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律「およそ五十センチメートルの距離」
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 14:54:54.99 ID:Y82RNiKH0 [1/77]
彼女の顔を見た時、稲妻が体を駆け巡った。
幼いながらも私は、彼女を好きになってしまったのだ、と理解した。
彼女の笑顔を見てみたい、と思って、彼女に近づいた。以来、私は彼女に話しかけるようになった。
彼女の笑顔を見たのは、私が髪型をパイナップルの形にした時だ。くすくすという笑い声が聞こえ、彼女の方を見やると、綺麗な笑みを浮かべていた。
その笑顔を見た私は、彼女への恋心を、より一層意識するようになった。
でも、私が彼女に告白したら、彼女はきっと困惑してしまう。笑顔を見せてくれなくなるかもしれない。
それが怖くて、私は未だ、告白できずにいる。
十年ほど経った今も、彼女には言っていない。
私、田井中律は澪に恋をしている――ということを。
彼女の顔を見た時、稲妻が体を駆け巡った。
幼いながらも私は、彼女を好きになってしまったのだ、と理解した。
彼女の笑顔を見てみたい、と思って、彼女に近づいた。以来、私は彼女に話しかけるようになった。
彼女の笑顔を見たのは、私が髪型をパイナップルの形にした時だ。くすくすという笑い声が聞こえ、彼女の方を見やると、綺麗な笑みを浮かべていた。
その笑顔を見た私は、彼女への恋心を、より一層意識するようになった。
でも、私が彼女に告白したら、彼女はきっと困惑してしまう。笑顔を見せてくれなくなるかもしれない。
それが怖くて、私は未だ、告白できずにいる。
十年ほど経った今も、彼女には言っていない。
私、田井中律は澪に恋をしている――ということを。
2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 14:57:57.49 ID:Y82RNiKH0 [2/77]
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
朝起きてご飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、そうして一日が始まる。
澪が家のチャイムを鳴らし、私は外に出る。いつもそうだった。澪が田井中家に来て、私と共に学校に行くのだ。知り合ったころからの慣習。
ほら、律、早く行こう――澪の言葉に私は頷く。ああ、わかった、トイレ行くからちょっと待ってて。
お手洗いを済ませ、鞄を持って再び外に。
律「じゃ、行こうか」
返事を聞かず、私は澪の先を歩く。後ろから澪の足音。そういえば、いつもこんな感じで二人歩いていた。
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:00:41.59 ID:Y82RNiKH0
今日に限って私は、気付いてしまった。
一歩離れた距離が、私と澪に間にある。一緒に学校に行くときも、帰るときも。微妙な距離が存在している。
――ちょうど、私たちの関係みたいに。
そこまで考えて、気分が落ち込む。朝からネガティブになるのは止そう。頭をぶんぶんと振って、邪念を払う。
澪「何してるんだ? 律」
律「え、あー、いや。ただの考え事だよ」
澪「考え事?」
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:03:31.47 ID:Y82RNiKH0
律「あれだ、今日のムギのおやつは何なんだろうな、ってこと」
とっさに嘘をついた。私と澪の距離感について思索していた、なんて言うべきではないと思ったのだ。
まったく律らしいな、という声が聞こえた。
私らしい――とはどういうことなのだろう。
澪にとって私は、普段からムギのおやつにしか興味の無い人間、くらいの認識でしかないのだろうか。
ああ、また変なことを考えている。朝から暗くなっちゃいけない。
そう思い、私は気を紛らわすべく空を見た。
快晴。
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:06:36.05 ID:Y82RNiKH0
学校に着く。靴を替えて教室へ。和と唯とムギはもう来ていた。
唯「あ、りっちゃんおはよー」
律「ああ、お早う」
私たちも唯たちに交じって、会話する。この中では唯と話をすることが多い。その次に澪。
一方澪は、和と話すことが多い。
澪と私が会話するときは、たいていが澪に突っ込みを入れられるときだ。
別に、和に嫉妬とか後ろ暗い感情を抱いているわけではない。
それでもやはり、むなしい。
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:09:20.53 ID:Y82RNiKH0
本音を言えば、澪と一緒でおしゃべりしていたい。
澪とだけ会話しつづけたい。
和ではなく私を選んでほしい。
でもそれは、ただの我がままだ。独占欲が強すぎる。
こんなことを澪に言ったら、私と澪の関係は壊れてしまうだろう。
唯「それでね、りっちゃん――」
だから私は唯の話を、いつものように聴き続けることにした。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:11:50.15 ID:Y82RNiKH0
授業時間を寝て過ごし、やがて放課後になる。
澪は掃除で唯は日直の仕事。私はムギと二人で音楽室に向かう。
歩いている途中会話はない。気まずさを覚え、私は早足になっていく。
紬「りっちゃん、今日調子悪いの?」
歩幅が縮む。
律「え、そうかなー? そう見える?」
紬「うん。府抜けちゃってる、感じ」
律「……そっか」
紬「あ、変な意味じゃないのよ? 気分悪くしちゃったらごめんね?」
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:14:31.40 ID:Y82RNiKH0
律「いや、大丈夫。心配しなくていいよ、ムギ」
ぴたり、とそんな音がするかのように会話が途切れる。
そういえば、夏休みの時はムギと、もっと話をしていたような気がする。
今日の私はそのときより無口だから、ムギが『調子悪いの?』と訊いてきたのだろうか。
そんな考えをしているうちに、音楽室の前まで来てしまっていた。
部室にはもう梓がいた。
ムギはお茶の準備に行く。梓と二人。なぜか、落ち着かない。
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:18:06.42 ID:Y82RNiKH0
梓「唯先輩と澪先輩はどうしたんですか?」
と、梓が話を振ってきたことに若干驚く。
律「日直と掃除」
梓「ああ、そうですか」
律「うん」
梓「………………」
律「………………」
梓「律先輩、今日は静かですね」
律「え、いつもこんな感じじゃないか?」
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:20:07.69 ID:Y82RNiKH0
梓「いえ、いつもはなんか、もっとはっちゃけているっていうか」
律「そうかなー」
梓「はい」
律「………………」
梓「………………」
律「…………あの」
梓「……やっぱり、いつもより静かです」
確信を持って指摘された。
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:22:37.71 ID:Y82RNiKH0
律「ちょ、ちょっと考え事してただけだよ」
下手な嘘。
梓「なんか、調子悪いんですか? 最近風邪流行っているみたいですし、ああ、そういえば純も風邪ひいているんですよ」
ムギと同じ質問――。
私はやはり、調子が悪いのかもしれない。テンションもなんか、いつもより低いのが自覚できる。風邪は……ひいているっていう自覚はない。
私は平静を装った。
律「はは、大丈夫だって。そういう梓はいつもより優しいじゃんか、なんかいいことあったの?」
いつもの私を意識して。
17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:25:22.66 ID:Y82RNiKH0
梓「なんか、心配して損しました」
律「どういうことだそれー!」
ムギに続き梓にまで心配されるとは、と軽い罪悪感を覚える。今日の私は、変なのか?
数分して、唯と澪が来た。
ムギがお茶とお菓子を持ってくる。唯が歓喜して、澪が美味しそうだな、と漏らす
私たちは定位置に座って、ケーキを囲う。
いつもと同じ、なのに私は心のどこかで、空虚さを感じていた。
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:28:29.30 ID:Y82RNiKH0
食べ終わったら雑談して、ちょっと楽器に触って、部活が終わると解散して、校舎を出て、途中まで五人一緒に帰って、唯と梓とムギが別方向に行って……。
今日の朝と同じように、澪と二人っきりになった。
私が一歩くらい進んだところを歩いていて、澪がその後ろを歩く。
距離感。
明確な差。歩幅にして一歩分。
気にしてしまうと、ずっと忘れられない。
つと、澪が言葉を発した。
澪「……今日は、律、いつもと違ったな」
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:31:30.02 ID:Y82RNiKH0
律「……マジか」
似た質問を二人からされて、澪にまで訊かれた。これはもう、私はいつもと違うということを認めざるを得ない。
澪「うん。言っていいのか分からないけど、なんというか、暗かった」
律「暗かった、か」
距離感。私と澪の間には距離がある。幼馴染なのに――幼馴染だからこそ、澪との距離を感じる。
……前から、何となくわかっていた。距離感があるなんて、知っていたのだ。
今日になって意識し始めた、というだけにすぎない。
22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:33:34.38 ID:Y82RNiKH0
澪「お、おい、律?」
律「え?」
知らぬうちに、立ち止まっていたらしい。
律「悪い悪い、考え事だよ」
澪「……律、なんか悩んでることあるのか?」
数秒の間をおいて、答える。
律「別に、ないな」
笑顔を作った。
24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:36:47.71 ID:Y82RNiKH0
歩いている最中、また、一歩澪より先に進んでしまう。
一歩分の距離――およそ五十センチメートルの距離は、短いようで長すぎる。
澪と十年近く一緒にいるのに、未だ、その距離を縮められないのだから。
時を経るごとに、距離を縮めるのが恐くなる。
それまで積み上げてきた澪との関係を、壊してしまいそうだから。
幼馴染だからこそ、私は澪に近づくことを、躊躇してしまうのだ。
幼馴染だからこそ、私は澪に、恋をしているというのに。
空を仰ぐ。そうしたら、何もかも忘れられそうな気がして。
けれど、夕暮れの空は、私を憂欝にさせるだけだった。
私のため息が空に消えた。
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:39:16.80 ID:Y82RNiKH0
家に帰ると、聡に、洗濯物をちゃんとまとめておいてくれと言われた。はいはい、と生返事をしながら、私は自室に戻る。
ベッドの上に鞄を放り、私はイスに座った。机の引き出しを開けて、それを取りだす。
中学生のころ書いた、澪へのラブレター。去年の年の瀬、部屋の掃除をしているときに出てきたものだ。
律「澪大好きだよ…………なんて、な」
ラブレターには、たくさんのハートのシールが貼られている。
これを書いているときは、告白する気満々だったはずだ。でも、渡すのに勇気が出なくて、結局今も、こうして我が家に残っている。
思わず、苦笑してしまう。
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:41:24.99 ID:Y82RNiKH0
勇気が出ないなんて律らしくないな、と澪なら言うかもしれない。
私は、本当はとても臆病なのだ。澪よりも、ずっと。
ただ、みんなの前では強がっているだけだ。威勢を張っている、と言っても正しいだろう。
でも実際は臆病だから、距離を意識しただけで、口数が少なくなってしまう。その結果、みんなに心配される。
澪に近寄りたい。
澪の手を握り、澪の眼を見つめ、好きだよと言いたい。
そんな妄想を口に出したら、唯に『りっちゃんキモーい』と笑われるかもしれない。
また、苦笑いが浮かんだ。あれこれ悩むのに、私は向いていないのだろうか。
31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:44:14.77 ID:Y82RNiKH0
澪に告白したら、きっと彼女は戸惑った挙句にごめん、と言う。でも、これからも友達だからな、とフォローするに違いない。
そうしたら私は、澪を避けるようになるだろう。
澪と一緒にいると気まずくなるのが目に見えるから。
だから、この恋心は要らないものなのだ。私と澪の関係を壊す、核にも似た存在のものなんて。
明日は、いつも通りの私でいられるだろうか。今日みたいに暗い私ではなく、陽気な私でいられるのか――?
そんな自信、ない。
誰か他人を不安にさせるのは嫌だった。それが、ムギであれ梓であれ、誰であれ。
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:46:59.35 ID:Y82RNiKH0
どうすれば、いいのだろうか。澪のことを意識せずに済むだろうか。
そう考えて、一つの結論に至る。
澪との接触の機会を減らす。それくらいしかないように思えた。
律「……ごめんな、澪」
出来ることなら、したくないのだけれども。
澪といたら、また数十センチの差を気にしてしまう。そうしたら、またムギや梓に心配をかけるかもしれない。
早いうちに、手を打っておかなければいけないのだ。
34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:49:53.18 ID:Y82RNiKH0
私の想いが暴走する前に。
距離をあまりに意識しすぎて、それしか目に見えなくなる前に。
椅子に背を委ねる。ぎぃ、とものさびしい音がした。
ああ、そうだ。聡のやつに洗濯物まとめておいてくれと言われていたっけ。
椅子から立ち上がる。喉も乾いた。ついでに水でも飲んでこよう。そう思い、私は階下に向かった。
ラブレターを、ゴミ箱に捨てて。
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:51:50.83 ID:Y82RNiKH0
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
洗濯物をまとめる。そのあと、台所で水を一気飲みする。
聡が、今日父さんたち遅くなるみたい、と伝えてきたので、私は晩御飯を作ることにした。
二人だけで食べるご飯は少し味気ないな、と思いながらも箸を進め、ごちそうさまを言って食器を洗いに向かう。
その間に聡が風呂を沸かしてくれていた。一番風呂は私だ。
風呂上がり。バスタオルを体に巻きながら、自室に向かう。
宿題を終わらせる。その後、唯からメールが来たので適当に返信する。
そろそろ、寝ようか。私は欠伸を一つ出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:54:43.39 ID:Y82RNiKH0
疲れていたのかもしれない。夜になってベッドに入ると、すぐに睡魔が襲ってきた。
?「起きろー、律」
そして、その声で目が覚めた。
律「ああ……? 誰だよ、人が寝てるって言うのに」
目をこすりながら見た先には、私がいた。
律「ようやく起きた」
律「…………はぁあ?」
律「おーい、律」
よく見ると、もう一人の律は、今ここにいる私よりも背が小さい。顔つきもどことなく幼い。中学生の時の自分ほどだ。
――ああ、これは夢か。
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:55:51.18 ID:Y82RNiKH0
律「起きてる? 律」
夢の中で頭をフルに使う。ひとまず、目の前の律を律Bとして、私を律Aにした。
律A「……何だよ、変な夢だな」
律B「なあ、律。本当にいいのか?」
律A「……何が?」
小さい自分に律、と呼ばれるのはなんか変な感じがした。
律B「いや、ラブレター捨てたじゃん、わりとあっさりと」
律A「……ああでもしないと、忘れられないだろ」
律B「何を?」
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:58:28.26 ID:Y82RNiKH0
律A「何をって……お前が私なら、わかるべ?」
自分は夢の中で、なに自問自答みたいなことをしているのだろうか。
律B「何を?」
律Bが笑う。いたずらっ子みたいな笑み。
律A「うるせーぞ律B!」
律B「律B?」
脳内設定は反映されないのか。不自由な夢だ。
律B「何を忘れる――忘れたいんだ?」
律A「………………」
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:01:19.68 ID:Y82RNiKH0
私は眼を瞑った。
律B「ねえ、何をだよ、律」
五月蠅い夢から逃げ出したかった。
だんだんと、律Bの声が遠ざかる。
夢から覚められるのだ――。
律B「律」
その間際。
律B「忘れられるわけがない」
そんな声が聞こえた、気がした。
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:03:55.60 ID:Y82RNiKH0
そして、目が覚めた。
律「――っはぁ! ………………うわ、寝汗びっしょり」
寝汗に不快感を覚えながらも、私はふう、と息を吐く。
律「へんな夢見せやがって……律Bめ」
パジャマを替えよう、と部屋の電気を付けた。壁掛け時計を見る。まだ、午前二時。余裕で寝ていられる。
ゴミ箱が視界に入る。端の方に、ラブレターが埋まっている。
何を忘れたいのか。そんなの、決まっている。
澪への想いを忘れたいのだ。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:05:43.63 ID:Y82RNiKH0
そうしたら、距離なんて気にならなくなるから。
私はそのラブレターを、ゴミ箱の奥の奥へと埋めた。
――忘れられるわけがない。
そんな声が聞こえたような、聞こえなかったような。
パジャマを替え、再び布団に潜る。
今度は、夢を見なかった。
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:08:30.80 ID:Y82RNiKH0
朝起きてご飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、そうしてまた一日が始まる。
澪と一緒に学校に行く。一歩分の距離は健在だ。気にしないように努める。
……でもやっぱり、気にしてしまう。靴二足を縦に並べたくらいの距離。
律「……あのさ、澪」
私は澪に向きなおる。
澪「どうした?」
言うのは心が締め付けられるようで、苦しい。でも、言わなかったら私は駄目になる。今でさえ、距離を気にしているのだ。
律「明日からさ、別々に学校行かないか?」
45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:11:39.70 ID:Y82RNiKH0
私の表情はどんなんだろう。悲しんでいるだろうか。少なくとも、笑えてはいない。
澪「え、何で……?」
澪と一緒だと、また澪のことを意識して、距離を感じてしまうから。
そんなこと言えるはずもなく、私は虚言を吐こうとする。
律「あれだよ。ほら、さ」
が、とっさの嘘は浮かばない。ああ、もう、こういう時に限って……。
澪「なんか、私律に嫌なことしちゃったか……?」
律「違うんだ、そうじゃなくて……ああ、澪もさ、毎朝私を迎えに来るなんて面倒くさいだろ? 小学生のころはさ、私も寝ぼすけだったから助かったんだけどさ」
心が圧迫されているように、感じた。息苦しい。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:14:18.77 ID:Y82RNiKH0
澪の視線が痛い。
澪「べつに、私は面倒くさくはないぞ?」
律「それでも、さ。私が悪いなーって思っちゃうんだよ、私の為に毎朝来てくれるとかさ、心苦しいっていうか」
芝居がかった動作で、私は言葉を連ねた。
律「だから、明日から――いや、今から一人一人で学校に行かないか?」
澪「……帰りの時は?」
そっちは忘れていた。どう、嘘をつこう。私が必死に思索していると、澪が再び口を開いた。
澪「……わかった、別々に行こう」
私の横を通り抜ける。そして彼女は、一人学校に向かった。
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:17:05.44 ID:Y82RNiKH0
一歩分以上の距離が、私と澪の間にうまれた。
私の横を通り過ぎる一瞬、澪の目に浮かんでいたあれは、涙? はは、まさか。
これでいいのだ、一歩分の距離を気にする必要はない。私は陽気なままでいられる。変な考え事をしない、私のままで。
これでいいんだ、ぜんぶ。これで澪のことを想わずにいられる。
律「…………ごめん」
誰の耳にも届かない謝罪は、頬を撫でる風に沿って、霧散していく。
私は遠回りの道を選んで、学校に向かうことにした。後ろからの足音は、ない。
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:19:12.08 ID:Y82RNiKH0
学校に着いて、すぐに教室に向かう。澪はもう来ていた。
唯「珍しいね、澪ちゃんとりっちゃんが一緒に来ないなんて」
律「ああ、今日はちょっと寝坊しちゃってな」
唯「へー、遅刻しないで良かったね!」
律「ああ。そういえばさ――」
唯と談笑しながら、澪を見る。
ムギや和と喋っている澪は、楽しそうだった。
胸の奥に、形容しがたい感情が湧いてくる。
53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:23:04.06 ID:Y82RNiKH0
朝のホームルームが終わる。授業はすぐに始まった。
筆箱から、シャープペンを取り出す。水玉柄で、真ん中にクマの柄がプリントされているシャープペン。
これは、たしか、澪とおそろいにしようと買ったシャープペンだっけ……。
別のものを使うことにした。でも、他のも全部、澪とのつながりがあるシャープペンシルだった。仕方ないので、一番最初に取りだしたやつを使う。
授業中寝ていたら、ノートを貸してもらうことになる。私はいつも澪から借りている――今回、それは避けたかった。
かといってムギや和に借りると、澪と何かあったのか、と疑われてしまいそうだから。
私は授業をまじめに受ける必要があったのだった。休み時間の時、唯に「寝ないなんて珍しいねー」と言われるだろうな、と思った。
54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:25:04.48 ID:Y82RNiKH0
一時間目二時間目……と、順調に終わっていく。いつも授業中は眠っているので、今日は何だか新鮮だった。
唯「りっちゃん、居眠りしてないね」
案の定、言われる。
律「ああ、私は今日から生まれ変わることにしたんだー!」
唯「おおー、遅い!」
律「生まれ変わるのに早さは関係ないのだよ……」
唯「じゃあ私も今日から生まれ変わろうかな。よし、まずは一人で夜トイレに行けるようにする!」
律「今まで憂ちゃんと一緒に行ってたのか……?」
唯「? うん。普通じゃない?」
そんな会話をしているうちに休み時間が終わり、また、授業が始まった。
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:27:39.37 ID:Y82RNiKH0
お昼休み。弁当は、唯達とではなくいちごと食べた。一人でいることの多い、物静かな女の子だ。
いちご「……何で今日は私と一緒?」
律「たまにはいいかなーって」
言いながら、弁当を開く。弁当に入れているお箸も、澪とおそろいのものなのだ、と思いだす。
いちご「……どうしたの? 箸を見つめたまま固まっちゃって」
律「え、――ああ、なんでもないよ」
いちご「……そう」
いちごと食べるご飯は、美味しかった。その反面、どこか、切なくもあった。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:30:20.51 ID:Y82RNiKH0
放課後になった。澪は掃除、唯は昨日で日直が終わったので、私たち三人だけで部室に向かった。
部室には昨日と同じく梓がいた。
ムギがお茶の用意に消える。私は唯と、机に座ってお茶を待つ。直に梓が座り、続いて澪が入室して席に着く。最後はムギが、お菓子を持ってくる。
唯「そういえばあずにゃん、純ちゃん大丈夫なの?」
梓「え? 純? ああ、風邪なら治ったそうですよ、授業中に来たメールにそう書いてありました」
唯「よかったー、昨日憂がとても心配してたんだよ『純ちゃん風邪ひいてる心配だなあ』って」
梓「憂らしいですね」
唯「えへへ、でしょー」
梓「いや別に先輩のことを褒めているわけじゃ……」
そんな会話を耳にはさみながら、ムギの持ってきたお菓子にかじりついた。甘い。
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:32:19.31 ID:Y82RNiKH0
私も何か話をしよう、と思い口を開――。
澪「あのさ、律」
それより早く、澪が切りだした。
律「……なんだ? 澪」
澪「今日、律と私、あまり会話してなくないか?」
ここで動揺してはいけない。自分に言い聞かせる。
律「ああ、そういえばそうだな」
紬「たしかに、澪ちゃんとりっちゃんがいつもみたいにはしゃいでるとこ、見ていないような……」
唯「珍しいよねー」
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:35:12.49 ID:Y82RNiKH0
律「あはは、偶然じゃないか? たまには、こういう日があってもさ」
澪「弁当も、一緒じゃなかったし」
律「今日は、いちごと弁当を食べる約束していたんだよ」
我ながら、急な嘘にしてはよく言えたと思う。
澪「……そうか」
瞳を伏せる澪。
しんみりとした空気が部室全体を覆って、沈黙が流れる。
水槽からするこぽこぽと云う音だけが、場違いに響いていた。
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:37:34.07 ID:Y82RNiKH0
律「そ――それにしても、このごろ晴れてばっかだよな」
無理な話題転換をする。
紬「ああ、そういえばそうね」
唯「でも、土曜日くらいになると雨が降るらしいよ?」
律「休日に雨かー、タイミング悪いな」
今日は何曜日だっただろうか、と考え、ああ木曜日かと思い出す。
その後、唯がまた話を始めた。ムギがその話に興味を持って、どんどん話題が広がっていく。私もその中に加わる。
けれど、澪は黙りこくったままになった。
結局、それ以上喋ることはなかった。
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:40:20.96 ID:Y82RNiKH0
六時前くらいに部活動が終わる。と、いっても大したことはしていないが。
部室を出て、更には校舎を出る。
空はうすい赤色。あと二十分もすれば、立派な夕焼けが見られるに違いない。
私たち五人はいつも通り、途中まで一緒に帰った。
ムギと唯と梓が別方向になる。
必然、私と澪が二人だけに。
澪「……じゃあな、律」
そう言い残して、澪は夕暮れの向こうに早足で駆けていく。
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:42:39.10 ID:Y82RNiKH0
私に彼女を止める必要はない。その後ろ姿を、ぼんやりと眺めていることしか出来なかった。
空っ風が、私の脇を走り抜けていく。
一歩分の距離だったものが、いまはもう、どうしようもないほど広い溝となっていた。
そうしたのは私自身なのに、何故だか、澪に謝ってすべてを告白したい気持に駆られた。
一人で、歩幅を小さくしながら、私も帰る。歩幅は小さめ。
あまりにも静かで暇なので、私は物思いにふける。
――最初は、澪の笑顔が見たいだけだったのだ。
彼女が笑ったらどれだけ綺麗な顔なのだろうという、好奇心だった。
彼女はいつもうつむいていたから、私が何とかしなければ、と思った。
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:46:05.14 ID:Y82RNiKH0
……考え事のはずなのに、私は澪のことしか考えられない。もっと考えるべきことがあるだろうに。地球温暖化とか、森林伐採とか。
律「私は………………」
私は、どうしても、澪のことを忘れられないようだ。
苦しい。
澪を遠ざけても苦しいし、近づけてもわずかな距離を気にしてしまう。
私はいったい、どうすればいいのだ?
律「…………くしゅっ」
……寒い。
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:48:31.84 ID:Y82RNiKH0
家に帰ると、聡が変な顔をした。
聡「姉ちゃん、顔赤いよ?」
律「え、マジ?」
体温を測ってみたら、37度1分。
律「なんだ、大したことないじゃん」
聡「でも、微熱だからって安心しちゃまずいだろ……。これから上がるかもしれないんだし」
律「私は滅多に風邪ひかないんだよ。だから、熱もこれ以上上がらない!」
聡「だから、って意味が分からない。……とか言って、お姉ちゃんが一年生の時ひいてたじゃん」
律「あのときは体が子供だったんだよ」
聡「今も変わらないと思うけど」
律「もう二年もたってるんだから、私の免疫たちも成長したはず。ま、明日には治るよ」
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:51:25.99 ID:Y82RNiKH0
翌日の金曜日。
私は学校に一人で行った。熱はまだあったが、37度1分と昨日と同じだったので、大丈夫だろうと判断したのだ。
朝のホームルームが始まるまで唯と談笑した。
授業は真面目に受けた。
昼休みの弁当は、エリたちと食べた。
その後の授業もまじめに受けて、放課後になった。
部室でお茶を飲んで、ワイワイ騒いだ。
部活を終えると帰宅。もちろん、一人で。
68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:53:51.22 ID:Y82RNiKH0
その金曜日。澪との会話はなかった。ただの一言も交わしていない。おはようの挨拶すらしていない。
澪との距離をとれたのだ。
喜ぶべきことのはずだ。一歩分の距離を忘れられる、良い機会だ。
なのに私は、悲しかった。
澪のことを想わずにいられなかった。忘れられるわけがない。律Bが、夢の中でそんなことを言っていたのを思い出す。
考えすぎたのか、何だか頭が熱い。そういえば、寒気もするし。ぶるる、と体を震わせると同時に、咳が出た。
律「…………ごほっ、けほっ」
鼻水まで垂れてきた。
70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:55:44.24 ID:Y82RNiKH0
土曜日。聡の予想通り熱が上がっていた。39度ちょうど。
聡「……ほら、やっぱり」
律「うるせー」
聡「氷枕返るよ」
律「サンキュー。あ、おかゆがほしい」
聡「俺作れないから……澪さんとかに頼んで?」
律「聡の役立たずー……げほっ」
聡「大声出すから……あ、ちょっと用事があるんだ。だからどうであれ、看病とかはお姉ちゃんの友だちにしてもらわなきゃ……」
律「姉を見捨てる気かー」
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:58:05.75 ID:Y82RNiKH0
聡「ごめんって」
律「用事の内容教えてくれたら許してやらないこともない」
聡「補習。期末考査で、ちょっと」
律「勉強が出来ないとこも姉弟そろって同じとは……」
聡「じゃあ、氷枕替えたら行ってくるから」
律「……頑張って来いよー」
聡「姉ちゃんもね」
減らず口をたたき合いながらも、会話の内容は愛を感じさせ……るのだろうか。
とにかく、聡の代わりになる助っ人が必要なようだ。
72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:00:48.71 ID:Y82RNiKH0
律「……澪にどんな顔して、看病頼めるんだよ」
聡が家を出ていったあと、私は一人自室で横になりながら、呟いた
律「……ムギか和だよなあ。いや、憂ちゃんもいいかもしれない……げほっ、あー。体がだるい」
目がかすむ。昨日学校休めば良かったと、いまさらながらに後悔した。
律「とりあえず、梓と唯はないな。料理作れなさそうだし」
律「ムギは……おかゆ作ったことあるのかな。憂ちゃんに頼んだら、唯が代わりに来そうだ」
律「…………和かな」
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:03:14.54 ID:Y82RNiKH0
私のアドレス帳は、五十音順で並んでいる。
[真鍋和]、を選択した――はずだった。
しかし、実際に来たのは、唯。
唯「りっちゃん、風邪引いたんだって?」
律「な、なんで唯が?」
唯「え、メール来たんだけど」
私は焦って送信履歴を見る。[平沢唯]に送信されている。どういうことだろうか、そう思い、真鍋和の上に平沢唯が並んでいるのだと思いだす。
律「…………これが憂ちゃんだったら」
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:06:05.88 ID:Y82RNiKH0
唯「任せてりっちゃん! 私憂をも看病したこともあるから!」
律「……信用するぞ」
唯「あ、でも私だけでうまく作れるか不安だったから、みんなにメールしたからね」
へ、と口から変な音が漏れる。
律「みんなって、誰?」
唯「あずにゃんとムギちゃんと和ちゃんと澪ちゃん」
律「…………澪も?」
唯「? うん」
唯は私のおでこを触ってきた。これは熱いね、目玉焼きがやけちゃうくらいだよ――病人の前でそういうこと言わないでくれ、と突っ込む気力はなかった。
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:08:54.92 ID:Y82RNiKH0
一番初めにムギが来た。二番目に梓。ちょっと遅れて和。
唯「和ちゃん、おかゆってどうやって作るの?」
そう言って、和と唯は階下に消えていった。ムギは梓ちゃん看病よろしくね、と言い残して、和と唯の後を追った。意外と薄情だ。
梓と二人っきり。
あまり、こういう機会はなかったような気がする。気まずいとはいわないまでも、ぎこちない雰囲気。
梓「澪先輩、来ないんですかね」
今回もまた、梓が話を振ってきた。
律「…………みたいだな」
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:11:21.16 ID:Y82RNiKH0
梓「唯先輩、澪先輩にメール送り忘れたのかもしれませんね」
唯先輩らしいです、と梓は微笑む。そんなわけがない、と私は心の中で否定する。唯は、さっき『澪ちゃん』と確かに言ったのだ。
でも、それを言ったら、澪と私の間に何があったのかを言わなければいけないから――私は「確かに唯らしいな」と梓に同調した。
梓「でも、風邪引いたのが休日で良かったですよね」
律「よくねー」
梓「え、だって明日に治ったら、また学校に来れるじゃないですか」
律「……学校って楽しい?」
梓「? もちろんですよ」
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:13:26.11 ID:Y82RNiKH0
律「物理とか、化学とかが?」
梓「授業は楽しくないですけど、憂や純がいますし――純って、私の友だちですよ――それに、唯先輩やムギ先輩に会えるから、楽しいです」
律「……そこで『律先輩に会えるから嬉しいです』っていごほっ! けほ!」
梓「律先輩大丈夫ですか?」
背中をさすってくれる。
律「あ、ああ、なんとか」
こんこん、と咳を続けたまま言う。
78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:16:01.82 ID:Y82RNiKH0
数分経って、暇になったのか、梓は私の部屋を見回した。
律「面白いものはないぞー」
梓「一回来てるから知ってますよ」
律「ああ、そういやそうだったな」
梓「あれ、この写真立て何で伏せてあるんですか?」
言いながら梓は、机の上に伏せられた写真立てを起こす。
律「……写真見たら、元通りに寝かしとけよ」
梓「……澪先輩と律先輩の写真、ですか。律先輩って写真うつりいいですね」
律「そうか? そうだろー」
79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:17:43.04 ID:Y82RNiKH0
梓「いつの写真ですか?」
律「……中学生の時の、修学旅行。北海道に行ったんだよ」
梓「ああ、だから律先輩クラークのポーズしてるんですね」
律「冬なら雪が降ってたのかもしれないけど、夏行ったもんだからさ、全然北海道って気分がしなかったんだよ」
思い返す。
律「ラベンダーだらけの畑行って、小樽ってとこでガラスの白鳥買って、函館から夜景見おろしたな。とにかく移動が長いっての」
梓「澪先輩も一緒だったんですか?」
律「ああ、澪も一緒だった。途中、二人して迷子になってさ。先生が駆けつけてきてくれたっていうハプニングがあったけどな」
――澪。
また、思い出してしまう。
80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:20:45.53 ID:Y82RNiKH0
私の生きる世界には、澪との思い出が多すぎた。シャープペンに箸一膳。今学校で使っている靴だって、確か澪と一緒に買ったものだ。
忘れることなんて、出来なかった。
忘れられるわけがない。その通りだった。澪との思い出がたくさんある場所で、澪のことを忘れようなど、不可能なのだ。
律「もう帰れないのかなー、って澪不安がってさ。私が必死に笑わそうとしたなあ」
梓「そのときから、そういう関係だったんですね」
律「そういう関係? なんか不穏な響きが」
梓「あ、変な意味じゃありませんよ? なんて言うか……一心同体だったんですね、と」
律「一心同体、ねぇ」
81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:23:03.70 ID:Y82RNiKH0
今はどうだろうか、一心同体であるだろうか。そんなはず、ない。
私たちは離れてしまった。いや、私が一方的に離してしまった。
澪は、私の横を通り過ぎた時、泣いてはいなかったか――?
そんな私の思考を中断するように、唯達が入ってきた。
唯「お待たせ、りっちゃん! おかゆ作ったよ」
和「どこに何があるか分からなかったわ」
紬「ちょっと手こずったわね」
唯「ほらほら、はい! りっちゃん、あーん」
スプーン一すくい分のおかゆが、ほのかに湯気を立てている。
82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:25:17.71 ID:Y82RNiKH0
律「あ、あーん……って、熱い!」
唯「え、あ、ごめん。ふー、ふー、ふー……これくらいで冷めたかな? はい、もう一回あーん」
律「あーん……おお、味はまとも」
おかゆを咀嚼する。風邪の時に食べるものは何でもおいしく感じられる。
唯「私が本気を出したらこんなものです!」
律「……うん、なかなかイケる。ありがとう、唯、和、ムギ」
唯「えへへー、……あれ? メール来た」
おかゆの入った皿を和に渡し、唯は携帯を開く。
和がふーふーしたおかゆを二杯ほど食べたとき、唯がそのメールを見せてきた。
83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:28:05.16 ID:Y82RNiKH0
唯「澪ちゃんから」
あとでいく。
と、それだけ書かれた簡素なメール。
和「ほら、律。口あけて」
律「え、あ、ああ」
三度目のあーん。
あとでいく。どこに? 私の家に、だろう。あとっていつだ? 一時間後? それとも明日?
そんな考えが頭の中に湧く。思考が飽和して、私は脳はショートを起こす。
どうせ後でくるんだ――そうまとめ、私はおかゆを食べることに専念した。
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:30:35.22 ID:Y82RNiKH0
聡が帰ってきたのは、それから一時間ほど経った後で、そのころにはもうおかゆは食べ終わっていた。
唯「じゃ、聡君帰ってきたから私たちももう帰るねー」
紬「早いうちに治してね? りっちゃん、ファイト!」
ああ、わかってるよ、と心ここに非ずな風で答える。
澪は、まだ来なかった。唯達が帰るのとすれ違いになるんじゃないか、と期待していたが、それすらも外れた。
天気が崩れ始めてきた。
86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:33:13.30 ID:Y82RNiKH0
午後二時。澪は来ない。
午後三時。澪は来ない。どこか遠くで雷鳴が聞こえる。
午後四時。まだ、澪は来ない。窓から覗ける外は、霧雨が降っていた。
午後五時。来ない。雨が降るのは日曜日だったんじゃないか? とどこかにいる天気予報士に言いながら、しとしとと降る雨を見つめ続けた。
午後六時――私もあきらめ始めた。澪は来ないのだ、と落胆すると同時に熱も下がりはじめた。37度3分。微熱の域だ。
午後七時。聡が弁当を買ってきてくれた。聡のあーんは勘弁なので、三十分かけて一人で弁当を完食して見せた。普段なら十分もたたずに食べられるだろうに。
午後八時。雨は本降りになっていた。家の中でも、雨粒がアスファルトを叩く音が聞こえる。
ああ、今日はもう来ないだろうな。そんな諦観が胸中を支配し始めたなか。
――そんななか、田井中家のインターホンは鳴ったのだった。
87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:35:28.34 ID:Y82RNiKH0
聡が私の部屋に、澪を入れた。
長い髪の先端は、雨にぬれている。履いているジーンズの裾も、三センチくらい水が滲んでいた。歩いてここに来たのだ、ということがわかる。
そんな澪の姿を私の目が捉えた瞬間、体中が熱くなった。熱だけが原因ではないだろう。澪が、来てくれた――!
律「…………澪。こんな時間に、大丈夫なのか?」
澪「律の家行くって言ったら、ママも許してくれたよ」
ママ、という発言について、追及はしなかった。
澪「……私が行っていいのか、わからなかった」
澪はそう漏らした。
澪「律、教えてほしいんだ」
88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:38:04.39 ID:Y82RNiKH0
律「……何を」
澪「私が、律に何をしたのか」
律「何も、してないよ」
澪「嘘だ」
律「本当だ」
澪「じゃあなんで、私と一緒に学校行くのやめようとか言ったんだ? お昼ごはんも一緒じゃなくなってたし……」
律「……私さ、今風邪ひいているんだ。変に頭使わせないでくれよ」
我ながら、ひどい言い草だ。雨の中きてくれた人に、冷たいことを言っている。弁解にもなっていない、言い訳。
澪「…………私は、律を、傷つけてしまったんだろ?」
律「それは、それだけは、ない」
89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:40:39.25 ID:Y82RNiKH0
澪「律に嫌われたんだ、と思った。学校に一緒に行くの止めよう、って言われたとき。ああ、私は律に何かしたんだって」
律「何もしてないよ」
ただ、私が身勝手にも、彼女を突き放しただけだ。
澪のことを意識して、距離感を自覚して、私は暗くなってしまう。
それを避けるために、私は、澪と距離を置いたのだ。一歩分よりも、もっと長い距離を。
澪「私は、律の言葉に賛成したよ。かたくなに拒否したら、律に嫌われるんじゃないかって思ったんだ」
澪の独白は続いた。
澪「でも、たった一日律と居られないだけで、私は気が変になりそうだった」
だから、と澪は懇願してくる。
澪「せめて、理由だけ聞かせてほしい。そうしたら、気が楽になるから」
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:43:25.57 ID:Y82RNiKH0
理由?
そんなの決まっている。
私は澪のことを好きだから、澪を遠ざけたのだ。
私の恋心は、あってはいけないものなのだ。
私自身や、私たちの関係をも壊す、危険な爆弾。
澪の笑顔をもう、見ることが出来なくなるかもしれない。
必死に、澪のことを忘れようとした。
それは確かに不可能だろう。私の周りには、澪との思い出でいっぱいだ。でも、少しくらいは忘れられるはず。
だから、澪との距離を広げた。
92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:46:16.16 ID:Y82RNiKH0
澪「律、私が何かしたなら謝る、謝るから……」
私は、澪の顔を直視できなかった。
だって、澪は泣いていたから。
私はなぜ、澪に近づいたのか。澪の笑顔を見る為に、だ。
それがなんだ。今、澪は泣いている。私が、泣かせてしまった。
律「………………」
何をどう言えばいい? 律B、いるなら教えてくれよ。私は今どうすればいい?
全部をさらけ出すか? 澪のことが好きだと告白するか? でもそれが、私たちの関係をぎこちないものにしたら……。
今でさえ、私と澪の関係は危うくなっている。そんなところで告白なんて、火に油を注ぐようなものだ。
とにかく、何か言わないと、この場は切り抜けられない。
この場に限って、雄弁が金で沈黙が銀だ。
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:49:24.23 ID:Y82RNiKH0
律「…………言えない」
澪「……何で、だ?」
律「言ったら、澪は私のことを軽蔑するかもしれないから」
澪「しない、絶対にしない」
律「私は、臆病なんだよ。何かを失うのがとても怖いんだ」
澪「私もだよ」
律「真実を言ったら、澪を傷つけてしまうかもしれない」
澪「気にしない」
律「澪との仲が壊れるかもしれない」
澪「……そうしたら、また一から始めればいい。だから」
………………………………。
その言葉に私は、すがりたくなった。
97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:52:14.98 ID:Y82RNiKH0
律「澪」
澪「何?」
律「また一から始めることになってもいいか?」
澪「いい」
――今なら、言っても許されるだろうか。
心変わり、というにはあまりにも唐突な心理の変化。
全てを言えば、彼女は――澪は、泣きやんでくれるのだろうか……?
不安に胸が震える。
澪「律、私は律のことを軽蔑するような人間じゃない。断じてない」
震えた声音で言う澪。
ああ、そうだ、澪は優しいのだ。
恐がりで人見知りだけど、澪は親切なのだ。私は知っている。だてに、澪の幼馴染ではない。
98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:55:14.11 ID:Y82RNiKH0
今なら、言っても許されるんじゃないか。
疑念が確信に変わる。彼女なら――澪なら、きっと、私の言葉を受け止めてくれる。
律「私は澪のことが好きでたまらない」
澪は無言だった。構わず私は語を継ぐ。
律「でも、澪にそう言ったら、澪とわたしの距離が離れてしまうかもしれない。――だから、私は澪と一緒に学校に行くのを拒んだんだ」
独白は続く。
律「……私は、澪と一緒にいても距離感を自覚しちゃうんだ。澪と一緒にいなくても、澪のことばかり考えてしまう。私はどうしたらいいのか分からないんだ」
私は苦笑して。
律「なんか、意味の分からない台詞になったな。風邪ひいてるからさ、ちょっと変なんだ今。澪のことが好きだから澪と離れたってことだけ伝わればいいよ」
雨の音が相変わらず響いていた。うるさい。今はシリアスな場面なんだ。ちょっと空気を読め。頭が混乱に混乱して、ハイになっていくのが分かる。
私はもう言ってしまった。後戻りはできない。後悔はしていない。だってまた、一から始められるのだと、澪が言っていたから。
律「――澪、大好きだ」
100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:58:10.25 ID:Y82RNiKH0
駄目押しとばかりにそれだけを口にして、私は布団の中に丸まった。
布団を一枚隔てた向こうで、澪はどんな顔を浮かべているのだろう。驚愕? 微笑?
澪「…………あのさ」
律「…………何だよ」
澪のその声のトーンに、嫌悪の響きはない。私は若干安堵する。
澪「律、律は臆病なんかじゃないよ」
律「……何言ってるんだよ、澪」
布団越しの澪の台詞は、くぐもって聞こえる。
101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:00:17.91 ID:Y82RNiKH0
澪「律は、私に全部言ってくれた。全然、臆病なんかじゃない」
律「風邪で、ハイになってるだけだよ」
澪「それでも、さ」
だって、と澪は続ける。彼女の浮かべている表情は分からないが、喜んでるんじゃないかと云うことは、口調で分かった。
澪「私は、律にずっと言えなかったんだから」
何を?
澪「律、私は律が大好きだ」
凛とした声。
胸が爆発しそうになった。頭が白紙になって、何一つ考えられなくなる。
102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:02:11.55 ID:Y82RNiKH0
澪は、今、何と言った?
澪「でも、律の隣にいるだけで、私は緊張しちゃうんだよ。だから、律に面と向かって言うことはずっと出来なかった」
布団の中で咳込む。風邪が原因じゃない、気恥ずかしさが原因だ。
澪「律、私は律が好き――私も律が好きだ」
その言葉は、世界中にあるどんな名言よりも、価値のあるものだった。私の葛藤とか迷いを全て帳消しにしてくれる、金言。
律「……本当?」
澪「本当」
律「……人が風邪で寝込んでるって言うのにさ、驚かさないでくれよ」
私は布団から顔を出す。
澪「これで、仲直りできたかな、律」
律「……ああ。ごめんな、澪。私が、勝手に、澪のこと……」
澪「いいよ。気にしない」
嬉しさとか、戸惑いとか、たくさんの感情が私の中でごちゃ混ぜになる。私の恋した幼馴染は、どこまでも優しかった。
103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:04:26.96 ID:Y82RNiKH0
律「…………あとさ、もう一つごめん。その、さっき、泣かせちゃって」
澪「それも、気にしてない」
律「そっか…………」
嬉しさで涙があふれそうになる。いつぞやの学園祭ライブの時の感動と、似ていた。
澪「どんなことされてもさ、私は、律のこと嫌いになれないんだよ」
律「……ありがとう、澪」
果たして、何に対しての『ありがとう』だったのか。許してくれたこと? それとも……。
澪の顔を見やる。涙の代わりに笑顔が浮かんでいた。いつか見た、澪の綺麗な笑顔。
私もつられて笑顔になる。そうだ、泣いてはいけない。澪だって、私の泣き顔は見たくないはずだ。笑わなきゃ、澪に申し訳がない。
104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:07:01.12 ID:Y82RNiKH0
律「澪、好きだ」
澪「私も、律、好きだ」
お互いの気持ちを確かめあえるよう、ずっとそう言いあった。好きという言葉によって、どこまでも繋がっているのだ、と実感できた。
雨音のBGM が、どこか心地いい。
私たちの関係は、一から始めなければならないようだった、
友達としてではなく、もっと親しい関係――恋人として。
このままずっと二人でいような。
私は澪にそう言った。
ああ、ずっと。
澪は私にそう返した。
私と澪は、最初から繋がっていた。ただ私たちが、そのことに気づいていないだけで。私の独り相撲でしかなかったのだ、と。
105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:09:23.08 ID:Y82RNiKH0
澪「月曜日からは、また私と二人でさ、学校行こうな?」
律「……いいのか?」
澪「当たり前だろ、律」
休み明けの登校が、何だか楽しみになってきた。ああ、梓も言っていたっけ。学校に行くのは楽しい、と。だって、みんなと会えるから――。
澪「じゃあ、月曜日までに風邪、治しておいてくれよ?」
律「わかってるって」
澪が部屋を出ていく。……澪もそろそろ帰らなきゃいけない時間だもんな。心の奥底で寂しいという感情が湧きあがるが、口には出さない。
だってまた、必ず会えるのだから。私と澪は、これからもずっと一緒なのだ。
澪との繋がりが溢れる自分の部屋で、ゆっくりと目を瞑る。
今日ならいい夢が見られそうな、気がした。
106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:10:15.42 ID:Y82RNiKH0 [77/77]
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風邪は日曜日の午後に完治した。
でも雨は降り続いていて、結局、月曜日の午前三時くらいまで道路をびしょ濡れにしていたという。
月曜。私が起きたのは六時だったので、そのときは外に青空が広がっていたけれど。雨上がりの空だというのに、虹はなかった。
ベッドから出てご飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、そうして一日が始まる。同じ始まり方、だけど今日この日からは、いつもと違う一日が始まるに違いない。
澪がインターホンを鳴らしに来る。私は家を出た。風邪治ったんだ? 澪の台詞に私は頷く。ああ、おかげさまでね。
そして、二人は歩いて行った。
自然と歩幅が合うようになっている。隣同士、肩を合わせて進む。
澪の体に、私は寄り添う。何だよ、と澪は恥ずかしがるが、嫌がるそぶりは見せない。
およそ五十センチメートルの距離は、もう、なくなっていた。
終わり
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
朝起きてご飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、そうして一日が始まる。
澪が家のチャイムを鳴らし、私は外に出る。いつもそうだった。澪が田井中家に来て、私と共に学校に行くのだ。知り合ったころからの慣習。
ほら、律、早く行こう――澪の言葉に私は頷く。ああ、わかった、トイレ行くからちょっと待ってて。
お手洗いを済ませ、鞄を持って再び外に。
律「じゃ、行こうか」
返事を聞かず、私は澪の先を歩く。後ろから澪の足音。そういえば、いつもこんな感じで二人歩いていた。
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:00:41.59 ID:Y82RNiKH0
今日に限って私は、気付いてしまった。
一歩離れた距離が、私と澪に間にある。一緒に学校に行くときも、帰るときも。微妙な距離が存在している。
――ちょうど、私たちの関係みたいに。
そこまで考えて、気分が落ち込む。朝からネガティブになるのは止そう。頭をぶんぶんと振って、邪念を払う。
澪「何してるんだ? 律」
律「え、あー、いや。ただの考え事だよ」
澪「考え事?」
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:03:31.47 ID:Y82RNiKH0
律「あれだ、今日のムギのおやつは何なんだろうな、ってこと」
とっさに嘘をついた。私と澪の距離感について思索していた、なんて言うべきではないと思ったのだ。
まったく律らしいな、という声が聞こえた。
私らしい――とはどういうことなのだろう。
澪にとって私は、普段からムギのおやつにしか興味の無い人間、くらいの認識でしかないのだろうか。
ああ、また変なことを考えている。朝から暗くなっちゃいけない。
そう思い、私は気を紛らわすべく空を見た。
快晴。
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:06:36.05 ID:Y82RNiKH0
学校に着く。靴を替えて教室へ。和と唯とムギはもう来ていた。
唯「あ、りっちゃんおはよー」
律「ああ、お早う」
私たちも唯たちに交じって、会話する。この中では唯と話をすることが多い。その次に澪。
一方澪は、和と話すことが多い。
澪と私が会話するときは、たいていが澪に突っ込みを入れられるときだ。
別に、和に嫉妬とか後ろ暗い感情を抱いているわけではない。
それでもやはり、むなしい。
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:09:20.53 ID:Y82RNiKH0
本音を言えば、澪と一緒でおしゃべりしていたい。
澪とだけ会話しつづけたい。
和ではなく私を選んでほしい。
でもそれは、ただの我がままだ。独占欲が強すぎる。
こんなことを澪に言ったら、私と澪の関係は壊れてしまうだろう。
唯「それでね、りっちゃん――」
だから私は唯の話を、いつものように聴き続けることにした。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:11:50.15 ID:Y82RNiKH0
授業時間を寝て過ごし、やがて放課後になる。
澪は掃除で唯は日直の仕事。私はムギと二人で音楽室に向かう。
歩いている途中会話はない。気まずさを覚え、私は早足になっていく。
紬「りっちゃん、今日調子悪いの?」
歩幅が縮む。
律「え、そうかなー? そう見える?」
紬「うん。府抜けちゃってる、感じ」
律「……そっか」
紬「あ、変な意味じゃないのよ? 気分悪くしちゃったらごめんね?」
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:14:31.40 ID:Y82RNiKH0
律「いや、大丈夫。心配しなくていいよ、ムギ」
ぴたり、とそんな音がするかのように会話が途切れる。
そういえば、夏休みの時はムギと、もっと話をしていたような気がする。
今日の私はそのときより無口だから、ムギが『調子悪いの?』と訊いてきたのだろうか。
そんな考えをしているうちに、音楽室の前まで来てしまっていた。
部室にはもう梓がいた。
ムギはお茶の準備に行く。梓と二人。なぜか、落ち着かない。
13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:18:06.42 ID:Y82RNiKH0
梓「唯先輩と澪先輩はどうしたんですか?」
と、梓が話を振ってきたことに若干驚く。
律「日直と掃除」
梓「ああ、そうですか」
律「うん」
梓「………………」
律「………………」
梓「律先輩、今日は静かですね」
律「え、いつもこんな感じじゃないか?」
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:20:07.69 ID:Y82RNiKH0
梓「いえ、いつもはなんか、もっとはっちゃけているっていうか」
律「そうかなー」
梓「はい」
律「………………」
梓「………………」
律「…………あの」
梓「……やっぱり、いつもより静かです」
確信を持って指摘された。
16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:22:37.71 ID:Y82RNiKH0
律「ちょ、ちょっと考え事してただけだよ」
下手な嘘。
梓「なんか、調子悪いんですか? 最近風邪流行っているみたいですし、ああ、そういえば純も風邪ひいているんですよ」
ムギと同じ質問――。
私はやはり、調子が悪いのかもしれない。テンションもなんか、いつもより低いのが自覚できる。風邪は……ひいているっていう自覚はない。
私は平静を装った。
律「はは、大丈夫だって。そういう梓はいつもより優しいじゃんか、なんかいいことあったの?」
いつもの私を意識して。
17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:25:22.66 ID:Y82RNiKH0
梓「なんか、心配して損しました」
律「どういうことだそれー!」
ムギに続き梓にまで心配されるとは、と軽い罪悪感を覚える。今日の私は、変なのか?
数分して、唯と澪が来た。
ムギがお茶とお菓子を持ってくる。唯が歓喜して、澪が美味しそうだな、と漏らす
私たちは定位置に座って、ケーキを囲う。
いつもと同じ、なのに私は心のどこかで、空虚さを感じていた。
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:28:29.30 ID:Y82RNiKH0
食べ終わったら雑談して、ちょっと楽器に触って、部活が終わると解散して、校舎を出て、途中まで五人一緒に帰って、唯と梓とムギが別方向に行って……。
今日の朝と同じように、澪と二人っきりになった。
私が一歩くらい進んだところを歩いていて、澪がその後ろを歩く。
距離感。
明確な差。歩幅にして一歩分。
気にしてしまうと、ずっと忘れられない。
つと、澪が言葉を発した。
澪「……今日は、律、いつもと違ったな」
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:31:30.02 ID:Y82RNiKH0
律「……マジか」
似た質問を二人からされて、澪にまで訊かれた。これはもう、私はいつもと違うということを認めざるを得ない。
澪「うん。言っていいのか分からないけど、なんというか、暗かった」
律「暗かった、か」
距離感。私と澪の間には距離がある。幼馴染なのに――幼馴染だからこそ、澪との距離を感じる。
……前から、何となくわかっていた。距離感があるなんて、知っていたのだ。
今日になって意識し始めた、というだけにすぎない。
22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:33:34.38 ID:Y82RNiKH0
澪「お、おい、律?」
律「え?」
知らぬうちに、立ち止まっていたらしい。
律「悪い悪い、考え事だよ」
澪「……律、なんか悩んでることあるのか?」
数秒の間をおいて、答える。
律「別に、ないな」
笑顔を作った。
24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:36:47.71 ID:Y82RNiKH0
歩いている最中、また、一歩澪より先に進んでしまう。
一歩分の距離――およそ五十センチメートルの距離は、短いようで長すぎる。
澪と十年近く一緒にいるのに、未だ、その距離を縮められないのだから。
時を経るごとに、距離を縮めるのが恐くなる。
それまで積み上げてきた澪との関係を、壊してしまいそうだから。
幼馴染だからこそ、私は澪に近づくことを、躊躇してしまうのだ。
幼馴染だからこそ、私は澪に、恋をしているというのに。
空を仰ぐ。そうしたら、何もかも忘れられそうな気がして。
けれど、夕暮れの空は、私を憂欝にさせるだけだった。
私のため息が空に消えた。
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:39:16.80 ID:Y82RNiKH0
家に帰ると、聡に、洗濯物をちゃんとまとめておいてくれと言われた。はいはい、と生返事をしながら、私は自室に戻る。
ベッドの上に鞄を放り、私はイスに座った。机の引き出しを開けて、それを取りだす。
中学生のころ書いた、澪へのラブレター。去年の年の瀬、部屋の掃除をしているときに出てきたものだ。
律「澪大好きだよ…………なんて、な」
ラブレターには、たくさんのハートのシールが貼られている。
これを書いているときは、告白する気満々だったはずだ。でも、渡すのに勇気が出なくて、結局今も、こうして我が家に残っている。
思わず、苦笑してしまう。
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:41:24.99 ID:Y82RNiKH0
勇気が出ないなんて律らしくないな、と澪なら言うかもしれない。
私は、本当はとても臆病なのだ。澪よりも、ずっと。
ただ、みんなの前では強がっているだけだ。威勢を張っている、と言っても正しいだろう。
でも実際は臆病だから、距離を意識しただけで、口数が少なくなってしまう。その結果、みんなに心配される。
澪に近寄りたい。
澪の手を握り、澪の眼を見つめ、好きだよと言いたい。
そんな妄想を口に出したら、唯に『りっちゃんキモーい』と笑われるかもしれない。
また、苦笑いが浮かんだ。あれこれ悩むのに、私は向いていないのだろうか。
31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:44:14.77 ID:Y82RNiKH0
澪に告白したら、きっと彼女は戸惑った挙句にごめん、と言う。でも、これからも友達だからな、とフォローするに違いない。
そうしたら私は、澪を避けるようになるだろう。
澪と一緒にいると気まずくなるのが目に見えるから。
だから、この恋心は要らないものなのだ。私と澪の関係を壊す、核にも似た存在のものなんて。
明日は、いつも通りの私でいられるだろうか。今日みたいに暗い私ではなく、陽気な私でいられるのか――?
そんな自信、ない。
誰か他人を不安にさせるのは嫌だった。それが、ムギであれ梓であれ、誰であれ。
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:46:59.35 ID:Y82RNiKH0
どうすれば、いいのだろうか。澪のことを意識せずに済むだろうか。
そう考えて、一つの結論に至る。
澪との接触の機会を減らす。それくらいしかないように思えた。
律「……ごめんな、澪」
出来ることなら、したくないのだけれども。
澪といたら、また数十センチの差を気にしてしまう。そうしたら、またムギや梓に心配をかけるかもしれない。
早いうちに、手を打っておかなければいけないのだ。
34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:49:53.18 ID:Y82RNiKH0
私の想いが暴走する前に。
距離をあまりに意識しすぎて、それしか目に見えなくなる前に。
椅子に背を委ねる。ぎぃ、とものさびしい音がした。
ああ、そうだ。聡のやつに洗濯物まとめておいてくれと言われていたっけ。
椅子から立ち上がる。喉も乾いた。ついでに水でも飲んでこよう。そう思い、私は階下に向かった。
ラブレターを、ゴミ箱に捨てて。
35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:51:50.83 ID:Y82RNiKH0
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
洗濯物をまとめる。そのあと、台所で水を一気飲みする。
聡が、今日父さんたち遅くなるみたい、と伝えてきたので、私は晩御飯を作ることにした。
二人だけで食べるご飯は少し味気ないな、と思いながらも箸を進め、ごちそうさまを言って食器を洗いに向かう。
その間に聡が風呂を沸かしてくれていた。一番風呂は私だ。
風呂上がり。バスタオルを体に巻きながら、自室に向かう。
宿題を終わらせる。その後、唯からメールが来たので適当に返信する。
そろそろ、寝ようか。私は欠伸を一つ出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:54:43.39 ID:Y82RNiKH0
疲れていたのかもしれない。夜になってベッドに入ると、すぐに睡魔が襲ってきた。
?「起きろー、律」
そして、その声で目が覚めた。
律「ああ……? 誰だよ、人が寝てるって言うのに」
目をこすりながら見た先には、私がいた。
律「ようやく起きた」
律「…………はぁあ?」
律「おーい、律」
よく見ると、もう一人の律は、今ここにいる私よりも背が小さい。顔つきもどことなく幼い。中学生の時の自分ほどだ。
――ああ、これは夢か。
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:55:51.18 ID:Y82RNiKH0
律「起きてる? 律」
夢の中で頭をフルに使う。ひとまず、目の前の律を律Bとして、私を律Aにした。
律A「……何だよ、変な夢だな」
律B「なあ、律。本当にいいのか?」
律A「……何が?」
小さい自分に律、と呼ばれるのはなんか変な感じがした。
律B「いや、ラブレター捨てたじゃん、わりとあっさりと」
律A「……ああでもしないと、忘れられないだろ」
律B「何を?」
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 15:58:28.26 ID:Y82RNiKH0
律A「何をって……お前が私なら、わかるべ?」
自分は夢の中で、なに自問自答みたいなことをしているのだろうか。
律B「何を?」
律Bが笑う。いたずらっ子みたいな笑み。
律A「うるせーぞ律B!」
律B「律B?」
脳内設定は反映されないのか。不自由な夢だ。
律B「何を忘れる――忘れたいんだ?」
律A「………………」
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:01:19.68 ID:Y82RNiKH0
私は眼を瞑った。
律B「ねえ、何をだよ、律」
五月蠅い夢から逃げ出したかった。
だんだんと、律Bの声が遠ざかる。
夢から覚められるのだ――。
律B「律」
その間際。
律B「忘れられるわけがない」
そんな声が聞こえた、気がした。
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:03:55.60 ID:Y82RNiKH0
そして、目が覚めた。
律「――っはぁ! ………………うわ、寝汗びっしょり」
寝汗に不快感を覚えながらも、私はふう、と息を吐く。
律「へんな夢見せやがって……律Bめ」
パジャマを替えよう、と部屋の電気を付けた。壁掛け時計を見る。まだ、午前二時。余裕で寝ていられる。
ゴミ箱が視界に入る。端の方に、ラブレターが埋まっている。
何を忘れたいのか。そんなの、決まっている。
澪への想いを忘れたいのだ。
43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:05:43.63 ID:Y82RNiKH0
そうしたら、距離なんて気にならなくなるから。
私はそのラブレターを、ゴミ箱の奥の奥へと埋めた。
――忘れられるわけがない。
そんな声が聞こえたような、聞こえなかったような。
パジャマを替え、再び布団に潜る。
今度は、夢を見なかった。
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:08:30.80 ID:Y82RNiKH0
朝起きてご飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、そうしてまた一日が始まる。
澪と一緒に学校に行く。一歩分の距離は健在だ。気にしないように努める。
……でもやっぱり、気にしてしまう。靴二足を縦に並べたくらいの距離。
律「……あのさ、澪」
私は澪に向きなおる。
澪「どうした?」
言うのは心が締め付けられるようで、苦しい。でも、言わなかったら私は駄目になる。今でさえ、距離を気にしているのだ。
律「明日からさ、別々に学校行かないか?」
45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:11:39.70 ID:Y82RNiKH0
私の表情はどんなんだろう。悲しんでいるだろうか。少なくとも、笑えてはいない。
澪「え、何で……?」
澪と一緒だと、また澪のことを意識して、距離を感じてしまうから。
そんなこと言えるはずもなく、私は虚言を吐こうとする。
律「あれだよ。ほら、さ」
が、とっさの嘘は浮かばない。ああ、もう、こういう時に限って……。
澪「なんか、私律に嫌なことしちゃったか……?」
律「違うんだ、そうじゃなくて……ああ、澪もさ、毎朝私を迎えに来るなんて面倒くさいだろ? 小学生のころはさ、私も寝ぼすけだったから助かったんだけどさ」
心が圧迫されているように、感じた。息苦しい。
47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:14:18.77 ID:Y82RNiKH0
澪の視線が痛い。
澪「べつに、私は面倒くさくはないぞ?」
律「それでも、さ。私が悪いなーって思っちゃうんだよ、私の為に毎朝来てくれるとかさ、心苦しいっていうか」
芝居がかった動作で、私は言葉を連ねた。
律「だから、明日から――いや、今から一人一人で学校に行かないか?」
澪「……帰りの時は?」
そっちは忘れていた。どう、嘘をつこう。私が必死に思索していると、澪が再び口を開いた。
澪「……わかった、別々に行こう」
私の横を通り抜ける。そして彼女は、一人学校に向かった。
48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:17:05.44 ID:Y82RNiKH0
一歩分以上の距離が、私と澪の間にうまれた。
私の横を通り過ぎる一瞬、澪の目に浮かんでいたあれは、涙? はは、まさか。
これでいいのだ、一歩分の距離を気にする必要はない。私は陽気なままでいられる。変な考え事をしない、私のままで。
これでいいんだ、ぜんぶ。これで澪のことを想わずにいられる。
律「…………ごめん」
誰の耳にも届かない謝罪は、頬を撫でる風に沿って、霧散していく。
私は遠回りの道を選んで、学校に向かうことにした。後ろからの足音は、ない。
52 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:19:12.08 ID:Y82RNiKH0
学校に着いて、すぐに教室に向かう。澪はもう来ていた。
唯「珍しいね、澪ちゃんとりっちゃんが一緒に来ないなんて」
律「ああ、今日はちょっと寝坊しちゃってな」
唯「へー、遅刻しないで良かったね!」
律「ああ。そういえばさ――」
唯と談笑しながら、澪を見る。
ムギや和と喋っている澪は、楽しそうだった。
胸の奥に、形容しがたい感情が湧いてくる。
53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:23:04.06 ID:Y82RNiKH0
朝のホームルームが終わる。授業はすぐに始まった。
筆箱から、シャープペンを取り出す。水玉柄で、真ん中にクマの柄がプリントされているシャープペン。
これは、たしか、澪とおそろいにしようと買ったシャープペンだっけ……。
別のものを使うことにした。でも、他のも全部、澪とのつながりがあるシャープペンシルだった。仕方ないので、一番最初に取りだしたやつを使う。
授業中寝ていたら、ノートを貸してもらうことになる。私はいつも澪から借りている――今回、それは避けたかった。
かといってムギや和に借りると、澪と何かあったのか、と疑われてしまいそうだから。
私は授業をまじめに受ける必要があったのだった。休み時間の時、唯に「寝ないなんて珍しいねー」と言われるだろうな、と思った。
54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:25:04.48 ID:Y82RNiKH0
一時間目二時間目……と、順調に終わっていく。いつも授業中は眠っているので、今日は何だか新鮮だった。
唯「りっちゃん、居眠りしてないね」
案の定、言われる。
律「ああ、私は今日から生まれ変わることにしたんだー!」
唯「おおー、遅い!」
律「生まれ変わるのに早さは関係ないのだよ……」
唯「じゃあ私も今日から生まれ変わろうかな。よし、まずは一人で夜トイレに行けるようにする!」
律「今まで憂ちゃんと一緒に行ってたのか……?」
唯「? うん。普通じゃない?」
そんな会話をしているうちに休み時間が終わり、また、授業が始まった。
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:27:39.37 ID:Y82RNiKH0
お昼休み。弁当は、唯達とではなくいちごと食べた。一人でいることの多い、物静かな女の子だ。
いちご「……何で今日は私と一緒?」
律「たまにはいいかなーって」
言いながら、弁当を開く。弁当に入れているお箸も、澪とおそろいのものなのだ、と思いだす。
いちご「……どうしたの? 箸を見つめたまま固まっちゃって」
律「え、――ああ、なんでもないよ」
いちご「……そう」
いちごと食べるご飯は、美味しかった。その反面、どこか、切なくもあった。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:30:20.51 ID:Y82RNiKH0
放課後になった。澪は掃除、唯は昨日で日直が終わったので、私たち三人だけで部室に向かった。
部室には昨日と同じく梓がいた。
ムギがお茶の用意に消える。私は唯と、机に座ってお茶を待つ。直に梓が座り、続いて澪が入室して席に着く。最後はムギが、お菓子を持ってくる。
唯「そういえばあずにゃん、純ちゃん大丈夫なの?」
梓「え? 純? ああ、風邪なら治ったそうですよ、授業中に来たメールにそう書いてありました」
唯「よかったー、昨日憂がとても心配してたんだよ『純ちゃん風邪ひいてる心配だなあ』って」
梓「憂らしいですね」
唯「えへへ、でしょー」
梓「いや別に先輩のことを褒めているわけじゃ……」
そんな会話を耳にはさみながら、ムギの持ってきたお菓子にかじりついた。甘い。
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:32:19.31 ID:Y82RNiKH0
私も何か話をしよう、と思い口を開――。
澪「あのさ、律」
それより早く、澪が切りだした。
律「……なんだ? 澪」
澪「今日、律と私、あまり会話してなくないか?」
ここで動揺してはいけない。自分に言い聞かせる。
律「ああ、そういえばそうだな」
紬「たしかに、澪ちゃんとりっちゃんがいつもみたいにはしゃいでるとこ、見ていないような……」
唯「珍しいよねー」
59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:35:12.49 ID:Y82RNiKH0
律「あはは、偶然じゃないか? たまには、こういう日があってもさ」
澪「弁当も、一緒じゃなかったし」
律「今日は、いちごと弁当を食べる約束していたんだよ」
我ながら、急な嘘にしてはよく言えたと思う。
澪「……そうか」
瞳を伏せる澪。
しんみりとした空気が部室全体を覆って、沈黙が流れる。
水槽からするこぽこぽと云う音だけが、場違いに響いていた。
60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:37:34.07 ID:Y82RNiKH0
律「そ――それにしても、このごろ晴れてばっかだよな」
無理な話題転換をする。
紬「ああ、そういえばそうね」
唯「でも、土曜日くらいになると雨が降るらしいよ?」
律「休日に雨かー、タイミング悪いな」
今日は何曜日だっただろうか、と考え、ああ木曜日かと思い出す。
その後、唯がまた話を始めた。ムギがその話に興味を持って、どんどん話題が広がっていく。私もその中に加わる。
けれど、澪は黙りこくったままになった。
結局、それ以上喋ることはなかった。
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:40:20.96 ID:Y82RNiKH0
六時前くらいに部活動が終わる。と、いっても大したことはしていないが。
部室を出て、更には校舎を出る。
空はうすい赤色。あと二十分もすれば、立派な夕焼けが見られるに違いない。
私たち五人はいつも通り、途中まで一緒に帰った。
ムギと唯と梓が別方向になる。
必然、私と澪が二人だけに。
澪「……じゃあな、律」
そう言い残して、澪は夕暮れの向こうに早足で駆けていく。
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:42:39.10 ID:Y82RNiKH0
私に彼女を止める必要はない。その後ろ姿を、ぼんやりと眺めていることしか出来なかった。
空っ風が、私の脇を走り抜けていく。
一歩分の距離だったものが、いまはもう、どうしようもないほど広い溝となっていた。
そうしたのは私自身なのに、何故だか、澪に謝ってすべてを告白したい気持に駆られた。
一人で、歩幅を小さくしながら、私も帰る。歩幅は小さめ。
あまりにも静かで暇なので、私は物思いにふける。
――最初は、澪の笑顔が見たいだけだったのだ。
彼女が笑ったらどれだけ綺麗な顔なのだろうという、好奇心だった。
彼女はいつもうつむいていたから、私が何とかしなければ、と思った。
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:46:05.14 ID:Y82RNiKH0
……考え事のはずなのに、私は澪のことしか考えられない。もっと考えるべきことがあるだろうに。地球温暖化とか、森林伐採とか。
律「私は………………」
私は、どうしても、澪のことを忘れられないようだ。
苦しい。
澪を遠ざけても苦しいし、近づけてもわずかな距離を気にしてしまう。
私はいったい、どうすればいいのだ?
律「…………くしゅっ」
……寒い。
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:48:31.84 ID:Y82RNiKH0
家に帰ると、聡が変な顔をした。
聡「姉ちゃん、顔赤いよ?」
律「え、マジ?」
体温を測ってみたら、37度1分。
律「なんだ、大したことないじゃん」
聡「でも、微熱だからって安心しちゃまずいだろ……。これから上がるかもしれないんだし」
律「私は滅多に風邪ひかないんだよ。だから、熱もこれ以上上がらない!」
聡「だから、って意味が分からない。……とか言って、お姉ちゃんが一年生の時ひいてたじゃん」
律「あのときは体が子供だったんだよ」
聡「今も変わらないと思うけど」
律「もう二年もたってるんだから、私の免疫たちも成長したはず。ま、明日には治るよ」
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:51:25.99 ID:Y82RNiKH0
翌日の金曜日。
私は学校に一人で行った。熱はまだあったが、37度1分と昨日と同じだったので、大丈夫だろうと判断したのだ。
朝のホームルームが始まるまで唯と談笑した。
授業は真面目に受けた。
昼休みの弁当は、エリたちと食べた。
その後の授業もまじめに受けて、放課後になった。
部室でお茶を飲んで、ワイワイ騒いだ。
部活を終えると帰宅。もちろん、一人で。
68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:53:51.22 ID:Y82RNiKH0
その金曜日。澪との会話はなかった。ただの一言も交わしていない。おはようの挨拶すらしていない。
澪との距離をとれたのだ。
喜ぶべきことのはずだ。一歩分の距離を忘れられる、良い機会だ。
なのに私は、悲しかった。
澪のことを想わずにいられなかった。忘れられるわけがない。律Bが、夢の中でそんなことを言っていたのを思い出す。
考えすぎたのか、何だか頭が熱い。そういえば、寒気もするし。ぶるる、と体を震わせると同時に、咳が出た。
律「…………ごほっ、けほっ」
鼻水まで垂れてきた。
70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:55:44.24 ID:Y82RNiKH0
土曜日。聡の予想通り熱が上がっていた。39度ちょうど。
聡「……ほら、やっぱり」
律「うるせー」
聡「氷枕返るよ」
律「サンキュー。あ、おかゆがほしい」
聡「俺作れないから……澪さんとかに頼んで?」
律「聡の役立たずー……げほっ」
聡「大声出すから……あ、ちょっと用事があるんだ。だからどうであれ、看病とかはお姉ちゃんの友だちにしてもらわなきゃ……」
律「姉を見捨てる気かー」
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 16:58:05.75 ID:Y82RNiKH0
聡「ごめんって」
律「用事の内容教えてくれたら許してやらないこともない」
聡「補習。期末考査で、ちょっと」
律「勉強が出来ないとこも姉弟そろって同じとは……」
聡「じゃあ、氷枕替えたら行ってくるから」
律「……頑張って来いよー」
聡「姉ちゃんもね」
減らず口をたたき合いながらも、会話の内容は愛を感じさせ……るのだろうか。
とにかく、聡の代わりになる助っ人が必要なようだ。
72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:00:48.71 ID:Y82RNiKH0
律「……澪にどんな顔して、看病頼めるんだよ」
聡が家を出ていったあと、私は一人自室で横になりながら、呟いた
律「……ムギか和だよなあ。いや、憂ちゃんもいいかもしれない……げほっ、あー。体がだるい」
目がかすむ。昨日学校休めば良かったと、いまさらながらに後悔した。
律「とりあえず、梓と唯はないな。料理作れなさそうだし」
律「ムギは……おかゆ作ったことあるのかな。憂ちゃんに頼んだら、唯が代わりに来そうだ」
律「…………和かな」
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:03:14.54 ID:Y82RNiKH0
私のアドレス帳は、五十音順で並んでいる。
[真鍋和]、を選択した――はずだった。
しかし、実際に来たのは、唯。
唯「りっちゃん、風邪引いたんだって?」
律「な、なんで唯が?」
唯「え、メール来たんだけど」
私は焦って送信履歴を見る。[平沢唯]に送信されている。どういうことだろうか、そう思い、真鍋和の上に平沢唯が並んでいるのだと思いだす。
律「…………これが憂ちゃんだったら」
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:06:05.88 ID:Y82RNiKH0
唯「任せてりっちゃん! 私憂をも看病したこともあるから!」
律「……信用するぞ」
唯「あ、でも私だけでうまく作れるか不安だったから、みんなにメールしたからね」
へ、と口から変な音が漏れる。
律「みんなって、誰?」
唯「あずにゃんとムギちゃんと和ちゃんと澪ちゃん」
律「…………澪も?」
唯「? うん」
唯は私のおでこを触ってきた。これは熱いね、目玉焼きがやけちゃうくらいだよ――病人の前でそういうこと言わないでくれ、と突っ込む気力はなかった。
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:08:54.92 ID:Y82RNiKH0
一番初めにムギが来た。二番目に梓。ちょっと遅れて和。
唯「和ちゃん、おかゆってどうやって作るの?」
そう言って、和と唯は階下に消えていった。ムギは梓ちゃん看病よろしくね、と言い残して、和と唯の後を追った。意外と薄情だ。
梓と二人っきり。
あまり、こういう機会はなかったような気がする。気まずいとはいわないまでも、ぎこちない雰囲気。
梓「澪先輩、来ないんですかね」
今回もまた、梓が話を振ってきた。
律「…………みたいだな」
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:11:21.16 ID:Y82RNiKH0
梓「唯先輩、澪先輩にメール送り忘れたのかもしれませんね」
唯先輩らしいです、と梓は微笑む。そんなわけがない、と私は心の中で否定する。唯は、さっき『澪ちゃん』と確かに言ったのだ。
でも、それを言ったら、澪と私の間に何があったのかを言わなければいけないから――私は「確かに唯らしいな」と梓に同調した。
梓「でも、風邪引いたのが休日で良かったですよね」
律「よくねー」
梓「え、だって明日に治ったら、また学校に来れるじゃないですか」
律「……学校って楽しい?」
梓「? もちろんですよ」
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:13:26.11 ID:Y82RNiKH0
律「物理とか、化学とかが?」
梓「授業は楽しくないですけど、憂や純がいますし――純って、私の友だちですよ――それに、唯先輩やムギ先輩に会えるから、楽しいです」
律「……そこで『律先輩に会えるから嬉しいです』っていごほっ! けほ!」
梓「律先輩大丈夫ですか?」
背中をさすってくれる。
律「あ、ああ、なんとか」
こんこん、と咳を続けたまま言う。
78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:16:01.82 ID:Y82RNiKH0
数分経って、暇になったのか、梓は私の部屋を見回した。
律「面白いものはないぞー」
梓「一回来てるから知ってますよ」
律「ああ、そういやそうだったな」
梓「あれ、この写真立て何で伏せてあるんですか?」
言いながら梓は、机の上に伏せられた写真立てを起こす。
律「……写真見たら、元通りに寝かしとけよ」
梓「……澪先輩と律先輩の写真、ですか。律先輩って写真うつりいいですね」
律「そうか? そうだろー」
79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:17:43.04 ID:Y82RNiKH0
梓「いつの写真ですか?」
律「……中学生の時の、修学旅行。北海道に行ったんだよ」
梓「ああ、だから律先輩クラークのポーズしてるんですね」
律「冬なら雪が降ってたのかもしれないけど、夏行ったもんだからさ、全然北海道って気分がしなかったんだよ」
思い返す。
律「ラベンダーだらけの畑行って、小樽ってとこでガラスの白鳥買って、函館から夜景見おろしたな。とにかく移動が長いっての」
梓「澪先輩も一緒だったんですか?」
律「ああ、澪も一緒だった。途中、二人して迷子になってさ。先生が駆けつけてきてくれたっていうハプニングがあったけどな」
――澪。
また、思い出してしまう。
80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:20:45.53 ID:Y82RNiKH0
私の生きる世界には、澪との思い出が多すぎた。シャープペンに箸一膳。今学校で使っている靴だって、確か澪と一緒に買ったものだ。
忘れることなんて、出来なかった。
忘れられるわけがない。その通りだった。澪との思い出がたくさんある場所で、澪のことを忘れようなど、不可能なのだ。
律「もう帰れないのかなー、って澪不安がってさ。私が必死に笑わそうとしたなあ」
梓「そのときから、そういう関係だったんですね」
律「そういう関係? なんか不穏な響きが」
梓「あ、変な意味じゃありませんよ? なんて言うか……一心同体だったんですね、と」
律「一心同体、ねぇ」
81 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:23:03.70 ID:Y82RNiKH0
今はどうだろうか、一心同体であるだろうか。そんなはず、ない。
私たちは離れてしまった。いや、私が一方的に離してしまった。
澪は、私の横を通り過ぎた時、泣いてはいなかったか――?
そんな私の思考を中断するように、唯達が入ってきた。
唯「お待たせ、りっちゃん! おかゆ作ったよ」
和「どこに何があるか分からなかったわ」
紬「ちょっと手こずったわね」
唯「ほらほら、はい! りっちゃん、あーん」
スプーン一すくい分のおかゆが、ほのかに湯気を立てている。
82 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:25:17.71 ID:Y82RNiKH0
律「あ、あーん……って、熱い!」
唯「え、あ、ごめん。ふー、ふー、ふー……これくらいで冷めたかな? はい、もう一回あーん」
律「あーん……おお、味はまとも」
おかゆを咀嚼する。風邪の時に食べるものは何でもおいしく感じられる。
唯「私が本気を出したらこんなものです!」
律「……うん、なかなかイケる。ありがとう、唯、和、ムギ」
唯「えへへー、……あれ? メール来た」
おかゆの入った皿を和に渡し、唯は携帯を開く。
和がふーふーしたおかゆを二杯ほど食べたとき、唯がそのメールを見せてきた。
83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:28:05.16 ID:Y82RNiKH0
唯「澪ちゃんから」
あとでいく。
と、それだけ書かれた簡素なメール。
和「ほら、律。口あけて」
律「え、あ、ああ」
三度目のあーん。
あとでいく。どこに? 私の家に、だろう。あとっていつだ? 一時間後? それとも明日?
そんな考えが頭の中に湧く。思考が飽和して、私は脳はショートを起こす。
どうせ後でくるんだ――そうまとめ、私はおかゆを食べることに専念した。
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:30:35.22 ID:Y82RNiKH0
聡が帰ってきたのは、それから一時間ほど経った後で、そのころにはもうおかゆは食べ終わっていた。
唯「じゃ、聡君帰ってきたから私たちももう帰るねー」
紬「早いうちに治してね? りっちゃん、ファイト!」
ああ、わかってるよ、と心ここに非ずな風で答える。
澪は、まだ来なかった。唯達が帰るのとすれ違いになるんじゃないか、と期待していたが、それすらも外れた。
天気が崩れ始めてきた。
86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:33:13.30 ID:Y82RNiKH0
午後二時。澪は来ない。
午後三時。澪は来ない。どこか遠くで雷鳴が聞こえる。
午後四時。まだ、澪は来ない。窓から覗ける外は、霧雨が降っていた。
午後五時。来ない。雨が降るのは日曜日だったんじゃないか? とどこかにいる天気予報士に言いながら、しとしとと降る雨を見つめ続けた。
午後六時――私もあきらめ始めた。澪は来ないのだ、と落胆すると同時に熱も下がりはじめた。37度3分。微熱の域だ。
午後七時。聡が弁当を買ってきてくれた。聡のあーんは勘弁なので、三十分かけて一人で弁当を完食して見せた。普段なら十分もたたずに食べられるだろうに。
午後八時。雨は本降りになっていた。家の中でも、雨粒がアスファルトを叩く音が聞こえる。
ああ、今日はもう来ないだろうな。そんな諦観が胸中を支配し始めたなか。
――そんななか、田井中家のインターホンは鳴ったのだった。
87 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:35:28.34 ID:Y82RNiKH0
聡が私の部屋に、澪を入れた。
長い髪の先端は、雨にぬれている。履いているジーンズの裾も、三センチくらい水が滲んでいた。歩いてここに来たのだ、ということがわかる。
そんな澪の姿を私の目が捉えた瞬間、体中が熱くなった。熱だけが原因ではないだろう。澪が、来てくれた――!
律「…………澪。こんな時間に、大丈夫なのか?」
澪「律の家行くって言ったら、ママも許してくれたよ」
ママ、という発言について、追及はしなかった。
澪「……私が行っていいのか、わからなかった」
澪はそう漏らした。
澪「律、教えてほしいんだ」
88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:38:04.39 ID:Y82RNiKH0
律「……何を」
澪「私が、律に何をしたのか」
律「何も、してないよ」
澪「嘘だ」
律「本当だ」
澪「じゃあなんで、私と一緒に学校行くのやめようとか言ったんだ? お昼ごはんも一緒じゃなくなってたし……」
律「……私さ、今風邪ひいているんだ。変に頭使わせないでくれよ」
我ながら、ひどい言い草だ。雨の中きてくれた人に、冷たいことを言っている。弁解にもなっていない、言い訳。
澪「…………私は、律を、傷つけてしまったんだろ?」
律「それは、それだけは、ない」
89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:40:39.25 ID:Y82RNiKH0
澪「律に嫌われたんだ、と思った。学校に一緒に行くの止めよう、って言われたとき。ああ、私は律に何かしたんだって」
律「何もしてないよ」
ただ、私が身勝手にも、彼女を突き放しただけだ。
澪のことを意識して、距離感を自覚して、私は暗くなってしまう。
それを避けるために、私は、澪と距離を置いたのだ。一歩分よりも、もっと長い距離を。
澪「私は、律の言葉に賛成したよ。かたくなに拒否したら、律に嫌われるんじゃないかって思ったんだ」
澪の独白は続いた。
澪「でも、たった一日律と居られないだけで、私は気が変になりそうだった」
だから、と澪は懇願してくる。
澪「せめて、理由だけ聞かせてほしい。そうしたら、気が楽になるから」
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:43:25.57 ID:Y82RNiKH0
理由?
そんなの決まっている。
私は澪のことを好きだから、澪を遠ざけたのだ。
私の恋心は、あってはいけないものなのだ。
私自身や、私たちの関係をも壊す、危険な爆弾。
澪の笑顔をもう、見ることが出来なくなるかもしれない。
必死に、澪のことを忘れようとした。
それは確かに不可能だろう。私の周りには、澪との思い出でいっぱいだ。でも、少しくらいは忘れられるはず。
だから、澪との距離を広げた。
92 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:46:16.16 ID:Y82RNiKH0
澪「律、私が何かしたなら謝る、謝るから……」
私は、澪の顔を直視できなかった。
だって、澪は泣いていたから。
私はなぜ、澪に近づいたのか。澪の笑顔を見る為に、だ。
それがなんだ。今、澪は泣いている。私が、泣かせてしまった。
律「………………」
何をどう言えばいい? 律B、いるなら教えてくれよ。私は今どうすればいい?
全部をさらけ出すか? 澪のことが好きだと告白するか? でもそれが、私たちの関係をぎこちないものにしたら……。
今でさえ、私と澪の関係は危うくなっている。そんなところで告白なんて、火に油を注ぐようなものだ。
とにかく、何か言わないと、この場は切り抜けられない。
この場に限って、雄弁が金で沈黙が銀だ。
95 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:49:24.23 ID:Y82RNiKH0
律「…………言えない」
澪「……何で、だ?」
律「言ったら、澪は私のことを軽蔑するかもしれないから」
澪「しない、絶対にしない」
律「私は、臆病なんだよ。何かを失うのがとても怖いんだ」
澪「私もだよ」
律「真実を言ったら、澪を傷つけてしまうかもしれない」
澪「気にしない」
律「澪との仲が壊れるかもしれない」
澪「……そうしたら、また一から始めればいい。だから」
………………………………。
その言葉に私は、すがりたくなった。
97 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:52:14.98 ID:Y82RNiKH0
律「澪」
澪「何?」
律「また一から始めることになってもいいか?」
澪「いい」
――今なら、言っても許されるだろうか。
心変わり、というにはあまりにも唐突な心理の変化。
全てを言えば、彼女は――澪は、泣きやんでくれるのだろうか……?
不安に胸が震える。
澪「律、私は律のことを軽蔑するような人間じゃない。断じてない」
震えた声音で言う澪。
ああ、そうだ、澪は優しいのだ。
恐がりで人見知りだけど、澪は親切なのだ。私は知っている。だてに、澪の幼馴染ではない。
98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:55:14.11 ID:Y82RNiKH0
今なら、言っても許されるんじゃないか。
疑念が確信に変わる。彼女なら――澪なら、きっと、私の言葉を受け止めてくれる。
律「私は澪のことが好きでたまらない」
澪は無言だった。構わず私は語を継ぐ。
律「でも、澪にそう言ったら、澪とわたしの距離が離れてしまうかもしれない。――だから、私は澪と一緒に学校に行くのを拒んだんだ」
独白は続く。
律「……私は、澪と一緒にいても距離感を自覚しちゃうんだ。澪と一緒にいなくても、澪のことばかり考えてしまう。私はどうしたらいいのか分からないんだ」
私は苦笑して。
律「なんか、意味の分からない台詞になったな。風邪ひいてるからさ、ちょっと変なんだ今。澪のことが好きだから澪と離れたってことだけ伝わればいいよ」
雨の音が相変わらず響いていた。うるさい。今はシリアスな場面なんだ。ちょっと空気を読め。頭が混乱に混乱して、ハイになっていくのが分かる。
私はもう言ってしまった。後戻りはできない。後悔はしていない。だってまた、一から始められるのだと、澪が言っていたから。
律「――澪、大好きだ」
100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 17:58:10.25 ID:Y82RNiKH0
駄目押しとばかりにそれだけを口にして、私は布団の中に丸まった。
布団を一枚隔てた向こうで、澪はどんな顔を浮かべているのだろう。驚愕? 微笑?
澪「…………あのさ」
律「…………何だよ」
澪のその声のトーンに、嫌悪の響きはない。私は若干安堵する。
澪「律、律は臆病なんかじゃないよ」
律「……何言ってるんだよ、澪」
布団越しの澪の台詞は、くぐもって聞こえる。
101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:00:17.91 ID:Y82RNiKH0
澪「律は、私に全部言ってくれた。全然、臆病なんかじゃない」
律「風邪で、ハイになってるだけだよ」
澪「それでも、さ」
だって、と澪は続ける。彼女の浮かべている表情は分からないが、喜んでるんじゃないかと云うことは、口調で分かった。
澪「私は、律にずっと言えなかったんだから」
何を?
澪「律、私は律が大好きだ」
凛とした声。
胸が爆発しそうになった。頭が白紙になって、何一つ考えられなくなる。
102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:02:11.55 ID:Y82RNiKH0
澪は、今、何と言った?
澪「でも、律の隣にいるだけで、私は緊張しちゃうんだよ。だから、律に面と向かって言うことはずっと出来なかった」
布団の中で咳込む。風邪が原因じゃない、気恥ずかしさが原因だ。
澪「律、私は律が好き――私も律が好きだ」
その言葉は、世界中にあるどんな名言よりも、価値のあるものだった。私の葛藤とか迷いを全て帳消しにしてくれる、金言。
律「……本当?」
澪「本当」
律「……人が風邪で寝込んでるって言うのにさ、驚かさないでくれよ」
私は布団から顔を出す。
澪「これで、仲直りできたかな、律」
律「……ああ。ごめんな、澪。私が、勝手に、澪のこと……」
澪「いいよ。気にしない」
嬉しさとか、戸惑いとか、たくさんの感情が私の中でごちゃ混ぜになる。私の恋した幼馴染は、どこまでも優しかった。
103 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:04:26.96 ID:Y82RNiKH0
律「…………あとさ、もう一つごめん。その、さっき、泣かせちゃって」
澪「それも、気にしてない」
律「そっか…………」
嬉しさで涙があふれそうになる。いつぞやの学園祭ライブの時の感動と、似ていた。
澪「どんなことされてもさ、私は、律のこと嫌いになれないんだよ」
律「……ありがとう、澪」
果たして、何に対しての『ありがとう』だったのか。許してくれたこと? それとも……。
澪の顔を見やる。涙の代わりに笑顔が浮かんでいた。いつか見た、澪の綺麗な笑顔。
私もつられて笑顔になる。そうだ、泣いてはいけない。澪だって、私の泣き顔は見たくないはずだ。笑わなきゃ、澪に申し訳がない。
104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:07:01.12 ID:Y82RNiKH0
律「澪、好きだ」
澪「私も、律、好きだ」
お互いの気持ちを確かめあえるよう、ずっとそう言いあった。好きという言葉によって、どこまでも繋がっているのだ、と実感できた。
雨音のBGM が、どこか心地いい。
私たちの関係は、一から始めなければならないようだった、
友達としてではなく、もっと親しい関係――恋人として。
このままずっと二人でいような。
私は澪にそう言った。
ああ、ずっと。
澪は私にそう返した。
私と澪は、最初から繋がっていた。ただ私たちが、そのことに気づいていないだけで。私の独り相撲でしかなかったのだ、と。
105 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:09:23.08 ID:Y82RNiKH0
澪「月曜日からは、また私と二人でさ、学校行こうな?」
律「……いいのか?」
澪「当たり前だろ、律」
休み明けの登校が、何だか楽しみになってきた。ああ、梓も言っていたっけ。学校に行くのは楽しい、と。だって、みんなと会えるから――。
澪「じゃあ、月曜日までに風邪、治しておいてくれよ?」
律「わかってるって」
澪が部屋を出ていく。……澪もそろそろ帰らなきゃいけない時間だもんな。心の奥底で寂しいという感情が湧きあがるが、口には出さない。
だってまた、必ず会えるのだから。私と澪は、これからもずっと一緒なのだ。
澪との繋がりが溢れる自分の部屋で、ゆっくりと目を瞑る。
今日ならいい夢が見られそうな、気がした。
106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/03/02(水) 18:10:15.42 ID:Y82RNiKH0 [77/77]
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風邪は日曜日の午後に完治した。
でも雨は降り続いていて、結局、月曜日の午前三時くらいまで道路をびしょ濡れにしていたという。
月曜。私が起きたのは六時だったので、そのときは外に青空が広がっていたけれど。雨上がりの空だというのに、虹はなかった。
ベッドから出てご飯を食べて歯を磨いて顔を洗って、そうして一日が始まる。同じ始まり方、だけど今日この日からは、いつもと違う一日が始まるに違いない。
澪がインターホンを鳴らしに来る。私は家を出た。風邪治ったんだ? 澪の台詞に私は頷く。ああ、おかげさまでね。
そして、二人は歩いて行った。
自然と歩幅が合うようになっている。隣同士、肩を合わせて進む。
澪の体に、私は寄り添う。何だよ、と澪は恥ずかしがるが、嫌がるそぶりは見せない。
およそ五十センチメートルの距離は、もう、なくなっていた。
終わり
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コメント
管理人生きてて嬉しいぜ
そしてこれは良SS
そしてこれは良SS
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律澪至高
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