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憂「手をつないで外に出よう」
未完
2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:20:20.95 ID:VLjNrT/80 [2/22]
ひらさわけ!
憂「・・・・・三年ぐらい前の話なんだけどね」
梓「うん。そのときって唯先輩、中三?」
憂「そうだよ。たしか九月ぐらいだったかな」
2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:20:20.95 ID:VLjNrT/80 [2/22]
ひらさわけ!
憂「・・・・・三年ぐらい前の話なんだけどね」
梓「うん。そのときって唯先輩、中三?」
憂「そうだよ。たしか九月ぐらいだったかな」
3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:26:53.75 ID:VLjNrT/80 [3/22]
◆ ◆ ◆
唯「ういー、アイスー…」
憂「おはようお姉ちゃん、お昼ごはん食べてからね」
九月のよく晴れた水曜日のことです。
カーテンの閉められた薄暗い部屋ではたきを掛けていると、お姉ちゃんの眠そうな声が聞こえてきました。
唯「あれ…うい、起きてたの」
そっとベッドに腰かけた私を見上げる、まだ寝ぼけた目のお姉ちゃん。
熱っぽい湿気を帯びた布団から白い腕だけを出すと、私の手を探して握ってくれました。
布団の中で汗ばんだ手のひらはどうしても昨日の夜を思わせるので、あわてて話題をそらします。
憂「えっとね、九時ごろにおばあちゃんが来てたんだ。お野菜とか持ってきてくれたよ」
唯「そっかぁ……ありがと、うい」
お姉ちゃんはふわっとほほえみを浮かべてまた布団の中にもぐり込もうとします。
遮光カーテンに光を遮られたこの部屋はどこか湿っぽく、教室に忘れられた水槽のようによどんだ空気に満ちています。
でもその生ぬるい空気もなぜだか居心地がよくて、私もお姉ちゃんと一眠りしたくなってしまいました。
いけない、いけない。
私は無理やりお姉ちゃんのベッドから立ち上がり、カーテンを開けました。
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:35:48.18 ID:VLjNrT/80
差し込む強い光は、この部屋の水分すらも蒸発させていくようで……心地いいはずなのに、なぜか心もとなく感じてしまったりして。
唯「ん…まぶしい……」
お姉ちゃんのうるんだ二つの瞳はまだ夢と現実との間をさまよっているみたいで、陽の光にきゅっと目を細めています。
カーテンをもう一度閉めてあげようかちょっとだけ迷いましたが、やっぱり起こすことにしました。
憂「ほら、もう十一時過ぎなんだよ?」
もぐり込もうとするお姉ちゃんの布団を少しだけゆすって声を掛けると、お姉ちゃんは中から顔を出してごまかすように笑いました。
つられて私の口元にも笑みがうつってしまい、胸の奥にほっこりした熱が点るのを感じます。
日差しに乾いていくシーツをすがり付くように握り締めたお姉ちゃんがいとおしくて、カーテンを開けてしまったことをちょっと後悔します。
本棚のホコリすらしっとり湿らせるような心地よい蒸し暑さと、甘味料のように吹き込むかすかな風。
重なった二つの含み笑い。
……ごめんなさい。
こんな瞬間が一番幸せなんです。
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:46:24.75 ID:VLjNrT/80
唯「じゃあご飯たべなきゃだねぇ」
お姉ちゃんは布団の中をごそごそと探り、脱ぎ捨てた下着をつけなおして身体を起こします。
見慣れた着替えなのですが……どうしても意識しちゃうので、私はパソコンのホコリをわざと念入りに落とします。
すると机の下で電源が入れっぱなしのモデムがかなり熱くなっていました。
お姉ちゃんは昨日の夜――私がお姉ちゃんと寝る前――たぶん誰かとチャットでもしていたのでしょう。
一晩ずっと点いたままだったモデムは人肌ほどに温まり、今も接続先を求めてちかちかと点滅しています。
このままだと壊れてしまうのですばやく電源を落として、早く冷めるように日差しの当たらぬところに移しました。
唯「ねぇ、憂」
ぼんやり考えていたら、すっかり目を覚ましたおねえちゃんに話しかけられました。
その声がやけに冷たく聞こえて、息苦しく感じて一瞬戸惑ってしまいます。
唯「……やっぱいいや」
憂「あっごめん、なぁに?」
唯「私……引きこもり、やめた方がいいよね」
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:56:38.33 ID:VLjNrT/80
私のお姉ちゃんは今年で中学三年なのですが、いまは学校に行っていません。
学校でうまくいかなかったせいで、玄関から外に出ようとすると体調を崩して立っていられなくなるみたいです。
心の病気で家から出られないお姉ちゃんが心配で私も付き添う生活が続き、かれこれ半年近く経ちました。
両親は今もどこか遠い国を飛び回っていますが、お隣のとみおばあちゃんと和ちゃんが週に二、三度食料などを持ってきてくれるので不自由はしていません。
思い返すと昔から私たちの両親は不在がちでした。
お母さんの腕の感触や手の温もりはかろうじて覚えているものの、お父さんの手のひらはもう思い出せません。
私も両親に抱きしめられるより、とみおばあちゃんに抱きしめられたことの方が多かった気がします。
もちろんお姉ちゃんはあの頃からその百万倍抱きしめくれましたけどね。
言葉のあやでなく本当に、私はお姉ちゃんの腕の中で育ったようなものなんです。
とにかく、私たち二人は和ちゃんやおばあちゃんの助けを借りながらもなんとか暮らせています。
狭い家の中だけれど私たちは満ち足りた生活を送っている。そうに決まってるんです。
けれどときどき……これから先のことを考えると、不安でたまらなくてめまいを覚えてしまうのです。
そう。今みたいに。
憂「無理、しなくていいんだよ? お姉ちゃん」
お姉ちゃんが無理に外に出てしまったら、どうなってしまうんだろう――
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:06:38.94 ID:VLjNrT/80
自分の声が変に震えてしまって、唇がうまく動きません。
どうしよう。お姉ちゃんを元気付けなきゃいけないのに……。
唯「……ごめんね、なんでもないよ。 お昼にしよっか!」
お姉ちゃんはそう言ってベッドから飛び出して、Tシャツにホットパンツだけの格好で私の手を引きました。
やわらかい外の日差しを集めたようなお姉ちゃんの笑顔は、いつだって何もかもを忘れさせてくれます。
手を引かれてリビングに着く頃には、不安の種も消えてしまったみたいです。
でも、お姉ちゃん。
家の中だけど、一応ブラはつけてほしいかな……。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:17:02.34 ID:VLjNrT/80
しばらくして、私たちはお昼ごはんをいただきました。
と言ってもちゃんとしたものでなく、冷蔵庫にあった鶏肉と卵を使って簡単な丼ものを作っただけなのですが。
ご飯を作っている間にソファーに仰向けで横たわったお姉ちゃんが向けた、さかさまの笑顔。
床に垂れ下がった伸びた髪は窓から吹き込む風にかすかに揺れる姿は、台所でガスを使う私の心も風鈴のように涼ませてくれました。
唯「ええー…だって、寝てる間とか背中きっついんだもん」
憂「お姉ちゃん、そんなこと言ってるといいお嫁さんになれないよ?」
テーブルに二人向かい合って箸を動かしながら、そんなたわいもない会話を交わします。
みりんの量を少し変えたのが功を奏したのでしょうか、お姉ちゃんのほっこりした顔も今日は多いようです。
机の下でちょっとこぶしをにぎって、ガッツポーズ。バレたらはずかしいな……。
10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:27:37.88 ID:VLjNrT/80
唯「――憂、きいてる?」
憂「あっごめんお姉ちゃん」
おいしそうに食べるお姉ちゃんを眺めていたら、いきなり話しかけられてびっくりしてしまいました。
唯「ははーん、さては私の顔に見とれてましたな」
憂「もう……そんなことないよ、お姉ちゃん」
あわててお漬け物に箸を伸ばして落としそうになってしまいます。
なんでわかっちゃうんだろう、私のこと。
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:36:21.96 ID:VLjNrT/80
唯「でもね、私お嫁さんにならなくてもいいかな」
ふいに箸を止めて、お姉ちゃんはそんなことを口にしました。
憂「どうして?」
唯「私、憂と結婚するからいいもん」
それはお姉ちゃんにとって、話の流れからふいに湧いた軽口に過ぎなかったのでしょう。
けれど私の胸の奥に無邪気に飛び込んできたその言葉は内側から必要以上に甘く蝕んでいく気がして、
唯「……あは、そんな顔しないでよ。そういうことじゃないって」
憂「もう。変なこと言わないでよ、お姉ちゃん」
場をつなぐようにお姉ちゃんと笑い合ってみます。
けど、ほほえみを浮かべようとする私の唇はどこかぎこちなくて。
なんとなくだけど、お姉ちゃんも無理して笑い合おうとしてるみたいで。
唯「じゃあ、きょうはお皿洗うよ」
憂「うん。……ありがとう」
気を使わせてしまったのが少しうしろめたいです。
私、お姉ちゃんに迷惑かけてばっかりだ……。
なにかしていないと落ち着かなくて、とりあえず電話の棚から熱帯魚用のえさを取り出しました。
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:50:43.53 ID:VLjNrT/80
私たちはリビングの窓際に置いた金魚鉢でベタという魚を飼っています。
ゆれる水草と透明な水の中で、空をひとかけら持ってきたように青々とした尾ひれが揺れているのを見ると私もどこか涼しげな気分になります。
このベタは半年ぐらい前、お姉ちゃんとお散歩に行った日にホームセンターのペットショップで見つけました。
水槽の照明に照らし出されたベタはこのときものんびり泳いでいて、お姉ちゃんは一目惚れしてしまったみたいです。
唯『小さくてかわいくてやわらかそうで、なんだか守ってあげたくなっちゃうなあ…』
その時、お姉ちゃんは私の手をつないだまま水槽を見つめて言っていました。
あったかい手を握りしめながら耳元でつぶやかれたので、私に向けて言っているような気がしてちょっと顔が熱くなってしまいました。
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:02:44.94 ID:VLjNrT/80
そうしてその場のお姉ちゃんの勢いに流されて買ってしまったベタですが、今も小さな金魚鉢のなかで気持ちよさそうに泳いでいます。
名前はベタのたーくん。
もちろん、名付け親はお姉ちゃんです。
お姉ちゃんらしい、かわいい名前だと思いませんか?
憂「たーくん、お昼ごはんだよ」
金魚鉢にえさを一粒落とすと、たーくんは振り向いてえさ粒をぱくっと食べました。
振り向いたいきおいで水草の気泡がひとつふたつ浮かんで水面に消えました。
日差しの向きが変わったからか、金魚鉢を通した半透明の影がゆらゆら揺れています。
そういえば、朝起きたときにも私はえさをあげてしまいました。
むかしグッピーを飼っていた和ちゃんに「えさのあげすぎは水質を悪くして、寿命を縮める」って言われたのを思い出します。
憂「……ごめんね、おなかいっぱいだったかな」
不安を感じたりいたたまれなくなるたびにたーくんにえさをあげてる気がして、手のひらに残ったえさ粒をえさの缶に払い落としました。
唯「きゃっ」
後ろでガラスの割れる音が聞こえました。
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:16:50.48 ID:VLjNrT/80
憂「お姉ちゃん大丈夫?!」
唯「ごめんね……コップ、割っちゃった」
あわてて駆け寄ると床にはちらばったコップの破片。
私はすぐお姉ちゃんの指先や手の甲や足首を見渡しました。
――よかった、ケガしてなかった。
ほっと一息ついてから、お姉ちゃんに少し離れててもらって袋に大きめの破片を集めていきます。
唯「憂、ごめんね。私……なんにもできなくって」
その場に立ちすくむお姉ちゃんが沈んだ声でつぶやきました。
そんなことないよ。
だって、お姉ちゃんは私のために――。
唯「あっ拾うの手伝うよ!」
憂「ううん、大丈夫。それより掃除機持ってきてくれるかな?」
唯「あ……うん、わかった」
できることを見つけてうれしそうなお姉ちゃんは、ぱたぱたと足音を立てて飛び出していきました。
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:30:55.92 ID:VLjNrT/80
唯「ふぅ…これで大丈夫かな」
憂「ちゃんと掃除したし、大丈夫だよ」
お姉ちゃんが掃除機で小さな破片を吸い取ったあと、私たちは台所の床の拭き掃除をしました。
コップは割れてしまいましたが、おしまいには前よりも床がきれいになってうれしいです。
これもたぶん、お姉ちゃんのおかげです。
こんなこと言うと、また純ちゃんに叱られちゃいそうですけどね。
憂「床きれいになってよかったね」
唯「えへへ、まさしく七転び八起きだね!」
お姉ちゃん、それはちょっと違うと思う……。
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:45:11.32 ID:VLjNrT/80
唯「あっそうそう、今日は和ちゃんが――」
そう言い掛けたとき、チャイムが鳴りました。
インターホンをのぞき込むと荷物を手に持った和ちゃんがいます。
和『お米入ってるから早く開けてくれない?』
憂「うわさをすれば、って感じだね」
唯「もしかしてタイミング見計らってたとか?」
和『…何のタイミングだっていうのよ』
二人でくすくす笑ってしまいます。
重い荷物を抱えてる和ちゃんがかわいそうなので、掃除機の片づけをお姉ちゃんに任せて私は玄関に向かいました。
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:57:50.92 ID:VLjNrT/80
憂「和ちゃん、今日早いね。まだ十二時だよ?」
和「ほら、校内模試で半日なのよ……って、知らないわよね」
制服姿の和ちゃんは牛乳やお米の入った大きなビニール袋を玄関横に置くと、そばに座り込みました。
ドアの外では強い日差しが縁石を白く焼き尽くすほどに照っています。
こんな日差しの中、お姉ちゃんが外に出たら大変なことになってしまいそうです。
私はドアを閉め、それでも窓から差し込む日光から一歩足を引いて、ビニール袋を抱え上げました。
和「はぁ…この量はなかなか腰にくるわね。せっかくだからってさすがに買い込んじゃったかしら」
憂「なんか今の和ちゃん、おばあちゃんみたい」
和「買い出し班にひどいこと言うわね、あんた。ところで唯の調子はどう?」
唯「あ。和ちゃん!」
25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:12:28.29 ID:VLjNrT/80
廊下の向こうから冷たい水のように澄んだ声が聞こえて、思わずほころんでしまいます。
掃除機をしまったお姉ちゃんはそばに腰掛けている和ちゃんを後ろからスリーステップでいきおいよく抱きしめました。
和「ちょ――唯、危ないじゃない!」
唯「だって三日ぶりだよー?」
少しふりほどこうとした和ちゃんも、あきれたように笑って抱きしめられました。
ちょっとうらやましくなってしまいます。
和ちゃんを抱きしめている、お姉ちゃんが。
お姉ちゃんに抱きしめられる、和ちゃんも。
和「……憂も見てないでちょっとは止めなさいよ」
憂「えへへ、ごめんね」
26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:26:59.72 ID:VLjNrT/80
私たち三人はリビングで和ちゃんの持ってきたケーキを食べることにしました。
お茶を入れている間、和ちゃんが担任の先生から預かってきた課題を取り出しました。
厚くて大きなその問題集はどうやら百ページ近くあるらしく、お姉ちゃんはそれを見るなり力を失って椅子に倒れこんでしまいます。
唯「の、のどかちゃん…量多くなってない?!」
和「私が出したんじゃないわよ」
唯「でもこのワークブック一冊は多いよ! それに、私この範囲わかんないもん! ぶーぶー!」
お姉ちゃんはぱくぱく口を動かしたり数学の問題集を机にぱんと叩いたりして抗議します。
……なんだか水揚げされた魚のように見えて、ちょっとおかしかったです。
めくれたページを見ると計算用の余白が多かったので、見た目ほど大変な量ではないみたいです。
とはいえ、大きくて重たいこの問題集自体に最初からおそれをなしてしまうお姉ちゃんの気持ちも分かります。
これじゃあ先が見えないもんね。
和「一ヶ月あるんだから余裕じゃない。たかが一日三ページちょっとでしょう。少しずつ進めていきなさいよ」
唯「あは、あはは…」
お姉ちゃん、昔から夏休みの課題を始業式前夜に始めるタイプだもんね……。
私もなんとなく一ヶ月後にあわてる姿が浮かんでしまって、思わず笑ってしまいます。
和「ほら、憂だって笑ってるわよ。ちょっとずつ解いてくしかないじゃない」
唯「ういーっ!」
憂「あはは、ごめんお姉ちゃん」
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:38:11.37 ID:VLjNrT/80
和「あっそうそう、いいもの持ってきたわよ。最近、唯が元気ないって聞いてたから」
唯「えー? そんなことないよ、うい」
お姉ちゃんはきょとんと小首をかしげます。
憂「うーん…ほら、朝だって」
唯「あれはなんでもないって。気にしすぎだよお」
私の腕をゆすって困ったように笑うお姉ちゃんの声は、なぜか必要以上に強く聞こえました。
お姉ちゃんは外が怖くて出られないけど、本当はいつもどおり元気一杯なんだ。
そう思わせたがっているかのように。
でも、朝に「引きこもりやめる」って――
憂「――あつっ」
唯「う、憂大丈夫?」
唇を刺すような痛みが走ります。
その場しのぎに口に含んだ紅茶が思ったより熱くて、思わずむせてしまいました。
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/09/21(火) 22:46:38.17 ID:VLjNrT/80
養分補給してくる
>>22
とりあえずジャニス×唯は入る
32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:24:12.39 ID:VLjNrT/80
和「まったくもう、唯だけじゃなくて憂までそんなんじゃどうするのよ」
憂「ご、ごめんなさい…」
唯「そうだよ、憂もしっかりしなくちゃねっ」
和「これ、突っ込むところ?」
わざと胸を張って答えるお姉ちゃんにまた笑ってしまいます。
私の、考えすぎなのかな。やっぱ。
考えすぎる頭をお姉ちゃんの優しさにあずけると、なんだかこのままでいいような気もしてきました。
唯「ほら、もうさめたよ?」
お姉ちゃんは私のコップをひたひた触って温度を確かめてから渡してくれました。
落ち着いて、やけどしないようにそっと息を吹きかけて、紅茶を口に含みます。
少し冷めた――けれどもほんのり熱の灯った液体が身体の奥へと流れていきました。
和「もう一心同体ね」
和ちゃんの笑い顔が、少し呆れているように見えて思わず目を背けてしまいます。
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:41:41.94 ID:VLjNrT/80 [22/22]
唯「それで和ちゃん、いいものって?」
和「ああ……これこれ」
和ちゃんが取り出したのは貯金箱ほどの大きさのジャムびんでした。
和「ローヤルゼリー。滋養強壮にもいいらしいわよ、毎朝早起きして食べなさい」
唯「は、はあ……」
お姉ちゃんはびんを受け取ったものの、どうしていいかわからないのか私に目を向けました。
ときどき私も和ちゃんが分からなくなります……。
和「憂、あまりあげすぎないようにね。肝油ドロップのこと覚えてるでしょう?」
憂「う……うん、小三のときだよね」
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:01:34.95 ID:b1kIQFnYP
小学三年のとき、学校で肝油ドロップの販売業者が来ました。
ビタミンCが含まれたサプリメントのようなもので、食べると夜盲症の予防や身体の成長に良いそうです。
そのときお姉ちゃんはもの珍しがってとみおばあちゃんに頼んで注文し、届くやいなやすっかり肝油ドロップにはまってしまいました。
たしか、私やおばあちゃんに隠れて一日十数個食べてお腹を痛くしちゃったんだっけ。
唯「あぁ…懐かしいね、あれ甘くてグミとハイチュウの間みたいでおいしいんだよね!」
和「買ってあげないわよ」
唯「まだなにも言ってないよ私?!」
唯の考えてることぐらい分かるわよ――和ちゃんは呆れたように、でも優しくほほえんでいました。
憂「そうだよね。いくら身体のためだからって、甘くておいしいからって、たくさん食べ過ぎたら身体に毒だよ」
和「憂のベタだってそうじゃない」
憂「え? ……ど、どういうことかな?」
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:21:58.43 ID:7kwDrIK00 [1/14]
和「水がきれいになってるじゃない」
和ちゃんは金魚蜂を指差して言います。
和「憂、また掃除したでしょ」
憂「うん……なんか、することないと不安で」
和「こういう魚は水を入れ替えすぎると弱っちゃうって言ったじゃない」
憂「ごめんなさい……」
こうやって手を掛けすぎるとダメになることもあるのよ。
和ちゃんはその言葉を、なんだかお姉ちゃんの方に向けて言っているようでした。
お姉ちゃんも何か言いたげな顔をしていますが……よくわかりません。
唯「うーん…たーくんはいっぱいエサもらえてうれしいと思うけどなぁ…」
和「唯じゃないんだから」
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:31:20.45 ID:7kwDrIK00 [2/14]
唯「ねぇねぇ和ちゃん、参考書いっしょにやろ?」
ふいに顔を上げたお姉ちゃんが言いました。
お姉ちゃんから参考書をやろうなんて、珍しいな。
和「えっ…うん、いいけど。じゃあ憂、後片付け頼むわね」
憂「うん。しばらくしたらおやつも持ってくね」
あの時の感覚はよくわかりません。
言葉に出せない何かがよどんだ水のように部屋の中を満たしている気がして、少し息苦しく思えました。
それからお姉ちゃんたちは部屋で勉強することになり、私もお皿を洗い始めます。
和ちゃんの言葉を聞いたせいか、心なしかベタのゆるやかな動きも弱ってきているように見えたのは、気のせいでしょうか。
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:42:04.19 ID:7kwDrIK00 [3/14]
――――――
和『……なに?』
唯『なにって、平方根とかよくわかんないから教えて?』
和『そうじゃないでしょ。何の話なのよ』
唯『……憂に変なこというのやめて』
和『それは、だって…唯も、このままじゃダメなの分かってるでしょう?』
唯『分かってるよ』
和『じゃあ少しでも良い方向に向かった方が――』
唯『分かってないのは和ちゃんの方じゃん』
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:48:34.22 ID:7kwDrIK00 [4/14]
和『……私も、悪かったわよ』
唯『もういい。早く帰って。私ネットしたいから』
和『それを言うなら唯、あんただって――』
唯『憂は悪くない!』
唯『悪いのは、ごろごろして学校に行かない私なの』
和『ちょ、ちょっと唯』
唯『もういいじゃんそれで。私は一生ニート暮らししてやるから』
和『……分かったわ。話はまた今度にしましょう』
唯『うん』
和『でもね』
唯『……なに』
和『あんたの憂に対する付き合い方も、褒められたものじゃないと思うんだけど』
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:17:25.62 ID:7kwDrIK00 [5/14]
唯『私は本当に……憂のことが、好きなんだよ』
和『じゃあ憂のために前向きなことしなさいよ』
唯『してるよ!』
和『一日じゅう引きこもってネットするか寝てるかが、憂のためなの?』
唯『……和ちゃんは分かってるでしょ』
和『唯だって、いつまでもこんなことしてられる訳じゃないことぐらい分かるでしょう』
唯『もういい。この話終わりにしよ』
和『…………』
唯『私もう寝るから。おやすみ』
和『……憂のこと、ちゃんと考えてあげるのよ』
唯『うん。……ごめんね、和ちゃん』
和『いいわよ。私のせいでもあるし』
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 02:13:13.54 ID:7kwDrIK00 [6/14]
――――――
憂「あれ、和ちゃんもう帰るの?」
和「うん。唯、ひさしぶりに頭使って疲れちゃったみたいね」
しばらくして私がクッキーとレモンティーを持ってお姉ちゃんの部屋に向かうと、和ちゃんはもう帰り支度をはじめていました。
部屋の中にはふくらむ布団の中に、寝ぐせが付いたままのお姉ちゃんの髪が見えます。
和ちゃんは一度出した筆記用具をてきぱきとしまい、それから机の上の消しかすをさっとゴミ箱に落とします。
その間、お姉ちゃんはずっとお布団の中でぼーっとしていました。
憂「お姉ちゃんの様子はどう?」
和「心配ないわ。またしばらく寝たら起きてくるはずよ」
和ちゃんは優しそうに言うのですが、それに反して部屋の中はやけに空気が重く感じるのです。
私は部屋に入って遮光カーテンを開けて外の風を入れました。
まぶしがってお姉ちゃんは布団をかぶります。
和「じゃあ行くわね。唯、あんまり憂を心配させたらダメよ」
唯「……和ちゃんだって」
お姉ちゃんの声は変にとげがあって、また少し息苦しさを覚えました。
この部屋には酸素が足りない、なんとなくそう思えます。
……お姉ちゃんさえいれば、大丈夫なはずなのに。
50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 03:18:12.86 ID:7kwDrIK00 [7/14]
和ちゃんを見送ったあと、私はお姉ちゃんの部屋に向かいます。
ですがお姉ちゃんはパソコンを始めたらしく、私に部屋に入ってきて欲しくないようです。
リビングに戻り、一人分あまったクッキーとレモンティーをテーブルに置いてソファーに腰を下ろします。
気づけばもう陽が傾き始め、オレンジの光が窓際の植物や金魚ばちの影を伸ばしています。
しばらく網戸のままにしていたせいか、乾いてしまった部屋の空気がやけに冷たく感じました。
私も昼過ぎのお姉ちゃんみたいにソファーに仰向けに寝転がって、天井をぼんやりと眺めてみました。
和ちゃんは、本当はたぶん私たちの関係を快く思っていないのでしょう。
それなのに私たちのお世話をしてもらって……迷惑をかけてばかりです。
床に広がった半透明の影の中でもたーくんが不安げに揺れ動いているのが見えました。
憂「たーくん」
なんとなく、影に向けて声を掛けてみます。
なにを言おうとしたのかは自分でも分かりません。
ですが、言葉は浮かび上がるのを待っていた気泡のようにするすると湧いてきました。
憂「……ごめんね、金魚ばちの中に閉じ込めちゃって」
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい……。
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 03:33:55.96 ID:7kwDrIK00 [8/14]
いつしか私は眠ってしまって、夢を見ていました。
水の中をどこまでもどこまでも泳いでいくような、そんな夢を。
青く深い海の中をどことも知れず泳いでいきます。
はじめ誰かと泳ぎ始めたころは楽しかったですが、いまも泳ぐのは私一人だけです。
身体が疲れて動かなくなっても、息が詰まっても、泳ぐのをやめられません。
だって泳ぐのをやめたら死んでしまうから。
それに――ここを泳ぎきったら、とてもいいところにたどり着くのだと。
誰かが私にそう言っていた覚えがあるのです。
ですが、やがて私の身体もうまく動かせなくなってしまいます。
うまく泳げなくなればなるほど身体に酸素が行きわたらず、私は必死でもがきます。
……けれど、もう光すら届かないほどの深みに来ていた私を、水圧がゆっくりと押し潰していきます。
助けてよ。
息が出来ないよ。
もう、泳げないよ――
そんな時、唇から温かい息が流れ込んできました。
54 名前:おっとミス発見(>>53)[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 03:55:24.57 ID:7kwDrIK00 [10/14]
唯「……えへへ。おはよう、うい」
水中から浮かび上がるようにして目を覚ますと、ぼやけた視界の向こう岸にいたのは私の大好きな人でした。
抱え上げるようにそっと腕を回したお姉ちゃんの背中に私もしがみ付くように抱きつきます。
気づけばさっきまでの息苦しさが嘘のように薄れていました。
あまりの安心感に、思わず私の目から涙があふれてしまいます。
唯「よしよし。いいこいいこ」
お姉ちゃんはそれから何も言わず、抱きしめた私の頭をずっと撫でていてくれます。
憂「……あのね、こわい夢、みたの」
唯「そっかぁ。それはつらかったね……」
憂「うん……くるしくて、息ができなくなったの」
唯「でも大丈夫だよ、憂にはお姉ちゃんがいるからね」
気休めだと誰かは言うでしょう。
ともすれば気持ち悪いとさえ思われているかもしれません。
だけど――何よりも、お姉ちゃんの言葉と温もりは私を守ってくれるんです。
憂「おねえちゃん……はなれないでね」
唯「うん。ずーっとそばにいるよ」
ごめんなさい。
でももう少しだけ、ここにいてもいいですよね?
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 04:13:49.77 ID:7kwDrIK00 [11/14]
憂「お姉ちゃん、今日はパソコンやらないの?」
唯「んー、チャットの人が来てなかったんだよねぇ」
もう陽もすっかり沈んだ頃、私は夕食を作り始めました。
いつもこの時間、お姉ちゃんは部屋でパソコンを使うか本を読むかして過ごしています。
ですから食事を作っている時にお姉ちゃんがそばにいると、なんだかちょっと落ち着きません。
唯「あぁっ! おはぎ落としちゃったよう……うい、ティッシュどこぉ?」
いろいろな意味で、落ち着けません……。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 04:20:59.10 ID:7kwDrIK00 [12/14]
私はウェットティッシュを持ってソファーのところに行き、一緒に床を掃除します。
コップといい、おはぎといい、なんだか今日のお姉ちゃんは調子が悪いみたいです。
最近、長い時間パソコンを使うのが多くなったからでしょうか。
……お姉ちゃん、ネットでどんなことしてるんだろう?
憂「ねえねえ、いつもチャットでどんな人と話してるの?」
唯「あー……えっとね、クリスティーナさんっていうんだけどね」
憂「ええっ、外国人の方なの?」
唯「ちがうよ、ハンドルネームだよ。ネットの中の名前」
お姉ちゃんの話だと、ネットの中では身元がばれないように違う名前を使うのだそうです。
ちなみにお姉ちゃんは「あいす」って名前でした。お姉ちゃんらしいなあ……。
唯「それでね、クリスティーナさん大学生で、バンドやってるんだって!」
憂「へえ……どんな音楽やってるの?」
唯「ええっと、なんだかいかつくて怖そうなやつ……」
お姉ちゃんは頭の上に指で角を立てたり、手を怪獣のようにこわばらせたりしました。
いったいどんなバンドなんだろう……。
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 04:47:19.46 ID:7kwDrIK00 [13/14]
床をきれいにした後、お姉ちゃんとおしゃべりしながら夕食を作って一緒に食べました。
唯「あれ? なんかこの煮物あまい!」
憂「和ちゃんからもらったハチミツを入れてみたの。どうかなあ?」
唯「おいしいよ、憂はやっぱ天才だね!」
工夫した料理を作ったとき、お姉ちゃんがそう言ってくれるのはうれしいです。
ですがお姉ちゃんのおいしそうに食べる様子は言葉以上にうれしくて、なんだか心があたたまるようです。
憂「でもローヤルゼリーだと思って見てみたら普通のハチミツでびっくりしたなあ…」
唯「その二つって違うの?」
憂「ローヤルゼリーは錠剤か粉末だよ。でも……こんなに高いものもらっちゃっていいのかなあ?」
唯「あっそれは大丈夫だって和ちゃん言ってたよ!」
和ちゃん、甘すぎるのは苦手なんだって。
栄養があって成長に必要なのはわかるけど、甘すぎて体悪くしそうで……みたいに言ってたよ。
そう、お姉ちゃんは私に屈託なく教えてくれました。
憂「甘すぎると、からだが悪くなるのかなあ……」
唯「……うい?」
憂「あっごめん、なんでもないよ」
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 09:57:03.79 ID:hL02qd160 [1/11]
甘すぎると、身体に良くない。
食べ終わった食器を洗いながら、なぜかその言葉が頭をぐるぐると回っていました。
ハチミツだけでなく糖分は成長に必要ですし、なかったら頭が働かなくなります。
けれど……肝油ドロップのようにそればかり食べ過ぎてしまったら、いずれお腹を壊してしまうでしょう。
唯「ういどうしたの?」
憂「えっ…なんでもないよ。お姉ちゃん、お風呂沸かしてくれる?」
唯「……うん、わかった。一緒に入ろうね!」
何か言おうとして押し留めたのか、その声はわざと明るくしたように聞こえました。
嘘が下手なお姉ちゃんはいとおしいけれど、時々どうすることもできずに苦しくなるのです。
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:14:51.39 ID:hL02qd160 [2/11]
憂「そうだね……うん」
なんとなく答えてしまいますが、こうしていていいのかも分からなくなってきました。
和ちゃんはたぶん気づいてるんだと思います。
だから「そういうこと」を続けるのはお姉ちゃんのためにならない。
今日の和ちゃんは私にそれを伝えたかったのでしょう。
お姉ちゃんが引きこもりになってからの半年。
それは私にとってかつてないほど、どうしようもなく甘い一時でした。
……いや、ダメだ。
これはお姉ちゃんの回復のためなんだ。
私は理性を働かせようと、お風呂場の方に声を投げかけました。
憂「――やっぱ今日は一人で入る!」
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:21:29.95 ID:hL02qd160 [3/11]
しばらくして、お姉ちゃんがお風呂から上がった後に私も一人で湯船につかりました。
ここ最近、お姉ちゃんとお風呂に入ることが多かったので一人でこうするのは久しぶりです。
うなじに胸元、二の腕を通って指先を一本一本洗い流す――自然とお姉ちゃんが私を洗うようにしてしまいます。
けれど、いつもと違って背中から伝わる熱はありません。
意識するとよけいに一人に思えてきてしまうので、シャワーの蛇口を力をこめてひねりました。
目をつむった中で温水に打たれながら、難しい考えを一度洗い流してしまおうとします。
ですが水に当たっているとさっきの夢を思い出してしまって、思わずシャワーを止めました。
……誰もいません。
水音が消えたお風呂場は、やけに静かに思えました。
なにかで埋めなければ耐えられなくなるほどに。
68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:34:23.69 ID:hL02qd160 [4/11]
頭と身体を自分の手で一通り洗い流してから、ゆっくりとお湯につかります。
温かい水が身体中に沁み込み、私の全身を暖めてくれます。
ですが浴槽の反対側に手を伸ばすとあるはずのやわらかい肌は、今日はありません。
なんとなく、目をきゅっとつむって湯船の中に頭を沈めてみます。
そうしたら自分が金魚ばちの中のたーくんになったように思えて少し楽しくなりました。
一人では広く感じる浴槽の中で、さっき見た夢のように自由に泳ぐ姿を想像してみます。
どこまでもどこまでも深く。暗い海の向こう側へ。
『海の向こう側には、幸せが待っている。』
顔の分からない優しそうな人たちが口々にそんな言葉をかけるイメージが頭をよぎります。
とみおばあちゃんや和ちゃんも手を叩いて応援してくれている気がして、私は深く深く潜っていくのです。
けれど――いつまで経っても、お姉ちゃんの声は聞こえませんでした。
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:53:04.88 ID:hL02qd160 [5/11]
憂「――ふぅっ」
声が聞きたくなってしまって水の中から顔を上げます。
浴室の照明に目が慣れず、まばゆさにくらくらしてしまいました。
私はどのくらい浴槽に沈んでいたのでしょうか。
水から顔を上げると急に狭い世界に閉じ込められたように感じます。
けれども程よく狭い水の中はかえって居心地がよく、泳ぐ気も薄れてしまいます。
たーくんのような魚が捕まえられて飼育されるときも、こんな感覚なのかもしれません。
憂「……お姉ちゃん」
ダメだ。
やだよ、ひとりでなんていられないよ。
お姉ちゃん、なんでお風呂にいないの?
身体の奥に空いた穴は私を乾かしていくようで、息が詰まります。
その穴はたぶんお姉ちゃんの腕の中でしか埋められないものなのです。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
甘い日々に我をうしなって、すでに身体のどこかが壊れてしまったからなのかな。
……いや、私に限ってはもっと前から壊れていたのかもしれないですけど。
お風呂を出た私はその晩、結局お姉ちゃんの部屋に行ってしまいました。
本当にごめんなさい。
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 11:28:00.54 ID:hL02qd160 [6/11]
夜遅くに目が覚めるとお姉ちゃんのやわらかい腕に抱かれていて、それだけでずいぶん満たされるものです。
重ねた肌と、溶け合わせた汗。眠りに落ちる前に繋いだ手は、今日はまだほどけずにいてくれました。
お姉ちゃんはすっかり眠ってしまって、はだけた布団を掛けなおそうともしません。
その呼吸に合わせて上下する胸にゆっくりと頭を乗せて、心臓の音を聞いてみたりします。
胸の奥から響く一定のリズムは私の頭をなでる時のように優しくて、空いた方の腕でもう一度お姉ちゃんを抱きしめました。
憂「お姉ちゃん……あいしてる」
身体を少し起こして、目を覚まさないようにゆっくりとキスしました。
暗い部屋で目を閉じると唇の感触がいっそう強く響くようで、私はもっとお姉ちゃんを求めたくなってしまいます。
そして、その度に自分がとても気持ち悪いものに思えて耐えられなくなるのです。
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 11:56:06.60 ID:hL02qd160 [7/11]
身体を重ねるようになったのは、お姉ちゃんが不登校になった辺りからです。
あの頃はおたがいにどうしていいか分からず、ただ抱きしめなきゃいけない気がして、気づくとここまで来てしまいました。
求められたくて、お姉ちゃんそのものが欲しくて、すがるようにそうしてきました。
お姉ちゃんも私のバラバラになりそうな心や身体の輪郭をなぞるように、崩れそうな私を集めて守るようにして抱いてくれました。
それはセックスの時だけではなく、例えば一緒にお風呂に入る時もそうです。
お姉ちゃんは私の身体を丁寧に――変な言い方ですが、溶けていく私を身体に集めてしまいこむようかのように指先から爪先まで洗ってくれるんです。
昔から好きだったのに、そんな風にされたらもっと好きになっちゃいますよ。
もう一秒たりともお姉ちゃんから離れたくない自分もここにはいます。
だから、ときどき思ってはいけないことまで考えてしまうんです。
たとえば、お姉ちゃんがずっとひきこもりでいてほしい、なんて。
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 12:06:39.74 ID:hL02qd160 [8/11]
憂「……最低だよ、私。しんじゃえばいいのにな」
自分を傷つけるナイフのような言葉を、わざと口に出してみました。
なにか罰を受けたくなったんです。
今もお姉ちゃんを抱きしめている自分が、どうしようもなく思えて。
セックスはすばらしいものだと言う人がいます。
だけど私はうまくそう思えません。
今さら「女の子同士だから」とか「姉妹だから」なんて考え直せるほど私は強い人間じゃないですけど、だからって全てを肯定する勇気もありません。
甘い蜜のような快楽は一瞬だけすべてを忘れさせてくれます。
けれども理性を溶かすような快楽が終わって、祭りの後のように一人目覚めたとき。
逃げていた現実に急に引き戻され、打ち揚げられた魚みたいに呼吸の仕方すら分からなくなるんです。
私は、せっくすがきらいです。
すきだけど、やっぱりきらいなんです。
矛盾してますよね。身体がバラバラになりそうなぐらいに。
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 12:37:15.10 ID:hL02qd160 [9/11]
布団の奥で足を絡ませながら、お姉ちゃんの心音をずっと聞いていました。
肌の感触と体温とが私を安心させてくれるけれど、同時にお姉ちゃんを閉じ込めているようにも感じます。
息苦しさを感じると空を見上げたくなるものですよね。
お姉ちゃんから見せてもらった不登校の方のブログに空の写真が多いのもそういう理由かもしれません。
たとえ狭いディスプレイの中の空の画像でさえも、水草から浮かぶ気泡のように意識をゆらゆらと浮かばせられる気はするのでしょう。
お姉ちゃんにしがみ付くように肌を重ねたまま、窓の外の空に目を向けました。
今夜は満月のようです。薄い雲ににじんだ月明かりが、雲の動きによって揺れ動いて見えます。
もし、あの窓ガラスが私たちを外とを隔てた壁だとすれば。
私たちもたーくんと一緒で、この家という小さな金魚ばちに閉じ込められているのかもしれません。
そうして私たちは外での泳ぎ方を忘れて、ここで息絶えてしまうのでしょうか。
閉塞感の心地よさが怖くて、私はその夜うまく寝付くことが出来ませんでした。
ぼんやりと眺めた窓ガラスの向こう側。
月明かりは雲の波間に浮かんで、いつまでも揺れていたのでした。
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 12:39:00.58 ID:hL02qd160 [10/11]
◆ ◆ ◆
憂「・・・・・ごめんね。変な話、聞かせちゃって」
梓「いいよ、私と憂の仲じゃん。それに唯先輩は私にとっても大事な人だし」
憂「ありがとう。じゃあ、続き話してもいい?」
梓「うん。……憂は大丈夫?」
憂「へいきだよ。ありがと、梓ちゃん。……それでね、」
78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 12:40:39.76 ID:hL02qd160 [11/11]
なんとかきりのいいとこまで着いたのでちょっと休む
ここでスレ落ち
◆ ◆ ◆
唯「ういー、アイスー…」
憂「おはようお姉ちゃん、お昼ごはん食べてからね」
九月のよく晴れた水曜日のことです。
カーテンの閉められた薄暗い部屋ではたきを掛けていると、お姉ちゃんの眠そうな声が聞こえてきました。
唯「あれ…うい、起きてたの」
そっとベッドに腰かけた私を見上げる、まだ寝ぼけた目のお姉ちゃん。
熱っぽい湿気を帯びた布団から白い腕だけを出すと、私の手を探して握ってくれました。
布団の中で汗ばんだ手のひらはどうしても昨日の夜を思わせるので、あわてて話題をそらします。
憂「えっとね、九時ごろにおばあちゃんが来てたんだ。お野菜とか持ってきてくれたよ」
唯「そっかぁ……ありがと、うい」
お姉ちゃんはふわっとほほえみを浮かべてまた布団の中にもぐり込もうとします。
遮光カーテンに光を遮られたこの部屋はどこか湿っぽく、教室に忘れられた水槽のようによどんだ空気に満ちています。
でもその生ぬるい空気もなぜだか居心地がよくて、私もお姉ちゃんと一眠りしたくなってしまいました。
いけない、いけない。
私は無理やりお姉ちゃんのベッドから立ち上がり、カーテンを開けました。
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:35:48.18 ID:VLjNrT/80
差し込む強い光は、この部屋の水分すらも蒸発させていくようで……心地いいはずなのに、なぜか心もとなく感じてしまったりして。
唯「ん…まぶしい……」
お姉ちゃんのうるんだ二つの瞳はまだ夢と現実との間をさまよっているみたいで、陽の光にきゅっと目を細めています。
カーテンをもう一度閉めてあげようかちょっとだけ迷いましたが、やっぱり起こすことにしました。
憂「ほら、もう十一時過ぎなんだよ?」
もぐり込もうとするお姉ちゃんの布団を少しだけゆすって声を掛けると、お姉ちゃんは中から顔を出してごまかすように笑いました。
つられて私の口元にも笑みがうつってしまい、胸の奥にほっこりした熱が点るのを感じます。
日差しに乾いていくシーツをすがり付くように握り締めたお姉ちゃんがいとおしくて、カーテンを開けてしまったことをちょっと後悔します。
本棚のホコリすらしっとり湿らせるような心地よい蒸し暑さと、甘味料のように吹き込むかすかな風。
重なった二つの含み笑い。
……ごめんなさい。
こんな瞬間が一番幸せなんです。
5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:46:24.75 ID:VLjNrT/80
唯「じゃあご飯たべなきゃだねぇ」
お姉ちゃんは布団の中をごそごそと探り、脱ぎ捨てた下着をつけなおして身体を起こします。
見慣れた着替えなのですが……どうしても意識しちゃうので、私はパソコンのホコリをわざと念入りに落とします。
すると机の下で電源が入れっぱなしのモデムがかなり熱くなっていました。
お姉ちゃんは昨日の夜――私がお姉ちゃんと寝る前――たぶん誰かとチャットでもしていたのでしょう。
一晩ずっと点いたままだったモデムは人肌ほどに温まり、今も接続先を求めてちかちかと点滅しています。
このままだと壊れてしまうのですばやく電源を落として、早く冷めるように日差しの当たらぬところに移しました。
唯「ねぇ、憂」
ぼんやり考えていたら、すっかり目を覚ましたおねえちゃんに話しかけられました。
その声がやけに冷たく聞こえて、息苦しく感じて一瞬戸惑ってしまいます。
唯「……やっぱいいや」
憂「あっごめん、なぁに?」
唯「私……引きこもり、やめた方がいいよね」
6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 19:56:38.33 ID:VLjNrT/80
私のお姉ちゃんは今年で中学三年なのですが、いまは学校に行っていません。
学校でうまくいかなかったせいで、玄関から外に出ようとすると体調を崩して立っていられなくなるみたいです。
心の病気で家から出られないお姉ちゃんが心配で私も付き添う生活が続き、かれこれ半年近く経ちました。
両親は今もどこか遠い国を飛び回っていますが、お隣のとみおばあちゃんと和ちゃんが週に二、三度食料などを持ってきてくれるので不自由はしていません。
思い返すと昔から私たちの両親は不在がちでした。
お母さんの腕の感触や手の温もりはかろうじて覚えているものの、お父さんの手のひらはもう思い出せません。
私も両親に抱きしめられるより、とみおばあちゃんに抱きしめられたことの方が多かった気がします。
もちろんお姉ちゃんはあの頃からその百万倍抱きしめくれましたけどね。
言葉のあやでなく本当に、私はお姉ちゃんの腕の中で育ったようなものなんです。
とにかく、私たち二人は和ちゃんやおばあちゃんの助けを借りながらもなんとか暮らせています。
狭い家の中だけれど私たちは満ち足りた生活を送っている。そうに決まってるんです。
けれどときどき……これから先のことを考えると、不安でたまらなくてめまいを覚えてしまうのです。
そう。今みたいに。
憂「無理、しなくていいんだよ? お姉ちゃん」
お姉ちゃんが無理に外に出てしまったら、どうなってしまうんだろう――
8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:06:38.94 ID:VLjNrT/80
自分の声が変に震えてしまって、唇がうまく動きません。
どうしよう。お姉ちゃんを元気付けなきゃいけないのに……。
唯「……ごめんね、なんでもないよ。 お昼にしよっか!」
お姉ちゃんはそう言ってベッドから飛び出して、Tシャツにホットパンツだけの格好で私の手を引きました。
やわらかい外の日差しを集めたようなお姉ちゃんの笑顔は、いつだって何もかもを忘れさせてくれます。
手を引かれてリビングに着く頃には、不安の種も消えてしまったみたいです。
でも、お姉ちゃん。
家の中だけど、一応ブラはつけてほしいかな……。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:17:02.34 ID:VLjNrT/80
しばらくして、私たちはお昼ごはんをいただきました。
と言ってもちゃんとしたものでなく、冷蔵庫にあった鶏肉と卵を使って簡単な丼ものを作っただけなのですが。
ご飯を作っている間にソファーに仰向けで横たわったお姉ちゃんが向けた、さかさまの笑顔。
床に垂れ下がった伸びた髪は窓から吹き込む風にかすかに揺れる姿は、台所でガスを使う私の心も風鈴のように涼ませてくれました。
唯「ええー…だって、寝てる間とか背中きっついんだもん」
憂「お姉ちゃん、そんなこと言ってるといいお嫁さんになれないよ?」
テーブルに二人向かい合って箸を動かしながら、そんなたわいもない会話を交わします。
みりんの量を少し変えたのが功を奏したのでしょうか、お姉ちゃんのほっこりした顔も今日は多いようです。
机の下でちょっとこぶしをにぎって、ガッツポーズ。バレたらはずかしいな……。
10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:27:37.88 ID:VLjNrT/80
唯「――憂、きいてる?」
憂「あっごめんお姉ちゃん」
おいしそうに食べるお姉ちゃんを眺めていたら、いきなり話しかけられてびっくりしてしまいました。
唯「ははーん、さては私の顔に見とれてましたな」
憂「もう……そんなことないよ、お姉ちゃん」
あわててお漬け物に箸を伸ばして落としそうになってしまいます。
なんでわかっちゃうんだろう、私のこと。
11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:36:21.96 ID:VLjNrT/80
唯「でもね、私お嫁さんにならなくてもいいかな」
ふいに箸を止めて、お姉ちゃんはそんなことを口にしました。
憂「どうして?」
唯「私、憂と結婚するからいいもん」
それはお姉ちゃんにとって、話の流れからふいに湧いた軽口に過ぎなかったのでしょう。
けれど私の胸の奥に無邪気に飛び込んできたその言葉は内側から必要以上に甘く蝕んでいく気がして、
唯「……あは、そんな顔しないでよ。そういうことじゃないって」
憂「もう。変なこと言わないでよ、お姉ちゃん」
場をつなぐようにお姉ちゃんと笑い合ってみます。
けど、ほほえみを浮かべようとする私の唇はどこかぎこちなくて。
なんとなくだけど、お姉ちゃんも無理して笑い合おうとしてるみたいで。
唯「じゃあ、きょうはお皿洗うよ」
憂「うん。……ありがとう」
気を使わせてしまったのが少しうしろめたいです。
私、お姉ちゃんに迷惑かけてばっかりだ……。
なにかしていないと落ち着かなくて、とりあえず電話の棚から熱帯魚用のえさを取り出しました。
14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 20:50:43.53 ID:VLjNrT/80
私たちはリビングの窓際に置いた金魚鉢でベタという魚を飼っています。
ゆれる水草と透明な水の中で、空をひとかけら持ってきたように青々とした尾ひれが揺れているのを見ると私もどこか涼しげな気分になります。
このベタは半年ぐらい前、お姉ちゃんとお散歩に行った日にホームセンターのペットショップで見つけました。
水槽の照明に照らし出されたベタはこのときものんびり泳いでいて、お姉ちゃんは一目惚れしてしまったみたいです。
唯『小さくてかわいくてやわらかそうで、なんだか守ってあげたくなっちゃうなあ…』
その時、お姉ちゃんは私の手をつないだまま水槽を見つめて言っていました。
あったかい手を握りしめながら耳元でつぶやかれたので、私に向けて言っているような気がしてちょっと顔が熱くなってしまいました。
15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:02:44.94 ID:VLjNrT/80
そうしてその場のお姉ちゃんの勢いに流されて買ってしまったベタですが、今も小さな金魚鉢のなかで気持ちよさそうに泳いでいます。
名前はベタのたーくん。
もちろん、名付け親はお姉ちゃんです。
お姉ちゃんらしい、かわいい名前だと思いませんか?
憂「たーくん、お昼ごはんだよ」
金魚鉢にえさを一粒落とすと、たーくんは振り向いてえさ粒をぱくっと食べました。
振り向いたいきおいで水草の気泡がひとつふたつ浮かんで水面に消えました。
日差しの向きが変わったからか、金魚鉢を通した半透明の影がゆらゆら揺れています。
そういえば、朝起きたときにも私はえさをあげてしまいました。
むかしグッピーを飼っていた和ちゃんに「えさのあげすぎは水質を悪くして、寿命を縮める」って言われたのを思い出します。
憂「……ごめんね、おなかいっぱいだったかな」
不安を感じたりいたたまれなくなるたびにたーくんにえさをあげてる気がして、手のひらに残ったえさ粒をえさの缶に払い落としました。
唯「きゃっ」
後ろでガラスの割れる音が聞こえました。
18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:16:50.48 ID:VLjNrT/80
憂「お姉ちゃん大丈夫?!」
唯「ごめんね……コップ、割っちゃった」
あわてて駆け寄ると床にはちらばったコップの破片。
私はすぐお姉ちゃんの指先や手の甲や足首を見渡しました。
――よかった、ケガしてなかった。
ほっと一息ついてから、お姉ちゃんに少し離れててもらって袋に大きめの破片を集めていきます。
唯「憂、ごめんね。私……なんにもできなくって」
その場に立ちすくむお姉ちゃんが沈んだ声でつぶやきました。
そんなことないよ。
だって、お姉ちゃんは私のために――。
唯「あっ拾うの手伝うよ!」
憂「ううん、大丈夫。それより掃除機持ってきてくれるかな?」
唯「あ……うん、わかった」
できることを見つけてうれしそうなお姉ちゃんは、ぱたぱたと足音を立てて飛び出していきました。
19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:30:55.92 ID:VLjNrT/80
唯「ふぅ…これで大丈夫かな」
憂「ちゃんと掃除したし、大丈夫だよ」
お姉ちゃんが掃除機で小さな破片を吸い取ったあと、私たちは台所の床の拭き掃除をしました。
コップは割れてしまいましたが、おしまいには前よりも床がきれいになってうれしいです。
これもたぶん、お姉ちゃんのおかげです。
こんなこと言うと、また純ちゃんに叱られちゃいそうですけどね。
憂「床きれいになってよかったね」
唯「えへへ、まさしく七転び八起きだね!」
お姉ちゃん、それはちょっと違うと思う……。
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:45:11.32 ID:VLjNrT/80
唯「あっそうそう、今日は和ちゃんが――」
そう言い掛けたとき、チャイムが鳴りました。
インターホンをのぞき込むと荷物を手に持った和ちゃんがいます。
和『お米入ってるから早く開けてくれない?』
憂「うわさをすれば、って感じだね」
唯「もしかしてタイミング見計らってたとか?」
和『…何のタイミングだっていうのよ』
二人でくすくす笑ってしまいます。
重い荷物を抱えてる和ちゃんがかわいそうなので、掃除機の片づけをお姉ちゃんに任せて私は玄関に向かいました。
21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 21:57:50.92 ID:VLjNrT/80
憂「和ちゃん、今日早いね。まだ十二時だよ?」
和「ほら、校内模試で半日なのよ……って、知らないわよね」
制服姿の和ちゃんは牛乳やお米の入った大きなビニール袋を玄関横に置くと、そばに座り込みました。
ドアの外では強い日差しが縁石を白く焼き尽くすほどに照っています。
こんな日差しの中、お姉ちゃんが外に出たら大変なことになってしまいそうです。
私はドアを閉め、それでも窓から差し込む日光から一歩足を引いて、ビニール袋を抱え上げました。
和「はぁ…この量はなかなか腰にくるわね。せっかくだからってさすがに買い込んじゃったかしら」
憂「なんか今の和ちゃん、おばあちゃんみたい」
和「買い出し班にひどいこと言うわね、あんた。ところで唯の調子はどう?」
唯「あ。和ちゃん!」
25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:12:28.29 ID:VLjNrT/80
廊下の向こうから冷たい水のように澄んだ声が聞こえて、思わずほころんでしまいます。
掃除機をしまったお姉ちゃんはそばに腰掛けている和ちゃんを後ろからスリーステップでいきおいよく抱きしめました。
和「ちょ――唯、危ないじゃない!」
唯「だって三日ぶりだよー?」
少しふりほどこうとした和ちゃんも、あきれたように笑って抱きしめられました。
ちょっとうらやましくなってしまいます。
和ちゃんを抱きしめている、お姉ちゃんが。
お姉ちゃんに抱きしめられる、和ちゃんも。
和「……憂も見てないでちょっとは止めなさいよ」
憂「えへへ、ごめんね」
26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:26:59.72 ID:VLjNrT/80
私たち三人はリビングで和ちゃんの持ってきたケーキを食べることにしました。
お茶を入れている間、和ちゃんが担任の先生から預かってきた課題を取り出しました。
厚くて大きなその問題集はどうやら百ページ近くあるらしく、お姉ちゃんはそれを見るなり力を失って椅子に倒れこんでしまいます。
唯「の、のどかちゃん…量多くなってない?!」
和「私が出したんじゃないわよ」
唯「でもこのワークブック一冊は多いよ! それに、私この範囲わかんないもん! ぶーぶー!」
お姉ちゃんはぱくぱく口を動かしたり数学の問題集を机にぱんと叩いたりして抗議します。
……なんだか水揚げされた魚のように見えて、ちょっとおかしかったです。
めくれたページを見ると計算用の余白が多かったので、見た目ほど大変な量ではないみたいです。
とはいえ、大きくて重たいこの問題集自体に最初からおそれをなしてしまうお姉ちゃんの気持ちも分かります。
これじゃあ先が見えないもんね。
和「一ヶ月あるんだから余裕じゃない。たかが一日三ページちょっとでしょう。少しずつ進めていきなさいよ」
唯「あは、あはは…」
お姉ちゃん、昔から夏休みの課題を始業式前夜に始めるタイプだもんね……。
私もなんとなく一ヶ月後にあわてる姿が浮かんでしまって、思わず笑ってしまいます。
和「ほら、憂だって笑ってるわよ。ちょっとずつ解いてくしかないじゃない」
唯「ういーっ!」
憂「あはは、ごめんお姉ちゃん」
27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 22:38:11.37 ID:VLjNrT/80
和「あっそうそう、いいもの持ってきたわよ。最近、唯が元気ないって聞いてたから」
唯「えー? そんなことないよ、うい」
お姉ちゃんはきょとんと小首をかしげます。
憂「うーん…ほら、朝だって」
唯「あれはなんでもないって。気にしすぎだよお」
私の腕をゆすって困ったように笑うお姉ちゃんの声は、なぜか必要以上に強く聞こえました。
お姉ちゃんは外が怖くて出られないけど、本当はいつもどおり元気一杯なんだ。
そう思わせたがっているかのように。
でも、朝に「引きこもりやめる」って――
憂「――あつっ」
唯「う、憂大丈夫?」
唇を刺すような痛みが走ります。
その場しのぎに口に含んだ紅茶が思ったより熱くて、思わずむせてしまいました。
30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/09/21(火) 22:46:38.17 ID:VLjNrT/80
養分補給してくる
>>22
とりあえずジャニス×唯は入る
32 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:24:12.39 ID:VLjNrT/80
和「まったくもう、唯だけじゃなくて憂までそんなんじゃどうするのよ」
憂「ご、ごめんなさい…」
唯「そうだよ、憂もしっかりしなくちゃねっ」
和「これ、突っ込むところ?」
わざと胸を張って答えるお姉ちゃんにまた笑ってしまいます。
私の、考えすぎなのかな。やっぱ。
考えすぎる頭をお姉ちゃんの優しさにあずけると、なんだかこのままでいいような気もしてきました。
唯「ほら、もうさめたよ?」
お姉ちゃんは私のコップをひたひた触って温度を確かめてから渡してくれました。
落ち着いて、やけどしないようにそっと息を吹きかけて、紅茶を口に含みます。
少し冷めた――けれどもほんのり熱の灯った液体が身体の奥へと流れていきました。
和「もう一心同体ね」
和ちゃんの笑い顔が、少し呆れているように見えて思わず目を背けてしまいます。
33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/21(火) 23:41:41.94 ID:VLjNrT/80 [22/22]
唯「それで和ちゃん、いいものって?」
和「ああ……これこれ」
和ちゃんが取り出したのは貯金箱ほどの大きさのジャムびんでした。
和「ローヤルゼリー。滋養強壮にもいいらしいわよ、毎朝早起きして食べなさい」
唯「は、はあ……」
お姉ちゃんはびんを受け取ったものの、どうしていいかわからないのか私に目を向けました。
ときどき私も和ちゃんが分からなくなります……。
和「憂、あまりあげすぎないようにね。肝油ドロップのこと覚えてるでしょう?」
憂「う……うん、小三のときだよね」
36 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:01:34.95 ID:b1kIQFnYP
小学三年のとき、学校で肝油ドロップの販売業者が来ました。
ビタミンCが含まれたサプリメントのようなもので、食べると夜盲症の予防や身体の成長に良いそうです。
そのときお姉ちゃんはもの珍しがってとみおばあちゃんに頼んで注文し、届くやいなやすっかり肝油ドロップにはまってしまいました。
たしか、私やおばあちゃんに隠れて一日十数個食べてお腹を痛くしちゃったんだっけ。
唯「あぁ…懐かしいね、あれ甘くてグミとハイチュウの間みたいでおいしいんだよね!」
和「買ってあげないわよ」
唯「まだなにも言ってないよ私?!」
唯の考えてることぐらい分かるわよ――和ちゃんは呆れたように、でも優しくほほえんでいました。
憂「そうだよね。いくら身体のためだからって、甘くておいしいからって、たくさん食べ過ぎたら身体に毒だよ」
和「憂のベタだってそうじゃない」
憂「え? ……ど、どういうことかな?」
38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:21:58.43 ID:7kwDrIK00 [1/14]
和「水がきれいになってるじゃない」
和ちゃんは金魚蜂を指差して言います。
和「憂、また掃除したでしょ」
憂「うん……なんか、することないと不安で」
和「こういう魚は水を入れ替えすぎると弱っちゃうって言ったじゃない」
憂「ごめんなさい……」
こうやって手を掛けすぎるとダメになることもあるのよ。
和ちゃんはその言葉を、なんだかお姉ちゃんの方に向けて言っているようでした。
お姉ちゃんも何か言いたげな顔をしていますが……よくわかりません。
唯「うーん…たーくんはいっぱいエサもらえてうれしいと思うけどなぁ…」
和「唯じゃないんだから」
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:31:20.45 ID:7kwDrIK00 [2/14]
唯「ねぇねぇ和ちゃん、参考書いっしょにやろ?」
ふいに顔を上げたお姉ちゃんが言いました。
お姉ちゃんから参考書をやろうなんて、珍しいな。
和「えっ…うん、いいけど。じゃあ憂、後片付け頼むわね」
憂「うん。しばらくしたらおやつも持ってくね」
あの時の感覚はよくわかりません。
言葉に出せない何かがよどんだ水のように部屋の中を満たしている気がして、少し息苦しく思えました。
それからお姉ちゃんたちは部屋で勉強することになり、私もお皿を洗い始めます。
和ちゃんの言葉を聞いたせいか、心なしかベタのゆるやかな動きも弱ってきているように見えたのは、気のせいでしょうか。
40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:42:04.19 ID:7kwDrIK00 [3/14]
――――――
和『……なに?』
唯『なにって、平方根とかよくわかんないから教えて?』
和『そうじゃないでしょ。何の話なのよ』
唯『……憂に変なこというのやめて』
和『それは、だって…唯も、このままじゃダメなの分かってるでしょう?』
唯『分かってるよ』
和『じゃあ少しでも良い方向に向かった方が――』
唯『分かってないのは和ちゃんの方じゃん』
41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 00:48:34.22 ID:7kwDrIK00 [4/14]
和『……私も、悪かったわよ』
唯『もういい。早く帰って。私ネットしたいから』
和『それを言うなら唯、あんただって――』
唯『憂は悪くない!』
唯『悪いのは、ごろごろして学校に行かない私なの』
和『ちょ、ちょっと唯』
唯『もういいじゃんそれで。私は一生ニート暮らししてやるから』
和『……分かったわ。話はまた今度にしましょう』
唯『うん』
和『でもね』
唯『……なに』
和『あんたの憂に対する付き合い方も、褒められたものじゃないと思うんだけど』
42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 01:17:25.62 ID:7kwDrIK00 [5/14]
唯『私は本当に……憂のことが、好きなんだよ』
和『じゃあ憂のために前向きなことしなさいよ』
唯『してるよ!』
和『一日じゅう引きこもってネットするか寝てるかが、憂のためなの?』
唯『……和ちゃんは分かってるでしょ』
和『唯だって、いつまでもこんなことしてられる訳じゃないことぐらい分かるでしょう』
唯『もういい。この話終わりにしよ』
和『…………』
唯『私もう寝るから。おやすみ』
和『……憂のこと、ちゃんと考えてあげるのよ』
唯『うん。……ごめんね、和ちゃん』
和『いいわよ。私のせいでもあるし』
44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 02:13:13.54 ID:7kwDrIK00 [6/14]
――――――
憂「あれ、和ちゃんもう帰るの?」
和「うん。唯、ひさしぶりに頭使って疲れちゃったみたいね」
しばらくして私がクッキーとレモンティーを持ってお姉ちゃんの部屋に向かうと、和ちゃんはもう帰り支度をはじめていました。
部屋の中にはふくらむ布団の中に、寝ぐせが付いたままのお姉ちゃんの髪が見えます。
和ちゃんは一度出した筆記用具をてきぱきとしまい、それから机の上の消しかすをさっとゴミ箱に落とします。
その間、お姉ちゃんはずっとお布団の中でぼーっとしていました。
憂「お姉ちゃんの様子はどう?」
和「心配ないわ。またしばらく寝たら起きてくるはずよ」
和ちゃんは優しそうに言うのですが、それに反して部屋の中はやけに空気が重く感じるのです。
私は部屋に入って遮光カーテンを開けて外の風を入れました。
まぶしがってお姉ちゃんは布団をかぶります。
和「じゃあ行くわね。唯、あんまり憂を心配させたらダメよ」
唯「……和ちゃんだって」
お姉ちゃんの声は変にとげがあって、また少し息苦しさを覚えました。
この部屋には酸素が足りない、なんとなくそう思えます。
……お姉ちゃんさえいれば、大丈夫なはずなのに。
50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 03:18:12.86 ID:7kwDrIK00 [7/14]
和ちゃんを見送ったあと、私はお姉ちゃんの部屋に向かいます。
ですがお姉ちゃんはパソコンを始めたらしく、私に部屋に入ってきて欲しくないようです。
リビングに戻り、一人分あまったクッキーとレモンティーをテーブルに置いてソファーに腰を下ろします。
気づけばもう陽が傾き始め、オレンジの光が窓際の植物や金魚ばちの影を伸ばしています。
しばらく網戸のままにしていたせいか、乾いてしまった部屋の空気がやけに冷たく感じました。
私も昼過ぎのお姉ちゃんみたいにソファーに仰向けに寝転がって、天井をぼんやりと眺めてみました。
和ちゃんは、本当はたぶん私たちの関係を快く思っていないのでしょう。
それなのに私たちのお世話をしてもらって……迷惑をかけてばかりです。
床に広がった半透明の影の中でもたーくんが不安げに揺れ動いているのが見えました。
憂「たーくん」
なんとなく、影に向けて声を掛けてみます。
なにを言おうとしたのかは自分でも分かりません。
ですが、言葉は浮かび上がるのを待っていた気泡のようにするすると湧いてきました。
憂「……ごめんね、金魚ばちの中に閉じ込めちゃって」
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい……。
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 03:33:55.96 ID:7kwDrIK00 [8/14]
いつしか私は眠ってしまって、夢を見ていました。
水の中をどこまでもどこまでも泳いでいくような、そんな夢を。
青く深い海の中をどことも知れず泳いでいきます。
はじめ誰かと泳ぎ始めたころは楽しかったですが、いまも泳ぐのは私一人だけです。
身体が疲れて動かなくなっても、息が詰まっても、泳ぐのをやめられません。
だって泳ぐのをやめたら死んでしまうから。
それに――ここを泳ぎきったら、とてもいいところにたどり着くのだと。
誰かが私にそう言っていた覚えがあるのです。
ですが、やがて私の身体もうまく動かせなくなってしまいます。
うまく泳げなくなればなるほど身体に酸素が行きわたらず、私は必死でもがきます。
……けれど、もう光すら届かないほどの深みに来ていた私を、水圧がゆっくりと押し潰していきます。
助けてよ。
息が出来ないよ。
もう、泳げないよ――
そんな時、唇から温かい息が流れ込んできました。
54 名前:おっとミス発見(>>53)[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 03:55:24.57 ID:7kwDrIK00 [10/14]
唯「……えへへ。おはよう、うい」
水中から浮かび上がるようにして目を覚ますと、ぼやけた視界の向こう岸にいたのは私の大好きな人でした。
抱え上げるようにそっと腕を回したお姉ちゃんの背中に私もしがみ付くように抱きつきます。
気づけばさっきまでの息苦しさが嘘のように薄れていました。
あまりの安心感に、思わず私の目から涙があふれてしまいます。
唯「よしよし。いいこいいこ」
お姉ちゃんはそれから何も言わず、抱きしめた私の頭をずっと撫でていてくれます。
憂「……あのね、こわい夢、みたの」
唯「そっかぁ。それはつらかったね……」
憂「うん……くるしくて、息ができなくなったの」
唯「でも大丈夫だよ、憂にはお姉ちゃんがいるからね」
気休めだと誰かは言うでしょう。
ともすれば気持ち悪いとさえ思われているかもしれません。
だけど――何よりも、お姉ちゃんの言葉と温もりは私を守ってくれるんです。
憂「おねえちゃん……はなれないでね」
唯「うん。ずーっとそばにいるよ」
ごめんなさい。
でももう少しだけ、ここにいてもいいですよね?
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 04:13:49.77 ID:7kwDrIK00 [11/14]
憂「お姉ちゃん、今日はパソコンやらないの?」
唯「んー、チャットの人が来てなかったんだよねぇ」
もう陽もすっかり沈んだ頃、私は夕食を作り始めました。
いつもこの時間、お姉ちゃんは部屋でパソコンを使うか本を読むかして過ごしています。
ですから食事を作っている時にお姉ちゃんがそばにいると、なんだかちょっと落ち着きません。
唯「あぁっ! おはぎ落としちゃったよう……うい、ティッシュどこぉ?」
いろいろな意味で、落ち着けません……。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 04:20:59.10 ID:7kwDrIK00 [12/14]
私はウェットティッシュを持ってソファーのところに行き、一緒に床を掃除します。
コップといい、おはぎといい、なんだか今日のお姉ちゃんは調子が悪いみたいです。
最近、長い時間パソコンを使うのが多くなったからでしょうか。
……お姉ちゃん、ネットでどんなことしてるんだろう?
憂「ねえねえ、いつもチャットでどんな人と話してるの?」
唯「あー……えっとね、クリスティーナさんっていうんだけどね」
憂「ええっ、外国人の方なの?」
唯「ちがうよ、ハンドルネームだよ。ネットの中の名前」
お姉ちゃんの話だと、ネットの中では身元がばれないように違う名前を使うのだそうです。
ちなみにお姉ちゃんは「あいす」って名前でした。お姉ちゃんらしいなあ……。
唯「それでね、クリスティーナさん大学生で、バンドやってるんだって!」
憂「へえ……どんな音楽やってるの?」
唯「ええっと、なんだかいかつくて怖そうなやつ……」
お姉ちゃんは頭の上に指で角を立てたり、手を怪獣のようにこわばらせたりしました。
いったいどんなバンドなんだろう……。
57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 04:47:19.46 ID:7kwDrIK00 [13/14]
床をきれいにした後、お姉ちゃんとおしゃべりしながら夕食を作って一緒に食べました。
唯「あれ? なんかこの煮物あまい!」
憂「和ちゃんからもらったハチミツを入れてみたの。どうかなあ?」
唯「おいしいよ、憂はやっぱ天才だね!」
工夫した料理を作ったとき、お姉ちゃんがそう言ってくれるのはうれしいです。
ですがお姉ちゃんのおいしそうに食べる様子は言葉以上にうれしくて、なんだか心があたたまるようです。
憂「でもローヤルゼリーだと思って見てみたら普通のハチミツでびっくりしたなあ…」
唯「その二つって違うの?」
憂「ローヤルゼリーは錠剤か粉末だよ。でも……こんなに高いものもらっちゃっていいのかなあ?」
唯「あっそれは大丈夫だって和ちゃん言ってたよ!」
和ちゃん、甘すぎるのは苦手なんだって。
栄養があって成長に必要なのはわかるけど、甘すぎて体悪くしそうで……みたいに言ってたよ。
そう、お姉ちゃんは私に屈託なく教えてくれました。
憂「甘すぎると、からだが悪くなるのかなあ……」
唯「……うい?」
憂「あっごめん、なんでもないよ」
64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 09:57:03.79 ID:hL02qd160 [1/11]
甘すぎると、身体に良くない。
食べ終わった食器を洗いながら、なぜかその言葉が頭をぐるぐると回っていました。
ハチミツだけでなく糖分は成長に必要ですし、なかったら頭が働かなくなります。
けれど……肝油ドロップのようにそればかり食べ過ぎてしまったら、いずれお腹を壊してしまうでしょう。
唯「ういどうしたの?」
憂「えっ…なんでもないよ。お姉ちゃん、お風呂沸かしてくれる?」
唯「……うん、わかった。一緒に入ろうね!」
何か言おうとして押し留めたのか、その声はわざと明るくしたように聞こえました。
嘘が下手なお姉ちゃんはいとおしいけれど、時々どうすることもできずに苦しくなるのです。
65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:14:51.39 ID:hL02qd160 [2/11]
憂「そうだね……うん」
なんとなく答えてしまいますが、こうしていていいのかも分からなくなってきました。
和ちゃんはたぶん気づいてるんだと思います。
だから「そういうこと」を続けるのはお姉ちゃんのためにならない。
今日の和ちゃんは私にそれを伝えたかったのでしょう。
お姉ちゃんが引きこもりになってからの半年。
それは私にとってかつてないほど、どうしようもなく甘い一時でした。
……いや、ダメだ。
これはお姉ちゃんの回復のためなんだ。
私は理性を働かせようと、お風呂場の方に声を投げかけました。
憂「――やっぱ今日は一人で入る!」
67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:21:29.95 ID:hL02qd160 [3/11]
しばらくして、お姉ちゃんがお風呂から上がった後に私も一人で湯船につかりました。
ここ最近、お姉ちゃんとお風呂に入ることが多かったので一人でこうするのは久しぶりです。
うなじに胸元、二の腕を通って指先を一本一本洗い流す――自然とお姉ちゃんが私を洗うようにしてしまいます。
けれど、いつもと違って背中から伝わる熱はありません。
意識するとよけいに一人に思えてきてしまうので、シャワーの蛇口を力をこめてひねりました。
目をつむった中で温水に打たれながら、難しい考えを一度洗い流してしまおうとします。
ですが水に当たっているとさっきの夢を思い出してしまって、思わずシャワーを止めました。
……誰もいません。
水音が消えたお風呂場は、やけに静かに思えました。
なにかで埋めなければ耐えられなくなるほどに。
68 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:34:23.69 ID:hL02qd160 [4/11]
頭と身体を自分の手で一通り洗い流してから、ゆっくりとお湯につかります。
温かい水が身体中に沁み込み、私の全身を暖めてくれます。
ですが浴槽の反対側に手を伸ばすとあるはずのやわらかい肌は、今日はありません。
なんとなく、目をきゅっとつむって湯船の中に頭を沈めてみます。
そうしたら自分が金魚ばちの中のたーくんになったように思えて少し楽しくなりました。
一人では広く感じる浴槽の中で、さっき見た夢のように自由に泳ぐ姿を想像してみます。
どこまでもどこまでも深く。暗い海の向こう側へ。
『海の向こう側には、幸せが待っている。』
顔の分からない優しそうな人たちが口々にそんな言葉をかけるイメージが頭をよぎります。
とみおばあちゃんや和ちゃんも手を叩いて応援してくれている気がして、私は深く深く潜っていくのです。
けれど――いつまで経っても、お姉ちゃんの声は聞こえませんでした。
71 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 10:53:04.88 ID:hL02qd160 [5/11]
憂「――ふぅっ」
声が聞きたくなってしまって水の中から顔を上げます。
浴室の照明に目が慣れず、まばゆさにくらくらしてしまいました。
私はどのくらい浴槽に沈んでいたのでしょうか。
水から顔を上げると急に狭い世界に閉じ込められたように感じます。
けれども程よく狭い水の中はかえって居心地がよく、泳ぐ気も薄れてしまいます。
たーくんのような魚が捕まえられて飼育されるときも、こんな感覚なのかもしれません。
憂「……お姉ちゃん」
ダメだ。
やだよ、ひとりでなんていられないよ。
お姉ちゃん、なんでお風呂にいないの?
身体の奥に空いた穴は私を乾かしていくようで、息が詰まります。
その穴はたぶんお姉ちゃんの腕の中でしか埋められないものなのです。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
甘い日々に我をうしなって、すでに身体のどこかが壊れてしまったからなのかな。
……いや、私に限ってはもっと前から壊れていたのかもしれないですけど。
お風呂を出た私はその晩、結局お姉ちゃんの部屋に行ってしまいました。
本当にごめんなさい。
73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 11:28:00.54 ID:hL02qd160 [6/11]
夜遅くに目が覚めるとお姉ちゃんのやわらかい腕に抱かれていて、それだけでずいぶん満たされるものです。
重ねた肌と、溶け合わせた汗。眠りに落ちる前に繋いだ手は、今日はまだほどけずにいてくれました。
お姉ちゃんはすっかり眠ってしまって、はだけた布団を掛けなおそうともしません。
その呼吸に合わせて上下する胸にゆっくりと頭を乗せて、心臓の音を聞いてみたりします。
胸の奥から響く一定のリズムは私の頭をなでる時のように優しくて、空いた方の腕でもう一度お姉ちゃんを抱きしめました。
憂「お姉ちゃん……あいしてる」
身体を少し起こして、目を覚まさないようにゆっくりとキスしました。
暗い部屋で目を閉じると唇の感触がいっそう強く響くようで、私はもっとお姉ちゃんを求めたくなってしまいます。
そして、その度に自分がとても気持ち悪いものに思えて耐えられなくなるのです。
74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 11:56:06.60 ID:hL02qd160 [7/11]
身体を重ねるようになったのは、お姉ちゃんが不登校になった辺りからです。
あの頃はおたがいにどうしていいか分からず、ただ抱きしめなきゃいけない気がして、気づくとここまで来てしまいました。
求められたくて、お姉ちゃんそのものが欲しくて、すがるようにそうしてきました。
お姉ちゃんも私のバラバラになりそうな心や身体の輪郭をなぞるように、崩れそうな私を集めて守るようにして抱いてくれました。
それはセックスの時だけではなく、例えば一緒にお風呂に入る時もそうです。
お姉ちゃんは私の身体を丁寧に――変な言い方ですが、溶けていく私を身体に集めてしまいこむようかのように指先から爪先まで洗ってくれるんです。
昔から好きだったのに、そんな風にされたらもっと好きになっちゃいますよ。
もう一秒たりともお姉ちゃんから離れたくない自分もここにはいます。
だから、ときどき思ってはいけないことまで考えてしまうんです。
たとえば、お姉ちゃんがずっとひきこもりでいてほしい、なんて。
75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 12:06:39.74 ID:hL02qd160 [8/11]
憂「……最低だよ、私。しんじゃえばいいのにな」
自分を傷つけるナイフのような言葉を、わざと口に出してみました。
なにか罰を受けたくなったんです。
今もお姉ちゃんを抱きしめている自分が、どうしようもなく思えて。
セックスはすばらしいものだと言う人がいます。
だけど私はうまくそう思えません。
今さら「女の子同士だから」とか「姉妹だから」なんて考え直せるほど私は強い人間じゃないですけど、だからって全てを肯定する勇気もありません。
甘い蜜のような快楽は一瞬だけすべてを忘れさせてくれます。
けれども理性を溶かすような快楽が終わって、祭りの後のように一人目覚めたとき。
逃げていた現実に急に引き戻され、打ち揚げられた魚みたいに呼吸の仕方すら分からなくなるんです。
私は、せっくすがきらいです。
すきだけど、やっぱりきらいなんです。
矛盾してますよね。身体がバラバラになりそうなぐらいに。
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 12:37:15.10 ID:hL02qd160 [9/11]
布団の奥で足を絡ませながら、お姉ちゃんの心音をずっと聞いていました。
肌の感触と体温とが私を安心させてくれるけれど、同時にお姉ちゃんを閉じ込めているようにも感じます。
息苦しさを感じると空を見上げたくなるものですよね。
お姉ちゃんから見せてもらった不登校の方のブログに空の写真が多いのもそういう理由かもしれません。
たとえ狭いディスプレイの中の空の画像でさえも、水草から浮かぶ気泡のように意識をゆらゆらと浮かばせられる気はするのでしょう。
お姉ちゃんにしがみ付くように肌を重ねたまま、窓の外の空に目を向けました。
今夜は満月のようです。薄い雲ににじんだ月明かりが、雲の動きによって揺れ動いて見えます。
もし、あの窓ガラスが私たちを外とを隔てた壁だとすれば。
私たちもたーくんと一緒で、この家という小さな金魚ばちに閉じ込められているのかもしれません。
そうして私たちは外での泳ぎ方を忘れて、ここで息絶えてしまうのでしょうか。
閉塞感の心地よさが怖くて、私はその夜うまく寝付くことが出来ませんでした。
ぼんやりと眺めた窓ガラスの向こう側。
月明かりは雲の波間に浮かんで、いつまでも揺れていたのでした。
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/22(水) 12:39:00.58 ID:hL02qd160 [10/11]
◆ ◆ ◆
憂「・・・・・ごめんね。変な話、聞かせちゃって」
梓「いいよ、私と憂の仲じゃん。それに唯先輩は私にとっても大事な人だし」
憂「ありがとう。じゃあ、続き話してもいい?」
梓「うん。……憂は大丈夫?」
憂「へいきだよ。ありがと、梓ちゃん。……それでね、」
78 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 12:40:39.76 ID:hL02qd160 [11/11]
なんとかきりのいいとこまで着いたのでちょっと休む
ここでスレ落ち
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