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キョン「朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていた」

1 名前:(0/0)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:13:50.12 ID:6w1XGp9Q0

前置き。

それなりに長編になると思います。
一応すべて書き終わっているので規制とかトラブルとかない限りは完結できると思います。
それなりに長いので数日かもうちょいかかると思いますがどうぞお付き合いください。
一応投稿順にメール欄で章と節とに区切ってあります。
章の最後には通し番号の後にEndマークをつけます。「(1/1end)」のように表記します。
改行作業と並行するので一応エディタで見切れなど注意していますが
ミスがあった場合流れ上再投稿はできませんのでおかしいところに気づかれた方は一報ください。
次回以降の投稿に反映します。
なるべく連投は避けたいのと改行作業の都合で投稿に間隔が開くことがありますが
その日の分が終了する際は本日分は終了ですとアナウンスします。
なるべくキリのいいところで終わるように調節します(主に眠気など)
当日の急用などで書き込めないことはあるかもしれませんが基本的に
11時以降、日付変更前後の投稿を予定しています。
スレが残っている場合は携帯などでその旨を報告します。
ただ規制されている場合はご容赦ください。
次回以降メール欄は「投稿者名@投稿時のID(通し番号)」ように表記します。


前置きが長くなりましたがそれでは本編の投稿を始めたいと思います。
数日の間気を長くお付き合いいただければ幸いです。

それではどうぞ──

9 名前:オープニング(0/1)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:20:09.01 ID:6w1XGp9Q0
昨日まで何もなかった。
いや、いつも何かしらの事件はあるんだがまぁ今まで通りの何かしかなかったんだ。
ハルヒの相手をして、長門や古泉に助けられて、朝比奈さんは可愛らしくて愛らしくて。
そんないつも通りの何かだ。
何があったのか気になるってんなら聞くべきだ。本当に驚くべきことだ。
世界が突如平和になったとか朝起きたら仮面ドライバーになっちまってたとかそういう次元じゃない。
もっと身近なことだ。だがありえない度ではそれに引けを取らないと言っていいね。
いいか、言うぜ?


朝起きたら鶴屋さんが隣で寝ていた。

わけがわからなかった。


15 名前:(1/1)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:25:38.36 ID:6w1XGp9Q0
俺は完全に呆気に取られて数十秒間現状を受け入れることができなかった。
鶴屋さん「あふっ、う~ん……くあっ」
鶴屋さんは猫が起き抜けにするような欠伸をすると目を瞑ったまま伸びをする。
まだ半分夢の世界でうにゃうにゃと戯れているようだ。
寝返りをうったその手が俺の足に当たり鶴屋さんはうっすらとまぶたを開く。
呆然とする俺を眠そうに見上げる鶴屋さん。
二三度まぶたを擦って大きく伸びをすると「おっすっ!」と元気一杯に俺に笑いかけてきた。
鶴屋さん「キョンくんおはよっ! 今日も爽やかでいい朝だねっ。にゃははっ」
爽やかに挨拶されてしまった。ますますわけがわからなかった。
鶴屋さんはにこやかに笑っている。俺が隣にいることを不思議がる様子もない。
だがこんな状況は俺と鶴屋さんが何か突発的で事故的な状況に巻き込まれているんでなければありえないことだ。
鶴屋さんはなぜにさも当たり前のように挨拶を?
考えれば考えるほどますますわけがわからなくなった。
キョン「つ、鶴屋さん、なんでウチに、ってか俺の部屋にいるんですか? そして何故に俺の隣で寝ているんですか……」
鶴屋さんはキョトンとしている。言葉の意味はわかっているが質問の意味はわかっていないというように。
鶴屋さん「キョンくんとあたしはずっと前から一緒にょろ。同じベッドを使う寝床仲間さっ」
え……? いや、でも鶴屋さん、自分の家があるでしょう。
俺は人間の視力の限界を試しているかのように延々と続く塀を思い出す。
趣ある純然たる日本家屋に想像もできない悪事を連想したものだ。俺はよーっく覚えている。
鶴屋さん「うん、あるよっ。でもうちはうちさっ、あたしが寝るとこはここだよっ」
俺は目眩と共に一種の安堵を覚えた。
もし俺がうっかり──うっかりってなんだ──鶴屋さんを誘拐して抱き枕替わりに持ち帰ったんだとしたら。
俺の背筋を冷たい汗が伝う。
俺は目覚めた鶴屋さんに鶴屋流古武術であっという間に取り押さえられお縄を頂戴し連行されて
地元の名家のお嬢様を誘拐しあまつさえ添い寝をした不埒者として家族共々世間につるし上げられた挙句……
いやそんなのはまだ生ぬるい、それがニュースになれば究極的懲罰として
ハルヒに存在自体初めからなかったことにされてもおかしくはない。


17 名前:(1/2end)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:28:47.49 ID:6w1XGp9Q0
だがそんな一瞬にして脳裏をよぎる走馬灯が如き不安は杞憂だろう。
少なくとも今目の前のこのお方は俺の隣で寝ていたことにまったく違和感を感じていないようだからだ。
今すぐ社会的にも存在的にも消え去ることはないだろう。あくまで今すぐとしか言い切れないのだが……。
鶴屋さんは俺のなんとも言えない複雑な表情を覗き込んで不思議そうにしている。
それでも何かおもしろそうなことを期待しているのだろう。
若干姿勢が前のめりで、って胸元はだけてますよ鶴屋さんっ!? ボタンを、ボタンを閉じてください!
鎖骨が、胸元が見え、ってそれ俺の制服のYシャツじゃないですかっ!? うれしい、じゃなかった困ります!
だがそんな一喜一憂はさておき今は聞くべきことがあるんだった。
キョン「あぁ、なるほど。お、俺の家はきっと何かしらの経済的な理由で鶴屋家のものになったんですね。
そ、それでこの部屋は実はもう俺の部屋じゃなくて、鶴屋さんの個人的な寝室で、
それに気づかずにうっかりいつもどおり迷い込んだマヌケがこの俺、と、
そういうわけですよね。あっはは……は……」
どんなにムチャクチャでもそう思うほかない、そう思うほかはないのだ。
とりあえず超常現象以外の納得できる現実的な説明が今の俺には必要だ。
それでも十分非現実的だが。いや、待て。さっき不吉な言葉を耳にした気がする。
思い出せ。たしか、ずっと前から一緒……とかなんとか。寝床仲間、とかかんとか。
鶴屋さん「ううんっ、違うよっ」
鶴屋さんは満面のはにかんだ笑顔を見せると、
鶴屋さん「あたしが寝るとこは決まっているのさっ。それはキョンくんのとなりっ、ずっと前からそうにょろよっ?」
屈託なく笑ったのだった。


22 名前:(2/1)[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:32:58.81 ID:6w1XGp9Q0
妹が起こしに来るまでもなく俺は起きていた。
なによりも驚いたのは目の前で一緒に朝食を取っている鶴屋さんに対して妹も、
家族の誰もが不自然さを感じていないことだった。
和やかで賑やかな朝の談笑に混じって異様にテンションの高い鶴屋さんが料理の腕を褒め称える歓声が木霊する。
俺はひたすら訝しげな目つきで家族を一瞥したきりもくもくと箸を口に運んでいる。
なぜだ、ここはいつぞや迷い込んだパラレルワールドなのか?
だが今のところ確認できる相違点は俺と鶴屋さんが相部屋同衾しているという一点だけだ。
妹ちゃん「キョンくん目つきわるーい、もっとニコニコってしなよー。そんなことじゃ鶴屋さんに嫌われちゃうよ」
鶴屋さん「妹ちゃん、わかってないなぁ。キョンくんは今、七人の敵との戦いに備えて精神を統一しているのさっ」
妹ちゃん「え、そうなの?」
鶴屋さん「そうっさっ! 男には人生で倒すべき敵が七人もいるからね、
      今日あたりその何人目かと遭遇する予感をキョンくんは肌で感じ取っているのさっ」
鶴屋さんがむちゃくちゃを言う。
もしこの異常事態が我が家に限ったことなら世界のすべてを敵に回しそうな気がするんですけど。
俺は最初に口をつけた焼き魚を飲み込む気にもなれずひたすら噛み続けてしまっている。
手をつけないのも不自然なので新しいおかずを口に運んで平静を装っているが、
うぷ、そろそろ限界かもしれない。
口をげっ歯類のようにふくらませた俺を見て鶴屋さんがケラケラと笑った。
本当にこの人は笑い袋みたいな人だな。妹に何か言われた気がしたが耳に入らなかった。
口の中も頭の中もカオスに支配されていたからだ。
鶴屋さんの鞄も靴も制服もすべて俺の部屋にあった。
さすがに着替えまで同室ではなく、いや、決して残念に思っているわけではないぞ。うん。


24 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:36:08.08 ID:6w1XGp9Q0
門口で見送る母親に鶴屋さんが
「いってくるっさ~っ!」
と景気よく出発の挨拶をした。
俺は見送られたことなんて一度もないぞ。
まぁ相手が鶴屋さんなら見送りたくもなるというものだ。それは認める従える。
鞄を肩に乗せてダラダラと坂を下っていく俺のすぐ横に鶴屋さんがいる。
勢い良く鞄を振り回して大股で俺の歩調に合わせ、何か陽気な歌を口ずさんで、
いや叫んでいたのだが何の曲かはわからなかった。
キョン「あの~、鶴屋さん、ちょっといいですか」
鶴屋さん「なんだい、キョンくんっ」
キョン「俺と……鶴屋さんってなんで一緒に暮らしてるんでしたっけ……?」
いきなりで直球すぎる質問だとは思ったが、いちいち遠回りに探りを入れている余裕もない。
今ここで聞けることならこの場で聞いてしまいたい。少なくとも学校に到着するまでには。
それに鶴屋さんなら知っていることなら正直に答えてくれそうだという期待からだ。
思考するにも情報が足りなさすぎる。今はあなたの答えだけが頼りです、鶴屋さん。
鶴屋さん「ん~っ、そうだね。理由……かぁ」
鶴屋さんはしばらく考え込むように路傍を見つめたあと、少し照れくさそうに笑った。
鶴屋さん「一緒に居たい……からかなっ、たはは、ごめんねっ。こんな答えでさっ」
俺はなんとも言えない脱力感に襲われ目眩がした。
と同時に足元から地面がなくなって一瞬浮き上がったような錯覚を覚えた。
突然前のめりになり思いっきりたたらを踏んだ。足が痺れて痛む。
下り坂だというのに間抜けにも足の置き場を間違えたらしい。
有益な情報を得られなかったからか、いや、それだけじゃない。足元がおぼつかなくなっちまった原因は。


25 名前:2/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:39:04.92 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「参考になったかいっ?」
なぜに嬉しそうなんですかあなたは。
そしてなぜに両手を組んで恥ずかしそうに? あれ、なんだこの雰囲気。え。
鶴屋さん「早く行かないと遅れちゃうよっ。キョンくん、ここからはダッシュだ!
      先に着いた方が勝ちだぞっ、待ったはナシにょろっ!」
え、ちょっと、鶴屋さん待って──。
鶴屋さん「よぉーーーい、ドンっ!!」
鶴屋さんは風のように坂道を駆け下っていく。ちょ、速いですよ、ってか時速何キロ出てるんですか。
ジューマン・ボルトも真っ青の世界新でも作るつもりですかあなたは。難易度設定はないんですかっ。
俺はひいひい言いながらなんとか着いていく。
時々鶴屋さんが速度を落としてくれていたのは考えるまでもない。
時々振り返る彼女のその頬がいつもより赤く染まっているように見えたことは、
単なる錯覚や、光の悪戯や、激しい運動をしているからではないように思えた。
個人的に。これ重要。

27 名前:2/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:42:26.00 ID:6w1XGp9Q0
とりあえず学校の玄関口で鶴屋さんとそれぞれの教室へ別れた跡いつものように一年五組に入る俺。
先に着ていた谷口と国木田の挨拶に適当に返事をすると窓際の自分の席に座った。
当然ハルヒなどはとっくの昔にいましたよと言わんばかりに外の景色を眺めている。
なんだ、いつも通りじゃないか。あの朝の喧騒が嘘のようだ。
だがいつも通りでない状況がここにも一つだけあった。
ハルヒ「なによ、キョン。汗臭いわね。こんな朝っぱらから何、
     運動の喜びに目覚めたのなら体操着でやりなさいよね。
     後ろでその臭いをかがされる身にもなって欲しいわ」
さすがにこれはハルヒでなくともそう思う至極一般的な感想である。
普段坂道を降りる登る、チャリで走る以外に特に運動などしていない俺である。
高校に入学してからたまにものすごーく走らされたり球技に駆り出されたりことは何度かあったものの、
それは日々の鍛錬とは無縁のものであって俺自身のパラメーターを上昇させるには至っていないのである。
たぶん今の俺の素早さは8ぐらいだ。うん。
キョン「なぁハルヒ、何か変わったことはないか?
    例えば朝起きたらすんげー美少女と添い寝してたとかかんとか」
ハルヒ「はぁ、なによそれ。あたしがなんで美少女と添い寝しなきゃなんないのよ。
    第一それはあんたのくだらない妄想でしょ。
    人生の先行きに悩んでいるならもっとマシなことにエネルギーを使いなさいよね」
まぁ最初の質問は俺自身の気持ちを和ませるための軽いジャブみたいなものだ。
マジで込み入った話なんてこいつにできるわけがない。
話したら最後、面白半分にかき回されるか、挙句、処刑台に送られるかもしれない。
くわばらくわばら、触らぬハルヒに超常現象なし、である。
もっともハルヒの場合触らなくても罰があたったりするから理不尽なのだが。
そう思っていると後ろでハルヒが何かを思い出したように両手を叩いた。
ハルヒ「そうそう、鶴屋さんは元気? 明日の放課後部室に来るようあんたから言ってくれない?
    みんなでワイワイ鍋パーティーでもしようかと思うのよね」

29 名前:2/5end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:44:35.72 ID:6w1XGp9Q0
このときの俺の目を外から見たら皿のようでした、といわれても納得できる。
眉尻の感覚がなくなるほど俺の両目は見開いていた。
と同時に口元はだらしなくゆるんでいたようでポタリと唾液が滴った。しまった、と思ったよ。
ハルヒ「なによ……あんたってそんなに鍋大好き人間だっけ……」
ハルヒのなんだか哀れな牛を見るような目。あの流れならそうなるわな。
ただ俺はそんなことよりも鶴屋さんのことがハルヒの口から出たことに驚きだ。
なんだ、こいつもなのか、なら谷口や国木田やクラスの全員や学校の教師やまさか、
長門や朝比奈さんや古泉もなのか?
いや、そう思うにはまだ早い、そう思うのは会って実際に話をしてからだ。
キョン「あの~、ハルヒさん?」
ハルヒ「なによ、鍋奉行をやりたいってんならさせないわよ」
キョン「なぜに朝比奈さんではなく俺に鶴屋さんを呼んでこいと……?」
ハルヒは呆れるように今更何を言うのかという表情で俺を見据える。
ハルヒ「はぁぁ? 何言ってんの? あんたと鶴屋さんおんなじとこに住んでるんでしょ。
    だったらあんたに頼んだ方が手っ取り早いからに決まってるじゃない。
    それに同じ手を煩わせるならみくるちゃんよりあんたにした方がいいからよ。
    第一平団員のくせに──」
ハルヒの言葉で記憶に残っているのはここまでだ。
俺の体は驚愕と戦慄で一切身動きが取れない。
冷たい汗が背筋を伝っていくのがわかる。
あぁ、とかうぅ、とか返事はするのだが、言葉にならない。
ハルヒ「ちょっと聞いてるの、だいたい団長に対してあんたは普段から態度が──」
すまん、ハルヒ。お前の言葉がわからない。

31 名前:3/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:48:13.38 ID:6w1XGp9Q0
ただでさえ俺のなけなしの処理能力は日々の喧騒で手一杯だというのに、その上授業についていかなきゃならん。
俺の成績が壊滅的なのは言うまでもない。赤点ギリギリなことすら上出来とさえ思える。
特に今みたいな状況が現在進行形で継続しているならなおさらだ。
ハルヒじゃないが俺は外の景色をぼんやりと眺めていた。
何度か教師に頭を叩かれ、谷口に女子の運動着姿でも眺めてたのかとからかわれる。
それでも俺の意識は教室の外に漂ったままで視線はどこを捉えるでもなく泳ぎ続けていた。
成績のことなど考えたくもない。
休み時間、授業、何度目かの休み時間、何度目かの授業、昼休み、放課後。
ハルヒは気がついたら居なくなっていた。
何度か背中をつつかれたような気がしたのだが、それも曖昧な記憶だ。
俺はのたのたと教科書をしまうと鞄を抱えてSOS団の部室へと向かった。
長門、朝比奈さん、古泉、お前らは、大丈夫だよな?
(もしあいつらまで変わってしまっていたら?)
いつぞや俺たちの世界が消失したときのことを思い出す。すべてが変わっていた世界。
俺以外の誰一人として記憶を留めていない世界。
普通のおとなしい文学少女になっていた長門。
ハルヒはあんまり変わってなかったな。
古泉はなんというか、うん、いつも通りだったな。
そして俺を怯えるような目で見ていた小動物のような朝比奈さん。
確かあの時俺は無理に朝比奈さんに迫って困らせちまったんだったな。
どういうわけか朝比奈さんだけは変わっていないと信じたかった、いや、すがりたかったんだ。
あの時の虚脱感は忘れようもない。
確かその後、鶴屋さんに腕を捻り上げられて、追い返されたんだったな。
俺の知っている奴らが俺だけ置いてさっさとどっかに行っちまって、それぞれ勝手にいつも通りの日常を過ごしていて。
いや、あれは俺が本来歩んでいた、過ごすと思っていた日常にほとんど近いものだった。
いつの頃からか俺は非日常なんて絵空事の子供だましで、
ごくごく平凡な日常の中にしか幸せってのは存在しないものだと思っていた。
寂しかったんだよな。
正直、寂しかったんだ。

33 名前:3/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:50:49.23 ID:6w1XGp9Q0
ハルヒは相変わらずだったし、古泉の胡散臭い顔つきも相変わらずだった。
長門は──うん、あの表情は俺の脳内画像フォルダに大切にしまってある。
朝比奈さんも自分の未来ではあんな風だったのかな。
SOS団の存在しない世界。
当然荒川さんとも森さんとも顔見知りじゃない、それに、鶴屋さんとも。
今俺の部屋で寝泊まりしているあのお方は俺のことなんて知りもしない。
俺は背景の一部で、朝比奈さんに迫る邪魔者で。

なんだ、これ。
なんなんだ、これは。

俺が望んでいたのは当たり前の日常だった。
じゃぁこれは当たり前の日常じゃないのか?
宇宙にふわふわ漂ってる意識だけのアメーバみたいな思念体がいて、
未来から使命を負った可愛らしいターミネーターがやってきて、
世界を守る為に血みどろの戦いを繰り広げている(自称)の超能力機関の三者三様で小競り合っている。
おまけにゴッド。それもどうしようもない性悪のゴッドだ。
しゃべる猫。バカな妹。まるで漫画の中から出てきたような大金持ちの美人の先輩。
異様に賑やかでまるで終点をなくしたジェットコースターのような世界。
あれ、なんだこれ。
これは、俺の当たり前の日常じゃないのか。
なぁ、お前ら。また俺を置いて居なくなっちまったりしないよな?
なぁ。

35 名前:3/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:55:02.33 ID:6w1XGp9Q0
>>32
ゴメン、気を付ける。慣れてなくてホントスマソ


SOS団の部室。その扉の前で俺はながながと躊躇っていた。
今の俺の状況は特に危機的というわけではない。
正体不明の敵や勢力に攻撃されているわけでもなければややこしい謎解きをする必要もない。
必要なのはただ訪ねることだ。そして意見を交換する。そして俺の疑問を誰かと共有する。
そう、それだけでいいのだ。
俺は意を決してSOS団の扉を開く。
おや、今日は遅いですね、どうされましたか。と古泉。一人でオセロをやっている。面白いか?
朝比奈さんは俺を確認すると手早くお茶を作って出してくれた。
軽く挨拶をする。今日も御姿がまぶしいですよっ。
長門はいつもの場所でいつも通りに俺の知らない小難しい本を読んでいた。
なになに、不確定性原理、ハイゼンベルクの散乱パラメータ……だめだ、わからん。
お前の興味は俺にはレベルが高すぎる。
俺は何気なくさりげなーく訪ねることにした。
いきなり訪ねてまともな答えが帰ってくるという期待はもう持てない。
さりげなーく、自然に、ナチュラルに、ごく普通に訪ねるのだ。
俺は古泉のオセロの相手をしながら二言三言言葉を交わす。とりあえず冗談は極力抜きにしよう。

キョン「なぁ、古泉。少し聞きたいことがあるんだが」

古泉「なんでしょう。僕とあなたの仲ですから、なんでも言ってください」

いちいち気持ち悪い言い回しをしないと気が済まないのかお前は。

キョン「一人で眠りに着いたはずなのに朝起きたら隣で誰か寝ていたとしたら驚くよな?」

古泉「そうですね。まずは自分の正気を疑って、次に一人で眠りについたという自分の記憶を疑いますね」

38 名前:3/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 00:58:09.74 ID:6w1XGp9Q0
古泉は特に驚いたという風でもなく笑顔を絶やさず淡々と答える。

古泉「まぁ、隣で眠っていた相手が男性か女性かで大きく意味が変わってくるかと思いますが」

どういう意味だそれは。

古泉「おや、寝ている間に寝床に潜り込まれるという夜這い的なイベントのことでしたか?
   私はまたてっきり何かしらの異常現象がらみかと思っていましたが……
   どうやらもっと楽しそうなお話のようですね」

いやいやいや、合ってるよ、それで合ってるよ!
どうか俺を素敵な妄想少年に認定しないでくれ。頼むから。

古泉「おやおや、年頃の高校生がなんと夢のない。もっとも、夢と現実のどちらに属しているかというと、
   あなたは間違いなく夢の方ですよね。二重に夢を見るというのも難しいことなのでしょうか」

古泉、俺とお前は一応同い歳だよな? 実は若作りのもういい歳でした、なんてことないよな?

古泉「えぇ、もちろん。しかしどうしてそのような質問を?」

少なくとも突然朝目覚めたら隣に誰かが寝ていた、という状況を異常と感じることに同意は得られたようだ。
もしこの世界が朝起きたら突然誰かが隣に寝ているどころか
突然同居していたことがよくあるようなことだとされているならこんな返事は返ってこないだろう。
一先ず一歩前進だ。

39 名前:3/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:01:28.07 ID:6w1XGp9Q0
キョン「じゃあな、古泉。それがもし知っている相手だったとしたら?」

古泉は口元に手を置いてしばし考えるような姿勢になった。

古泉「ふむ。それは相手が誰か、ということにもよりますが。たまたま行きずりの他人と同衾してしまった、
   という一夜の間違いではないとしたならば、少々厄介ですね。
   後々の人間関係にまで不可逆の影響を与えることになるでしょう」

俺が心配していることはまさにそれだ。
赤の他人というならば忘れてしまえばいい。
だがそれが朝比奈さんの友人でSOS団のメインスポンサーとも言える鶴屋さんなら話は別どころの騒ぎじゃない。
例えそれが朝比奈さんを、SOS団を挟んだ上での付き合いだったとしても。
そういえば俺個人で鶴屋さんと一対一の関わり合いを持ったことなんてなかったな。
俺と鶴屋さんとの関わりの間には常にSOS団の活動や頼みごとがあった。
友達、でもない、知り合い、ではある。だがまったくの他人というわけでもない。
と言うにはお世話になり過ぎている。まぁ世話になっているのはSOS団として、なのだが。
それがどうして俺のところに?
鶴屋さんは先輩として素晴らしい人である。それは一抹も疑念を挟む余地がない。
一方俺はというと後輩としてもその、なんだ、男としても一切見る所のない一般ピープルである。
周囲の異常に対する経験値は常人より若干上ではあるが俺自身は至極普通の高校生である。
そう自分で断言できることが少し泣けてくるのだが。
俺と鶴屋さんの接点ってなんだ。

40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:04:05.31 ID:6w1XGp9Q0
SOS団以外の、朝比奈さん繋がり以外の接点ってなんだ。わからない。
そんなものは考えたところで初めからないのだろうか。
そう思うと少し寂しい気がするな。あれだけの騒ぎの中にいて俺はハルヒや長門や朝比奈さんや古泉を通してしか
人間関係を広げていない。もといそれにかかりっきりで他になにができたというわけでもないのだが。

キョン「なぁ、古泉」

うだうだ考えてても埒が開かねぇ。
俺には今目の前でニヤついている超能力者や未来人や宇宙人という心強い仲間がいるじゃないか。
例えそうじゃなくても、話を聞いて、意見を交換して、考えを聞いてもらって、知恵を貸してもらうことはできる。
そうだ、恐れることなど何もない。言うんだ、がんばれ俺。

キョン「朝起きたら突然鶴屋さんが隣で寝ていた。これって異常だよな? 問題だよな?」

古泉はまったく考え込む風でもなく、表情を些かに崩すこともなかった。

古泉「それのどこが異常で問題なんですか?」

俺は目の前が真っ暗になった。
気がついたら俺は伝説の勇者で父親を探す旅の途中に倒れヒゲもじゃの王様に蘇生してもらったばかりだとしても
何も驚かないだろう。
がんばれ。おれ。

41 名前:4/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:07:48.73 ID:6w1XGp9Q0
正気を取り戻した俺は古泉に喰ってかかった。

キョン「なんでだよ、どうしてだよ、わけわかんねーよ!」

古泉「そう言われましても。私にはあなたの質問の意味がわかりかねます」

キョン「だから、年頃の男女が同じベッドで寝起きしているってのは不自然で異常で問題だろう!」

古泉のなんだか珍しいものでも見るような視線が突き刺さるように痛い。なんだその含み笑いは。

古泉「いやぁ、あなたは結構昔風の考えを持っていたんですね」

キョン「な、な、な、なにぃ」

古泉「年頃の男女であればむしろそうあることは自然であると言いますか、
   互いにそれを望んでいる二人が一緒にいることは至極当然のことでしょう」

いや、そうじゃなくてだな。

古泉「わかりますよ、あなたはそうした生活が周囲からどのように思われているか気になってしまうんですよね。
   自分の頭がおかしいんじゃないか、世間に吊るし上げられたりしないだろうかとね」

よーっくわかってるじゃねぇか。俺の小市民的思考回路をよ。

キョン「おい、古泉。さっきの質問に付け加えたいことがある」

古泉はなんでしょうと微苦笑する。
あれはすごくダメな子を見る目だ、そしてそのダメな子を優しく導いてあげようという庇護者の目だ。くそう。

古泉「無理のないことです。あなたと鶴屋さんのことで何か悩みがあるのでしたらなんでも相談に乗りますよ」

43 名前:4/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:11:38.98 ID:6w1XGp9Q0
キョン「お前の考えは基本的なところで俺とほとんど変わらないことはわかった。
だが、俺は鶴屋さんと寝起きを共にしていることを異常だと思っている。
けどお前はそう思ってないんだよな?」

古泉「その通りです」

キョン「なぜだ?」

なぜだ。そこが一番のポイントだ。ここでまともな答えを聞けなければ俺は思考の迷路に落ちちまう。
今はお前の答えだけが頼りなんだ。頼むぞ、頼むぞ古泉。古泉くん。

古泉「それはあなたと鶴屋さんだからです」

俺がずっこけたのは言うまでもない。
いや、正確には椅子からも落ちなかったし一ミリたりとも滑ってはいないのだが、
なんかこう、気持ち的に宇宙の果てまですっ飛んでいった気分だ。
俺の公序良俗的感覚は例えるなら適当に動かしすぎて元に戻せなくなったルービックキューブのごとき惨状で
もはや取り返しのつかないところまでひっかきまわされてしまった。常識、カンバック。
こうなったら長門や朝比奈さんにも訪ねるしかない。

キョン「長門!」

長門は俺の言葉に反応し読んでいた本を静かに閉じるとこちらを向いた。

キョン「俺たちの話を聞いていたよな。お前はどう思う?」

頼む、長門。お前が何かしらの異常事態を感知していないんだとしたら、もう俺にはどうしようもない。

44 名前:4/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:14:20.69 ID:6w1XGp9Q0
長門「不自然なところはなにもない。」

ナガートス、お前もかっ。

みくる「あ、あの……」

さっきから視界の隅で事の成り行きを見守っていた朝比奈さんが口を開いた。

みくる「あの……キョ、キョンくんは鶴屋さんと居るのが 嫌なんですか……?」

朝比奈さんは今にも泣きそうな顔で俺に訪ねる。これには一も二もなく首を横に振った。
滅相もありませんっ。朝比奈さん、あなたを泣かせるわけにはいきません。

みくる「よかったぁ……」

朝比奈さんは安堵のため息をついた。朝比奈さんを泣かせずに済んだので一先ず俺も安心した。
同時にこの状況に対して間違っているとは思うのだが
内心ではそれほど嫌がっているわけではない自分を認識するハメになった。ううん、年頃の俺め。
そして今ここにハルヒがいないことに感謝する。
朝比奈さんを泣かせたとあってはどのような教育的懲罰を受けるかわかったものではない。
そういやあいつどこに行ったんだ。
突然大きな音がして部室の扉が開かれた。
そこに立っていたのは何を隠そう我らの団長涼宮ハルヒである。

ハルヒ「あぁ、なによキョン。あんたを探しに一旦教室まで行っちゃったじゃないのよ。
部室にいるなら部室にいるって最初に言いなさいよね」

こいつは無茶しか言わんなほんとに。

45 名前:4/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:17:19.28 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「やっほ~いっ、あたしもいるよっ」

って鶴屋さん!? ハルヒ、お前鶴屋さんを探しに行ってたのか。

ハルヒ「そうよ。あんたがいつまでもフラフラフラフラ揺れてるだけで一向に動く気配がないから自分で迎えに行ったわよ。
    だいたいなによあんた。鶴屋さんずっと下駄箱であんたのこと待ってたっていうのに。ひどいんじゃないの」

え? 鶴屋さんが、俺を下駄箱で? え?

鶴屋さん「まぁまぁハルにゃん、キョンくんは今朝からちょっと調子が悪いっさ。だから大目に見てやっておくれよっ」

鶴屋さんのフォローでなんとか納得したようで、ハルヒは俺への攻撃の手を緩めた。

キョン「すまん、ハルヒ。鶴屋さんへは家に帰ってから電話で……じゃない直接話そうと思っていたんだ」

ハルヒ「何言ってんのよ。材料は今日買って明日持ってくるんだから打ち合わせは放課後にしとかないといけないでしょ。
    そんな当たり前のことぐらい予想しときなさいよね」

ぐぐっ、言われてみればその通り。俺もヤキが回ったな。

ハルヒ「ったくこのダメ人間! ろくでなし! 甲斐性なし! ミジンコ! 万年平団員!」

いや、SOS団に入ってからまだ一年経ってないだがな。

ハルヒ「どーでもいいわよそんなこと。
    それよりも許せないのはな・ん・で・鶴屋さんを放ったらかしてあんたがのうのうと部室にいるのかってことよ。
    いつもはちゃんと迎えに行くのに今日に限ってなんですっぽかすのよ。
    鶴屋さんがかわいそうじゃないの! えぇ!?」

46 名前:4/5end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:19:41.35 ID:6w1XGp9Q0
ハルヒはものすごい剣幕で俺の胸ぐらを掴むと俺を睨みつけてそう言った。
なに、いつも? いつもって言ったのかハルヒお前は。

ハルヒ「そうよ、言ったわよ。そんなことよりあんたは何よ。
    鶴屋さんを泣かせたらあたしが直で制裁に向かうからね、わかった、キョン!」

俺は部室内を見回す。
朝比奈さんは心配そうな表情でオロオロしている。ごめんなさい朝比奈さん。
長門は読書を再開していた。おーい長門ー助けてくれー。
古泉はいつもの微笑を絶やさない。お前は俺のお母さんか。
ハルヒは真剣そのもの。どうやらマジで怒っているようだ。
最後に目に入った鶴屋さんのなんだか照れくさそうな表情に思わずドキリとしてしまった。
ポリポリとおでこをかいているがそれでいて居心地悪そうにはしていなく、優しげで温かい瞳を俺に向けている。
その時の鶴屋さんは、その、なんていうか。いつも以上に美人なだけではなく。

春の桜のように可愛らしかった。

俺のたいしたことの無いボキャブラリーではこんな表現で手一杯だが、理由はそれだけじゃない。
頬が染まっていた。桜色に。
鶴屋さん……どうして、あなたは……。



俺のとなりに現れたんですか……。

48 名前:5/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:23:01.52 ID:6w1XGp9Q0
帰りがけ俺と鶴屋さんは近くのスーパーに寄って明日の鍋パーティーの材料を買っていった。
とりあえず豆腐ときのこ関係が俺達の担当だ。
鶴屋さんに適当なきのこを探してきてもらうよう頼んだのだが自分で頼んでおいてしまったと思った。
もしうっかり松茸なんかを持ってこられでもしたらどうしたものか。
頼んだ手前断りにくい。だが幸いにして今は松茸シーズンではないことに気付いた。
俺は一先ず安堵のため息を吐くのだった。
鶴屋さんが持ってきたのはごくありきたりのしいたけやエリンギやあとまいたけか? このヘンテコなきのこは。
まぁいいだろう。スーパーで売ってりゃ食えるはずだ。

鶴屋さん「大量だね~っ、豆腐ときのこだけでこんなにあるよっ」

カゴ一杯になった豆腐やきのこを見て鶴屋さんが感嘆の声をあげる。

鶴屋さん「こんなに食べられるのかいっ?」

俺も同感です。

キョン「ハルヒがあらゆる種類のあらゆるメーカーの豆腐を10個ずつ買って来いって言うんですよ」

鶴屋さん「それはまたムチャクチャだねっ。あはは、キョンくんのお財布がすっからかんだっ!」

鶴屋さんは俺の財布をポンポンと真上に放り投げながら言った。いいえ、もともとすっからかんなんですっ。
幸い文芸部から横流しした部費がいくらか支給されているのでそこまで俺個人の資産にダメージがあったというわけでもない。
ハルヒから渡されていた封筒を取り出して中を確認する。
しかしなんだ、これってコンピ研の部費とかも入ってるんじゃないだろうな。そう思うと若干心苦しいものがある。
恐らくこの豆腐の大半はハルヒのおもちゃか何かにされるんであって
まともに口をつけられるのは一体どの程度のものなのか見当もつかないからだ。
案外長門が全部平らげたりしてな。

キョン「まぁこんなものでいいでしょう。鶴屋さん、会計してきますんで、その辺ぶらぶらしててください」

49 名前:5/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:25:28.38 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「んにゃっ、あたしもいっくよっ。キョンくんがちゃんと買い物できるか見守る義務があるからねっ」

あなたは俺のお母さんですかっ。そう言うと鶴屋さんはてへへっと笑った。

鶴屋さん「どっちかというとお姉さんかなっ、キョンくんのことが心配で仕方がないのさっ」

ん、弟とは言われなかったな。まぁいいか。

キョン「じゃぁ余った部費で何か買っちまいましょうか。なに、ハルヒにはなんとでも言っておきますよ」

鶴屋さんは待ってましたと言わんばかりに瞳をキラリと光らせる。

鶴屋さん「越後屋、そちも悪よのうっ、かんらかんら」

キョン「いえいえ、鶴屋さんほどでは」

俺の絶妙の合いの手に鶴屋さんは明るい声でケラケラと笑った。

キョン「じゃぁ何にします? お菓子でもなんでも、あ、鶴屋さんだったら和菓子とかのがいいでしょうか。
    まぁあんまり高いものは買えないんですけど。鶴屋さん?」

鶴屋さんはいつの間にか立ち止まり棚の一点を凝視していた。
俺が振り返って呼びかけても一向に反応がない。何かに注意を奪われているようだ。一体何にだ?

キョン「鶴屋さん、どうかしました? 何か欲しいものでも見つかりましたか」

鶴屋さんは近づいてきた俺のコートの裾をつかんでぐいぐいと引っ張った。

50 名前:5/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:28:00.99 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ」

そして見たことのないかっこいいおもちゃを見つけた少年のようならんらんとした瞳で陳列棚の一角を指さすと、

「これは何かなっ!?」

動物園でキリンの名前を訪ねる子供のような期待と驚きに満ちた表情を俺に向けた。

鶴屋さん「んしょっ、あれ、届かないや。あれぇ」

鶴屋さんは一生懸命ピョンピョンと飛び跳ねている。この棚は結構高さがある。
鶴屋さんの背丈では飛び上がっても届きそうにない。はいはい、俺が取りますよ。鶴屋さんは大人しくしておいて……。
鶴屋さんの視線が俺に突き刺さる。
俺をじぃっと凝視して。何かを期待するような眼差しで。

鶴屋さん「じぃーーーっ」

いや、口に出さなくても結構ですよ鶴屋さん。

鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ」

はい、なんでしょう。いや、悪い予感しかしないんですが。俺の危険感知スキルがレッドアラートを鳴らしている。

鶴屋さん「あたしを抱え上げて欲しいっさっ、そうすれば棚の上の方にも届くにょろっ」

俺が困った顔を見せても鶴屋さんの目は真剣そのものだった。

キョン「え?」

俺はわざと間抜けで素っ頓狂な声をあげた。それにもめげず鶴屋さんは俺に訴えかけてくる。

51 名前:5/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:30:55.99 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「だーかーらっ、キョンくんがあたしを抱え上げてくれたら高いところもバッチシっさっ!
      二人の力と勇気を合わせて二人の願いは百万パワーさ!」

や、でもどうやって……。

鶴屋さん「簡単っさっ。後ろからあたしを抱え上げてくれればいいっぽ。
      大丈夫、キョンくんなら絶対できるにょろよっ!」

いや、それは、え、それだと鶴屋さんのスレンダーなお胸に俺の手があれしてこれしてなにしたりする危険があるんですけどっ。

鶴屋さん「さぁさぁ、キョンくんっ、今こそ二人の魂を一つに重ね合わせるときさっ! いっくにょろよーーーっ!」

突然鶴屋さんが天に羽ばたくがごとく俺の膝を駆け上がり鶴のように天を待った。
というか正確には俺の前に来てぴょんぴょん飛び跳ねている鶴屋さんを普通に抱えあげただけなのだが。
なるべく胸の前には手をまわさずに、後ろから押し上げるようにっ。
鶴屋さん、俺はまだ罪人になるには早すぎますっ。

鶴屋さん「取った! キョンくん、取ったよ! やったよっ!」

鶴屋さんが満面の笑みを浮かべる。
よかった、満足していただけましたか、って暴れないでください鶴屋さん、どわああっ!
元々無理な抱え方をしていただけでなくどうやら鶴屋さんは自ら大地を蹴って飛び上がっていたらしい。
予期せぬところにいくらほっそりとしていてスレンダーだとはいえ鶴屋さん一人分の体重が
伸びきった腕に加わり鶴屋さんは見事俺の上に落下してきた。
それでも俺は鶴屋さんをなんとか両腕を交差して抱きかかえるとゆっくりと下ろした。
ん、なんだこの感触は。一瞬俺の脳みそがフリーズする。
何が起こったかわからなかったからではない。何が起こったかわかってしまったからフリーズしたのだ。

53 名前:5/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:35:38.63 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「キョ、キョンくんっ……もうだいじょぶっさっ……」

鶴屋さんは恥ずかしそうにうつむいて制服の胸元を抑える。

キョン「す、す、す、すすすすすすすいませんっ!」

俺は飛びのいた、というか間抜けな格好で後ずさった。
右腕を正面にかざしをひじを90度に曲げ左腕は天を突きあげ右足は90度に曲げられた。よく後ろの棚を崩さなかったな。
こういうときでも周囲への無意識の観察を欠かさない俺。生きていく上で欠かせない能力である。

鶴屋さん「あっはははは……ちょ、ちょっと失敗しちゃったさっ……。事故事故っ。それよりも大丈夫だったかいっ、キョンくん?」

鶴屋さんは俺の不埒な所業にも一切の目くじらを立てることなく笑って俺を気遣ってくれた。
むしろ烈火の如く怒ってくれたほうがまだ気が楽だった。
こんな天使のような方の大切な部分にタッチしてしまった俺のこの罪深き両手の業罪は
いまやおれの全身に広がり両腕を切り落としても地獄行きは避けられないと断言できる。
なんていうか、ふんわりしていた。いかんいかん、何を考えているんだおれはっ、今に罪と罰の天使が俺の脳みそを煮沸消毒しにくるぞっ。
大丈夫です、俺の頭はたとえ半透明の巨人に脳天唐竹チョップをくらっても
なんでだよ!と突っ込めるぐらい丈夫ですから。

鶴屋さん「そうかいっ、それは良かったよっ。キョンくんは頑丈だねっ!」

まぁ正直鶴屋さんぐらいの体重なら二階や三階から落ちてきても大事には至るまい。
見た目だけなら中学生に見られたっておかしくはなく、それを考えるとなおのこと俺の業罪は深まるのだった。
犯罪、ダメ・ゼッタイ。みんな、お兄さんとの約束だぞっ。

鶴屋さん「ところでキョンくん、これはなんていうんだいっ?」

鶴屋さんが長方形の物体を俺に差し出してくる。

54 名前:5/6end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:37:48.31 ID:6w1XGp9Q0
キョン「えぇーっと」

それを受け取った俺は同じ商品を棚から探す。さっきの騒ぎで大体の場所はわかっている。
すぐに見つけることができた。俺は商品名を読み上げる。

キョン「スモークチーズ……スモークチーズですね」

それを聞いた鶴屋さんの表情がみるみる明るくなっていく。
いや、もともと明るかったんだが、いったいあと何回変身を残しているんですかあなたは。

鶴屋さん「略してスモチだねっ、スモチスモチ! すっごくいい響きだと思わないっかな!?」

鶴屋さんに激しく同意を求められた俺は「そ、そうですね」と生返事をするくらいで完全に気圧されていた。
スモークチーズってなんだ? 燻製にしたチーズか何かか?
鶴屋さんはスモークチーズをお腹の前で目いっぱいぎゅっと抱きしめるとその場でピョンピョンと飛び跳ねた。
そして喜色満面の顔で俺の名を叫んだ。

鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ!」

またいやな予感がする。

鶴屋さん「これをあと10個買っていこうよっ!」

鶴屋さまがスモチをご所望だ。家が大金持ちなのにおねだり上手なこの人の可愛い笑顔が恨めしい。
鶴屋さんはにへっと笑うと小さな八重歯をのぞかせた。
俺はスモークチーズの値札をちらりと見る。これを10個。部費の残りだけでは足りそうもない。
鶴屋さんへと視線を戻す。訴えるような、ときめく乙女のきらめく瞳を投げかけられて俺にどうすることができようか。
部費で足りないなら余所から工面しなければならない。どこから工面するかって、そんなの決まっている。
さようなら、俺の今月の小遣い。

56 名前:6/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:40:50.88 ID:6w1XGp9Q0
我が家に続く坂道を俺と鶴屋さんだけが誰とすれ違うこともなく登っていく。
片手にさげたスーパーの袋はパンパンで、豆腐ときのこがはち切れんばかりに詰め込まれていた。
肌寒い季節、息が白くふわりと舞う。
鶴屋さんは制服にコートを一枚羽織っただけでそれでも元気そうにスモチが入った袋を片手に鼻歌を歌っている。
俺はというと汗がさんざんしみ込んで嫌な臭いを発し始めたマフラーを巻くに巻けずにくしゃみを二三発撃ったところだ。
鶴屋さんには、

鶴屋さん「だらしないぞぉっ、若者よ~っ! にゃっははっ」

と笑われる始末。この人がもし飛び級の小学生でもおかしいとは思うまい。

キョン「それより鶴屋さん」

鶴屋さん「なんだい、キョンくんっ恋のお悩みかなっ」

キョン「や、そうではなくて」

鶴屋さん「なんだい、違うのかいっ」

鶴屋さんは少し残念そうにする。そういえば今の鶴屋さんと俺の距離感ってどんななんだ。
ハルヒの口ぶりではたしか下駄箱で毎日待ち合わせしてるんだったよな。
だがそれも同居しているという事実から単に習慣としてそうなっているだけだとも思える。
いかんいかん、何を期待しているんだ俺は。
たとえそうだとしても今の俺といわゆるいつもの俺には何の繋がりもないんだ。平静を保て。

キョン「今日は迎えに行けなくてすみませんでした……」

突然鶴屋さんが立ち止まったので俺は振り返った。
どういうわけか、鶴屋さんの顔は真っ赤だった。
ただ単に肌寒いからというだけではないことが俺にだってわかるくらいに。

57 名前:6/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:43:21.87 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「あっははは……あ、ありがとっ、キョンくん……ちょっと……ううん、すっごくうれしいっさっ」

スモチの袋を振り乱し両手を後ろに鶴屋さんは言う。
え? いやだっていつも迎えに行っているんですから謝るのは当然のことじゃ。

鶴屋さん「そ、そうだね。そうなんだよねっ、あっはははは。あたしどうしちゃったのかなっ……」

俺の言葉に意外そうな表情を見せた後照れくさそうにする鶴屋さん。俺もドギマギしてしまう。
い、いかんいかん、俺には朝比奈さんという人が。

鶴屋さん「なんでかな。今日のキョンくんがいつもと雰囲気が違うっからかもしれないっさっ」

う、やっぱりそのいつもと違いますか俺は。

鶴屋さん「ううん、いい意味でだよっ。いつもはもっと素っ気ないっからね。ちょっぴし嫌われちゃってたかと思って心配だったさ」

なんてことだ。いつもの俺って奴はそんなにも味気ない生き物なのか。うぬぬ、許さんぞ、俺め。

鶴屋さん「でもほんとは……」

鶴屋さんがうつむく。つ、鶴屋さん……?

鶴屋さん「めがっさ心配だったにょろっ」

はにかむ笑顔がまぶしく光る。瞳の奥に寂しさが覗く。
普段の俺は素っ気ないという。今の俺だってそんなに愛想のいい方じゃない。眉間にシワはいつものことだ。
そんな俺にも鶴屋さんは太陽のように笑いかけてくれる。だんだん顔に血が上って熱くなってきた。
きっと俺の顔も鶴屋さんに負けないくらい真っ赤になっていることだろう。だが今は鶴屋さんの笑顔に魅せられて顔を逸らすこともできない。
俺はただ魅き寄せられるままに、鶴屋さんの笑顔に見入っていた。

59 名前:6/3end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:45:34.62 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「あっははっ、今日のキョンくんはいろいろ反応してくれっからうれしいっさっ♪」

いつもはもっと余裕綽綽で俺をからかってくる鶴屋さん。
なんだろう、一生懸命というか、なんとか俺に近づこうとしてくれているような。そんな感覚を覚える。
俺のうぬぼれなのか、でもどうしてなんですか。
どうして俺にそんな顔で、そんな風に笑いかけてくれるんですか。教えてください鶴屋さん。教えてください。
俺は固まったまま何も言えないでいる。

鶴屋さんはてへへっと笑って頭をかいた。

鶴屋さんが俺の手を握る。
そして俺を下から見上げると

鶴屋さん「いこっかっ!」

屈託のない、些かの邪気も迷いもない顔が、ニコリと微笑んだのだった。

60 名前:7/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:48:26.35 ID:6w1XGp9Q0
妹ちゃん「鶴屋さんおっかえり~っ! キョンくんもついでにおかえり~」

鶴屋さん「ただいまっさ~っ」

鶴屋さんと妹が元気にハイタッチした。玄関の段差でちょうど背丈に差がないくらいになる。
妹と鶴屋さんはそのまま抱き合うと廊下でくるくると周りながらリビングへと消えていった。
俺は俺と鶴屋さんの靴を揃えると手荷物を台所の一角に適当に置いておいた。
一応部活で使うものです、というメモ書きを貼って。
しかし妹よ、こっちの俺にはぞんざいな挨拶しかしてくれないんだな。いや、寂しくなんかないぞ。むしろ気楽なくらいだ。
鶴屋さんと並ぶと自分がおまけになってしまうのは仕方がない。
鶴屋さんがヒョコッと柱の影から顔を出した。楽しそうなイベントを期待と共に待っているようなお顔である。どうしました?

鶴屋さん「キョンくんキョンくんっ、例のスモチを食べようよっ! みんなで食べるとすっごく美味しいってあたしの直感がビンビンっさー!」

はいはい。でもさすがに一人一箱ずつというのは多すぎるでしょう。
俺が人数分に切り分けますよ。俺と鶴屋さんと妹の三人分でいいですよね。

鶴屋さん「うん、まっかせたにょろっ!」

鶴屋さんは俺から見えていなかった方の手からスモチを取り出すとぽんと放ってみせた。
俺は不意をつかれたもののフラつきながらなんとかそれをキャッチした。

鶴屋さん「にへへっ、失敗失敗っ」

鶴屋さんはペロッと舌を出して反省する。
うぐぐ、可愛いな。可愛いですよ先輩。
なんだか悔しいような恥ずかしいような気持ちのまま俺はスモチを切り分けていく。
鶴屋さんはその成り行きを俺の隣でじぃっと見守っていた。

61 名前:7/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:51:47.33 ID:6w1XGp9Q0
切り分けたスモチをリビングに運ぶ。ソファで飛び跳ねていた妹は不思議そうな目でその物体を見つめている。

妹ちゃん「キョンくん、鶴屋さん、これなーに?」

鶴屋さんは何故かそのスレンダーなお胸をぐぐいっと張ると

鶴屋さん「スモチさっ!」

と意気高らかに叫んだ。
あぁ、スモチだ。と俺。
鶴屋さんが楽しそうにしているのを見てきっと美味しいものだと思ったのだろう。
妹もスモチスモチとはしゃぎ始めた。鶴屋さんと妹のスモチの二重奏が響き渡る。
俺も適当に合いの手を打っていると鶴屋さんが突然

鶴屋さん「スモチを讃えようっ!」

と言い出した。
妹も讃えようっと同調する。はいはい、讃えましょうね。

鶴屋さん、キョン、妹ちゃん「「「スモチ万歳っ!」」」

スモチが盛られた皿を抱えてリビングの中をぐるぐると回る俺たち。なにこのカオス。
まだ食べたこともないスモチ万歳のコールが鶴屋さん、妹、俺の順で入れ替わり立ち代わり響き渡る。
こんな姿誰にも見せられない。古の邪神を祀る邪教のミサであると思われても弁護の余地がない。
スモチの香ばしい香りがリビング中に充満したころ、鶴屋さんのお腹が鳴ったのでさっそく食べようということになった。
ずいぶんゆったりしていましたが何か。

鶴屋さん「ううんっ、美味しいっさ~~!」

62 名前:7/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:54:10.88 ID:6w1XGp9Q0
口いっぱいに頬張ったスモチをもしゃもしゃとかじりながら鶴屋さんが叫んだ。鶴屋さん、飛んでますよ。
妹も美味しい~と舌鼓を打っている。二人で見つめ合うと

鶴屋さん、妹ちゃん「「ね~っ♪」」

と手をつないではしゃぎ始めた。スモチ万歳のコールが再び響き渡る。確かにこのスモチは美味い。
チーズ自体はそれほど特別なものという感じはしないのだが、外が煙で燻されている分香りが強い。
口に含むと風味が鼻腔を通ってなんとも香ばしくパッケージに味薫る!風味が絶品!と書かれていたこともうなずけた。
うん、美味い、もしゃもしゃ。
俺が二口目に手をつけようとすると皿の上からスモチが消えていた。
ゆっくり正面を見ると鶴屋さんと妹の二人がわざとらしくそっぽを向いている。
もうバレバレというか初めから隠す気がないというか。
俺は二人に訪ねる。

キョン「俺のスモチ知りません?」

二人は最初軽くうつむき加減で徐々に肩を震わせクスクス笑いになったかと思うと突然大爆笑して転げまわった。
なしてそんなに笑うんですか。おい、妹。俺の顔を指さして笑うな。

鶴屋さん「だ、だってキョンくん、スモチが、おでこにくっついてるにょろっ! あははははは!」

妹も鶴屋さんも転げまわって笑っている。額を触るとスモチの破片がべったりと張り付いていた。
なんだ、これ。いつのまに。いや、一つだけ心当たりがある。

63 名前:7/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:56:40.71 ID:6w1XGp9Q0
キョン「これ、鶴屋さんが飛ばしたスモチじゃないですかっ!」

俺が抗議の声を上げると二人は再び互いを見合わせきゃっきゃっと笑った。
あぁ、もうどうにでもしてくれ。ところで俺のスモチはどうなったんですか。

鶴屋さん「ごめんね、キョンくんっ。いやぁ、ちょっとからかおっと思ったんだけどね、
     そしたらキョンくんのおでこにスモチがぽつっとひっついてんだもんっ。
     おかしくなっちゃってさっ、ごめんよっ。それよりキョンくんがスモチを気に入ってくれたみたいであたしは嬉しいっさっ♪」

そう言うと鶴屋さんはおもむろに身を乗り出して俺の手からでこにひっついていたスモチをヒョイと取り上げるとパクリと口に入れた。
え、ちょ、つ、鶴屋さん!?

鶴屋さん「ん?」

鶴屋さんは最初何気なく俺を見るとにへっと笑って

鶴屋さん「食べたかったかいっ?」

といたずらっぽく訊いてきた。
その時の俺の顔は赤色なんだか桜色なんだかスモチブラウンなんだかよくわからない色になっていたらしい。
妹の笑い声がもう一段階高くなった。鶴屋さんの俺を見る顔はなんとも嬉しそうでこの上ない。もう、勝手にしてくださいっ。
ふてくされた俺を見かねて鶴屋さんが自分の皿と一緒に隠していた俺のスモチをつまみ上げると

鶴屋さん「うそうそっ、はい、キョンくんあ~んっ♪」

と俺の口元に差し出してきた。もう完全に俺はこの二人のおもちゃである。なすがまま、されるがまま、飽きるまで弄ばれ続けるのだ。
俺は覚悟を決めて口を開く。
パクリと食いつくと一瞬鶴屋さんの指が俺の唇をなぞった。

65 名前:7/5end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 01:59:23.18 ID:6w1XGp9Q0
もしゃもしゃとスモチを咀嚼して飲み込んだ後鶴屋さんを見て驚いた。
俺も赤くなっていたと思うが、鶴屋さんまで赤くなっていた。
妹が視界の隅でニヤニヤと嬉しそうに笑っている。

鶴屋さん「や、その、ほんとに食べてくれっと思わなかったからっさ……」

微笑んでいた。困ったような、恥ずかしいようなはにかんだ笑顔の奥にいろんな感情が秘められているように見えた。
俺にはわからない、今の俺にはわからない何か。
鶴屋さんの心の機微が、今の俺にはわからない。そのことが俺の胸をたまらなく締め付ける。
なんだ、これ。なんだこの気持ちは。

妹ちゃん「今日のキョンくんおもしろいもんねっ」

妹が合いの手を打つ。
照れくさそうにする鶴屋さんに妹が抱きついた。
妹は鶴屋さんの膝の上で満足げな表情を浮かべている。
妹を優しく抱きしめる鶴屋さんの表情はとても優しげで、先輩というより、年上のお姉さんというより、むしろもっと柔らかい何かのように見えた。
女神? じゃない、もっと身近な、そう。もっと身近な。もっと大切な何かだ。
俺は二人を眺める。
どんな目つきで、どんな表情でいたのかはわからないが、鶴屋さんが一瞬俺を見て目が合った時のたまらなくくすぐったそうな笑顔から
さぞ間の抜けたニヤついた表情だったのだろうと想像した。
俺は二人をきっと優しい目で見つめていたのだろう。
妹と鶴屋さんは戯れ続ける。俺の家で、俺の前で。
まるで本当の姉妹のように。

66 名前:8/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:02:09.95 ID:6w1XGp9Q0
昨日俺が眠りに着くとき鶴屋さんはいなかった。
当然だ。鶴屋さんには自分の帰る家があってそこで家族と暮らしているのだ。
俺の知っている鶴屋さんなんてほんの一部分で、
俺の知らない鶴屋さんの家族、俺の知らない鶴屋さんの生活、俺の知らない鶴屋さんの人生があるのだ。
だが今夜からは、いや、ここでは毎夜のことらしい。
俺は鶴屋さんが寝間着に着替えるのを部屋の外で待っていた。
鶴屋さんの生活用具一式は俺の部屋にあった。寝間着も普段着も制服も。俺の部屋はさながら鶴屋さんの更衣室だ。
俺の部屋で鶴屋さんが着替えている。その事実だけで俺はもうどうにかなってしまいそうだ。
俺は思春期真っ只中の健全な男子高校生ですよ、
その部屋で着替えるってことがどれほど狼の巣穴で羊がしっぽを振るようなことか想像してみてくださいよ。
いや、鶴屋さんの場合羊に擬態したハンターということもありうる。
迂闊に跳びかかった瞬間眉間をズドン。自分が見事倒される様を想像して俺の背筋は凍りつく。
狼に明日はない。俺にできることは精一杯羊を演じることで、ん? そうなると狼は鶴屋さんってことかになるのか?
いかんいかん、何を期待しているんだ俺は。けしからん。
背後でドアがコンコンと鳴らされる。

鶴屋さん「もういいにょろよっ」

ドアの隙間から鶴屋さんがひょっこり顔を出す。
部屋に入るとそこには鶴屋さんのまぶしいばかりの艶姿、長い髪を後ろ手に縛ってロングなポニーテールを作っている。
ヤバイ、ツボだ。だがこの場合ロングテールっていうのか? ううん、それもいいな。って鶴屋さん、それ俺のYシャツなんですけど……。

鶴屋さん「そうにょろよっ?」

そうにょろよってあの……寝間着はどうされたんですか?

67 名前:8/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:05:30.24 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さんはクルッとその場で回って見せるとにししっと笑った。Yシャツの裾がふわりと舞い健康的な素足がチラリと覗く。

鶴屋さん「これがあたしの寝間着だよっ。キョンくんのYシャツっ、いつも勝手に借りてごめんよっ」

目の遣り場に困る俺。
鶴屋さん、わかっていてやってますね。わかっていて誘ってますね。俺が狼になりきれないことをいいことに。
俺の心を知ってか知らずか鶴屋さんはその場で何度もくるりくるりと回ってみせた。
その度にほっそりとした太ももが覗いてYシャツが高く舞い上がっていく。い、いかん。これ以上は、これ以上はいかん。
俺は鶴屋さんの腰に手を添えて回転を止めた。鶴屋さんは相変わらずあっけらかんとしている。
俺の手がくすぐったかったらしい。鶴屋さんは身じろぎして俺の手を振りほどいた。

鶴屋さん「にゃははっ、ちょっと調子にのって回り過ぎちゃったよっ。世界がくらくらーって回ってるっさっ」

そのままボスンとベッドに倒れこむと布団の中へと潜り込んでいった。
しばらく布団の中でもぞもぞと動いた後顔を覗かせ俺を見上げる。

鶴屋さん「ささっ、キョンくんっ。遠慮することはないっさっ」

鶴屋さんは右手を差し出しぽんぽんと布団を叩いた。さすがにこれにはたじろいだが、もう俺には今更どうしようもない。
一階で寝ようとか床で寝ようとかいう意見は既に却下されている。鶴屋さんの寝床はベッドの上ではなく、あくまで俺の隣なんだそうだ。
いまだに体臭とかが若干気になってしまっている。いつもより念入りに歯磨きをしてしまった。
いや、他意はないんだぞっ。そのはずだ。だがあんまり自信はない。
一枚の毛布と一枚の布団を鶴屋さんと共有する。
俺のベッドは決してダブルとかセミダブルではなく余裕たっぷりのシングルであるのでハッキリ言って狭かった。
少し姿勢を変えようとするだけで動かした肘や膝や手先が鶴屋さんの体に触れてしまう。
いや、主に触られているのはガチガチに固まっている俺の方で足で蹴られたり手で小突かれたりした。
鶴屋さん、あなたわざとやってますね。
俺はなんとか平静を保つ為鶴屋さんとは反対方向を向いた。鶴屋さんが壁側、俺が部屋側だ。
俺の無反応に飽きたらしい。鶴屋さんは攻撃の手を止めた。よく耐えた、えらいぞ、俺。
その安心もつかの間、鶴屋さんは俺の背中にピタリと寄り添うと俺の肩甲骨あたりに顔を埋めた。

69 名前:8/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:08:16.30 ID:6w1XGp9Q0
キョン「つ、鶴屋さん……?」

鶴屋さん「やっぱりキョンくんはあたしと同じ匂いがするっさっ」

キョン「え……」

鶴屋さん「なんだかキョンくんの隣で横になってるととっても気持ちが安らぐんだよねっ。なんでっかな?」

俺は全然安らぎませんが。だが鶴屋さんに俺の背中なんかで安らいでいただけるというのならいくらでも場所を貸そうというものだ。
ただ俺の理性のロシュ限界は近い。俺の精神は自我と欲望に分裂寸前である。いや、もうなってるか。

キョン「おかしいと想わないんですか?」

俺は思っていたことをついに鶴屋さんに言った。おかしい、これはおかしな状況だ。
なにがおかしいかなんて説明するまでもない。すべてがおかしい、これに尽きる。
だがこの言葉に対する鶴屋さんの返事は意外なものだった。

鶴屋さん「そうだね……おかしいことっかもしれないっさ……」

当たり前の、あまりにも当然の答え。にも関わらずその言葉は俺の胸にえぐるように突き刺さった。
心臓は急激に動悸を打ち始める。俺はまともに考えることができなかった。

鶴屋さん「でもね、キョンくんっ」

と鶴屋さんは続けた。

70 名前:8/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:10:42.98 ID:6w1XGp9Q0

鶴屋さん「たとえそれがおかしいことでも、あたしはこれが間違ってるってどうにも思えないっさ」

鶴屋さんの言葉。鶴屋さんの息遣い。鶴屋さんの体温。鶴屋さんの感情。鶴屋さんの……

鶴屋さん「これが正しい形だって胸を張って言えるよっ。あたしの気持ちがそう言ってるにょろ。
      キョンくんの隣がいいって、そう言ってるにょろよっ」

キョン「鶴屋さん……」

鶴屋さん「キョンくんは……どっかな? あたしと居るのは……嫌じゃないっかいっ? 迷惑じゃないっかなっ?
      もし、そうじゃなかったらさ……このまま……あたしと……さ……」

鼓動はますます高鳴って恐らく鶴屋さんにも伝わっているのだろう。
うぅともすぅとも返事のできない俺に囁くように鶴屋さんは言葉をつないでいく。

鶴屋さん「すぐじゃなくてもいいにょろ。
      いつか……キョンくんの気持ちを聞かせて欲しいっさ……だから今は……おやすみにょろよっ……キョンくん……」

つないだのは言葉だったが繋ぎたかったのは別のものだった。そう痛いほどに伝わってくる。
そしてそれに応えられない俺自身が、たまらなく痛々しい。
張り裂けそうな胸の内をすべて吐き出してしまいたい衝動に駆られる。すべてぶちまけてしまいたくなる。
でも俺はあなたの知っている俺じゃないんです。あなたは俺が知っているあなたじゃないです。
でも、でもですよ。もし許されるならですよ鶴屋さん。

あなたとのこんな日々を、いつまでも続けていたいと、

そう思ってしまうんです。

71 名前:9/1dream[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:13:05.74 ID:6w1XGp9Q0
おかしな夢を見た。
夢の世界の俺はのっぺりとした能面みたいなツラをしていてはたからは何を考えているかわからない奇妙な奴だった。
そしてもう一つ奇妙なことがある。鶴屋さんのことだ。
夢の世界の鶴屋さんは小柄で、いや鶴屋さんもそんなに大きい方ではないんだが、その鶴屋さんはいつにもまして小さかったんだ。
うちの妹の半分もなかった。俺はそんな二人を見下ろすように眺めていた。
夢の中で鶴屋さんはちゅるやさんと呼ばれていた。なるほど、ピッタリのニックネームだと思った。

ちゅるやさん「キョンくん、キョンくん、スモークチーズはあるかい?」

にょろキョン「ない」

夢の世界の俺はなかなかシビアだ。クールというより限りなくドライである。

ちゅるやさん「そ、そうかい? じゃぁ一緒に買いにいこうっさ」

にょろキョン「だーめ。だいたいちゅるやさんスモークチーズなんて食べないでしょ」

人間性をとことん希釈したような夢の世界の俺は表情もなく言った。(俺ながら感じ悪い奴だなこいつ)

ちゅるやさん「にょ、にょろ? そ、そんなことないっさ。みんなで食べるスモチは最高だよ」

夢の世界の俺は呆れたようにため息を吐いた。(おい、俺、何やってんだよ)

にょろキョン「何をおっしゃる。それとこれ。持って帰って」

ちゅるやさん「え、これ、あたしの荷物だよ。どうしてまとめてあるの? それに持って帰るって……」

にょろキョン「そもそも自分の家があるのにどうして俺の家に住んでるんだ? おかしいだろ」

72 名前:9/2dream[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:15:21.45 ID:6w1XGp9Q0
ちゅるやさん「え、え、だって、だってキョンくんとあたしはずっと前から仲良しで同じとこに住んでるっさ。
        だからここがあたしのおウチだよっ」

にょろキョン「いいえ、違います。ごーとぅはうす。おうちにおかえり」

ちゅるやさん「え、キョ、キョンくん、待っておくれよ。待っておくれよっ」

夢の世界の俺はちゅるやさんを後ろから抱え上げると荷物と一緒に玄関の外へと置いた。
そのままちゅるやさんに一瞥くれることもなく無表情にドアをバタンと閉めた。(おい、やめろ)

ちゅるやさん「キョンくん! 開けてよっ! キョンくん! キョンくん! にょ、にょろ……ひっく……えっぐ……」

(やめろ、やめろやめろやめろやめろやめろ)
ガチャリと音がして玄関の扉がわずかに開きあの能面みたいな俺が顔を出した。ちゅるやさんの表情がぱぁっと明るくなる。
俺も一先ず安心だ。どうやらタチの悪い冗談だったようだ。センスがないにも程があるぜ。(待て、おかしいぞ)

にょろキョン「なんで俺の鞄にこんなものが?」

そう言って夢の世界の俺は鞄から何か四角い長方形のものを取り出した。
それは俺が鶴屋さんや妹と一緒に食べたスモチ、もといスモークチーズと同じものだった。
ちゅるやさんの表情がますます明るくなる。

73 名前:9/3dreamend[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:17:41.56 ID:6w1XGp9Q0

にょろキョン「こんなもの知らない」

そう言うと夢の世界の俺はスモチを門の外に向かって放り投げた。(お、おい!)

ちゅるやさん「あ……」

ちゅるやさんは捨てられたスモチに駆け寄って拾い上げる。スモチは潰れて形が崩れてしまっていた。
泣きそうな顔でちゅるやさんはスモチを見つめていた。背後でドアのバタンと閉まる音がした。

ちゅるやさん「キョンくん……キョンくん……ひっく……ひっく……」

ちゅるやさんはスモチを抱えて荷物を引きずって、
涙を流しながら坂道を下っていった。














俺は絶叫と共に目覚めた。

74 名前:10/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:20:36.42 ID:6w1XGp9Q0
俺は絶叫と共に目覚めた。
息が、息が苦しい。寝間着がぐっしょりと汗を吸って身体に纏わり付く嫌な感触がした。
隣に目をやると妹が何事かという表情で俺を見ていた。
どうやら俺に飛びかかる直前だったらしい。奇妙な体勢のまま硬直していた。

キョン「何を……やっとるんだ……お前は……」

息を切らしながらなんとかそれだけを言う。俺はマラソントラックを全力疾走した直後のような疲労感を覚えた。

妹ちゃん「キョ、キョンくんを起こしてあげようと思って……あ、あの……ごめんねキョンくん……」

俺の状態から何か異常なものを察したのだろう。妹はそれ以上なにを言うでもなくその場に佇んでいた。
呼吸は整ってきたが胸の痛みが消えない。鈍く重いものが心臓を締め付けているような感覚。
それはもはや痛みと言って差し支えない。
何が俺の胸を締め付けている? あの夢か? あのわけのわからない、意味のわからない夢がなんだっていうんだ。
俺の神経はどうかしちまったのか。

妹ちゃん「キョ、キョンくん……鶴屋さんが……」

キョン「鶴屋さん……?」

そうだ、あんな風に叫んでさぞかし耳障りだっただろう。俺は隣に寝ている筈の鶴屋さんに謝ろうと壁側を見た。
だがそこには居るはずの人が居なかった。鶴屋さんはそこにいなかった。
言いしれない脱力感。目眩がした。平衡感覚がなくなった気がした。
視界がぐにゃりと歪んでそのままベッドから転げ落ちそうになる。妹が慌てて駆け寄ってきて俺の身体を支えた。

妹ちゃん「キョンくん! どうしたのっ、キョンくんっ!」

俺の蒼白な顔を覗き込んで言う。妹が俺を本気で心配しているのがわかった。

75 名前:10/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:23:04.89 ID:6w1XGp9Q0
俺の蒼白な顔を覗き込んで言う。妹が俺を本気で心配しているのがわかった。
俺の頭の中は思考なのか感情なのか感覚なのかわからないものでぐちゃぐちゃになっていた。

キョン「鶴屋さん……鶴屋さんっ!?」

俺は妹を置き去りにして部屋から飛び出した。
まさかあれは正夢だったのか? 俺はいつのまにか、いつもの俺、っていう奴に戻っていて、
それで鶴屋さんを追い出しちまったっていうのか? 泣きながら坂道を下っていく鶴屋さん、いや、
ちゅるやさんの悲しそうな顔と後から後から溢れて止まらない涙を思い出す。
鶴屋さん、ちゅるやさん、いや、鶴屋さん? くそ、まともに考えらんねぇ。
ただ追いかけなければ。追いかけて謝らなければ。
そしてまた一緒に暮らそうって、そう言うんだ。またいままで通りだって、言うんだ! 今まで、今まで……。
玄関で適当な靴に足を突っ込んだ直後俺の思考は停止した。

今まで? 今までだと?

今までの俺はあの俺で、俺の今までなんていうのはほんの一日の出来事で。くそ、そんなこと構ってられるか。
今までの俺だろうが本当の俺だろうが知ったことか。あんな奴、この場でぶっ飛ばしてやりてぇよ!
俺が勢い勇んでドアノブに手を掛けた時、背後からここのところ特に耳慣れた声が響いてきた。

鶴屋さん「あれっ、キョンくんパジャマのままどこいくにょろっ? どっか行くならあたしも連れてってほしいっさっ」

他ならぬ鶴屋さんである。俺の頭はますますこんがらがった。

キョン「え、つ、鶴屋……さん……?」

俺は呆然とする。開いた口がふさがらない。

鶴屋さん「朝ごはんできたにょろよっ。せっかくだし、急いでないなら食べてから行くといいっさっ」

76 名前:10/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:26:36.32 ID:6w1XGp9Q0
よく見ると鶴屋さんは制服の上にエプロンをかけていた。さっきまでは気付かなかったいい匂いが鼻をくすぐった。
鶴屋さんはとたとたと廊下を駆けてきて俺の手を引っ張るとダイニングまで導いた。
そこには美味そうな朝げが用意されていた。
朝食と言わずに朝げと言ったのはそういう表現がしっくりくるようなしっかりとした和風朝食だったからだ。
焼き魚にはおろしたての大根がついていて、味噌汁の具も少なくとも五品以上ある。
三色以上の漬物が白米に添えられていた。他にも煮豆やらきんぴらごぼうやらひじきやらが小皿に盛られている。
それが俺と鶴屋さんと妹の三人分用意されていた。
どうやら両親は日も上がらないうちにどっかへ出かけちまってたらしい。行き先も告げず、ただ山の方へ旅行、だとよ。まったく。
俺は椅子に座って香りをかいでみた。
うん、まだ食べてないのに美味いとわかるほどだ。一口すするとダシの風味が広がる。スーパーのパックではない、
ましてやキチンとダシを取っている味噌汁などほとんど口にすることがないだらけた家庭に育った俺としては
非常に新鮮で驚きに満ちていた。焼き魚にポン酢をかけて口をつける。
大根おろしに苦味はなく、ツンとくる辛さもなかった。苦くない大根おろしもあるんだな、と間抜けにも感動した。
一体どれだけ食生活貧しかったんだ俺は。

鶴屋さん「どうだいっ、ちゃんとできてるっかな?」

バッチシですよ、っていうか完璧ですよ鶴屋さんっ。

鶴屋さん「にへへっ、気に入ってもらえてうれしいっさっ」

鶴屋さんは恥ずかしそうに照れ笑いをした。
鶴屋さんも普段こんな食事を取っているのだろうか。普段からこういう食事を取っていればあんな元気もつくというものだろう。
鶴屋パワーの真髄をかいま見た気がする。それはさすがに言い過ぎか。
しかしこの量を朝一人で準備したのか。このお方にはマジで一生頭が上がらんだろうな。俺は再びそう確信した。

77 名前:10/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:29:03.17 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「ううん、妹ちゃんにも手伝ってもらったさっ」

マジですか。っていうかあの妹がどこをどう手伝ったというのだろう。むしろ邪魔している光景しか思い浮かばない。

キョン「マジですか」

鶴屋さん「そうっさっ。キョンくん、キョンくんが思っている以上にあの子はできる子さっ。
      だからあんまりいじめたらダメにょろよっ」

鶴屋さんは人差し指を立てると俺の上唇にピタッと押し付けた。

キョン「ふ、ふひはへん。ひほふへはふ」

鶴屋さん「よろしいっ♪」

鶴屋さんは嬉しそうに自分の席についた。俺の左隣、斜向かいだ。

鶴屋さん「ところで妹ちゃんはっ? 確かキョンくんを起こしに行ったと思うにょろっ。会わなかったかいっ?」

そういや俺は妹を放ったらかしにしたままだった。妹はまだ俺の蒼白な顔しか見ていない。
しまった、ここで呑気に飯を食っている場合じゃなかった。
鶴屋さんは俺の顔を覗き込んで不思議そうにしている。

キョン「鶴屋さん、俺ちょっと部屋に」

そこまで言ったところで不安そうな表情の妹が現れた。

妹ちゃん「キョンくぅん……鶴屋さぁん……」

泣きそうな顔で妹が入ってくる。鶴屋さんは慌てて椅子から下りて駆け寄ると妹を抱きしめた。

78 名前:10/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:31:21.69 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「ど、どうしたっさっ! 妹ちゃん、だいじょぶかいっ!?」

妹ちゃん「キョンくんが……キョンくんがぁ……」

嫌な予感がした。鶴屋さんの背後に鬼神の如きオーラを感じたのは俺の錯覚だろうか。

鶴屋さん「キョンくぅ~ん?」

鶴屋さんはゆっくりと立ち上がる。まずい、これはまずい。懲罰的な、教育的な体罰の予感がする。
俺の危険感知スキルが満場一致でレッドアラートを鳴らしていた。
鶴屋さんは振り返ると一瞬で俺に詰め寄り胸ぐらを掴み上げた。

鶴屋さん「妹ちゃんを泣かせるのは、例え実の兄のキョンくんでも許さないよっ!」

鶴屋さんがまくしたてる。

キョン「ち、ち、ち、ちがいまふ、ますっ! ゆ、ゆすらないでください鶴屋さんっ」

鶴屋さんの目がマジだ。ヤバイ、殺されるかも。

鶴屋さん「まっさか妹ちゃんを泣かせて逃げるところだったんじゃぁないよねっ!?
      どうなんだいキョンくんっ、ハッキリ言いなよっ!」

12月に朝比奈さんに無理に迫って鶴屋さんに腕を捻り上げられたことを思い出す。
あの時にもまして鶴屋さんは俺をきつく睨みつけていた。血の気が引いていく。
い、息が苦しい。さっきとはまた違う意味で動悸が早まっていく。

79 名前:10/6[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:33:56.23 ID:6w1XGp9Q0

鶴屋さん「どうなんだいっ!」

しゃ、しゃべれません、鶴屋さん。く、苦しい。

妹ちゃん「違うの……違うのぉっ」

妹が鶴屋さんに駆け寄って必死そうに訴える。

妹ちゃん「キョンくんは、朝汗ぐっしょりで、うなされてて、それで鶴屋さんがいなくて、
      それで飛びだしていっちゃったのっ、だからキョンくんは何も悪いことしてないのっ、
      鶴屋さん、キョンくんを許してあげてっ」

妹の必死の訴えに俺を掴み上げていた鶴屋さんの手が緩んでいく。

鶴屋さん「え、そ、そうなのかい……? 妹ちゃん」

妹ちゃん「そうなの……だからキョンくんを許してあげて……」

鶴屋さん「そうだったにょろ……ごめんね妹ちゃん、心配させて」

妹ちゃん「ううん、いいの。あたしがびっくりしちゃっただけだからさっ」

妹は安心したようで笑顔を取り戻した。

80 名前:10/7end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:36:48.65 ID:6w1XGp9Q0
俺を掴み上げる手が離れ俺は椅子に腰を落とした。
椅子が床と擦れる音がして俺の両腕から力が抜けた。
鶴屋さんは俺に向き直ると申し訳なさそうにうつむいた。

鶴屋さん「キョンくんごめんね……あたし早とちりしちゃってさ……ほんとにごめんね……」

いいんですよ、鶴屋さん。いいんです。

鶴屋さん「あたしったらどうかしてたさ、頭に血が登って……ってキョンくんっ? キョンくんっ!?」

記憶はそこまでで、
とっくに限界を超えていた俺の精神は掴みどころを間違えたロッククライマーのように落下していき──

夢の世界へと旅立ったのだった。

81 名前:11/1dream[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:39:18.05 ID:6w1XGp9Q0

にょろーん。にょろーん。


淋しげな声が響く。広い日本庭園を前に縁側の片隅でちゅるやさんが歌っている。

ちゅるやさん「かなしくなんっかないっさ~。さみしくなんっかないっさ~」

やりきれなさを吹き飛ばすようなちゅるやさんの歌。誰に聞かせるでもなく自分に言い聞かせる為の歌だった。
ちゅるやさんはそばに置いてある紙袋からスモークチーズを取り出した。潰れて形が崩れてしまったスモークチーズ。
それは夢の中の俺が放り捨てたスモチだった。
ちゅるやさんはスモチにかぶりつくともしゃもしゃと美味しそうにほおばっていく。

ちゅるやさん「やっぱりスモチは最高にょろっ! スモチ万歳っ!」

声高らかに天高らかにスモチを太陽にかざす。季節感のない光が天から降り注ぐ。

「ねぇ、キョンくんもそう思う……にょ……ろ……」

ちゅるやさんは誰もいない空間に向かって振り返った。
陰った室内には日が射さず薄緑色のモノトーンだけが何を答えるでもなく貼り付いている。
薄ぼんやりとした影だけがちゅるやさんの傍らで佇んでいた。

83 名前:11/2dreamend[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:41:38.98 ID:6w1XGp9Q0

ちゅるやさんはうつむく。
見下ろすだけの俺からはちゅるやさんの表情が見えない。何を感じているのか。何を思っているのか。
ちゅるやさんの肩が小刻みに震えてスモチがポトリと床に落ちる。
固くなったスモチは割れて、いくつかの破片に別れた。
ちゅるやさんは両手で目元を抑え、静かに泣いていた。

ちゅるやさん「みんなと……キョンくんと一緒に食べたいにょろよ……
         みんなで食べた方が……きっと……きっと……美味しいにょろよ……」

一粒、また一粒と頬を伝う雫。
ふらふらと緑の闇の中に歩いていくちゅるやさん。
滴り落ちた涙は日差しで乾き、畳に吸い込まれ、何事もなかったかのように消えていた。
















 

84 名前:12/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:44:12.86 ID:6w1XGp9Q0

肩を揺すられる感覚がする。浮遊感の中で意識だけが覚醒した。
まぶたは重くて開けられない。夢の中で夢だと気づいたときのような感覚。遠かった声が徐々に近づいてくる。

鶴屋さん「キョンくん……キョんくんっ!」

叫ぶような呼び声に目を覚ますと鶴屋さんの泣きそうな顔が目の前にあった。
俺は鶴屋さんの膝の上で気を失っていたらしい。鶴屋さんはまだ俺を呼び続けている。

鶴屋さん「ごめんにょろ……ごめんにょろよ……キョンくん……」

そういえばおはようの挨拶がまだだったな。

キョン「おはようございます、鶴屋さん」

鶴屋さんは俺が目覚めたことに気がつくと慌てたように俺の顔をいじくりまわした。

鶴屋さん「だいじょぶにょろっ!? 首は痛くないかいっ! 声はちゃんと聞こえっかいっ!?」

俺の顔はぐにゃぐにゃともみくちゃにされる。

キョン「へーひへふよ」

そう言うと鶴屋さんは安心したように俺の顔を抱き寄せた。正確には俺の顔に鶴屋さんが覆いかぶさってきた。
首筋から覗く白い肌と鎖骨が眼前にある。仮に鶴屋さんの胸元のスレンダーさがもう若干低ければ接触は避けられなかっただろう。
決して残念がっているわけではない。これ重要。

鶴屋さん「よかったっ……よかったにょろよっ……」

鶴屋さんは今にも泣き出しそうだ。

87 名前:12/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:46:41.68 ID:6w1XGp9Q0
俺は床を這う鶴屋さんの長く綺麗な髪を踏まないように気をつけながらゆっくりと身体を起こして立ち上がった。
傍らで鶴屋さんが支えてくれている。こんなに嬉しいことはないな、うん。
鶴屋さんの甲斐甲斐しさに感謝しながら俺はリビングのソファに腰を下ろした。
妹が心配そうについてくる。思えば妹にこれほど心配されたことはなかったかもしれない。
まぁそれほど大きな怪我も病気もしたことがないんだから当たり前だが。
確か階段から転げ落ちたってことになって入院したときはお構いなしに跳びかかってきたからな。
俺の意識がない間はこのぐらい心配してくれていたのかもしれない。いや、していたんだろうな。
生意気な妹よ、俺は若干お前を見直したぞ。あくまで若干だから調子に乗るなよ。

妹ちゃん「ごめんねキョンくん……」

そんな俺の気持ちを知ってか知らずか妹は実にしおらしい。いつもこうだといいんだけどな。

妹ちゃん「いつものキョンくんなら鶴屋さんと10時間うそんこで戦ってても平気そうにしてるから……
      こんなことになるなんて鶴屋さんもあたしも思わなかったんだよ……
      だからあたしのことはいいから鶴屋さんを許してあげて……お願い、キョンくんっ」

そう言って妹は俺にすがってきた。あぁ、本当に普段からこうならぁ。ってなに? なんだって?
俺が何をしても平気そうにしてるんだって? 鶴屋さんと10時間なんだって? 
決して俺が想像しているような不埒なことでないことは明らかだった。

88 名前:12/3end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:49:00.49 ID:6w1XGp9Q0

鶴屋さん「キョンくんの本気って見たことがないっからさ……あたしもつい力を入れすぎちゃったさ……」

どんだけ超人なんだいつもの俺ー!
なに、なんだ? ここではいつもの俺って奴は山をひっくり返したり月を割ったりできるっていうのか?
一体どこの博士が作ったアのつくロボットだ俺はっ。

鶴屋さん「さすがにそこまでは見たことないっさっ」

まるで本当はできるみたいに言わないでくださいっ。キーンって飛ぶんですかキーンって。

鶴屋さん「飛びはしないけど走ってるところは見たことあるよっ。隣を走ってる電車にも追いつきそうな勢いだったさっ!
      あれで3割も実力を出してないってんだから驚きだよねっ」

鶴屋さんは半ば興奮している。スーパーヒーローを見るようなランランとした瞳で俺を見ている。
くそう、いつもの俺め、いつもこんな瞳を鶴屋さんに向けられているのか。悔しい。
しかしますますいつもの俺って奴が得体の知れない生物になっていくな。大丈夫か?
いきなり決闘を申込まれたり手の込んだ暗殺を企てられたりしないよな?


ダメだ、不安になってきた。

89 名前:13/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:52:50.72 ID:6w1XGp9Q0

鶴屋さんと妹は二人して大事を取って今日は学校を休めと言う。俺的にはまるで体調に問題がなかったのだが、

鶴屋さん「あのキョンくんが気を失うんだから一大事っさ!」

妹ちゃん「うんうん! 一大事一大事!」

というわけで俺は急遽学校を休むハメになった。そして妹はさっさと学校へ行ってしまった。

鶴屋さんも責任を取って俺を看病する為休むそうだ。
う~ん、鶴屋さんまで俺に付き合わせてしまってなんだか申し訳ない。すみません、鶴屋さん。

鶴屋さん「気にすることないっさっ、だって全部あたしが悪いんだからね……」

キョン「そんなことはないと思うんですが」

鶴屋さん「キョンくんっ、時に優しさは人を深ーく傷つけるっさ。ここはあたしに名誉挽回のチャンスを与えておくれよっ、この通りっさっ!」

頭まで下げられたらもう断りようがない。まぁ若干悪い気がしなかったというのも少し、いや、多分にあるのだが。
鶴屋さんは毛布を取りに二階へと上がっていった。どうやら俺をリビングから出す気はないらしい。
突然の休日に俺はどうしたものかと適当に辺りを見回した。特にすることもなかったのでなんか飲み物でも探すことにしよう。
俺は冷蔵庫へと向かう。
冷蔵庫の扉を開けて炭酸の抜けた無果汁オレンジジュースを飲んでいると視界の片隅に昨日帰りがけに立ち寄ったスーパーの袋が目に入った。
豆腐ときのこではちきれんばかりにパンパンに膨らんでいる。俺は今日SOS団の部室で鍋パーティーがあったことを思い出す。
すまん、お前ら。今日は豆腐ときのこと俺抜きで楽しんでくれ。そして鶴屋さんがそれに参加できないことは非常に申し訳ない。
それももともとは俺のへんてこな夢のせいだ。恨むんなら俺だけにしてくれよな。
しかしあの夢はなんだったんだ? 妙な俺といい、鶴屋さんといい。あぁ、思い出しただけであの俺にはムカッ腹が立ってくる。
もし会うことがあったら一発と言わず何発でもぶん殴ってやる。と言っても夢の中の俺に俺がどうやって会えるというのだろう。
わけのわからない思考をしてしまっている自分に気がついて一気に力が抜けた。
ちゅるやさんじゃないがにょろ~んと歌いたくもなるってもんだ。

90 名前:13/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:56:19.23 ID:6w1XGp9Q0

キョン「にょろ~ん」

ん、微妙にアクセントが難しいな。にょろ~ん、にょろ~ん。
奇妙な鳴き声をあげる俺を鶴屋さんが珍獣でも見るような目で見つめていた。いつの間にっ。

鶴屋さん「あっははっ、キョンくんおっかしーっ、あたしもそれ言ってみよっかなっ」

鶴屋さんは毛布を手にケラケラと笑った。
うぐぐ、ハズい。ハズすぎる。俺はそそくさとリビングに退散するとソファに腰掛けた。
ふわりと毛布が舞い音もなく俺の膝にかけられた。鶴屋さんが隣に座る。
俺は何気なくテレビをつけると朝のワイドショーを眺めた。

キャスター「今週末は季節外れの流星群が見られるそうです。
        本当に意外ですね、この時期にこれほど大規模な流星群が突如現れるとは」

女子アナ「そうですね、なんでも突然どこからともなく現れたとか。
       ご存知の通り流星群とは宇宙空間の塵が地球の大気圏に突入し燃え尽きる際の発光現象で、
       しし座流星群など季節性のものが有名です。ですがこれほど大規模のものがどこからともなく突然現れるというのは
       天文学的にも観測史上非常に稀なことですよね」

キャスター「そうですね、専門家の見解では火星と木星の間を漂ういずれかの小惑星が引力圏からなんらかの理由で放り出され
        どこかで細かく砕けて太陽の引力に引かれ、たまたま地球の軌道上に入ったものとされていますが、
        詳しいことはまだよくわかっていないようです。まぁこういう話ってだいたいいつも──」

俺はそこでチャンネルを変えた。どこも同じようなニュースだった。変わったこともあるもんだ。
まさかまたハルヒがらみじゃないよな。俺は一抹の不安を覚える。だが今日ばかりはそれを確かめようがない。
それに明日は確か日曜だ。疑念は来週までお預けか。
まぁハルヒに訊くことなど何もないので長門か朝比奈さんにでも電話して聞いてみればいいのだが。古泉は一番最後にしておこう。

91 名前:13/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 02:59:13.20 ID:6w1XGp9Q0
毛布が浮き上がる感触がして隣を見ると鶴屋さんが俺の毛布の中にいつの間にか入り込んできていた。

キョン「え、ちょ、鶴屋さん!?」

もう何度この言葉を言ったかわからない。俺と鶴屋さんは毛布を合い掛けにして正面を向いた。
テレビの音など頭に入らない。もう何度目だこの状況は。
いい加減に慣れてしまいたかったが、それは無理な話だった。
鶴屋さんにここまで肉薄されて動揺しない俺がいるとしたらそれは嘘か夢の話だ。

鶴屋さん「薫は香を以て自ら焼くって言うし、あんまり油断してるとそうなっちゃうにょろ……」

鶴屋さんは俺の知らない昔の人の格言を口にした。
く、くんはこ……? どういう意味ですか、鶴屋さん。

鶴屋さん「力のある人はねっ、その力を慎重に扱わないといけないっさ。
       じゃないと、自分で自分を滅ぼすことになっちゃうからねっ。でもこの場合、迷惑かけたのはキョンくんにだったさ……」

鶴屋さんは申し訳なさそうにそう言うと俺の肩にしなだれ掛かってきた。

キョン「つ、つ、つ、鶴屋さんんっ!?」

鶴屋さんは半目にどこを捉えるでもなく視線を宙に置いている。

鶴屋さん「しばらく……こうさせて欲しいっさ……。キョンくんには……ほんとに迷惑ばっかりかけっぱなしで申し訳ないっさ……」

鶴屋さんは猫が匂いをつけるように自分のおでこを俺の肩にこすった。
存在を示すように、できればこっちを向いて欲しいと訴えかけるかのように。
鶴屋さんに視線を向けると目と目が正面から向き合った。

93 名前:13/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:02:47.33 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さんはじっと俺を見る。
俺は鶴屋さんから目を逸らすことができなかった。吸い込まれそうというか、視線に捕らえられてしまったというか。
鶴屋さんの唇がかすかに動く。鶴屋さんはペロリと舌を出して唇を濡らすとゆっくりと目を閉じた。

こんな状況で、俺に何ができる。こんな状況で、俺に何を変えられる。
抗うことはできない。
それは俺が状況に流されているからでも、鶴屋さんに頭が上がらないからでも、しおらしい鶴屋さんを慰めたいからでもなかった。

ただ単に、俺も、鶴屋さんとそうしたかったのだ。

俺は鶴屋さんに顔を近づける。互いの息が肌より先に触れ合った。
俺と鶴屋さんの顔と顔の間の空気だけが熱を帯びていく。
息の強さが互いの距離を予感させるたびに鼓動が高鳴り、俺も鶴屋さんも呼吸が荒くなっていった。

互いに口をかすかに開く。吐息と吐息が交換され、互いの肺が満たされる。温かい、とても暖かい何かと共に。

突然電話が鳴りそれまでの雰囲気は吹き飛んでしまった。
互いに飛びすさり鶴屋さんは慌てて電話を取りに向かった。俺は頭を抱えて唸ることしかできなかった。
どうやら電話の向こうで妹が泣きじゃくっているらしい。なんらかの忘れ物をしたようだ。
あいつめ、俺と鶴屋さんを応援するような素振りを見せておきながらこの決定的な瞬間を邪魔するとは。
俺は本気で残念がっていた。もはや取り繕いも何もあったものではない。やはり俺は狼だったのだ。
申し開きも何もない。おまけに面目もない。

鶴屋さん「ご、ごめんねキョンくんっ、ちょっと行ってくるっさっ」

鶴屋さんはダイニングから妹のものらしい袋、恐らく体操着か何かを抱えて颯爽と走り去っていった。
先程までのしおらしさを微塵も感じさせない軽やかな足取り、というか足さばきで。
ただ一瞬だけ通り過ぎたその横顔が悔しそうに見えたのは俺の自惚れなのだろうか。

いや、そういうことにしておこう。

94 名前:14/1[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:07:04.48 ID:6w1XGp9Q0

夕方になって妹が帰ってきた。
実の兄の最大にして最高の一瞬を邪魔しておいて実の妹はあっけらかんと何に気づくでもなく鶴屋さんと戯れている。
こら、そこ、部屋の中でどたばた走るのはやめなさい。あ、鶴屋さんはいいんですよ。軽やかな足さばきですね。
しかしあれだけ動いて音が聞こえないのだから恐ろしい。古武術どころか暗殺術まで納めてるんじゃないかこのお方は。

鶴屋さん、妹ちゃん「「いえっさ~っ!」」

二人して息のぴったりな敬礼をするとそのまま再びばたばたと走り始めた。
若干一文字変わっただけである。俺はそういうことを言ったわけじゃぁないんだがなぁ。
俺はそんな鶴屋さんと妹をリビングのソファに座ったままボーっと眺めていた。
こうして見ると本当の姉妹のように見える。そうなると俺は間に挟まれることになるのか。うぅん、上に下にと大変そうだ。
俺は自分が鶴屋さんと妹の両方にこき使われている光景を想像してゾッとした。
そんなことを思っていると妹がなんの前触れもなく鶴屋さんに、

妹ちゃん「鶴屋さんが本当のお姉ちゃんになってくれたらいいのに……」

などと呟いた。
俺は飲みかけの茶を盛大に噴き出しそうになる。が、かろうじて耐えた。

鶴屋さん「えっ……!?」

鶴屋さんは驚いたような表情を見せた後ドギマギと落ち着かなそうにして俺を見る。
こういうとき俺はどういう風に反応すればいいかわからない。
鶴屋さんの切なげな瞳がものすごくくすぐったい。くすぐったいのだが、どうすることもできない。
俺は身悶えしそうになりながらもなんとか平静を装った。
若干湯呑みを握る手元が震えてしまったのは俺的に仕方がないと思いたい。

95 名前:14/2[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:10:56.68 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さんが妹の手を取って恥ずかしそうに笑う。
妹は無邪気にうれしそうだ。お前、自分が言っていることにもう少し自覚を持てよな。
おれはただでさえここのところ動揺続きで参っちまってるんだからな。これ以上心臓に悪いことは勘弁してくれよ。
俺の気持ちを知ってか知らずか、鶴屋さんと妹はまたきゃっきゃと遊び始める。
妹の脚からだけドタバタと音がする。さっきよりやかましくなっている。俺は眉間に手を添えて唸った。
時計の針は七時を回り、八時を回り、九時を回ったところで妹が舟を漕ぎ始めた。
鶴屋さんが妹をおんぶしようとしたのを制して俺が代わりに抱えあげた。そのまま妹の部屋に運ぶ。
俺が妹をベッドに寝かせた後鶴屋さんが毛布と布団をかけた。二人してそろりそろりと抜き足差し足で部屋を後にする。
両親も居らず妹は眠りに落ち、鶴屋さんと俺は二人っきりになってしまった。
これはまたドキドキな状況である。心臓に悪いことはまず間違いがなかった。

鶴屋さん「キョンくん……」

鶴屋さんが上目づかいで俺を見る。何かを求めるような視線。俺は胸をつかまれたようにドキリとする。

キョン「な、なんでしょうか……?」

96 名前:14/3[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:14:26.74 ID:6w1XGp9Q0

嫌な汗が流れたか流れてないかは知らないが、気が気でなかった。
今何かを言われたら逆らえる気がしない、もとい自分の理性を抑えつける自信も余裕も心の広さもなかった。
いっぱいいっぱいの境地である。
鶴屋さんはゆっくりと口を開く。俺は覚悟を決めなければならないかもしれないのにまだ微妙に準備不足だった。
俺は生唾を飲み込んだ。

鶴屋さん「そろそろ寝ようっさ、妹ちゃんとずっと遊んでたから疲れちゃって、
       それともキョンくんはまだ起きてたいのかなっ?」

俺は一先ず安堵する。とりあえず無茶な要求はされないようだ。
よかった、よかった安心した……ってもう寝るってことは鶴屋さんとまた同じ布団で寝るんだよな。
まずい、まずいぞ、今の状態でそれは危険すぎる。
俺の思春期の欲望はすでにレッドアラートを鳴らしていて狼寸前、というか半ば狼男なのであった。
健康な男子高校生にそれは、それは辛すぎますよ鶴屋さんっ。
俺はしどろもどろになる。
とはいえ今さら起きて何をするでもないし鶴屋さんは俺の隣が寝床だと言うし、観念するしか道はない。
こうなったら俺の忍耐力だけが頼みである。がんばれ、俺。自分を信じろ。

キョン「いいえ、もうすることもないですし俺も寝ることにします」

鶴屋さん「よかったよっ、キョンくんがそう言ってくれてっ。正直一人で布団に入るのは寂しいっからねっ」

鶴屋さんは恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いた。
うぐぐ、その仕草は反則ですよ、鶴屋さん。俺の理性を本当にどうにかするつもりですかっ。

鶴屋さん「じゃぁキョンくんっ、今日も一緒に寝ようっさっ!」

俺は鶴屋さんに手を引かれるままに自分の、今や俺と鶴屋さんの二人の部屋に連行される。

100 名前:14/4[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:19:14.44 ID:6w1XGp9Q0

鶴屋さんはぴょんとベッドに飛び乗るとそのままもぞもぞと布団の中へと潜り込んでいった。
俺もベッドの上へ横になる。もう今更どこへ逃げようという気にもならない。
もともとここは俺のベッドなのだ。何を逃げる必要があるんだ……ある、それは鶴屋さんが隣にいるから。
俺の理性がレッドアラートでピンチだから。忍耐力だけが頼みだから。ええい、ままよ。
俺は今も妹に言われたことが気になっていた。ここのところ鶴屋さんと仲良くし過ぎたのかもしれない。
距離感がむちゃくちゃになってしまっていた。どこまでが許されてどこからが許されないのか境界線がまるでわからない。
足場の悪い細道を渡っているような気分だ。
それならまだいい、もしこれが一本綱のロープなのだとしたらさじ加減を間違えた瞬間に奈落の底へ転落するのだ。
そりゃぁ気が気でないってもんだ。

鶴屋さん「キョンくんっ、どうしたにょろっ?」

俺がぶつぶつ言っているのを聞いて鶴屋さんが俺を上から覗き込む。
近い、近いですよ鶴屋さんっ! 鶴屋さんの息がかかる。正直辛抱たまりません。

キョン「あはは……な、なんでもないっすよ、先輩」

先輩、の部分を若干強調して俺は壁の反対側、鶴屋さんと逆方向を向く。
鶴屋さんは俺の態度に一瞬押し黙った後、何も聞かずにそのまま俺の背中に寄り添うように横になった。
鶴屋さんが呼吸をする度に俺の首筋に息がかかる。鶴屋さんを傷つけてしまったかもしれない。俺は不安になる。
しばらくの沈黙の後鶴屋さんが囁くように語り始めた。

鶴屋さん「そうっさっ……あたしはキョンくんの偉大なる先輩でお姉さんなのさっ。
       キョンくんが困った時はいつでも助けてあげるにょろ……」

優しく笑いかけるように言う鶴屋さん。なんてことはない、俺の心配など杞憂に過ぎなかった。
この人は俺ほどヤワではないのだ。この人は本当に無敵だ。意識し過ぎていた自分が馬鹿馬鹿しくなる。

101 名前:14/5[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:23:24.41 ID:6w1XGp9Q0

キョン「俺は鶴屋さんの弟みたいなものっすよね」

俺は若干余所余所しい口調は残しながらも安堵していた。
もう鶴屋さんを先輩と呼んで突き放す必要はなさそうだ。

鶴屋さん「ううん、弟なんかじゃないよっ。キョンくんはあたしの弟にはなれないっさ」

これには若干ショックだった。もうちょっと距離が縮まっているという無意識下の期待が打ち砕かれた。
我ながら一方的で自分勝手な期待である。

鶴屋さん「キョンくんは……ちょっと年下の男の子っさ……」

鶴屋さんは恥ずかしそうに笑った。

鶴屋さん「も、もう寝ようっか。明日も朝の支度で忙しくなるからねっ」

そう言っていそいそと布団に頭まで潜り込む。
俺は思わず鶴屋さんの方へと振り返ってしまっていた。
鶴屋さんは布団の中にもぐってしまっていて俺の目の前には部屋の壁しか見えない。
鶴屋さんとの距離は俺が思っていた以上に縮まっていたのかもしれない。
鶴屋さんにとって俺は絶対にただの年下の男子などではない。
ただの後輩に鶴屋さんはあんな切なげな眼差しでキスをねだったりしない。背筋に寄り添ってしおらしく語りかけたりなんてしない。
鶴屋さんにとって俺ってなんなんだ。ただそれ以上考えることが怖い。
俺にそれに応えられるだけの準備があるのだろうか。準備不足なんじゃぁないのか。
もっとも準備期間なんてのは全く欠片もありはしないのだが。

鶴屋さん「キョンくんに抱きしめられた女の子にはこういう景色が見 えるんだね……」

鶴屋さんが呟いた。俺は不意を突かれてドキリとする。俺は思わず「えっ」と呻いてしまった。

103 名前:14/6[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:25:54.91 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さんは俺には聞こえていなかったと思ったのだろう。

鶴屋さん「な、なんで もないっさっ。ただの独り言だからさっ、気にしないで欲しいにょろっ」

そう言ってごまかした。

俺は少しだけ寂しさを感じた。どうして俺はこの人の気持ちにまっすぐ応えてあげられないのか。
まず自分がなぜ好かれているのか、そこのところがわからないのだ。
それが俺の手を止めている。俺の脚を縛っている。
しかしそれでも、俺にできることならばなんでもしてあげたいと、ただそう思った。

キョン「鶴屋さん……」

俺は鶴屋さんに静かに語りかける。

鶴屋さん「ん、なになにっ? さっそくお悩み相談かいっ?」

鶴屋さんは顔を出さずに布団の中で笑った。

鶴屋さん「うんうん、悩み事ってのは言いにくいもんさっ、でもこの頼れる先輩がどーんと受け止めてみせっからさっ。
       なんの心配 もいらないっさっ!」

おそらく布団の中でそのスレンダーな胸を張ってらっしゃるのだろう。その姿を想像して俺は少し笑ってしまった。
今から言う言葉の気恥ずかしさもあって、余計にだ。俺は気を取り直して静かに言う。

キョン「少し……だ、抱きしめてもいいですか……」

鶴屋さん「え……」

鶴屋さんの顔が見えないことが幸いだった。見えていたら、おそらく俺は恥ずかしさに耐えられなかっただろう。

104 名前:14/7[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:28:13.70 ID:6w1XGp9Q0
鶴屋さん「あ、あたしを抱きしめたって何の得にもならないよっ?ほ、ほら、あれだよっ。
       な、なんだっけかな……そ、そうだよ、だ、抱きしめるならみくるとかの方がいいよっ、
       あた しも何度も抱きしめてるけどすっごく気持ちいいにょろよっ。なんたって柔らかさが違うからさっ!」

鶴屋さんの妙に焦ったような声が聞こえる。
その反応から恐らくいつもの俺って奴は鶴屋さんを抱きしめたことがないということがわかる。
きっと朝の甘えるようにもたれかかったりキスをねだったりということは鶴屋さんにとってものすごく勇気のいることだったのだろう。
そう思うと胸が痛む。この人の気持ちに中途半端にしか応えられない、俺自身に腹が立つ。
鶴屋さんが勇気を振り絞ったのなら、俺も振り絞らなければならない。そうでなければ、それは嘘だ。

キョン「鶴屋さんを……抱きしめてもいいですか……」

鶴屋さん「えっ……あ……」

鶴屋さんは一瞬押し黙る。短い沈黙が流れる。

鶴屋さん「う、うん……」

恥ずかしがるようなか細い声で鶴屋さんが了解してくれた。
俺が鶴屋さんの両腕に手を軽く添えると鶴屋さんの体がビクリと強張った。そのまま徐々に背中に手をまわしていく。

105 名前:14/8end[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:30:52.04 ID:6w1XGp9Q0

鶴屋さん「ま、待ってほしいっさっ、や、やっぱり!」

鶴屋さんはそう言って俺を突き飛ばす。鶴屋さんに被さっていた布団も俺に引きずられてずり下がった。
そこから覗いた鶴屋さんの表情は切なげで、両手を胸の前で組んで恥ずかしそうにしている。
鶴屋さんはぎゅっと目をつむったあとおずおずと俺に視線を戻した。

鶴屋さん「ご、ごめんっさ……キョンくん……も、もうだいじょぶだからっさ……続きを……お願いしてもいいにょろ……?」

そう言って俺に両手を差し出してきた。だっこをせがむ子供のように、甘えるような視線で。
俺は鶴屋さんを抱き締める。鶴屋さんが俺を抱き締める。
鶴屋さんは安心し切った子供のように深い安堵のため息をついた。
そしてそのまままどろみ始める。鶴屋さんの、俺の隣に居ると気持ちが安らぐという言葉はどうやら本当だったようだ。
鶴屋さんは俺を信頼しきったようにその身を委ねると、深い眠りに落ちた。俺はそんな鶴屋さんをただじっと見つめていた。
そしてなんとも言えない、自分が狼だったかなんだったかも思い出せないようになるくらい、
鶴屋さんに対して言いようもない感情を抱き始めていた。
鶴屋さんの寝息、鶴屋さんの体温。
それは先ほどまでとは違う意味をまとって、俺の胸の奥に染み入ってきたのだった。


俺が一睡もできなかったことは言うまでもない。

107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/02/15(月) 03:34:25.71 ID:6w1XGp9Q0
体力の限界が来たので本日はここまでにしたいと思います。
一応明日の日付変更前後に投稿すると思いますが、保障できなくてすいません。

一先ずここまでおつきあいありがとうございました。

あとその……前置きがキモくてすいません。今見るとわけわかりませんね。
文章が見にくいという指摘もごもっともです。反省してます。
何はともあれ、本日はここまでです。
お付き合いありがとうございました。
興味がありましたらまた次回にでも……。

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