「確かにボクがあのときハルちゃんと同じことができたかっていうと怪しいです。ボクの魔術速度じゃ間に合わなかったかもです」
勇者「……」
男の娘「……ねえ、モグリさん。いえ、シェロさん」
勇者「うん?」
男の娘「ボク、シェロさんのことが好きです」
勇者「ん……」
男の娘「ボクじゃあ駄目ですか?」
勇者「……」
男の娘「……ボクが、男だからですか?」
210 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:00:14.58 ID:0NzTE2lA0 [80/271]
勇者「……俺が思うにさ」
男の娘「はい」
勇者「君は、そこらの女の子よりよっぽど女の子で、とても魅力があるよ」
男の娘「……」
勇者「でも聞きたいんだ。君は俺のどこが好きなんだ?」
男の娘「強くて、やさしいところです。そりゃ最初はただの一目惚れでしたけど」
勇者「そうか……」
男の娘「……なにか、駄目でしたか?」
勇者「いや、そんなことはないさ。ただ……」
男の娘「ただ?」
勇者「君が思うほど俺は強くも、やさしくもないんだ」
211 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:04:37.47 ID:0NzTE2lA0 [81/271]
男の娘「そんなことないです」
勇者「ありがとう。でも、俺は実際劣等感が強くて、矮小で、臆病で、どうしようもない奴なんだよ」
男の娘「そんなこと……」
勇者「あるんだ」
男の娘「……そんなこと……」
勇者「俺はハルが好きだ」
212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:06:24.06 ID:0NzTE2lA0 [82/271]
テントの中で、わたしはどきりとした。
213 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:09:14.53 ID:0NzTE2lA0 [83/271]
男の娘「っ……」
勇者「ハルは俺が弱いことを見抜いていたよ。その上で俺についてきてくれるって言ったんだ」
男の娘「……」
勇者「俺を、認めてくれたんだ」
214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:12:12.21 ID:0NzTE2lA0 [84/271]
『仕方ないからあんたについてってあげる』
215 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:15:12.75 ID:0NzTE2lA0 [85/271]
男の娘「……」
勇者「だからだよ。俺は、だからハルが好きなんだ」
男の娘「……」
216 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:18:31.04 ID:0NzTE2lA0 [86/271]
わたしは目をつぶった。昨日よりぐっすり眠れる気がした。
翌朝。テントを出るとカシスはいなかった。
217 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:21:31.54 ID:0NzTE2lA0 [87/271]
女魔術士「あれ、あの子は?」
勇者「先に出発したよ」
女魔術士「……なんでよ」
勇者「一緒にいるとつらいから、だそうだ」
女魔術士「……」
勇者「……最後に、キスされた」
女魔術士「! 何よそれ!」
勇者「い、いや、いきなりだったし、これで忘れるからって……」
女魔術士「……」
218 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:24:12.83 ID:0NzTE2lA0 [88/271]
荒地の向こうを見てみた。当然カシスの背中は見えない。
ただ荒地らしい乾いた風が吹いていた。
日はもう高いところにある。
219 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:27:26.80 ID:0NzTE2lA0 [89/271]
女魔術士「……そっか」
勇者「いやその、謝るからさ。怒るなよ?」
女魔術士「怒らないわよ。ただし――」
勇者「?」
女魔術士「……後でわたしにも、その……させなさい」
勇者「!?」
220 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:00:19.62 ID:0NzTE2lA0 [90/271]
魔王城に戻るのには一週間もかからなかった。
すっかりおなじみになった例の部屋に通される。
夕刻。部屋にはルフさんが待っていた。
わたしたちが入室すると、立ってこちらに会釈する。
221 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:02:06.76 ID:0NzTE2lA0 [91/271]
魔王妻「……」ペコリ
勇者「ど、どうも」
魔王妻「ええ……」
勇者「……」
魔王妻「……」
女魔術士「……えーと、座らない?」
勇者「そ、そうだな」
魔王妻「ええ……」
側近「……それで、どうだったのだ? 世界書は手に入ったのか?」
勇者「ああ、この通り」
側近「ふむ、これが……」
魔王妻「これであの人を取り戻せるのですか?」
女魔術士「ええ、その通りです」
222 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:04:08.15 ID:0NzTE2lA0 [92/271]
女魔術士「わたしから説明させていただきます。よろしいですか?」
魔王妻「お願いします」
勇者「頼む」
女魔術士「えー、こほん。わたしはこの数日間、世界書の解析をしてました。それでわかったことが二つあります。まず一つ目。異世界に
侵入する手段はちゃんとありました」
魔王妻「! 本当ですか!?」
女魔術士「ええ。異世界はこの世界ととても近いところにあります。だからこそそれを利用して人工的な平和維持ができたわけです」
側近「なるほどな……」
女魔術士「次に二つ目。その侵入手段ですが、ある特定の場所、“特異点”からのみ魔術士の力によって入ることができるそうです」
側近「魔術士の力?」
女魔術士「詳しくはわからないわ。でもちゃんとそう書いてあるの」
側近「そうか……」
223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:06:46.17 ID:0NzTE2lA0 [93/271]
魔王妻「特異点とは?」
女魔術士「この世界と異世界とが一番接近している場所です」
勇者「それはどこなんだ?」
女魔術士「キエサルヒマ大陸の中心よ」
側近「キエサルヒマ大陸の中心……」
224 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:08:12.16 ID:0NzTE2lA0 [94/271]
城の西、レジボーン山脈に囲まれるようにしてある森。その中のある一点。そこが異世界とつながる世界のウィークポイントだ。
そこからなら異世界に侵入することができる。
魔王を、助けに行くことができる。
225 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:10:35.49 ID:0NzTE2lA0 [95/271]
魔王妻「すぐに行きましょう、あの人が待っています……!」
側近「!? ルフ様も行かれるのですか!?」
魔王妻「当然です、私はあの人の妻なのですよ?」
側近「し、しかしルフ様、あなたは今……」
魔王妻「関係ありません。行くといったら行きます」
側近「…………。承知いたしました。ですが無理はなさらないでください。もうあなた一人の身体ではないのです」
魔王妻「よく、わかってますよ」
女魔術士「?」
226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:12:44.51 ID:0NzTE2lA0 [96/271]
魔王妻「では早速――」
勇者「ルフ様、もうすぐ夜になります。お気持ちはわかりますが出発は明日のほうがよろしいかと……」
魔王妻「でも……」
女魔術士「あせってはいけません。急いてはことを仕損じます。今日はゆっくり休んで明日に備えましょう?」
魔王妻「……。わかりました……」
227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:14:07.37 ID:0NzTE2lA0 [97/271]
ルフさんはそれでも口惜しそうな顔で部屋を出て行った。側近がそれに続く。
しばらくしてルフさんを部屋に送り届けた側近が戻ってきた。
228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:16:08.46 ID:0NzTE2lA0 [98/271]
側近「お前たちにも部屋を用意してある。案内しよう」
勇者「お、悪いな」
女魔術士「ありがとう」
側近「……」
勇者「……? どうした?」
側近「いや……」
勇者「……何かあるんだな? 言ってみろよ」
側近「……」
勇者「……」
側近「……その」
女魔術士「ええ」
側近「力を……貸してもらえないだろうか」
勇者「……なるほど、面倒事か。よし、任せておけ」
女魔術士「力になるわよ」
229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:18:13.03 ID:0NzTE2lA0 [99/271]
その晩、側近の頼みに付き合ってちょっとしたごたごたを片付けたのだが、まあそれはまた別の話。
翌朝、朝日がゆるゆると光を投げかけていた。今日はいい天気になるだろう。
わたしとシェロとルフさんの三人は、魔王城正門の前に立っていた。
230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:00:48.29 ID:0NzTE2lA0 [100/271]
魔王妻「では行ってきます。城のことは頼みましたよ」
側近「かしこまりました。――勇者、魔術士、私はこの城を離れるわけにはいかん、ルフ様をくれぐれも頼むぞ」
勇者「ああ、大丈夫。信用してくれていいぜ」
女魔術士「傷一つつけさせないわよ」
魔王妻「頼りにさせてもらいます」
側近「昨夜は……」
勇者「ん?」
側近「その、助かった。礼を言う」
勇者「たいしたことじゃねえよ。力になると約束したのは俺だしな」
女魔術士「また何かあったら相談しなさい。助けたげるわよ」
側近「そう何度も厄介になるわけにはいかん。メンツにかかわる」
女魔術士「めんどくさいわねー」
側近「それが私だ」
231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:02:58.91 ID:0NzTE2lA0 [101/271]
それを背後に聞きながらわたしたちは出発した。
今度の旅はVIP付きだ。どうしても慎重にならざるを得なかった。ルフさんは予想よりもずっと体力があったけれども、やはり進行速度は落ちてしまう。
でも旅の目的はほぼ達成したようなものだったから気持ちは軽かったし、何より収穫もあった。
出発してから数日後の晩のことだ。そのときわたしたちは夕食をとっていた。
232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:05:09.86 ID:0NzTE2lA0 [102/271]
魔王妻「ごめんなさい」
勇者「……? 何ですかいきなり」
魔王妻「だいぶ前にあなたにひどいことを言いました」
勇者「ああ、そのことですか」
女魔術士(言うだけじゃなかった気もするけど)
勇者「気にしてませんよ。むしろ罵倒されて当然です」
魔王妻「……それでもごめんなさい。あなたはあの人を救うために尽力してくれていたのに……」
勇者「……」
魔王妻「……私は、泣いているばかりで、何もできませんでした。いえ、何かをしようとすらしませんでした……」
勇者「……」
魔王妻「本当に、ごめんなさい……」
233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:07:05.45 ID:0NzTE2lA0 [103/271]
勇者「……俺は、俺たちは、確かにあいつを救うためにあちらこちらを回っていました」
魔王妻「……」
勇者「でもきっと、最後にあいつを異世界から呼び戻すのは、あなたの声だと俺は思います」
魔王妻「え……?」
勇者「祈ってください。あいつが助かるように」
魔王妻「……」
勇者「あいつ、王都であなたにお土産を買ったんですよ。あなたにさびしい思いをさせた埋め合わせをしたいって」
魔王妻「……」
勇者「あいつが帰ってきたら、受け取ってやってください」
魔王妻「ええ、必ず……」
234 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:08:14.09 ID:0NzTE2lA0 [104/271]
二人は遅ればせながら和解したようだった。
出発から十日後、わたしたちは森の中にいた。レジボーン山脈にやや囲まれるようにしてある“フェンリルの森”。
うっそうと茂る草木が、わたしたちの行く手を邪魔した。
一晩の野営を経て、次の日。そろそろではないかと思ったそのとき、突如開けた場所に出た。
直径十メートルほどの空き地になっている。そこだけ草も生えておらず、土がむき出しになっていた。
235 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:10:07.05 ID:0NzTE2lA0 [105/271]
勇者「ここは……」
魔王妻「……」
女魔術士「もしかして……」
236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:12:06.75 ID:0NzTE2lA0 [106/271]
私は目を凝らした。……何かが見える。
とは言ってもそれは肉眼で見えるものではない。
魔術構成を見る目でもって見えたものだった。
それはシェロも同じだったようで、空き地の中心に視線を注いでいた。
237 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:14:27.49 ID:0NzTE2lA0 [107/271]
魔王妻「……何が見えますか?」
勇者「俺にもよくは……ハル、どうだ?」
女魔術士「魔術構成の亜種みたいなのが見える。たぶんだけど、世界の亀裂よ」
勇者「いけそうか?」
女魔術士「やってみる」
238 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:16:10.91 ID:0NzTE2lA0 [108/271]
空き地の中心に歩を進める。何かの圧力がわたしの身体を押し戻そうとした。足を止める。目を瞑る。全身で“それ”を受け止めた。
情報の奔流がわたしを通り抜けていく。その流れに手を伸ばし、形を一つ一つ確かめる。そしてその大元をたどり、少しずつ奥へ奥へともぐっていく。
数分が経過した。わたしの額に汗がにじむ。じりじりとした一進一退の攻防。しかし永遠に続くかと思えたそれも、あっけなく終わりを迎えた。
あった。
扉の取っ手をつかむ感覚。
239 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:18:30.28 ID:0NzTE2lA0 [109/271]
女魔術士「……準備オーケー、いけるわよ」
勇者「よし……!」
女魔術士「二人とも、わたしの手を取って」
勇者「おう」
魔王妻「はい」
女魔術士「覚悟はいいわね? 開けるわ」
241 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:01:50.44 ID:0NzTE2lA0 [110/271]
がこん……
実際に音がしたわけではないけれど。世界の重々しい扉が開く感触が直接頭の中に返ってくる。
わたしたちは一歩、足を踏み出した。
※
風が吹き荒れている。その感覚だけがある。
何も見えない。自分が存在しているのかさえもわからない。手足の感覚がなかった。
両隣に誰かがいるのはわかった。シェロとルフさんだろう。
しかし、やはり握っているはずの手の感触はない。
魔王……。
そうだ、魔王を探しに来たのだった。
242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:03:15.09 ID:0NzTE2lA0 [111/271]
あたりを見回そうとする。しかし一面真っ暗で、何かを捕捉することさえできない。
一歩を踏み出す。というよりか、前に進もうと念じる。
どうやら成功したようだった。移動の感触が返ってくる。
当てもなく、ふらふらと進んだ。前後左右の感覚どころか上下の感覚すら危うい。
風の音だけがしている。
延々と、延々と進み続け……それからどれくらいが経ったのだろうか。数秒かもしれないし数時間かもしれない。もしかしたら数年ということも考えられた。時間の感覚すらそこでは失われていた。
もう進めない。わたしたちは立ち止まった。暗闇のなかで途方にくれる。
そのとき、誰かの泣き声が聞こえた。
すすり泣く、か細い声が。
……いる。
そこに、いる。
何度も何度もしゃくりあげながら、そこにいる。
声を上げようとしたそのとき、まばゆい光が視界を覆った。
243 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:04:51.84 ID:0NzTE2lA0 [112/271]
魔王妻「あなた!」
勇者「ニギ!」
女魔術士「っ……。戻ってきた……?」
244 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:10:48.33 ID:0NzTE2lA0 [113/271]
元の空き地にわたしたちは立っていた。
先ほどより少しだけ傾いた日の光が森を薄暗く照らしている。
三人並んで、しばし立ち尽くした
世界の亀裂は相変わらずそこにある。
魔術構成のようなちらちらとした世界のピースを散らしながら、そこに口を閉じている。
ふと身体が重いことに気付いた。
鉛のような疲労が体を覆っていた。
245 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:13:50.04 ID:0NzTE2lA0 [114/271]
勇者「……」
魔王妻「……」
女魔術士「……」
勇者「あいつ……」
魔王妻「……」
勇者「あいつ、生きてた」
魔王妻「ええ……」
勇者「泣いてたけど、あいつは、ちゃんとあそこに生きていた……!」
魔王妻「ええ……!」
246 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:15:29.33 ID:0NzTE2lA0 [115/271]
ルフさんは感極まったように顔を手で覆った。
勇者はじっと虚空を見つめている。
わたしはその隣にそっと立った。
247 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:17:30.21 ID:0NzTE2lA0 [116/271]
勇者「……なあハル、あいつ生きていたよ」
女魔術士「そうね……」
勇者「生きていて、くれたんだ……」
女魔術士「ええ……」
勇者「絶対に……絶対に助け出す。絶対にあいつに再会してやる!」
248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:19:12.98 ID:0NzTE2lA0 [117/271]
シェロの目には決意の、まっすぐとした光があった。決して揺るがない、確固とした光が。
その横顔を見つめながら思った。
249 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:20:56.73 ID:0NzTE2lA0 [118/271]
女魔術士「ねえ、シェロ」
勇者「なあ、ハル」
女魔術士「……先にどうぞ」
勇者「悪い。――俺はあいつのために尽力したい。あいつを絶対に取り戻してやりたい。でもそれはどれくらいかかるかわからない。もしかしたら何年も、何十年にも及ぶかもしれない。途中でくじけてしまうかもしれない」
女魔術士「……」
勇者「だから……だから、俺の隣にいてくれないか……? 隣で、俺を支えていてくれないか……?」
女魔術士「……」
勇者「……」
女魔術士「……ふふ」
女魔術士「喜んで」
250 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:21:56.32 ID:0NzTE2lA0 [119/271]
わたしは思った。
そんな彼の支えになってあげたいと。
この先何年も、何十年もそばにいたいと。
……こうしてわたしたちの旅は終わった。
長い長い道の先に、いったんの終止符を打ったのだった。
物語が再び動くのは、それから数十年後のことだ。
252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:00:16.11 ID:0NzTE2lA0 [120/271]
※
わたしは二階のゆり椅子の上で、心地よい夢から目を覚ました。
窓からのさわやかな風を頬に感じたからだ。
ゆったりと背伸びをする。編み物をしている最中に眠ってしまったらしい。
息をついて手元を見る。長い年月を経た手の甲が目に入った。
微笑む。ずいぶんと歳をとったものだ。
あれから五十九年が過ぎた。わたしはもうすぐ八十になるおばあちゃんだ。
あのあと、わたしたちは森のそばに小さな家を建てた。魔王を助けに特異点に通うためだ。
そうしてあの人と一緒に、ほぼ毎日異世界にもぐった。
しかし、あれ以降魔王の気配は見つかっていない。
ルフさんもたびたび同行したが、結果は変わらなかった。
歳をとるにつれて特異点に通う頻度は少なくなっていった。もちろん諦めたわけではない。体力の問題だ。
253 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:02:49.63 ID:0NzTE2lA0 [121/271]
途中、出産も経験した。元気な娘を授かり、子育ての間は、特異点から遠のいた。
再び通いだしたのは、娘が十分に大きくなってからだ。
それからも魔王は見つからない。そのうちに娘は最接近領の男性と結婚した。
瞬く間に時は過ぎ、いつの間にやら孫まで授かっていた。
孫は運動はからっきしだったが、勉強がよくできた。彼自身の希望もあり、十二歳の時、わたしたちの友人を頼って学術都市ラポワントに遊学させた。
ところで、ルフさんもわたしたちと同時期に娘を授かっていた。成長した娘さんは、わたしたちの孫をとてもかわいがっていたので遊学の際はたいそうさびしがったようだ。
十数年後、孫はなにやら偉い学者になって帰ってきた。現在二十三歳。五十九年前の王都壊滅に関する論文を書いているらしい。
彼はお爺ちゃんっ子であの人を深く尊敬していたが、魔王の生存に関しては懐疑的らしい。
もう魔王は死亡しているのでは、と言ってあの人を怒らせた。
254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:04:21.39 ID:0NzTE2lA0 [122/271]
これがわたしたちの歴史だ。魔王救出のために人生をかけた者たちの記録だ。
特異点に行くことすらできなくなった今も、その奮闘は「待つ」という形で続いているのだ。
今日は特に風が気持ちよかった。程よい湿り気と暖かさを運んで部屋を通り抜けていく。
ふと目を移すと、同じく椅子に座っているわたしの夫が、転寝をしていた。
くすりと笑って毛布を膝にかけてあげた。
そのとき階段を騒がしく駆け上がる音がした。
下では孫が論文を書いていたはずだった。
扉が勢いよく開けられる。
255 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:05:23.97 ID:0NzTE2lA0 [123/271]
学者「爺さん、爺さん!」
老婆「騒がしいわね、どうしたの?」
学者「婆さん、実は――」
学者「魔王が、帰ってきた!」
256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:06:07.98 ID:0NzTE2lA0 [124/271]
そよ風の中、夫はそっと目を開けた。
257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:07:11.40 ID:0NzTE2lA0 [125/271]
title:女魔術士「魔王探し?」 ~魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」アフター~
~END~
thank you for your reading,sien and criticism
258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:08:45.81 ID:0NzTE2lA0 [126/271]
一ヶ月越しになっちゃったけどアフター終わり
今回は導入部でこけちゃったかね
それじゃへばな~ノシ
と見せかけて、実はもうちょっとだけ続くんじゃ
259 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:16:23.38 ID:0NzTE2lA0 [127/271]
これからスーパー短編タイムに入る。
短編は全部で七つある。これを全部やると二百レスほど。
その中で重要ストーリーを含むものが四つでそれだけだと百レスほど。
全部と重要短編のみとどちらがいい?
このレスから五レスで多数決を取る。
十分経っても誰もこない場合は重要短編のみ。
なお、ほとんど小説形式。そして重要短編のみの場合、残りは別所に投下。
261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:32:04.38 ID:0NzTE2lA0 [128/271]
というわけで、全部で
一時間に十レスで猿。よって単純計算で約二十時間後に終了予定
では投下開始
262 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:33:26.25 ID:0NzTE2lA0 [129/271]
短編:魔王のまどろみ
264 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:02:38.16 ID:0NzTE2lA0 [130/271]
いつからそこにいるのかは忘れてしまった
なぜそこにいるのかも忘れてしまった
ここがどこかもわからない
とすれば次に忘れてしまうのは――自分自身のことだろう
彼は一人ため息をついた
265 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:04:07.67 ID:0NzTE2lA0 [131/271]
そこは暗かった
そして明るかった
そこは広かった
そして狭かった
遠くて近く、長くて短く、冷たくて熱く
全にしてゼロ、ゼロにして全
そこはそういう場所だった
266 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:06:06.85 ID:0NzTE2lA0 [132/271]
歩き続けた
行かなければならない場所があった気がした
会いたい人がいた気がした
歩き続けた
ずっと歩き続けた
ずっとずっと歩き続けた
ずっとずっと――
267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:08:07.96 ID:0NzTE2lA0 [133/271]
――歩き続けた
どこにも行けなかった
彼はちょっと顔をゆがめた
こころの底がじわりと痛んだ
見上げてみても空はない
うつむいてみても地面はない
進もうにも道はない
戻ろうにも道はない
268 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:10:06.43 ID:0NzTE2lA0 [134/271]
彼はうずくまった
うずくまって嗚咽の声を上げた
しばらくその音だけが、あるかどうかもわからない空間を満たした
ずっとずっと、響いて消えた
数秒もしくは数百年のあと嗚咽の声はやんでいた
かわりに規則正しい寝息が聞こえていた
彼の目には涙の跡
彼のまどろみ闇の中
269 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:12:06.91 ID:0NzTE2lA0 [135/271]
ぼんやりとした闇と光の夢の中、彼はふと思う
このまま寝ていればどこにも行かずにすむ
何も考えずにすむ
泣かずにすむ
名案に思えた
暗闇と光明のなか、彼は静かにたゆたう
流れているかもわからぬ時間の流れに身を任せ、彼は静かに呼吸する
緩む意識、かすむ記憶、遠のく過去
その中で
――声を聞いた
271 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:19:51.13 ID:0NzTE2lA0 [136/271]
遠くから、近くからかけられる小さな大きな声
やさしい響き
懐かしい音
彼はゆっくり目を開いた
272 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:23:23.51 ID:0NzTE2lA0 [137/271]
名前を失ったことに気付いた
それでもわかる
あれは自分を呼ぶ声だ
自分を待っている声だ
こわばった身体を解いて彼は立つ
ゆっくりゆっくり歩を進める
渦巻く混沌の中、それはどこか祈りにも似て……
273 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:25:39.19 ID:0NzTE2lA0 [138/271]
行く手に白い光を見た
274 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:27:05.97 ID:0NzTE2lA0 [139/271]
短編:魔王のまどろみ
~了~
276 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:03:27.12 ID:0NzTE2lA0 [140/271]
短編:側近のお仕事
277 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:09:28.26 ID:0NzTE2lA0 [141/271]
はじめまして。私は魔王様の側近を務めさせていただいている者です。
側近、とはいっても多くの方が想像しておられるような侵入者の排除には携わっておりません。残念ながら私は戦闘にはからっきし向いていないのです。
私の仕事は主に魔王様の身の回りの世話や、政の補佐などです。
馬鹿にされるかも知れませんが、これはこれでなかなか大変なものです。
歴代魔王様方は、その、大雑把な方が多くて苦労させられるのです。
また、たとえではなく命の危険にさらされることも多々ありました。
今日はそのときの話をしたいと思います。
少々長くなりますが、最後までお聞きいただければ幸いです。
ことの始まりは、魔王様が勇者を連れて世界を救う旅に出られてからのことです。
無事に世界は救われ世界は破滅を回避することができましたが、どうしたことか人間の中心都市が壊滅し世界はなかなかに不安定な状況に放り込まれてしまいました。
そして魔族側にこれを好機と見る者がいたのです。
280 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:20:15.45 ID:0NzTE2lA0 [142/271]
「許可をいただきたい」
元帥は直立不動で言いました。
「……」
私は机に両肘をつき手を組み、無言で彼を見上げます。
彼は魔王直属の軍の総司令官。立派な身体を持ち、その堂々たる風格で執務室全体をある種の緊張感で満たしていました。
「結論から言いますと」
対抗するわけではありませんでしたが、私は心持ち重々しく口を開きます。
「それはできません」
すっ、と元帥の目が細められました。
「なぜ」
「理由はいくつかあります」
私は動じず返答します。
281 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:21:42.01 ID:0NzTE2lA0 [143/271]
「まず第一に、あなたの言う通り今の機に人間へ宣戦布告をすれば有利にことを運べるでしょうが、それでも大きな戦争になるでしょう。魔王様のおられない今の時期にそのような重大案件を決めるわけにはいきません。せめて魔王様が帰ってから再度提案するべきです」
「……」
「次に、そのような重大案件を私たちだけで実行に移せば実権の乱用とも言われかねません。慎重に議論するべきです。また、軍部の暴走も考えられないではありません。もちろんあなたを信用してはいますが」
「しかし――」
「なにより」
私はそこで言葉を切りました。組んだ手を解き、机に触れます。ひんやりとした感触が伝わってきます。
「魔王様は戦争を望みません」
「……」
元帥はそこで沈黙します。彼も知っているのです。魔王様がどのような方であるか。
「それでも私はこの案を推奨する」
そう言って元帥はこちらに背を向けました。私は目を瞑ります。
「……また来る」
足音が遠ざかり、扉が閉まる音が響きました。
282 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:22:56.51 ID:0NzTE2lA0 [144/271]
キエサルヒマ大陸はかつて、全てが魔族の領土だった。魔族の間ではそう伝えられています。そのため、人間を排除もしくは支配下に置いて、大陸を魔族の手に取り戻そうと言う者もいます。
先ほどの元帥もそのような魔族の一人でした。
前述したように、人間のほうは中心都市の崩壊で不安定になっています。その隙を狙って戦争を仕掛け、領土を拡大しようというのが元帥の提案です。
そして魔王様が旅に出ている間その代理は私で、あらゆる指揮権は私が持っていました。もちろん軍の出撃許可も。元帥はそれを欲して私のもとを訪れたのでした。
執務室で一人ため息をつきます。
私は彼の提案に反対でした。大陸の完全支配権を得たいと思うのはわかりますが、私個人は今の安定に満足していましたし、戦争となれば大きなコストが発生するのは必然だったからです。それは金であったり、労力であったり、命であったり。
私は博愛主義者ではありませんでしたが、むやみに痛みを振りまくそれを許してしまえば一生後悔を背負うことになるだろうと思ったのです。
私はしばらくじっと元帥の消えた扉を凝視していました。
283 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:24:34.01 ID:0NzTE2lA0 [145/271]
ある日のことです。勇者とその仲間を城の裏口から送り出し、執務室で一息ついておりました。
机に置いた紅茶の良い香りが鼻をくすぐります。
窓からはやや傾いた太陽の日差しが差し込んでいました。
私は書類の束から数枚取り上げてさっと目を通します。
そのほとんどが、魔界各地の魔物が人間界の混乱に乗じ蜂起寸前であることを報じる内容でした。
私は嘆息して紅茶のカップを取り上げました。口をつけます。
そのときでした。唇に痛みが走ったのは。
「?」
たいした痛みではありませんでしたが、いぶかしく思いカップを目に近づけます。
カップに特に異常はありません。
が。
「う、ん?」
違和感がありました。なんというか目がちらつきます。視野が狭くなっている気がします。そして頭が重い。
私は知らず前かがみになっていました。これはおかしい。立ち上がろうとして失敗し、椅子から落ちました。そして痛み。
床に倒れて、それでも立ち上がることができません。視界がゆっくりと暗くなり――
284 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:25:47.87 ID:0NzTE2lA0 [146/271]
※
「っ……」
私は瞼を開きました。薄明かりに照らされた天井が目に入りました。ベッドに寝かされているようです。
ここは……
「……目を覚まされましたか」
低い声が聞こえました。仰向けの首をゆっくりと横に向けます。なぜかそれすらも億劫でした。
白いローブを着た老魔族が目に入ります。彼には見覚えがありました。医者。
「私は……」
「あなたは医務室で倒れていたところを侍女に発見されここに運ばれました」
医者の声はぼそぼそとして少し聞き取りづらいものがありました。
「私が、倒れた……?」
「ええ、これを見てください」
そう言って彼が掲げたのは小さなカップ。見間違えでなければ私のものです。
「ここに」
彼はカップの飲み口を示します。
「小さな小さなガラス片が」
285 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:27:24.65 ID:0NzTE2lA0 [147/271]
「ガラス?」
彼はカップをベッドの脇の棚に置きました。
「それに即効性の毒が」
ひやり、と空気が止まりました。
毒?
「あともう少し量が多ければ、処置が遅れていれば……目を覚ますこともなかったでしょう」
「……」
私は呆然としていました。
手が一度、かすかにぶるりと震えました。
彼はちらり、と私の目を見ました。それまでは彼の視線は床か、どこか低いところにありました。
「仕掛けたものに、心当たりは?」
私は少し考えました。
「……ありません」
嘘です。
286 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:29:57.81 ID:0NzTE2lA0 [148/271]
医者はしばらく黙り込んで考えるような顔をしていました。しかし、ふいと顔を上げると「一週間ほどでよくなります」とぼそぼそとつぶやいて部屋を出て行きました。
「……」
私は毒を盛った者に気付いていました。それどころかわざと私を生かしたことも理解していました。
これは私をいつでも殺せるということを私に示すための行為なのです。
これは私への警告なのです。
私は薄暗がりの中で、ベッドに仰向けになりながらしばらく意識を硬化させました。
何も考えず、何も思わず。
そして、目を閉じました。
287 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:31:07.14 ID:0NzTE2lA0 [149/271]
二ヶ月が経ち、毒の影響も全くなくなったころ。勇者が再び魔王城を訪れました。そのとき私は魔界の火種を抑えて回っているところでした。
遅れて出迎えに出た私が見たのは、勇者と対峙する元帥の姿でした。
私は警戒を隠さずに彼に接します。
勇者を連れて魔王城の中に入り、元帥の視線が届かなくなったころ。私はようやく安心して肩の力を抜きました。
それから勇者に助言を与え再び裏口から送り出します。裏口に元帥の姿がないことに安心している自分がいました。
安心? そう。私は彼を恐れていたのです。
299 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:41:04.64 ID:0NzTE2lA0 [150/271]
勇者が地獄に向かい、十日ほどしたころ。夕刻。執務室の扉が開きました。
「失礼する」
元帥です。私は執務室の机の前でそれまで閉じていた目を開きました。
ついにこの日が来た、と。
「どうなさいました?」
「話に来た」
元帥のよく通る声が返答します。以前の直立不動の姿勢はどこへやら。どこか砕けた雰囲気でした。
私は決められた手順をなぞるようにさらに質問を重ねました。
「話とは?」
「生命の話だ」
「生命?」
「命とはすばらしい。生れ落ちたときから輝き始め、一生のうちに明滅を繰り返しながらやがて消えるが、その輝いた痕跡は消えることはない」
「そうでしょうか。忘れられてしまうものも多い気がしますが」
「忘れられるのと消滅とはまた別の話だよ、ギル」
300 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:41:51.61 ID:0NzTE2lA0 [151/271]
ギル。私の名前。その名で呼ばれることは最近はめったにありませんでしたが。
「忘れられようがなんだろうが、そこにあったという事実だけはなくならない。それぞれにドラマがあり、スペクタクルがあり、まあその大きさには個人差があるものだが……」
「……」
「ギルお前はどうかな?」
首にひやりとしたものが触れました。鋭い感触。その気配だけで皮膚を裂き、血管を断ってしまいそうなほどの。
いつの間にやら後ろに気配がありました。その気配の主が私の首に細い刃を当てていたのです。
突如現れた気配は一つだけではありませんでした。私の真後ろに一人、机の脇に一人、元帥の右隣に一人。
黒衣と仮面をつけたそれらの人影は、いきなり現れた以外何の動きも見せずただそこにいるだけでした。ただいるだけで圧迫感を私にあたえていました。
「……」
それでも、私は無言でした。その様子を見て元帥が声を感嘆の声を上げます。
「さすが魔王様の側近。この程度では動揺しないか」
301 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:42:36.94 ID:0NzTE2lA0 [152/271]
私はそれを無視して口を開きます。
「最近、魔物の打倒人間の動きが活発でした。人間の側で混乱があり、それを好機と見た魔物たちが多かったのでしょうが、それにしても少々過激すぎました」
「……」
「火種を起こして回っていたのはあなただったのですね、ガル」
ガル元帥は何も言わず、ただ口角を少し持ち上げて見せました。
「それだけではありません、私のカップに細工をしたのもあなたの手のものでしょう」
「さて……」
「あなたの狙いは私を脅して打倒人間の出撃許可を得ることですね」
ふ、と息の漏れる音が聞こえました。元帥がかすかに笑った音です。
「お前には選択肢は少ないなギル。許可を出すか。それともここで死ぬかだ。私としてはどちらでもいいのだが」
確かに。たとえ私が死んでも、いや死んでしまえばいくらでもやりようがありました。元帥というのはそれほどの地位なのです。
304 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:45:24.77 ID:0NzTE2lA0 [153/271]
「……」
私は口をつぐみました。そこであらかじめ考えていたいくつかのことを再度頭の中で転がします。
元帥はそれを降伏ととったようでした。
「選べ」
首もとのナイフがほんのかすかに圧力を増します。彼らに躊躇などというものは望めません。元帥直属である最強の暗殺部隊、通称“黒衣”たちは感情というものを剥ぎ取られた者たちなのです。
人間よりはるかに強い力を持つ魔物が、極限までその制御に尽力したとき、彼らのようなものが生まれました。
私は慎重に言葉を選びます。
「時間を、いただけないでしょうか」
元帥はく、と少し笑いました。
「時間? 祈るためのものか? 魔物に神はいないだろう、ギル?」
確かに魔物は基本的に宗教を持ちません。ですがそれ置いておきましょう。
306 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:47:07.47 ID:0NzTE2lA0 [154/271]
「考える時間です」
元帥はすっと真顔に戻りました。
「考える時間? お前に与えられた選択肢はたったの二つだ。そして悩むほどの問いではない」
元帥はつい、と手を上げます。
「死ぬか?」
ぶしゃ!
突如部屋にそのような音が響きました。血が執務室のテーブルを汚します。すうっと視界が暗くなったような気がしました。
そう、これは私の血。私の首から吹き出した血……
ぐらりと視界が傾きました。椅子から転げ落ちるかと思いましたが襟元をつかまれ乱暴に椅子に戻されます。元帥が何か言いました。
「頚動脈は外した。だが次はない」
私は静かにその目を見返しました。
「ほう、この段に至っても冷静とは!」
今度こそ心からのものでしょう、元帥が感嘆の声を上げました。
308 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:48:33.26 ID:0NzTE2lA0 [155/271]
「考える時間をください」
私は繰り返します。
「考える時間を、ください」
元帥は黙りました。何か考えているようです。先ほどは私を殺してもいろいろやりようはあると述べましたが、それでも面倒ごとは避けられません。うまく処理しなければ魔界が魔王派と元帥派に分かれて内紛が起きてしまうでしょう。
元帥にしても私から直接許可をもらえるほうが多少は都合がいいのです。
「五日間だけでかまいませんので」
私は言葉をかぶせます。
「それともその間に私が対抗手段を手に入れるとでも?」
「それは、ないな」
元帥は断言しました。確かに黒衣は魔物の中でも突出して強力です。そう簡単に対抗手段は用意できません。私が持っている手駒は主に政の方面にしか役に立ちません。武力の面で私は無防備なのです。
309 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:49:17.90 ID:0NzTE2lA0 [156/271]
「でしたら――」
「いいだろう」
しかし元帥は付け足します。
「ただし時間は三日間だ。それ以上は待たん。それまでに決めろ」
そう言ってこちらに背を向けました。
どうやらとりあえず私の首はつながったようでした。
が。
「ああ、あと」
元帥はさらに付け足しました。
「魔王様の父上様、母上様のお住まいは押さえてある。妙な真似をしたらその方々にも危害が及ぶと考えろ」
すっと血の気が引くのを感じました。
魔王様の父上様、母上様の情報は外に漏れぬよう厳重に扱われていました。それを知る者は城にも数人もいません。魔王様の弱点だからです。
元帥が出て行き、執務室の扉が閉まりました。いつの間にやら黒衣らの姿も消えていました。
私の首からは先ほどから止まらぬ血が、私の服を汚しています。それでも私はぬぐいませんでした。ぬぐえませんでした。
私は扉の外の遠ざかる元帥の足音に、じっと耳をすませていました。
312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:50:22.51 ID:0NzTE2lA0 [157/271]
時間は瞬く間に過ぎました。その間、私はあれこれと手を尽くしたのですが、どうにもなりませんでした。
そして三日後。夜。私は執務室の机について顔の前で手を組んでいました。
明かりはつけていません。それ以前に目を瞑っていたのですが。
扉が音を立てて開きます。大柄な何かが入ってくる気配がしました。もちろん元帥です。扉が閉まりました。
「ギル、答えを聞こう」
朗々と声が響きます。私は目を開きます。見るまでもなく、首に刃が突きつけられているのがわかりました。
部屋には私と元帥、そして黒衣三人分の影があります。それらは窓から差し込む月の光にぼんやりと照らされていました。
「答え、ですか……」
私はつぶやきます。
「そうだ、答えだ」
元帥の表情は見えません。ただ、暗闇の中でかすかに笑う気配だけが伝わってきます。
313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:51:12.45 ID:0NzTE2lA0 [158/271]
ひたり、ひたりと音が聞こえます。いいえ、違いました。それは私の頭の中だけで響く音です。
死の足音。ゆっくりと、しかし確実に私の元に向かってきます。
「さあギル、どうする? 許可はいただけるのかな?」
「……」
私は少し……ほんの少しだけ考え、口を開きました。
「お断りします」
「そうか」
元帥の右手がついとあがりました。首筋の刃がピクリと動いた気がしました。
そのすぐ後には私の死体が残るのでしょう。
しかし。
そのとき、私は全く別のところを見ていました。元帥の背後の扉。そして必要なのは一瞬を耐え切る覚悟だけ。
316 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:01:27.06 ID:0NzTE2lA0 [159/271]
がしゃあぁん!
突如けたたましい音を立てて窓が割れました。そして落ちる刃。私の後ろの黒衣が崩れ落ちます。
「っ!?」
元帥の驚く気配が伝わってきました。
しかし彼を置いてきぼりに、今度は扉が勢いよく開きます。そして飛び込んでくる、鋭い気合。
「シッ――」
元帥の隣にいた黒衣が完全に不意をつかれ、一刀のもとに黙しました。
元帥は驚いてよろめきます。
次に動いたのは最後の黒衣でした。
ナイフを抜き放ち、部屋に入ってきた影に気合すら上げずに飛び掛ります。
影はそれを受け止めました。そして響く破裂音。黒衣が倒れます。硝煙のにおい。
317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:02:47.25 ID:0NzTE2lA0 [160/271]
黒衣が一人残らずやられたのに気付き、ようやく元帥は動きを見せました。抜剣して影に斬りかかります。
が。
タァン!
窓から何かが飛来します。刃が影に届くその前に、元帥は転倒し剣を取り落としました。
影が元帥に剣を突きつけます。
「……終わったぞ」
「ご苦労、勇者」
月明かりが影――勇者の顔を照らし出しました。剣と拳銃をぶら下げた彼を。
「何だ……一体、何が……」
元帥の声を無視し、黒衣の死体を避けて割れた窓に近づきます。窓の外には木が枝を投げかけていました。木の上にいる女魔術士がこちらに手を振っています。
319 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:04:08.76 ID:0NzTE2lA0 [161/271]
私はそれには手を振り返さないまま声を口を開きました。
「私には武力はありません。それに類する手駒も」
背後の元帥は、肩を拳銃で打ち抜かれ立ち上がることもできないようでした。
「ですが、手を貸してくれる知人には心当たりがありました」
「勇者……」
「その通り」
振り向いた先には、相変わらず元帥が倒れています。勇者に取り押さえられたまま。
「貴様正気か? こいつは人間だぞ!」
「私のモットーは使えるものは敵でも使え、です」
元帥の怒り交じりの声に、私はあくまで冷静に応答します。
「それが私です」
321 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:08:34.79 ID:0NzTE2lA0 [162/271]
元帥の低くうめく声が聞こえました。
「私にはむかう気か……! 魔王様のご両親がどうなっても良いと……!?」
「私にブラフは通じませんよ」
「何?」
私は元帥に歩み寄り、膝をつきました。うつぶせの彼の耳元に顔を近づけます。
「あなたがご両親のお住まいを押さえているというのは、嘘だ」
「……嘘など」
「なぜなら……」
「私が殺したからです……魔王様のご両親を」
323 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:10:29.92 ID:0NzTE2lA0 [163/271]
元帥が言葉を失いました。
勇者もまた、こちらを見て言葉を失っているようでした。
魔王様のご両親は、魔王様の心の支えであると共に大いなる弱点でもあります。それを放置しておくのがおかしいというものです。
ややあって、元帥が声を上げました。
「……なるほど、貴様は最初から知っていたのか。知っていて時間を稼いだのか」
事実上嘘を認めた彼は、横目で私を見上げました。
その目に憎憎しげな光が宿ります。
「貴様、なにゆえ人間との戦争を避けようとする? 今我々が攻め込めば十中八九我らの勝利だ」
「……」
「お前も! 人間が憎くはないのか! 人間に復讐したいとは思わないのか! 奴らは我らが父母の仇だぞ!」
「……」
「そうだろう! 我が弟よ!」
声を荒げる元帥の――兄上の言葉を聞きながら、私は両親のことを思い出していました。
私たちの粗相を厳しくしかりつけながらも、その裏にどこかやさしさを忍ばせるその声を。
325 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:12:40.55 ID:0NzTE2lA0 [164/271]
「憎いだろう!? 殺してやりたいだろう!? お前にならできる! いや我らならばそれが可能なのだ! 人間どもを殺して、殺して、殺しつくしてやろうではないか!」
私はため息をつきました。深く、深く。
「許可を出せ! 私に出陣の許可を!」
「私はどうやらあなたを買いかぶっていたようです、兄上」
「……何?」
私は兄上の目を見下ろしました。
「確かに私たちは人間に両親を殺されました。私も人間が憎い。でも――」
「……」
「私たちは一人の魔物である前に、魔王様の家臣なのですよ、兄上」
「……!」
そうなのです。私たちは私情に流されてはいけません。魔王様の部下として常に冷静に、常に客観的でなければいけません。
「あなたは言いました。命は決して消滅はしないと」
「……」
「私たちは彼らを忘れてはいません。ならばなおさら消えてなくなったりはしないのでしょう。両親は私たちの中に生きていますよ」
「……」
兄上は、それきり黙りこみました。月が雲に隠れて、その表情は読めませんでした。
329 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:15:28.43 ID:0NzTE2lA0 [165/271]
「お前は本当にあいつの両親を殺したのか?」
一応の決着がつき、元帥を執務室に残して勇者たちを部屋に送り届けたときのことでした。勇者が私に問うてきました。私は落ち着いて返します。
「どう思う?」
「……さあな。ただ、本当だとしたら俺はお前を許さない」
勇者の視線が、私をまっすぐに射抜いていました。私もそれを見返します。
「……私が魔王様の悲しむようなことをするとでも?」
「……」
しばらく私を見つめた後、勇者はついと視線を外しました。
「……それもそうか」
兄上が魔王様のご両親のお住まいを押さえたと聞いたとき、私の頬を冷や汗が伝いました。あれは嘘ではありません。
そして私は魔王様の忠実な部下なのです。
「俺はもう寝るよ、明日出発だしな」
「ゆっくり休むといい」
勇者が部屋に消えました。私はそれを見届けて、その場を後にしました。
330 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:16:43.67 ID:0NzTE2lA0 [166/271]
※
治された執務室の窓から午前の日差しが差し込んでいます。
三人を見送ってから、お茶を飲みながら書類を読んでいました。
元帥の件は終わり、とりあえずは彼に関する大きな動きはありません。
彼はいまだ元帥の地位にありますが、すぐにまた物騒なことをする余裕はないでしょう。
ですが、各地の魔物の動きは、戦争の火種はまだなくなっていません。私が再び命の危険にさらされることもあるでしょう。
怖くはないのか、ですか?
……正直に申し上げれば、怖くて怖くてたまりません。しかし、これが私の仕事。
側近のお仕事なのです。
332 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:17:41.55 ID:0NzTE2lA0 [167/271]
短編:側近のお仕事
~了~
333 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:20:12.74 ID:0NzTE2lA0 [168/271]
短編:ヒューイックの憂鬱
パクリ元:シャンク ザ レイトストーリー
337 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:30:16.74 ID:0NzTE2lA0 [169/271]
スタッブ(stab):「暗殺」の意。原義は「後ろから刺す」こと
スタッバー:暗殺技能者
338 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:32:18.58 ID:0NzTE2lA0 [170/271]
私の上司はいつも浮かない顔をしている。
歳を取っていつも眉間にしわの寄っている猫のようだ。
私は理由を知っている。
彼がどうして不機嫌猫なのか。
それは――
340 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:00:07.62 ID:0NzTE2lA0 [171/271]
スタッバー「退屈だ」
戦士「……」
スタッバー「ねえ、なんか面白いこと言ってよ」
戦士「無茶です」
スタッバー「知ってるよ。でも退屈なんだ」
戦士「私は構いませんが」
スタッバー「俺は構うの」
342 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:03:08.24 ID:0NzTE2lA0 [172/271]
血に濡れたナイフをプラプラと揺らしながら彼は言う。
その足元にはいくつもの肉塊が転がっていた。
人間だ。
みんな死んでいる。
みんな物になってしまった。
血の臭いが部屋に充満している。
343 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:06:07.96 ID:0NzTE2lA0 [173/271]
スタッバー「あ~あ、やっぱり簡単な仕事だった。五分ももたなかったんじゃない?」
戦士「四分と二十八秒でした」
スタッバー「あ、やっぱり?」
戦士「ええ」
344 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:09:17.84 ID:0NzTE2lA0 [174/271]
私たちは任務を終えた直後だ。
足元の死体はその任務の結果である。
王都からやや離れたところにアジトを持つ、武装テロリストの掃討。
それが今回の私たちの仕事だった。
345 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:12:10.92 ID:0NzTE2lA0 [175/271]
スタッバー「テロリスト名乗るなら、せめてもうちょっとは強くないと」
戦士「同感ですね」
スタッバー「だよねえ」
戦士「これだけの人数をそろえたのならば、二倍の十分もたせるのが理想です」
スタッバー「それが半分」
戦士「ええ」
スタッバー「半分かあ……」
戦士「ええ」
346 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:16:13.41 ID:0NzTE2lA0 [176/271]
私の上司は――ヒューイックという名前だが、露骨に舌打ちをすると足元に転がった手を軽く蹴飛ばした。
私よりも若い顔に嫌悪にも似た何かを浮かべている。
見ようによっては苦渋とも取れそうな。
私はあえてなだめない。
それは逆効果であると知っている。
彼のそばのテーブルの上、テロリストが食事に使ったらしいスプーンがわずかに音を立てた。
そう広くもない納屋の窓からは、朝の弱くも何かを予感させる日の光が差し込んできている。
私は彼のあまり大きくない背中に歩み寄った。
347 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:18:07.67 ID:0NzTE2lA0 [177/271]
戦士「そろそろ帰りましょう」
スタッバー「……」
戦士「さあ」
スタッバー「俺とやらない?」
戦士「はい?」
スタッバー「俺と殺り合わないかってきいてんの」
戦士「……」
348 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:22:45.62 ID:0NzTE2lA0 [178/271]
唐突な言葉だったが、実はそれなりに聞き慣れている。
実際、またか、とも思った。
彼はいつだって突拍子もないことを言う。
私も慣れた口調で返す。
349 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:24:32.20 ID:0NzTE2lA0 [179/271]
戦士「私は構いませんが」
スタッバー「……」
戦士「……」
350 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:27:08.11 ID:0NzTE2lA0 [180/271]
しばらく沈黙だけが流れた。
彼は値踏みするような目で私と視線を合わせ、ナイフを中空に投げては受け止めるを繰り返した。
ナイフのグリップが肌にぶつかる音が部屋に響く。
数秒が経過した。
彼は受け止めたナイフをしまうと、ドアに向かって歩き出した。
351 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:30:07.67 ID:0NzTE2lA0 [181/271]
スタッバー「やめた。気が乗らない」
戦士「そうですか」
スタッバー「もう何回もやったし。飽きたし」
戦士「……」
スタッバー「さっさと報告して寝よう。眠い」
戦士「そうですね」
352 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:00:07.45 ID:0NzTE2lA0 [182/271]
拍子抜けか安心か。
よくわからない脱力感が身体を包んだ。
別に緊張したわけでも、期待したわけでもないはずだったが。
ただ、これで幾分か早くシャワーを浴びれるのだなと思うとちょっとうれしくなった。
354 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:02:14.38 ID:0NzTE2lA0 [183/271]
※
耳朶を打つ自分の気合、うなる風の音。
強く踏み込んだはずの足が頼りない音を立てる。
中肉中背の人影目指して突進し、気合とともに私は剣を振り下ろした。
必殺の間合い、必殺の速度、必殺の手ごたえ……のはずだった。
私の剣は空を切り、勢いあまって床を叩く。
あわてて視線を振り向けた先には余裕の笑み。ではなくひどく退屈した顔があった。
――あんたもか
彼がそう言ったのが聞こえた。
※
355 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:04:18.75 ID:0NzTE2lA0 [184/271]
私たちは王都の軍事組織、『十三使徒』に属している。
王都の切り札であり、一般人が知り得るのはその名のみ。
そのため王都の怪人たちの集い、変人の巣窟などと変な噂をされることも多い。
まあ、案外間違ってはいないが。
組織の最終目的は魔王の排除だ。
しかし、魔王暗殺の命令が下されていない今、十三使徒の任務は王都の治安を裏から支えることであり、私の上司はそれが不満のようである。
テロリストやらレジスタンスやら。
彼らにもうちょっと骨があったら話は別なのだろうが。
今日も魔王討伐の命令を待ちわびて、上司の眉間のしわは深くなる。
彼は私が持ってきた書類を机に放り投げた。
背もたれに深く背を預け、机の上に足を放る。
356 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:06:35.80 ID:0NzTE2lA0 [185/271]
スタッバー「もう飽き飽きなんだよ」
戦士「……」
スタッバー「変わり映えのしない仕事、気の抜けた戦い」
戦士「……」
スタッバー「俺はもっとぴりぴりしたことがしたいんだよ」
戦士「そうですか」
358 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:08:24.09 ID:0NzTE2lA0 [186/271]
私たちに割り当てられている無駄に広い個室の中、彼は私の顔を一瞥すると深くため息をついた。
連日の激務のはずだったが、身体的な疲れは微塵も感じさせずただただ憂鬱な雰囲気だけを撒き散らす。
彼が求めるところは知っていた。
彼が本気でそれを待ち望んでいることも。
だが、彼は強い。呆れるほどに。
だから、いくら待望しようが無理というものだった。
私は書類を一枚抜き出した。
362 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:12:30.46 ID:0NzTE2lA0 [187/271]
戦士「この仕事なんかいかがでしょう」
スタッバー「……」
戦士「とある観光地。そこに向かったまま帰ってこない失踪者がいます。調査が必要で、息抜きにはちょうどいいかと」
スタッバー「却下却下。そんなの下のに任せとけばいいんだよ」
戦士「……私は構いませんが」
スタッバー「……がっかりしないでよ。俺が悪いみたいじゃん」
戦士「いえ……」
364 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:14:21.51 ID:0NzTE2lA0 [188/271]
私は気を取り直し書類を探った。
変わり映えしないといえば変わり映えのしない仕事ばかりである。
やれ武装盗賊を掃討しろだの、やれ危険人物を暗殺しろだの。穏やかでない案件がずらりと並ぶ。
私はこの仕事は長いのだが、よく殺害対象が尽きないものだと常々感心していた。
人工的平和維持機構の存在は知っているものの、その有効性を疑いたくなる。
あれは実際機能しているのか。
現に私たちの仕事は減る兆しを見せない。
それでも強敵は現れない。
上司が退屈するのも無理からぬことかもしれない。
私はこっそりと同情した。
さて、それでも仕事をしなければ生きてはいけない。
いやいやながらの上司をなだめてすかして何とか給料は落としてもらえる。
王都の内外、あちらこちらへ飛び回り、蹴ってひねって叩き潰す。
そんなある日のことだ。
365 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:16:30.37 ID:0NzTE2lA0 [189/271]
スタッバー「~♪」
戦士「?」
スタッバー「フンフ~ン♪」
戦士「どうかしたんですか?」
スタッバー「ああ、リン! よくぞ聞いてくれました!」
366 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:18:07.34 ID:0NzTE2lA0 [190/271]
彼は連日とは打って変わって元気だった。
事実そのままだとうれしさに飛び跳ねようかという気配もある。
私はそんな彼の様子は見たことがなかったので内心ひどく驚いていた。
このところずっと上司の不機嫌顔しか見ていないのだ。
367 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:20:31.13 ID:0NzTE2lA0 [191/271]
スタッバー「ビッグニュースだよ!」
戦士「……?」
スタッバー「実はね、王都に腕利きの剣士が入ってきたらしいんだ!」
戦士「剣士?」
スタッバー「そうだよ、もう老人なんだけど、これがものすごく強いとか!」
戦士「はぁ」
373 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:54:41.69 ID:0NzTE2lA0 [192/271]
王宮でも噂になっているらしい。
おしゃべり好きの兵から聞いたそうだ。
その剣士とやらが王都に入ったのは今朝未明。
そのときにちょっとした騒ぎが起きたとか。
盗賊団の数人が一般人に扮して入都しようとしたところ、バレてひと暴れしたらしい。
そのときにその場をおさめたのが――
375 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage さるうぜえええ!!] 投稿日:2010/04/10(土) 17:56:47.72 ID:0NzTE2lA0 [193/271]
戦士「その剣士なんですか?」
スタッバー「そう! その通り! いやあ、強かったらしいよー。並み居る盗賊を次々斬り倒していったとか何とか」
戦士「はぁ……」
スタッバー「何よりすごかったのは!」
戦士「すごかったのは?」
スタッバー「それでも一人の死人も出さなかったことだね!」
戦士「一人も……?」
376 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:57:45.78 ID:0NzTE2lA0 [194/271]
うん、一人も。まあ多少の傷ぐらいはついたんだろうけど。
上司は上機嫌で言う。
逃げ場をなくし暴れる人間を、殺さずに取り押さえるのは難しい。多人数ともなればなおさらだ。
私たちも経験としてよく知っている。
それが本当ならば確かに猛者なのだろう。
猛者なのだろうが――
377 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:59:49.20 ID:0NzTE2lA0 [195/271]
戦士「ヒューイック、あなた良くないことを考えていますね?」
スタッバー「はは、やっぱりわかる?」
戦士「不本意ながら」
スタッバー「そっか、そうだよね」
戦士「……」
スタッバー「どうする? 俺のこと、止めてみるかい?」
戦士「……」
戦士「私は、構いません」
378 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:00:54.64 ID:0NzTE2lA0 [196/271]
※
こちらが一手打つたびに、相手は二手先を行く。
そんな絶望的な事実をかみ締めながら、私はそれでも踏み込んだ。
踏み込んだ先から地面が崩壊していくような妄想にとりつかれながら。
剣は交わらず、むなしく中空を掻き毟る。
届かない刃、空回る気合い、心音だけがこだまする。
ようやくあった手応えは金属質の無愛想なものだった。
※
380 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:04:17.84 ID:0NzTE2lA0 [197/271]
スタッバー「何? 考え事?」
戦士「……すみません」
スタッバー「珍しいね、君がボーっとしてるなんて」
戦士「すみません」
スタッバー「いいっていいって。どうせ暇だし」
381 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:06:10.19 ID:0NzTE2lA0 [198/271]
私たちは夜中の広場に来ていた。
本来ならば仕事の時間だ。
今日も消化しなければならない任務がある。
だからこれはサボりという奴だ。
命令違反は厳罰ものだが、
「バレなきゃいい」
というのが今回の上司の方針だった。
そして今、私たちは待っていた。
382 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:10:31.69 ID:0NzTE2lA0 [199/271]
スタッバー「遅いねー」
戦士「ええ」
スタッバー「すっぽかされたかな」
戦士「どうでしょう」
スタッバー「いいや来るね」
戦士「そうですね」
スタッバー「……来るよね?」
戦士「そうですね」
385 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:12:10.47 ID:0NzTE2lA0 [200/271]
上司の手配は早かった。
自分で剣士の居所を探し当て、自分で果たし状を書き、自分でそれを渡しに言った。
私のすることはなかった。
「だって俺の個人的なことだもん」
私のすることはなかったのだ。
私は内心ため息をついた。
それからまたしばらく経って、私が帰宅の提案をしようかどうか迷い始めたころ。
暗闇が動いた。
386 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:15:24.62 ID:0NzTE2lA0 [201/271]
スタッバー「――はは」
戦士(! これは……)
老剣士「遅くなった」
388 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:18:29.78 ID:0NzTE2lA0 [202/271]
夜の闇から老人が歩み出てきた。
長身だが、剣士という割りにあまり筋肉質には見えない。
白い短髪が風にかすかに揺れている。彫りは浅く、全体的にのっぺりとした顔をしていた。
容貌だけを見て強そうかどうかをいえばあまり強そうではない。
が、気配は尋常ではない。
夜の空気は澄んで静止している。
しかし、その老人の周りだけ空気が激しく渦を巻くような、そんな雰囲気がある。
私は剣の柄に知らずかけていた指を引き剥がした。
老人はそんな私の様子には目もくれず、上司のほうだけを見ていた。
389 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:21:08.06 ID:0NzTE2lA0 [203/271]
老剣士「お前か、果たし状をよこしたのは」
スタッバー「そうだよ」
老剣士「最強を自称するわりには若いな」
スタッバー「歳は関係ないでしょ」
老剣士「然り」
スタッバー「来てくれたんだね」
老剣士「いたずらかとも思ったが、十三使徒の刻印があれば信じざるを得まい」
スタッバー「ははっ」
老剣士「それより」
スタッバー「ん?」
老剣士「お前を殺せば十三使徒の頂点の座を得られるというのは本当か」
スタッバー「ああ、そのこと。本当だよ」
390 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:24:19.70 ID:0NzTE2lA0 [204/271]
この老人、十三使徒の座を狙っている?
私はぎょっとして上司の顔を見た。
昨日までのしかめっ面から打って変わって爽やかな顔は、冗談を言っているようには見えなかった。
冗談で言ってもまずいが、本気ならばなおまずい。
あわてて口を挟もうとした私を、上司は手で制した。
391 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:27:07.99 ID:0NzTE2lA0 [205/271]
スタッバー「俺が今の十三使徒のトップだ。俺を殺せばそのポストが空く。そしたらあんたが入る。OK?」
老剣士「……」
スタッバー「そんな胡散臭そうな顔しないでよ。嘘はついてないからさ」
老剣士「……いや、今更疑うまい。信じよう」
スタッバー「そのときのことはこっちのに任せてあるからね。リン、よろしく」
戦士「……」
老剣士「……なるほど……では」
393 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:00:08.43 ID:0NzTE2lA0 [206/271]
その言葉を最後に老人は腰を沈め剣の柄に手をやった。
が、抜かない。
上司は静かにナイフを抜く。
夜の底がピン、と張り詰めた。
私は止める機会を失ったことに遅ればせながら気付く。
こうなれば仕方ない。私は諦めて成り行きを眺めることにした。
上司はまず一見無防備にすたすたと間合いを詰めた。
しかし、心得のあるものにはすぐに気付くだろう。
その歩みに付け入る隙などないことに。
そして老人の間合いぎりぎりで立ち止まる。
片方が一歩踏み込めば老人の抜き打ちの剣が届く、そういう距離。
そのまま双方重い空気を挟んで対峙した。
394 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:05:08.50 ID:0NzTE2lA0 [207/271]
スタッバー「……一つ聞いておく」
老剣士「……なんだ?」
スタッバー「あんた、今朝はなぜ殺さなかったんだ?」
老剣士「……」
スタッバー「まさか、なまっちょろい信念やら信条やらで不殺を貫いてるとか言わないよね。そんなんだったら失笑もんなんだけど」
老剣士「笑止」
スタッバー「じゃあ?」
老剣士「難易度の問題だ若いの。より難しい選択肢を選んだまでだ」
スタッバー「ふーん?」
老剣士「気まぐれだよ。入都したのが昨日か明日ならば殺していたかもしれん。その程度のことだ」
スタッバー「なるほど、とりあえず安心していいみたいだね」
老剣士「……」
スタッバー「……」
395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:10:09.54 ID:0NzTE2lA0 [208/271]
先に踏み込んだのは上司のほうだった。
ぽん、と何気なく足を振り込んだので私だったら見過ごしていたかもしれない。あ、散歩か、と思って。それぐらい何の気負いもない一歩だった。
瞬間、裂帛の気合を伴って剣の鞘走りが咆哮する。
凄絶な一打が上司の胴体を分断しようと襲い掛かった。
上司の何気ない一歩。それは素人にはそう見えるだけで実際には意味のある一歩だ。ナイフで剣の一撃を防ぐにはしっかりとした土台が必要である。そのための足幅を用意したのだ。防御に構えたつや消しのナイフが空気を薄く切り裂いた。
次の刹那剣がナイフに噛み付き、鋭い剣戟の悲鳴が辺りを満たす。
……はずだった。
そのとき、私は見た。
老人の放った剣の一閃が、上司のナイフを『すり抜ける』ところを。
396 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:16:33.89 ID:0NzTE2lA0 [209/271]
上司の身体に刃が食い込んだ。
苦悶の声が上がる。
老人の顔がにやりとゆがむ。
私は目を疑った。上司は確かに防御できたはずだった。
しかし結果はこれである。
知るものには王都の魔人と呼ばれるあの上司が一撃をもらっている……。
397 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:21:12.22 ID:0NzTE2lA0 [210/271]
スタッバー「ぐ……」
老剣士「……」
老剣士「……これはどうしたことだ」
398 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:25:08.06 ID:0NzTE2lA0 [211/271]
……しかし、そこまでだった。
剣は上司のわき腹で止まっていた。
切り裂かれた戦闘服の隙間から、金属光沢の何かが覗いて見えている。
あれが剣を受け止めたのだろう。
私はほっと息を漏らした。
次に疑問を覚えた。
なぜ――
399 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:30:35.56 ID:0NzTE2lA0 [212/271]
老剣士「なぜ、お前は準備している?」
スタッバー「……」
老剣士「『こうなること』を予期していなければその準備はなかったはずだ」
スタッバー「『剣が見えず、触れられなければ避けることは不可能』」
老剣士「……!」
スタッバー「奇策や太刀筋の変化による一撃必殺を旨とする神流の剣だ」
400 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:35:10.99 ID:0NzTE2lA0 [213/271]
老人が明らかに狼狽した。
上司はゆっくりとわき腹をさすっている。
両断を避けたとはいえ、ダメージは小さくないらしい。
しかし笑っている。
目を爛爛と光らせながら。
笑っている。
401 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:40:36.37 ID:0NzTE2lA0 [214/271]
スタッバー「簡単なことさ。障害物があったら避ければいい。隙間があったら入ればいい。あんたがやったのはそんなごく単純なことだ」
老剣士「……」
スタッバー「『ナイフを避けて俺を斬った』。太刀筋の変化に極限まで通じていれば可能だろう? 違うかな? 違わないよね?」
老剣士「なぜ……」
スタッバー「俺は今朝の戦闘の跡を見てきただけさ。それで大体わかるよ。あんたの剣は防御できないことくらい。あとは知識の問題だ。知ってるか知らないか。俺は知ってるほうだったってわけ。俺は神流を知っている。あんたは神流の剣士だ」
老剣士「……」
スタッバー「神流は未知の事実が大きな武器だ。知識の欠如が最大のアドバンテージだ。もうあんたにそれはない」
老剣士「……」
老剣士「だが……」
老剣士「だが! それがどうした! わかったところで二度は防げまい! これで死ね!」
402 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:45:59.46 ID:0NzTE2lA0 [215/271]
気合とともに老人は上司に肉迫した。
確かに老人の言うとおりだった。防ぐことができないならばこの二撃目で終わってしまう。
上司は、不利だ。
だがしかし、上司は相変わらず笑っている。
ただ、よく見るとさっきのぎらぎらしたものとは違いさびしそうな笑いだった。
剣が上段から振り下ろされた。一直線に上司の頭を狙って飛んでくる。
上司はナイフを振り上げる。
その瞬間、今度は確かに見えた。
老人の剣が、その軌道がナイフを避けるようにゆがむのを。
私は知らず戦慄する。
上司の頭が剣によってかち割られたのが見えた気がした。
悲鳴が聞こえる。
遅れて金属が地面に落ちる乾いた音が聞こえた。
403 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:00:13.99 ID:0NzTE2lA0 [216/271]
老剣士「ああ!」
スタッバー「……」
老剣士「うああ!」
スタッバー「ちょっとうるさいよ」
404 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:05:50.76 ID:0NzTE2lA0 [217/271]
老人の手の甲に刃が貫通していた。
持ち手のない刃。それは飛び出しナイフの刀身だった。
上司はナイフ好きで、似たようなナイフをいくつか持っている。
グリップのスイッチを押せば刀身が飛んでいく機構。
先ほど振り上げたナイフは、これを狙ってのことだったらしい。
先ほどは老人の一閃を捉え損ね、今度は上司の一撃を見逃した。
私は唇を噛み締める。
老人は痛みに耐性がないのかそのままうずくまっていた。
406 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:10:56.11 ID:0NzTE2lA0 [218/271]
スタッバー「あーあ、ここまでか」
老剣士「……」
スタッバー「ちょっとは楽しめるんじゃないかとか思ったのに、結局これだ。大袈裟だよあんた」
老剣士「ぅ……」
408 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:15:07.97 ID:0NzTE2lA0 [219/271]
老人は立ち上がったが顔色は真っ青だった。
確かに手を怪我したぐらいで大袈裟かもしれない。
そのままばたばたと剣に駆け寄った。
無事な方の取り上げたが剣尖が定まっていない。
上司は失望のため息をついて新しくナイフを抜いた。
409 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:16:53.45 ID:0NzTE2lA0 [220/271]
ミス
無事な方の取り上げたが→無事な方の手で取り上げたが
411 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:25:48.88 ID:0NzTE2lA0 [221/271]
老剣士「うわあああ!」
スタッバー「はぁ……」
スタッバー「……バイバイ」
412 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:30:08.41 ID:0NzTE2lA0 [222/271]
※
――あんたもか
つまらなそうな視線が私を射抜く。
――あんたも俺に届かないか
否定する。そんなことはないと。
否定する。否定する。否定する。
私はあなたに届くはず。私の意志は強いはず。
最後の一閃。手応えはなく。
代わりに焼かれるような痛みを覚えた。
※
414 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:35:12.35 ID:0NzTE2lA0 [223/271]
スタッバー「何、考え事?」
戦士「……すみません」
スタッバー「最近多いね」
戦士「すみません」
スタッバー「いいっていいって。どうせまた退屈な任務だ。考え事してるくらいがちょうどいい」
415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:40:09.75 ID:0NzTE2lA0 [224/271]
今は任務に向かう途中だった。
彼の指摘通り、最近どうにも私は考え事が多い。
あの老人と上司が戦った後からだ。
夢想にふけることがさらに多くなった。
考えるのは上司と初めて手合わせしたときのこと。
弱冠二十歳にして十三使徒の№1に上り詰めたという輝かしき来歴を一瞬で無にされたときのこと。
歴然とした実力差に愕然とし、呆然とし、それ以来プライドというものを持つことをやめた。
416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:45:23.76 ID:0NzTE2lA0 [225/271]
スタッバー「退屈だ」
戦士「私は構いませんが」
スタッバー「俺は構うの。あーあ、また強い奴、入ってこないかなあ」
戦士「……」
417 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:00:15.03 ID:0NzTE2lA0 [226/271]
上司は今日も強敵を求めて愚痴をこぼす。
私を後ろに従えて。
私は諦念を強める。
力が届かないことは飲み込んだ。
思いが届かないことにもいつしか慣れた。
ただそれでも。
私の心が折れる日は遠くない。
そのときはこの仕事を辞めるだろう。
上司がどんな顔をするかを期待しながら。
418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:01:42.70 ID:0NzTE2lA0 [227/271]
短編:ヒューイックの憂鬱~部下の諦念~
~了~
420 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:10:40.41 ID:0NzTE2lA0 [228/271]
短編:僕らはかつて修羅場だった
422 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:16:22.74 ID:0NzTE2lA0 [229/271]
「いったいどういうことよ!」
怒声が響いた。
宿屋の前、朝の往来。
一日を始めようと家々から出てきた人々が何事かとこちらを見やる。
奇異の視線が彼らに降り注いだが、彼女はまったく気にしていないようだった。
「ちゃんと説明なさい!」
彼は彼女の顔を見、それから隣を見やる。
彼の隣の人間はこんな状況でもにこにことたたずんでいた。
それがさらに彼女の感情を逆なでしている。たぶん。
どうしようもない事態が起きようとしている。
いや、起きている。
彼は頭を抱えた。
424 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:20:11.57 ID:0NzTE2lA0 [230/271]
話は昨夜にさかのぼる。
夕食時を少しばかり過ぎたころ。
シェロという名で自称勇者、十八歳の青年は、今日入った村の食事店で居心地悪げに身じろぎした。
勇者の村出身者の証であるペンダントがさらりと揺れる。
「なによ、いつもより豪華な店じゃない」
上機嫌に言ったのは対面に座った彼のパーティーの魔術士、ハルという名の女である。ちなみに十九歳。彼より一つ年上である。
「ああ、ちょっと気分を変えようと思ってな……」
シェロはもごもごとつぶやくように言った。
「金欠なのに?」
ニヤニヤと返すハルに、実はもうバレているんじゃないかとシェロは危惧した。
427 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:26:14.02 ID:0NzTE2lA0 [231/271]
これから自分が言わなければならないことを胸中で反復し身をかたくする。
簡単な二言。
好きです。付き合ってください。
たったの二言。
だが、輝かしき青春の日々を、腕を磨き剣を研ぐことに費してきたシェロにとって、それを言うことは一人で王都軍全部を相手にすることと同じか、もしかしたらそれ以上に困難なことだった。
まだ、言うタイミングではない。
わかっていても、テーブルの下で握った拳の中が緊張の汗で濡れる。
どぎまぎと手を握って開いてしているうちに料理が運ばれてきた。
428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:29:23.07 ID:0NzTE2lA0 [232/271]
「……」
無言でわさわさと料理をむさぼる。
いつもはおしゃべりなハルも今日はなぜかしゃべらない。
代わりにニヤニヤとシェロの一挙一動を見守っている。
やっぱりバレているんだろうか。
シェロは一抹の不安を覚えた。
……だが。
知られているなら話は早かった。
思い切って料理から顔を上げ、口を開いて力強く言葉を吐き出す。
「あの~……」
力強く間延びした声は語尾を散らして消えていった。
「なに?」
ハルは笑みを強くして端正な顔を寄せてきた。
さらりとゆれる金髪からいい匂いがして、シェロは柄にもなくドキリとした。
「……なんでもない」
430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:35:39.89 ID:0NzTE2lA0 [233/271]
また沈黙だけが長引いた。
汗が背中を伝う。
自分の意気地のなさにじりじりとした焦燥感を覚える。
しばらくして、そうだ、とシェロは思いついた。
少々卑怯だが、酒の力に頼るのも悪くないのではなかろうか。
「おい店員」
早速酒を注文し、運ばれてきたそれを、救いを求めて一気にあおる。
視界がぼんやりとゆれだした。
ああ、悪くない、いい感じに酔ってきた。
下戸である。
「あなた普段酒なんて飲まないじゃない」
「……ちょっとな」
431 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:39:31.44 ID:0NzTE2lA0 [234/271]
先ほどよりは緊張が薄れ、ようやく余裕が出てきた。
思い切って口を開いて――
「……」
もう一杯あおった。
まごうことなき意気地なしの完成である。
そしてもう一杯。
さらに一杯
「何杯飲む気よ」
半眼と目が合った。
「……いやこれでいい」
ようやく決心がついた。
舟の上のごとく視界がぐらぐらゆれているがこれでいい。
(大丈夫だ。俺ならできる……)
なんだか勇気がわいてきた。
ほら、そこの陰から小人さんも応援してくれている。
彼に心の中だけで手を振って、
「ハル、俺――」
432 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:41:20.66 ID:0NzTE2lA0 [235/271]
「あ、ごめん、ちょっとトイレ」
ところがハルはそう言うと席を立った。
そのまま、颯爽と歩き去る。
シェロはパクパクと口を開け閉めしてその背中を見送った。
ようやく決心したところにこれである。
人の気も知らずに、ちくしょう。
ハルが視界から消えて、シェロは全身から一気に力を抜いた。
……なんだかどうでもよくなってきた。
「一番強い酒頼む」
「かしこまりました」
そうして置かれた一杯を――
「――」
シェロは躊躇なく喉に流し込んだ。
視界が致命的にぐらりと揺れた。
あ、これまずい。
思っても後の祭りである。
視界の端で小人さんが踊り狂っていた。
彼を視界の正面に捉えようと緩慢にしか動かない首を回し……がっくりとうつむく。
ゆっくりと狭まっていく視界の中、誰かが近づいてくるのが見えた。
439 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:47:14.06 ID:0NzTE2lA0 [236/271]
※
朝の日差しが瞼を焼いた。
うめき声をあげてシェロは上体を起こした。
まず最初に覚えたのは吐き気だった。
喉がひりひりする。
昨夜、飲めない癖に飲酒したことを思い出した。
(飲酒? 何でだっけか……?)
考えてすぐに思い至る。
そうだ、自分はハルに告白しようとしていたのだった。
それで度胸がないから酒に頼ったのだ。
情けなさに、額に手を当てぼんやりとうめく。
441 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:49:02.34 ID:0NzTE2lA0 [237/271]
周りを見渡すと、見覚えはないが宿のようだとわかった。
ハルがここに運んでくれたのだろう。
自分への失望に再びベッドに倒れこんだ。
ため息をつく。
何をやっているんだか。
(……)
でも、と思う自分もいる。
これでハルとの関係が壊れずに済んだのではないか、と。
もし断られてしまえば一緒の旅はしづらいし、いつかは袂を分かつことになってしまっていただろう。
なんて考えてしまうようでは自称とはいえ「勇者」の名が泣くのだが。
443 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:50:34.66 ID:0NzTE2lA0 [238/271]
結局は問題の先延ばしだ。
次はどのように手はずを整えようか。
考えながら無駄に広いベッドの上で伸びをした。
……と。
違和感に気付いた。
足に何かが触れている。
暖かく、滑らかななにか。
いぶかしく思い、ゆっくりとめくる。
まず出てきたのはセミロングの黒髪の頭だった。
次に目に入ったのはやや幼く見えるが、整った面だった。
444 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:51:16.54 ID:0NzTE2lA0 [239/271]
一つ確認することがあった。
非常に重要なことだった。
ハルの容貌を思い出してみる。
長い金髪。ストレート。
釣り目気味でブルーの瞳。筋の通った鼻。薄い唇。
女性にしては長身のほうでシェロより少し低いぐらい。
そしてその……「肉付きのいい」身体をしている。
そこまで思い返して慎重に深呼吸した。
そして目の前の黒髪を見やる。
つやのある綺麗な髪だったが、問題はそこではなかった。
金髪でもないし、長髪でもない。
顔も整ってはいるが、ハルと違って「かわいい」という類の整い方だった。
毛布のふくらみからして、背は低い。そして華奢だった。
……結論として断言せざるを得ない。
こいつはハルではない。
445 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:52:14.76 ID:0NzTE2lA0 [240/271]
こいつは、ハルではない。
胸中で再度繰り返す。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
現状を確認する。
自分は今知らない奴と一緒にベッドに入っている。
よく見れば自分が今身につけているのは下着だけだ。
ハルはいない。
朝日がむなしく差し込んでいる。
空気がありえないほど絶望的に重くなったのを感じた。
とりあえず落ち着かなくてはならなかった。
再び深呼吸をしようとして失敗する。
咳き込んだ。
その音に反応してか隣でもぞもぞ動く気配がした。
恐る恐るそちらを見やる。
つぶらな瞳と目が合った。
それがにこりと笑う。
「おはようございますぅ……」
百人中百人がかわいいと思うだろうその声は、今の彼には魔王のそれに聞こえた。
448 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:56:21.15 ID:0NzTE2lA0 [241/271]
「いったいどういうことよ!」
そして現在。
あわてて服を着て、宿を飛び出したところハルと再会。
そこまではいいのだが、後ろから誰かに抱きつかれたところでハルの目つきが変わった。
「待ってくださいよぅ」
「なに、その子……?」
ハルの目はいぶかしげをはるかに通り越し、殺人的なまでにつりあがった。
「昨日の晩、いきなりいなくなるから心配して探してみれば! 何よこれ!」
「いや、これはその……」
「ちゃんと説明なさい!」
黒い三角帽子の下のハルの金髪が、重力に逆らい始めた。
これはまずい。ハルが本気で怒っているのははじめて見た。
「お、俺にもわけがわからないんだ……昨日酔いつぶれて目が覚めたら――」
「ボクと一緒に寝てましたぁ」
抱きつくのをやめたその人物は隣に立つとにこやかに言い放った。
449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:58:02.22 ID:0NzTE2lA0 [242/271]
「寝た!?」
素っ頓狂な声が上がる。
「寝た……?」
うつろな目で繰り返すハルに、シェロはいやな予感が胸に広がるのを覚えた。
「いや! 待て! お前が想像しているのとは違う! 俺は――」
「寝たの……?」
「うっ」
なんとも絶望的なことに、誰が何を言おうと一緒に寝ていたこと自体は事実だった。
「そう、寝たの……」
「いやそのだから、違うんだ!」
弁解の言葉を無視し、ハルはうつむくと身体を震わせた。
「……わたしねえ、昨日あなたが何か言いたそうにしてたのはわかってたのよ。期待してたわ。きっといい知らせだって」
キッと面が上がり、それだけで人一人殺せそうな鋭い視線がシェロを射抜く。
シェロは出しかけた言葉を反射的に飲み込んだ。
「なのに何これ!? あんたがわたしに言いたかったのってこのこと!? デキてる女がいるから別れてくれって!? ふざけんな!」
450 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:00:08.42 ID:0NzTE2lA0 [243/271]
そのままこちらに背を向けるとハルは早足で歩き始めた。
このまま行かせてはまずい。
シェロは慌ててそれを追う。
「ちょ、ちょっと待てって……!」
肩に伸ばした手が距離を間違え空を切る。
「いやあの……」
再度伸ばした手は肩に弾かれた。
「話を……」
横に並んだところで突き飛ばされ地面に転がる。
451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:01:49.76 ID:0NzTE2lA0 [244/271]
「いや、だから話を聞け!」
その言葉を呪文として、魔術を発動。
視界を含む五感が一時遮断され、一瞬の後ハルの前に空間転移した。
「……」
立ち止まったハルの視線はただただ冷たかった。真ん前に立ったことを少し後悔してしまうほどに。
だが、このまま行かせるわけにもいかない。
「冷静に話をしようぜ。な?」
「……」
やはり無言の相手に、説得のためのいくつかのフレーズを思い描いた。
「確かに俺はあいつと寝ていた、みたいだ。これは覆しようのない事実だな。認めよう」
慎重に言葉を選び、ゆっくりと舌に乗せる。
「だが弁解させてもらうと、俺はあいつとその……」
言うのに多少勇気は必要だった。
「……しては、いない」
……はず、と胸中で付け足す。
452 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:02:56.54 ID:0NzTE2lA0 [245/271]
弁解はともかくその語感に反応してか、ハルの視線はさらに幾分か温度を下げた。だから何、と言うように。
それでもひるんではいられない。
「それにだ、お前は俺とあいつが前からの知り合いだと思っているようだが、俺はあいつと初対面だ。加えて俺はこいつの素性も知らないときてる。目が覚めたらこいつが隣に寝ていて、俺が一番困惑してる」
そこでようやくハルは視線の強度を弱めたようだった。
「……本当?」
「信じてもらうしかないが、これは本当だ。第一考えてもみろ。俺がそんなにモテるように見えるか」
「……確かに」
そこで同意されてしまうのは情けなくもあったが、とりあえずの手ごたえを感じてシェロはひとまず安堵した。
「お前を心配させたあげく、いらない疑惑を持たせて悪かったと思う」
「……」
「だがここは俺を信じてもらえないだろうか。俺にも実のところわけがわからないんだ」
沈黙が下りた。
視界の端に数人の野次馬がちらつくが無視した。
453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:04:13.81 ID:0NzTE2lA0 [246/271]
それほど待たずして。
シェロは先ほどより温度を持ち直した目と再会した。
「わかった、信じる、一応……」
とりあえず及第点。ぎりぎりの安堵のなか、シェロはあごの下を拭った。
(よし……!)
「でもぉ」
突如ハルの背後から上がった声。戦慄する。
今までのところ、このかわいらしい声はシェロに不幸ばかりを持ってくる。
おそるおそる声のしたほうに視線を移した。
「ボクが目を覚ましたとき、“部分的に”とっても元気でしたよぉ。どことは言いませんけどぉ……」
瞬間、まばゆい光がシェロを包んだ。何がおきたかわからず、悲鳴すら上げられない。
地面に打ち付けられ転がって、熱衝撃破に打ち倒されたことにようやく気付く。
455 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:05:24.52 ID:0NzTE2lA0 [247/271]
「最っ低!!」
足音が脇を通り過ぎ、遠ざかっていくのが聞こえる。
「ハ、ハル……!」
地面に這いつくばりながら弱弱しく伸ばす。その手の先に、
「赤の刺激!」
白光が輝いた。
熱風にあおられて地面を転がり、民家の壁にたたきつけられる。
意識が飛ぶ前に見えたのは、こちらを振り返ることもせずきっぱりと去っていくハルの背中だった。
457 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:06:18.36 ID:0NzTE2lA0 [248/271]
※
魔術は強力無比であり、使い方を誤れば、もしくは誤らなければ人一人の命ぐらい簡単に吹き消すことができてしまう。
使い手の魔力の大きさにもよるがそれは魔術を使う者の常識で、シェロがとりあえず生きているのはハルがしっかり手加減したからである。
そのことが喜ぶべきことかどうかシェロ自身にはよくわからなかったが。
子供のころに読んだペーパーバックを思い出す。
命乞いをする敵に対し、主人公が言い放つ一言。
貴様には殺す価値もない、とか何とか。
(終わった……)
シェロはテーブルに突っ伏した。
いっそ死んでしまったほうが幾分かよかったかもしれない。
悲しみに体が震えた。
458 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:07:22.93 ID:0NzTE2lA0 [249/271]
「何で笑ってるんですかぁ?」
「泣いてんだよ!」
がばと手をつき顔を上げにらみつけるが、どうやらひるむ様子はなかった。
「そうなんですかぁ」
にこにこ顔で伸ばされる語尾に勢いを削がれるのを感じて、シェロは前のめりの身体を背もたれに戻した。
村に一つだけある喫茶店のテラスの席。そこに二人は腰掛けていた。目を覚ましたシェロをここに引っ張り込んだのは目の前にいる人物である。
肩までの黒髪に、小動物を思わせるくりっとした黒目。顔の輪郭も丸っこく、華奢で小さい身体とマッチしている。宿ではネグリジェを着ていたが、今はブラウスとスカートに着替えていた。
しばらく観察した後、シェロは重々しく口を開いた。
「……それで、君はいったい何なんだ?」
問われた相手は一度にこりと笑い、よくぞ聞いてくれましたとばかりに口を開いた。
「ボクはカシス・ブルーベリーって言いますぅ。こう見えても魔術士なんですよぉ」
460 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:08:47.85 ID:0NzTE2lA0 [250/271]
自分の身体を見下ろす。
既にシェロの身体に傷はない。おそらく魔術による治療だろう。どうやら魔術士というのは本当のようだった。
「魔術士?」
「はい、十七歳ですぅ」
シェロよりも一つ年下らしい。
「じゃあ、次だが――」
「待ってくださぁい」
「あん?」
聞き返すと、カシスはちょこんと手を上げた。
「あなたの名前をまだ聞いてないですぅ。教えてくださぁい」
名前。教えたところでどうということはないが、シェロはしばし躊躇した。
「……シェロだ」
「シェロさんですかぁ」
シェロ、シェロ。カシスは何度か口にして、語感を確かめたようだった。
「いい名前ですね」
言って笑う。
461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:10:04.73 ID:0NzTE2lA0 [251/271]
「シェロさんは旅人ですかぁ?」
カシスはさらに質問を重ねた。
「いや……勇者だ。一応」
その言葉にカシスは目を輝かせた。
「勇者! やっぱり! 勇者の村の紋章を首から下げてるからそうじゃないかと思ったんですよぉ!」
「……モグリだがな」
苦々しく付け加える。
カシスは乗り出してきた身体をいそいそと椅子に戻した。
「モグリさんでしたかぁ」
先ほどよりトーンを落として言う。
それを責めるつもりはないが、語気は多少荒くなった。
「勇者の村出身だからといって誰もが勇者になれるわけじゃねえんだよ」
463 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:11:07.04 ID:0NzTE2lA0 [252/271]
勇者の村はその名のとおり、数多くの勇者を輩出してきた村だ。村で生まれた者は全員小さなころから戦闘訓練を受け、戦士として育てられる。
だが、全員が全員勇者になれるわけではない。優秀な者の、その一握りの、さらにその頂点に立つもののみが正式な勇者となれるのである。
勇者は王に魔王討伐を任命されて初めて勇者たりえる。それ以外は言ってしまえば全て偽者で、モグリと呼ばれてしまう。目的は一攫千金であったり名声であったりとさまざまだ。
もっとも、勇者の村は十数年前に滅びているが。
「それで? 君は、いや、俺はなぜ君と一緒に寝ていたんだ?」
少々強引に話を変えた。
「あ、そのことですかぁ」
カシスの笑みのニュアンスが少し変わる。
照れ笑い。
「昨日の晩、お二人でお食事をとってましたよねぇ、あのお店で。ボクもいたんですよぉ」
「はぁ」
どうでもいい情報に気の抜けた声しか出ない。
467 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:01:26.23 ID:0NzTE2lA0 [253/271]
「カルボナーラをつつきながら、明日の予定を考えていましたぁ。それはまあどうでもいいんですけどぉ」
「そうだな」
「ある男の人が目に入りましたぁ。なにやらお酒をがぶがぶ飲んでいるようでしたぁ」
「俺か」
「そうですぅ」
シェロは顔をしかめた。あの醜態といえばそういえなくもないあれを見られていたと思うとあまり気分がよくない。
目で先を促す。
「はい、その顔を見たときピンときました。鼻の奥がかぁっと熱くなって、目がぐりぐりしました」
「花粉症?」
「この人が運命の人だって思ったんですぅ!」
無視してカシスは声を上げた。
テーブルに手をつき再びこちらに身を乗り出す。自然こちらは身を反る形になる。
「一目ぼれですぅ!」
470 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:05:11.91 ID:0NzTE2lA0 [254/271]
「一目ぼれえ?」
「はい!」
やたらと元気に、無駄に元気にカシスが言う。
「君が?」
「はい」
「俺に?」
「はい!」
返事ごとに身を乗り出してくるので、シェロもあわせて椅子ごと後退する。
汗が頬を伝い落ちた。
「それで、何で俺が君と一緒に宿で目を覚ますところにつながるんだ?」
ストン、と音を立ててカシスが席に戻る。
「えーとですねぇ、見てたらその人、というかモグリさんですが、酔いつぶれて寝てしまったんですぅ」
「そうだったな」
うなずく。
472 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:11:12.24 ID:0NzTE2lA0 [255/271]
「それで、同席してた方もいなくなりましたし」
「ああ」
「拉致っちゃいましたぁ」
「……」
拉致。その音が頭にしみこむのを待つ。拉致。
数秒ほどして、ようやく意味のほうに意識が移った。
「拉致?」
「はぁい」
「君が?」
「そうですよぉ」
もう一度カシスを眺める。
華奢な肩幅。細い腕。
シェロは特別ごついわけではないが、
「女の君にはつらいんじゃないか?」
「女?」
474 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:15:18.71 ID:0NzTE2lA0 [256/271]
きょとんとした声で聞き返され、こちらが逆にきょとんとする。
「え?」
「やだぁ、モグリさんたらぁ」
訳がわからず疑問符を増やす。
「何かおかしいこと言ったか?」
「そうですよぉ」
下げた椅子を元の位置に戻す。
引きずられた椅子の足が、
「ボク、男です」
コトリと床にぶつかった。
478 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:19:15.58 ID:0NzTE2lA0 [257/271]
沈黙が落ちた。
耳をかき、テーブルの上のコップおよびコースターを見つめ、口をもごもごと動かす。何かを言おうとしたのは自分でもわかっていたが、何を言おうとしたのかはわからなかった。
「えーと……?」
聞き間違い。そんな単語が頭で踊る。
「違いますよぉ。聞き間違いなんかじゃないですぅ」
先回りされた。
しばらく頭で反芻する。
「……」
だが、考えても考えてもわからない。わかるはずもない。次第に時空がねじれるのを感じる。今までかたくなに信じていた常識が突如崩れ、醜悪な何かがその陰から姿を現す。それは小人の姿で踊り狂う。
「現実逃避はよくないですぅ」
カシスの声に仕方なく意識を現に戻した。
480 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:22:21.46 ID:0NzTE2lA0 [258/271]
「……男ぉ?」
「はい、心は女の子ですけどぉ」
まるっきり少女の姿と声で言う。
「……嘘だろ?」
「本当ですよぉ、確かめます?」
「いや、いい……」
自然とカシスの胸に目がいく。確かに、ない。
「今、変なこと考えましたね?」
「別に……」
目をそらした。
さて。
カシスが男だというのが事実だとして。
(俺は酔いつぶれているところを男にさらわれ、朝まで一緒に寝ていた。それをハルに知られて誤解され、三行半をたたきつけられた、と)
シン、と頭の中が静まり返る。思考が停止する。それでも事実は覆らない。むしろ加速し、シェロを置いてけぼりにする気配すらある。
ようやく思考がまとまり、シェロはふつふつと何かが煮え立つ音を聞いた。
482 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:23:28.00 ID:0NzTE2lA0 [259/271]
「あほかっ!!」
テーブルをたたいて立ち上がる。
「俺は! 他人の一目ぼれでハルとの関係をめちゃくちゃにされて! しかもその犯人が女ですらなかったってのか!」
「救いがないですねぇ」
「お前が言うな!」
ひとしきり叫んで、力が抜けるのを感じる。再び椅子にへなへなと座り込んだ。
「終わった……」
テーブルに上半身を横たえる。
自分に起こった事態を理解し、それが何の解決にもならないことを悟った。
「いまからハルを追いかけようにもどっちに行ったかわからねえ……仮に追いついたところでこんな話で納得してもらえるとも思えねえ……」
そうなのだ。事実をありのままに説明したところで作り話だと思われるのが関の山である。下手をすれば火に油を注ぐことにもなりかねない。
ああ。本当に死んでしまったほうがよかったかもしれない。
そのとき頭をぽんぽんとたたかれるのを感じて顔を上げた。
シェロの死んだ目をカシスの微笑が受け止めた。
「いい考えがありますよぉ」
484 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:25:15.26 ID:0NzTE2lA0 [260/271]
※
村の中心部はちょっとした広場になっていた。そこに教会が建っていた。
村は大きくもなく、かといって小さいわけでもない。その教会もそれに見合った大きさで、大きくもなく小さくもない。
白い外壁、赤い屋根、その上の十字架。ごく一般的な外装である。
(これはあれか……)
ぼんやりと建物を見上げながらシェロは胸中でどんよりとつぶやいた。
(もう生きていてもいいことないから、いっそのこと死んでしまえと。そういうことか……)
なかなか、悪くないアイディアだ。半ば本気で思いながら半眼で隣を見やった。
「いい教会ですよねぇ」
そういいながらカシスが一歩前に出る。
黒髪がふわりと風になびいた。
そのさまはどう見ても少女で、シェロはこっそり頬をつねる。
「ここで式を挙げるのが夢だったんですぅ」
胸の前で手を組んだカシスの目がきらきらと輝いた。
「純白のウェディングドレスを来て、ヴァージンロードを歩いて……」
486 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:26:56.04 ID:0NzTE2lA0 [261/271]
何を言えばいいかわからずとりあえずであいまいにうなずいておく。もっともカシスはこちらを見てもいなかったが。
「そして永遠の愛を誓った男性と暖かい家庭を築くんですぅ……」
「……」
「というわけで結婚してください、モグリさん」
「断る」
話の流れが読めたわけではなかった。それでも反射で答えていた。
「えぇー!?」
疑問と落胆の中間の表情を浮かべながらカシスがこちらに詰め寄る。
「何でですかぁ、モグリさん!」
「何でとか聞くか。というかさっきから“モグリさん”っていったい何なんだよ」
「モグリさんはモグリさんですぅ」
どうやらその呼び名で定着してしまったらしい。
489 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:29:03.78 ID:0NzTE2lA0 [262/271]
「まあいいか。いや、よくねえけど。それで? いい考えってのは何なんだよ」
「あ、そのことですかぁ」
話を強引に結婚から遠ざけたのだが、カシスは気にしなかったようだった。
ついでにカシスからも一歩遠ざかる。
カシスは指を一本立てて見せた。
「いいですかぁ、モグリさんは不慮の事故で彼女さんに振られてしまいましたぁ。由々しき事態ですぅ」
「不慮の事故?」
半眼で聞くが、彼に(彼という呼び方にはなはだ違和感を禁じえない)耳を貸す様子はない。
目を瞑りカシスが続ける。
「早急に解決しなければならない事案ですねぇ。そこでボクから提案が」
「……なんだ?」
いやな予感がした。話を遠ざけたつもりで全く逃げ切れていなかった。
カシスが瞳をぱっちりと開く。
「ボクと結婚するとかいかがでしょう?」
「断る」
話がブーメラン式に戻ってきた。
492 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:32:57.18 ID:0NzTE2lA0 [263/271]
「だから何でですかぁ。不満があるなら言ってくださいよぉ。善処しますからぁ」
「いい。おそらくかなりの確率で解決は不可能だ」
呆れて言うが、どうやら諦めてはくれないようだった。なおもカシスは唇を尖らせる。
「何でもはじめから決め付けるのはないって先生が言ってましたぁ」
「なんにでも例外はあるよな」
「あー、法の抜け穴を使うつもりですかぁ!」
「違うだろ!」
そろそろ我慢の限界だった。
「俺はお前にいろいろ台無しにされたんだ! それなのにお前と結婚? ふざけるな! 式を挙げたきゃ一人であげてろ!」
怒鳴りつけながらびしりと教会に指を向ける。
と。
ばん!
突如として教会の正面扉が勢いよく開いた。
「健やかなる時も!」
扉の奥から大柄な人影が姿を現す。
「病めるときも!」
聖服を身に着けたその男は大声で何か言っていた。
495 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:38:33.13 ID:0NzTE2lA0 [264/271]
「互いに真心を尽くして尽くして尽くして尽くして――」
すぅ、と息を吸うのが聞こえる。
「尽くしまくることを誓いますかっ!」
「誓いますぅ!」
答えたのは無論カシスだけである。シェロは呆然とそこに突っ立っていた。
男は扉の前でこちらをしばらく眺めると、つかつかと近寄ってきた。
歩きながら繰り返す。
「健やかなる時も! 病めるときも! 互いに真心を尽くして尽くして尽くして――」
シェロの前に来ると再び息を吸う。
「尽くしまくることを誓いますか!」
「いや、俺は誓わんし……」
どうしようもない心地で返した。
目の前に立つと、頭一個分以上背丈に違いがあるため見上げる格好になる。
顔の彫りは深く、岩のように険しい。身体もそれに見合った分厚い筋肉に包まれている。
「誰だよあんた」
「我が名はコーゼン、神父である」
妙な風格を漂わせて腕を組みながら宣言する。一陣の風が吹き、神父の聖服のすそをはためかせた。
496 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:40:57.53 ID:0NzTE2lA0 [265/271]
「コーゼンさぁん!」
「うむ!」
カシスが歓声を上げて神父に飛びつく。神父はそれを余裕を持って受け止めた。
「聞いてくださぁい! そこのモグリさんが法の抜け穴を使ってボクを騙そうとしたんですぅ!」
「それはいかん! そこのお前!」
神父がシェロを見る。
「犯罪は身を滅ぼすぞ!」
「知らんし」
「ぬう、シラをきるつもりか!」
「違うし」
大柄な神父との対照で、抱えられたカシスがえらく小さく見える。二つの責めるような視線がシェロをたたいた。
(なんで俺はこんな珍妙な目にあってるんだよ……)
ふらりと視界がゆれるのを感じ、身を任せて振り返る。
499 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:42:38.85 ID:0NzTE2lA0 [266/271]
「どこ行くんですかぁ?」
後ろからの声に重い足を踏み出しながらゆっくりと答える。
「村を出る」
そのまま歩き続けた。
「ちょっと待ってくださいよぉ」
だが追いかけてきたのは声だけで、シェロを止めるつもりはないらしい。
代わりに。
「あ、もうちょっと右ですぅ」
意味はわからなかったので無視して歩を進めた。
が。
ずん!
地響きに自然と足が止まる。
「は?」
右方を見やると、まず目に入ったのは地面に突き立った太い木材だった。
よく見ると横に何本も木材が並んでいる。檻のように見えた。
下部を見ると、地面に突き刺さるようにしっかりととがらせてある。先ほどの落下音からかんがみるに総重量はかなりのもののはずだった。
500 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:44:10.49 ID:0NzTE2lA0 [267/271]
「外れちゃいましたかぁ」
ゆっくりと振り返る。神父の腕から下りたカシスが残念そうな顔でこちらを見ていた。
こちらの視線に気付いて手を上げる。
「あ、ボクですぅ。どうせ逃げると思って仕掛けさせていただきましたぁ」
檻の上部には縄が取り付けてあり、見上げるとどうやら道の脇の高木に伸びているようだった。
これを仕掛けたのはカシスらしい。
「殺す気か!?」
「そんなわけないじゃないですかぁ。あんまり」
「説得力が全くない!?」
実際、一歩間違えれば檻のふちに押しつぶされていた。
叫ぶこちらにカシスが手をぐっと握ってみせる。心持ち眉を険しくして。
「でも、あれです。結婚のためなら命をかけますよ、ボクは」
「他人様の命をかけるな!」
シェロは吐き捨てると、二人に背を向け一目散に逃げ出した。
後ろ二人は追いかけてくる様子はなかったが、
「絶対逃がしませんからねぇ~」
可愛らしい声だけがシェロの背中にタッチした。
503 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:46:43.09 ID:0NzTE2lA0 [268/271]
※
規則的に足音が刻まれる。風が耳元で渦を巻く。
昼が近いせいか道に並ぶ家々からは、生暖かい匂いが流れ出していた。肺にそれらが押し寄せ、むせるような心地になる。
シェロは教会から伸びる通りの一本を走っていた。通りには誰もいない。
この道をまっすぐ行けば村の出口にたどりつけるが、先ほどのトラップを考慮するにそう簡単に村を出ることはできないはずだった。
見上げる。道の脇には何本か先ほどと同じように高木が生えていた。目の届く範囲にはトラップはない。しかし、一応道のはしを避けて中央に寄った。
のだが。
「あだぁっ!」
唐突に足に激痛を感じて転倒する。
右足に目をやると、トラバサミが足をがっちりと挟んでいた。
自分のうかつさに舌打ちする。上にばかり意識がいっていて気がつけるものも気がつけなかった。
鉄の顎を両手でつかみ、気合とともに一気に外す。
鈍い音を立ててトラバサミが開いた。
504 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:48:15.18 ID:0NzTE2lA0 [269/271]
「我は癒す斜陽の傷痕……」
次いでトラバサミの歯でついた傷を魔術で治す。
「この……」
悪態をつきながら、立ち上がった。
――そのまま後ろに飛び退る。鼻先を高速の何かが掠めていった。それはそのまま民家の壁に突き刺さる。
(クロスボウ……!)
正体を見極めたところで視界が激しく回転する。ひっくり返る視界。混乱して手を振り回すが何もつかめなかった。
しばらく揺さぶられて、ようやく逆さづりになっていることを把握する。
舌打ちしそのまま抜刀、左足首を捕らえた縄を切り裂いた。地面で受身を取る。
立ち上がって見上げると、そばの木の上に縄が伸びていた。
確認が終わり、納刀したところで後ろからの衝撃に倒れこむ。
訳がわからず身体をひねると自分が網の下にいることに気付いた。投網だ。
506 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:49:29.66 ID:0NzTE2lA0 [270/271]
何とか這い出し、警戒しながらゆっくりと立ちあがる。辺りを見回すが、とりあえず猛攻は終わったようだった。
「どうやらあいつは本気らしいな……」
本気の方向性がちょっぴりずれているような気もするが。
汗をぬぐい、足を踏み出した。
とたんに目の前が真っ白になった。平衡感覚が完全に失われる。なにやらもみくちゃにされ、耳元で轟音と叫び声が聞こえる。
大きな衝撃が一つ脳天に届き、それは止まる。自分の声だと気付いたのはすぐ後だった。
轟音の余韻とともにぷすぷすと音が聞こえる。焦げているのはシェロの革鎧だった。
地面にうつぶせに倒れ、自分でもよくわからないことをつぶやきながら地面を引っかいている。
ふらふらと顔を上げると自分を中心に地面に焦げ後がついていた。爆発系のトラップだったらしい。
「……」
爆音をいぶかしんでか、通りに並ぶ家々から住民が顔を出していた。
道に倒れるシェロを、何事かという目で見ている。
507 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:50:37.64 ID:0NzTE2lA0 [271/271]
そして、地響きが聞こえた。
「そぉか……」
つぶやいてシェロは立ち上がった。体の節々が痛むのでゆっくりと。
「あいつ、俺が無事かどうかはどうでもいいってか……」
地響きがどんどん大きくなる。それは来た道から聞こえてきた。
「というか、あれだろ。実は俺を困らせて楽しんでるだけだな?」
あてずっぽうで言っただけだが、案外間違ってもいなような気がした。
音は最高潮まで高まり、通りの向こうに砂埃が舞っているのが見える。
「だったらよ……」
そしてその中にについに地響きの主が姿を現した。
牛。その大群。なぜかは知らないがこちらを目指して一直線に突進してくる。そんなことも当然と思いえるようになった。
シェロは大群に向かって手を掲げた。叫ぶ。
「相応の被害は、覚悟しやがれぇっ!!」
魔術構成が一瞬にして展開され、魔力が注ぎ込まれることで威力となる。発生した衝撃波はまっすぐに牛の群れに突き進み、正面から衝突すると先頭の十数頭を弾き飛ばした。
それでも。数十頭の牛の群れ全てを止められるわけがない。シェロは潔く身を翻すと、出口に向かって走り出した。
509 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:00:11.72 ID:M3YPm9i60 [1/50]
※
牛の足は速い。先頭は崩したものの、それでも持ち直した牛たちはシェロの背後に何度も迫った。そのたび角を曲がる、魔術を撃つ。そうしているうちに遠回りながらも何とか撒いたようだった。
ため息をつく。民家はまばらになり、五十メートルほど先に、出口が見えた。もう村からの脱出は成功したようなものだったが、それでもさっきまでのことを考えると油断はできない。
「……」
ゆっくりと足を踏み出す。とたん目の前をクロスボウの矢が高速で飛び去った。
ここで止まることもできた。しかし。
(あえて! 前に出る!)
地面を力強く蹴りはなす。それを待っていたかのように上から下から、右から左から、ありとあらゆるトラップが襲い掛かってきた。
511 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:03:37.00 ID:M3YPm9i60 [2/50]
クロスボウの矢をかがんで避け、トラバサミを跳び越える。ロープ式のトラップは発動前に斬り飛ばした。飛来するトリモチは魔術で防ぎ、なんとか前進だけは途切れさせない。
突如足元が爆発する。しかしこれは大体予測していた。前方に身体を投げ出し勢いで転がる。そのまま起き上がると止まることなく疾走を再開した。
「おおおおおおおおおお!」
耳元で風がうなる。背後でいくつもの激突音が重なる。体温が急激に上がり、額から汗が噴出した。疲れは感じない。体が軽くなるのを感じる。
そして。
シェロは村の出口に滑り込んだ。
「……っ……っ」
呼吸がひどく乱れていた。必死で落ち着けて立ち上がる。村を出たからといって油断はできなかった。早くここから遠ざからねば。
さっと辺りを見回して――その視線が一点で止まった。
「……」
そこに最後のものと思わしきトラップがあった。
513 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:05:18.27 ID:M3YPm9i60 [3/50]
立っている人一人をすっぽりと閉じ込めてしまえそうな巨大なかご。それが突き立った木材に立てかけられている。木材にはロープが括り付けられ、ロープは近くの茂みに伸びていた。
「……我は放つ光の白刃」
光熱波がそれを跡形もなく吹き飛ばす。
「あー、何するんですかぁ!」
「やかましい!」
茂みから飛び出してきたカシスをシェロは怒鳴りつけた。
「さっきからなんなんだお前は! 俺を殺したいんだかおちょくりたいんだかはっきりしろ!」
「ボクはいつだって本気ですぅ!」
頬をぷっくりと膨らませてカシスが言う。
「本気でモグリさんと結婚しますからぁ!」
空気の抜けるような音が聞こえた。しばらくして、シェロはそれが自分のため息だと気付いた。
深い深いため息。
「よぉーし、わかった」
どうやら覚悟しなければならないようだった。
517 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:09:16.92 ID:M3YPm9i60 [4/50]
いくつか破壊的な構成を組み上げながら告げる。
「どうやら、俺は、お前を、全力で、相手しなけりゃいけないようだ」
思い切りドスをきかせたのだがしかし。
「そ、それって……」
なぜかカシスは目を輝かせた。
「結婚オーケーってことですね!」
「違う!」
「やったぁ!」
「違うっつってんだろ!?」
そのとき、シェロは完全に油断していたのだ。
カシスに詰め寄ろうと踏み出した足が。
「!?」
突如沈んだ。
518 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:11:29.77 ID:M3YPm9i60 [5/50]
足が地面を失い、重力にしたがって身体が落下する。悲鳴を上げる暇さえなく全身を襲う衝撃。受身すら取れなかった。顔面を打ちつけうめく。
立ち上がり、そこが大穴の底であることに気付いた。二メートルほどの円柱型。高さは三メートルほどか。
舌打ちする。単純なトラップだが完全にしてやられた。
「おい!」
呼びかけても返事はない。とりあえずジャンプするが助走もなしに届くはずもなかった。
諦めて重力中和の構成を編み始める。
とそのとき地を蹴る音がし、ふと頭上に影が落ちた。カシスかと思い見上げる。それは。
「のおおおおおおお!?」
牛の腹。追ってきていたらしい牛の一頭が、穴の中に落ちてきた。
悲鳴を上げる。構成を編みなおす暇がない。
結果。全く無防備にシェロは牛に押しつぶされた。
519 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:15:34.02 ID:M3YPm9i60 [6/50]
※
やさしく闇がゆれる。それはゆりかごのように彼の身体を包み込む。やわやわと。ゆらゆらと。
生命の起源にも近いかもしれないその場所で、彼の意識はそよ風の中のようにまどろんだ。心地よい香りがあたりに漂っている。
その中で声を聞いた。遠くから、近くから語りかける柔らかな声。微笑むように、からかうように。
「シェロ」
……ハル?
ふとそんな名前が頭に浮かぶ。何か大事な名前だったはず。
「シェロ」
ああ、間違いない。
「シェロ」
そんなにせかさなくても今行くよ。
暗闇の中で手を伸ばす。
目を、開けた。
522 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:18:07.81 ID:M3YPm9i60 [7/50]
※
「大丈夫ですかぁ、モグリさん」
「うん、予想はしてた」
げんなりと言う。
開けてすぐは光に目が眩んでよく見えない。しばらくして、ようやくここが建物の中であることがわかる。その床に寝かされていたらしい。上体を起こした。こちらにかがみこんでいたカシスが顔をどける。
額に手を当てた。頭が痛んだ。というか首が痛い。牛に押しつぶされたことを思い出す。よく生きていたものだと感心するが、幸運に感謝することもできずうんざりとうめいた。
と。
「健やかなる時も!」
突如声が響く。首をめぐらした。またかと思いながら。
「病めるときも!」
神父がいた。十字架を掲げる壁の前に。
「互いに真心を尽くすことを誓いますかっ!」
教会だ。カシスにつれてこられたあそこにまた逆戻りさせられたらしい。
524 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:20:28.46 ID:M3YPm9i60 [8/50]
「誓いますぅ」
隣で声を上げるカシスを半眼で見やる。目に入ったのは純白の輝きだった。白いシンプルなデザインのドレス。見たままを言えば――言いたくもないが――、ウェディングドレスのようだった。
ついで自分の身体を見下ろす。こちらも白い。白の、タキシード。
「……」
理解は一瞬。判断も同じく一瞬。そして行動も一瞬だった。
シェロはすばやく立ち上がり、いや、立ち上がりきる前に床を蹴った。前回り受身で今度こそ立ち上がる――ふりをしてさらに地を蹴る。瞬きする間に出口にかなり近づいている。
(よし、これで!)
ようやく立ち上がりきると同時にシェロは出口に手を伸ばし――首に衝撃を感じてひっくり返った。息が止まり、血液がめぐる音が耳元で聞こえる。仰向けで激しく咳き込んだ。
527 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:22:40.89 ID:M3YPm9i60 [9/50]
「逃げちゃだめですよぉ」
近づいてくる声に危機感を覚え、すぐさま身を起こした。そして理解する。
シェロの首には赤い首輪がはめられていた。そして伸びる紐。その反対側の先をつかむ神父。
「俺は犬か!」
怒りに任せて叫ぶが、カシスは相変わらずひるんでさえくれない。
とりあえず紐を切り飛ばそうと抜刀しかけるが、
「ふんぬ!」
神父の声とともに再び首に衝撃を感じて転倒し、そのまま引きずられる。
信じられない膂力だった。抵抗もできず、なすすべもなく床に頬をこすりつける。悲鳴ぐらいは上げたかもしれない。
ようやく停止しふらふらと身を起こすと、今度は神父にがっちりと羽交い絞めにされる。
あわてて暴れるも、既に押さえ込まれた後だった。
529 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:25:17.95 ID:M3YPm9i60 [10/50]
「モグリさぁ~ん」
甘ったるい声が聞こえた。地獄の血の池のようにどろりと甘い声。シェロは喉の奥から痙攣したように息が漏れるのを感じた。
「やっとおとなしくなりましたねぇ」
細く長い指がそっとシェロの頬をなでる。
「誓いのキスをっ!」
背後から張りのある声が宣言するのを絶望的な心地でシェロは聞いた。
「それでは遠慮なくぅ!」
そういって一気に顔を寄せてくるカシスは、見とれてしまうほど可愛らしかった。男であることを忘れていれば受け入れてしまっていたかもしれない。
だがそれでも。思い出す顔があった。
『あんたについてってあげる』
530 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:28:15.32 ID:M3YPm9i60 [11/50]
身のうちから、熱い何かがこみ上げてくるのを感じる。
「俺は!」
シェロはそれをそのまま言葉として吐き出した。
「ハルが!」
ついでに魔術構成も解き放つ。
「好きだぁぁぁぁぁっ!」
その言葉を引き金に、白い光が視界を埋め尽くした。
532 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:29:28.41 ID:M3YPm9i60 [12/50]
※
夕方の赤い光が村の中央、教会の残骸の山を照らし出した。大きくも小さくもなかったそれは今は見る影もない。黒くこげた部分が弱弱しく煙を上げていた。
しばらくして山の一角が崩れ落ちる。
顔を出したのは、あちらこちら破けたウェディングドレスを身に着ける小柄な人影だった。
「ふぃ~」
その人影――カシスは大きく息を吐き出して背伸びをした。
それから辺りを見回してため息を一つつく。
「逃げられちゃいましたねぇ……」
さほど残念そうでもない様子だったが。
536 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:00:23.59 ID:M3YPm9i60 [13/50]
少し歩いて目的のものを見つける。山から突き出た太い足。それをつかんで引っ張った。
「コーゼンさーん、大丈夫ですかぁ」
返事はない。びくともしないので、引っ張り出すのはとりあえず諦めた。だがどうせ無事だろうとも思った。以前台風で大勢が怪我をしたときも、よりにもよって外にいた彼はなぜか傷一つなかったのだし。
「モグリさんはどっちに行ったんでしょうねぇ」
どちらに行ったにせよ、今からでは追いつくのは難しいだろうと思えた。
だがそれでも。
「絶対に諦めませんからねぇ! ボクはモグリさんと結婚するんですから!」
カシスは拳を固めて力強く宣言した。
その目の前を轟音を立てて牛の群れが通り過ぎる。
追いかけられている村人が悲鳴を上げた。
「……」
カシスは少し考え……とりあえずめんどくさそうなことは無視することにした。
537 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:01:36.57 ID:M3YPm9i60 [14/50]
短編:僕らはかつて修羅場だった
~了~
538 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:03:57.28 ID:M3YPm9i60 [15/50]
残り短編三つ
合計三十四レス
予想所要時間二~四時間
540 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:16:06.24 ID:M3YPm9i60 [16/50]
短編:旅の途中で
542 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage>>539いろいろ無問題] 投稿日:2010/04/11(日) 01:21:15.41 ID:M3YPm9i60 [17/50]
遠くに山が見える。キエサルヒマ大陸の南半分、その中央に位置するアイーデン山脈である。先端に真っ白な雲が引っかかっていた。空は快晴、うららかな午後の日差しが降り注いでいる。風は南西からやさしく通り過ぎていった。
なだらかな平原。腰までの高さの草が風に揺れている。その中に土肌を見せた道があった。
そこを東に向かって歩いている人影が二つ。
一人は黒髪の男。中肉中背で革鎧を身に着けている。首には勇者の村出身を証明するペンダント。背中に野営のための大荷物を背負って、うつむき加減に歩いていた。
もう一人は背中に長い金髪をたらした女。黒の三角帽を被り、身には同じく黒のローブをまとっている。こちらは特に荷物といった荷物はなく、手に金属製の杖を持つのみである。
544 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:24:46.73 ID:M3YPm9i60 [18/50]
男のほうが心底疲れたと言いたげな声を上げた。
「なあ、ハル」
ハルと呼ばれた女が振り向く。
「なあに、シェロ」
シェロと呼ばれた男は、額に汗を浮かべながら背中の荷物を示した。
「そろそろ交代、じゃないか?」
「まだね」
ハルは即座に返す。
「まだ一時間も経ってないわよ。もう音をあげたの」
「確実にその倍は経ったと思うが……」
そのままシェロは立ち止まって荷物を道の脇におろした。
545 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:28:40.77 ID:M3YPm9i60 [19/50]
「ちょっと」
それを見てハルが抗議しかけるが、シェロにさえぎられた。
「女のお前にこんな大荷物を持てなんて言わねえよ、やっぱり俺が通しで持つ。でもよ、休憩くらいは認められるべきだろ」
言って荷物の上に座り込んだ。
ハルはしばらく考えこんだが、諦めて道を挟んでシェロの向かい側に腰をおろした。
「ふぅ――……」
シェロのため息を風がさらう。
547 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:34:40.61 ID:M3YPm9i60 [20/50]
ハルは空を見上げた。二度目の風が吹いた。先ほどよりも強い風。土ぼこりを舞い上げて通り過ぎる。それを目を瞑ってやり過ごした。
風が収まるのを待ち、顔を空から戻して目を開けると。茶色い帽子が視界に入った。
「え?」
茶色の帽子。それは単体でそこにあるのではなく。
「誰?」
「……」
少年は無言だった。無言でそこにいた。シェロとハルに挟まれる位置に、つまり道の真ん中に、シェロのほうを向いて。
白いシャツに茶色のベスト、紺のズボン。頭にはさきほどの茶色の帽子をかぶっている。
シェロを見ると、彼も訳がわからないというように目を白黒させていた。いわく、「いつの間に」
シェロが荷物から立ち上がって少年に向き合う。少年から特に剣呑な雰囲気が漂ってくるというわけでもなかったが、シェロの身体が軽く緊張しているのが見て取れた。無理もない。少年が気配も感じさせず現れたとあっては。
「何だ、お前」
「……」
少年はやはり無言だった。
548 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:37:32.67 ID:M3YPm9i60 [21/50]
「どこから来た?」
シェロのそれは愚問だったかもしれない。
ハルたちは見通しのよい一本道を歩いてきた。行く道にその姿は見えなかったから、来た道をこちらに気付かれないように前の村からついてきていたことになる。もしくは草むらを這ってきたかだ。
少年の服は汚れていないし、必要性を考えても前者だろう。もっともそれにしたところで不可解ではあったが。
「……連れて行ってほしい」
唐突に聞こえてきた声にハルは驚く。ぼそぼそとした少年の声。
「……どこに?」
シェロが聞くが、
「……」
少年は今度は無言だった。
552 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:42:21.55 ID:M3YPm9i60 [22/50]
それから数十分後。ハルとシェロは少年を後ろにつれて歩いていた。
「いいの?」
シェロにささやく。
「……仕方ないだろ」
あれからシェロがいろいろ少年に訊ねたのだが、無言かもしくは連れて行ってほしいと言うのみで会話が成り立たなかった。名前すらわからない。ただ、置いていくにも振り切るのは難しいし、この近辺では危険な獣も出ないではないのでついてくるに任せている。
「……」
少年は相変わらず無言を貫いていた。
554 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:00:37.42 ID:M3YPm9i60 [23/50]
※
さらに数時間後。日が大きく傾きその色を紅に転じたころ。ハルたちはテントを道の脇にテントを張った。草を刈り、焚き火の用意をする。
手伝いを期待したわけではないが、少年はそのときはどこかに姿を消していた。
夕食は干し肉。火であぶってかじっていると、なにやら木の棒を持って少年が戻ってきた。目で問うが、少年は無視した。
ハルが干し肉を勧め、少年は無言でそれを受け取り、食べる。
日が落ちて暗くなって。ハルはテントに入り、シェロがはじめに見張りをする。少年にも寝るように言ったのだが、これも無視された。
テントの中で、ハルは眠れず何度か寝返りをうった。外からは焚き火が燃える音と、虫の鳴き声が聞こえた。
そしてシェロの声。
556 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:04:28.36 ID:M3YPm9i60 [24/50]
「どうしてそんなことをやっているんだ?」
そんなこと、とは少年が食事が終わった後始めた木の棒での素振りのことだ。なぜだかは知らないが、熱心に振っていて、今現在もやっているのだろう。
「仇」
ぼそりと少年が答えるが聞こえる。
仇。そのままの意味で取るなら、仇討ち。そのための特訓ということか。
「誰の」
「……」
だが、これは無視されたようだった。二度問う声は聞こえない。沈黙が落ちた。
「……」
やはり眠れない。ハルは仕方なく見張りの交代を申し出るため身を起こした。
558 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:08:33.68 ID:M3YPm9i60 [25/50]
※
同じような日が何日か続いた。つまり、日中は三人で街道を東へ向かい、夜は同じように野営をする。
その日はハルが最初の見張りだった。
焚き火がゆらゆらと燃える。少年は木の棒を振るう。ハルはそれを横目で見ていた。これが日課になりつつあった。
少年は一時間ほど棒を振るい床に就く。それまでは空気を打つ音が辺りに響く。
炎を見るのにも飽きて、ハルはずっと気になっていたことを少年に聞くことにした。
「あんた、親御さんは心配しないの?」
少年は珍しく棒振りをやめて、こちらをちらりと見た。
「……」
そのまま素振りを再開する。無視されたかと思ったが、
「……いない」
いない。親に捨てられたか、親が既に亡くなっているか。どちらにせよ深く聞けるようなことではなかった。
だがもし、親が死んでいるとするならば。仇討ちとは親に関係しているのかも知れない。
560 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:13:33.21 ID:M3YPm9i60 [26/50]
※
次の日の昼。少年と出くわしてから五日目。三人は前日と同じように街道を東に歩いていた。少年は相変わらず何を考えているのかわからない顔で、木の棒を引きずりながら後ろをついてきている。
次の町が近い。そんなときのことだった。
ハルは寒気を感じて振り返った。シェロは疑問符を浮かべてそれを見、すぐに気付いて表情を引き締める。少年は二人の様子をいぶかしげに見て、同じく気付いて後ろを向いた。
がさり。
後方の草むらが明らかに風とは関係なくゆれた。距離は七歩ほどか。音に引き続いてその主が正体を現した。
茶色と黒の毛並み、爛爛と輝く目、かすかに覗く牙、そして口の脇の大きな傷跡。大型の肉食獣がそこにいた。
「……」
緊張が走った。
「シェロ……」
「ああ……」
二人は視線を交わしゆっくりと後退を開始する。何日かの野営で体力を消耗していた。まともにやりあうのは分が悪い。町も近いのでそこに逃げ込むのが得策に思えた。
しかし。
561 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:19:39.10 ID:M3YPm9i60 [27/50]
「おい、お前……!」
シェロの声。見ると少年が一歩前に出て木の棒を正眼に構えていた。どういうつもりかは明白だった。
「やめろ!」
少年はシェロの制止には応じず、むしろその声を合図に飛び出した。ハルの頬を汗が伝う。荷物の落ちる音がした。
そして肉食獣の地を蹴る小さな、小さな音。
組み伏せられると見えた少年の身体は、突如後ろからシェロに抱きかかえられ地面を転がった。肉食獣の爪が目標を失って空振りする。
そしてハルはその隙を見逃さなかった。
「赤の刺激!」
肉食獣の足元に炸裂した熱衝撃破が激しく地面を揺らす。驚いた肉食獣は草むらに姿を消した。
それでも警戒は解かない。その草むらに手を掲げて、さらに魔術構成を編む。
「放せよ!」
そのとき聞きなれない大声が響いた。まだ幼さの残る声。少年の声だった。
562 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:23:07.88 ID:M3YPm9i60 [28/50]
見ると、少年がシェロの手を振り払って草むらに飛び込もうとしていた。
「馬鹿野郎、何言ってんだ! 危険だぞ!」
シェロが少年の肩をつかんで必死に止めている。少年の帽子がはらりと落ちた。
「あいつが仇だ! あいつを殺さなきゃ!」
仇。仇討ち。そんな単語が頭の中で踊る。そして先ほどの肉食獣。
はっとして視線を草むらに戻すが、肉食獣は戻ってきてはいないようだった。
「何のことだかよくわからないがお前には無理だ!」
「できるできないの問題じゃないんだ! 母さんの仇なんだ!」
少年はシェロをキッとにらんだ。シェロはそこで言葉に詰まったようだった。声が途切れる。
「……お前が死んだら母さんは悲しむぞ」
「それがどうした! あいつを殺さなきゃ僕の憎しみは止まらない!」
「あの獣だって何もお前の母さんが憎くて襲ったわけじゃないだろう」
少年はその言葉に視線を険しくした。
「そんなの僕には関係がない! あいつが母さんを殺したその事実だけで十分だ!」
「だが……」
「お前はそれでいいのか!」
唐突に矛先が変わり、シェロは驚いたように黙った。
563 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:25:55.87 ID:M3YPm9i60 [29/50]
「お前はそれでいいのか!」
少年は繰り返す。シェロは答えない。
「お前だってそうじゃないか! お前だって僕と同じじゃないか!」
シェロは答えない。
「お前はそれでいいのかっ!」
少年の声に呼応するように突風が吹いた。土ぼこりを舞い上げ、通り過ぎる。ハルは目をつぶった。
そして再び目を開けたときには。
「あれ……?」
少年はどこにもいなかった。
「……」
そして。ハルの視線の先でシェロは押し黙って立っていた。
565 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:30:43.22 ID:M3YPm9i60 [30/50]
そのあとは特に会話はなかった。狐につままれたような心地のまま次の町につき、とりあえず旅のための買い物をした。
それが終わってしまうと特にやることがなく、町をぶらぶらと散策する。その途中であまり広くない墓地を見つけた。なんとなくで入ってみることにした。
整然と並ぶ墓標。その間をゆっくりと歩く。ふと自分が死んでしまった後のことを夢想した。墓標の下で静かに、静かに呼吸する自分。まだまだずっと先のことかもしれないし、案外すぐかもしれない。
「あ」
それは唐突に目に入ってきた。
墓標にかかる茶色い帽子。風雨に汚れくすんでしまってはいたが見覚えがあった。
「ねえ、これ」
「……ああ」
シェロも立ち止まってそれを見ていた。
あの少年がかぶっていた帽子。
墓標に近づく。だが文字はかすれてしまって読めない。
566 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:35:04.09 ID:M3YPm9i60 [31/50]
沈黙が落ちた。シェロがその場を離れる。しばらくして戻ってきたシェロは手に小さな花を持っていた。
「どうしたのそれ?」
「……落ちてた」
「そういうのは落ちてたっていわないでしょ」
笑う。
シェロは墓標の前に花を置くと、長いこと目を瞑った。長いこと長いこと。そして空を見上げる。こちらからはその表情は見えなかった。
それからシェロは口を開いた。
「……行こうか」
「ええ」
連れ立って墓地を後にした。
※
なにか深い理由があったわけではないし、自分でもよくわからないが。ハルがシェロのことを、いいな、と思ったのはこのときのことである。
567 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:38:52.21 ID:M3YPm9i60 [32/50]
短編:旅の途中で
~了~
569 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:00:31.32 ID:M3YPm9i60 [33/50]
短編:勇者の来歴
570 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:07:03.98 ID:M3YPm9i60 [34/50]
あれは十年ほど前、俺がまだ現役できこりをやっていたころの話だ。当時はまだまだ元気で力もあったからな、十分木で食っていけたよ。今だってそんなに落ち込んだわけじゃないが、あのころは木材が今よりずっと良い値で売れて……
いや、そんなことはどうでもいいやな。今からするのはそんな話じゃない。本題は、俺が出会った不思議な坊主のことだ。
あいつと出会ったのは森の中だったよ。夕方だった。俺はたしか、そのときは切り倒した木の枝を取り除いていたんだった。ふと顔を上げて振り向いたら、あいつが気配もなく立っていたもんでたいそう驚いた。
「なんだ、お前は」
そいつの身なりはなかなかにひどいもんだった。着ている服はところどころ破れ、半分泥やらほこりで汚れていた。
「……」
俺の問いかけには全く答えなくてよ、始終無言だった。ただ、帰るところを聞いたときは、
「……ない」
それだけつぶやいて首を振った。
571 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:10:23.71 ID:M3YPm9i60 [35/50]
これはただの迷子じゃねえなと俺は気付いた。今は小康状態にあるが、戦争孤児ってこともありえる。厄介ごとはごめんだったが、かといって森に残していくわけにもいかねえ。仕方なくついてくるように言ったよ。
村に帰って風呂に入れて着替えを用意してやった。そのときあいつが勇者の村のペンダントをつけているのが見えた。そのときは知らなかったんだが、勇者の村はそのとき既に壊滅していたらしいな。だから、あいつは見立ての通り孤児だったわけだ。
だがそのときは、なぜあんなところに勇者候補さまがいるのかわかんねえから、飯を食わせて聞いてみることにしたんだ。
「お前、勇者の村の出身だろ?」
「……」
あいつ俺のことにらみやがった。
話したくない様子だったんでとりあえず今日のところは寝かせて、明日村長のところに行くことにした。
んで次の日だ。前日に決めたとおり村長のところに連れて行った。村長もまだ勇者の村が壊滅したことを知らなかったみてえだな。坊主に当たり障りない質問をして、返事が返ってこないのに困り果てた。それでも諦めず会話を試みて失敗し最後には、
「君、この子を数日預かりなさい」
俺に丸投げしやがった。
572 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:14:52.85 ID:M3YPm9i60 [36/50]
預かるって言っても具体的に何日預かるかもわかんねえから俺はもちろん抗議した。俺はこいつの知り合いですらない、ってな。
村長いわく、
「君のとこからの買い付け減らすよ」
俺はしぶしぶ坊主を連れて帰った。
それから十数日そいつを泊めることになるんだが、俺はただでそうしてやるほどお人よしじゃない。坊主にも仕事をやってもらうことにした。持ちつ持たれつってやつだ
山に連れて行き、俺は木を切り倒す。坊主はその木の枝を取り除く。
坊主は意外にもまじめに仕事に取り組んだ。手際よく次々仕事をこなしてくれたよ。
で、まあそれは良かったんだが少々奇妙なことがあった。仕事がひと段落すると休みを入れるんだが……
「何してるんだお前」
坊主のやつ、どこから見つけてきたんだか棒を振り回して遊んでやがった。いや、遊んでたのとは違うな、あいつの目は真剣だった。
「……」
まあ休みの間だけだし、俺は止めなかった。
ピュン、ピュンと空気をたたく音が休みの間中響いていたよ。
573 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:21:08.44 ID:M3YPm9i60 [37/50]
そんなのが何日も続く。
坊主の日課は止むことなく続いた。それどころか、奇行はさらに増えた。
「我は放つ光の白刃!」
なんだそりゃ。
坊主は構えるように――実際何かの構えだったんだろうけど――両手を前に突き出し、森の奥に向かって叫んでやがった。なかなか通りのいい声で、お前それならもっとしゃべれよと少しあきれた。
「我は放つ光の白刃!」
声だけが森の奥に響き――しかしそれだけだった。まさかただの発声練習だったわけねえんだろうが、それで何か起きるというわけではなかった。
574 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:25:57.44 ID:M3YPm9i60 [38/50]
毎日毎日休みになるとそんなことを繰り返す。俺はちょっと不気味さを覚えたね。あいつ、あんなふざけたようなことをやっているのに目は真剣、顔は大真面目なんだよ。だからなんていうのかな、鬼気迫る? そんな感じだった。
「お前、なんでそんなことをやっているんだ?」
一度問いかけたことがある。あいつが素振りをしているときだ。もちろん返事は期待しちゃいなかったんだが、
「仇」
ボソッとあいつが言うのが聞こえた。俺はもちろん続けて聞いたさ。
「誰の」
「……」
それには答えなかった。
575 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:30:31.01 ID:M3YPm9i60 [39/50]
ある日のことだ。いつもと同じように俺は木に斧をたたきつけていた。最後の一打で木がみしりと音をたて、それからゆっくりと倒れていく。轟音を立ててそれが倒れきり、俺はようやくため息をついた。
とそのとき、俺は視界の端に違和感を覚えた。何か森の色とは違うものが見えた気がしたんだな。何かいやな予感がしてゆっくりと視線を移した。
いた。明らかにマズそうなのが。
人型だが、人間にしては背が異様に高い。そして身長と同じくらい横幅もある。体表はくすんだ青と灰色が混じったような色。ほとんど裸で申し訳程度に腰巻を身に着けていた。人間に似てはいるが全く別のもの。魔族だ。
俺は冷や汗をたらしながら慎重に後退した。魔族は知能が足りなさそうな目でこっちをぼんやりと見ているだけだった。これなら穏便にすませられるじゃねえかなと思ったよ。
だが、坊主は見事にそれをぶち壊してくれやがった。俺がそばまで後退して魔族の存在を知らせると、あいつは木の棒を持って立ち上がった。
「おい……!」
静止は聞きゃしなかった。あいつは一気に魔族に駆け出すと、棒を振り上げた。
突如あがる気合の声。少年にしてはひどく獰猛な響きで、俺は背筋があわ立つのを感じた。
576 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:35:15.44 ID:M3YPm9i60 [40/50]
木の棒は見事魔族の腹に命中したが、効いている様子はなかった。
ただ眠そうな目で坊主を見、そのまま腕を振り上げやがった。次にどうするのかわかって俺はあわてた。あの野郎、坊主を叩き潰すつもりだ。
勢いよく腕が振り下ろされた。地をたたく音が辺りに響く。俺は坊主はもうだめだと思った。押しつぶされてお陀仏ってな。
だが、あいつはちゃんと避けてたんだ。そしてもう一発木の棒を叩き込む。さらにもう一発。
さほどのダメージじゃないんだろうが、魔族の野郎の様子が変わった。眠そうな目が鋭くなった。怒ったんだろうな。再度の腕の振り上げは先ほどよりもすばやかった。
「おい坊主、戻って来い! 逃げるぞ!」
俺の声には全く耳を貸さず、あいつは魔族から距離を取った。そして立ち止まって目を瞑る。俺はあせった。こんなときにいったい何をやっているんだってな。あまり危険なまねはしたくなかったんだが仕方ない、足を踏み出す。
だが次の瞬間ぞくりと身の毛がよだつのを感じて足を止めた。坊主のほうからとてつもない圧迫感を覚えたんだ。何か明確な危険信号があったわけじゃねえ。ただあるかどうかもわからない本能があぶねえって叫んでた。
577 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:40:27.68 ID:M3YPm9i60 [41/50]
魔族が坊主に向かって突進する。巨体に似合わぬすさまじい速度。俺はそれを“見ていなかった”。
ただ聞いていた。
「我は放つ――」
坊主が叫ぶ声を。力強い、宣言の声を。
「光の白刃!」
耳を劈く破壊の音。轟音が俺の頭を揺さぶり、俺は思わず膝をついた。光が視界を覆い何も見えなくなった。そのとき俺は初めて神に祈ったんだと思う。
しばらくして音が止んでいることに気付いた。光も消えている。
俺はうずくまって耳を押さえていた。恐る恐る顔を上げた。そこには。
倒れた魔族の身体だけがあった。俺が切り倒した木のそばに大きな身体を横たえていた。
死んではいないみたいだったな、腹がかすかに上下していたから。ただ気絶しているだけのようだった。
579 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:23:17.53 ID:M3YPm9i60 [42/50]
見回したが坊主の姿はなかった。まるで最初からいなかったみたいに姿を消してしまっていた。
そのとき俺はあいつの名前すら知らなかったことに気付いた。ただ呆然といつまでもそこに立ち尽くしていたよ。
そう。十年ほど前の今頃のことだ。
……その後魔族をどうしたかって? どうでもいいだろうそんなこと。適当にほっぽっておいたよ。
……坊主のその後? わからねえな。ただの推測になるが……やっぱり勇者にでもなったんじゃねえか。
ああそうだよ。世界を救う――大勇者様にな。
580 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:26:53.18 ID:M3YPm9i60 [43/50]
短編:勇者の来歴
~了~
581 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:32:09.62 ID:M3YPm9i60 [44/50]
短編かつ終章:全てを見下ろす場所で~霧の滝の白魔術士~
582 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:34:41.07 ID:M3YPm9i60 [45/50]
私はようやく全てを閲覧し終え、伸びとあくびをした。肉体を失って久しいが、この癖だけはいつまでたっても抜けない。儀式のようなものだった。
周りを見渡す。代わり映えのしない景色、色あせた本の山々。既に肉体を捨てた私には意味のないもの。それでも必要なもの。
時間と空間、精神を操る白魔術士の一人。それが私である。
ここ、『霧の滝』と呼ばれるどこかで精神体として世界のよしなしごとを横目で見ている。
彼らの物語もその一つ。
世界に対し興味という興味を使い尽くし、ありふれたことに倦んでいた私にはよい暇つぶしだった。
血沸き肉踊るとまではいかなかいのが実情であったが。
583 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:36:44.22 ID:M3YPm9i60 [46/50]
ミス
~とまではいかなかいのが→~とまではいかないのが
584 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:38:02.06 ID:M3YPm9i60 [47/50]
ただ興味深くはあった。
彼らの未熟さ、稚拙さは既に成熟してしまった私には新鮮で、懐かしさも覚えたのだ。
彼らは人と人のつながりにひたむきでどうにも青臭い。
だが、それが彼らを生かし、彼らを彼らたらしめているのだろう。
それが彼らを救ったのだ。
そんな彼らだから成し遂げられたのだ。
そしてそんな彼らだからこそ、これからの人生も力強く歩いていけるのだろう。
585 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:39:53.27 ID:M3YPm9i60 [48/50]
物語は終わりを迎えた。
とりあえずのところ。
しかしまた世界のどこかで物語は生まれるのだろう。そして死んでいくのだろう。
ほら、今日もまた
「出発するよ、駄目学者! 準備はできた!?」
「駄目は余計だ、魔王の娘の癖に口が悪いぞ!」
物語は生まれて死んでいく。
一瞬の輝きを放ちながら。
今度はどんな物語になることやら。
私は慎重にページをめくった。
586 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:43:53.61 ID:M3YPm9i60 [49/50]
短編かつ終章:全てを見下ろす場所で~霧の滝の白魔術士~
~了~
thank you for your reading,sien and criticism
587 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:46:52.37 ID:M3YPm9i60 [50/50]
どうも、ここまでお疲れ様。駄文をよくぞここまで読みきりました。
前回、前々回と見てくれていた人もいたようでとてもうれしかったっす。
そして支援してくれた人に猛烈なる感謝を。ありがとう。
つってももう誰もいないかね、まあいいや。
では今度こそへばな~ノシ
※思わせぶりエンドだが、VIPでは迷惑になるんでこれ以上は続かない。
というか続くかどうかもわからない。これ以上やると劣化オーフェン度がさらに高くなるから。
もし続くとすれば半年後くらいに創発か製速で、またはじめから投下するっす。
物語は二人の出会いから始まった
「……ようこそ勇者。遠いところわざわざご苦労であった」
「遠いところ? ハッ、魔王、お前を倒すためだ。多少の距離なんざ問題じゃねえよ」
彼らの出会いは宿命であり、必然であった
彼らはぶつかり、片方がもう一方を滅することで物語は終わるはずだった
――しかし
「我輩の手下になってくれ」
「我輩と一緒に世界を救ってくれ」
「我輩の名はニギという、お前の名は?」
「……シェロだ」
運命は動き出す
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:02:07.59 ID:cakGDzPu0
行く手を阻むものがあった
「やっと見つけたわよ!」
「やあやあオフタリさん。こんばんはと初めまして」
彼らは二人の道に立ちはだかった
どちらもあらゆる意味で強敵であった
「エセ勇者」
『やーい、弱虫シェロ、悔しかったら俺たちに勝ってみろ!』
自分の弱さもまた敵であった
彼らにまとわりつき、足を取ろうと窺っていた
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:03:41.70 ID:cakGDzPu0
旅路の途中、反発しあうこともあった
「お前は気に入らねえ! お前に一矢報いれるのなら――ここで死んでも本望だっ!」
「我輩はこの世界を守るぞ! それでも来るというならば――よかろう! 望みどおり殺してやる! 来い! シェロ!」
そして喪失
「“があああああぁぁあぁぁあぁぁぁぁ――――ッ!”」
「――結論から言う。……おなごはもう長くはないぞ」
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:05:21.16 ID:cakGDzPu0
『父上、母上!』
『あなたはわたしが絶対助けるわ!』
守りたいものに気付いた
「俺、世界を……ハルを救うよ。だから、俺に力を……」
「よかろう。共に行こう、シェロ」
最後まで歩こうと決めた
「他人の評価に敏感になるのはコストがいちいちかかる。優先順位を考えろ。でなければ大事なものがくだらないものより先に消えていくぞ」
そのために自分の弱さも乗り越えた
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:06:32.74 ID:cakGDzPu0
「世界の破滅への対抗戦線がいよいよ大詰めに向かう!」
物語は最終局面を迎える
「……俺ねえ、決めたんだ。俺があいつらを殺してやらなきゃいけないんだ。それが俺の最後の願いなんだ」
敵もまた、自らの運命を動かそうとしていた
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:07:40.20 ID:cakGDzPu0
「だから俺は今度はお前らに全てを賭けて挑戦する。……俺は勝つよ。勝たなきゃいけないんだ」
運命は交錯する
「お前たちの短くも苛烈な英雄譚! その最終局面で立ちはだかるのはやはりこの俺だ! 世界を救いたきゃ――俺を殺していけえ!」
そして……
「ついに世界の破局が始まったんだ! 『破滅の門』が開く……! お前らが成し遂げたかったことも、守りたかったものも全てここで終わりだ! 世界は、終わりだ!」
物語は終わったかに思えた
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:08:25.13 ID:cakGDzPu0
――声が聞こえた
『――しっかりしなさいよね、シェロ』
『――泣いてはいけませんよ、ニギ』
「うおおおおおおおおおおお――――ッッッ!!!」
「最後まで、諦めるか……!」
「最後まで、潰れるものか……!」
「世界を――」
「終わらせるものか!」
彼らは再び立ち上がる
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:09:09.73 ID:cakGDzPu0
「行くぞ! サクセサー・オブ・レザー・エッジ! 審判だ! お前はエセ勇者か! それとも真に世界を救う勇者か! 俺に勝って最強を手に入れてみろ! 俺から世界を、取り戻してみろおおおおおおお!」
最強を願うものと
「俺がエセかどうかなんてもうどうでもいい! そんな俺でも守れるものがあるなら! それだけでもう、十分なんだ!!」
守りたいものを守るものと――
彼らの因縁が行き着く先は……
「……じゃあな」
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:11:10.02 ID:cakGDzPu0
破滅が迫る
「シェロ、破滅の門は我輩一人で止めるよ。……我輩の命と引き換えに」
最後の絶望
「自分の命と引き換え? くだらねえヒロイズムに酔ってんじゃねえ! 目を覚ませ! ほかにもっといい手段はあるはずだ! だから死ぬなんて二度というな!」
そしてその最後に心が通じたのかもしれなかった
「約束しろよ。絶対生きてまた俺に会うって」
「――わかった、約束しよう。我輩は生きて、お前に再会する」
「ニギは生きてシェロに再会する。……いいな?」
再会の約束
再び交わる運命の確約
12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:12:58.84 ID:cakGDzPu0
物語はそこで終わりを迎えた
とりあえずのところは
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:15:01.94 ID:cakGDzPu0
title:女魔術士「魔王探し?」 ~魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」アフター~
ニアはじめから
つづきから
魔術パクリ元:魔術士オーフェン
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:16:18.85 ID:cakGDzPu0
わたしが目を覚ましたのは全てが終わってしまった後だった。
世界は王都の壊滅により大きな転換点を迎えようとしていたし、世間はその話で持ちきりだった。
病院に閉じこもりっきりのわたしにはわりかしどうでもいいことだったのだけれど。
わたしの興味が向かう先は二つ。
一つ目はなぜわたしがまだ生きているかということ。
わたしはかつて強大な力を必要としていて、それを手に入れる代償として自分の命を差し出したはずだった。
この疑問はすぐに解決した。というよりか、だいたい予想がついた。
あいつらがうまくやってくれたのだろう。
わたしはふたりの人物――片方は人間ではないけれど――を思い出す。
片方はわたしの元パーティーで、もう片方はその元パーティーを無理やり手下にした気に食わない奴。
元パーティーのことはもちろん良く知っている。
小さなことにすぐムキになるし口はあまり良くないが根はいい奴だ。
その彼を手下にした奴は良く知らないが、彼がなんだかんだで一緒にいたのだ。根っからの悪者ではなかったのだろう。むかつく奴だったが。
その二人がわたしを助けてくれたのだ、きっと。
だからわたしはまだ生きている。
彼らと神様に小さく感謝した。
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:17:40.37 ID:cakGDzPu0
二つ目はその元パーティーが今何をしているかということだ。
彼らは世界を救うとか何とか言っていて、もしかしたら今回の世界全体におよぶごたごたに結構深く関係していたのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
だからこそ不安になる。
彼らはちゃんと無事でいるのかと。
そんなことを考えながら過ごしていたある日のことだ。
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:19:01.15 ID:cakGDzPu0
看護婦「ハルさん、面会の方よ」
女魔術士「面会? 珍しいわね。わたしに会いに来る人には心当たりはないのだけど」
看護婦「男性の方ですよ。お通ししてもいいかしら?」
女魔術士「かまわないわ」
看護婦「わかったわ。どうぞ入ってくださ~い」
「……」ヌッ
女魔術士「っ……シェロ!」
勇者「……元気そう、だな」
17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:20:16.55 ID:cakGDzPu0
面会者はつい今しがた頭の中に思い浮かべていた元パーティー、シェロだった。
彼はモグリの勇者をやっている。
モグリというのは、まあつまり自称勇者ということだ。
革鎧を身に着けた黒髪黒目、背格好は中肉中背。勇者の村出身であることを示すペンダントを首からさげている。
彼はどこか疲れた笑みを浮かべてわたしに近づいてきた。
わたしはその目に薄い悲しみを見取って眉をひそめた。
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:21:07.06 ID:cakGDzPu0
女魔術士「……呪いの首輪がないわね」
勇者「あ? ああ、あれか。あれはもう取ってもらったんだ」
女魔術士「……なんで寂しそうな顔するのよ」
勇者「え、そうか……?」
女魔術士「そうよ」
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:22:30.32 ID:cakGDzPu0
呪いの首輪とは、彼が無理やりにはめさせられていたもので、これのおかげで彼はもう一人のほうの言うことを聞かざるをえなかった。
わたしと衝突せざるを得なかった。
彼はしばらく口をもぐもぐと動かした。
話したいことはいくらでもあったはずだったけど、わたしも彼もしばらくは何も言わなかった。
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:23:26.45 ID:cakGDzPu0
勇者「……身体は大丈夫なのか?」
女魔術士「おかげさまで」
勇者「後遺症とかは……?」
女魔術士「なかったらよかったんだけどね」
勇者「っ……」
女魔術士「そんな顔しないでよ。自業自得よ」
勇者「……」
女魔術士「体自体はなんともないのよ。でも――」
女魔術士「魔術が使えなくなっちゃった……」
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:24:40.53 ID:cakGDzPu0
そうなのだ。
目が覚めてから違和感はあった。
数日して気付いた。自分の中に魔力がほんの一滴も残されていないことに。
生まれてからずっとあった感覚がすっぽりと抜け落ちていた。
22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:25:54.98 ID:cakGDzPu0
勇者「そんな……」
女魔術士「だからそんな顔しないでって。確かに最初は動揺したし悲しくもなったわ。でも考える時間はたっぷりあったもの」
勇者「……」
女魔術士「……もう平気よ」
23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:27:15.57 ID:cakGDzPu0
本当のところはまだ胸の奥がじくじくと痛んでいる。
自分の手足をなくしてしまったかのような喪失感。
全て覚悟していたつもりだったのに。
そのままだとまた泣いてしまいそうな気がしたのでわたしは強引に話を変えた。
24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:28:38.26 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ねえ、それより聞いていいかしら」
勇者「……なんだ?」
女魔術士「私が倒れてからあなたたちがやってきたこと、あなたたちに起こったことよ。この世の中の混乱、あなたたちと関係があるんでしょう?」
勇者「……察しがいいな」
女魔術士「世界を救う。そう言ってたわね。このことなの?」
勇者「そうだ。……だがそれを説明するにはまず、人工的平和維持機構について知ってもらわなければならない」
女魔術士「人工的……?」
勇者「人工的、平和維持機構だ。……看護婦さん、席はずしてもらえねえかな」
看護婦「大事なお話みたいね。わかったわ」
ガチャ……バタン
勇者「……それじゃあ説明するぞ」
25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:29:49.36 ID:cakGDzPu0
人工的平和維持機構。その名の通り、人工的に平和状態を維持する大魔術。ただしそれによるひずみは確実にたまっていき、最後には世界の崩壊につながる。
その機能の説明を聞いて思い浮かんだのは、私が学生だったころよくやってしまったレポートの先送りだった。
確かにその通り。現在の平穏のために未来を犠牲にする、壮大な先送り。それが人工的平和維持機構。
ただ、その具体的な仕組みや原理はシェロもよくわかっていないらしい。そのあたりのことは省略された。
私が魔力を失った原因である契約――シェロはそれを魔神契約と呼んだ――もその人工的平和維持機構の副産物だったようだ。
機構の基本は何らかのエネルギーの蓄積と放出。それを人間の身体に付加したものが契約、というわけだ。
シェロたちは機構による世界の崩壊を止めるために旅をしていたのだそうだ。
26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:30:47.63 ID:cakGDzPu0
勇者「といっても、俺は終わりが近くなるまで世界の崩壊なんて信じちゃいなかった。本当に戦っていたのはあいつ一人だった」
女魔術士「……」
勇者「……スタッバーは知ってるか? 十三使徒のトップの」
女魔術士「ええ。私を王都に呼び寄せてキムラック神殿の大神官に紹介したのは彼よ」
勇者「そうか……。あいつとも戦ったよ。最後に俺たちの前に立ちはだかったのは奴だ」
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:32:41.20 ID:cakGDzPu0
その戦いは壮絶なものだったようだ。だが、強大な力に傷つき打ち倒され膝をつきながらも、それでも彼らは諦めなかった。だから世界はまだ終わっていない。わたしは生きている。
……ただ、代償は大きかった。彼の旅の仲間、魔王がその犠牲になってしまったのだ。
そこまで話すとシェロは目を伏せて口を閉じた。沈黙が落ちる。
昼の日差しが窓から差し込んでいる。終わらなかった世界のやさしい光が。
28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:33:26.63 ID:cakGDzPu0
女魔術士「……」
勇者「……」
女魔術士「……あの、ありがとう」
勇者「ん……?」
女魔術士「あの契約を結んでしまった後もわたしが生きていられるのはあなたたちのおかげよ」
勇者「ああ……」
女魔術士「迷惑もかけちゃったわね、ごめんなさい。あなたの旅のパートナーにも言うべきなんでしょうけど」
勇者「……そうだな」
女魔術士「でも彼は……」
勇者「……ハル」
女魔術士「え?」
29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:34:40.22 ID:cakGDzPu0
勇者「俺は今日はそのことで話をしに来た」
女魔術士「どういうこと?」
勇者「お前に頼みがあるんだ」
女魔術士「何かしら」
勇者「……」
勇者「俺と一緒に、魔王を探してくれ」
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:35:22.92 ID:cakGDzPu0
※
高い天井、広い部屋。調度品もどれも重厚で年代を感じさせるものばかりだ。空気もそれにつられてやや重量を増しているように感じた。
床には埃一つ落ちておらず、清掃が行き届いているのがわかる。これだけ広いと掃除には苦労するだろうなとふかふかのソファーに腰掛けながら思った。
カップを持ち上げ一口茶をすする。それをテーブルに戻して視線を上げた。
テーブルを挟んで目の前に座っているのは三十代ほどの男。優男のような風貌であまり頼りにできそうな風格は持ち合わせていない。それでもこの交易の町タフレムで、しかもこの若さで最も力を持っている人物だというのだから人は見かけによらないものだ。
31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:36:16.73 ID:cakGDzPu0
大商人「――それで? 君たちは何をお望みかな?」
勇者「まずは魔王を見つけるための手がかりがほしい」
大商人「ふむ……」
勇者「事情はさっき説明したとおりだ。俺たちは世界を救った。だが――」
大商人「代償は大きかった」
勇者「……その通りだ」
32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:37:01.44 ID:cakGDzPu0
シェロはわたしの隣で顔を伏せた。深いため息。わたしは横目で彼の横顔を見ながらそれを聞いていた。
ここはタフレムの最有力商人の屋敷だ。街の北に立地している。シェロは王都に入る前にここを訪れ、彼の助力を求めたらしい。
そのときにわたしの保護も求めたようで、わたしの入院中の金銭的な世話は彼がしてくれたとか。
もっともわたしは今回がはじめての顔合わせになるが。
シェロは今回も彼の力を借りるつもりらしい。
さて、魔王ニギは人工的平和維持機構により生じた“破滅の門”を閉じるためその命をささげ、異世界に姿を消した。痛ましいことだが、世界を破滅させるような強大な力だ。言い方は良くないかもしれないが、むしろ彼一人分の命で済んだことに驚くべきである。
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:38:00.58 ID:cakGDzPu0
大商人「逆に言えば、彼は確実にその命を使い果たしているはずなんだ」
勇者「……」
大商人「……生きているとは、思えないけどね」
勇者「……確かにな」
大商人「……」
勇者「でもな、俺はあいつと約束したんだ」
女魔術士「……」
勇者「必ず、再会するって。……約束したんだ」
34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:39:17.52 ID:cakGDzPu0
『約束しよう。我輩は生きて、お前に再会する』
『ニギは生きてシェロに再会する』
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:40:24.79 ID:cakGDzPu0
大商人「……」
勇者「……」
女魔術士「……」
大商人「……うん。そうか……うん。わかった。君は魔王を探すんだね」
勇者「ああ。あんたの力を貸してほしい」
大商人「いいよ。……と言いたいところだけど」
勇者「何だ?」
大商人「前回は交換条件、ギブアンドテイクだった。君と私は対等の取引相手であって友人じゃない。今回もそういうスタンスでいこうと思う」
勇者「なるほど」
大商人「冷たいと思わないでおくれよ。大商人は馴れ合っちゃいけないんだ。それに……」
勇者「それに?」
大商人「……最近の世界の情勢は知っているかな?」
勇者「いや、あまり」
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:41:13.82 ID:cakGDzPu0
大商人「王都メベレンストが壊滅して、わけがわからないながらもとりあえず今、次なる中心都市が必要とされている。世界はそこらへんのことでごたごたしてるんだけど、まあ大体決まっているんだ。というか自動的に王都の次に力を持っている都市になるんだけど……」
勇者「どこだ?」
大商人「……自治都市、トトカンタさ」
女魔術士「トトカンタ……」
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:42:01.17 ID:cakGDzPu0
自治都市、トトカンタ。大商人が言うように、実質王都の次に力を持ち、栄えている都市だ。
通常王都が各都市を支配し影響を及ぼすが、トトカンタは独自に議会を持ち政治を行っている。
大きな都市で、同じく自治都市のラポワントにある“牙の塔”、王都にかつてあった“スクール”に次ぐ規模の魔術学校もある。
実はわたしの出身地でもあり、わたしは以前そこの魔術学校に通っていた。
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:43:04.73 ID:cakGDzPu0
大商人「そこにいたるまでに水面下で結構な競り合いがあったらしいよ。まあ結局ごり押しで決定したらしいけど。ちょうどね、王族のご子息だったかがトトカンタに住んでいたらしいんだ。だから王都の崩壊に巻き込まれずにすんだ」
勇者「そいつを新たに王室として祭り上げたってわけか」
大商人「大当たり。それに伴って元号も変わるらしいね」
女魔術士「でも、それがどうかしたの?」
大商人「知ってると思うけどトトカンタは大陸の反対側、西の海岸にあるんだ。私もそこに拠点を移さなきゃならない。死んだ都市のそばじゃ商売にならないからね。もう他の商人は移動を開始しているらしい」
勇者「だから俺たちを支援するだけの余裕はないってことか……」
大商人「全くできないってわけじゃないさ。ただ、それに対する見返りはほしい」
勇者「あんたの望みは?」
大商人「そうだなあ。嫌味に聞こえるかも知れないけどこの地位になるとたいていのものは手に入るからね、正直なところありきたりなものはほしくないよ。富や名声は有り余ってる」
勇者「じゃあ?」
大商人「ほしいのはそうだな……」
女魔術士「……」
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:43:55.25 ID:cakGDzPu0
大商人「ほかじゃ手に入らない面白い話、なんてどうだろう?」
勇者「……どういうことだ?」
大商人「君は世界の危機を救った者の一人だ。世界の真理にとても近いところにいる。あまつさえ異世界に飲み込まれた魔王を探そうとまでしている。これほど興味をそそられることはないね」
勇者「なるほど……」
大商人「つまり、後払いでいいよってことさ。君は魔王を探す。そしてその過程で生まれた面白い話を私に提供する。+αがあればもっとうれしいね」
勇者「……その話、乗った」
大商人「交渉成立、だね」
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:44:52.79 ID:cakGDzPu0
大商人「……さて、魔王の手がかりだけど」
勇者「ああ」
大商人「生きているとすれば異世界にいるのは間違いない。ならば、異世界の情報があればいいわけだ」
勇者「だが、そんなもの……」
大商人「あるよ。異世界のことどころかそれを利用して世界を平和にするシステムを記したものはなんだい?」
勇者「……! 世界書か!」
大商人「その通り。それを見つけられれば魔王救出は格段に近づくはずさ」
勇者「なるほど……!」
女魔術士「それを手がかりとして行動するわけね」
大商人「それが一番いいだろうね」
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:45:41.60 ID:cakGDzPu0
大商人「あ、そうそう君」
女魔術士「わたし?」
大商人「そうさ。君は大事なものをなくしたんじゃないかい? そう、何かを成し遂げるための決定力を、さ」
女魔術士「……知ってたの?」
大商人「私の情報網をなめてもらっては困るね」
女魔術士「……ふーん、すごいわね。でもそれがどうかしたの?」
大商人「勇者の足を引っ張りたくはないだろう?」
女魔術士「それは……」
勇者「俺は別に――」
大商人「いい考えがあるんだ」
勇者「?」
女魔術士「いい考え?」
大商人「そう、いい考えさ」
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:46:30.13 ID:cakGDzPu0
※
引き金を引くと破裂音が耳朶をたたき、手には猛烈な衝撃が帰ってきた。手首がきちりと痛む。続いて硝煙のにおいが鼻をつく。
しばらく銃声の余韻を聞き流し、もう一度引き金を引く。反動。さらにもう一度。反動。
合計三発を撃ち終わり、拳銃を下ろした。
数メートル先の的には寄り添うように三つの穴が空いている。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:47:20.61 ID:cakGDzPu0
メンバー3「……うん、悪くないな」
女魔術士「そう、かしら?」
メンバー3「ああ。もともと訓練用の拳銃というのは命中率がとても低い。度外視されているといっても過言ではない。その拳銃でこれだけ
の成果をたたき出せるならまずまず以上だな。いい腕だ」
女魔術士「ありがとう」
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:48:30.40 ID:cakGDzPu0
ここは大商人が所有する、街のはずれにある射撃訓練場。大商人に勧められて昨日今日と通っている。
そう、大商人が言った“いい考え”とはつまり拳銃の使用だ。決定力としての威力も申し分なく、魔術の代用品としては現在思いつく限りでは最も適している。確かにいい考えだった。もっとも、わたしが実際に拳銃というものを見たのは昨日が初めてだが。
拳銃の教官を務めているのは王都の元レジスタンスメンバーのレイ。男のような口調、凛とした雰囲気。長身もあいまってそこらの男よりよほど格好がよい。
彼女は王都の壊滅の中、レジスタンスリーダーとともに生き延びたメンバーの一人で、今は大商人から住む場所を提供してもらっているらしい。
レジスタンス時代の彼女の担当は拳銃の運用と、メンバーの拳銃訓練だったそうだ。
45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:49:23.22 ID:cakGDzPu0
メンバー3「だが、一つ言うとすれば」
女魔術士「なに?」
メンバー3「あまり力みすぎないほうがいい。あらゆる意味で成功率が下がる」
女魔術士「あら、肩に力が入っていたかしら?」
メンバー3「それもある」
女魔術士「も?」
メンバー3「……隣に在ることを諦めるな」
女魔術士「……?」
メンバー3「君はこれからさまざまな困難にぶつかると思う。何しろ今まで培ってきた力の一つを失ったのだからな、これは仕方のないことだ」
女魔術士「……」
メンバー3「だが忘れるな。彼の隣に在ることを諦めるんじゃない。君はそこにいてもいい。変に力まなくてもいいんだ。それを絶対に忘れるな」
女魔術士「……」
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:50:33.38 ID:cakGDzPu0
彼女は多くの仲間を失った。レジスタンスのリーダー、ジゼルは残った仲間のその後の生活の支えを作ってやるため、そして今混乱している世界のために尽力している。レイはそんな彼の力になりたいのだそうだ。
その役目は簡単なものではない。途中でくじけてしまうかもしれない。
その言葉はそんな彼女だからこそ言えるのかも知れなかった。
隣に在ることを諦めないで。
私はゆっくりと、でもしっかりとうなずいた。
拳銃の訓練はもう一日だけ続いた。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:52:04.32 ID:cakGDzPu0
※
大商人「驚くほど早かったね」
メンバー3「彼女の腕がよかったので。三日で十分と判断しました。それに時間もあまりないでしょう?」
リーダー「その通りだぁな。俺たちはすぐにでも出発しなきゃなんねえ。これでも遅いくらいだしな」
勇者「すまない、いろいろ面倒を見てもらって」
女魔術士「ありがとう」
大商人「取引内容そのままさ。別に感謝することじゃない」
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:53:35.08 ID:cakGDzPu0
屋敷の前。見送りには大商人エリム、元レジスタンスリーダージゼル、メンバーのレイがきてくれた。
わたしとシェロは旅のための最小限の荷物を持って立っている。
背中まであった金髪は切ってしまった。今は肩までの長さだ。名残惜しくないといえばうそになる。シェロも驚くと同時に、少し残念そうな顔をしていた。
服装も、以前の黒い三角帽子と同じく黒いローブから、動きやすい服装に着替えている。
天気は快晴出発にはちょうど良い天気だ。わたしたちは世界書探しに。大商人たちはトトカンタへ。
わたしたちの目的地は魔王城だ。そこに世界書ないしは世界書の情報があるとにらんだのである。
49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:54:18.06 ID:cakGDzPu0
大商人「餞別だ、受け取るといい。勇者に一つ。ハル君に一つ」
勇者「これは……」
女魔術士「ん……」
大商人「勇者には改良型ヘイルストーム。暴発の危険性は低くなっているはずだよ。そしてハル君にはテンペスト。ヘイルストームと同じく狙撃拳銃と呼ばれる最新型さ」
勇者「弾数は?」
大商人「どっちも八発だ」
女魔術士「多いか少ないかは使い方次第ね」
大商人「君は主武装になるから明らかに足りないよ。でも大丈夫、そこらへんは手配してある。それぞれの都市、町、村にいる私の部下に弾薬を渡しておく。君たちはそこで補給すればいい」
勇者「ありがとうな」
大商人「さっきも言ったけど礼はいらないよ」
50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:56:03.65 ID:cakGDzPu0
リーダー「俺たちからは情報を。魔界のほうがざわついてやがる」
勇者「魔界が?」
リーダー「ああ。魔王の不在、人間界のごたごた。魔族のほうにも勢力の拡大を狙っているのが少なくないってえ訳だ」
メンバー3「今までよりも魔族、魔物と出くわす可能性は高くなる。気をつけていくんだ」
女魔術士「わかったわ」
大商人「それじゃ、元気で」
勇者「ああ、そっちもな」
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:56:47.35 ID:cakGDzPu0
私たちはタフレムを出発し一路北を目指した。一週間ほどで港町に着き、舟を調達。二週間ほどをかけて海路を渡った。
反対の海岸の町につくとそこはもう魔界だ。……とはいっても別にいきなり空が暗くなったりおどろおどろしい雰囲気になるわけではない。
私たちが住むこのキエサルヒマ大陸は北側と南側に分かれている。北は魔族の居住地、南は人間の居住地だ。魔族の住む北側を俗に魔界という。
人間が住んでいないかと言えばそうではなく、魔族と人間の間で平和協定が結ばれてからは魔王山のふもとにも人の村がある。
海岸の町を出て山道に入った。
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:58:03.51 ID:cakGDzPu0
勇者「ここを上りきれば山村があったはずだ。そこで休もう」
女魔術士「そうね」
勇者「ふう。……!」
女魔術士「どうしたの?」
勇者「来る……!」
「キシャァッ!」バッ!
53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:58:57.18 ID:cakGDzPu0
子供のような小さい影が茂みから飛び出してきた。手に何か得物を持っているのが見える。魔物だ。
わたしは即座に魔術構成を編み上げ――それが無駄であることに気付いた。
慌てて腰の後ろのホルスターに手を伸ばす。
そのときには既にシェロが剣を抜き放ち魔物の攻撃に合わせている。
わたしは完全に出遅れた。
54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 18:59:48.87 ID:cakGDzPu0
勇者「でりゃあぁぁッ!」シュッ!
魔物「シッ!」ガキン!
勇者「ふっ!」ビッ!
魔物「フシャ!」ガキ!
女魔術士「――シェロ、離れて!」スチャ!
勇者「了解!」バックステップ!
女魔術士「――ッ」タァン!
魔物「……っ」ブシャ!
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:06:07.98 ID:cakGDzPu0
放たれた弾丸は空気を切り裂いて飛ぶ。狙撃拳銃の特徴は、弾丸に螺旋回転を加えるライフリング機構を銃身内に施すことで、その命中精度、威力を大幅に引き上げていることだ。
弾丸は魔物の頭部を正確に撃ち抜き、魔物が地面に崩れ落ちた。
それから魔物の血がゆっくりと広がっていくのを、わたしは見つめていた。
肩に力が入りすぎているのに気がついたのはそのすぐ後だ。シェロが何か言っているのにも気がつかなかった。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:12:07.09 ID:cakGDzPu0
勇者「ハル、ナイス」
女魔術士「……」
勇者「あの立ち回りの中でよく相手の急所を打ちぬけたな。才能あるんじゃないか?」
女魔術士「……そう、かもね」
勇者「……どうした?」
女魔術士「……別に」
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:15:07.79 ID:cakGDzPu0
対応のわずかな遅れ、異常な力み、戦闘後の虚脱感。わたしの頬を汗が伝う。身体が急激にさめていく感覚。早鐘のような鼓動。
これはまずいかもしれなかった。
魔術が使えなくなるというのはかくも大きな痛手だったのか。当たり前にあったものがないというのはかくも不安なものなのか。
そして魔術とは違う殺しの感覚にわたしは大いに戸惑った。
山村へ向けて歩き出しシェロが何か話しかけてきても、わたしは上の空だった。
その後何回かの戦闘を重ね、わたしは経験と自信と、そしてやはり何ともしれない違和感を溜め込んでいった。
さらに一週間ほど後。わたしたちは大きな門の前に立っていた。山の頂上。魔王城の前に。
そこに一体の魔物がいた。人型で、一見壮年の人間男性に見えるが、瞳が人間にはありえないほど赤かった。
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:18:06.69 ID:cakGDzPu0
側近「……待っていたぞ」
勇者「……ああ」
女魔術士「……」
側近「……そっちは?」
勇者「ハルという」
女魔術士「……はじめまして」
側近「私は魔王様の側近だ。……ついて来い」
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:21:07.41 ID:cakGDzPu0
魔王の側近というその魔物の後ろについて魔王城の中に入った。思ったより内装は悪趣味ではない。が、なぜかパーティー用の三角帽子やランプが隅っこのほうにちらほらと目についた。魔王は祭り好きなのだろうか。
五十人ほどが入れそうな広さの部屋に通された。普段は会議にでも使われているのだろう。大きいテーブルが中心に陣取り、いくつかの椅子が並んでいる。
側近の魔物にここで待つように言われ、とりあえず適当な席に腰を落ち着ける。側近の魔物は呼びにいく人がいると言って姿を消した。
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:26:25.34 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ここが、魔王城……」
勇者「案外普通だろ? 趣味の悪いタペストリーがあるわけでもないし、壁に蔦もはっていない。きれいなもんだ。つっても、俺もここに詳しいわけじゃねえけどな」
女魔術士「そう……」
――ガチャリ……
側近「待たせた。――どうぞお入りください」
?「……」
勇者「そちらは?」スク
側近「魔王様の奥様、ルフ様だ。――ルフ様、こちらが魔王様と連れ立って旅に出た勇者シェロと、その仲間ハルにございます」
魔王妻「……」
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:30:34.55 ID:cakGDzPu0
麦畑を思い出させる腰までの流れるような長い金髪、背中から出た三対の小さな翼、つやのある褐色の肌、目じりは下がり気味で雰囲気も柔らかだ。ほっそりとした上品な身体を、これまた上品でシンプルなドレスで包んでいる。
わりと比べたがりのわたしでも素直に、綺麗だな、と思った。
彼女は側近について無言で私たちの向かいの席までいくと、側近が引いた椅子に腰を下ろした。
しばらくこちらを見つめ、それからつぶやくのが聞こえる。
63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:34:18.08 ID:cakGDzPu0
魔王妻「あの人は、いないのですね……」
勇者「……」
女魔術士「……」
側近「勇者、全てを説明して差し上げろ」
勇者「……わかった。――ルフ様、少々長くなりますが、説明いたします。聞いてください」
魔王妻「ええ……」
・
・
・
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:37:11.17 ID:cakGDzPu0
全てを聞き終わったルフさんはうつむいた。前髪に隠れて表情は読めない。
重い沈黙が流れた。
しばらくして側近が彼女を気遣って小さく声をかけた。
彼女に聞こえた様子はなかったが、よく見るとその肩が小さく震えている。
ルフさんがゆっくりと立ち上がった。テーブルを回ってシェロのほうに近づいてくる。シェロもつられて席を立った。
二人は無言で向かい合う。片方はうつむいて肩を震わせて。もう一方はかける言葉を捜しあぐねて。
突如、あ、ひっぱたかれるなと思った。勇者の背中からも軽い緊張が伝わってきた。が。
ごす!
鈍い音にわたしは疑問符を浮かべた。立ち上がって横に回る。そして理解した。
ルフさんの膝が、勇者の腹部に埋まっている。シェロの苦悶の声が遅れて聞こえた。きれいな膝蹴り。
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:39:53.43 ID:cakGDzPu0
魔王妻「……あなたは、一体何をしていたのですか」
勇者「ぅぐ……」
魔王妻「あなたは一体何をしていたのですか! 答えなさい!」ゴス!
勇者「がっ……」
魔王妻「答えられませんか! そうですよね! あなたは何もできなかったのですから!」
勇者「……」
魔王妻「結果、あの人一人が犠牲になってしまった! あなたがいながら! どうして!」ゴス!
勇者「っ……それは」
魔王妻「あなたが間抜けだからです! あなたが無力だからです! 何が勇者ですか、あの人一人救えないでいて!」
勇者「……」
66 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:42:59.54 ID:cakGDzPu0
とてつもない剣幕でそう言うと、彼女は最後の一発をシェロの――というか男性の――弱点に叩き込み、部屋を出て行った。乱暴に扉が閉められる。
側近もそれを追って出て行った。
私は仕方なく倒れ伏したシェロに近寄りかがみこんだ。
……これは手ひどくやられたものだ。
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:45:18.30 ID:cakGDzPu0
女魔術士「……すごいわねー、ルフさんて。曲がりなりにも勇者を沈めたわよ」
勇者「っ……っ……」
女魔術士「大丈夫? 背中でもさすろうか?」
勇者「……痛い」
女魔術士「それはそうでしょうよ」
勇者「……心が、痛い」
女魔術士「…………あなたは悪くないわよ」
勇者「でも……」
女魔術士「あなたはあなたで全力を尽くした。違うかしら?」
勇者「それは……そうだけど」
女魔術士「なら仕方のないことだったのよ……どうしようもない、ね」
勇者「……」
68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:48:27.44 ID:cakGDzPu0
――ガチャ……
側近「生きているか」
勇者「なんとかな……」
側近「ならよかった。もっとも私がお前を殺してやりたい気分だがな」
女魔術士「……ちょっと」
勇者「ハル。……いいんだ」
女魔術士「……」
側近「ルフ様は泣いてらっしゃった。私だって同じ気持ちだ。お前がしっかりしていればこんなことにはならなかったかもしれないのに」
勇者「……そう、だな」
側近「この、役立たずが……!」
勇者「……俺も自分が許せないよ。でもな、俺はあいつと約束したんだ」
側近「……」
勇者「必ずまた会うって。約束、したんだ」
側近「……」
69 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:49:48.92 ID:cakGDzPu0
側近「……ふん。それで?」
勇者「だから俺は必ずあいつを――」
側近「違う。お前たちは何か目的があってここに来たのだろうが。それを言えと言っているのだ」
勇者「ああ、そういうことか。――実は、世界書というものを探しているんだ」
側近「世界書?」
勇者「ああ。異世界のこと、そしてその利用法を書いた世界書だ。知らないか?」
側近「その存在は知っている。先代の側近職の魔物から知識は引き継いでいる。だが――」
女魔術士「どこにあるかは知らないのね?」
側近「その通りだ」
勇者「……参ったな」
70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:51:02.86 ID:cakGDzPu0
側近「……ふむ。しかし手がかりがないわけではない」
勇者「と、言うと?」
側近「考えてみろ。当の人工的平和維持機構を実際に使ったのはどちらだ?」
勇者「人間だな。……!」
女魔術士「ってことは……」
側近「その通り。人間側のほうにも世界書の情報は残っているということだ」
勇者「となると調べるのに最適なのは……」
女魔術士「学術都市ラポワントを提案するわ」
勇者「ああ、それだ……!」
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:52:01.64 ID:cakGDzPu0
側近「決まったようだな。ならば早く出発するといい」
勇者「……俺たちがここにいちゃルフ様の気が休まらないだろうしな」
側近「そういうことだ。それと、ここを出るときは裏口から出るといい。案内する」
女魔術士「そんなに危ないの?」
側近「勘がいいな、女。今魔界は人間排斥の動きが勢いを増している。それを刺激するような真似はしたくないのだ」
勇者「……同感だ」
72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:54:38.15 ID:cakGDzPu0
わたしたちは城の裏から出て山を下りた。そして最接近領で弾薬を補給。これからの方針を話し合った。
学術都市ラポワントは王都跡の南にある。魔王城までの道のりを逆に行き、さらに南へ一週間といったところだ。
早速わたしたちは海を渡った。それから陸路で二週間。既に廃墟となった王都跡の脇を抜け、ついに学術都市ラポワントに到着した。
宿をとって早速中央図書館へ出かける。この大陸で最も大きいといわれている図書館だ。魔術士として一生に一度は訪れたいと思っていたが、まさかこんないい機会に恵まれるとは思わなかった。
既に公開されている公文書や古文書を片っ端から読み漁る。これでもないこれでもないと探していくうちに、いつの間にか夜になっていた。
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:56:03.72 ID:cakGDzPu0
帰り道を二人で歩く。夜風が頬を心地よくくすぐった。まだまだ暑い時期は先だが、その予感だけを残して吹き去っていく。
空を見上げれば気の早い星が出ていた。
広い道の両側には民家ではなく学術関係の大きい施設が居並ぶ。夜は閉館するため辺りはしんと静まり返り、光は街灯のみだ。図書館から居住区への道と宿への道は逆方向のため、通りにはわたしたちしかいなかった。
ちょっといい気分になって隣のシェロを横目で見てみる。文字の洪水には慣れていないらしい彼はちょっと疲れた顔で横を歩いていた。
そういえば、と唐突に脈絡もなく気付く。シェロは病院で再会して以来口汚い言葉を使っていない。ちょっと性格が丸くなったんだろうか。
その腕に抱きついてみようかどうかとふと考えた。心持ち近寄って、でも嫌がられたらやだなと考えて距離をとって。シェロは気付かないようだったが。
結局宿につくまでに踏ん切りはつかず、そのまま次の日になった。
そんな日が何日か続いた。
最初はそのうち見つかるだろうと思っていたわたしたちだったが、なかなかこない手ごたえにわたしたちは次第にじれてきた。
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:57:11.69 ID:cakGDzPu0
勇者「何か手がかりはあったか?」
女魔術士「だめね。見つからないわ」
勇者「そうか……」
女魔術士「ねえシェロ、このままじゃ絶対見つからないんじゃないかしら」
勇者「そんな諦めるようなこと言うなよ」
女魔術士「違うの。わたしたちが探している手がかりは、もっと秘匿性が高いんじゃないかってことを言ってるの」
勇者「! そうか、重要文書!」
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:58:03.36 ID:cakGDzPu0
この図書館はありとあらゆる資料をその内に抱えている。しかし、機密性が高いものは一般人では見ることができないものもあるのだ。
より身分の高い人物でないと見ることができない資料は意外と多い。
世界書に関する書類ももしかしたらそういう類のものかも知れないというわけだ。
そうなればわたしたちに見ることは、不可能とは言わないまでもきわめて難しい。
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 19:59:44.99 ID:cakGDzPu0
勇者「くそっ、考えてみれば当たり前か。人工的平和維持機構に関する資料なんて極秘中の極秘だ。世界書関連だってきっと同じ扱いなんだな……」
女魔術士「困ったわね」
勇者「どうする? お偉いさんのコネなんて俺はないぞ?」
女魔術士「わたしにだってないわ」
勇者「となると……スニーキングミッション、か?」
女魔術士「止めないけど、捕まってもわたしを巻き込まないでよ?」
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:00:36.07 ID:cakGDzPu0
結局いいアイディアは思いつかないまま閉館時間になった。
帰り道、シェロは相変わらずうなっていた。わたしはもう諦めて別のことを考えていた。今夜の宿で出される夕食のメニューとか、今日はパスタ系がいいなとか。
そんなときのことだった。
よく通る可愛らしい声が通りに響き渡った。
78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:01:29.68 ID:cakGDzPu0
?「モグリさぁーん!」
勇者「げっ!?」
女魔術士「?」
79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:03:10.26 ID:cakGDzPu0
後ろからだ。わたしはよく考えもせず振り向こうとした。その途中で視界にいたシェロが突如何かに押し倒されるのが見えた。
驚いて視線を戻す。
シェロがいない。声だけが聞こえて視線をそのまま下に下ろした。そこには。
80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:04:10.24 ID:cakGDzPu0
?「モグリさぁん、お久しぶりですぅ」
勇者「重い! どけ!」
?「そんな重いだなんて。女の子に失礼ですよぉ」
勇者「お前は女じゃねーだろ!」
81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:05:39.00 ID:cakGDzPu0
シェロが年下らしき子に押しつぶされていた。
突然のことに言葉が出ない。馬鹿みたいに突っ立ってぽかんとそれを見下ろしていた。
それからふつふつと何かが胸の底からわいてくるのを感じた。
なんだろうこれは。考える前に口が動いた。
82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:06:32.22 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ちょっと、何やってんのよあんた!」
?「ボクですかぁ? この人に抱きついてるんですよぉ」
女魔術士「見りゃわかるわよ! さっさとそこをどきなさい、シェロが困ってるでしょ! っていうかなんなの!?」
?「あ、よく見たらハルちゃんじゃないですかぁ、お久しぶりですぅ」
女魔術士「……?」
?「ボクですよぉ、少し前にシェロさんを寝取った」
女魔術士「あ……!」
83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:08:25.78 ID:cakGDzPu0
思い出した。
シェロが魔王と組むよりもうちょっと前。わたしはシェロと喧嘩別れしたことがあった。
そのときの原因がこの子だ。
シェロがこの子と一夜を共にしたので、わたしは怒って三行半をたたきつけたのだ。
いや、別にあの時は付き合ってたわけじゃないけど……。
あ、今もか。
84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:09:54.72 ID:cakGDzPu0
?「あの時は自己紹介する暇もありませんでしたねぇ。カシスです。カシス・ブルーベリーっていいますぅ」スク ペコリ
女魔術士「……カシス? 女の子にしてはへんな名前ね?」
勇者「……いや、違うぞハル。こいつ、女じゃない」ムクリ
女魔術士「は? 何言ってるのあなた。この子どう見ても女の子じゃない」
?「違いますよぉ」
女魔術士「え?」
男の娘「ボク、男です」
女魔術士「……え?」
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 20:11:22.45 ID:cakGDzPu0
耳を疑った。実際に耳に触れてその機能を確かめてみた。次に指を鳴らして聞こえることを確認する。うん、大丈夫聞こえる。
続いて疑うべきはこの子の口だ。じっと見つめてみる。特におかしなことはなさそうだ。
肩までよりちょっと短いぐらいの黒髪がややウェーブ状にくせっ毛となっている。そして利発そうな目鼻立ち。
身体は男ではありえないほど華奢だ。見比べてみるとわたしのほうがしっかりしているかもしれない。ああ、あくまで比較の話なの勘違いしないように。わたしだって別に筋肉質ってわけじゃない。
そしてその華奢な身体を黒いローブが包んでいる。
87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:01:09.00 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ねえ、シェロ。わたし何かおかしなことを聞いた気がするんだけど」
勇者「そうだな。認めたくないのはよくわかる」
男の娘「ですよねぇ。自分で言うのもなんですけどぉ」
勇者「全くだ」
女魔術士「……」
勇者「はぁ……」
女魔術士「……え、ちょっと待って。そういうこと?」
男の娘「はい、ついてます」
女魔術士「何が? って……やっぱりいい」
男の娘「見ます?」
女魔術士「いい……」
男の娘「……」ゴソゴソ
女魔術士「いいってば!」ゴン
男の娘「いったぁい!」
88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:06:07.27 ID:cakGDzPu0
女魔術士「まとめるわよ。カシスは男」
男の娘「はぁい」
女魔術士「わたしは男にシェロを寝取られた」
勇者「寝取られたって……」
女魔術士「……」
男の娘「……」ニコニコ
勇者「……」ゲンナリ
女魔術士「……ふ」
男の娘「ふ?」
女魔術士「ふざけるなー!」
89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:12:10.73 ID:cakGDzPu0
怒りはもちろんだが、そんなことであの時大騒ぎしたのが情けないやら恥ずかしいやらでいたたまれなくなった。
わたしは壮大な勘違いをしていたというわけだ。
そしてわたしはそんな勘違いでシェロにひどい仕打ちをしてしまった。
……どうしよう。
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:18:19.77 ID:cakGDzPu0
勇者「そんなに気にするなって。俺は気にしちゃいねえよ。俺にも落ち度はあったしな」
女魔術士「でも……」
男の娘「ドンマイドンマイですぅ」
女魔術士「……」ジト
男の娘「やぁん、そんな目で見られたら照れちゃいますぅ」
勇者「と、ところで、カシスは何でこんなところにいるんだ?」
男の娘「そりゃあボクがこの都市に住んでるからですよぉ」
勇者「住んでる?」
男の娘「はぁい。ボクは牙の塔の学生ですから」
女魔術士「牙の塔……」
92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:24:06.85 ID:cakGDzPu0
“牙の塔”とは、この都市にある魔術学校だ。元王都にかつてあった“スクール”と並んでキエサルヒマ大陸最大の魔術学校といわれている。
カシスはその学生なのだそうだ。
ついでに言えばカシスが着ている黒のローブ。あれは上級魔術士の証である。
成績が優秀なごく一部の学生しか身に着けることができない。
意外にもカシスはそのごく一部に含まれているらしい。
94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:30:11.16 ID:cakGDzPu0
勇者「お前、意外とすごいんだな……」
男の娘「そんなことないですよぉ」エッヘン
女魔術士「……」
男の娘「それより、何でモグリさんたちがラポワントにいるんですかぁ? どっちかって言うとそっちのほうが不思議ですぅ」
勇者「いや、えっと……」
女魔術士「……話してもいいんじゃない?」
勇者「……ハル?」
女魔術士「よく考えてもごらんなさい。この子は上級魔術士。ということは?」
勇者「……! 機密文書の閲覧ができる!」
男の娘「?」
勇者「カシス、正直言ってあんまり気は進まないが、力を貸してくれ」
・
・
・
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:36:09.22 ID:cakGDzPu0
男の娘「……なるほどぉ、モグリさんたちが世界を救ったんですねぇ」
勇者「疑わないのか?」
男の娘「モグリさんは嘘ついたんですか?」
勇者「いや、違うが……」
男の娘「じゃあ信じますよぉ」
勇者「そ、そうか」
男の娘「世界書って本のことについて知りたいんですね、このカシスに任せてくださぁい!」
女魔術士「……期待してるわ」
96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:42:19.89 ID:cakGDzPu0
次の日。わたしたち三人は中央図書館で落ち合った。カシスは近くの学生寮に住んでいるらしい。
早速カシスの名前を使って資料をかき集め、はしから読み漁る。
重要文書はいままで読み漁った量からすればあまり多くはなかったが、それでも夕方になる程度には調査に時間がかかった。
そして。
97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:47:08.53 ID:cakGDzPu0
勇者「……あったぞ」
女魔術士「どれどれ?」
勇者「約六百年前の資料だな。つってもそんな年月、紙がもつわけねえから何度か写しなおされたみたいだが、まあそれはいいか」
男の娘「それで、なんて書いてあるんですかぁ?」
勇者「えーと……約六百年前、世界は戦乱の真っ只中だった。魔物、人間関係なく大勢傷つき、死んでいったらしい。文明にも大きな打撃を与えたそうだ。これはまあ俺たちも知っている、常識中の常識だな」
女魔術士「それで、世界書は?」
勇者「急かすなって。うんと、そんな混乱の中、王都に忽然と賢者が現れたらしい」
男の娘「賢者、ですか?」
勇者「ああ、賢者だ」
女魔術士「ふぅん……?」
98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 21:50:07.43 ID:cakGDzPu0
勇者「賢者はある奇妙な書物を持っていたそうだ。異界について記した書物。それを当時の王に献上したらしい」
女魔術士「……世界書?」
勇者「だろうな。王は賢者に指揮権を与え、キムラック神殿と神体を作らせた。完成してしばらく後、その賢者は書物とともに姿を消したらしい。それから世界は徐々に安定していったようだ」
男の娘「ビンゴみたいですねぇ」
女魔術士「でも、肝心の世界書の行方がわからないわね……」
勇者「いや、大丈夫だ。これを見てくれ」
女魔術士&男の娘「?」
『我は地獄へ帰らん』
男の娘「賢者の言葉ですかぁ?」
女魔術士「地獄……?」
99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:00:46.78 ID:cakGDzPu0
勇者「言葉の通り読むなら、賢者は今地獄にいる」
女魔術士「……ちょっと待ってよ、地獄なんてものがこの世にあるわけ――」
勇者「あるんだ」
男の娘「えぇ?」
勇者「以前魔王と旅をしていたとき、奴は地獄でルフさんと出会ったと言っていたんだ。観念上の地獄が実在するかどうかは知らないが、“地獄”と呼ばれる何かはこの地上に必ずある」
女魔術士「……なるほど」
勇者「あとはもう一度魔王城に戻ってその場所を聞くだけだ……!」
100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:06:19.92 ID:cakGDzPu0
数分後、わたしたちは誰もいない夜の通りを宿に向かって急ぎ足で歩いていた。
一番急いでいるのは先頭に立つシェロだ。その後ろをわたしが歩く。
そしてさらに後ろを、カシスがなぜかついてきていた。
しばらく歩いたところでシェロがそれに気付き、歩みを緩めた。
101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:11:12.65 ID:cakGDzPu0
勇者「……あー、カシス?」
男の娘「はぁい、なんですかぁ?」
勇者「いや、お前はなんでついてきてるのかなあと」
男の娘「はい?」
勇者「いや、役目が終わったらお払い箱ってわけじゃあ決してないんだが、もうお前に頼る作業は終わったんだ。もう帰って休んでいいぞ? 礼は後でちゃんとするから」
男の娘「ボクも一緒に行きます」
女魔術士「え?」
勇者「……それは、どういう意味だ?」
男の娘「これからモグリさんたちは魔王城や地獄に行くんですよね、ボクも一緒に行きたいです」
勇者「……」
男の娘「いいでしょ?」
102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:12:33.28 ID:cakGDzPu0
男の娘「お願いしますよぉ、この通り」
勇者「いや、でもな?」
女魔術士「……あなた学校はいいの? 今日はサボりだったんでしょ?」
男の娘「一日ぐらいへっちゃらですぅ!」
女魔術士「これからは? 退学でもするつもり?」
男の娘「適当に理由つけて長期休暇を取りますぅ」
女魔術士「……遊びじゃないのよ?」
男の娘「わかってますよぉ、それくらい」
103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:13:25.43 ID:cakGDzPu0
わたしはしばし無言でカシスの目を見つめた。どこかほんわかとした空気がそこに漂っている。
まるでこれから修学旅行にでも行くかのようなのんきさだ。
わたしは深くため息をついた。
そして腰の後ろに手を伸ばす。
それをゆっくりと抜いてカシスに突きつけた。
104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:14:31.19 ID:cakGDzPu0
女魔術士「もう一度言うわ、遊びじゃないのよ?」スチャ
男の娘「……」
勇者「おい、ちょっとハル……!」
女魔術士「シェロはちょっと黙ってて。これは大事なことよ」
男の娘「……」
女魔術士「知らないかもしれないけど、わたしが今あなたに突きつけているこれ、魔術と同等の威力を持つ武器なの。わたしがちょっと指を屈曲させればあなたはたやすく死体になるわ。わたしたちが行くのはそういうところなの。あまりなめてると怒るわよ?」
男の娘「……ってます」
女魔術士「?」
男の娘「知ってますよ」
女魔術士「……何が?」
男の娘「拳銃」
女魔術士「……!」
男の娘「そうですよね、それ?」
105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:16:41.83 ID:cakGDzPu0
男の娘「それは軍が極秘に配備していた『拳銃』というものですよね? しかもそれは見たことない型なので、おそらく最新型。とても殺傷力が高いと聞いていますぅ」
女魔術士「……」
男の娘「でも逆に言えばそればそれ以外に決定力がないってことですぅ。ハルちゃん、魔術使えないんでしょ?」
女魔術士「……っ」
男の娘「ボク、役に立ちますよぉ?」
106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:18:08.41 ID:cakGDzPu0
そう言うとカシスはふんわりと笑った。
まるで馬鹿にされたような気分になって、わたしは奥歯をかみ締めた。
手に力がこもる。
そんなわたしの様子を見て取ったのか、カシスは「それとも」と続けた。
微笑みの質を好戦的なものに変えながら。
107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:20:07.88 ID:cakGDzPu0
男の娘「ボクの力が信用できないなら、ここで勝負しますか? 最新兵器とボクが磨いてきた魔術、どちらが強いか試してみますか?」
女魔術士「……」
男の娘「――ねえ、ハル・ケットシーちゃん……?」
女魔術士「……」ギリ……
勇者「――二人とも、ストップだ」
男の娘「ええ? でもぉ……」
女魔術士「……」
勇者「でも、じゃない。文句言うなら置いていくぞ」
女魔術士「……!」
男の娘「え! ってことは!」
勇者「ああ。ついてくることを許可する」
男の娘「やぁったぁ!」
108 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 22:21:34.44 ID:cakGDzPu0
女魔術士「ちょっと、シェロ!」
勇者「ハル、俺はお前を信用している」
女魔術士「い、いきなり何よ」
勇者「でも、これから行く地獄や異世界の危険性は未知数だ。助力は多いに越したことはない」
女魔術士「……。わたしは反対よ。あの子、絶対へまやらかすわ」
勇者「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。でもあいつは上級魔術士だ。信用していいんじゃねえかな」
女魔術士「……」
勇者「……な?」
女魔術士「……わかったわよ。でも、わたしはこれから先も反対だし、あの子が何かやらかしたら即刻追い出すからね……!」クル スタスタ!
男の娘「べーだ!」
勇者「……はぁ」
113 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:03:59.25 ID:cakGDzPu0
その後、わたしたちはラポワントを出て再び魔王城へ向かった。およそ一ヶ月の旅だ。
魔界に入るまでは魔物と遭遇することもなく順調に進んだ。旅に関してカシスが足を引っ張ることはなかった。
なかったのだが……
わたしには少々気に入らないことがあった。
114 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:07:19.42 ID:cakGDzPu0
男の娘「モグリさぁん、お弁当作ってみました! 食べてみてくださぁい!」
男の娘「モグリさぁん、一緒の部屋にしましょうよぉ!」
男の娘「モグリさぁん、一緒にお風呂に入りましょう!」
男の娘「モグリさぁん、ボクと一緒に寝ませんかぁ!?」
男の娘「モグリさぁん、モグリさぁん――!」
116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:12:47.32 ID:cakGDzPu0
ラポワントを発ってからずっとこの調子である。必死になって一緒の部屋は阻止し、お風呂も引き止め、ベッドにもぐりこむカシスを引きずり出す。
だがお弁当については懇願するカシスに負けて、シェロが口にするのを許してしまった。
全く油断もすきもない。いや、全て小細工なしの直球勝負だが。
ちなみにお弁当はわたしより上手だったので、女としての自信が少々ぐらついた。まあ、どうでもいい話だけど。
しっかりノーといわないシェロもシェロだ。もしかして両手に花で――片方はラフレシアだけど――悪い気はしていないのではないか。そんな疑心暗鬼にも駆られる。
そんなこんなでわたしのストレスはうなぎのぼりだった。最近ではわたしがシェロに近づく暇もない。
とはいえ明確な失敗もしていないので追い返すこともできない。
ため息をついた。
118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:18:36.25 ID:cakGDzPu0
そう、カシスの魔術士としての腕は一級だった。
魔界に入ってから数度戦闘を重ねたが、カシスの魔術は確かに役に立っていた。
※
数メートル先に魔物の影。わたしの横手から突如として魔術の構成が膨らみ、展開される。シルクのように緻密で繊細な構成。それによどみなく魔力が注入され、呪文の声によって現実を理想のそれに塗り替える。
鋭い閃光と抑えられた爆音。残るのは黒焦げの魔物の死体。必要な力を必要な分だけ取り出したというような見事な魔術だった。
わたしはそれを拳銃を構えたままぼうっと見ていた。そう、わたしの役目はなかったのだ。
通常、魔術というのは、構成を編みそれに魔力を重ね、音声を媒体にすることで完成する。構成は、魔術士なら誰でも見ることできるもので、それによって魔術の効果が決まり、魔力によって威力が定まる。
魔術士のスキルはその構成の複雑さ、魔力の大きさ、そして魔術が完成するまでの早さによってランク付けできるが、カシスは間違いなく大陸で最優秀の部類に入る腕だった。
119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:24:52.84 ID:cakGDzPu0
男の娘「“お猿のキャンドルサービスゥ!”」カッ!
魔物「グギャッ!」ドゴォッ!
勇者「よし! ナイスだカシス!」
男の娘「えへへぇ、ほめられちゃいましたぁ」
勇者「次も頼むぜ」
男の娘「もちろんですぅ!」
勇者「ハルはもう残弾が少ないよな? 無理するなよ」
女魔術士「……」
勇者「ハル?」
女魔術士「……ええ、大丈夫、聞こえてるわ。気をつける」
120 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:30:16.41 ID:cakGDzPu0
魔王城は順調に、順調に近づいていた。
しかし戦闘を重ねるたび、わたしは居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
およそ一ヶ月後、大商人のところを出発してから三ヵ月後、魔王城に再び到着した。
裏口の扉の前に数人分の人影がある。だが側近ではない。一番先頭にいる魔物は側近と同じように瞳が赤いが、側近の魔物よりがっしりとしていて背も高い。身には鎧を着けている。
その後ろにいる魔物はみな人型だったが、一人残らず黒衣と仮面をつけており表情は読めなかった。何よりその存在感が希薄さが不気味だった。
先頭の魔物が口を開いた。
121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:37:34.18 ID:cakGDzPu0
?「お前が、勇者シェロか」
勇者「……そうだが、あなたは誰だ? あの側近はいないのか?」
?「……ふふ」
勇者「……?」
?「いやなに、失礼した……」
122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:42:41.54 ID:cakGDzPu0
その魔物は何もしていない。だが、なにやら敵意のようなものがぴりぴりと這いよってくるのが感じられ、わたしたちは身構えた。
もう一度シェロが口を開く。と、そのとき扉が開いた。
中から足早に歩み出る人影があった。側近の魔物だ。
彼は立ち止まると例の魔物に視線を合わせた。
123 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:48:31.88 ID:cakGDzPu0
側近「何をされているのですか、元帥」
元帥「いやなに、魔王様と共に世界を救った勇者とやらの顔を拝もうと思ってな」
側近「……それはかまいませんが、彼らを案内するのは私の役割です。どいてもらえますか?」
元帥「ふ、まるで私が邪魔するとでも言いたげだ。そんなことはしないから好きにするがいい」
側近「……。勇者私について来い」
勇者「あ、ああ」
女魔術士「……」
男の娘「ごめんくださいですぅ~」
元帥「……」
124 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 23:51:55.51 ID:cakGDzPu0 [112/112]
扉の内側に入り、側近の魔物について歩く。背中に、先ほど元帥と呼ばれた魔物からのものだろう、刺すような視線を感じながら。
それから数分ほど歩き、以前も通された会議室のような部屋に入る。側近の魔物はテーブルの奥のほうに回って席に着き、わたしたちはそれに向かい合うように並んで座った。
まず、側近はカシスをちらりと見た。以前いなかったのだからいぶかしく思うのは当然だろう。だが意外にも彼はなにも問うてはこなかった。なんとなくで理解したのだろう。それかただ面倒だったか。
125 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:00:12.83 ID:0NzTE2lA0 [1/271]
勇者「……ルフ様は?」
側近「顔をあわせるのがお嫌なのだそうだ。当然だろう」
勇者「そうだな……」
側近「それで? 今回の用事は何だ?」
勇者「ああ、実はな……」
・
・
・
側近「ふむ、地獄の賢者……」
勇者「地獄の場所を教えてほしい」
側近「それなら魔王山を下りてまっすぐ西だ。レジボーン山脈の峰の一つにその入り口がある。ただ気をつけろ、あそこは魔物でもそう気軽には入らん。それなりの覚悟がないと生きて出られんかもしれんぞ」
126 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:04:06.26 ID:0NzTE2lA0 [2/271]
男の娘「“地獄”って何なんですかぁ?」
側近「この世界と異世界との間の隙間だ。過去と現在とが重なる場所でもある。並みのものでは発狂しかねん。覚悟はあるか?」
男の娘「シェロさんにとっては今更ですよぉ」
勇者「……その通りだ」
女魔術士「……」
側近「そうか、ならいい。……しかし、地獄の賢者か」
勇者「もしかして、知ってるのか?」
側近「もしや……いや、憶測で語るのはやめよう。ただ、過去に世界書の情報を人間界に流した魔物がいるとは聞いている。それかもしれんな」
勇者「なるほど」
側近「ほしい情報は得たのだろう? さっさと行くがいい」
勇者「そうするよ」
127 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:08:26.30 ID:0NzTE2lA0 [3/271]
勇者「……ところでお前さ」
側近「なんだ?」
勇者「顔色、悪くないか?」
側近「もともとだ」
勇者「いや確かにそうなんだけど、前回に比べるとなんだかちょっと……」
女魔術士(そういえば、確かに……)
側近「……気のせいだろう。早く行け」
勇者「……。もし、さ」
側近「?」
勇者「俺たちに手伝えることがあれば、言ってくれよ。力になるから」
側近「……早く、行け」
勇者「おう」
128 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:12:07.93 ID:0NzTE2lA0 [4/271]
前回と同じように城の裏口から外に出た。
山頂の西に立って遠くを眺める。はるか向こうに確かに山脈が見えた。あれがレジボーン山脈だろう。目測で一週間強だろうか。
魔王山を下りて最接近領で弾薬や武器や旅用の装備を補給。一路西へ向かった。
今までは草原や平地を行くことが多かったが、今回は荒野だった。しかも街道のない道なき道を行くので今までよりも体力の消耗が激しい。
誰も何も言わなかったが、その無言がむしろ疲労の度合いを表していた。
この中で一番体力があるのはもちろんシェロだ。しかし次がわからない。カシスは男だがひどく華奢だし、そんなに体力があるようには見えない。もしかしたら私のほうが体力があるかもしれない。
と思ったのだが。
一番最初にガタが来たのはわたしだった。
129 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:16:12.00 ID:0NzTE2lA0 [5/271]
女魔術士「……ごめんなさい」
勇者「いや、いいんだ。俺だってそろそろ限界だった。ここらで休もう」
男の娘「無理しちゃだめってことですねぇ。ゆっくり休みましょう」
女魔術士「ごめんなさい……」
勇者「いいっていいって」
130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:20:17.70 ID:0NzTE2lA0 [6/271]
シェロはともかく、カシスにまで気を使われたのはショックだった。
わたしは、二人の足を引っ張っているのか。そう思うと、なんだかやるせなくなった。
わたしが再び魔術を使えるようになったら状況は変わるだろうか。こっそり小さな魔術構成を編んでみた。しかしそれを実現するための魔力がない。枯渇してしまっている。
わたしは力なくうつむいた。
シェロは何か気がついているのだろう。わたしのほうを何度かちらちら見ていたが声をかけてはこなかった。
と、そのとき座っていたカシスが音もなく立ち上がった。
132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:28:39.01 ID:0NzTE2lA0 [7/271]
男の娘「……」
勇者「どうした?」
男の娘「……」
女魔術士「……?」
男の娘「……来ます!」
133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:31:34.82 ID:0NzTE2lA0 [8/271]
その声と同時だった。わたしは背中に衝撃を覚えて転がった。背中を蹴られたと気付いたのは一瞬後だった。そしてそのときには事態は動き出している。
シェロが罵声を上げながら抜刀するのが目のはしに見えた。ついで影が彼に襲い掛かるのも。
私はみっともなく手を振り回して起き上がると、やっとのことでテンペストを抜いた。
同時にカシスの呪文が響く。
134 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:34:08.63 ID:0NzTE2lA0 [9/271]
男の娘「“狸のスタンピィィード!”」ブワ ビシュシュシュ!
勇者「うわ、うわわ!」
女魔術士「きゃあああ!?」
135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 00:36:09.42 ID:0NzTE2lA0 [10/271]
広く何かが降り注いだ。手足や顔に痛みを覚える。しばらくして降り止んだ無形のそれは、どうやら細かい衝撃波だったようだ。
何をするのかとカシスを怒鳴りつけようとして、七歩ほど離れたところにいる“敵”に気付いた。
荒野の風にはためく黒衣。どんな表情も映さぬ仮面。魔王城の裏口にいた奴らだ。
どうやらカシスは彼らの間合いを外すため、あえて広範囲の魔術を放ったらしい。そのダメージはほとんどないが、攻撃と見れば距離をとらざるを得ない、というわけだ。
相手は、三人。
136 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:00:24.89 ID:0NzTE2lA0 [11/271]
勇者「カシス、これはどういうことだと思う?」
男の娘「さあ……わかりません。ただ、あの元帥って魔物と一緒にいたのは間違いありません」
女魔術士「……」
139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:02:17.81 ID:0NzTE2lA0 [12/271]
こんなときにわたしは何を考えているのだろう。シェロが私じゃなくてカシスの方に質問したのはただの偶然かもしれないのに。
わたしは想像以上に荒野の旅に疲れていたのかもしれない。急いで気持ちを目の前の敵に移した。幸い、いまだ相手は動きを見せていなかった。
ただし先ほどの奇襲を考えるに、いつまた死角を取られるかはわからない。
140 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:04:06.51 ID:0NzTE2lA0 [13/271]
勇者「なにやらわからないが、どうやらこいつらを倒さなきゃいけないらしいな……」
男の娘「よぉし、がんばりますよぉ!」
女魔術士「……」
黒衣s「……」
勇者「――行くぞ! 遅れるな!」ダッ!
男の娘「はぁい!」ダッ!
女魔術士「この……!」ダッ!
黒衣s「……」ススス……
141 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:06:22.29 ID:0NzTE2lA0 [14/271]
相手は三方に分かれた。わたしたちも同じように分かれる。一対一の構図になった。
わたしはその中の一人に向かって、銃の有効範囲まで一気に距離をつめた。その距離三メートルほど。相手に向けて牽制の一発を放つ。
銃声と共に駆け抜けた弾丸は対象のすぐ脇を飛び去った。だが、それは想定のうちだ。この牽制で相手の動ける範囲を絞りさらに一発、今度は本命弾を放つ。
相手はそのままではあたると見ると横にとんだ。それを追いかけて銃口の先を滑らせた。相手はそのままこちらに対し円を描くように走った。回避行動。しかし当てられそうにないときは撃たない。これはレイに習った基本中の基本だ。
相手はこちらが撃たないと見ると向きをこちらに変えた。チャンスだ。引き金を引き――
その前に目に痛みを覚えた。それに動揺して銃口がぶれ、弾丸があさっての方向にに飛んでいく。
気付く。石を投げられていたのだ。
このままでは踏み込まれる。わたしはあせってさらに引き金を引いてしまった。目標を見失ったまま。
自制は瓦解しそのまま引き金を引き続けた。けれども永遠に続くはずもなくすぐに軽い手ごたえが返ってくる。弾切れ。
そして弾切れとは違う衝撃が手を襲った。
気がついたときには手の中に拳銃がなかった。横から蹴り飛ばされたのだ。悲鳴を上げたような気がする。
142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:08:32.39 ID:0NzTE2lA0 [15/271]
左肩に熱い感触があった。激しく肌を焼き、しかし同時に体温を奪い去っていく。
転倒した。土の味が口に広がる。
肩を見るとナイフが刺さっていた。血が吹き出し、服を赤黒く染めた。
唐突に危険を感じて丸まった。けれども一瞬遅く、腹を猛烈な痛みが襲う。蹴り飛ばされて転がった。
起き上がろうとして再び蹴り飛ばされる。そしてもう一度。さらにもう一度。
痛みにうめく。もう起き上がれない。肩のナイフは抜けていた。
それは今、相手の手の中にある。
高々と振り上げられ、そして振り下ろされる。もちろんわたしに向かって。悲鳴を上げようとして失敗した。
刃が下りてくるのがやけにゆっくりと見えた。
ああ、死ぬんだ。
もう終わりか。
終わり?
そんなのだめだ……わたし、まだシェロに言ってないことがあるのに!
143 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:10:19.02 ID:0NzTE2lA0 [16/271]
勇者「“我は放つ光の白刃ッッ!”」ゴッ!
ドガァッ!
黒衣1「っ……!」ドサ
勇者「ふっ!」ザク!
黒衣1「ッ……」ビクン!
勇者「……ハル、大丈夫か!?」
女魔術士「……」
勇者「おい! ハル! しっかりしろ!」
女魔術士「ぁ……シェロ……」
144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:12:18.83 ID:0NzTE2lA0 [17/271]
わたし、生きてる。まだ生きてる。
痛みでうまく動かせないけど、身体はちゃんと残ってる。
シェロの助けを借りてゆっくりと身を起こした。
さっきまで戦っていた敵は、シェロの剣によって地面に縫いとめられていた。
145 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:14:09.19 ID:0NzTE2lA0 [18/271]
女魔術士「敵……他の敵……」
勇者「大丈夫だ、もう倒した。だから安心しろ。手当てをしよう、な?」
男の娘「こっちも片付きましたよぉ!」
146 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:16:10.29 ID:0NzTE2lA0 [19/271]
さほど傷もなくカシスがこちらに走ってくる。その向こうには黒衣の死体。
そこから離れたところにももう一つ。これはシェロが倒した分だろう。
ああ、そうか。
殺されそうだったのはわたし一人だったのか。
偉そうなことを言ってた割りにわたし一人だけだったのか。
それに気付いた途端、鼻の奥がきゅうっと詰まった。目の奥が熱くなる。
これじゃあ……
これじゃあわたしがほんとに足手まといじゃないか。
147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 01:18:06.82 ID:0NzTE2lA0 [20/271]
勇者「お、おい、どうしたハル」
女魔術士「っ……うっ……」ジワ……
勇者「どうした? 傷が痛むのか?」
女魔術士「ひっ、うっ……うえっ」ポロ……
勇者「おい、ハル?」
女魔術士「グスッ……」ポロポロ
149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:26:15.74 ID:0NzTE2lA0 [21/271]
わたしはかろうじて動く右腕で顔を覆って泣いた。
シェロはそれ以上何も聞かなかった。ただ、頭をやさしくなでてくれた。
その夜、わたしは夢を見た。シェロがわたしをパーティーから外す夢。
そこでも彼は優しくて、あくまでわたしを気遣いながら、それでも連れて行けないと断言した。
違う。わたしは気遣ってほしいんじゃない。やさしい言葉をかけられたいわけじゃない。
わたしを頼って。わたしを信じて。
……でも、そうだ。わたしには力がないのだ。
わたしには言う資格がないのだ。
わたしには……
翌朝泣きながら目を覚ました。
次の日は気が重かった。
前日恥ずかしいところを見せてしまったのもあったし、夢のこともあった。まさか正夢になることはないと思いつつも、もしかしたらと思うとぞっとした。
二人は特にこちらのことには触れてこなかった。わたしの前を並んで歩きながら主に昨日の敵についてあれこれ分析している。
150 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:27:56.28 ID:0NzTE2lA0 [22/271]
男の娘「あれは間違いなく、あの元帥って奴の手下ですぅ」
勇者「ああ、俺も同じ考えだ。だが、なぜ?」
男の娘「わかりませんけど、人間が嫌いだからっていう単純な理由でもボクは驚きませんよぉ」
勇者「今、魔界もいろいろと揺れてるんだ、きっと」
男の娘「側近の魔物も怪しいんじゃないですか?」
勇者「確かに嫌われてはいるがな。あんまりそういうことするような奴には見えなかったぞ?」
男の娘「そう見せかけてってこともありますぅ」
勇者「うーん」
女魔術士「……」
151 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:29:24.91 ID:0NzTE2lA0 [23/271]
どことなくギクシャクとした空気を引きずりながら、それでも話は白熱しているようだった。
それから三日が経った。現在レジボーン山脈山中。木一本ない岩肌。切り立った崖。その中の細い道を三人で伝っていく。渇いた風が吹いている。髪がばさばさと舞い上がった。
山中で夜を過ごし、次の日。わたしたちは山腹にぽっかりと空いた穴の前に立っていた。
人一人がぎりぎり通れるぐらいの大きさ。中からは生暖かい風が吹き出している。
152 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:30:18.06 ID:0NzTE2lA0 [24/271]
勇者「ここ、か?」
男の娘「みたいですね」
女魔術士「……」
勇者「ケルベロスはいないんだな」
男の娘「本物の地獄にはいるんでしょうけどねぇ」
女魔術士「……入る?」
勇者「ああ、もちろんだ」
153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:31:16.95 ID:0NzTE2lA0 [25/271]
シェロ、カシス、わたしの順番で穴に入った。中には天然の階段が下に伸びている。
明かりとしてシェロが魔術の鬼火を生み出した。無機質な白い明かりが辺りを照らす。
それからどれくらい下りただろうか。もう一時間は下ったんじゃないかと思ったとき、ついに階段が途切れた。
穴から出て愕然とする。
155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:33:01.71 ID:0NzTE2lA0 [26/271]
勇者「これは……」
男の娘「空がありますぅ……」
女魔術士「ここ、山の中よね……?」
勇者「……どうやら、ここが地獄で間違いないらしいな。俺たちの世界と異世界との狭間、か」
156 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:33:57.88 ID:0NzTE2lA0 [27/271]
空は紫色に濁っている。それでも視界に困らない程度には明るい。
辺りにはごつごつとした岩がそこここに転がっていた。草花は全くない。ここに来るまでに見た荒野や山の景色に似ている。
道が一本、足元から伸びていた。
この先に件の賢者がいるのだろうか?
157 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:34:50.68 ID:0NzTE2lA0 [28/271]
勇者「さあな。だが目当てになるものは他にない。この道をたどってみよう」
男の娘「賛成ですぅ」
女魔術士「ええ……」
158 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 02:36:27.89 ID:0NzTE2lA0 [29/271]
シェロとカシスが前、わたしが後ろ。その陣形で、あくまで慎重に歩を進めた。なにが出てくるかわからないからだ。
しばらく何事もなく進んだ。景色は変化を見せずに延々と続く。
変化が訪れたのは数分後だった。
わたしは背後に突然現れた気配に、泡を食って振り返った。
拳銃を引き抜く。
159 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:00:42.29 ID:0NzTE2lA0 [30/271]
女魔術士「誰!?」ジャキ!
?「……」
勇者「敵か!?」
?「……」
男の娘「……子供?」
少年「……」
勇者「……!」
女魔術士「何でこんなところに……」
160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:02:55.85 ID:0NzTE2lA0 [31/271]
十歳ほどの少年がそこにいた。黙ったままこちらを見上げている。憮然とした目つき。
その子の顔に見覚えがある気がした。
いつか見た、というよりはむしろ見慣れているような。
少年が口を開いた。
161 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:04:30.11 ID:0NzTE2lA0 [32/271]
少年「……僕の村は焼けちゃったんだ」
男の娘「え?」
少年「ううん、違う。焼かれちゃったんだ」
女魔術士「?」
少年「僕は……いや、俺は復讐しなくちゃ……あいつらを殺さなきゃ……」
勇者「……」
少年「……もう行くよ」
女魔術士「え? ちょっとどこへ……」
162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:05:19.01 ID:0NzTE2lA0 [33/271]
少年が道を曲がって岩の陰に入った。追いかけて角を曲がるがそこには誰もいない。
訳がわからない。振り返って2人を見る。
カシスも疑問符を浮かべてこちらを見ていた。
シェロは……
163 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:06:32.96 ID:0NzTE2lA0 [34/271]
勇者「過去と現在が重なる場所、か……」
男の娘「え? どうかしましたぁ?」
女魔術士「何か心当たりでもあるの、シェロ?」
勇者「……あれは俺だ」
男の娘「はい?」
勇者「昔の、俺だ……」
164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:07:37.73 ID:0NzTE2lA0 [35/271]
シェロはどこか遠い目をして言った。
先ほどの少年によく似た顔で。
側近の魔物は言っていた。ここは過去と現在が重なる場だと。
ならば先ほどの少年は……
どうやらここは“そういう”場所のようだった。
165 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:08:43.28 ID:0NzTE2lA0 [36/271]
男の娘「過去の人間が現れる、ってことですか?」
勇者「おそらくそういうことだろうな」
女魔術士「……」
?「あの……」
女魔術士「!?」
166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:10:01.73 ID:0NzTE2lA0 [37/271]
不意に声をかけられて、驚きながら振り返る。
そこには先ほどとは違う少年がいた。角が生えている。人間ではない、魔物だ。
魔物の少年は不安そうな目でこちらを見上げていた。
167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:10:46.57 ID:0NzTE2lA0 [38/271]
男の娘「あ、かわいい……」
幼魔物「……あの、すみません。僕の父上と母上をご存知ありませんか?」
女魔術士「お父さんとお母さん?」
勇者「……」
女魔術士「ごめんなさい、知らないわ」
幼魔物「そうですか……ありがとうございました……」
168 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 03:12:59.42 ID:0NzTE2lA0 [39/271]
そういうと、魔物の少年は道を曲がって岩の陰に消えた。
一応追いかけて岩の後ろを覗いてみたが、やはりそこには誰もいなかった。
少し考えて、思い当たる。
あの魔物の少年は……
169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:00:33.48 ID:0NzTE2lA0 [40/271]
勇者「ニギ……」
女魔術士「……」
勇者「絶対助け出すから……」
男の娘「モグリさん……」
170 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:02:50.23 ID:0NzTE2lA0 [41/271]
再び道に沿って歩き始めた。途中で数人の人間や魔物に出くわした。
不思議なことに彼らは常に視界の外から現れた。そういうルールらしい。
過去に親交のあった友人やら、学校の先生やら、昔付き合ってたあいつやら。その中に、家を飛び出して以来会っていない両親の姿も見つけた。最後に見たときよりもどちらも若い。母が赤ん坊を抱いている。おそらく私だろう。
わたしに関係のある人だけでなく、シェロやカシスの過去も現出した。
171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:04:07.84 ID:0NzTE2lA0 [42/271]
女魔術士「あまり、居心地は良くないわね。変な感じ」
勇者「そうだな、同感だ」
男の娘「そうですかぁ? 楽しいじゃないですか」
?「楽しむだけの余裕がなければここではやっていけんよ」
勇者「!? 誰だ!」
172 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:06:20.41 ID:0NzTE2lA0 [43/271]
いつの間にか道は途切れ、わたしたちは湖のほとりについていた。
湖の水は血のように赤い。もしかしたら本当に血なのかもしれない。湖の周りにだけ、気味の悪い植物が生えていた。
声は目の前の岩陰から聞こえてきた。
低く、しわがれた声。地獄にふさわしい、地の底から這い出してくる亡者の声。
その主がゆっくりと姿を現した。
173 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:14:06.62 ID:0NzTE2lA0 [44/271]
?「ようこそ、勇者であり鋼の後継であるシェロ・フィンランディ。その仲間、ハル・ケットシーにカシス・ブルーベリー」
勇者「お前が“世界書の賢者”か。なぜ俺たちの名前を知っている」
賢者「名はユイスだ。君たちのことはゴーストたちが教えてくれたよ」
男の娘「ゴースト、ですか?」
賢者「君たちも見ただろう。地獄に渦巻く過去たちだ」
174 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:16:21.66 ID:0NzTE2lA0 [45/271]
ただれた肌、つりあがった目、耳まで裂けた口、枯れ木のような体躯、こうもりに似た翼。
ユイスの見た目はそのまま伝説上の悪魔のそれだった。賢者と呼ぶには人間らしさがなさすぎて違和感を覚える。
ユイスはこちらを見て口のはしを吊り上げた。
見ているものを恐怖させる悪鬼の笑みだ。
手に持った古い本を掲げてみせる。
175 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:18:09.10 ID:0NzTE2lA0 [46/271]
賢者「知っているぞ勇者。君の目的はこれだろう?」
勇者「それが、世界書か?」
賢者「その通り」
勇者「……渡してもらえないか」
賢者「そうやすやすと手に入るとでも?」
勇者「あんたと戦う理由はない」
賢者「私にもないな。だが、君たちがこれを持っていきたいとなれば話は別だ。私は全力で君たちを排除する」
勇者「……なぜ?」
賢者「君が知る必要はない。“ここで死ね”」
176 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:19:07.01 ID:0NzTE2lA0 [47/271]
それが呪文だったのだろう。急激に膨らんだ光が目を焼いた。
わたしは悲鳴を上げる。魔術が使えない今、私に防御手段はない。
爆音が轟き土煙が舞い上がる。わたしは自分が死んだと錯覚した。が、生きている。
土煙が吹き去り展開していた防御壁が消滅する。シェロが盾になってくれたらしい。
177 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:20:06.89 ID:0NzTE2lA0 [48/271]
賢者「ほう、完全に不意をついたつもりだったが……防いだか」
勇者「……あんたは過去に人間に世界書を渡している。今は駄目な理由があるのか?」
賢者「……」
勇者「あんたは人間の可能性に期待したんだろう? それで世界書を一度は譲ったんだろう? ならなんで……」
賢者「……私は絶望したのだよ」
勇者「……」
賢者「あんな絶望、一度で十分だ……」
178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 04:21:14.45 ID:0NzTE2lA0 [49/271]
そう言うとユイスは世界書を岩陰に投げ、その手を掲げた。
瞬間、わたしたちは気圧される。それだけの圧迫感があった。
呪文の声と共に光熱波が空間を支配した。シェロが再び展開した防御壁をたたき、殴りつけ、打ち壊そうとする。
ようやく止んで視界が確保できたときにはユイスは先ほどの場所にはいなかった。
突如カシスが吹き飛ぶ。驚いてそちらを向くと、ちょうど蹴り足を戻したユイスと目が合った。
次はお前だ。視線がそう言っていた。
わたしは慌てて拳銃を抜いてそちらに向ける。そのときにはすでにユイスはわたしの懐に踏み込んでいた。
179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:00:40.19 ID:0NzTE2lA0 [50/271]
賢者「シッ――!」シュッ!
女魔術士「がッ!」ドサ!
勇者「ハル!」
180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:02:59.57 ID:0NzTE2lA0 [51/271]
顎が猛烈に痛んだ。ただ殴られただけなのに視界が揺れてもう立てない。
倒れた視界で勇者が右手に剣を、左手に拳銃を抜くのが見えた。
あれは、本気だ。
181 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:04:22.39 ID:0NzTE2lA0 [52/271]
勇者「……」ダンッ!
賢者「いい踏み込みだ」
勇者「はっ!」ビュッ!
賢者「ぬ!」バックステップ
勇者「そこだ!」ジャキ! タァン!
賢者「“守れ”」カキン!
182 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:06:10.20 ID:0NzTE2lA0 [53/271]
ついでシェロから魔術構成が膨らむ。
癖があるが緻密で強大。
最大級の威力で編まれたそれは呪文の声によって解き放たれる。
183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:08:24.47 ID:0NzTE2lA0 [54/271]
勇者「“我は放つ光の白刃!”」ゴッ!
賢者「“死ね!”」カッ!
ドガァ――ッッ!
184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:11:19.86 ID:0NzTE2lA0 [55/271]
爆風が吹き荒れ、倒れているわたしの頬をたたく。
視界の大揺れがようやく収まり、わたしは地面に手を突っ張った。
いつまでも寝ているわけにはいかなかった。立たねば。戦わねば。
拳銃を探す。すぐ手の届くところにある。
私は何とか起き上がるとそれを手に取った。
185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:13:12.39 ID:0NzTE2lA0 [56/271]
女魔術士「この……ッ」ジャキ
勇者「ていっ!」ジャッ!
賢者「む!」ヨケ
女魔術士(駄目だ、シェロに当たる……)
186 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:14:08.46 ID:0NzTE2lA0 [57/271]
ユイスはこちらの動きに気付いているのだろう、こちらに対しシェロを盾にするように立ち回っていた。
これでは撃てない。
突如鋭い衝撃が地面を揺らした。魔物の枯れ木のような身体を、シェロを避けて正確に貫いた。
カシスだ。
187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:16:08.59 ID:0NzTE2lA0 [58/271]
男の娘「“お猿のキャンドルサービス!”」ドッ!
賢者「ぐぬ!」ドゴォッ!
勇者「もらった!」シュッ!
賢者「ぐふ!」ザシュウ!
188 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 05:18:07.34 ID:0NzTE2lA0 [59/271]
手応えは浅そうだったが、シェロの一撃にユイスは確かに膝をついた。
その首元にシェロの剣が突きつけられる。
チェックメイトだ。
189 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:01:27.35 ID:0NzTE2lA0 [60/271]
勇者「俺たちの、勝ちだ」
賢者「……」
男の娘「モグリさぁん、世界書を押さえましたよぉ!」
190 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:02:29.86 ID:0NzTE2lA0 [61/271]
世界書を掲げながら嬉々として歩いてくるカシス。
その歩みが、ぴたりと止まった。
その首筋に銀色の刃が当てられている。
カシスの身体が硬直したのがわかった。
ナイフを保持しているのは見知らぬ老人だった。背後からカシスの首をつかんでいる。
そして私の首にもひやりとした感触があった。
191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:04:52.09 ID:0NzTE2lA0 [62/271]
男の娘「いつの、間に……」
?「……」
女魔術士「っ……」
??「……」
勇者「2人とも!」
賢者「知ってのとおりカシス・ブルーベリーの背後にいるのが百数十年前魔王を殺した勇者の曾孫、チャイルド・フィール。ハル・ケットシーの背後にいるのが王都の魔人、ヒューイック・オストワルドだ」
老人「……」
スタッバー「……」
192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:06:07.24 ID:0NzTE2lA0 [63/271]
賢者「どちらもゴーストだ。ゴーストは少し衝撃を与えるだけで無に還る。それほど脆い。だがその能力はどちらも本物だ」
勇者「くっ……」
賢者「……私はかつて絶望した。深く深く奈落へ沈んだ。君にもそれを味わってもらおう」
勇者「……?」
賢者「選べ。君が助けられるのは片方だけだ。ハル・ケットシーかカシス・ブルーベリーか。失いたくない方を、選べ」
勇者「何……?」
賢者「君が片方を助けようと動き出した瞬間、私はもう一方を殺すよう指示を出す。そういうことだ」
勇者「っ……」
193 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:08:19.37 ID:0NzTE2lA0 [64/271]
シェロは一瞬だけ躊躇した。一瞬だけ。
そして即座に拳銃を持ち上げ、一発、発砲する。
弾丸は空気を貫き、ゴーストを打ち抜いた。
消えたのは――
194 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:16:57.80 ID:0NzTE2lA0 [65/271]
老人「っ……」ズド! シュオゥ……
男の娘「っ――!」
賢者「ほう、カシス・ブルーベリーを選んだか。ではハル・ケットシーを捨てるということだな」
女魔術士(――そんな!)
195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:18:27.94 ID:0NzTE2lA0 [66/271]
そんな……!
ユイスの手がついとあげられた。
首筋の刃が圧力を増す。程なく頚動脈を断ち切るだろう。
わたしは声にならない悲鳴を上げた。走馬灯が頭をめぐる。
――何で!?
何で、シェロ!
わたしがいらなくなったの!?
わたし、まだあなたに言ってないことがあるのに!
めまぐるしく駆け巡るわたしの叫び。荒れ狂い、渦を巻き、出口を求めてなだれ込む。
そんな中。
聞こえるはずもない、声を聞いた。
196 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:19:33.84 ID:0NzTE2lA0 [67/271]
『隣に在ることを諦めないで』
197 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:20:28.02 ID:0NzTE2lA0 [68/271]
そして――
198 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 06:21:12.92 ID:0NzTE2lA0 [69/271]
勇者「ハル――ッ」
勇者「――信じてるッッ!!」
199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:00:12.43 ID:0NzTE2lA0 [70/271]
かっ、と頭の中が熱くなった。
目を見開く。血流が加速する。全てがクリアになる。
どこからか聞こえる澄んだ音を聞きながら、わたしはできうる限りもっとも単純な理想を、できうる限りもっともすばやく世界に解き放った。
――生きたい!!
200 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:03:54.19 ID:0NzTE2lA0 [71/271]
女魔術士「“赤の――刺激ッ!!”」
201 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:06:07.23 ID:0NzTE2lA0 [72/271]
小さな小さな爆発が起きた。これではたいした怪我を負わせることもできないだろう。
それでも。
背後からの拘束がなくなって前によろめいた。
数歩、前につんのめって、それから暖かい何かに包まれる。
シェロ……
202 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:09:49.96 ID:0NzTE2lA0 [73/271]
勇者「ハル!」
女魔術士「シェロ……」
勇者「よかった……ハル……!」
女魔術士「あのね、シェロ……」
勇者「ああ、なんだ……?」
女魔術士「信じてくれて、ありがとう」
勇者「ああ……!」
女魔術士「それとね」
女魔術士「――愛してる」
勇者「ああ……!!」
203 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:12:29.45 ID:0NzTE2lA0 [74/271]
※
賢者「……私はかつて世界書の管理を任されていた。当時、世界は苛烈な戦禍の真っ只中だった。人工的平和維持機構の存在を知った私は、それを使って果てしなく続く戦争に終止符を打ちたいと、そう思った」
勇者「……」
賢者「だが、魔物はその危険性ばかりに注目し、また自らの力に驕り、全く見向きもされなかった。私は人間に希望を見出した。魔物よりはるかに脆いが、はるかに柔軟な人間にな。世界書を渡し、人工的平和維持機構の実現にこぎつけた」
男の娘「……」
賢者「だが結局は、人間は自らの繁栄のためだけにそれを使いだした。世界のことなど、未来のことなど省みず。私は世界書を取り上げ、地獄にこもった。もう世界書は誰にも渡さないと誓い、深く、深く後悔しながら」
女魔術士「機構自体を破壊しようとは思わなかったの?」
賢者「そうしても結局はまた世界は戦乱に飲み込まれる。それならば破滅しているのと変わらん。あの時代を知っているものにしかわからんよ……」
204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:15:54.48 ID:0NzTE2lA0 [75/271]
賢者「どうあがいても世界を救う道はなかった。平和を享受した上での絶対的な破滅か。絶対の破滅を避けた上での緩慢な終局か。これを絶望と呼ばずして何と呼ぶ? 誰もが平穏のうちに暮らせる世界などこの世のどこにもないのだ」
勇者「あんたは、何かを信じていたのか?」
賢者「かつてはな」
勇者「絶望したのか?」
賢者「そうだ」
勇者「……どん底だな」
賢者「この世のどこにも楽園はない。それを夢見ることさえも許されない……。君が救った世界もすぐに戦乱の世に飲み込まれるだろう」
勇者「上を、見上げろよ。何かあんだろ」
賢者「その手の慰めは聞き飽きてるよ」
勇者「あるんだよ……希望はないかもしれねえが、それに似た何かが。じゃなきゃハルは死んでたさ。そうだろ?」
賢者「……」
205 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:18:07.84 ID:0NzTE2lA0 [76/271]
勇者「俺はあんたに感謝してる」
賢者「……?」
勇者「俺は、人工的平和維持機構がなけりゃニギに会うこともなかった。一緒に旅することもなかった」
賢者「……」
勇者「……ありがとう」
賢者「……」
勇者「……」
賢者「……持っていくといい」
勇者「え?」
賢者「世界書を、持っていくといい」
勇者「いいのか?」
賢者「勘違いするな。君にその資格があるとか、君が特別だとか、そういうことじゃない。でも君はやらなければならないのだろう? 魔王を助けたいのだろう?」
勇者「……ああ」
賢者「だったら持っていけ。そしてまた、いつか会おう」
勇者「……本当に、ありがとうな」
206 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:21:15.45 ID:0NzTE2lA0 [77/271]
わたしたちは地獄をでた。外の清浄な空気に包まれて、地獄が息苦しかったことにようやく気付いた。
時刻は夕方。日が地平線に半分隠れていた。
山を下りたころにはすっかり夜になっていた。平らな場所を探してテントを張る。
わたしはひどく疲れていたので見張りを頼んでテントに入った。
けれども、目がさえてしまっている。疲れはたまっているというのに。
何度か寝返りをうって、ようやく眠くなってきたころ外から、話し声がした。
207 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:24:11.21 ID:0NzTE2lA0 [78/271]
男の娘「ねえ、モグリさん」
勇者「なんだ?」
男の娘「えっと……今日のことで話したいなぁって」
勇者「……」
男の娘「ボクとハルちゃんがナイフを突きつけられた、あのときのことです」
勇者「ああ……」
男の娘「……あのとき、モグリさんはボクのことを助けてくれました」
勇者「……」
男の娘「ハルちゃんには悪いですけど、モグリさんがボクを選んでくれたんだって思って、ほんのちょっとだけ、うれしかったです」
勇者「……」
男の娘「でも、あれは違ったんですよね?」
勇者「……ああ」
208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 07:27:41.89 ID:0NzTE2lA0 [79/271]
男の娘「シェロさんはボクが大事だったからとかじゃなくて、ハルちゃんを信頼したから、ハルちゃんなら何とかしてくれるって思ったからボクの救出を優先したんですよね?」
勇者「……」
男の娘「確かにボクがあのときハルちゃんと同じことができたかっていうと怪しいです。ボクの魔術速度じゃ間に合わなかったかもです」
勇者「……」
男の娘「……ねえ、モグリさん。いえ、シェロさん」
勇者「うん?」
男の娘「ボク、シェロさんのことが好きです」
勇者「ん……」
男の娘「ボクじゃあ駄目ですか?」
勇者「……」
男の娘「……ボクが、男だからですか?」
210 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:00:14.58 ID:0NzTE2lA0 [80/271]
勇者「……俺が思うにさ」
男の娘「はい」
勇者「君は、そこらの女の子よりよっぽど女の子で、とても魅力があるよ」
男の娘「……」
勇者「でも聞きたいんだ。君は俺のどこが好きなんだ?」
男の娘「強くて、やさしいところです。そりゃ最初はただの一目惚れでしたけど」
勇者「そうか……」
男の娘「……なにか、駄目でしたか?」
勇者「いや、そんなことはないさ。ただ……」
男の娘「ただ?」
勇者「君が思うほど俺は強くも、やさしくもないんだ」
211 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:04:37.47 ID:0NzTE2lA0 [81/271]
男の娘「そんなことないです」
勇者「ありがとう。でも、俺は実際劣等感が強くて、矮小で、臆病で、どうしようもない奴なんだよ」
男の娘「そんなこと……」
勇者「あるんだ」
男の娘「……そんなこと……」
勇者「俺はハルが好きだ」
212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:06:24.06 ID:0NzTE2lA0 [82/271]
テントの中で、わたしはどきりとした。
213 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:09:14.53 ID:0NzTE2lA0 [83/271]
男の娘「っ……」
勇者「ハルは俺が弱いことを見抜いていたよ。その上で俺についてきてくれるって言ったんだ」
男の娘「……」
勇者「俺を、認めてくれたんだ」
214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:12:12.21 ID:0NzTE2lA0 [84/271]
『仕方ないからあんたについてってあげる』
215 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:15:12.75 ID:0NzTE2lA0 [85/271]
男の娘「……」
勇者「だからだよ。俺は、だからハルが好きなんだ」
男の娘「……」
216 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:18:31.04 ID:0NzTE2lA0 [86/271]
わたしは目をつぶった。昨日よりぐっすり眠れる気がした。
翌朝。テントを出るとカシスはいなかった。
217 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:21:31.54 ID:0NzTE2lA0 [87/271]
女魔術士「あれ、あの子は?」
勇者「先に出発したよ」
女魔術士「……なんでよ」
勇者「一緒にいるとつらいから、だそうだ」
女魔術士「……」
勇者「……最後に、キスされた」
女魔術士「! 何よそれ!」
勇者「い、いや、いきなりだったし、これで忘れるからって……」
女魔術士「……」
218 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:24:12.83 ID:0NzTE2lA0 [88/271]
荒地の向こうを見てみた。当然カシスの背中は見えない。
ただ荒地らしい乾いた風が吹いていた。
日はもう高いところにある。
219 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 08:27:26.80 ID:0NzTE2lA0 [89/271]
女魔術士「……そっか」
勇者「いやその、謝るからさ。怒るなよ?」
女魔術士「怒らないわよ。ただし――」
勇者「?」
女魔術士「……後でわたしにも、その……させなさい」
勇者「!?」
220 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:00:19.62 ID:0NzTE2lA0 [90/271]
魔王城に戻るのには一週間もかからなかった。
すっかりおなじみになった例の部屋に通される。
夕刻。部屋にはルフさんが待っていた。
わたしたちが入室すると、立ってこちらに会釈する。
221 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:02:06.76 ID:0NzTE2lA0 [91/271]
魔王妻「……」ペコリ
勇者「ど、どうも」
魔王妻「ええ……」
勇者「……」
魔王妻「……」
女魔術士「……えーと、座らない?」
勇者「そ、そうだな」
魔王妻「ええ……」
側近「……それで、どうだったのだ? 世界書は手に入ったのか?」
勇者「ああ、この通り」
側近「ふむ、これが……」
魔王妻「これであの人を取り戻せるのですか?」
女魔術士「ええ、その通りです」
222 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:04:08.15 ID:0NzTE2lA0 [92/271]
女魔術士「わたしから説明させていただきます。よろしいですか?」
魔王妻「お願いします」
勇者「頼む」
女魔術士「えー、こほん。わたしはこの数日間、世界書の解析をしてました。それでわかったことが二つあります。まず一つ目。異世界に
侵入する手段はちゃんとありました」
魔王妻「! 本当ですか!?」
女魔術士「ええ。異世界はこの世界ととても近いところにあります。だからこそそれを利用して人工的な平和維持ができたわけです」
側近「なるほどな……」
女魔術士「次に二つ目。その侵入手段ですが、ある特定の場所、“特異点”からのみ魔術士の力によって入ることができるそうです」
側近「魔術士の力?」
女魔術士「詳しくはわからないわ。でもちゃんとそう書いてあるの」
側近「そうか……」
223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:06:46.17 ID:0NzTE2lA0 [93/271]
魔王妻「特異点とは?」
女魔術士「この世界と異世界とが一番接近している場所です」
勇者「それはどこなんだ?」
女魔術士「キエサルヒマ大陸の中心よ」
側近「キエサルヒマ大陸の中心……」
224 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:08:12.16 ID:0NzTE2lA0 [94/271]
城の西、レジボーン山脈に囲まれるようにしてある森。その中のある一点。そこが異世界とつながる世界のウィークポイントだ。
そこからなら異世界に侵入することができる。
魔王を、助けに行くことができる。
225 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:10:35.49 ID:0NzTE2lA0 [95/271]
魔王妻「すぐに行きましょう、あの人が待っています……!」
側近「!? ルフ様も行かれるのですか!?」
魔王妻「当然です、私はあの人の妻なのですよ?」
側近「し、しかしルフ様、あなたは今……」
魔王妻「関係ありません。行くといったら行きます」
側近「…………。承知いたしました。ですが無理はなさらないでください。もうあなた一人の身体ではないのです」
魔王妻「よく、わかってますよ」
女魔術士「?」
226 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:12:44.51 ID:0NzTE2lA0 [96/271]
魔王妻「では早速――」
勇者「ルフ様、もうすぐ夜になります。お気持ちはわかりますが出発は明日のほうがよろしいかと……」
魔王妻「でも……」
女魔術士「あせってはいけません。急いてはことを仕損じます。今日はゆっくり休んで明日に備えましょう?」
魔王妻「……。わかりました……」
227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:14:07.37 ID:0NzTE2lA0 [97/271]
ルフさんはそれでも口惜しそうな顔で部屋を出て行った。側近がそれに続く。
しばらくしてルフさんを部屋に送り届けた側近が戻ってきた。
228 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:16:08.46 ID:0NzTE2lA0 [98/271]
側近「お前たちにも部屋を用意してある。案内しよう」
勇者「お、悪いな」
女魔術士「ありがとう」
側近「……」
勇者「……? どうした?」
側近「いや……」
勇者「……何かあるんだな? 言ってみろよ」
側近「……」
勇者「……」
側近「……その」
女魔術士「ええ」
側近「力を……貸してもらえないだろうか」
勇者「……なるほど、面倒事か。よし、任せておけ」
女魔術士「力になるわよ」
229 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 09:18:13.03 ID:0NzTE2lA0 [99/271]
その晩、側近の頼みに付き合ってちょっとしたごたごたを片付けたのだが、まあそれはまた別の話。
翌朝、朝日がゆるゆると光を投げかけていた。今日はいい天気になるだろう。
わたしとシェロとルフさんの三人は、魔王城正門の前に立っていた。
230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:00:48.29 ID:0NzTE2lA0 [100/271]
魔王妻「では行ってきます。城のことは頼みましたよ」
側近「かしこまりました。――勇者、魔術士、私はこの城を離れるわけにはいかん、ルフ様をくれぐれも頼むぞ」
勇者「ああ、大丈夫。信用してくれていいぜ」
女魔術士「傷一つつけさせないわよ」
魔王妻「頼りにさせてもらいます」
側近「昨夜は……」
勇者「ん?」
側近「その、助かった。礼を言う」
勇者「たいしたことじゃねえよ。力になると約束したのは俺だしな」
女魔術士「また何かあったら相談しなさい。助けたげるわよ」
側近「そう何度も厄介になるわけにはいかん。メンツにかかわる」
女魔術士「めんどくさいわねー」
側近「それが私だ」
231 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:02:58.91 ID:0NzTE2lA0 [101/271]
それを背後に聞きながらわたしたちは出発した。
今度の旅はVIP付きだ。どうしても慎重にならざるを得なかった。ルフさんは予想よりもずっと体力があったけれども、やはり進行速度は落ちてしまう。
でも旅の目的はほぼ達成したようなものだったから気持ちは軽かったし、何より収穫もあった。
出発してから数日後の晩のことだ。そのときわたしたちは夕食をとっていた。
232 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:05:09.86 ID:0NzTE2lA0 [102/271]
魔王妻「ごめんなさい」
勇者「……? 何ですかいきなり」
魔王妻「だいぶ前にあなたにひどいことを言いました」
勇者「ああ、そのことですか」
女魔術士(言うだけじゃなかった気もするけど)
勇者「気にしてませんよ。むしろ罵倒されて当然です」
魔王妻「……それでもごめんなさい。あなたはあの人を救うために尽力してくれていたのに……」
勇者「……」
魔王妻「……私は、泣いているばかりで、何もできませんでした。いえ、何かをしようとすらしませんでした……」
勇者「……」
魔王妻「本当に、ごめんなさい……」
233 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:07:05.45 ID:0NzTE2lA0 [103/271]
勇者「……俺は、俺たちは、確かにあいつを救うためにあちらこちらを回っていました」
魔王妻「……」
勇者「でもきっと、最後にあいつを異世界から呼び戻すのは、あなたの声だと俺は思います」
魔王妻「え……?」
勇者「祈ってください。あいつが助かるように」
魔王妻「……」
勇者「あいつ、王都であなたにお土産を買ったんですよ。あなたにさびしい思いをさせた埋め合わせをしたいって」
魔王妻「……」
勇者「あいつが帰ってきたら、受け取ってやってください」
魔王妻「ええ、必ず……」
234 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:08:14.09 ID:0NzTE2lA0 [104/271]
二人は遅ればせながら和解したようだった。
出発から十日後、わたしたちは森の中にいた。レジボーン山脈にやや囲まれるようにしてある“フェンリルの森”。
うっそうと茂る草木が、わたしたちの行く手を邪魔した。
一晩の野営を経て、次の日。そろそろではないかと思ったそのとき、突如開けた場所に出た。
直径十メートルほどの空き地になっている。そこだけ草も生えておらず、土がむき出しになっていた。
235 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:10:07.05 ID:0NzTE2lA0 [105/271]
勇者「ここは……」
魔王妻「……」
女魔術士「もしかして……」
236 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:12:06.75 ID:0NzTE2lA0 [106/271]
私は目を凝らした。……何かが見える。
とは言ってもそれは肉眼で見えるものではない。
魔術構成を見る目でもって見えたものだった。
それはシェロも同じだったようで、空き地の中心に視線を注いでいた。
237 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:14:27.49 ID:0NzTE2lA0 [107/271]
魔王妻「……何が見えますか?」
勇者「俺にもよくは……ハル、どうだ?」
女魔術士「魔術構成の亜種みたいなのが見える。たぶんだけど、世界の亀裂よ」
勇者「いけそうか?」
女魔術士「やってみる」
238 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:16:10.91 ID:0NzTE2lA0 [108/271]
空き地の中心に歩を進める。何かの圧力がわたしの身体を押し戻そうとした。足を止める。目を瞑る。全身で“それ”を受け止めた。
情報の奔流がわたしを通り抜けていく。その流れに手を伸ばし、形を一つ一つ確かめる。そしてその大元をたどり、少しずつ奥へ奥へともぐっていく。
数分が経過した。わたしの額に汗がにじむ。じりじりとした一進一退の攻防。しかし永遠に続くかと思えたそれも、あっけなく終わりを迎えた。
あった。
扉の取っ手をつかむ感覚。
239 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:18:30.28 ID:0NzTE2lA0 [109/271]
女魔術士「……準備オーケー、いけるわよ」
勇者「よし……!」
女魔術士「二人とも、わたしの手を取って」
勇者「おう」
魔王妻「はい」
女魔術士「覚悟はいいわね? 開けるわ」
241 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:01:50.44 ID:0NzTE2lA0 [110/271]
がこん……
実際に音がしたわけではないけれど。世界の重々しい扉が開く感触が直接頭の中に返ってくる。
わたしたちは一歩、足を踏み出した。
※
風が吹き荒れている。その感覚だけがある。
何も見えない。自分が存在しているのかさえもわからない。手足の感覚がなかった。
両隣に誰かがいるのはわかった。シェロとルフさんだろう。
しかし、やはり握っているはずの手の感触はない。
魔王……。
そうだ、魔王を探しに来たのだった。
242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:03:15.09 ID:0NzTE2lA0 [111/271]
あたりを見回そうとする。しかし一面真っ暗で、何かを捕捉することさえできない。
一歩を踏み出す。というよりか、前に進もうと念じる。
どうやら成功したようだった。移動の感触が返ってくる。
当てもなく、ふらふらと進んだ。前後左右の感覚どころか上下の感覚すら危うい。
風の音だけがしている。
延々と、延々と進み続け……それからどれくらいが経ったのだろうか。数秒かもしれないし数時間かもしれない。もしかしたら数年ということも考えられた。時間の感覚すらそこでは失われていた。
もう進めない。わたしたちは立ち止まった。暗闇のなかで途方にくれる。
そのとき、誰かの泣き声が聞こえた。
すすり泣く、か細い声が。
……いる。
そこに、いる。
何度も何度もしゃくりあげながら、そこにいる。
声を上げようとしたそのとき、まばゆい光が視界を覆った。
243 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:04:51.84 ID:0NzTE2lA0 [112/271]
魔王妻「あなた!」
勇者「ニギ!」
女魔術士「っ……。戻ってきた……?」
244 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:10:48.33 ID:0NzTE2lA0 [113/271]
元の空き地にわたしたちは立っていた。
先ほどより少しだけ傾いた日の光が森を薄暗く照らしている。
三人並んで、しばし立ち尽くした
世界の亀裂は相変わらずそこにある。
魔術構成のようなちらちらとした世界のピースを散らしながら、そこに口を閉じている。
ふと身体が重いことに気付いた。
鉛のような疲労が体を覆っていた。
245 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:13:50.04 ID:0NzTE2lA0 [114/271]
勇者「……」
魔王妻「……」
女魔術士「……」
勇者「あいつ……」
魔王妻「……」
勇者「あいつ、生きてた」
魔王妻「ええ……」
勇者「泣いてたけど、あいつは、ちゃんとあそこに生きていた……!」
魔王妻「ええ……!」
246 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:15:29.33 ID:0NzTE2lA0 [115/271]
ルフさんは感極まったように顔を手で覆った。
勇者はじっと虚空を見つめている。
わたしはその隣にそっと立った。
247 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:17:30.21 ID:0NzTE2lA0 [116/271]
勇者「……なあハル、あいつ生きていたよ」
女魔術士「そうね……」
勇者「生きていて、くれたんだ……」
女魔術士「ええ……」
勇者「絶対に……絶対に助け出す。絶対にあいつに再会してやる!」
248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:19:12.98 ID:0NzTE2lA0 [117/271]
シェロの目には決意の、まっすぐとした光があった。決して揺るがない、確固とした光が。
その横顔を見つめながら思った。
249 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:20:56.73 ID:0NzTE2lA0 [118/271]
女魔術士「ねえ、シェロ」
勇者「なあ、ハル」
女魔術士「……先にどうぞ」
勇者「悪い。――俺はあいつのために尽力したい。あいつを絶対に取り戻してやりたい。でもそれはどれくらいかかるかわからない。もしかしたら何年も、何十年にも及ぶかもしれない。途中でくじけてしまうかもしれない」
女魔術士「……」
勇者「だから……だから、俺の隣にいてくれないか……? 隣で、俺を支えていてくれないか……?」
女魔術士「……」
勇者「……」
女魔術士「……ふふ」
女魔術士「喜んで」
250 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 11:21:56.32 ID:0NzTE2lA0 [119/271]
わたしは思った。
そんな彼の支えになってあげたいと。
この先何年も、何十年もそばにいたいと。
……こうしてわたしたちの旅は終わった。
長い長い道の先に、いったんの終止符を打ったのだった。
物語が再び動くのは、それから数十年後のことだ。
252 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:00:16.11 ID:0NzTE2lA0 [120/271]
※
わたしは二階のゆり椅子の上で、心地よい夢から目を覚ました。
窓からのさわやかな風を頬に感じたからだ。
ゆったりと背伸びをする。編み物をしている最中に眠ってしまったらしい。
息をついて手元を見る。長い年月を経た手の甲が目に入った。
微笑む。ずいぶんと歳をとったものだ。
あれから五十九年が過ぎた。わたしはもうすぐ八十になるおばあちゃんだ。
あのあと、わたしたちは森のそばに小さな家を建てた。魔王を助けに特異点に通うためだ。
そうしてあの人と一緒に、ほぼ毎日異世界にもぐった。
しかし、あれ以降魔王の気配は見つかっていない。
ルフさんもたびたび同行したが、結果は変わらなかった。
歳をとるにつれて特異点に通う頻度は少なくなっていった。もちろん諦めたわけではない。体力の問題だ。
253 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:02:49.63 ID:0NzTE2lA0 [121/271]
途中、出産も経験した。元気な娘を授かり、子育ての間は、特異点から遠のいた。
再び通いだしたのは、娘が十分に大きくなってからだ。
それからも魔王は見つからない。そのうちに娘は最接近領の男性と結婚した。
瞬く間に時は過ぎ、いつの間にやら孫まで授かっていた。
孫は運動はからっきしだったが、勉強がよくできた。彼自身の希望もあり、十二歳の時、わたしたちの友人を頼って学術都市ラポワントに遊学させた。
ところで、ルフさんもわたしたちと同時期に娘を授かっていた。成長した娘さんは、わたしたちの孫をとてもかわいがっていたので遊学の際はたいそうさびしがったようだ。
十数年後、孫はなにやら偉い学者になって帰ってきた。現在二十三歳。五十九年前の王都壊滅に関する論文を書いているらしい。
彼はお爺ちゃんっ子であの人を深く尊敬していたが、魔王の生存に関しては懐疑的らしい。
もう魔王は死亡しているのでは、と言ってあの人を怒らせた。
254 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:04:21.39 ID:0NzTE2lA0 [122/271]
これがわたしたちの歴史だ。魔王救出のために人生をかけた者たちの記録だ。
特異点に行くことすらできなくなった今も、その奮闘は「待つ」という形で続いているのだ。
今日は特に風が気持ちよかった。程よい湿り気と暖かさを運んで部屋を通り抜けていく。
ふと目を移すと、同じく椅子に座っているわたしの夫が、転寝をしていた。
くすりと笑って毛布を膝にかけてあげた。
そのとき階段を騒がしく駆け上がる音がした。
下では孫が論文を書いていたはずだった。
扉が勢いよく開けられる。
255 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:05:23.97 ID:0NzTE2lA0 [123/271]
学者「爺さん、爺さん!」
老婆「騒がしいわね、どうしたの?」
学者「婆さん、実は――」
学者「魔王が、帰ってきた!」
256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:06:07.98 ID:0NzTE2lA0 [124/271]
そよ風の中、夫はそっと目を開けた。
257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:07:11.40 ID:0NzTE2lA0 [125/271]
title:女魔術士「魔王探し?」 ~魔王「我輩と一緒に世界を救ってくれ」アフター~
~END~
thank you for your reading,sien and criticism
258 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:08:45.81 ID:0NzTE2lA0 [126/271]
一ヶ月越しになっちゃったけどアフター終わり
今回は導入部でこけちゃったかね
それじゃへばな~ノシ
と見せかけて、実はもうちょっとだけ続くんじゃ
259 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:16:23.38 ID:0NzTE2lA0 [127/271]
これからスーパー短編タイムに入る。
短編は全部で七つある。これを全部やると二百レスほど。
その中で重要ストーリーを含むものが四つでそれだけだと百レスほど。
全部と重要短編のみとどちらがいい?
このレスから五レスで多数決を取る。
十分経っても誰もこない場合は重要短編のみ。
なお、ほとんど小説形式。そして重要短編のみの場合、残りは別所に投下。
261 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:32:04.38 ID:0NzTE2lA0 [128/271]
というわけで、全部で
一時間に十レスで猿。よって単純計算で約二十時間後に終了予定
では投下開始
262 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:33:26.25 ID:0NzTE2lA0 [129/271]
短編:魔王のまどろみ
264 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:02:38.16 ID:0NzTE2lA0 [130/271]
いつからそこにいるのかは忘れてしまった
なぜそこにいるのかも忘れてしまった
ここがどこかもわからない
とすれば次に忘れてしまうのは――自分自身のことだろう
彼は一人ため息をついた
265 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:04:07.67 ID:0NzTE2lA0 [131/271]
そこは暗かった
そして明るかった
そこは広かった
そして狭かった
遠くて近く、長くて短く、冷たくて熱く
全にしてゼロ、ゼロにして全
そこはそういう場所だった
266 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:06:06.85 ID:0NzTE2lA0 [132/271]
歩き続けた
行かなければならない場所があった気がした
会いたい人がいた気がした
歩き続けた
ずっと歩き続けた
ずっとずっと歩き続けた
ずっとずっと――
267 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:08:07.96 ID:0NzTE2lA0 [133/271]
――歩き続けた
どこにも行けなかった
彼はちょっと顔をゆがめた
こころの底がじわりと痛んだ
見上げてみても空はない
うつむいてみても地面はない
進もうにも道はない
戻ろうにも道はない
268 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:10:06.43 ID:0NzTE2lA0 [134/271]
彼はうずくまった
うずくまって嗚咽の声を上げた
しばらくその音だけが、あるかどうかもわからない空間を満たした
ずっとずっと、響いて消えた
数秒もしくは数百年のあと嗚咽の声はやんでいた
かわりに規則正しい寝息が聞こえていた
彼の目には涙の跡
彼のまどろみ闇の中
269 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:12:06.91 ID:0NzTE2lA0 [135/271]
ぼんやりとした闇と光の夢の中、彼はふと思う
このまま寝ていればどこにも行かずにすむ
何も考えずにすむ
泣かずにすむ
名案に思えた
暗闇と光明のなか、彼は静かにたゆたう
流れているかもわからぬ時間の流れに身を任せ、彼は静かに呼吸する
緩む意識、かすむ記憶、遠のく過去
その中で
――声を聞いた
271 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:19:51.13 ID:0NzTE2lA0 [136/271]
遠くから、近くからかけられる小さな大きな声
やさしい響き
懐かしい音
彼はゆっくり目を開いた
272 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:23:23.51 ID:0NzTE2lA0 [137/271]
名前を失ったことに気付いた
それでもわかる
あれは自分を呼ぶ声だ
自分を待っている声だ
こわばった身体を解いて彼は立つ
ゆっくりゆっくり歩を進める
渦巻く混沌の中、それはどこか祈りにも似て……
273 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:25:39.19 ID:0NzTE2lA0 [138/271]
行く手に白い光を見た
274 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:27:05.97 ID:0NzTE2lA0 [139/271]
短編:魔王のまどろみ
~了~
276 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:03:27.12 ID:0NzTE2lA0 [140/271]
短編:側近のお仕事
277 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:09:28.26 ID:0NzTE2lA0 [141/271]
はじめまして。私は魔王様の側近を務めさせていただいている者です。
側近、とはいっても多くの方が想像しておられるような侵入者の排除には携わっておりません。残念ながら私は戦闘にはからっきし向いていないのです。
私の仕事は主に魔王様の身の回りの世話や、政の補佐などです。
馬鹿にされるかも知れませんが、これはこれでなかなか大変なものです。
歴代魔王様方は、その、大雑把な方が多くて苦労させられるのです。
また、たとえではなく命の危険にさらされることも多々ありました。
今日はそのときの話をしたいと思います。
少々長くなりますが、最後までお聞きいただければ幸いです。
ことの始まりは、魔王様が勇者を連れて世界を救う旅に出られてからのことです。
無事に世界は救われ世界は破滅を回避することができましたが、どうしたことか人間の中心都市が壊滅し世界はなかなかに不安定な状況に放り込まれてしまいました。
そして魔族側にこれを好機と見る者がいたのです。
280 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:20:15.45 ID:0NzTE2lA0 [142/271]
「許可をいただきたい」
元帥は直立不動で言いました。
「……」
私は机に両肘をつき手を組み、無言で彼を見上げます。
彼は魔王直属の軍の総司令官。立派な身体を持ち、その堂々たる風格で執務室全体をある種の緊張感で満たしていました。
「結論から言いますと」
対抗するわけではありませんでしたが、私は心持ち重々しく口を開きます。
「それはできません」
すっ、と元帥の目が細められました。
「なぜ」
「理由はいくつかあります」
私は動じず返答します。
281 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:21:42.01 ID:0NzTE2lA0 [143/271]
「まず第一に、あなたの言う通り今の機に人間へ宣戦布告をすれば有利にことを運べるでしょうが、それでも大きな戦争になるでしょう。魔王様のおられない今の時期にそのような重大案件を決めるわけにはいきません。せめて魔王様が帰ってから再度提案するべきです」
「……」
「次に、そのような重大案件を私たちだけで実行に移せば実権の乱用とも言われかねません。慎重に議論するべきです。また、軍部の暴走も考えられないではありません。もちろんあなたを信用してはいますが」
「しかし――」
「なにより」
私はそこで言葉を切りました。組んだ手を解き、机に触れます。ひんやりとした感触が伝わってきます。
「魔王様は戦争を望みません」
「……」
元帥はそこで沈黙します。彼も知っているのです。魔王様がどのような方であるか。
「それでも私はこの案を推奨する」
そう言って元帥はこちらに背を向けました。私は目を瞑ります。
「……また来る」
足音が遠ざかり、扉が閉まる音が響きました。
282 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:22:56.51 ID:0NzTE2lA0 [144/271]
キエサルヒマ大陸はかつて、全てが魔族の領土だった。魔族の間ではそう伝えられています。そのため、人間を排除もしくは支配下に置いて、大陸を魔族の手に取り戻そうと言う者もいます。
先ほどの元帥もそのような魔族の一人でした。
前述したように、人間のほうは中心都市の崩壊で不安定になっています。その隙を狙って戦争を仕掛け、領土を拡大しようというのが元帥の提案です。
そして魔王様が旅に出ている間その代理は私で、あらゆる指揮権は私が持っていました。もちろん軍の出撃許可も。元帥はそれを欲して私のもとを訪れたのでした。
執務室で一人ため息をつきます。
私は彼の提案に反対でした。大陸の完全支配権を得たいと思うのはわかりますが、私個人は今の安定に満足していましたし、戦争となれば大きなコストが発生するのは必然だったからです。それは金であったり、労力であったり、命であったり。
私は博愛主義者ではありませんでしたが、むやみに痛みを振りまくそれを許してしまえば一生後悔を背負うことになるだろうと思ったのです。
私はしばらくじっと元帥の消えた扉を凝視していました。
283 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:24:34.01 ID:0NzTE2lA0 [145/271]
ある日のことです。勇者とその仲間を城の裏口から送り出し、執務室で一息ついておりました。
机に置いた紅茶の良い香りが鼻をくすぐります。
窓からはやや傾いた太陽の日差しが差し込んでいました。
私は書類の束から数枚取り上げてさっと目を通します。
そのほとんどが、魔界各地の魔物が人間界の混乱に乗じ蜂起寸前であることを報じる内容でした。
私は嘆息して紅茶のカップを取り上げました。口をつけます。
そのときでした。唇に痛みが走ったのは。
「?」
たいした痛みではありませんでしたが、いぶかしく思いカップを目に近づけます。
カップに特に異常はありません。
が。
「う、ん?」
違和感がありました。なんというか目がちらつきます。視野が狭くなっている気がします。そして頭が重い。
私は知らず前かがみになっていました。これはおかしい。立ち上がろうとして失敗し、椅子から落ちました。そして痛み。
床に倒れて、それでも立ち上がることができません。視界がゆっくりと暗くなり――
284 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:25:47.87 ID:0NzTE2lA0 [146/271]
※
「っ……」
私は瞼を開きました。薄明かりに照らされた天井が目に入りました。ベッドに寝かされているようです。
ここは……
「……目を覚まされましたか」
低い声が聞こえました。仰向けの首をゆっくりと横に向けます。なぜかそれすらも億劫でした。
白いローブを着た老魔族が目に入ります。彼には見覚えがありました。医者。
「私は……」
「あなたは医務室で倒れていたところを侍女に発見されここに運ばれました」
医者の声はぼそぼそとして少し聞き取りづらいものがありました。
「私が、倒れた……?」
「ええ、これを見てください」
そう言って彼が掲げたのは小さなカップ。見間違えでなければ私のものです。
「ここに」
彼はカップの飲み口を示します。
「小さな小さなガラス片が」
285 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:27:24.65 ID:0NzTE2lA0 [147/271]
「ガラス?」
彼はカップをベッドの脇の棚に置きました。
「それに即効性の毒が」
ひやり、と空気が止まりました。
毒?
「あともう少し量が多ければ、処置が遅れていれば……目を覚ますこともなかったでしょう」
「……」
私は呆然としていました。
手が一度、かすかにぶるりと震えました。
彼はちらり、と私の目を見ました。それまでは彼の視線は床か、どこか低いところにありました。
「仕掛けたものに、心当たりは?」
私は少し考えました。
「……ありません」
嘘です。
286 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:29:57.81 ID:0NzTE2lA0 [148/271]
医者はしばらく黙り込んで考えるような顔をしていました。しかし、ふいと顔を上げると「一週間ほどでよくなります」とぼそぼそとつぶやいて部屋を出て行きました。
「……」
私は毒を盛った者に気付いていました。それどころかわざと私を生かしたことも理解していました。
これは私をいつでも殺せるということを私に示すための行為なのです。
これは私への警告なのです。
私は薄暗がりの中で、ベッドに仰向けになりながらしばらく意識を硬化させました。
何も考えず、何も思わず。
そして、目を閉じました。
287 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:31:07.14 ID:0NzTE2lA0 [149/271]
二ヶ月が経ち、毒の影響も全くなくなったころ。勇者が再び魔王城を訪れました。そのとき私は魔界の火種を抑えて回っているところでした。
遅れて出迎えに出た私が見たのは、勇者と対峙する元帥の姿でした。
私は警戒を隠さずに彼に接します。
勇者を連れて魔王城の中に入り、元帥の視線が届かなくなったころ。私はようやく安心して肩の力を抜きました。
それから勇者に助言を与え再び裏口から送り出します。裏口に元帥の姿がないことに安心している自分がいました。
安心? そう。私は彼を恐れていたのです。
299 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:41:04.64 ID:0NzTE2lA0 [150/271]
勇者が地獄に向かい、十日ほどしたころ。夕刻。執務室の扉が開きました。
「失礼する」
元帥です。私は執務室の机の前でそれまで閉じていた目を開きました。
ついにこの日が来た、と。
「どうなさいました?」
「話に来た」
元帥のよく通る声が返答します。以前の直立不動の姿勢はどこへやら。どこか砕けた雰囲気でした。
私は決められた手順をなぞるようにさらに質問を重ねました。
「話とは?」
「生命の話だ」
「生命?」
「命とはすばらしい。生れ落ちたときから輝き始め、一生のうちに明滅を繰り返しながらやがて消えるが、その輝いた痕跡は消えることはない」
「そうでしょうか。忘れられてしまうものも多い気がしますが」
「忘れられるのと消滅とはまた別の話だよ、ギル」
300 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:41:51.61 ID:0NzTE2lA0 [151/271]
ギル。私の名前。その名で呼ばれることは最近はめったにありませんでしたが。
「忘れられようがなんだろうが、そこにあったという事実だけはなくならない。それぞれにドラマがあり、スペクタクルがあり、まあその大きさには個人差があるものだが……」
「……」
「ギルお前はどうかな?」
首にひやりとしたものが触れました。鋭い感触。その気配だけで皮膚を裂き、血管を断ってしまいそうなほどの。
いつの間にやら後ろに気配がありました。その気配の主が私の首に細い刃を当てていたのです。
突如現れた気配は一つだけではありませんでした。私の真後ろに一人、机の脇に一人、元帥の右隣に一人。
黒衣と仮面をつけたそれらの人影は、いきなり現れた以外何の動きも見せずただそこにいるだけでした。ただいるだけで圧迫感を私にあたえていました。
「……」
それでも、私は無言でした。その様子を見て元帥が声を感嘆の声を上げます。
「さすが魔王様の側近。この程度では動揺しないか」
301 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:42:36.94 ID:0NzTE2lA0 [152/271]
私はそれを無視して口を開きます。
「最近、魔物の打倒人間の動きが活発でした。人間の側で混乱があり、それを好機と見た魔物たちが多かったのでしょうが、それにしても少々過激すぎました」
「……」
「火種を起こして回っていたのはあなただったのですね、ガル」
ガル元帥は何も言わず、ただ口角を少し持ち上げて見せました。
「それだけではありません、私のカップに細工をしたのもあなたの手のものでしょう」
「さて……」
「あなたの狙いは私を脅して打倒人間の出撃許可を得ることですね」
ふ、と息の漏れる音が聞こえました。元帥がかすかに笑った音です。
「お前には選択肢は少ないなギル。許可を出すか。それともここで死ぬかだ。私としてはどちらでもいいのだが」
確かに。たとえ私が死んでも、いや死んでしまえばいくらでもやりようがありました。元帥というのはそれほどの地位なのです。
304 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:45:24.77 ID:0NzTE2lA0 [153/271]
「……」
私は口をつぐみました。そこであらかじめ考えていたいくつかのことを再度頭の中で転がします。
元帥はそれを降伏ととったようでした。
「選べ」
首もとのナイフがほんのかすかに圧力を増します。彼らに躊躇などというものは望めません。元帥直属である最強の暗殺部隊、通称“黒衣”たちは感情というものを剥ぎ取られた者たちなのです。
人間よりはるかに強い力を持つ魔物が、極限までその制御に尽力したとき、彼らのようなものが生まれました。
私は慎重に言葉を選びます。
「時間を、いただけないでしょうか」
元帥はく、と少し笑いました。
「時間? 祈るためのものか? 魔物に神はいないだろう、ギル?」
確かに魔物は基本的に宗教を持ちません。ですがそれ置いておきましょう。
306 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:47:07.47 ID:0NzTE2lA0 [154/271]
「考える時間です」
元帥はすっと真顔に戻りました。
「考える時間? お前に与えられた選択肢はたったの二つだ。そして悩むほどの問いではない」
元帥はつい、と手を上げます。
「死ぬか?」
ぶしゃ!
突如部屋にそのような音が響きました。血が執務室のテーブルを汚します。すうっと視界が暗くなったような気がしました。
そう、これは私の血。私の首から吹き出した血……
ぐらりと視界が傾きました。椅子から転げ落ちるかと思いましたが襟元をつかまれ乱暴に椅子に戻されます。元帥が何か言いました。
「頚動脈は外した。だが次はない」
私は静かにその目を見返しました。
「ほう、この段に至っても冷静とは!」
今度こそ心からのものでしょう、元帥が感嘆の声を上げました。
308 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:48:33.26 ID:0NzTE2lA0 [155/271]
「考える時間をください」
私は繰り返します。
「考える時間を、ください」
元帥は黙りました。何か考えているようです。先ほどは私を殺してもいろいろやりようはあると述べましたが、それでも面倒ごとは避けられません。うまく処理しなければ魔界が魔王派と元帥派に分かれて内紛が起きてしまうでしょう。
元帥にしても私から直接許可をもらえるほうが多少は都合がいいのです。
「五日間だけでかまいませんので」
私は言葉をかぶせます。
「それともその間に私が対抗手段を手に入れるとでも?」
「それは、ないな」
元帥は断言しました。確かに黒衣は魔物の中でも突出して強力です。そう簡単に対抗手段は用意できません。私が持っている手駒は主に政の方面にしか役に立ちません。武力の面で私は無防備なのです。
309 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:49:17.90 ID:0NzTE2lA0 [156/271]
「でしたら――」
「いいだろう」
しかし元帥は付け足します。
「ただし時間は三日間だ。それ以上は待たん。それまでに決めろ」
そう言ってこちらに背を向けました。
どうやらとりあえず私の首はつながったようでした。
が。
「ああ、あと」
元帥はさらに付け足しました。
「魔王様の父上様、母上様のお住まいは押さえてある。妙な真似をしたらその方々にも危害が及ぶと考えろ」
すっと血の気が引くのを感じました。
魔王様の父上様、母上様の情報は外に漏れぬよう厳重に扱われていました。それを知る者は城にも数人もいません。魔王様の弱点だからです。
元帥が出て行き、執務室の扉が閉まりました。いつの間にやら黒衣らの姿も消えていました。
私の首からは先ほどから止まらぬ血が、私の服を汚しています。それでも私はぬぐいませんでした。ぬぐえませんでした。
私は扉の外の遠ざかる元帥の足音に、じっと耳をすませていました。
312 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:50:22.51 ID:0NzTE2lA0 [157/271]
時間は瞬く間に過ぎました。その間、私はあれこれと手を尽くしたのですが、どうにもなりませんでした。
そして三日後。夜。私は執務室の机について顔の前で手を組んでいました。
明かりはつけていません。それ以前に目を瞑っていたのですが。
扉が音を立てて開きます。大柄な何かが入ってくる気配がしました。もちろん元帥です。扉が閉まりました。
「ギル、答えを聞こう」
朗々と声が響きます。私は目を開きます。見るまでもなく、首に刃が突きつけられているのがわかりました。
部屋には私と元帥、そして黒衣三人分の影があります。それらは窓から差し込む月の光にぼんやりと照らされていました。
「答え、ですか……」
私はつぶやきます。
「そうだ、答えだ」
元帥の表情は見えません。ただ、暗闇の中でかすかに笑う気配だけが伝わってきます。
313 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 14:51:12.45 ID:0NzTE2lA0 [158/271]
ひたり、ひたりと音が聞こえます。いいえ、違いました。それは私の頭の中だけで響く音です。
死の足音。ゆっくりと、しかし確実に私の元に向かってきます。
「さあギル、どうする? 許可はいただけるのかな?」
「……」
私は少し……ほんの少しだけ考え、口を開きました。
「お断りします」
「そうか」
元帥の右手がついとあがりました。首筋の刃がピクリと動いた気がしました。
そのすぐ後には私の死体が残るのでしょう。
しかし。
そのとき、私は全く別のところを見ていました。元帥の背後の扉。そして必要なのは一瞬を耐え切る覚悟だけ。
316 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:01:27.06 ID:0NzTE2lA0 [159/271]
がしゃあぁん!
突如けたたましい音を立てて窓が割れました。そして落ちる刃。私の後ろの黒衣が崩れ落ちます。
「っ!?」
元帥の驚く気配が伝わってきました。
しかし彼を置いてきぼりに、今度は扉が勢いよく開きます。そして飛び込んでくる、鋭い気合。
「シッ――」
元帥の隣にいた黒衣が完全に不意をつかれ、一刀のもとに黙しました。
元帥は驚いてよろめきます。
次に動いたのは最後の黒衣でした。
ナイフを抜き放ち、部屋に入ってきた影に気合すら上げずに飛び掛ります。
影はそれを受け止めました。そして響く破裂音。黒衣が倒れます。硝煙のにおい。
317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:02:47.25 ID:0NzTE2lA0 [160/271]
黒衣が一人残らずやられたのに気付き、ようやく元帥は動きを見せました。抜剣して影に斬りかかります。
が。
タァン!
窓から何かが飛来します。刃が影に届くその前に、元帥は転倒し剣を取り落としました。
影が元帥に剣を突きつけます。
「……終わったぞ」
「ご苦労、勇者」
月明かりが影――勇者の顔を照らし出しました。剣と拳銃をぶら下げた彼を。
「何だ……一体、何が……」
元帥の声を無視し、黒衣の死体を避けて割れた窓に近づきます。窓の外には木が枝を投げかけていました。木の上にいる女魔術士がこちらに手を振っています。
319 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:04:08.76 ID:0NzTE2lA0 [161/271]
私はそれには手を振り返さないまま声を口を開きました。
「私には武力はありません。それに類する手駒も」
背後の元帥は、肩を拳銃で打ち抜かれ立ち上がることもできないようでした。
「ですが、手を貸してくれる知人には心当たりがありました」
「勇者……」
「その通り」
振り向いた先には、相変わらず元帥が倒れています。勇者に取り押さえられたまま。
「貴様正気か? こいつは人間だぞ!」
「私のモットーは使えるものは敵でも使え、です」
元帥の怒り交じりの声に、私はあくまで冷静に応答します。
「それが私です」
321 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:08:34.79 ID:0NzTE2lA0 [162/271]
元帥の低くうめく声が聞こえました。
「私にはむかう気か……! 魔王様のご両親がどうなっても良いと……!?」
「私にブラフは通じませんよ」
「何?」
私は元帥に歩み寄り、膝をつきました。うつぶせの彼の耳元に顔を近づけます。
「あなたがご両親のお住まいを押さえているというのは、嘘だ」
「……嘘など」
「なぜなら……」
「私が殺したからです……魔王様のご両親を」
323 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:10:29.92 ID:0NzTE2lA0 [163/271]
元帥が言葉を失いました。
勇者もまた、こちらを見て言葉を失っているようでした。
魔王様のご両親は、魔王様の心の支えであると共に大いなる弱点でもあります。それを放置しておくのがおかしいというものです。
ややあって、元帥が声を上げました。
「……なるほど、貴様は最初から知っていたのか。知っていて時間を稼いだのか」
事実上嘘を認めた彼は、横目で私を見上げました。
その目に憎憎しげな光が宿ります。
「貴様、なにゆえ人間との戦争を避けようとする? 今我々が攻め込めば十中八九我らの勝利だ」
「……」
「お前も! 人間が憎くはないのか! 人間に復讐したいとは思わないのか! 奴らは我らが父母の仇だぞ!」
「……」
「そうだろう! 我が弟よ!」
声を荒げる元帥の――兄上の言葉を聞きながら、私は両親のことを思い出していました。
私たちの粗相を厳しくしかりつけながらも、その裏にどこかやさしさを忍ばせるその声を。
325 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:12:40.55 ID:0NzTE2lA0 [164/271]
「憎いだろう!? 殺してやりたいだろう!? お前にならできる! いや我らならばそれが可能なのだ! 人間どもを殺して、殺して、殺しつくしてやろうではないか!」
私はため息をつきました。深く、深く。
「許可を出せ! 私に出陣の許可を!」
「私はどうやらあなたを買いかぶっていたようです、兄上」
「……何?」
私は兄上の目を見下ろしました。
「確かに私たちは人間に両親を殺されました。私も人間が憎い。でも――」
「……」
「私たちは一人の魔物である前に、魔王様の家臣なのですよ、兄上」
「……!」
そうなのです。私たちは私情に流されてはいけません。魔王様の部下として常に冷静に、常に客観的でなければいけません。
「あなたは言いました。命は決して消滅はしないと」
「……」
「私たちは彼らを忘れてはいません。ならばなおさら消えてなくなったりはしないのでしょう。両親は私たちの中に生きていますよ」
「……」
兄上は、それきり黙りこみました。月が雲に隠れて、その表情は読めませんでした。
329 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:15:28.43 ID:0NzTE2lA0 [165/271]
「お前は本当にあいつの両親を殺したのか?」
一応の決着がつき、元帥を執務室に残して勇者たちを部屋に送り届けたときのことでした。勇者が私に問うてきました。私は落ち着いて返します。
「どう思う?」
「……さあな。ただ、本当だとしたら俺はお前を許さない」
勇者の視線が、私をまっすぐに射抜いていました。私もそれを見返します。
「……私が魔王様の悲しむようなことをするとでも?」
「……」
しばらく私を見つめた後、勇者はついと視線を外しました。
「……それもそうか」
兄上が魔王様のご両親のお住まいを押さえたと聞いたとき、私の頬を冷や汗が伝いました。あれは嘘ではありません。
そして私は魔王様の忠実な部下なのです。
「俺はもう寝るよ、明日出発だしな」
「ゆっくり休むといい」
勇者が部屋に消えました。私はそれを見届けて、その場を後にしました。
330 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:16:43.67 ID:0NzTE2lA0 [166/271]
※
治された執務室の窓から午前の日差しが差し込んでいます。
三人を見送ってから、お茶を飲みながら書類を読んでいました。
元帥の件は終わり、とりあえずは彼に関する大きな動きはありません。
彼はいまだ元帥の地位にありますが、すぐにまた物騒なことをする余裕はないでしょう。
ですが、各地の魔物の動きは、戦争の火種はまだなくなっていません。私が再び命の危険にさらされることもあるでしょう。
怖くはないのか、ですか?
……正直に申し上げれば、怖くて怖くてたまりません。しかし、これが私の仕事。
側近のお仕事なのです。
332 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:17:41.55 ID:0NzTE2lA0 [167/271]
短編:側近のお仕事
~了~
333 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:20:12.74 ID:0NzTE2lA0 [168/271]
短編:ヒューイックの憂鬱
パクリ元:シャンク ザ レイトストーリー
337 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:30:16.74 ID:0NzTE2lA0 [169/271]
スタッブ(stab):「暗殺」の意。原義は「後ろから刺す」こと
スタッバー:暗殺技能者
338 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 15:32:18.58 ID:0NzTE2lA0 [170/271]
私の上司はいつも浮かない顔をしている。
歳を取っていつも眉間にしわの寄っている猫のようだ。
私は理由を知っている。
彼がどうして不機嫌猫なのか。
それは――
340 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:00:07.62 ID:0NzTE2lA0 [171/271]
スタッバー「退屈だ」
戦士「……」
スタッバー「ねえ、なんか面白いこと言ってよ」
戦士「無茶です」
スタッバー「知ってるよ。でも退屈なんだ」
戦士「私は構いませんが」
スタッバー「俺は構うの」
342 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:03:08.24 ID:0NzTE2lA0 [172/271]
血に濡れたナイフをプラプラと揺らしながら彼は言う。
その足元にはいくつもの肉塊が転がっていた。
人間だ。
みんな死んでいる。
みんな物になってしまった。
血の臭いが部屋に充満している。
343 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:06:07.96 ID:0NzTE2lA0 [173/271]
スタッバー「あ~あ、やっぱり簡単な仕事だった。五分ももたなかったんじゃない?」
戦士「四分と二十八秒でした」
スタッバー「あ、やっぱり?」
戦士「ええ」
344 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:09:17.84 ID:0NzTE2lA0 [174/271]
私たちは任務を終えた直後だ。
足元の死体はその任務の結果である。
王都からやや離れたところにアジトを持つ、武装テロリストの掃討。
それが今回の私たちの仕事だった。
345 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:12:10.92 ID:0NzTE2lA0 [175/271]
スタッバー「テロリスト名乗るなら、せめてもうちょっとは強くないと」
戦士「同感ですね」
スタッバー「だよねえ」
戦士「これだけの人数をそろえたのならば、二倍の十分もたせるのが理想です」
スタッバー「それが半分」
戦士「ええ」
スタッバー「半分かあ……」
戦士「ええ」
346 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:16:13.41 ID:0NzTE2lA0 [176/271]
私の上司は――ヒューイックという名前だが、露骨に舌打ちをすると足元に転がった手を軽く蹴飛ばした。
私よりも若い顔に嫌悪にも似た何かを浮かべている。
見ようによっては苦渋とも取れそうな。
私はあえてなだめない。
それは逆効果であると知っている。
彼のそばのテーブルの上、テロリストが食事に使ったらしいスプーンがわずかに音を立てた。
そう広くもない納屋の窓からは、朝の弱くも何かを予感させる日の光が差し込んできている。
私は彼のあまり大きくない背中に歩み寄った。
347 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:18:07.67 ID:0NzTE2lA0 [177/271]
戦士「そろそろ帰りましょう」
スタッバー「……」
戦士「さあ」
スタッバー「俺とやらない?」
戦士「はい?」
スタッバー「俺と殺り合わないかってきいてんの」
戦士「……」
348 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:22:45.62 ID:0NzTE2lA0 [178/271]
唐突な言葉だったが、実はそれなりに聞き慣れている。
実際、またか、とも思った。
彼はいつだって突拍子もないことを言う。
私も慣れた口調で返す。
349 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:24:32.20 ID:0NzTE2lA0 [179/271]
戦士「私は構いませんが」
スタッバー「……」
戦士「……」
350 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:27:08.11 ID:0NzTE2lA0 [180/271]
しばらく沈黙だけが流れた。
彼は値踏みするような目で私と視線を合わせ、ナイフを中空に投げては受け止めるを繰り返した。
ナイフのグリップが肌にぶつかる音が部屋に響く。
数秒が経過した。
彼は受け止めたナイフをしまうと、ドアに向かって歩き出した。
351 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 16:30:07.67 ID:0NzTE2lA0 [181/271]
スタッバー「やめた。気が乗らない」
戦士「そうですか」
スタッバー「もう何回もやったし。飽きたし」
戦士「……」
スタッバー「さっさと報告して寝よう。眠い」
戦士「そうですね」
352 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:00:07.45 ID:0NzTE2lA0 [182/271]
拍子抜けか安心か。
よくわからない脱力感が身体を包んだ。
別に緊張したわけでも、期待したわけでもないはずだったが。
ただ、これで幾分か早くシャワーを浴びれるのだなと思うとちょっとうれしくなった。
354 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:02:14.38 ID:0NzTE2lA0 [183/271]
※
耳朶を打つ自分の気合、うなる風の音。
強く踏み込んだはずの足が頼りない音を立てる。
中肉中背の人影目指して突進し、気合とともに私は剣を振り下ろした。
必殺の間合い、必殺の速度、必殺の手ごたえ……のはずだった。
私の剣は空を切り、勢いあまって床を叩く。
あわてて視線を振り向けた先には余裕の笑み。ではなくひどく退屈した顔があった。
――あんたもか
彼がそう言ったのが聞こえた。
※
355 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:04:18.75 ID:0NzTE2lA0 [184/271]
私たちは王都の軍事組織、『十三使徒』に属している。
王都の切り札であり、一般人が知り得るのはその名のみ。
そのため王都の怪人たちの集い、変人の巣窟などと変な噂をされることも多い。
まあ、案外間違ってはいないが。
組織の最終目的は魔王の排除だ。
しかし、魔王暗殺の命令が下されていない今、十三使徒の任務は王都の治安を裏から支えることであり、私の上司はそれが不満のようである。
テロリストやらレジスタンスやら。
彼らにもうちょっと骨があったら話は別なのだろうが。
今日も魔王討伐の命令を待ちわびて、上司の眉間のしわは深くなる。
彼は私が持ってきた書類を机に放り投げた。
背もたれに深く背を預け、机の上に足を放る。
356 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:06:35.80 ID:0NzTE2lA0 [185/271]
スタッバー「もう飽き飽きなんだよ」
戦士「……」
スタッバー「変わり映えのしない仕事、気の抜けた戦い」
戦士「……」
スタッバー「俺はもっとぴりぴりしたことがしたいんだよ」
戦士「そうですか」
358 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:08:24.09 ID:0NzTE2lA0 [186/271]
私たちに割り当てられている無駄に広い個室の中、彼は私の顔を一瞥すると深くため息をついた。
連日の激務のはずだったが、身体的な疲れは微塵も感じさせずただただ憂鬱な雰囲気だけを撒き散らす。
彼が求めるところは知っていた。
彼が本気でそれを待ち望んでいることも。
だが、彼は強い。呆れるほどに。
だから、いくら待望しようが無理というものだった。
私は書類を一枚抜き出した。
362 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:12:30.46 ID:0NzTE2lA0 [187/271]
戦士「この仕事なんかいかがでしょう」
スタッバー「……」
戦士「とある観光地。そこに向かったまま帰ってこない失踪者がいます。調査が必要で、息抜きにはちょうどいいかと」
スタッバー「却下却下。そんなの下のに任せとけばいいんだよ」
戦士「……私は構いませんが」
スタッバー「……がっかりしないでよ。俺が悪いみたいじゃん」
戦士「いえ……」
364 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:14:21.51 ID:0NzTE2lA0 [188/271]
私は気を取り直し書類を探った。
変わり映えしないといえば変わり映えのしない仕事ばかりである。
やれ武装盗賊を掃討しろだの、やれ危険人物を暗殺しろだの。穏やかでない案件がずらりと並ぶ。
私はこの仕事は長いのだが、よく殺害対象が尽きないものだと常々感心していた。
人工的平和維持機構の存在は知っているものの、その有効性を疑いたくなる。
あれは実際機能しているのか。
現に私たちの仕事は減る兆しを見せない。
それでも強敵は現れない。
上司が退屈するのも無理からぬことかもしれない。
私はこっそりと同情した。
さて、それでも仕事をしなければ生きてはいけない。
いやいやながらの上司をなだめてすかして何とか給料は落としてもらえる。
王都の内外、あちらこちらへ飛び回り、蹴ってひねって叩き潰す。
そんなある日のことだ。
365 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:16:30.37 ID:0NzTE2lA0 [189/271]
スタッバー「~♪」
戦士「?」
スタッバー「フンフ~ン♪」
戦士「どうかしたんですか?」
スタッバー「ああ、リン! よくぞ聞いてくれました!」
366 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:18:07.34 ID:0NzTE2lA0 [190/271]
彼は連日とは打って変わって元気だった。
事実そのままだとうれしさに飛び跳ねようかという気配もある。
私はそんな彼の様子は見たことがなかったので内心ひどく驚いていた。
このところずっと上司の不機嫌顔しか見ていないのだ。
367 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:20:31.13 ID:0NzTE2lA0 [191/271]
スタッバー「ビッグニュースだよ!」
戦士「……?」
スタッバー「実はね、王都に腕利きの剣士が入ってきたらしいんだ!」
戦士「剣士?」
スタッバー「そうだよ、もう老人なんだけど、これがものすごく強いとか!」
戦士「はぁ」
373 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:54:41.69 ID:0NzTE2lA0 [192/271]
王宮でも噂になっているらしい。
おしゃべり好きの兵から聞いたそうだ。
その剣士とやらが王都に入ったのは今朝未明。
そのときにちょっとした騒ぎが起きたとか。
盗賊団の数人が一般人に扮して入都しようとしたところ、バレてひと暴れしたらしい。
そのときにその場をおさめたのが――
375 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage さるうぜえええ!!] 投稿日:2010/04/10(土) 17:56:47.72 ID:0NzTE2lA0 [193/271]
戦士「その剣士なんですか?」
スタッバー「そう! その通り! いやあ、強かったらしいよー。並み居る盗賊を次々斬り倒していったとか何とか」
戦士「はぁ……」
スタッバー「何よりすごかったのは!」
戦士「すごかったのは?」
スタッバー「それでも一人の死人も出さなかったことだね!」
戦士「一人も……?」
376 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:57:45.78 ID:0NzTE2lA0 [194/271]
うん、一人も。まあ多少の傷ぐらいはついたんだろうけど。
上司は上機嫌で言う。
逃げ場をなくし暴れる人間を、殺さずに取り押さえるのは難しい。多人数ともなればなおさらだ。
私たちも経験としてよく知っている。
それが本当ならば確かに猛者なのだろう。
猛者なのだろうが――
377 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 17:59:49.20 ID:0NzTE2lA0 [195/271]
戦士「ヒューイック、あなた良くないことを考えていますね?」
スタッバー「はは、やっぱりわかる?」
戦士「不本意ながら」
スタッバー「そっか、そうだよね」
戦士「……」
スタッバー「どうする? 俺のこと、止めてみるかい?」
戦士「……」
戦士「私は、構いません」
378 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:00:54.64 ID:0NzTE2lA0 [196/271]
※
こちらが一手打つたびに、相手は二手先を行く。
そんな絶望的な事実をかみ締めながら、私はそれでも踏み込んだ。
踏み込んだ先から地面が崩壊していくような妄想にとりつかれながら。
剣は交わらず、むなしく中空を掻き毟る。
届かない刃、空回る気合い、心音だけがこだまする。
ようやくあった手応えは金属質の無愛想なものだった。
※
380 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:04:17.84 ID:0NzTE2lA0 [197/271]
スタッバー「何? 考え事?」
戦士「……すみません」
スタッバー「珍しいね、君がボーっとしてるなんて」
戦士「すみません」
スタッバー「いいっていいって。どうせ暇だし」
381 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:06:10.19 ID:0NzTE2lA0 [198/271]
私たちは夜中の広場に来ていた。
本来ならば仕事の時間だ。
今日も消化しなければならない任務がある。
だからこれはサボりという奴だ。
命令違反は厳罰ものだが、
「バレなきゃいい」
というのが今回の上司の方針だった。
そして今、私たちは待っていた。
382 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:10:31.69 ID:0NzTE2lA0 [199/271]
スタッバー「遅いねー」
戦士「ええ」
スタッバー「すっぽかされたかな」
戦士「どうでしょう」
スタッバー「いいや来るね」
戦士「そうですね」
スタッバー「……来るよね?」
戦士「そうですね」
385 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:12:10.47 ID:0NzTE2lA0 [200/271]
上司の手配は早かった。
自分で剣士の居所を探し当て、自分で果たし状を書き、自分でそれを渡しに言った。
私のすることはなかった。
「だって俺の個人的なことだもん」
私のすることはなかったのだ。
私は内心ため息をついた。
それからまたしばらく経って、私が帰宅の提案をしようかどうか迷い始めたころ。
暗闇が動いた。
386 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:15:24.62 ID:0NzTE2lA0 [201/271]
スタッバー「――はは」
戦士(! これは……)
老剣士「遅くなった」
388 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:18:29.78 ID:0NzTE2lA0 [202/271]
夜の闇から老人が歩み出てきた。
長身だが、剣士という割りにあまり筋肉質には見えない。
白い短髪が風にかすかに揺れている。彫りは浅く、全体的にのっぺりとした顔をしていた。
容貌だけを見て強そうかどうかをいえばあまり強そうではない。
が、気配は尋常ではない。
夜の空気は澄んで静止している。
しかし、その老人の周りだけ空気が激しく渦を巻くような、そんな雰囲気がある。
私は剣の柄に知らずかけていた指を引き剥がした。
老人はそんな私の様子には目もくれず、上司のほうだけを見ていた。
389 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:21:08.06 ID:0NzTE2lA0 [203/271]
老剣士「お前か、果たし状をよこしたのは」
スタッバー「そうだよ」
老剣士「最強を自称するわりには若いな」
スタッバー「歳は関係ないでしょ」
老剣士「然り」
スタッバー「来てくれたんだね」
老剣士「いたずらかとも思ったが、十三使徒の刻印があれば信じざるを得まい」
スタッバー「ははっ」
老剣士「それより」
スタッバー「ん?」
老剣士「お前を殺せば十三使徒の頂点の座を得られるというのは本当か」
スタッバー「ああ、そのこと。本当だよ」
390 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:24:19.70 ID:0NzTE2lA0 [204/271]
この老人、十三使徒の座を狙っている?
私はぎょっとして上司の顔を見た。
昨日までのしかめっ面から打って変わって爽やかな顔は、冗談を言っているようには見えなかった。
冗談で言ってもまずいが、本気ならばなおまずい。
あわてて口を挟もうとした私を、上司は手で制した。
391 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 18:27:07.99 ID:0NzTE2lA0 [205/271]
スタッバー「俺が今の十三使徒のトップだ。俺を殺せばそのポストが空く。そしたらあんたが入る。OK?」
老剣士「……」
スタッバー「そんな胡散臭そうな顔しないでよ。嘘はついてないからさ」
老剣士「……いや、今更疑うまい。信じよう」
スタッバー「そのときのことはこっちのに任せてあるからね。リン、よろしく」
戦士「……」
老剣士「……なるほど……では」
393 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:00:08.43 ID:0NzTE2lA0 [206/271]
その言葉を最後に老人は腰を沈め剣の柄に手をやった。
が、抜かない。
上司は静かにナイフを抜く。
夜の底がピン、と張り詰めた。
私は止める機会を失ったことに遅ればせながら気付く。
こうなれば仕方ない。私は諦めて成り行きを眺めることにした。
上司はまず一見無防備にすたすたと間合いを詰めた。
しかし、心得のあるものにはすぐに気付くだろう。
その歩みに付け入る隙などないことに。
そして老人の間合いぎりぎりで立ち止まる。
片方が一歩踏み込めば老人の抜き打ちの剣が届く、そういう距離。
そのまま双方重い空気を挟んで対峙した。
394 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:05:08.50 ID:0NzTE2lA0 [207/271]
スタッバー「……一つ聞いておく」
老剣士「……なんだ?」
スタッバー「あんた、今朝はなぜ殺さなかったんだ?」
老剣士「……」
スタッバー「まさか、なまっちょろい信念やら信条やらで不殺を貫いてるとか言わないよね。そんなんだったら失笑もんなんだけど」
老剣士「笑止」
スタッバー「じゃあ?」
老剣士「難易度の問題だ若いの。より難しい選択肢を選んだまでだ」
スタッバー「ふーん?」
老剣士「気まぐれだよ。入都したのが昨日か明日ならば殺していたかもしれん。その程度のことだ」
スタッバー「なるほど、とりあえず安心していいみたいだね」
老剣士「……」
スタッバー「……」
395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:10:09.54 ID:0NzTE2lA0 [208/271]
先に踏み込んだのは上司のほうだった。
ぽん、と何気なく足を振り込んだので私だったら見過ごしていたかもしれない。あ、散歩か、と思って。それぐらい何の気負いもない一歩だった。
瞬間、裂帛の気合を伴って剣の鞘走りが咆哮する。
凄絶な一打が上司の胴体を分断しようと襲い掛かった。
上司の何気ない一歩。それは素人にはそう見えるだけで実際には意味のある一歩だ。ナイフで剣の一撃を防ぐにはしっかりとした土台が必要である。そのための足幅を用意したのだ。防御に構えたつや消しのナイフが空気を薄く切り裂いた。
次の刹那剣がナイフに噛み付き、鋭い剣戟の悲鳴が辺りを満たす。
……はずだった。
そのとき、私は見た。
老人の放った剣の一閃が、上司のナイフを『すり抜ける』ところを。
396 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:16:33.89 ID:0NzTE2lA0 [209/271]
上司の身体に刃が食い込んだ。
苦悶の声が上がる。
老人の顔がにやりとゆがむ。
私は目を疑った。上司は確かに防御できたはずだった。
しかし結果はこれである。
知るものには王都の魔人と呼ばれるあの上司が一撃をもらっている……。
397 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:21:12.22 ID:0NzTE2lA0 [210/271]
スタッバー「ぐ……」
老剣士「……」
老剣士「……これはどうしたことだ」
398 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:25:08.06 ID:0NzTE2lA0 [211/271]
……しかし、そこまでだった。
剣は上司のわき腹で止まっていた。
切り裂かれた戦闘服の隙間から、金属光沢の何かが覗いて見えている。
あれが剣を受け止めたのだろう。
私はほっと息を漏らした。
次に疑問を覚えた。
なぜ――
399 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:30:35.56 ID:0NzTE2lA0 [212/271]
老剣士「なぜ、お前は準備している?」
スタッバー「……」
老剣士「『こうなること』を予期していなければその準備はなかったはずだ」
スタッバー「『剣が見えず、触れられなければ避けることは不可能』」
老剣士「……!」
スタッバー「奇策や太刀筋の変化による一撃必殺を旨とする神流の剣だ」
400 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:35:10.99 ID:0NzTE2lA0 [213/271]
老人が明らかに狼狽した。
上司はゆっくりとわき腹をさすっている。
両断を避けたとはいえ、ダメージは小さくないらしい。
しかし笑っている。
目を爛爛と光らせながら。
笑っている。
401 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:40:36.37 ID:0NzTE2lA0 [214/271]
スタッバー「簡単なことさ。障害物があったら避ければいい。隙間があったら入ればいい。あんたがやったのはそんなごく単純なことだ」
老剣士「……」
スタッバー「『ナイフを避けて俺を斬った』。太刀筋の変化に極限まで通じていれば可能だろう? 違うかな? 違わないよね?」
老剣士「なぜ……」
スタッバー「俺は今朝の戦闘の跡を見てきただけさ。それで大体わかるよ。あんたの剣は防御できないことくらい。あとは知識の問題だ。知ってるか知らないか。俺は知ってるほうだったってわけ。俺は神流を知っている。あんたは神流の剣士だ」
老剣士「……」
スタッバー「神流は未知の事実が大きな武器だ。知識の欠如が最大のアドバンテージだ。もうあんたにそれはない」
老剣士「……」
老剣士「だが……」
老剣士「だが! それがどうした! わかったところで二度は防げまい! これで死ね!」
402 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 19:45:59.46 ID:0NzTE2lA0 [215/271]
気合とともに老人は上司に肉迫した。
確かに老人の言うとおりだった。防ぐことができないならばこの二撃目で終わってしまう。
上司は、不利だ。
だがしかし、上司は相変わらず笑っている。
ただ、よく見るとさっきのぎらぎらしたものとは違いさびしそうな笑いだった。
剣が上段から振り下ろされた。一直線に上司の頭を狙って飛んでくる。
上司はナイフを振り上げる。
その瞬間、今度は確かに見えた。
老人の剣が、その軌道がナイフを避けるようにゆがむのを。
私は知らず戦慄する。
上司の頭が剣によってかち割られたのが見えた気がした。
悲鳴が聞こえる。
遅れて金属が地面に落ちる乾いた音が聞こえた。
403 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:00:13.99 ID:0NzTE2lA0 [216/271]
老剣士「ああ!」
スタッバー「……」
老剣士「うああ!」
スタッバー「ちょっとうるさいよ」
404 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:05:50.76 ID:0NzTE2lA0 [217/271]
老人の手の甲に刃が貫通していた。
持ち手のない刃。それは飛び出しナイフの刀身だった。
上司はナイフ好きで、似たようなナイフをいくつか持っている。
グリップのスイッチを押せば刀身が飛んでいく機構。
先ほど振り上げたナイフは、これを狙ってのことだったらしい。
先ほどは老人の一閃を捉え損ね、今度は上司の一撃を見逃した。
私は唇を噛み締める。
老人は痛みに耐性がないのかそのままうずくまっていた。
406 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:10:56.11 ID:0NzTE2lA0 [218/271]
スタッバー「あーあ、ここまでか」
老剣士「……」
スタッバー「ちょっとは楽しめるんじゃないかとか思ったのに、結局これだ。大袈裟だよあんた」
老剣士「ぅ……」
408 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:15:07.97 ID:0NzTE2lA0 [219/271]
老人は立ち上がったが顔色は真っ青だった。
確かに手を怪我したぐらいで大袈裟かもしれない。
そのままばたばたと剣に駆け寄った。
無事な方の取り上げたが剣尖が定まっていない。
上司は失望のため息をついて新しくナイフを抜いた。
409 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:16:53.45 ID:0NzTE2lA0 [220/271]
ミス
無事な方の取り上げたが→無事な方の手で取り上げたが
411 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:25:48.88 ID:0NzTE2lA0 [221/271]
老剣士「うわあああ!」
スタッバー「はぁ……」
スタッバー「……バイバイ」
412 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:30:08.41 ID:0NzTE2lA0 [222/271]
※
――あんたもか
つまらなそうな視線が私を射抜く。
――あんたも俺に届かないか
否定する。そんなことはないと。
否定する。否定する。否定する。
私はあなたに届くはず。私の意志は強いはず。
最後の一閃。手応えはなく。
代わりに焼かれるような痛みを覚えた。
※
414 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:35:12.35 ID:0NzTE2lA0 [223/271]
スタッバー「何、考え事?」
戦士「……すみません」
スタッバー「最近多いね」
戦士「すみません」
スタッバー「いいっていいって。どうせまた退屈な任務だ。考え事してるくらいがちょうどいい」
415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:40:09.75 ID:0NzTE2lA0 [224/271]
今は任務に向かう途中だった。
彼の指摘通り、最近どうにも私は考え事が多い。
あの老人と上司が戦った後からだ。
夢想にふけることがさらに多くなった。
考えるのは上司と初めて手合わせしたときのこと。
弱冠二十歳にして十三使徒の№1に上り詰めたという輝かしき来歴を一瞬で無にされたときのこと。
歴然とした実力差に愕然とし、呆然とし、それ以来プライドというものを持つことをやめた。
416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:45:23.76 ID:0NzTE2lA0 [225/271]
スタッバー「退屈だ」
戦士「私は構いませんが」
スタッバー「俺は構うの。あーあ、また強い奴、入ってこないかなあ」
戦士「……」
417 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:00:15.03 ID:0NzTE2lA0 [226/271]
上司は今日も強敵を求めて愚痴をこぼす。
私を後ろに従えて。
私は諦念を強める。
力が届かないことは飲み込んだ。
思いが届かないことにもいつしか慣れた。
ただそれでも。
私の心が折れる日は遠くない。
そのときはこの仕事を辞めるだろう。
上司がどんな顔をするかを期待しながら。
418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:01:42.70 ID:0NzTE2lA0 [227/271]
短編:ヒューイックの憂鬱~部下の諦念~
~了~
420 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:10:40.41 ID:0NzTE2lA0 [228/271]
短編:僕らはかつて修羅場だった
422 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:16:22.74 ID:0NzTE2lA0 [229/271]
「いったいどういうことよ!」
怒声が響いた。
宿屋の前、朝の往来。
一日を始めようと家々から出てきた人々が何事かとこちらを見やる。
奇異の視線が彼らに降り注いだが、彼女はまったく気にしていないようだった。
「ちゃんと説明なさい!」
彼は彼女の顔を見、それから隣を見やる。
彼の隣の人間はこんな状況でもにこにことたたずんでいた。
それがさらに彼女の感情を逆なでしている。たぶん。
どうしようもない事態が起きようとしている。
いや、起きている。
彼は頭を抱えた。
424 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:20:11.57 ID:0NzTE2lA0 [230/271]
話は昨夜にさかのぼる。
夕食時を少しばかり過ぎたころ。
シェロという名で自称勇者、十八歳の青年は、今日入った村の食事店で居心地悪げに身じろぎした。
勇者の村出身者の証であるペンダントがさらりと揺れる。
「なによ、いつもより豪華な店じゃない」
上機嫌に言ったのは対面に座った彼のパーティーの魔術士、ハルという名の女である。ちなみに十九歳。彼より一つ年上である。
「ああ、ちょっと気分を変えようと思ってな……」
シェロはもごもごとつぶやくように言った。
「金欠なのに?」
ニヤニヤと返すハルに、実はもうバレているんじゃないかとシェロは危惧した。
427 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:26:14.02 ID:0NzTE2lA0 [231/271]
これから自分が言わなければならないことを胸中で反復し身をかたくする。
簡単な二言。
好きです。付き合ってください。
たったの二言。
だが、輝かしき青春の日々を、腕を磨き剣を研ぐことに費してきたシェロにとって、それを言うことは一人で王都軍全部を相手にすることと同じか、もしかしたらそれ以上に困難なことだった。
まだ、言うタイミングではない。
わかっていても、テーブルの下で握った拳の中が緊張の汗で濡れる。
どぎまぎと手を握って開いてしているうちに料理が運ばれてきた。
428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:29:23.07 ID:0NzTE2lA0 [232/271]
「……」
無言でわさわさと料理をむさぼる。
いつもはおしゃべりなハルも今日はなぜかしゃべらない。
代わりにニヤニヤとシェロの一挙一動を見守っている。
やっぱりバレているんだろうか。
シェロは一抹の不安を覚えた。
……だが。
知られているなら話は早かった。
思い切って料理から顔を上げ、口を開いて力強く言葉を吐き出す。
「あの~……」
力強く間延びした声は語尾を散らして消えていった。
「なに?」
ハルは笑みを強くして端正な顔を寄せてきた。
さらりとゆれる金髪からいい匂いがして、シェロは柄にもなくドキリとした。
「……なんでもない」
430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:35:39.89 ID:0NzTE2lA0 [233/271]
また沈黙だけが長引いた。
汗が背中を伝う。
自分の意気地のなさにじりじりとした焦燥感を覚える。
しばらくして、そうだ、とシェロは思いついた。
少々卑怯だが、酒の力に頼るのも悪くないのではなかろうか。
「おい店員」
早速酒を注文し、運ばれてきたそれを、救いを求めて一気にあおる。
視界がぼんやりとゆれだした。
ああ、悪くない、いい感じに酔ってきた。
下戸である。
「あなた普段酒なんて飲まないじゃない」
「……ちょっとな」
431 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:39:31.44 ID:0NzTE2lA0 [234/271]
先ほどよりは緊張が薄れ、ようやく余裕が出てきた。
思い切って口を開いて――
「……」
もう一杯あおった。
まごうことなき意気地なしの完成である。
そしてもう一杯。
さらに一杯
「何杯飲む気よ」
半眼と目が合った。
「……いやこれでいい」
ようやく決心がついた。
舟の上のごとく視界がぐらぐらゆれているがこれでいい。
(大丈夫だ。俺ならできる……)
なんだか勇気がわいてきた。
ほら、そこの陰から小人さんも応援してくれている。
彼に心の中だけで手を振って、
「ハル、俺――」
432 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:41:20.66 ID:0NzTE2lA0 [235/271]
「あ、ごめん、ちょっとトイレ」
ところがハルはそう言うと席を立った。
そのまま、颯爽と歩き去る。
シェロはパクパクと口を開け閉めしてその背中を見送った。
ようやく決心したところにこれである。
人の気も知らずに、ちくしょう。
ハルが視界から消えて、シェロは全身から一気に力を抜いた。
……なんだかどうでもよくなってきた。
「一番強い酒頼む」
「かしこまりました」
そうして置かれた一杯を――
「――」
シェロは躊躇なく喉に流し込んだ。
視界が致命的にぐらりと揺れた。
あ、これまずい。
思っても後の祭りである。
視界の端で小人さんが踊り狂っていた。
彼を視界の正面に捉えようと緩慢にしか動かない首を回し……がっくりとうつむく。
ゆっくりと狭まっていく視界の中、誰かが近づいてくるのが見えた。
439 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:47:14.06 ID:0NzTE2lA0 [236/271]
※
朝の日差しが瞼を焼いた。
うめき声をあげてシェロは上体を起こした。
まず最初に覚えたのは吐き気だった。
喉がひりひりする。
昨夜、飲めない癖に飲酒したことを思い出した。
(飲酒? 何でだっけか……?)
考えてすぐに思い至る。
そうだ、自分はハルに告白しようとしていたのだった。
それで度胸がないから酒に頼ったのだ。
情けなさに、額に手を当てぼんやりとうめく。
441 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:49:02.34 ID:0NzTE2lA0 [237/271]
周りを見渡すと、見覚えはないが宿のようだとわかった。
ハルがここに運んでくれたのだろう。
自分への失望に再びベッドに倒れこんだ。
ため息をつく。
何をやっているんだか。
(……)
でも、と思う自分もいる。
これでハルとの関係が壊れずに済んだのではないか、と。
もし断られてしまえば一緒の旅はしづらいし、いつかは袂を分かつことになってしまっていただろう。
なんて考えてしまうようでは自称とはいえ「勇者」の名が泣くのだが。
443 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:50:34.66 ID:0NzTE2lA0 [238/271]
結局は問題の先延ばしだ。
次はどのように手はずを整えようか。
考えながら無駄に広いベッドの上で伸びをした。
……と。
違和感に気付いた。
足に何かが触れている。
暖かく、滑らかななにか。
いぶかしく思い、ゆっくりとめくる。
まず出てきたのはセミロングの黒髪の頭だった。
次に目に入ったのはやや幼く見えるが、整った面だった。
444 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:51:16.54 ID:0NzTE2lA0 [239/271]
一つ確認することがあった。
非常に重要なことだった。
ハルの容貌を思い出してみる。
長い金髪。ストレート。
釣り目気味でブルーの瞳。筋の通った鼻。薄い唇。
女性にしては長身のほうでシェロより少し低いぐらい。
そしてその……「肉付きのいい」身体をしている。
そこまで思い返して慎重に深呼吸した。
そして目の前の黒髪を見やる。
つやのある綺麗な髪だったが、問題はそこではなかった。
金髪でもないし、長髪でもない。
顔も整ってはいるが、ハルと違って「かわいい」という類の整い方だった。
毛布のふくらみからして、背は低い。そして華奢だった。
……結論として断言せざるを得ない。
こいつはハルではない。
445 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:52:14.76 ID:0NzTE2lA0 [240/271]
こいつは、ハルではない。
胸中で再度繰り返す。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
現状を確認する。
自分は今知らない奴と一緒にベッドに入っている。
よく見れば自分が今身につけているのは下着だけだ。
ハルはいない。
朝日がむなしく差し込んでいる。
空気がありえないほど絶望的に重くなったのを感じた。
とりあえず落ち着かなくてはならなかった。
再び深呼吸をしようとして失敗する。
咳き込んだ。
その音に反応してか隣でもぞもぞ動く気配がした。
恐る恐るそちらを見やる。
つぶらな瞳と目が合った。
それがにこりと笑う。
「おはようございますぅ……」
百人中百人がかわいいと思うだろうその声は、今の彼には魔王のそれに聞こえた。
448 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:56:21.15 ID:0NzTE2lA0 [241/271]
「いったいどういうことよ!」
そして現在。
あわてて服を着て、宿を飛び出したところハルと再会。
そこまではいいのだが、後ろから誰かに抱きつかれたところでハルの目つきが変わった。
「待ってくださいよぅ」
「なに、その子……?」
ハルの目はいぶかしげをはるかに通り越し、殺人的なまでにつりあがった。
「昨日の晩、いきなりいなくなるから心配して探してみれば! 何よこれ!」
「いや、これはその……」
「ちゃんと説明なさい!」
黒い三角帽子の下のハルの金髪が、重力に逆らい始めた。
これはまずい。ハルが本気で怒っているのははじめて見た。
「お、俺にもわけがわからないんだ……昨日酔いつぶれて目が覚めたら――」
「ボクと一緒に寝てましたぁ」
抱きつくのをやめたその人物は隣に立つとにこやかに言い放った。
449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 21:58:02.22 ID:0NzTE2lA0 [242/271]
「寝た!?」
素っ頓狂な声が上がる。
「寝た……?」
うつろな目で繰り返すハルに、シェロはいやな予感が胸に広がるのを覚えた。
「いや! 待て! お前が想像しているのとは違う! 俺は――」
「寝たの……?」
「うっ」
なんとも絶望的なことに、誰が何を言おうと一緒に寝ていたこと自体は事実だった。
「そう、寝たの……」
「いやそのだから、違うんだ!」
弁解の言葉を無視し、ハルはうつむくと身体を震わせた。
「……わたしねえ、昨日あなたが何か言いたそうにしてたのはわかってたのよ。期待してたわ。きっといい知らせだって」
キッと面が上がり、それだけで人一人殺せそうな鋭い視線がシェロを射抜く。
シェロは出しかけた言葉を反射的に飲み込んだ。
「なのに何これ!? あんたがわたしに言いたかったのってこのこと!? デキてる女がいるから別れてくれって!? ふざけんな!」
450 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:00:08.42 ID:0NzTE2lA0 [243/271]
そのままこちらに背を向けるとハルは早足で歩き始めた。
このまま行かせてはまずい。
シェロは慌ててそれを追う。
「ちょ、ちょっと待てって……!」
肩に伸ばした手が距離を間違え空を切る。
「いやあの……」
再度伸ばした手は肩に弾かれた。
「話を……」
横に並んだところで突き飛ばされ地面に転がる。
451 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:01:49.76 ID:0NzTE2lA0 [244/271]
「いや、だから話を聞け!」
その言葉を呪文として、魔術を発動。
視界を含む五感が一時遮断され、一瞬の後ハルの前に空間転移した。
「……」
立ち止まったハルの視線はただただ冷たかった。真ん前に立ったことを少し後悔してしまうほどに。
だが、このまま行かせるわけにもいかない。
「冷静に話をしようぜ。な?」
「……」
やはり無言の相手に、説得のためのいくつかのフレーズを思い描いた。
「確かに俺はあいつと寝ていた、みたいだ。これは覆しようのない事実だな。認めよう」
慎重に言葉を選び、ゆっくりと舌に乗せる。
「だが弁解させてもらうと、俺はあいつとその……」
言うのに多少勇気は必要だった。
「……しては、いない」
……はず、と胸中で付け足す。
452 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:02:56.54 ID:0NzTE2lA0 [245/271]
弁解はともかくその語感に反応してか、ハルの視線はさらに幾分か温度を下げた。だから何、と言うように。
それでもひるんではいられない。
「それにだ、お前は俺とあいつが前からの知り合いだと思っているようだが、俺はあいつと初対面だ。加えて俺はこいつの素性も知らないときてる。目が覚めたらこいつが隣に寝ていて、俺が一番困惑してる」
そこでようやくハルは視線の強度を弱めたようだった。
「……本当?」
「信じてもらうしかないが、これは本当だ。第一考えてもみろ。俺がそんなにモテるように見えるか」
「……確かに」
そこで同意されてしまうのは情けなくもあったが、とりあえずの手ごたえを感じてシェロはひとまず安堵した。
「お前を心配させたあげく、いらない疑惑を持たせて悪かったと思う」
「……」
「だがここは俺を信じてもらえないだろうか。俺にも実のところわけがわからないんだ」
沈黙が下りた。
視界の端に数人の野次馬がちらつくが無視した。
453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:04:13.81 ID:0NzTE2lA0 [246/271]
それほど待たずして。
シェロは先ほどより温度を持ち直した目と再会した。
「わかった、信じる、一応……」
とりあえず及第点。ぎりぎりの安堵のなか、シェロはあごの下を拭った。
(よし……!)
「でもぉ」
突如ハルの背後から上がった声。戦慄する。
今までのところ、このかわいらしい声はシェロに不幸ばかりを持ってくる。
おそるおそる声のしたほうに視線を移した。
「ボクが目を覚ましたとき、“部分的に”とっても元気でしたよぉ。どことは言いませんけどぉ……」
瞬間、まばゆい光がシェロを包んだ。何がおきたかわからず、悲鳴すら上げられない。
地面に打ち付けられ転がって、熱衝撃破に打ち倒されたことにようやく気付く。
455 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:05:24.52 ID:0NzTE2lA0 [247/271]
「最っ低!!」
足音が脇を通り過ぎ、遠ざかっていくのが聞こえる。
「ハ、ハル……!」
地面に這いつくばりながら弱弱しく伸ばす。その手の先に、
「赤の刺激!」
白光が輝いた。
熱風にあおられて地面を転がり、民家の壁にたたきつけられる。
意識が飛ぶ前に見えたのは、こちらを振り返ることもせずきっぱりと去っていくハルの背中だった。
457 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:06:18.36 ID:0NzTE2lA0 [248/271]
※
魔術は強力無比であり、使い方を誤れば、もしくは誤らなければ人一人の命ぐらい簡単に吹き消すことができてしまう。
使い手の魔力の大きさにもよるがそれは魔術を使う者の常識で、シェロがとりあえず生きているのはハルがしっかり手加減したからである。
そのことが喜ぶべきことかどうかシェロ自身にはよくわからなかったが。
子供のころに読んだペーパーバックを思い出す。
命乞いをする敵に対し、主人公が言い放つ一言。
貴様には殺す価値もない、とか何とか。
(終わった……)
シェロはテーブルに突っ伏した。
いっそ死んでしまったほうが幾分かよかったかもしれない。
悲しみに体が震えた。
458 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:07:22.93 ID:0NzTE2lA0 [249/271]
「何で笑ってるんですかぁ?」
「泣いてんだよ!」
がばと手をつき顔を上げにらみつけるが、どうやらひるむ様子はなかった。
「そうなんですかぁ」
にこにこ顔で伸ばされる語尾に勢いを削がれるのを感じて、シェロは前のめりの身体を背もたれに戻した。
村に一つだけある喫茶店のテラスの席。そこに二人は腰掛けていた。目を覚ましたシェロをここに引っ張り込んだのは目の前にいる人物である。
肩までの黒髪に、小動物を思わせるくりっとした黒目。顔の輪郭も丸っこく、華奢で小さい身体とマッチしている。宿ではネグリジェを着ていたが、今はブラウスとスカートに着替えていた。
しばらく観察した後、シェロは重々しく口を開いた。
「……それで、君はいったい何なんだ?」
問われた相手は一度にこりと笑い、よくぞ聞いてくれましたとばかりに口を開いた。
「ボクはカシス・ブルーベリーって言いますぅ。こう見えても魔術士なんですよぉ」
460 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:08:47.85 ID:0NzTE2lA0 [250/271]
自分の身体を見下ろす。
既にシェロの身体に傷はない。おそらく魔術による治療だろう。どうやら魔術士というのは本当のようだった。
「魔術士?」
「はい、十七歳ですぅ」
シェロよりも一つ年下らしい。
「じゃあ、次だが――」
「待ってくださぁい」
「あん?」
聞き返すと、カシスはちょこんと手を上げた。
「あなたの名前をまだ聞いてないですぅ。教えてくださぁい」
名前。教えたところでどうということはないが、シェロはしばし躊躇した。
「……シェロだ」
「シェロさんですかぁ」
シェロ、シェロ。カシスは何度か口にして、語感を確かめたようだった。
「いい名前ですね」
言って笑う。
461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:10:04.73 ID:0NzTE2lA0 [251/271]
「シェロさんは旅人ですかぁ?」
カシスはさらに質問を重ねた。
「いや……勇者だ。一応」
その言葉にカシスは目を輝かせた。
「勇者! やっぱり! 勇者の村の紋章を首から下げてるからそうじゃないかと思ったんですよぉ!」
「……モグリだがな」
苦々しく付け加える。
カシスは乗り出してきた身体をいそいそと椅子に戻した。
「モグリさんでしたかぁ」
先ほどよりトーンを落として言う。
それを責めるつもりはないが、語気は多少荒くなった。
「勇者の村出身だからといって誰もが勇者になれるわけじゃねえんだよ」
463 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 22:11:07.04 ID:0NzTE2lA0 [252/271]
勇者の村はその名のとおり、数多くの勇者を輩出してきた村だ。村で生まれた者は全員小さなころから戦闘訓練を受け、戦士として育てられる。
だが、全員が全員勇者になれるわけではない。優秀な者の、その一握りの、さらにその頂点に立つもののみが正式な勇者となれるのである。
勇者は王に魔王討伐を任命されて初めて勇者たりえる。それ以外は言ってしまえば全て偽者で、モグリと呼ばれてしまう。目的は一攫千金であったり名声であったりとさまざまだ。
もっとも、勇者の村は十数年前に滅びているが。
「それで? 君は、いや、俺はなぜ君と一緒に寝ていたんだ?」
少々強引に話を変えた。
「あ、そのことですかぁ」
カシスの笑みのニュアンスが少し変わる。
照れ笑い。
「昨日の晩、お二人でお食事をとってましたよねぇ、あのお店で。ボクもいたんですよぉ」
「はぁ」
どうでもいい情報に気の抜けた声しか出ない。
467 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:01:26.23 ID:0NzTE2lA0 [253/271]
「カルボナーラをつつきながら、明日の予定を考えていましたぁ。それはまあどうでもいいんですけどぉ」
「そうだな」
「ある男の人が目に入りましたぁ。なにやらお酒をがぶがぶ飲んでいるようでしたぁ」
「俺か」
「そうですぅ」
シェロは顔をしかめた。あの醜態といえばそういえなくもないあれを見られていたと思うとあまり気分がよくない。
目で先を促す。
「はい、その顔を見たときピンときました。鼻の奥がかぁっと熱くなって、目がぐりぐりしました」
「花粉症?」
「この人が運命の人だって思ったんですぅ!」
無視してカシスは声を上げた。
テーブルに手をつき再びこちらに身を乗り出す。自然こちらは身を反る形になる。
「一目ぼれですぅ!」
470 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:05:11.91 ID:0NzTE2lA0 [254/271]
「一目ぼれえ?」
「はい!」
やたらと元気に、無駄に元気にカシスが言う。
「君が?」
「はい」
「俺に?」
「はい!」
返事ごとに身を乗り出してくるので、シェロもあわせて椅子ごと後退する。
汗が頬を伝い落ちた。
「それで、何で俺が君と一緒に宿で目を覚ますところにつながるんだ?」
ストン、と音を立ててカシスが席に戻る。
「えーとですねぇ、見てたらその人、というかモグリさんですが、酔いつぶれて寝てしまったんですぅ」
「そうだったな」
うなずく。
472 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:11:12.24 ID:0NzTE2lA0 [255/271]
「それで、同席してた方もいなくなりましたし」
「ああ」
「拉致っちゃいましたぁ」
「……」
拉致。その音が頭にしみこむのを待つ。拉致。
数秒ほどして、ようやく意味のほうに意識が移った。
「拉致?」
「はぁい」
「君が?」
「そうですよぉ」
もう一度カシスを眺める。
華奢な肩幅。細い腕。
シェロは特別ごついわけではないが、
「女の君にはつらいんじゃないか?」
「女?」
474 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:15:18.71 ID:0NzTE2lA0 [256/271]
きょとんとした声で聞き返され、こちらが逆にきょとんとする。
「え?」
「やだぁ、モグリさんたらぁ」
訳がわからず疑問符を増やす。
「何かおかしいこと言ったか?」
「そうですよぉ」
下げた椅子を元の位置に戻す。
引きずられた椅子の足が、
「ボク、男です」
コトリと床にぶつかった。
478 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:19:15.58 ID:0NzTE2lA0 [257/271]
沈黙が落ちた。
耳をかき、テーブルの上のコップおよびコースターを見つめ、口をもごもごと動かす。何かを言おうとしたのは自分でもわかっていたが、何を言おうとしたのかはわからなかった。
「えーと……?」
聞き間違い。そんな単語が頭で踊る。
「違いますよぉ。聞き間違いなんかじゃないですぅ」
先回りされた。
しばらく頭で反芻する。
「……」
だが、考えても考えてもわからない。わかるはずもない。次第に時空がねじれるのを感じる。今までかたくなに信じていた常識が突如崩れ、醜悪な何かがその陰から姿を現す。それは小人の姿で踊り狂う。
「現実逃避はよくないですぅ」
カシスの声に仕方なく意識を現に戻した。
480 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:22:21.46 ID:0NzTE2lA0 [258/271]
「……男ぉ?」
「はい、心は女の子ですけどぉ」
まるっきり少女の姿と声で言う。
「……嘘だろ?」
「本当ですよぉ、確かめます?」
「いや、いい……」
自然とカシスの胸に目がいく。確かに、ない。
「今、変なこと考えましたね?」
「別に……」
目をそらした。
さて。
カシスが男だというのが事実だとして。
(俺は酔いつぶれているところを男にさらわれ、朝まで一緒に寝ていた。それをハルに知られて誤解され、三行半をたたきつけられた、と)
シン、と頭の中が静まり返る。思考が停止する。それでも事実は覆らない。むしろ加速し、シェロを置いてけぼりにする気配すらある。
ようやく思考がまとまり、シェロはふつふつと何かが煮え立つ音を聞いた。
482 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:23:28.00 ID:0NzTE2lA0 [259/271]
「あほかっ!!」
テーブルをたたいて立ち上がる。
「俺は! 他人の一目ぼれでハルとの関係をめちゃくちゃにされて! しかもその犯人が女ですらなかったってのか!」
「救いがないですねぇ」
「お前が言うな!」
ひとしきり叫んで、力が抜けるのを感じる。再び椅子にへなへなと座り込んだ。
「終わった……」
テーブルに上半身を横たえる。
自分に起こった事態を理解し、それが何の解決にもならないことを悟った。
「いまからハルを追いかけようにもどっちに行ったかわからねえ……仮に追いついたところでこんな話で納得してもらえるとも思えねえ……」
そうなのだ。事実をありのままに説明したところで作り話だと思われるのが関の山である。下手をすれば火に油を注ぐことにもなりかねない。
ああ。本当に死んでしまったほうがよかったかもしれない。
そのとき頭をぽんぽんとたたかれるのを感じて顔を上げた。
シェロの死んだ目をカシスの微笑が受け止めた。
「いい考えがありますよぉ」
484 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:25:15.26 ID:0NzTE2lA0 [260/271]
※
村の中心部はちょっとした広場になっていた。そこに教会が建っていた。
村は大きくもなく、かといって小さいわけでもない。その教会もそれに見合った大きさで、大きくもなく小さくもない。
白い外壁、赤い屋根、その上の十字架。ごく一般的な外装である。
(これはあれか……)
ぼんやりと建物を見上げながらシェロは胸中でどんよりとつぶやいた。
(もう生きていてもいいことないから、いっそのこと死んでしまえと。そういうことか……)
なかなか、悪くないアイディアだ。半ば本気で思いながら半眼で隣を見やった。
「いい教会ですよねぇ」
そういいながらカシスが一歩前に出る。
黒髪がふわりと風になびいた。
そのさまはどう見ても少女で、シェロはこっそり頬をつねる。
「ここで式を挙げるのが夢だったんですぅ」
胸の前で手を組んだカシスの目がきらきらと輝いた。
「純白のウェディングドレスを来て、ヴァージンロードを歩いて……」
486 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:26:56.04 ID:0NzTE2lA0 [261/271]
何を言えばいいかわからずとりあえずであいまいにうなずいておく。もっともカシスはこちらを見てもいなかったが。
「そして永遠の愛を誓った男性と暖かい家庭を築くんですぅ……」
「……」
「というわけで結婚してください、モグリさん」
「断る」
話の流れが読めたわけではなかった。それでも反射で答えていた。
「えぇー!?」
疑問と落胆の中間の表情を浮かべながらカシスがこちらに詰め寄る。
「何でですかぁ、モグリさん!」
「何でとか聞くか。というかさっきから“モグリさん”っていったい何なんだよ」
「モグリさんはモグリさんですぅ」
どうやらその呼び名で定着してしまったらしい。
489 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:29:03.78 ID:0NzTE2lA0 [262/271]
「まあいいか。いや、よくねえけど。それで? いい考えってのは何なんだよ」
「あ、そのことですかぁ」
話を強引に結婚から遠ざけたのだが、カシスは気にしなかったようだった。
ついでにカシスからも一歩遠ざかる。
カシスは指を一本立てて見せた。
「いいですかぁ、モグリさんは不慮の事故で彼女さんに振られてしまいましたぁ。由々しき事態ですぅ」
「不慮の事故?」
半眼で聞くが、彼に(彼という呼び方にはなはだ違和感を禁じえない)耳を貸す様子はない。
目を瞑りカシスが続ける。
「早急に解決しなければならない事案ですねぇ。そこでボクから提案が」
「……なんだ?」
いやな予感がした。話を遠ざけたつもりで全く逃げ切れていなかった。
カシスが瞳をぱっちりと開く。
「ボクと結婚するとかいかがでしょう?」
「断る」
話がブーメラン式に戻ってきた。
492 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:32:57.18 ID:0NzTE2lA0 [263/271]
「だから何でですかぁ。不満があるなら言ってくださいよぉ。善処しますからぁ」
「いい。おそらくかなりの確率で解決は不可能だ」
呆れて言うが、どうやら諦めてはくれないようだった。なおもカシスは唇を尖らせる。
「何でもはじめから決め付けるのはないって先生が言ってましたぁ」
「なんにでも例外はあるよな」
「あー、法の抜け穴を使うつもりですかぁ!」
「違うだろ!」
そろそろ我慢の限界だった。
「俺はお前にいろいろ台無しにされたんだ! それなのにお前と結婚? ふざけるな! 式を挙げたきゃ一人であげてろ!」
怒鳴りつけながらびしりと教会に指を向ける。
と。
ばん!
突如として教会の正面扉が勢いよく開いた。
「健やかなる時も!」
扉の奥から大柄な人影が姿を現す。
「病めるときも!」
聖服を身に着けたその男は大声で何か言っていた。
495 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:38:33.13 ID:0NzTE2lA0 [264/271]
「互いに真心を尽くして尽くして尽くして尽くして――」
すぅ、と息を吸うのが聞こえる。
「尽くしまくることを誓いますかっ!」
「誓いますぅ!」
答えたのは無論カシスだけである。シェロは呆然とそこに突っ立っていた。
男は扉の前でこちらをしばらく眺めると、つかつかと近寄ってきた。
歩きながら繰り返す。
「健やかなる時も! 病めるときも! 互いに真心を尽くして尽くして尽くして――」
シェロの前に来ると再び息を吸う。
「尽くしまくることを誓いますか!」
「いや、俺は誓わんし……」
どうしようもない心地で返した。
目の前に立つと、頭一個分以上背丈に違いがあるため見上げる格好になる。
顔の彫りは深く、岩のように険しい。身体もそれに見合った分厚い筋肉に包まれている。
「誰だよあんた」
「我が名はコーゼン、神父である」
妙な風格を漂わせて腕を組みながら宣言する。一陣の風が吹き、神父の聖服のすそをはためかせた。
496 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:40:57.53 ID:0NzTE2lA0 [265/271]
「コーゼンさぁん!」
「うむ!」
カシスが歓声を上げて神父に飛びつく。神父はそれを余裕を持って受け止めた。
「聞いてくださぁい! そこのモグリさんが法の抜け穴を使ってボクを騙そうとしたんですぅ!」
「それはいかん! そこのお前!」
神父がシェロを見る。
「犯罪は身を滅ぼすぞ!」
「知らんし」
「ぬう、シラをきるつもりか!」
「違うし」
大柄な神父との対照で、抱えられたカシスがえらく小さく見える。二つの責めるような視線がシェロをたたいた。
(なんで俺はこんな珍妙な目にあってるんだよ……)
ふらりと視界がゆれるのを感じ、身を任せて振り返る。
499 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:42:38.85 ID:0NzTE2lA0 [266/271]
「どこ行くんですかぁ?」
後ろからの声に重い足を踏み出しながらゆっくりと答える。
「村を出る」
そのまま歩き続けた。
「ちょっと待ってくださいよぉ」
だが追いかけてきたのは声だけで、シェロを止めるつもりはないらしい。
代わりに。
「あ、もうちょっと右ですぅ」
意味はわからなかったので無視して歩を進めた。
が。
ずん!
地響きに自然と足が止まる。
「は?」
右方を見やると、まず目に入ったのは地面に突き立った太い木材だった。
よく見ると横に何本も木材が並んでいる。檻のように見えた。
下部を見ると、地面に突き刺さるようにしっかりととがらせてある。先ほどの落下音からかんがみるに総重量はかなりのもののはずだった。
500 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:44:10.49 ID:0NzTE2lA0 [267/271]
「外れちゃいましたかぁ」
ゆっくりと振り返る。神父の腕から下りたカシスが残念そうな顔でこちらを見ていた。
こちらの視線に気付いて手を上げる。
「あ、ボクですぅ。どうせ逃げると思って仕掛けさせていただきましたぁ」
檻の上部には縄が取り付けてあり、見上げるとどうやら道の脇の高木に伸びているようだった。
これを仕掛けたのはカシスらしい。
「殺す気か!?」
「そんなわけないじゃないですかぁ。あんまり」
「説得力が全くない!?」
実際、一歩間違えれば檻のふちに押しつぶされていた。
叫ぶこちらにカシスが手をぐっと握ってみせる。心持ち眉を険しくして。
「でも、あれです。結婚のためなら命をかけますよ、ボクは」
「他人様の命をかけるな!」
シェロは吐き捨てると、二人に背を向け一目散に逃げ出した。
後ろ二人は追いかけてくる様子はなかったが、
「絶対逃がしませんからねぇ~」
可愛らしい声だけがシェロの背中にタッチした。
503 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:46:43.09 ID:0NzTE2lA0 [268/271]
※
規則的に足音が刻まれる。風が耳元で渦を巻く。
昼が近いせいか道に並ぶ家々からは、生暖かい匂いが流れ出していた。肺にそれらが押し寄せ、むせるような心地になる。
シェロは教会から伸びる通りの一本を走っていた。通りには誰もいない。
この道をまっすぐ行けば村の出口にたどりつけるが、先ほどのトラップを考慮するにそう簡単に村を出ることはできないはずだった。
見上げる。道の脇には何本か先ほどと同じように高木が生えていた。目の届く範囲にはトラップはない。しかし、一応道のはしを避けて中央に寄った。
のだが。
「あだぁっ!」
唐突に足に激痛を感じて転倒する。
右足に目をやると、トラバサミが足をがっちりと挟んでいた。
自分のうかつさに舌打ちする。上にばかり意識がいっていて気がつけるものも気がつけなかった。
鉄の顎を両手でつかみ、気合とともに一気に外す。
鈍い音を立ててトラバサミが開いた。
504 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:48:15.18 ID:0NzTE2lA0 [269/271]
「我は癒す斜陽の傷痕……」
次いでトラバサミの歯でついた傷を魔術で治す。
「この……」
悪態をつきながら、立ち上がった。
――そのまま後ろに飛び退る。鼻先を高速の何かが掠めていった。それはそのまま民家の壁に突き刺さる。
(クロスボウ……!)
正体を見極めたところで視界が激しく回転する。ひっくり返る視界。混乱して手を振り回すが何もつかめなかった。
しばらく揺さぶられて、ようやく逆さづりになっていることを把握する。
舌打ちしそのまま抜刀、左足首を捕らえた縄を切り裂いた。地面で受身を取る。
立ち上がって見上げると、そばの木の上に縄が伸びていた。
確認が終わり、納刀したところで後ろからの衝撃に倒れこむ。
訳がわからず身体をひねると自分が網の下にいることに気付いた。投網だ。
506 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:49:29.66 ID:0NzTE2lA0 [270/271]
何とか這い出し、警戒しながらゆっくりと立ちあがる。辺りを見回すが、とりあえず猛攻は終わったようだった。
「どうやらあいつは本気らしいな……」
本気の方向性がちょっぴりずれているような気もするが。
汗をぬぐい、足を踏み出した。
とたんに目の前が真っ白になった。平衡感覚が完全に失われる。なにやらもみくちゃにされ、耳元で轟音と叫び声が聞こえる。
大きな衝撃が一つ脳天に届き、それは止まる。自分の声だと気付いたのはすぐ後だった。
轟音の余韻とともにぷすぷすと音が聞こえる。焦げているのはシェロの革鎧だった。
地面にうつぶせに倒れ、自分でもよくわからないことをつぶやきながら地面を引っかいている。
ふらふらと顔を上げると自分を中心に地面に焦げ後がついていた。爆発系のトラップだったらしい。
「……」
爆音をいぶかしんでか、通りに並ぶ家々から住民が顔を出していた。
道に倒れるシェロを、何事かという目で見ている。
507 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 23:50:37.64 ID:0NzTE2lA0 [271/271]
そして、地響きが聞こえた。
「そぉか……」
つぶやいてシェロは立ち上がった。体の節々が痛むのでゆっくりと。
「あいつ、俺が無事かどうかはどうでもいいってか……」
地響きがどんどん大きくなる。それは来た道から聞こえてきた。
「というか、あれだろ。実は俺を困らせて楽しんでるだけだな?」
あてずっぽうで言っただけだが、案外間違ってもいなような気がした。
音は最高潮まで高まり、通りの向こうに砂埃が舞っているのが見える。
「だったらよ……」
そしてその中にについに地響きの主が姿を現した。
牛。その大群。なぜかは知らないがこちらを目指して一直線に突進してくる。そんなことも当然と思いえるようになった。
シェロは大群に向かって手を掲げた。叫ぶ。
「相応の被害は、覚悟しやがれぇっ!!」
魔術構成が一瞬にして展開され、魔力が注ぎ込まれることで威力となる。発生した衝撃波はまっすぐに牛の群れに突き進み、正面から衝突すると先頭の十数頭を弾き飛ばした。
それでも。数十頭の牛の群れ全てを止められるわけがない。シェロは潔く身を翻すと、出口に向かって走り出した。
509 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:00:11.72 ID:M3YPm9i60 [1/50]
※
牛の足は速い。先頭は崩したものの、それでも持ち直した牛たちはシェロの背後に何度も迫った。そのたび角を曲がる、魔術を撃つ。そうしているうちに遠回りながらも何とか撒いたようだった。
ため息をつく。民家はまばらになり、五十メートルほど先に、出口が見えた。もう村からの脱出は成功したようなものだったが、それでもさっきまでのことを考えると油断はできない。
「……」
ゆっくりと足を踏み出す。とたん目の前をクロスボウの矢が高速で飛び去った。
ここで止まることもできた。しかし。
(あえて! 前に出る!)
地面を力強く蹴りはなす。それを待っていたかのように上から下から、右から左から、ありとあらゆるトラップが襲い掛かってきた。
511 名前: ◆XSSH/ryx32 [sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:03:37.00 ID:M3YPm9i60 [2/50]
クロスボウの矢をかがんで避け、トラバサミを跳び越える。ロープ式のトラップは発動前に斬り飛ばした。飛来するトリモチは魔術で防ぎ、なんとか前進だけは途切れさせない。
突如足元が爆発する。しかしこれは大体予測していた。前方に身体を投げ出し勢いで転がる。そのまま起き上がると止まることなく疾走を再開した。
「おおおおおおおおおお!」
耳元で風がうなる。背後でいくつもの激突音が重なる。体温が急激に上がり、額から汗が噴出した。疲れは感じない。体が軽くなるのを感じる。
そして。
シェロは村の出口に滑り込んだ。
「……っ……っ」
呼吸がひどく乱れていた。必死で落ち着けて立ち上がる。村を出たからといって油断はできなかった。早くここから遠ざからねば。
さっと辺りを見回して――その視線が一点で止まった。
「……」
そこに最後のものと思わしきトラップがあった。
513 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:05:18.27 ID:M3YPm9i60 [3/50]
立っている人一人をすっぽりと閉じ込めてしまえそうな巨大なかご。それが突き立った木材に立てかけられている。木材にはロープが括り付けられ、ロープは近くの茂みに伸びていた。
「……我は放つ光の白刃」
光熱波がそれを跡形もなく吹き飛ばす。
「あー、何するんですかぁ!」
「やかましい!」
茂みから飛び出してきたカシスをシェロは怒鳴りつけた。
「さっきからなんなんだお前は! 俺を殺したいんだかおちょくりたいんだかはっきりしろ!」
「ボクはいつだって本気ですぅ!」
頬をぷっくりと膨らませてカシスが言う。
「本気でモグリさんと結婚しますからぁ!」
空気の抜けるような音が聞こえた。しばらくして、シェロはそれが自分のため息だと気付いた。
深い深いため息。
「よぉーし、わかった」
どうやら覚悟しなければならないようだった。
517 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:09:16.92 ID:M3YPm9i60 [4/50]
いくつか破壊的な構成を組み上げながら告げる。
「どうやら、俺は、お前を、全力で、相手しなけりゃいけないようだ」
思い切りドスをきかせたのだがしかし。
「そ、それって……」
なぜかカシスは目を輝かせた。
「結婚オーケーってことですね!」
「違う!」
「やったぁ!」
「違うっつってんだろ!?」
そのとき、シェロは完全に油断していたのだ。
カシスに詰め寄ろうと踏み出した足が。
「!?」
突如沈んだ。
518 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:11:29.77 ID:M3YPm9i60 [5/50]
足が地面を失い、重力にしたがって身体が落下する。悲鳴を上げる暇さえなく全身を襲う衝撃。受身すら取れなかった。顔面を打ちつけうめく。
立ち上がり、そこが大穴の底であることに気付いた。二メートルほどの円柱型。高さは三メートルほどか。
舌打ちする。単純なトラップだが完全にしてやられた。
「おい!」
呼びかけても返事はない。とりあえずジャンプするが助走もなしに届くはずもなかった。
諦めて重力中和の構成を編み始める。
とそのとき地を蹴る音がし、ふと頭上に影が落ちた。カシスかと思い見上げる。それは。
「のおおおおおおお!?」
牛の腹。追ってきていたらしい牛の一頭が、穴の中に落ちてきた。
悲鳴を上げる。構成を編みなおす暇がない。
結果。全く無防備にシェロは牛に押しつぶされた。
519 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:15:34.02 ID:M3YPm9i60 [6/50]
※
やさしく闇がゆれる。それはゆりかごのように彼の身体を包み込む。やわやわと。ゆらゆらと。
生命の起源にも近いかもしれないその場所で、彼の意識はそよ風の中のようにまどろんだ。心地よい香りがあたりに漂っている。
その中で声を聞いた。遠くから、近くから語りかける柔らかな声。微笑むように、からかうように。
「シェロ」
……ハル?
ふとそんな名前が頭に浮かぶ。何か大事な名前だったはず。
「シェロ」
ああ、間違いない。
「シェロ」
そんなにせかさなくても今行くよ。
暗闇の中で手を伸ばす。
目を、開けた。
522 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:18:07.81 ID:M3YPm9i60 [7/50]
※
「大丈夫ですかぁ、モグリさん」
「うん、予想はしてた」
げんなりと言う。
開けてすぐは光に目が眩んでよく見えない。しばらくして、ようやくここが建物の中であることがわかる。その床に寝かされていたらしい。上体を起こした。こちらにかがみこんでいたカシスが顔をどける。
額に手を当てた。頭が痛んだ。というか首が痛い。牛に押しつぶされたことを思い出す。よく生きていたものだと感心するが、幸運に感謝することもできずうんざりとうめいた。
と。
「健やかなる時も!」
突如声が響く。首をめぐらした。またかと思いながら。
「病めるときも!」
神父がいた。十字架を掲げる壁の前に。
「互いに真心を尽くすことを誓いますかっ!」
教会だ。カシスにつれてこられたあそこにまた逆戻りさせられたらしい。
524 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:20:28.46 ID:M3YPm9i60 [8/50]
「誓いますぅ」
隣で声を上げるカシスを半眼で見やる。目に入ったのは純白の輝きだった。白いシンプルなデザインのドレス。見たままを言えば――言いたくもないが――、ウェディングドレスのようだった。
ついで自分の身体を見下ろす。こちらも白い。白の、タキシード。
「……」
理解は一瞬。判断も同じく一瞬。そして行動も一瞬だった。
シェロはすばやく立ち上がり、いや、立ち上がりきる前に床を蹴った。前回り受身で今度こそ立ち上がる――ふりをしてさらに地を蹴る。瞬きする間に出口にかなり近づいている。
(よし、これで!)
ようやく立ち上がりきると同時にシェロは出口に手を伸ばし――首に衝撃を感じてひっくり返った。息が止まり、血液がめぐる音が耳元で聞こえる。仰向けで激しく咳き込んだ。
527 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:22:40.89 ID:M3YPm9i60 [9/50]
「逃げちゃだめですよぉ」
近づいてくる声に危機感を覚え、すぐさま身を起こした。そして理解する。
シェロの首には赤い首輪がはめられていた。そして伸びる紐。その反対側の先をつかむ神父。
「俺は犬か!」
怒りに任せて叫ぶが、カシスは相変わらずひるんでさえくれない。
とりあえず紐を切り飛ばそうと抜刀しかけるが、
「ふんぬ!」
神父の声とともに再び首に衝撃を感じて転倒し、そのまま引きずられる。
信じられない膂力だった。抵抗もできず、なすすべもなく床に頬をこすりつける。悲鳴ぐらいは上げたかもしれない。
ようやく停止しふらふらと身を起こすと、今度は神父にがっちりと羽交い絞めにされる。
あわてて暴れるも、既に押さえ込まれた後だった。
529 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:25:17.95 ID:M3YPm9i60 [10/50]
「モグリさぁ~ん」
甘ったるい声が聞こえた。地獄の血の池のようにどろりと甘い声。シェロは喉の奥から痙攣したように息が漏れるのを感じた。
「やっとおとなしくなりましたねぇ」
細く長い指がそっとシェロの頬をなでる。
「誓いのキスをっ!」
背後から張りのある声が宣言するのを絶望的な心地でシェロは聞いた。
「それでは遠慮なくぅ!」
そういって一気に顔を寄せてくるカシスは、見とれてしまうほど可愛らしかった。男であることを忘れていれば受け入れてしまっていたかもしれない。
だがそれでも。思い出す顔があった。
『あんたについてってあげる』
530 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:28:15.32 ID:M3YPm9i60 [11/50]
身のうちから、熱い何かがこみ上げてくるのを感じる。
「俺は!」
シェロはそれをそのまま言葉として吐き出した。
「ハルが!」
ついでに魔術構成も解き放つ。
「好きだぁぁぁぁぁっ!」
その言葉を引き金に、白い光が視界を埋め尽くした。
532 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 00:29:28.41 ID:M3YPm9i60 [12/50]
※
夕方の赤い光が村の中央、教会の残骸の山を照らし出した。大きくも小さくもなかったそれは今は見る影もない。黒くこげた部分が弱弱しく煙を上げていた。
しばらくして山の一角が崩れ落ちる。
顔を出したのは、あちらこちら破けたウェディングドレスを身に着ける小柄な人影だった。
「ふぃ~」
その人影――カシスは大きく息を吐き出して背伸びをした。
それから辺りを見回してため息を一つつく。
「逃げられちゃいましたねぇ……」
さほど残念そうでもない様子だったが。
536 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:00:23.59 ID:M3YPm9i60 [13/50]
少し歩いて目的のものを見つける。山から突き出た太い足。それをつかんで引っ張った。
「コーゼンさーん、大丈夫ですかぁ」
返事はない。びくともしないので、引っ張り出すのはとりあえず諦めた。だがどうせ無事だろうとも思った。以前台風で大勢が怪我をしたときも、よりにもよって外にいた彼はなぜか傷一つなかったのだし。
「モグリさんはどっちに行ったんでしょうねぇ」
どちらに行ったにせよ、今からでは追いつくのは難しいだろうと思えた。
だがそれでも。
「絶対に諦めませんからねぇ! ボクはモグリさんと結婚するんですから!」
カシスは拳を固めて力強く宣言した。
その目の前を轟音を立てて牛の群れが通り過ぎる。
追いかけられている村人が悲鳴を上げた。
「……」
カシスは少し考え……とりあえずめんどくさそうなことは無視することにした。
537 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:01:36.57 ID:M3YPm9i60 [14/50]
短編:僕らはかつて修羅場だった
~了~
538 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:03:57.28 ID:M3YPm9i60 [15/50]
残り短編三つ
合計三十四レス
予想所要時間二~四時間
540 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:16:06.24 ID:M3YPm9i60 [16/50]
短編:旅の途中で
542 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage>>539いろいろ無問題] 投稿日:2010/04/11(日) 01:21:15.41 ID:M3YPm9i60 [17/50]
遠くに山が見える。キエサルヒマ大陸の南半分、その中央に位置するアイーデン山脈である。先端に真っ白な雲が引っかかっていた。空は快晴、うららかな午後の日差しが降り注いでいる。風は南西からやさしく通り過ぎていった。
なだらかな平原。腰までの高さの草が風に揺れている。その中に土肌を見せた道があった。
そこを東に向かって歩いている人影が二つ。
一人は黒髪の男。中肉中背で革鎧を身に着けている。首には勇者の村出身を証明するペンダント。背中に野営のための大荷物を背負って、うつむき加減に歩いていた。
もう一人は背中に長い金髪をたらした女。黒の三角帽を被り、身には同じく黒のローブをまとっている。こちらは特に荷物といった荷物はなく、手に金属製の杖を持つのみである。
544 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:24:46.73 ID:M3YPm9i60 [18/50]
男のほうが心底疲れたと言いたげな声を上げた。
「なあ、ハル」
ハルと呼ばれた女が振り向く。
「なあに、シェロ」
シェロと呼ばれた男は、額に汗を浮かべながら背中の荷物を示した。
「そろそろ交代、じゃないか?」
「まだね」
ハルは即座に返す。
「まだ一時間も経ってないわよ。もう音をあげたの」
「確実にその倍は経ったと思うが……」
そのままシェロは立ち止まって荷物を道の脇におろした。
545 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:28:40.77 ID:M3YPm9i60 [19/50]
「ちょっと」
それを見てハルが抗議しかけるが、シェロにさえぎられた。
「女のお前にこんな大荷物を持てなんて言わねえよ、やっぱり俺が通しで持つ。でもよ、休憩くらいは認められるべきだろ」
言って荷物の上に座り込んだ。
ハルはしばらく考えこんだが、諦めて道を挟んでシェロの向かい側に腰をおろした。
「ふぅ――……」
シェロのため息を風がさらう。
547 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:34:40.61 ID:M3YPm9i60 [20/50]
ハルは空を見上げた。二度目の風が吹いた。先ほどよりも強い風。土ぼこりを舞い上げて通り過ぎる。それを目を瞑ってやり過ごした。
風が収まるのを待ち、顔を空から戻して目を開けると。茶色い帽子が視界に入った。
「え?」
茶色の帽子。それは単体でそこにあるのではなく。
「誰?」
「……」
少年は無言だった。無言でそこにいた。シェロとハルに挟まれる位置に、つまり道の真ん中に、シェロのほうを向いて。
白いシャツに茶色のベスト、紺のズボン。頭にはさきほどの茶色の帽子をかぶっている。
シェロを見ると、彼も訳がわからないというように目を白黒させていた。いわく、「いつの間に」
シェロが荷物から立ち上がって少年に向き合う。少年から特に剣呑な雰囲気が漂ってくるというわけでもなかったが、シェロの身体が軽く緊張しているのが見て取れた。無理もない。少年が気配も感じさせず現れたとあっては。
「何だ、お前」
「……」
少年はやはり無言だった。
548 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:37:32.67 ID:M3YPm9i60 [21/50]
「どこから来た?」
シェロのそれは愚問だったかもしれない。
ハルたちは見通しのよい一本道を歩いてきた。行く道にその姿は見えなかったから、来た道をこちらに気付かれないように前の村からついてきていたことになる。もしくは草むらを這ってきたかだ。
少年の服は汚れていないし、必要性を考えても前者だろう。もっともそれにしたところで不可解ではあったが。
「……連れて行ってほしい」
唐突に聞こえてきた声にハルは驚く。ぼそぼそとした少年の声。
「……どこに?」
シェロが聞くが、
「……」
少年は今度は無言だった。
552 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 01:42:21.55 ID:M3YPm9i60 [22/50]
それから数十分後。ハルとシェロは少年を後ろにつれて歩いていた。
「いいの?」
シェロにささやく。
「……仕方ないだろ」
あれからシェロがいろいろ少年に訊ねたのだが、無言かもしくは連れて行ってほしいと言うのみで会話が成り立たなかった。名前すらわからない。ただ、置いていくにも振り切るのは難しいし、この近辺では危険な獣も出ないではないのでついてくるに任せている。
「……」
少年は相変わらず無言を貫いていた。
554 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:00:37.42 ID:M3YPm9i60 [23/50]
※
さらに数時間後。日が大きく傾きその色を紅に転じたころ。ハルたちはテントを道の脇にテントを張った。草を刈り、焚き火の用意をする。
手伝いを期待したわけではないが、少年はそのときはどこかに姿を消していた。
夕食は干し肉。火であぶってかじっていると、なにやら木の棒を持って少年が戻ってきた。目で問うが、少年は無視した。
ハルが干し肉を勧め、少年は無言でそれを受け取り、食べる。
日が落ちて暗くなって。ハルはテントに入り、シェロがはじめに見張りをする。少年にも寝るように言ったのだが、これも無視された。
テントの中で、ハルは眠れず何度か寝返りをうった。外からは焚き火が燃える音と、虫の鳴き声が聞こえた。
そしてシェロの声。
556 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:04:28.36 ID:M3YPm9i60 [24/50]
「どうしてそんなことをやっているんだ?」
そんなこと、とは少年が食事が終わった後始めた木の棒での素振りのことだ。なぜだかは知らないが、熱心に振っていて、今現在もやっているのだろう。
「仇」
ぼそりと少年が答えるが聞こえる。
仇。そのままの意味で取るなら、仇討ち。そのための特訓ということか。
「誰の」
「……」
だが、これは無視されたようだった。二度問う声は聞こえない。沈黙が落ちた。
「……」
やはり眠れない。ハルは仕方なく見張りの交代を申し出るため身を起こした。
558 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:08:33.68 ID:M3YPm9i60 [25/50]
※
同じような日が何日か続いた。つまり、日中は三人で街道を東へ向かい、夜は同じように野営をする。
その日はハルが最初の見張りだった。
焚き火がゆらゆらと燃える。少年は木の棒を振るう。ハルはそれを横目で見ていた。これが日課になりつつあった。
少年は一時間ほど棒を振るい床に就く。それまでは空気を打つ音が辺りに響く。
炎を見るのにも飽きて、ハルはずっと気になっていたことを少年に聞くことにした。
「あんた、親御さんは心配しないの?」
少年は珍しく棒振りをやめて、こちらをちらりと見た。
「……」
そのまま素振りを再開する。無視されたかと思ったが、
「……いない」
いない。親に捨てられたか、親が既に亡くなっているか。どちらにせよ深く聞けるようなことではなかった。
だがもし、親が死んでいるとするならば。仇討ちとは親に関係しているのかも知れない。
560 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:13:33.21 ID:M3YPm9i60 [26/50]
※
次の日の昼。少年と出くわしてから五日目。三人は前日と同じように街道を東に歩いていた。少年は相変わらず何を考えているのかわからない顔で、木の棒を引きずりながら後ろをついてきている。
次の町が近い。そんなときのことだった。
ハルは寒気を感じて振り返った。シェロは疑問符を浮かべてそれを見、すぐに気付いて表情を引き締める。少年は二人の様子をいぶかしげに見て、同じく気付いて後ろを向いた。
がさり。
後方の草むらが明らかに風とは関係なくゆれた。距離は七歩ほどか。音に引き続いてその主が正体を現した。
茶色と黒の毛並み、爛爛と輝く目、かすかに覗く牙、そして口の脇の大きな傷跡。大型の肉食獣がそこにいた。
「……」
緊張が走った。
「シェロ……」
「ああ……」
二人は視線を交わしゆっくりと後退を開始する。何日かの野営で体力を消耗していた。まともにやりあうのは分が悪い。町も近いのでそこに逃げ込むのが得策に思えた。
しかし。
561 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:19:39.10 ID:M3YPm9i60 [27/50]
「おい、お前……!」
シェロの声。見ると少年が一歩前に出て木の棒を正眼に構えていた。どういうつもりかは明白だった。
「やめろ!」
少年はシェロの制止には応じず、むしろその声を合図に飛び出した。ハルの頬を汗が伝う。荷物の落ちる音がした。
そして肉食獣の地を蹴る小さな、小さな音。
組み伏せられると見えた少年の身体は、突如後ろからシェロに抱きかかえられ地面を転がった。肉食獣の爪が目標を失って空振りする。
そしてハルはその隙を見逃さなかった。
「赤の刺激!」
肉食獣の足元に炸裂した熱衝撃破が激しく地面を揺らす。驚いた肉食獣は草むらに姿を消した。
それでも警戒は解かない。その草むらに手を掲げて、さらに魔術構成を編む。
「放せよ!」
そのとき聞きなれない大声が響いた。まだ幼さの残る声。少年の声だった。
562 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:23:07.88 ID:M3YPm9i60 [28/50]
見ると、少年がシェロの手を振り払って草むらに飛び込もうとしていた。
「馬鹿野郎、何言ってんだ! 危険だぞ!」
シェロが少年の肩をつかんで必死に止めている。少年の帽子がはらりと落ちた。
「あいつが仇だ! あいつを殺さなきゃ!」
仇。仇討ち。そんな単語が頭の中で踊る。そして先ほどの肉食獣。
はっとして視線を草むらに戻すが、肉食獣は戻ってきてはいないようだった。
「何のことだかよくわからないがお前には無理だ!」
「できるできないの問題じゃないんだ! 母さんの仇なんだ!」
少年はシェロをキッとにらんだ。シェロはそこで言葉に詰まったようだった。声が途切れる。
「……お前が死んだら母さんは悲しむぞ」
「それがどうした! あいつを殺さなきゃ僕の憎しみは止まらない!」
「あの獣だって何もお前の母さんが憎くて襲ったわけじゃないだろう」
少年はその言葉に視線を険しくした。
「そんなの僕には関係がない! あいつが母さんを殺したその事実だけで十分だ!」
「だが……」
「お前はそれでいいのか!」
唐突に矛先が変わり、シェロは驚いたように黙った。
563 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:25:55.87 ID:M3YPm9i60 [29/50]
「お前はそれでいいのか!」
少年は繰り返す。シェロは答えない。
「お前だってそうじゃないか! お前だって僕と同じじゃないか!」
シェロは答えない。
「お前はそれでいいのかっ!」
少年の声に呼応するように突風が吹いた。土ぼこりを舞い上げ、通り過ぎる。ハルは目をつぶった。
そして再び目を開けたときには。
「あれ……?」
少年はどこにもいなかった。
「……」
そして。ハルの視線の先でシェロは押し黙って立っていた。
565 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:30:43.22 ID:M3YPm9i60 [30/50]
そのあとは特に会話はなかった。狐につままれたような心地のまま次の町につき、とりあえず旅のための買い物をした。
それが終わってしまうと特にやることがなく、町をぶらぶらと散策する。その途中であまり広くない墓地を見つけた。なんとなくで入ってみることにした。
整然と並ぶ墓標。その間をゆっくりと歩く。ふと自分が死んでしまった後のことを夢想した。墓標の下で静かに、静かに呼吸する自分。まだまだずっと先のことかもしれないし、案外すぐかもしれない。
「あ」
それは唐突に目に入ってきた。
墓標にかかる茶色い帽子。風雨に汚れくすんでしまってはいたが見覚えがあった。
「ねえ、これ」
「……ああ」
シェロも立ち止まってそれを見ていた。
あの少年がかぶっていた帽子。
墓標に近づく。だが文字はかすれてしまって読めない。
566 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:35:04.09 ID:M3YPm9i60 [31/50]
沈黙が落ちた。シェロがその場を離れる。しばらくして戻ってきたシェロは手に小さな花を持っていた。
「どうしたのそれ?」
「……落ちてた」
「そういうのは落ちてたっていわないでしょ」
笑う。
シェロは墓標の前に花を置くと、長いこと目を瞑った。長いこと長いこと。そして空を見上げる。こちらからはその表情は見えなかった。
それからシェロは口を開いた。
「……行こうか」
「ええ」
連れ立って墓地を後にした。
※
なにか深い理由があったわけではないし、自分でもよくわからないが。ハルがシェロのことを、いいな、と思ったのはこのときのことである。
567 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 02:38:52.21 ID:M3YPm9i60 [32/50]
短編:旅の途中で
~了~
569 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:00:31.32 ID:M3YPm9i60 [33/50]
短編:勇者の来歴
570 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:07:03.98 ID:M3YPm9i60 [34/50]
あれは十年ほど前、俺がまだ現役できこりをやっていたころの話だ。当時はまだまだ元気で力もあったからな、十分木で食っていけたよ。今だってそんなに落ち込んだわけじゃないが、あのころは木材が今よりずっと良い値で売れて……
いや、そんなことはどうでもいいやな。今からするのはそんな話じゃない。本題は、俺が出会った不思議な坊主のことだ。
あいつと出会ったのは森の中だったよ。夕方だった。俺はたしか、そのときは切り倒した木の枝を取り除いていたんだった。ふと顔を上げて振り向いたら、あいつが気配もなく立っていたもんでたいそう驚いた。
「なんだ、お前は」
そいつの身なりはなかなかにひどいもんだった。着ている服はところどころ破れ、半分泥やらほこりで汚れていた。
「……」
俺の問いかけには全く答えなくてよ、始終無言だった。ただ、帰るところを聞いたときは、
「……ない」
それだけつぶやいて首を振った。
571 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:10:23.71 ID:M3YPm9i60 [35/50]
これはただの迷子じゃねえなと俺は気付いた。今は小康状態にあるが、戦争孤児ってこともありえる。厄介ごとはごめんだったが、かといって森に残していくわけにもいかねえ。仕方なくついてくるように言ったよ。
村に帰って風呂に入れて着替えを用意してやった。そのときあいつが勇者の村のペンダントをつけているのが見えた。そのときは知らなかったんだが、勇者の村はそのとき既に壊滅していたらしいな。だから、あいつは見立ての通り孤児だったわけだ。
だがそのときは、なぜあんなところに勇者候補さまがいるのかわかんねえから、飯を食わせて聞いてみることにしたんだ。
「お前、勇者の村の出身だろ?」
「……」
あいつ俺のことにらみやがった。
話したくない様子だったんでとりあえず今日のところは寝かせて、明日村長のところに行くことにした。
んで次の日だ。前日に決めたとおり村長のところに連れて行った。村長もまだ勇者の村が壊滅したことを知らなかったみてえだな。坊主に当たり障りない質問をして、返事が返ってこないのに困り果てた。それでも諦めず会話を試みて失敗し最後には、
「君、この子を数日預かりなさい」
俺に丸投げしやがった。
572 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:14:52.85 ID:M3YPm9i60 [36/50]
預かるって言っても具体的に何日預かるかもわかんねえから俺はもちろん抗議した。俺はこいつの知り合いですらない、ってな。
村長いわく、
「君のとこからの買い付け減らすよ」
俺はしぶしぶ坊主を連れて帰った。
それから十数日そいつを泊めることになるんだが、俺はただでそうしてやるほどお人よしじゃない。坊主にも仕事をやってもらうことにした。持ちつ持たれつってやつだ
山に連れて行き、俺は木を切り倒す。坊主はその木の枝を取り除く。
坊主は意外にもまじめに仕事に取り組んだ。手際よく次々仕事をこなしてくれたよ。
で、まあそれは良かったんだが少々奇妙なことがあった。仕事がひと段落すると休みを入れるんだが……
「何してるんだお前」
坊主のやつ、どこから見つけてきたんだか棒を振り回して遊んでやがった。いや、遊んでたのとは違うな、あいつの目は真剣だった。
「……」
まあ休みの間だけだし、俺は止めなかった。
ピュン、ピュンと空気をたたく音が休みの間中響いていたよ。
573 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:21:08.44 ID:M3YPm9i60 [37/50]
そんなのが何日も続く。
坊主の日課は止むことなく続いた。それどころか、奇行はさらに増えた。
「我は放つ光の白刃!」
なんだそりゃ。
坊主は構えるように――実際何かの構えだったんだろうけど――両手を前に突き出し、森の奥に向かって叫んでやがった。なかなか通りのいい声で、お前それならもっとしゃべれよと少しあきれた。
「我は放つ光の白刃!」
声だけが森の奥に響き――しかしそれだけだった。まさかただの発声練習だったわけねえんだろうが、それで何か起きるというわけではなかった。
574 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:25:57.44 ID:M3YPm9i60 [38/50]
毎日毎日休みになるとそんなことを繰り返す。俺はちょっと不気味さを覚えたね。あいつ、あんなふざけたようなことをやっているのに目は真剣、顔は大真面目なんだよ。だからなんていうのかな、鬼気迫る? そんな感じだった。
「お前、なんでそんなことをやっているんだ?」
一度問いかけたことがある。あいつが素振りをしているときだ。もちろん返事は期待しちゃいなかったんだが、
「仇」
ボソッとあいつが言うのが聞こえた。俺はもちろん続けて聞いたさ。
「誰の」
「……」
それには答えなかった。
575 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:30:31.01 ID:M3YPm9i60 [39/50]
ある日のことだ。いつもと同じように俺は木に斧をたたきつけていた。最後の一打で木がみしりと音をたて、それからゆっくりと倒れていく。轟音を立ててそれが倒れきり、俺はようやくため息をついた。
とそのとき、俺は視界の端に違和感を覚えた。何か森の色とは違うものが見えた気がしたんだな。何かいやな予感がしてゆっくりと視線を移した。
いた。明らかにマズそうなのが。
人型だが、人間にしては背が異様に高い。そして身長と同じくらい横幅もある。体表はくすんだ青と灰色が混じったような色。ほとんど裸で申し訳程度に腰巻を身に着けていた。人間に似てはいるが全く別のもの。魔族だ。
俺は冷や汗をたらしながら慎重に後退した。魔族は知能が足りなさそうな目でこっちをぼんやりと見ているだけだった。これなら穏便にすませられるじゃねえかなと思ったよ。
だが、坊主は見事にそれをぶち壊してくれやがった。俺がそばまで後退して魔族の存在を知らせると、あいつは木の棒を持って立ち上がった。
「おい……!」
静止は聞きゃしなかった。あいつは一気に魔族に駆け出すと、棒を振り上げた。
突如あがる気合の声。少年にしてはひどく獰猛な響きで、俺は背筋があわ立つのを感じた。
576 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:35:15.44 ID:M3YPm9i60 [40/50]
木の棒は見事魔族の腹に命中したが、効いている様子はなかった。
ただ眠そうな目で坊主を見、そのまま腕を振り上げやがった。次にどうするのかわかって俺はあわてた。あの野郎、坊主を叩き潰すつもりだ。
勢いよく腕が振り下ろされた。地をたたく音が辺りに響く。俺は坊主はもうだめだと思った。押しつぶされてお陀仏ってな。
だが、あいつはちゃんと避けてたんだ。そしてもう一発木の棒を叩き込む。さらにもう一発。
さほどのダメージじゃないんだろうが、魔族の野郎の様子が変わった。眠そうな目が鋭くなった。怒ったんだろうな。再度の腕の振り上げは先ほどよりもすばやかった。
「おい坊主、戻って来い! 逃げるぞ!」
俺の声には全く耳を貸さず、あいつは魔族から距離を取った。そして立ち止まって目を瞑る。俺はあせった。こんなときにいったい何をやっているんだってな。あまり危険なまねはしたくなかったんだが仕方ない、足を踏み出す。
だが次の瞬間ぞくりと身の毛がよだつのを感じて足を止めた。坊主のほうからとてつもない圧迫感を覚えたんだ。何か明確な危険信号があったわけじゃねえ。ただあるかどうかもわからない本能があぶねえって叫んでた。
577 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/04/11(日) 03:40:27.68 ID:M3YPm9i60 [41/50]
魔族が坊主に向かって突進する。巨体に似合わぬすさまじい速度。俺はそれを“見ていなかった”。
ただ聞いていた。
「我は放つ――」
坊主が叫ぶ声を。力強い、宣言の声を。
「光の白刃!」
耳を劈く破壊の音。轟音が俺の頭を揺さぶり、俺は思わず膝をついた。光が視界を覆い何も見えなくなった。そのとき俺は初めて神に祈ったんだと思う。
しばらくして音が止んでいることに気付いた。光も消えている。
俺はうずくまって耳を押さえていた。恐る恐る顔を上げた。そこには。
倒れた魔族の身体だけがあった。俺が切り倒した木のそばに大きな身体を横たえていた。
死んではいないみたいだったな、腹がかすかに上下していたから。ただ気絶しているだけのようだった。
579 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:23:17.53 ID:M3YPm9i60 [42/50]
見回したが坊主の姿はなかった。まるで最初からいなかったみたいに姿を消してしまっていた。
そのとき俺はあいつの名前すら知らなかったことに気付いた。ただ呆然といつまでもそこに立ち尽くしていたよ。
そう。十年ほど前の今頃のことだ。
……その後魔族をどうしたかって? どうでもいいだろうそんなこと。適当にほっぽっておいたよ。
……坊主のその後? わからねえな。ただの推測になるが……やっぱり勇者にでもなったんじゃねえか。
ああそうだよ。世界を救う――大勇者様にな。
580 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:26:53.18 ID:M3YPm9i60 [43/50]
短編:勇者の来歴
~了~
581 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:32:09.62 ID:M3YPm9i60 [44/50]
短編かつ終章:全てを見下ろす場所で~霧の滝の白魔術士~
582 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:34:41.07 ID:M3YPm9i60 [45/50]
私はようやく全てを閲覧し終え、伸びとあくびをした。肉体を失って久しいが、この癖だけはいつまでたっても抜けない。儀式のようなものだった。
周りを見渡す。代わり映えのしない景色、色あせた本の山々。既に肉体を捨てた私には意味のないもの。それでも必要なもの。
時間と空間、精神を操る白魔術士の一人。それが私である。
ここ、『霧の滝』と呼ばれるどこかで精神体として世界のよしなしごとを横目で見ている。
彼らの物語もその一つ。
世界に対し興味という興味を使い尽くし、ありふれたことに倦んでいた私にはよい暇つぶしだった。
血沸き肉踊るとまではいかなかいのが実情であったが。
583 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:36:44.22 ID:M3YPm9i60 [46/50]
ミス
~とまではいかなかいのが→~とまではいかないのが
584 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:38:02.06 ID:M3YPm9i60 [47/50]
ただ興味深くはあった。
彼らの未熟さ、稚拙さは既に成熟してしまった私には新鮮で、懐かしさも覚えたのだ。
彼らは人と人のつながりにひたむきでどうにも青臭い。
だが、それが彼らを生かし、彼らを彼らたらしめているのだろう。
それが彼らを救ったのだ。
そんな彼らだから成し遂げられたのだ。
そしてそんな彼らだからこそ、これからの人生も力強く歩いていけるのだろう。
585 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:39:53.27 ID:M3YPm9i60 [48/50]
物語は終わりを迎えた。
とりあえずのところ。
しかしまた世界のどこかで物語は生まれるのだろう。そして死んでいくのだろう。
ほら、今日もまた
「出発するよ、駄目学者! 準備はできた!?」
「駄目は余計だ、魔王の娘の癖に口が悪いぞ!」
物語は生まれて死んでいく。
一瞬の輝きを放ちながら。
今度はどんな物語になることやら。
私は慎重にページをめくった。
586 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:43:53.61 ID:M3YPm9i60 [49/50]
短編かつ終章:全てを見下ろす場所で~霧の滝の白魔術士~
~了~
thank you for your reading,sien and criticism
587 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage ] 投稿日:2010/04/11(日) 05:46:52.37 ID:M3YPm9i60 [50/50]
どうも、ここまでお疲れ様。駄文をよくぞここまで読みきりました。
前回、前々回と見てくれていた人もいたようでとてもうれしかったっす。
そして支援してくれた人に猛烈なる感謝を。ありがとう。
つってももう誰もいないかね、まあいいや。
では今度こそへばな~ノシ
※思わせぶりエンドだが、VIPでは迷惑になるんでこれ以上は続かない。
というか続くかどうかもわからない。これ以上やると劣化オーフェン度がさらに高くなるから。
もし続くとすれば半年後くらいに創発か製速で、またはじめから投下するっす。
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